解散日記3
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解 散 日 記
第三章 清算開始
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2005.02.16追加更新 六 月 六 月 今日から会社は「清算」段階に入る。つまり、対会社対個人の貸し借りを計算して決着を付けること。解散会社が商法上の手続きとして経なければならない会社解体の方法なのだ。 営業はすでに四月から新会社で行っている。しかし出発準備はまだなにも出来ておらず、領収書一枚自社名のものがない始末で、幹線食堂会社の残りを使っていた。 朝一番、博多駅レストランのM課長が六月の売上げ予算を聞いてくる。どうして私に聞いて来るのだ。新会社の予算など我々が組んでいるはずがない。 そんなことより私の社会保険がどうなっているのか心配で、厚生年金基金と健康保険組合に聞いてみると、どちらも継続OKの返事。残る雇用保険を職安に質しに行く。主たる給料が役員報酬でなければこれもOKとのこと。まず一安心する。 中川部長は独りでてんやわんやしているが、はたは冷めていて、気の毒だがこちらも雑用に追いまくられて手助けする間がない。 役員退職慰労金の案が出来たと広部常務から電話があった。退職金と言っても現金なのか記念品なのかが問題だ。 健保組合の小谷理事がやってきたが、ゆっくり話をしている時間がなく、四時過ぎに森脇専務に会う約束をしているので、早々に出掛けた。専務には議事録に判を貰い、社長には溜まっている稟議書に判を貰った。 広部常務が退職慰労金の明細書をくれた。減額率は別として、それが品物でなく、金額が書いてあったのでほっとした。今回の事態が私にはすべて幹線食堂会社専任役員の経営責任とは思えない、納得できないのだ。 東京の森中(元)常務から電話が掛かってきた。週休二日制で今日は休みらしい。退職慰労金のことを伝えると、ちょっと口篭もりながら十六日なら京都にいるとのこと。 夕方六時の約束が、三時ごろ急に今すぐ来てくれと言われ、慌てて出掛けたので、社印を持って出るのを忘れた。みやびホテルから会社へ電話して倉中係長に持って来てくれるよう頼んだ。相談役に議事録の説明をし、次に社長に社印を押して貰ったそのあとで、 「外に倉中係長を待たしているんですが、社長から一言声を掛けてもらえないでしょうか・・・」と頼んだら、気軽に、 「入ってもらえ。」と頷いた。私が彼女を招き入れると、 「このたびは色々ごくろうさん。」 と激励の言葉を掛けてくれた。この際と思って、倉中係長を広部常務のところへも連れて行く。お茶でもと誘ってもらって、三人で喫茶へ行った。広部常務は彼女を旧姓で呼び、しんみり昔話を半時ばかりする。 今日から倉中さんにはなるべく早く帰ってもらうよう心掛けよう。「私が玄関の鍵をかけて帰るから・・・」と彼女に告げた。 私たちが要求し続けて一年越しで、長男のうちにとうとう電話が付いた。保雄に断ってからさゆりさんのうちに電話をすると、お母さんが出て来られたので、九日にお伺いするのでよろしくと挨拶しておいた。 朝まず中川部長と京都銀行へ選手交代の挨拶に行く。そのあと浜田事務所に議事録を持込んで清算人の登記を頼み、次に河原町の官報販売所に行って解散公告の予約をした。「当社は解散したので、債権のある方は至急申し出てください。」と世間に知らせないといけない。それも二ヶ月以内に三度繰り返す必要があり、たいていは三日連続で掲載する。さらに三条通りの岡村電話店まで足を伸ばして、事務所の電話二本を売却した。 事務所に帰ってから、各地の官庁に事業所廃止届の用紙を送って貰うように電話で依頼する。昼からは近鉄の結納コーナーで、退職慰労金の金封を四人分書いてもらった。ついでに東京の結納事情を聞いてみると、これがまた関西とまるで違った。まず結納返しが半返し、つまり百万円の結納なら五十パーセントの五十万円を返すそうで、飾りも至極簡単なのをお互いに交換する。へえ、そんなものかと感心した。 長良河畔ホテルから会社概況やらパンフレットやらを送ってきた。 五日。午前中なにをしたということもなしに過ぎてしまった。 昼からもあれやこれやとするうちに時間が経ってしまった。 関鉄航空配送の牧坂元専務に電話する。電話口に出た人が受話器の向こうで、 「牧坂部長、京都から電話ですよ。」と呼んでいる。専務だった人も今では「部長」で、それでも電話に出てこられた声は元気そうだった。退職慰労金のことを報告しておく。森中常務のとこの電話番号を確めたら、開発部でなしに営業管理部だそうだ。「なんとお呼びするんです?」と聞くと、今のところまだ肩書きはないらしい。 防火協会、防犯協会、社会保険委員会、商工会議所など、一々電話で断ってから退会届を出さないといけない。今までこんなに付き合いの会費をいろいろ支出していたのかと感心する。指定の用紙のある場合は、まずそれを貰いに出かけ、記入してから再び提出に行く。自家用車はとっくに売ってしまったし、せめて会社に自転車でもあればいいのだが、おおむねテクシーで、それも方向はまちまちである。 今日も自分で鍵を掛けてうちに帰る。 夜、八時前に叔父と叔母が来た。 「腰を抜かさないで!」と、江戸っ子の叔母がいきなり打ち明ける。「勝男が再婚するのよ。」 勝男というのは私の従弟だが、離婚歴がある。しかも相手は二十一歳、彼の二十三歳も年下だった。女の方があつあつで、結婚出来なかったら死ぬとまで言ったのだそうだ。親戚書きに私達夫婦を書かせて欲しいと、今日のお願いというのはそのことだった。当の勝男が十時過ぎに両親を迎えに車でやってきた。目に浮わついたところがなくなったと家内が後で言った。 今日は暑くなるとテレビが言っていたが案の定昼頃から夏日になった。日本晴れで道を歩いていてもついつい日陰に身を寄せるように体が動く。 JR九州がレストラン博多の承認を、秋のコンコース改装工事以後留保する、取消すこともある、と言ってきた。新会社にとってはえらいことである。一方、JR西日本もレストラン新大阪の営業許可を、平成五年三月末までとはっきり期限を切る覚え書きの交換を申し出て来た。さらにレストラン京都駅についても「別途協議する」と必ずしも安心できない雲行きだし、これでは八方塞がりである。お陰で中川部長はまた明日博多へ出かける。新会社は果たしてうまく漕ぎ出せるのか、疑わしくなってきた。 あまり暑いのでジュースをW君に買って来てもらって皆に配った。日が落ちても一向に涼しくならない。 昼まで掛かって簿外資産のリストを整理して、やっと東京だけができた。昼から京都の事務所と隣接の従業員寮を見て回った。簿外資産といってもそんな不当なものではないのはもちろんだ。償却済みのがらくた類だとか、事務机事務椅子といった少額で資産計上していない代物である。 そのあと、南都銀行、三菱銀行、それぞれ大阪支店の口座廃止届を出しに行き、富士銀行には当座貸越の解約届を提出する。 東京品川寮の杭位置図面を関鉄不動産に郵送しておいた。