臨床講座 2000-5/21 相原黄蟹
はじめに
ここで述べる「五月病」とは、文字通り五月頃に多く現れる種々の不定愁訴を伴う抑鬱症状と定義します。
我々が行う漢方鍼治療においては、病名ごとに決められた治療方法があるわけではないので、それぞれ発症にいたるメカニズムを分析理解する事で病体を把握し治療方針を立てることになります。
「五月病」のメカニズムを簡潔に述べれば、春季から夏季への移行に伴う生理活動が順調さを欠いたことにより現れる症状であるということが出来、これを理解するために季節という時間経過を追って自然現象をとおして説明する事が必要となります。
そこで漢方医学理論の中から「五月病」を理解する上で必要となる、自然界における万物の生命活動を理解するための時間論と空間論を結合した陰陽四時五行学説・知覚・情報・反応など「気」を中心とした生理機能を理解するための七神学説の二説を取り上げて解説して行きながら準じ説明して行くことにしましょう。
1 季節という時間と空間
漢方医学では我々人類が生活するこの世界を、日月星辰の運行によって明示される時間を意味する天と言う空間と・具体的に様様な現象を繰り広げる空間としての地という舞台に二分してとらえています。
ここでは時間に関する理論の中から、太陽と地球の運行から生み出される一年という時間の物差しを用いて解説して行きましょう。
天の五気が地に対してどのような作用を及ぼすかというと、旺争止集休の働きによって生長化収蔵という現象を起こして行きます。
前者が気に対する作用であり、後者は血に対する作用ということになります。
当然のこととして人間もまたこの時間の作用を受けていることになります。
次に、この時間の作用を受けて、具体的に生命体はどのような個別の働きをしているのかを五行の物性に関する理論を用いて説明してみることにしましょう。
ここに掲げた五行の色体表は、元来五行の特性を示したものですが、各季節の特徴を理解するのに有用ですので、それぞれの言葉の意味を具体的な事例を挙げて説明してみることにしましょう。
正気・性質・作用・化成とありますがどれも同じような意味合いとしてとらえられ、わかりにくいと思います。木行の春季例に挙げてそれぞれどのような分類テーマであるか合わせてを説明しますので土行以降はご自分で解読してみてください。
正気とは正直とありますが、これは先天の精 つまり親から譲り受けた気形質に基づいてプログラムどうり素直に実行すると言うことであり、春木の基本的なスタンスを示しています。
性質の柔和とは、対外的な表現のことであり、若葉の触感や乳児の微笑などから受ける穏やかで暖かな印象のことですが、この一見心もとない脆弱さとは裏腹に、その本質はしたたかな高度の順応性や可動性をも包含していることを忘れてはなりません。
作用の曲直とは、枝根の発育する様子を思い浮かべていただくとわかりやすいのですが、生長という目的を完遂するために天地の陰陽それぞれに向かって行際、ただ伸びるだけではなく巧みに問題点や困難さを克服して行くくことを意味しています。
蛇足ですが、この曲直の働きを十分に行わなかった場合、栄養をとり入れる根は大地にはびこることが出来ずに風雨に倒れやすくなり、太陽の恵みを受け止める枝葉を空間に広げることが出来ずに、満足な形で生命活動を営むことが出来なくなります。
このことを人生に置き換えて見ると昨今の犯罪事件などの諸問題の原因や解決法に対する答えを垣間見ることができるのではないでしょうか。
化成の生栄とは、春季が目指す形態や現象のことであり、個性を発揮させる夏季に向けて十分な素地を形成するという意味を持っています。
春木の特徴を簡略に述べれば、先天の気に基づいて夏火の目的である個性の確立をするための生命システムを立ち上げるということになります。
このようにテーマ別に整理する事は一見言葉遊びのように思われるかも知れませんが、ひとつの現象が見る角度を変えることで複数のデータとして入手することができ、問題の本質を捉えやすくなるのは間違いありません。
次に陰陽論によって紐解いてみると、正気と性質を「気」・作用と化成を「血」に二分し、更にそれぞれ前者を「陽」・後者を「陰」というように気と血・内と外と整理をすると、現象を理解する上で使い勝手が良いと思います。
夏季は春季に立ち上げた生体の生命システムを用いて各生理機能を獲得した能力の範囲内にて最大限発揮させることを目的としています。
つまり生体にとって夏季の恵みを受けるということは生理機能をいかに円滑に行われているかどうかがポイントとなります。
