解散日記4

 

 

 

 

 

 

 

   

 

第四章 結了消滅

 

2005.03.01追加更新

八  月

 

八時十分の快速は新大阪まで席がなかった。ひかりは指定が三人ばらばらだからそれぞれの号車の前で待つことになる。岡山の改札でようやく家族が顔をあわせた。以後は指定が取れてないので、すぐさま「しおかぜ」のホームまで小走りに降りて並び、それでも、お陰でうまく座れたのだから万々歳である。車内は超満員だった。

観音寺に着くなり帰りの切符の手配をし、駅前からそれぞれ荷物を抱えてK病院へ直行する。義母は思ったより元気そうだった。彼女のベッドの端で私は小一時間ぐっすりと寝た。近頃どこででも寝られるのが我ながら天晴れだ。

夕暮れの海に出る。遠くに、竜宮さんのお祭りの花火が二十発ほど上った。すみ子が打ち寄せる波に足を浸けたので、私も真似をする。台風の影響でかなり波が高かった。

  

義母の将来のことをどうするかを決めかね、今のところまだ元気そうなので、老人ホームのことを院長に相談するのも時期が早い気がして、結局今のままでしばらく様子を見ようということになる。

翌朝、すみ子は眠むたがって付いて来なかったので、礼子と二人で墓参りに出掛けた。すでに朝日はぎらぎらたぎりかけていた。墓地の中はどこもかしこも雑草が生い茂っていて、草抜きをしたら一包えほどの分量になった。

帰る日も、荷物を持って病院へ出掛ける。病院では義母は昨日よりさらに元気そうで、若い頃(戦前)の中国旅行の話をしてくれた。

病院の表まで出て見送る義母の顔にはやはり孤独が滲んでいた。礼子はせかせか歩き、あまり振り返らなかった。我々は駅に向かい、早々にしおかぜ16号に乗り込んだ。行きほど混んでなくて新大阪までは順調だったが、乗り継いだ新快速は京都まで立ちっぱなしだった。

九時半に家に着くなり佐和子に電話を入れたところが、利武君が出て、佐和子が軽い出血で入院したという。

 

腕が日焼けしたのを気にしながら出勤する。休んでる間、役員室から電話が掛かってなかったと聞いてほっとした。

倉中さんが五月分の元帳を製本しておいてくれたので、その判押しをする。

七時半に家に帰ったが、すみ子は高校時代の友達と食べに出掛けていなかった。利武君が八時半ごろオートバイで、夕飯を食べに来た。病院での佐和子の様子は存外元気そうで食欲もあったとのこと。利武君も気持ちよくかきこんで食べて帰る。

 

職安の職業指導センターに在学して訓練中の水野次長が、昼からひょっこり顔をのぞかせた。この四日からは夏休みに入っているとのこと。相変わらず機関銃のようによく喋る。会社に対する不満はもう彼の口を突いては出なかった。OB会を結成しようと持ち掛けてきたので、賛成だが準備方はお願いする、二十日に森中部長が来るのでその時下打ち合わせをやろうと持ち掛けると、彼は嬉しそうに帰って行った。

W君がやってきて、仕事がひまでかなわないと贅沢な愚痴をこぼす。

「仕事というのは奪い取るぐらいでないと手元に来ないぞ。」

「分かりました。」と頷いて帰って行った。A君がその後を追うように顔を出した。今度は逆に自分一人が忙しいと実情を訴える。

あちこちの細かな未収未払いを一件一件片付けていかなければならない。電話をして、先方からも問い合わせが来る。帳簿の突き合わせをすると、個人商店ほどいい加減で、細かな数字の食い違いが出る。

いよいよ店仕舞いの準備である。ダンボールの伝票保存箱の組み立てを開始する。

 