品川の従業員寮もいよいよ取り壊される日が迫って来た。 倉中係長にだけ、明日は休んで長男の彼女のうちに挨拶に行くことを打ち明ける。 うちに帰ったら家内は友達の音楽会に出掛けて留守だった。 観音寺の義母から電話が掛かってきた。 「よく診てくれるちゅう東大出の医者を友達に勧められとんじゃが、どんなもんやろ。」と私に尋ねる。医者の浮わ気は賛成出来ない、と意見したら、礼子といっぺん相談するから、戻ってきたら電話してくれるようにと伝言を頼まれた。やはり私では相談甲斐がないのだろう。 家内は九時半ごろ帰ってきて、私と同じような意見を観音寺へ電話していた。 東京で一泊し、翌々日、栄太楼飴を手みあげに出勤する。缶入りの飴はなかなか好評だった。 解散決議と清算人選任の登記を貰いうけに行く。その足で蹴上のホテルに向かい社長に報告をと思ったが留守だった。それで広部常務に報告しておいた。ついでに、「我々の夏のボーナスどうなるんですか。」と常務に小声で聞いてみた。 「何も聞いてないの?」 「ええ?」 「実は、事態が事態だから今は時期が悪い。清算終了の時に別の形で出そうということになってるはずや。」 「倉中さんもですか?…」 「二人とも一緒やな。給料は現給通り。」 「役員報酬はむろんカットでしょうね。」 「それは何かの手当に突っ込めないか?」 十時に約束していたので、中川部長と京都銀行へ支店次長に会いに行った。レストラン京都の集金を新会社にもよろしくお願いしたいと頼んだところ、その一点は了解を得たが両替サービスはどうしても続けるわけにはいかないと断られた。中川部長が仕方ないと言ったので、私も引き下がった。 みやびフーズの初任給がいつの間にか一万円上っていた。べースアップのなかった四年目のW君と新入りとがほぼ同じ給料ということで、当人はもとより堀吉係長もカンカンだ。私にしきりに訴えるのだが、問いただすわけにもいかず、ちょうど姿を見せた中川部長に聞いてやってくれと頼む。湯川部長の答えもあいまいで、調べるということになった。こんな初歩的なことをどうして誰も気が付かないのか、全く不思議だ。 昼からは南都銀行へA支店長を訪ねて、中川部長を連れて挨拶に行く。夕方からは中川部長と本社建物内の備品チェックをするが、厨房器具などもいらないとなると、嵩高くうっとうしい。 社長に今日までの報告をしようと思ったが時間が取れないらしいので、電話で報告しておく。 昼から官報を貰いに行ったところ、出てるは出てるは解散広告は十社を越えていた。世の中広いなあ、とつくづく思う。その中に「みやびホテル幹線食堂株式会社」の名もあった。これを立て続けに三度掲載することになっている。ちょっとナンセンスだ。そもそも「二ヵ月以内に三度掲載」の本来の意味は恐らく半月程度間隔を空けて三回というのではないかと思う。しかしここで私が異を唱えても何も変わらない。 清算の作業の中でも厄介なのが資産の引継ぎである。資産台帳から抜いたり消したり加えたりしなければ、引継ぎ資産の明細までたどり着かない。それでもかってのどさくさの時期から比べれば、時間さえ掛ければ自ずから出来上がるのだから気分的には楽なものだ。マイペースでやればよい。 雨の中、小売酒販組含へ退会届けとその挨拶に行く。 会社に帰って、新大阪店の資産明細に取り掛かる。 広部常務から電話が掛かって来たので、昨日の退職慰労金のお礼をいい、役員報酬の一件を社長に進言してもらうよう頼んだ。 午後二時ごろの予定が遅れて三時に綿引監査役がみえる。京都事務所と隣接の従業員寮の備品のチェックに立ち会ってもらい、あと小一時間雑談した。監査役はお暇なようで、その後デパートへ寄ってそのまま帰宅するから、もし役員室から尋ねてきたらそう答えてくれと言い残して会社を出られた。役員室からは何も聞いて来なかった。 新大阪店の資産明細を仕上げて帰宅したのは七時だった。 朝から博多駅営業所の資産明細作成に掛かる。 もう追い立てられていると言う感じもないし、マイペースでやれる目途も立った。むしろ新会社の方が何かと大変で、領収書ひとつゴム印ひとつ満足に揃ってない状態が続いている。 昼から四時ごろには資産明細の仕事もあらかた終わってしまったので、江東区の土地の売買価格を割り出す資料を作る。幹線食堂会社の本社所在地であるこのビルの地積が、登記上と控えの数字が十坪近く違うと有村監査役から言ってきたので、とりあえず玄関の間口を実測する。 六時半に退社。 十時過ぎ長男から電話が掛かった。虎の門パストラルと新宿の京王プラザホテルの二つが候補に残ったと言って来た。明日もう一度みやびホテル東京の式場を見にいくつもりらしい。 「二人で好きに決めたら。」と私は投げ槍に返事した。 久し振りに何のわだかまりなしに日曜日を休めた。七時半起床。 八時過ぎに家内が長男のところへどうしても電話すると言い出す。利用する気もないみやびホテル東京ヘもう一度見に行ってから断るなんて、そんな人を踏みつけにするようなことはやめて欲しいと、だいぶ強く長男に言っていた。みやびホテル東京は私から断ることになった。 すみ子は彼氏と北山を歩いてくると言って十時ごろから出掛けていったが、五時ごろ帰って来て、父の日のプレゼントやとババロワケーキを買って来てくれたので、早速皆で食べる。「ええこともあるやろ。」と家内が慰めるように言った。 みやびホテル東京の岩本専務に電話したが、午前中会議で席におられないとのことで、一時的にほっとする。それでも午後になればやはり憂うつが身に迫った。とうとう電話が通じ、私はいろいろと弁解したが、岩本専務は事もなげに明るく笑って、また気が変わったらいつでも言ってきて下さいと、こちらの気を汲んで心易く了解してくれた。 やっと少し気が晴れたと思ったら、広部常務から電話が掛かり、例の役員報酬のことは社長の意向はやはり当面カット、貰える気になっていただけにがっかりした。 牧坂専務に懸案のLのことで電話するが、相変わらず結論が出ず、話ばかりが長かった。Lには私から直接電話することになった。 家に帰ったら、「父の日」のプレゼントのつもりなのだろう、「地球/母なる星」という宇宙飛行士の写真集が長男から送り届けられていた。長男が今回のことで気を使ってのことかと思うと、もうひとつ嬉しくなかった。 我々が寝かけた十一時半ごろ長男から電話が掛かってきた。ホテルは京王プラザに決めた、日取りは三月三日、そこまではよかったが時間が九時三十分、前日から泊まってくれ、宿泊代はおれが出すと言う。これでまたまた腹が立ってきた。宿泊代の問題ではない。夕食朝食のこと、また日帰りしたい人もある。「一体京都の我々の立場をどう思っているんや!」と、写真集のお礼も言わぬ先に怒鳴ってしまった。 昨日は興奮してなかなか寝つかれなかったので、今朝は頭がすっきりしない。固定資産の整理をするが、なんとなく能率が悪くスビードが鈍る。 昼から南都銀行に営業報告書を届け、その足で、裁判所への解散届が出来ているので司法書士事務所へ貰い受けに行く。 今日は能率の悪い分だけ残業して、会社を出たのが八時前になった。 