ここで生理活動を通じて獲得した様様な能力が次代への先天として精という種子の中に蓄積されて行きます。
このことを踏まえて上記の表の夏季の項目を説明すると、升発とは能力を最大限発揮する事であり、急速とはその反応が迅速であることを意味し、燔灼とは形体の隅々にいたるまでその働きが広がり及んで行くことを意味しており、蕃茂とは文字通り気形質いずれもが旺盛なる生命力が発揮されていることを意味しています。
さて、前述したように<「五月病」とは、春季から夏季への移行に伴う生理活動が順調さを欠いたことにより現れる>というわけですから先天という親の保護下にある春季から、独立した自己の確立を図る夏季への移行がうまく行かないことを意味しています。
人の一生を一年の季節のめぐりで表現してみると春季から夏季は子供から大人への移行期である思春期と同じに考えると理解が容易です。
形体は先天のプログラムにしたがって構築されて行きますが、それに見合うだけの精神的なソフトウェアは自らが経験を通してプログラミングして行かなければならないので、両者の間に摩擦を生じるようになります。
したがって価値観の多様性を認知し自己の特質と方向性を見出すまでは無気力・厭世(えんせい:この世に生きていることがいやになること。【対】楽天。)観・漠然たる不安などに苛まれることになります。
社会的な節目となる四月をあわただしさの中過ごし、どうにか落ちついたときに内的要因と、季節がもたらす影響とが相互作用して現れるのが「五月病」ということになるのです。
それでは次にこの心の動きを漢方医学ではどのように解釈し整理しているかを説明する事にしましょう。
2 精神活動について
一般的には怒喜憂思悲恐驚の七情が精神活動として解釈されていますが、厳密な意味合いからいえば適切ではありません。
三才の気の恵みを得て五臓の正気を養い生体反応を発揮するという入出力の過程において、情報の要素としての気と・形体の要素としての血に分けて整理して理解する事が必要です。
三才の気とは、風熱湿燥寒の気候を天の気・酸苦甘辛鹹と羶焦香腥腐の地の気・怒喜憂思悲恐驚の情動を引き起こす対人関係の人の気のことであり、人が生命活動を営むために必要な三種類の恵みのことです。
この三才の気は、後にのべる意識を経由して影響を与える場合とそうでない場合とがあり、前者を気・後者を血として二分します。
血とは、天地人の三才の気が肉体は勿論の事、各種臓腑器官が順調に機能し、つつが無く生命活動を営むことが出来るように作用するものと、それとは逆に災いをもたらすものに大別した二通りのものを指します。
気とは、天地人の三才の作用に対して情動を伴うもので、土の香を聞き花葉の鮮やかさを愛でたり・旬菜に舌鼓を打ったり・恋人と口付けを交わしたりして楽しむものと
、それとは逆に暑熱にウンザリしたり・栄養価は高くてもまずかったり・いやな人に触れられたりして忌むべき物との二通りに大別されます。
血が生体に対し直接作用する一次的なものとしてとらえると、気はそれに付随して作用する二次的な情報としての意味合いを持つと理解する事が出来ます。
したがって意識というフィルターを通過するすべての情報を精神活動に影響を及ぼす気として解釈する必要があります。
ここで一つ注意をしておかなくてはならないことは、感情の損益と、生命力の損益とは必ずしも合致しないということです。
どういうことかというと、「楽しい!おいしい!気持ちいい!楽チンだ!」というのは一見良いことのようですがこれが、長期にわたり持続すると感覚が麻痺してくるようになり、刺激に対する欲求に際限がなくなりそれを維持するために傾注される労力は、とうてい確保しつづけられるものではありません。
一日に行動と休息の昼夜の区別があるように・一年に寒暖熱涼という盛衰があるように、好悪・苦楽・禍福の波動が極端に振れることなく陰陽のサイクルを繰り返すのが理想的な姿です。
また怒喜憂思悲恐驚の七情についても同じようなことがいえ、いずれも欠けることなく感情の起伏を繰り返すことで豊かな人格を形成し、人を思いやったり困難に対処できるような精神力をも養うことが出来るのです。
その良い例として、本来なら忌避すべき悲しみや恐怖や恐れなどをわざわざ書物や映画・バンジージャンプや肝試しなどを料金を支払ってまで体験しようとするのですから。
この気を五感によって知覚し、生体を滋養する栄養素としての血と共に五臓の生理機能によって処理される訳ですが、その根幹を成しているのが七神の働きであり、その五臓の正気の能に応じた処理状況を繁栄する形で出現するのが七情であると解釈します。