浜田事務所に寄ってから出勤する。解散時点の財産目録を裁判所に提出が終わった。

倉中さんは午前中、銀行の解約に回る。

昼からは東京店の電源設備を四社が買ってくれることになったので、それぞれに連絡して精算方法を打ち合わせる。とにかくJRの息のかかった所ばかりで、お役所的な事務処理をする。まず相手から譲渡依頼の願い書が来て、それに対しこちらから譲渡いたしましょうという承諾書を差し出すと、やっと金の受渡しとなる。しかも一社づつ対応が違うのだ。

 

京都駅に着いたのが、九時だった。お盆の里帰り客がもう並んでいて、とてもここからは乗れそうになかったので、こだまに飛び乗って新大阪まで行く。始発のこだまなら座れるかと思ったがそれがまた超満員。仕方なく、ひかりを一本やり過ごして十時三十四分のひかり139号にようやく自由席を確保する。それもひどい混みようで、車内販売は停止との放送が流れた。

一時三十七分博多着まで水一杯飲めず、トイレにも立てなかった。レストランみやびにたどり着くなり、料理課長にいきなり、「昼飯まだなんや。」とねだった。カツカレーを食べさせてもらって一息つく。その代わりといってはなんだが、昨日買っておいた阿邪利餅の手土産を手渡す。一列車遅れで着いた中川部長は近くでラーメンを食べたらしい。早々に引継ぎ資産の点検を二人で始めるが、やはり二三点現物のないものがあった。長年の赤字でつい除却を怠ったものなどある。帰ってから何とか辻褄を合せねばならない。

三時五十四分のひかり24号の指定が取れていたので慌しく帰り支度をする。もう恐らく博多へは会社の用事では来ないだろうからと課長と握手をし、キャッシャーにいたNさんにも、「元気でね。」と言い残して店を出た。

帰りはそれ程混んでなかった。

 

いよいよ、午後から保存書類の整理を始める。三年分の証拠書類と二年分の買掛請求書を倉庫から担ぎ出してきて事務所の床に並べる。鼠が巣食っていて、黒い糞がぼろぼろこぼれ落ち、尿がしみついて臭い。一部かじられている書類もある。

それよりなにより倉庫の中は暑くてかなわない。そして、二年前の五月が歯抜けになっていて、どう探しても見つからない。臭い綴りの束を二回見直すが、それ以上は体が続かないので、ひとまず切り上げてちょっと外出する。

昼食のあと近くで三時のおやつにプチケーキを買ってきたら、つい今しがた堀吉君が来て、私がいないのですぐ帰ったらしい。悪かったような良かったような。水入らずで倉中さんと二人のティータイムを過ごす。

心配していた財形住宅金融の株券代二十万円が振込まれてきた。

JR西日本との精算がもう一つはかばかしくない。

家に帰ったら、

「佐和子が明日退院できるそうや。」といきなり家内が言った。

「ここへ帰って来るのか?」

「もちろんその積もりなんやろ。」

毎年八月十三日にお寺さんにお詣りに来てもらっているが、今日も午後八時に予約してあった。いつもながら三十分間の正座はつらい。よその和尚ならお経のあと講話をひとくさり垂れるところを、うちのおじゅっさんはいつも近所のうわさ話だ。有り難味もなにもない。帰った途端に二人でビールで乾杯する。

 

どこへ電話しても留守番電話が、「お盆休みにつき十一日から十五日まで休ませていただきます。」と来る。会社によっては十九日の日曜日まで長期休暇を取っている。仕方ないから書類の整理の続きをやる。二年前の五月分の伝票が思わぬところから出てきた。役員室の戸棚の奥からだった。古い和文タイプライターの上にあった。過去の会計監査の折りに仕舞いこんで片付け忘れたのだろう。

四時半になってやっと綿引監査役と有村監査役がみえたので、五月現在の帳簿を閲覧してもらう。保存帳票がダンポール箱に四十箱もあると聞いて有村監査役は目を丸くして、今時点ではホテルにとてもそんな保管場所はないと眉をひそめた。困ったことではあるが、私は結了日を八月三十一日と決めているので、不都合な事は聞き流しておいた。