帰った早々八時過ぎ、佐和子から電話が掛かって来て、昨日夜半に気になって、兄の保雄のとこに電話をしたらしく、保雄は眠かったこともあってか、剣もほろろの挨拶だったそうだ。長男も大分参っているようだと思うと少しかわいそうに思えてきた。 中川部長は九州へ出張するので朝からばたばたして飛び出して行った。 森脇専務から電話が掛かり、思わず、「お久し振りです。」と挨拶してしまった。 「何か困ったことはないか。」 「今のとこ順調です、何かあればご相談に上がります。」 Lに電話するが、相変わらず話が長い。牧坂専務といい勝負である。これからちょっと外出の予定があると婉曲に促すと、明日自分の方からまた電話すると言って電話を切った。 資産の整理も終わったし、いよいよ気楽になってきた。 日赤に検査に行きたいと言って一時間ほど外出して帰って来てからの倉中さんと、A君との間がまずい雰囲気になっていた。なんでもないことに倉中さんがこだわっているように思えた。気を悪くしたA君がいつもより早くさっさと帰ってしまう。その後で、A君とは一緒に仕事は出来ないと倉中さんが散々ぼやくのを、多少肩を持ちながら、うまくなだめるのに苦労する。 今日はボーナスの支給日だが、みんな私達に遠慮して黙っている。その辺りが倉中さんの不機嫌の原困かもしれない。 今日は親会社みやびホテルの創業百周年記念日とかで、昼、社員食堂から帰ってきた堀吉君、 「ひょっとしたら赤飯に鯛でも付くかと思たらサンマでした。」と笑った。 Lから四時ごろやっと昨日の約束通り電話が掛かった。また長々くどくどと訴えかけるが、要するに金額を上げて欲しいということなのだ。これ以上はどうしょうもないことを悟らせるには出来るだけ弁解しないことだ。とうとう向こうも仕方ないと思い始め、今月中考えた上もう一度電話すると言った。今度電話する時はコレクトコールにしなさいと助言した。 絵画の一覧表を作成する。ぼろもあったが、多少いいものもあった。 帰り際、倉中さんが明日あさって連休するからよろしくと言った。なんとなく不機嫌そうなので、 「調子悪いの?」と聞くと、 「出てこなかったらぽっくり往ったと思って下さい。」と嫌味なことを口にした。 お互い飲めないくせに、この頃家内と二人で小ビールをあけるのが日課になってしまった。風呂に入りビールを飲み、礼子は三十分ばかりごろ寝をしていた。さあ寝ようと声を掛けると、気分が悪い、胸の辺りが苦しいと言い出した。アルコールが廻ったのか、あるいは、のんきなようでも、いろいろ心労が重なったのかも知れない。 今日は倉中さんが休みである。私も急ぎの仕事はないし、誰かの仕事を手伝ってやろうと思うのだか、急に言い出すのもおかしいのでタイミングを計っている。 昼からようやく買掛金の入力を申し出て少しやりかけたら、綿引監査役がみえた。急いで新大阪ヘ二人で出かける。JR新大阪からタクシーで女子寮へ向かうが、距離が近いのでタクシーの運転手がいかにも無愛想だ。博多の寮に比べると建物の新しいこともあって、非常にきれいな抜け殻だった。四階の一部屋が、乗務員達のお別れパーティー会場になった形跡があり、壁にいろいろ落書きがしてあった。三月九日の列車最終乗務後にこの部屋に集まった従業員が思いを込めて、壁を色紙代わりに寄せ書きしたものだ。監査役が一つずつ読んで回って、しきりに感心している。自分達の責任からほど遠いところで事が起こり、辞めさせられていくのに、「みやびホテルありがとう」とか、「皆と別れたくない」「寂しい」「元気でね!」とか書かれていた。 「これはぜひ社長にも報告しておくよ。」 思わず感動の言葉が綿引監査役の口を突いて出た。 うちに帰ると長男から速達の長文が来ていた。一生懸命弁明している。私も負けずに長文の手紙をワープロで打つ。 翌朝、起きがけに長男への手紙の続きをワープロする。お陰で電車二台分遅れてしまった。中央郵便局から速達で出しておく。なぜ「速達」にしたのか自分でもよく判らない。 昼からは固定資産明細が打ちあがってきたのでそのチェックをする。東京から福岡までの営業区間となれば、今はがらくた同様でも、枚数だけは多く、手間は大変だ。 あまりに暑いのでジュースを皆に配った。皆といってもたったの五本である。A君は買掛金の支払いをコンピュータに入力し終わり、最後の総合振込表を打ち出していた。堀吉君も、随分遅れてはいたが、最後の棚卸し表を作ってくれていた。みんなは協力的だ。私への花向けのつもりなのかもしれない。 仕事を二人に任せて私は帰ることにした。 保雄から電話が掛かって来たと家内が言った。二月三日(日曜日)十二時半からの挙式とのこと。節分だし時間もちょうどいい。家内が地蔵盆の相談があるからと町会長さんとこへ出掛け、私が風呂にはいりかけたら長男から電話で私にも同じことを繰り返した。私は賛成を表明する。さゆりさんがひょっとしたら七月十四日のあと十五、十六日まで泊まるかも知れない、「おれが宿泊代は持つ。」と言うから、ちょっとこだわりそうになったが、止めておいた。仲人を会社の上司に頼むことをさゆりさんも認めたようだ。 日曜の朝。七時半に起き出したが、朝から暑くて散歩に行く気にもならなかった。ぼんやりとテレビを見て時間を過ごし、十時半ごろから小一時間ごろ寝をする。 十二時過ぎににぎり飯を食べ、またテレビを見ていてそのうち、うたた寝を一時間。五時十五分ごろから家内が地蔵盆の下見に北白川まで皆で出掛けたので、作っておいてくれたカレーライスを早々と食べ、またまたうたた寝を小半時。今日はほんとに一日中よく寝られる。 その夜十時ごろ長女夫婦がやって来た。退職後どこか海外旅行にでも出かけようかなと、この前冗談口を叩いたところ、自分たちが行くみたいな熱心さで、いろいろ助言してくれる。 昨日はよっぽどよく寝たつもりだったが、まだ寝たりない気分だった。 倉中さんはどうも調子が悪そうで、昨日の日曜日はやはり休んだらしい。いよいよ新会社が事務所の引越しを今月末にするらしいが、堀吉君あたりはまだスネている。 二時ごろ倉中さんが食事から帰ってきて、ふらふらするので帰ろうかなあ、と言い出したので、それなら第二日赤まで一緒に付いて行こうと、タクシーに乗せて出かけた。診察が終わるまで待っていたが、結局何でもないらしく、倉中さんだけが腑に落ちないようだった。どうやら神経から来ているらしい。この異常な数ヶ月の状況下、女の身でストレスが掛からないわけがない。明日も休むように言ってタクシーに乗せて家に帰らせた。 ホテルの人事からA君に電話があり、サマーフェアーの券を割り当ててきた。律義な彼は当然の義務と心得て買うらしい。そこまでしなくてもと私が同情すると、まるで愛社精神が乏しいように逆になじられた。 棚卸表が出来ているのに倉中さんが休みで仕事がストップしてしまい、とりあえず棚卸表を「財産目録風」に仕上げた。 昼前、倉中さんの姉さんから電話があり、「ご迷惑を掛けてすみません、少し元気になったようです。」と言ってきた。 「会社の事は心配いりませんから、充分休養を取ってもらってください。」と安心させるべきところを、「どうぞお大事に。