従がってこの一連の過程において、栄養素でもあり処理対象でもあるエネルギーとしての気と、その処理能力としての精と、処理方法のプログラムとしての神のいずれかでトラブルを招じるとそれに伴い精神的な偏重を出現することとなります。
気が精の処理能力を超えて強大であるときを実邪として、また通常のエネルギーレベルであっても精の処理能力が乏しいときを虚邪として怒喜憂思悲恐驚の七情の邪気に破られたと称し、神である処理方法を実行できなくなります。
また先天的に、あるいは慢性的なストレスや強大な衝撃を受けて後天的に神が傷つけられた場合、障神や亡神と称しかなり重篤な病状となります。
それでは魂神意智魄精志の七神それぞれがどのような働きと役割を分担しているかを個々に説明する事にしましょう。
- 具体的に実態を示す能力を有しています。どういうことかというと意識を伴うすべての行動のスタートボタンであり、ことを成し遂げるための堅牢さと状況変化対応できる柔軟性をも併せ持っています。
その影響範囲は肝臓の支配領域と同じであり、純真な心の働きを司る心臓の感情とは異なるある意味においては打算的な感情を司っています。
以上述べた七神の働きは極大雑把な説明ですので、詳細についてお知りになりたい方は専門書を御覧ください。
次に七情の個々について説明してみることにしましょう
軽度の場合は五臓の生理機能が減弱する事によって行動・食欲・呼吸・津液などが停滞し心気は亢進する程度ですが、重度の場合は驚と同様の症状を現す事になります。
五臓の生理機能と同様に七神も七情も単独で機能しているのでは無く、互いに密接な関係性を保ちつつ人体という複雑な生命システムを運営しているわけで、はっきりとした区別をつけ整理をするのはなかなか困難な作業ですが、ここに掲げた項目をあるテーマに基ずいて巧く組み合わせ解釈する事でより深く理解することが出来ると思います。
3 治療へのアプローチ
先にも少し述べましたが、無気力・厭世観・漠然たる不安などの抑鬱症状は、気血の虚実を補瀉する事によって五臓の整理機能を回復させることで治療が可能となります。
基本的には気虚がベースにあり、生体反応としての症状は苛々する・すぐカッとなるなど興奮性のものと、無気力・厭世観・漠然たる不安などの沈静性のものとに分けられ、更に個別の症状から五臓の特定が可能となります。
例えば無気力は肺・厭世観は脾・漠然たる不安は腎などというように前述の七神と七情の理論を用いることで比較的用易ですので個々の症状についての解説は省略させていただきます。
実際の診断治療は他の病体に接するときと変わりませんが、特に眼望・気息言動・食欲などには留意しなければなりません。
眼望とは、視線の動きと瞬きの回数や瞳の輝きと涙の状態などのことで、いずれも精神病床の際に特徴的な異常が散見出来ます。
気息は精神病称に限らずすべての病症に対して注意をしなければならないチェック項目ですが、微妙な鍼使いを要求される極補の際などに、気息の状態は極めて繊細な情報を与えてくれます。
言動は現在意識化でどのように情報処理がなされているかを知るための大切な指標です。上記の資料を参考にしながら異常部位や回復状況を知るのに優用です。
食欲は一般においても摂食障害の拒食症や過食症などでよく知られているように、精神病症の際に偏重をきたす傾向があるので回復状況を知る上での指標となります。
多くの紙面を割いて記述して参りましたが、幾度と無く言うように漢方鍼治療は気血の虚実を補瀉によって生体の自然治癒力を回復させる治療法なので、特定の病名に対する治療法は無いのですが、生理や病理の知識と病体から得られる情報は多いに越したことはありません。
〔処理 − 七神〕
魂 − 具現化能力 柔軟堅牢 深謀遠慮
神 − 七神の代表として入出力を管理 明朗快活
意 − 意識 現在処理中の情報 豊かな包容力と汎用性
智 − 情報の取得と保管
魄 − 整理整頓 厳格 清廉潔白
精 − 獲得した能力の保管と発揮
志 − 本質的な長期視野にたった生命力
- 〔反応 − 七情〕
怒 − 攻撃に対する防御半能 血の変動 顔色は 陽赤 陰青白
喜 − 欲求の充足反応 正気の消耗 陽実陰虚
憂 − 対処反応の事象に対する停滞反応
思 − 自ら与えられた条件下で繰り返される行動が伴わな思考反応
悲 − 喪失した事物に固着して他のすべてを放棄する精神反応- 泣き涙するのは陽
驚 − 予測外の変化に対応能力喪失による情動反応
恐 − 受難の可能性に適切な対処が不可能による情動反応
{注} − 七神 七情 いずれも単独で無く、複数が錯綜して営まれる