で、まだしばらく無理でしょうね?」と聞いてしまった。 運動不足気味なので、外へ出て消防署のある西洞院通りまでぐるっと回って来る。曇っていてそれほど暑くもなかったので、気分転換にちょうどよかった。歩いている間に考えて、事務所に戻ってから、これも財産目録に必要だろうと、買掛金の業者別内訳表を作る。何分「清算」は初めての処理だから、ホテルの経理に聞いても誰も教えてくれない。 中川部長とA君は今日もまだ残業している。それを横目に私の方はなるようになれと、六時半に退社する。 この頃夕飯後ごろっと一寝いりするのが癖になって、今日も三十分ばかり寝た。今日はバイトは休みなのかすみ子は高校時代の友達と会食に出掛けて十時過ぎにやっと帰ってきた。 出勤したら倉中さんが出ていたのでほっとする。まだ調子はよくなさそうだが、大分仕事が溜まっているので、帰って養生したらとは言えなかった。病院の検査結果は何も異常がないらしく、神経的な思い込みに違いない。昼前誰もいない時、倉中さんが考えていそうな人間関係のわだかまりを、こちらも概ね同じ意見だと話してやると、やっと心をほぐして、それからは精出して仕事をし出した。私の心理療法が功を奏した。 夕立でも降りそうな空模様だったが、ほんの申し訳しか降らず、蒸し暑い一日だった。たいした用事でもなく電話で済むところを、税務署までわざわざ出向いて窓口で問い合わせをし、帰りも少し遠回りに歩いて帰った。冷房が入りっぱなしだとどうも背中の骨の辺りが痛くなる。時々外気に当てる方が健康のためだ。 月末の資金繰りを倉中さんが作って見せてくれた。やはり定期を一つ解約しないと回らない。太陽神戸銀行に電話して解約の予約をする。それが六時ごろで、それからようやく彼女が支払いの段取りを始めたので、私も付き合って居残りせざるをえなかった。ロッカーの書類の整理をする。いらない書類が山ほどある。十九時ごろに倉中さんの用意が整ったので、預金払出証に社印を押す。 新しいコンピュータの試運転に一日掛かり切りだった中川部長とA君も、そのころ新みやびホテルから戻って来た。帰り際倉中さんが北海道の親戚から送って来たと言って夕張メロンをくれた。 朝方、久し振りに銀行回りを自分でする。そのついでに第一勧銀の前のボックスで、この前買ったジャンボ宝くじの引き替えを頼む。結果は新聞ですでに承知していたが念のためカス券も全部を渡した。無造作に小母さんが受取り、機械だから瞬時に判定が下って当りくじの賞金額が印字され、金を支払ってくれた。十枚買って賞金三百円なり。夢がいとも簡単に打ち砕かれる。 事務所の引っ越しが迫っているのに堀吉君らはまるでわれ関せずである。もちろん私がとやかく口を挟む事柄でもない。 六時過ぎに家に帰る。七月、町内の紳士会にカラオケがあるので歌の一つや二つ覚えておかなねばと、家内と二人でビデオを掛けて練習する。もう少しましだったはずなのにと思うが、なかなか思うように声が出ない。 十一時になってもすみ子が帰って来ないので自転車で迎えに行ってやった。四階建てビルの二階が「寿司バー」だったが、まだ明々と営業していて、十一時十分ごろにやっとビルの通用口からすみ子が姿を現わした。バイトが一人ふいに休んだらしく、大分疲れた様子だった。 A君が業者からの支払いの問い合わせのことで、堀吉君を余りにやいのやいの責めるので、うるさくて、頭にきてしまった。業者には私が返答するから君はみやびフーズの仕事だけをしてなさい、と少しきつく言った。A君は自分としては精一杯やっているのにと不満気だった。 森中常務から書留が届いた。先に手紙と電話で依額していた五月分の社会保険科を、現金書留で送ってきたのだ。手紙がはいっていて、寮には帰ってない、体調を崩しているらしいことが書いてあった。気になって関鉄エキスプレスに電話を入れてみたところ、そこで思いがけないことを聞いてしまった。森中常務が入院中だと言うのである。すぐに牧坂専務に電話してみると、やはり牧坂専務は知っておられて、六月十四日に逓信病院に肝炎で入院療養中とのことだ。七月十五日ごろまで掛かるらしく、内密にということで、会社でも人事部長どまりで口止めされているとか。森脇専務には先に牧坂専務に電話が掛かったおり打ち明けたということだ。 倉中さんは見たいテレビがあると言っていつもより少し早目に帰った。私は七時に帰宅。今日のテレビチャンネルは紀子さまの結婚式一色だった。倉中さんの見たいと言ったのも多分これなのだろう。 新大阪の事務机なんかを取りに行くのにA君がトラックをレンタルした。京都を十時に出発して十一時には新大阪の事務所に到着すると言うので、それに合わせて私は十時半の新快速に乗った。十一時きっかりに私の方は事務所に到着したが、トラックは道路が停滞していて着いたのが十二時半だった。新しい事務所用に、いくつかのこましな事務机を選り出して載せ、そこからさらに女子寮に回った。A君は故障した洗濯機まで自分で直しますからと積んで行きたがり、さらに柱時計を引きはがして座席の足下に置いてやっと出発した。中川部長が大阪に寄るので私は十三で下りて阪急で帰る。 会社に帰ったら、堀吉君とW君がロッカーの整理をしていたが、余り捗っている様子はなかった。健保組合の小谷理事が来て私と喋っている最中に、四時過ぎやっとA君が戻ってきた。それから書庫やロッカーを二階から降ろしてトラックに積む。A君は傍目にも奮闘していたが、それに引き替えW君は何とか力を出さないでおこうと、そちらの方に智恵を注いでいた。 埼玉のLから電話が掛かってきて、まだうだうだ持ちかけてくるので、金額の上積みはないとはっきり断じた。やっと、七月十六日に自宅へ来てほしいと言葉を結んだ。私も、行くのはいくらでも行くが、行ってから再交渉には応じられないと釘を刺した。 七 月 朝からみやびフーズの連中はてんやわんやしていた。中川部長とA君は向こうの新事務所へ行ったきり、こちらには堀吉君とW君がいて書類の整理梱包をしている。相変らずW君は腰が重い。私は手伝わず仕事に専念する。そのうち二人も新みやびホテルの事務所へ行ってきますと出掛けた。浜野次長がのっそり入ってきて、散らかった書類の束を片付け出した。昼前またのっそり出て行った。 広部常務から電話が掛かり、社長が四日に東京に行かれるので、牧坂氏と森中氏に慰労金を渡す段取りをつけてくれとのことだった。 関鉄不動産のTさんから東京平野の土地(一時貸し駐車場としていた)の売買には国土庁に届けがいる、六週間は見といて欲しいと連絡してきた。土地の値段が日々高騰しているので、この区域の売買価格規制が特に厳しいのだ。 Lの父親から電話掛かってきて、娘と同じことをくどくど繰り返す。私もかなりはっきりと結論を述べた。それではとにかく十六日に来てくれとの父親の言葉で終わった。全く疲れる話だ。 倉中さんも疲れて声が出ないと言いつつ、七時に帰った。 翌日、倉中さんは日赤に寄るとの予告どおり出勤していなかった。会社には堀吉君とW君が来て荷物の整理をしていた。相変わらずだれかれの悪口を言ってうっぷん晴らしをしている。それもこれも、わが身に降りかかった、やるせない今の環境を乗り越えようとして自身に鞭を打っているようなものだろう。 十時ごろ引っ越しの挨拶に行くと、浜屋次長と堀吉君は新みやびホテルへ出掛けた。 倉中さんは十一時過ぎに浮かぬ顔をして出勤してきた。 私は四時にみやびホテルヘ出向き、森脇専務にまず会う。Lの話をすると、委細を聞いてなかったと興奮して声を荒げる。そんな事では退職慰労金を牧坂専務に渡すのは一考を要すると、えらいところへ話が逸れ出した。たまたま広部常務が入ってくると専務は、あまり事情をご存知ない常務にもいきなり打ち明けて同意を求めた。社長が見えたので、仕方なく同じ報告を私の口からする。退職慰労金の金封を社長が預かってくれたので、ほっとした。しかし、Lの家には牧坂専務と同行するようにと強く求められた。 会社に帰ったら堀吉君がまだ居残っていた。すぐ牧坂専務に電話をしたかったが、堀吉君の手前をはばかって、彼の帰るのを待っていたら七時を回ってしまった。三階の電話はすでに売却したので、この二階にしか電話はない。ようやく一人になって専務宅に電話をしたがまだ帰っておられなかった。 家に帰って八時半ごろ専務から電話が掛かった。Lの事で、特に領収書の件で非常識だと皆に詰め寄られたことを告げると、ちょっと不機嫌そうだった。それでも十六日に一緒に行くことは了解してもらった。 今日も堀吉君とW君が来て片付けをしている。A君は姿を見せない。それがまた、二人には癪の種らしい。十一時過ぎのホテル連絡便に荷物を積んで、「また来ますわ」のせりふをあとに二人は乗って行った。 昼から二時ごろ金庫を運びに神野金庫から重量運搬専門の三人がやって来て、それは見事に階段を滑らせ滑らせ階下に下ろし運び去った。そのあと私は、我々の机の置いてあるサイドをまず奇麗に片付けた。 堀吉君は昼からは新大阪に応援に出掛け、夕方またこの事務所に帰ってきた。明日もまたここへ出勤しますと言う。事務所の封鎖をするわけにもいかないし、困ったものだ。 朝から堀吉君W君、それに浜屋次長もいたので、「セコムのキーは私と倉中さんの二人が持つ。一般にはセット出来なくするから、旧従業員寮の品物は早急に本館に移してほしい。それが完了次第寮を封鎖する。」むね言い渡した。浜屋次長はちょっと困ったような顔をした。 堀吉君とW君は事務所の片付けをやり出す。 昼食後私が帰ってみると、またやって来ていてジュースを飲んでいる。私も少し手伝う振りをしていろいろ用事を言い付けると、精を出してやってくれるので、とことん片付けて貰うことにした。夕方には見違えるほど椅麗になっていた。三階役員室の古い絨毯を下ろしてきて事務所に敷き、応接セットを置くとちょっとしたサロンになった。 ここまでしてくれたら、仕方がない、慰労会に皆で食事に行くことにする。野村証券の下のフォルクスでステーキを食べ乾杯する。相変わらずみやびフーズに対する不満の聞き役をさせられた。私の行き先について堀吉君が気遣ってくれるので、私のことはなんとかなるから心配しないように言った。倉中さんも元来胃は丈夫なのだろう、量のあるシャトブリアンヘレをぺろりと平らげた。W君は明日は臨時に休むと言う。ちょっと気に掛ったが、私の責任と言うわけでもあるまい。 今朝は出勤するのが楽しみだった。スペースだけはちょっとした安物のホテルなみだ。掃除婦のBさんが退職精算を貰いに来てびっくりしていた。 十時ごろ新みやびホテルに西内専務を訪ねる。資産の引継ぎ額が一億円を優に越すことで相談を掛けられた。三分の一とか四分の一とかにならないかとの話である。私は困ったような顔をしたが、内心は別段困ることではなかった。はっきり言ってどちらでもいいことなのだ。みやびフーズが被るか、最終的に親会社のみやびホテルが被るかの事である。それでも、「一度広部常務と相談します。」と頭を下げた。 たまには外出するのも気が晴れるだろうと思って、倉中さんに銀行回りに行ってもらった。 私は三時半にみやびホテルへ出かけ、玄関先でS元常務など懐かしい顔に二三遇う。そう言えば今日はみやびホテル友の会(OB会)の当日だった。私は事態が事態なので欠席することにしているが、誰も私が近々会社を辞めることはもう知っているみたいだ。 森脇専務と社長に会い、資産の除却などについて説明する。稟議書に社長の判を貰う。今日は友の会を控えていて気がせいているらしく、たいした文句も付けられなかった。 事務所に戻り、JR駅舎の地下にある小汚い床屋に行く。 「どうして右から分けてるんです。左からのほうが髪の流れからいって自然なんですよ。」と散髪屋に指摘され、生まれて初めて左分けにした。誰か気が付くかなと思ったが、倉中さんも、家に帰って礼子も気付かなかった。 従業員寮を除き当面セコムに契約の継続の書類を提出する。事務所が二人きりとなればますます物騒だし、それでなくとも、私が外へ出歩くので、倉中さんは一人で気味が悪いと言う。 新会社の連中は今日は一日顔を見せなかった。 町内の紳士会が七時からなので少し早めに、と言っても六時過ぎに会社を出る。 うちの町内は景気のいい裕福な連中ばかりで私のようなサラリーマンは付き合いにくい。七時前にタクシーで祇園の「あうん」とかいう料理屋へ行く。道すがら、タクシーの窓越しにホテルベルボーイ時代の後輩U君に声を掛けられた。「どこか行き先決まったの?」心配してくれているみたいだが、乗り合わせた町内の人に「なんのことですか?」と聞かれ答えに窮した。 料理はなかなか品数が多くてすぐ腹がふくれてしまった。会社の事情が腹のどこかに溜まっているのだろうか。しかしこれも付き合いというものだ。 七時に起き出したが、朝ご飯のあとテレビを見ながらうたた寝する。昨日の後遺症からか頭がぼおっとして、やたらと眠い。眠気覚ましにコーヒーを飲むが、あんまり利き目がなかった。冷やし中華を一時ごろ食べ、満腹すると瞼が重くなり、またひと眠りする。 日曜日で、今日から大相撲が始まっている。千代の富士が勝ったのを見届けてまたひと寝入り。まるで眠り病に掛かっているみたいだ。 朝から彼氏と出かけていたすみ子が八時ごろやっと帰ってきた。すぐ歯を磨いて寝にかかる。この娘も親に似てよく眠る。九時過ぎ、佐和子夫婦が来たが、利武君は喉が乾いていたのか、たて続けにビールを飲んだ。すみ子を呼ぶとパジャマ姿で下りてきて、ぶっちょう面で座り、しばらくいたが、姉の佐和子が呉れたパンツを置いたまま、そのうちまた二階へ上がってしまった。佐和子が怒って、持って帰ると息巻くのを宥めるのに苦労した。 みやびホテルとの間の給料の振替勘定が合わないので、仕事が進まない。波橋課長に電話して、この前から頼んであった照合の件を催促したら、こちらにばっかり頼らないで、そちらの資料でもっとしっかり調べてください、と叱られた。いつの間にか先輩後輩が逆転している。仕方ないから昼休みにみやびフーズの地下事務所に寄り、退職精算の台帳を借りて来て、強引に調整表を作り、ともかくそれで振り替えることにした。 浜屋次長がやって来て、汗びっしょりになりながら旧従業員寮の雑品を事務所の下に運んでくれた。 W君が職安の帰りにわざわざ遠回りして、私のところへ寄った。一日人気がないから、彼でも来てくれると追い返す気にはならない。そのうち堀吉君も頼んでおいた資料を持ってやって来て、しばらく賑やかだった。 礼子から電話が掛かる。何ごとかと思って帰ってみると、Mさんとこが町費を入れてくれたので領収書を持って行ってほしいと言うのだ。わざわざ会社に電話して人を帰し、こんなことぐらい自分が行けばいいのにと思ったけれど、仕方がないので持って行った。愛想よく受け取ったと言うと、礼子にはそのことが不思議なようで、私は狐につままれた感じだった。 ホテル経理部の六本木次長から五月の決算をせいてきた。みやびホテルの中間決算がいつもより早くなったので数字がほしいと言うのだ。 A君が立ち寄って、ばたばたと用事を済ませ、帰り際にお盆を貰えますかと水屋にあるのを二枚持って帰った。 今日も浜野次長が来て、ジュース類の移動をし、その最中にW君もやって来てお茶を飲んで帰った。彼が来た理由はよくわからない。 厚生年金基金の町田課長がやって来て、社会保険委員会に私が出した退会届を書き直してくれと言うので、もひとつ意味不明なので、こちらからまた問い合わせてみるからと言うのに、にわかに気色ばって帰ってしまった。私は文章を少し変えて委員会に再度持っていったら、担当の部長は丁寧に受け取ってくれた。町田君は何をぎくしやくしたのかさっぱり分からない。 関鉄不動産のTさんから電話が掛かり、国土庁への届けに判がほしいから明後日伺うとのことだ。 牧坂専務にLの件で電話をした直後に、森中常務からも電話が掛かり、今日の検査結果次第では来週早々に京都へ一度帰るそうである。 映画村に再就職した世良君がひょっこり寄った。元より細身だったがさらに細くなり、それでも元気そうで料理部長の肩書きの付いた名刺をもらった。 五月末の数字が、まだ多少の手直しの必要はあるが、どうやら出来上がった。 会社へ紅茶とミルクとレモンとシュガーと、もらいものの炭酸煎餅を持って行った。応接サロン?があるのだから、これぐらいは備わっていないと侘しい。 二時過ぎからホテルヘ出かける。広部常務のとこは先客があり大分待たされた。宴会の予約のことで何かあったようで、右翼が絡んだ話らしく保安部長が加わっていた。結局四時頃まで待たされ、ようやく六本木次長を交えて清算結了に至る収支予想から資金繰りまでの見通しを相談した。 あと常務とロビーでお茶を飲んでいると、また先程の保安部長と宴会部長がやってきて常務と相談を始める。かなり込み入っているみたいなのでそのまま失礼して帰る。 事務所に戻ったら倉中さんはもう退社していて、「紅茶いただきました。」のメモが残っていた。 朝一番南都銀行に寄り、Lの示談金○○万円を新札で引出してから出勤する。なんとなく気が重い。ホテルの森脇専務に電話するがなかなか掴まらないので、先に東京の牧坂専務に電話して、月曜日十一時三十二分東京着のひかりで行くことを告げる。森脇専務から電話が掛かったのは一時半だった。L宅訪問の日取りを報告しておく。 「ご苦労さん。しかし、沢村君。話が付かんかったら、京都へ戻ってくるなよ。」 専務がびしりと言って電話を切った。 早く帰ろうと焦っていたが、こんな時に限って仕事が次々と出来てしまう。決算が大体かたまり、六本木次長に連絡すると、すぐにファックスで流してほしいとのこと。流している最中にうちから催促の電話。ファックスを流しっぱなしにして帰り支度をする。 雨の降ったあとでタクシーがなかなか来ない。その上、四条あたりが祇園祭で混雑していて車が進まないのだ。家に着いたのは七時だった。それからさゆりさん、保雄、佐和子夫帰を交えて賑やかな歓迎パーティー。そのあと、礼子が買い揃えておいた浴衣に二組のカップルが着替え、下駄を履かせて、祭を見にみんなで出掛けた。長男の婚約者に対する精一杯のもてなしだ。 朝から礼子は、保雄とさゆりさんを御所と相国寺に案内する役目を引き受けて華やいでいた。 私は八時五十三分発のひかりで東京へ出かける。牧坂専務に久し振りで会い、駅前の蕎麦屋で昼を済ませ、東北線の車両の中でいろいろ打ち合わせる。窓外にはいずこも同じ青田が続いていた。一時半ごろ埼玉××の駅に着き、そこからタクシーでLの家まで行った。明るく新しい座敷に通され、Lがしとやかにお茶を運んできて我々の前に丁寧に置いた。ぎこちなく並ぶ両親に、私と専務が畳に額をつけて謝りの口上を述べると、案外あっさり○○万円を受取ってくれた。「どうぞ改めてください。」と私が促すと、おやじさんが不器用な手つきで数え、娘が領収書にサインした。 「いろいろわがままを申しまして・・」 「とんでもないです。」 あとは辺り障りのない言葉を二三取り交わし、 「ではこれで失礼します。」 腰を上げると、父親もほっとしたような顔になり、 「では、そこまでお送りします。」 父親が車で駅まで送ってくれ、Lも改札まで来て見送ってくれた。 「がんばりなさいね。」 と励ますと、 「はい。」 若い娘に返って頷き笑顔を返した。 東京駅から社長に電話で首尾を簡単に報告しておく。 「話が付かんかったら帰ってくるなて森脇君に言われたんやてな。」 「はい。なんとか無事に帰れます。」 東京営業部のT元次長が東京駅前の喫茶店で待っててくれて、懐かしそうに過去の話をし、辞めて行った元従業員の現況などを話してくれた。横の牧坂専務をちらっと見ると、表情はくずさず、眼鏡を掛け直すふりをしながら目頭を押さえていた。 十七時八分のひかりで帰途に着く。午後八時ごろ家にたどり着いた。 祭見物に出かけていた保雄とさゆりさんが帰ってくる間際、午後十一時ごろに、突然豪雨となり、仕方ないので、旅疲れを押して地下鉄の駅まで迎えに行く。近所のHさんも勤め帰りの奥さんを迎えに来ていた。その目の前で私は階段で転倒して二三段滑って落ちた。幸い打ちどころはよかったようだが、Hさん夫婦にさんざん同情された。 保雄が帰って来た終電車の頃には雨も止んでいた。 会社に着く早々、倉中係長から日赤に寄ってから出社しますと電話が掛かってきた。十一時ごろに倉中さんが出勤して来たが別段異常はなかったようである。 二時過ぎ森中(元)常務がみえた。スポーツシャツにぞうり履きの軽装だったが、顔付きがげっそり痩せて、目がくぼんでいた。東京で心身ともに言うに言われぬ苦労があったのだろう。しかし見た目より元気そうには喋ってくれた。やはり通勤が大変らしい。丸の内の事務所と独身寮の間が、広い東京のこと、ずいぶん遠い。病後しばらくはとっても無理なような気がして、京都に帰ろうかと悩んだと言う。 保雄とさゆりさんが五時五十二分のひかりで帰るので、会社から直行で礼子と駅で待ち合わせホームヘ送りに行く。さゆりさんはこの前の時よりリラックスして楽しそうだった。たくさんお土産を買い込んで帰って行った。 社長のところへ、東京出張の報告と、示談金の稟議書に判を貰いに行った。森中(元)常務が帰宅しているので、例の退職慰労金を渡して欲しいと頼むと、わかった、二十日の十一時に渡しましょうということになる。 三時過ぎ、先輩の杉山さんが、昨日電話で予告していた通りにやって来た。そこへふらりと浜屋次長も来たので、倉中さんも交えて皆でいろいろ話をする。「あいつらやめて良かったよ。」とか、「残って苦労している人もいるなあ。」「まあ、どっちとも言えん。人生いろいろや。」とか話をした。 七時ごろ家に帰る。さゆりさんのお母さんからお礼の電話があったとのこと。あれだけ歓迎すればそのくらいのことはあるだろう。 みやびフーズへ譲渡する資産の単品ごとの値踏みをする。倉中さんは六月分のオフコン打ち込みをやり出した。もはや営業も収入もないけど数字は動く。私も一度打ち込もうという気はあるのだが、なかなかそのゆとりがない。元々経理ソフトを導入したのはこの私だ。親会社が数千万円かけて独自のソフトを一年掛かりで開発したのに対し、私は既製の四十万円のソフトを探し出してきて、わずか二ヶ月の準備期間で切り替えた。当初は経理課のだれもが機械に冷淡だった。というのは倉中係長はじめ、私以外はそろばんの名手揃いで、数字を間違える事も少なく、特に不便を感じていなかった。導入後一ヶ月間はほとんど私一人で打ちこみをやった。徐々にみんなもキーを叩くようになってくれて、お陰でいつの間にか、導入当事者の私が打ちこみ方を忘れていた。 夕刻四時過ぎ、広部常務に会う。みやびフーズへの資産譲渡の案を見せ、説明した後喫茶でジンジャーエールを戴く。 六時半を過ぎたので直接うちへ帰った。 礼子は今日から週二回のパートに出ることになった。およそ楽天的な家内だが、やはり私の行き先に幾分の不安を感じているようだ。ノルマもなく至って楽な什事のようだから気晴らしにちょうどいいだろう。 私が地下鉄の階段で転んだことをHさんがあちこちでふれ回るものだから、町内のだれかれとなく心配してくれる。大丈夫と自分で思っていたのが、何だか少し怪しくなってきて高岡整形外科へ診て貰いに行った。腰の骨は大丈夫ですかと聞いたら、 「歩けるんでしょう?それなら大丈夫。」レントゲンも撮る必要はないと、貼り薬をたんまりくれた。 朝から堀吉君とW君がやって来たと思ったら、A君も追っかけるようにやって来た。堀吉君が保険所に行くと私に告げて出て行くと、A君が「堀吉さんどこ行かはりました?」と訝しげに聞く。 昼前、みやびホテルの役員室に、森中常務が立ち寄ったかどうかを確かめる。 「間違いなくお見えになりました。」と秘書が答えた。退職慰労金は無事手渡されたようだ。 二時ごろ、改変以来ぜんぜん寄りつかなかった駅食堂の料理課長が珍しくやって来て、「すんません。」とだけ言ってコピーをして帰った。オフコンと共に事務所に残る貴重な事務機械だ。 三時のお茶の時間に倉中さんに保雄の許嫁の写真を見せる。お世辞と分かってながら、さゆりさんのことを褒められると心地よい。 四時半に森脇専務に約束していたのでタクシーで出掛ける。 「無事に帰ってきたな。」 「おかげさまで。」 「みやびフーズの事務所に君達も移らんか?」と誘われたが、慇懃に断った。 社長にも会い、固定資産除却の稟議に判を貰うことが出来た。 暑い最中やっと掴まえたタクシーが北に帰るから京都駅は困ると言うので、早かったがそのまま家に帰ることにした。 早く帰ってみても暑いだけである。十時半ごろ我慢出来ず、礼子と自転車で鴨川の御池橋まで涼みに行った。 昼、西内専務のところへ寄って譲渡資産の明細を渡し説明しておく。地下二階にあるみやびフーズ事務所の中川部長のとこにも行ったが、誰もいなかった。うちも寂しい職場だが、ここもずいぶん侘しい職場のようだ。窓のない地下二階となると空気が淀み、酒蔵のようだった。 森中(元)常務はその後音沙汰ないが、東京へ戻る積もりなのだろうか。 倉中さんはマッサージに行きたいからと、少し早めに帰る。 逆に私は少し残業して九時過ぎに帰った。礼子が遅かったのを訝るように、「なにかあったの?」としきりに聞きただしたがる。 倉中さんに言って、五月分を締めて元帳を出してもらい、それを縮刷して、帳簿に綴じる穴をパンチで開ける。誰もいないからそんな作業を自分ですべてやらないといけない。結構手間のかかる仕事だった。冷房を入れていてもちょっと動くだけで汗が滲んでくる。 税務申告も迫っていた。解散時点の財産目録を確定する総会を早く開きたいが、なかなか進まない。早くかたをつけてゆっくりしたいと思うが、なかなかそうは問屋が卸さない。 昼ご飯のあと、新みやびホテルからタクシーを拾って蹴上へ行く。収入もないくせに近頃身体がタクシーに乗りたがっている。バス待ちがひどく疲れるのだ。 有村監査役に用事があったが席をはずしていて、今日はおられないはずの森脇専務がおられたので近況報告を済ます。社長に、「おれとこには用はないのか?」と聞かれたので、お愛想のつもりで、八ミリ映写機の修理を手作業でやってくれるとこがあると、この前社長が話しておられたので、ふと思い出して聞いてみる。近所のカメラ屋に出したが修理不能で返ってきた。社長は手帳を繰り、膨大な名刺ケースをほじくり返し、果ては関鉄本社に電話までして聞き出してくれた。 帰りは西内専務と一緒になり、タクシーで会社まで便乗させてもらう。 帰ってからは私は税務申告に掛かりっきり、倉中さんは六月分の打ち込みに懸命で、二人とも口をきくひまもない。 午後八時半過ぎ、利武君のお母さんから掛かってきた。今日、佐和ちゃん(長女佐和子のこと)が産院に診て貰いに行く日なのだが、岡崎のマンションに電話したがまだ帰っておらず心配してるとのことだった。礼子が大丈夫ですよ、と操り返すが、こちらも心配なのは変りない。九時半ごろになって、やっと佐和子から電話が掛かってきた。病院の診断は子宮外妊娠ではなかったが、子宮の形が普通でなく流産の恐れがあるとのこと。あんまり気にするなとも言えず、本人が心配し過ぎないよう、また無事であることを祈るだけだ。 朝一番に電話して税務顧問のRさんに昼から来てもらうことにした。 二時に約束していたが、いつも先生は時間は早めに来てくれる。税務申告書にサインを貰ったあと、雑談の中で倉中さんの就職口を頼んでみた。一つ二つ勧めてくれたが、倉中さんはあまり乗り気でないみたいだ。今使っているコンビュータの話になり五千円で払い下げましょうとつい言ってしまう。先生はその気になって、帰ったあとから電話で、置き台も頂けませんかと追加注文してきた。 中川部長が来て、JRとの契約書を探し出して持って行った。 セコムの課長が来る。解約金を二十万円でと、当初の十分の一にしてくれた。しかしそうなったらなったで、まだ高いような気がしてくる。欲なものである。財形住宅金融の株券を売りに出すこととし、書留で東京へ送る。電々公社債も売る算段をしなければならない。 夜、佐和子から電話が掛かり、会社に診断書を見せて三週間休暇を取ったとのこと。近いうちに日赤に再度診察をしてもらう積もりで、お母さんに付いて来て欲しいと言った。 朝、K弁護士に電話して、解散後の第一回株主総会資料を見てもらいに行く。その足でホテルヘ回り、広部常務、岩佐監査役、社長、森脇専務と立て続けに会って、ほとんど立ち話で総会の段取りを付け、日取りを二十七日の三時ということで了解を得る。少々強引だがそのくらいでないとなかなか事が渉らない。 ただ、オフコンを税務顧問のR先生に売却することについては、広部常務が反対した。少々安かろうと正規のルートで売却した方がよいとのこと。 昼から、京都銀行で保護預かり中の電々債券をうけだしてきて、野村証券に売りの見積もりをしてもらった上で、広部常務に相談して売り払うことにする。 会社へ戻り、一番にR先生に電話してコンピュータ売却の件をお断りする。先生は電話口で狐につままれたようだった。 三時半ごろ帰ってきたら、島田元常務が来ておられた。少し体調を壊して、最近は御所へのジョギングも止めておられるらしい。それでもまだまだ元気そうで、俳句を始めるので季語の辞典を買って来たとか。 朝から佐和子がやってきた。足立産科病院に母親と一緒に行く約束をしている。思ったより明るそうで、「あんまり神経質になったらあかんで。」と助言したのが余計な心配の様子だった。 出勤早々太陽神戸銀行で定期の解約を予約し、一度帰ってから野村証券に再び出かけ電々債券の売却手続きをする。書類不備で、ガンガンの陽射しの中、野村証券と会社の間を三度も往復した。 昼から、一時半ごろ、SPSのMさんが来て営業料金の計算式を聞かせてくれと言う。一体いつまで営業料に関わっていなければいけないのか。三時に社長と約束していて、こちらも気が急いていたので、途中で倉中係長と交替して私はホテルヘ出かける。 社長に議事録に判を突いてもらい、ちょうど帰って来られた森脇専務にも裁判所に届ける財産目録について報告し、その足で司法書士事務所に寄り、裁判所への提出方を依頼する。われながら強行突破だと思う。 牧坂(元)専務から電話が掛かってきて、東京レストランの電源設備を買い取ってくれるとこがあるという。これは百万円単位の代物だから、清算上大変助かる。ついでに森中(元)常務の近況を聞いてみる。二十三日から出勤しているとのことで安心したが、一方、本当にもう大丈夫なのかなと心配でもあった。 六月の数字が締まりそうで締まらない。倉中さんも七時になっても帰らないので、私も帰れない。 午前中で税務申告や催告書(債権者に当社に対する請求を促す)送付の準備を済ませ、昼から久し振りにオフコンに立ち向かう。操作の手順はもうすっかり忘れていて、倉中さんにいちいち聞かないと分からない。当時私自身が開発した思い付きも、今となっては倉中さんから逆に教わり、あたかも自分たちが工夫し発明したような説明を受ける。いちいち異議を唱えても角が立つので黙って聞いておいた。それでもしばらくすると慣れてきて、倉中さんに「早いですねえ。」と褒められた。 家に帰り着くと、町内会長のうちの前に四五人がたむろしている。礼子がいきなり、 「びっくりしたらあかんえ。」と前置きして、近所の「○君が交通事故で、亡くなったんや。」と告げた。なんでも友達数人とオートバイに乗っていての事故らしい。保雄の一つ年上で、小さい時よくうちで一緒に遊んでいた。すぐ東京の保雄に電話で知らせ弔電を打つように言っておく。保雄も驚いていた。 朝一番から倉中さんは銀行回りに出掛ける。十時半ごろ、谷山課長が例の元気のよい律義な声で挨拶しながら入って来た。やっと就職が決まった、真っ先に部長に報告に来たと言う。就職先は老舗の本田味噌。業務のような仕事らしい。まずは良かったと、私も胸を撫で下ろした。彼の方から給料も明かしたが、むろん現給をかなり下回っている。それでも顔は明るく、職にありついた亭主の安堵感が漂っていた。彼にはまだ小学生の一人娘がいる。職安に通って見付けて来たとのことだが、それまでの気苦労がこちらにもじんと伝わって来る。 十一時半ごろ倉中さんが帰って来たので、三人で食事に行くことにした。アバンティーの泉仙で定食をとりビールも一本注文する。再就職の乾杯をし、雑談を交わして別れた。 昼からはJRなど関連八社に催告書を郵送。税務署に行き解散時点での確定申告と消費税申告を済ます。 帰って来たら中川部長が来ていて、六月分のみやびフーズの成績表をくれた。それに見合う昨年実績を作って貰えないかとのこと。例によって森脇専務の要望らしい。しかたなくOKする。余分な仕事で手間取り、コンピュータ入力が遅れ、五時から始めたところ、礼子から早く帰って来てくれとの電話が掛かってきた。 少し遅れて七時二十分ごろ○君のお通夜に出掛ける。佐和子も喪服を着てお参りにやって来た。 十時半ごろになって相変わらず暑いので、礼子とまた自転車で、鴨川へ涼みに出る。東岸の綺麗になった遊歩道を今出川近くまで走って帰って来た。 野村証券に電話債券が売れたので代金を受け取りに行く。この二三日で建て値が幾分下がっていたが、仕方がない。 コンピュータの打ち込みも少し馴れてきて、もう直近の分まで進んでいる。昼から司法書士事務所に財産目録を裁判所に提出してもらいに持って行き、帰ってからもオフコンの続きをやった。 関鉄不動産のTさんから電話が掛ってきて、東京の物件が法的規制で手間取っているとのこと。急な要件なので会議中だったが森脇専務に電話する。急ぎの時は会議中でも構わず直接言って来いとのことだったが、やはり後にしてくれと言われた。五時過ぎようやく森脇専務から電話があったが、けろっとして妙に機嫌がいい。 倉中さんが銀行回りに出掛けたので、朝から元帳をゼロックスする。短調な流れ作業だった。それがまた結構時間が掛かり、昼食が三十分も遅れてしまった。今さらながら人手のありがたさが身にしみた。 ビユフェ東京のY部長から、ハンディースキャナーを譲って欲しいと電話で依頼があった。これは車内販売合理化の狙いで開発された、販売商品読み取り装置である。これとパソコンとのセットで集計までできる優れものだが、ソフト開発を含めて各社相当の高物についた。一台千円でどうですか、と気楽に値付けすると即座にOK。社長に電話する。 「千円ならわしが買う値段や。」 またY部長に電話して三十六台五万円で話を付ける。 今日の熱帯夜はまた格別だった。夜十時半ごろから礼子と自転車で鴨川河畔をサイクリングするが空気がむうっとしていて一向涼しくない。ただただ疲れただけだった。 朝一番九時に新みやびホテルで、社長と会う。有価証券譲渡とセコム停止の稟議に判を貰う。東京店の配電室が売れそうだと報告すると、「また千円やないやろな。百万円以上やないとびっくりせえへんで。」 帰りにJTBに寄り、四国行きの乗車券を買う。三人ばらばらだが、指定がとれる。 ハンディースキャナーの荷造をしていたら、昼過ぎやって来たA君が手伝ってくれた。 中川部長が来る。部長を始め事務方が交替で京都駅食堂を手伝うことになったらしい。だいぶ参っている。 東京のT元次長から、配電室譲渡の件で、四社が分担して取得価格で買ってくれることになったと報告してきた。上出来だった。三百四十万円は大きい。早速社長に電話したがあいにく留守だった。 出勤前倉中係長は日赤に寄って来るので、午前中十一時頃まで私一人だった。 |