六時半に家に帰ったら利武君が来ていた。佐和子は二階でひと寝入りしているとのこと。珍しくすみ子が台所で手伝いをしていて、どうやらすき焼きらしい。利武君は胎児を心配してか煙草を外へ吸いに行ったり、ひと間隔てて吸ったり気を使っていた。佐和子は食べ過ぎたと言って顔をしかめている。胸のむかつきがあるらしい。

 

今日も朝から書類の整理をやる。四十箱で収まらないかもしれない。

京都駅食堂の備品のチェックを約束していたのが、十時半になっても中川部長の手が空かないので、その間私はホテルヘ行くことにした。社長に五月現在の帳簿や財産目録に判を貰い、ついでに退職金のことを持ち出しておいた。広部常務は郷里の長崎に帰っておられるようで、戻ってみえてから相談するとのことである。

人事部に寄って、厚生年金基金の町田課長に今月末退職の場合の処理を相談する。

昼からもまたまた倉庫の整理をする。

堀吉君が寄った。私の長良川行きを組合から聞いたと言うので、まあ、もうそろそろ公表してもいい時期でもあり、隠してみても始らない。「そのとおりや。」と返答する。

「たいへんですねえ。」と彼は同情口調で言いながら、私の顔色を伺った。

JR西日本の営業料の精算がどうも腑に落ちない、と倉中さんが疑問を呈した。聞いてみればもっともだ。最後まで人の足を引っ張ってくれるところである。

六時に終ったが、倉中さんと墓石の話をしていて、会社を出たのは六時半だった。

今晩は利武君は友達が来るのでうちには来ないとのこと。佐和子は昨日よりはリラックスしているように思えた。

 

朝一番にJR西日本に電話して、担当の係長に営業料精算の件を問い合わせる。倉中さんの計算方法を土台に説明すると、「その通りですね。」やはり向こうの勘違いと分かった。四百万円からの計算違いにもかかわらず謝るでもなし、

「わかりました。訂正しておきます。」

あっさりしたものだ。

 

一時の約束が三十分ほど遅れて、SPSのMさんがA課長を伴って、営業料の最終決定額を持って立ち寄られた。SPSには列車内売上報告と銀行送金の電算化で、ここ何年来さんざんてこずらされたが、それも今となって懐かしいような気さえする。

東京電源設備の売却が決まり、列車営業四社に対し請求書を出す。コンピュータも百万円で話がまとまり、これも請求書を発送する。平野の土地だけがどうなるのかさっぱり分からない。関鉄不動産のTさんに聞いて見たが要領を得ない。

 

十時に中川部長に約束していて京都駅のレストランへ備品調べに行った時、厨房でM君に久し振りに逢った。元気そうだったが、本人はばつ悪そうに、遠くからニヤッとして頭を下げた。中川部長との引渡し備品のチェックは一時間で終わった。

昼から二時に今度は新大阪レストランで中川部長と落ち合って、引渡し備品のチェックを始める。これはものの三十分で終わってしまった。相変らず花村店長は時々無断欠勤するらしく、今日も休んでいる。

京都に帰り着いたらまだ四時を過ぎたばかりだったので、おやつにシューアイスを買って帰る。今日の第四試合に平安が出てるのが気にかかりテレビを点けると、0対0で延長に入っていた。

帰り時、外は久し振りに恵みの雨が降っていた。

 

昼までに譲渡資産の明細を訂正して綴じ直し、昼にみやびフーズへ行って中川部長の判をもらう。

二時過ぎから都ホテルヘ出掛け、みやびフーズの湯川監査役、我が社の有村、綿引監査役の順で判をもらう。そこまではスムーズにいったが、つい先程まで在席の社長が今しが外出されたとのこと。がっかりするが、森脇専務も広部常務も席にいなかったからどっち道同じことだった。

経理部に寄って六本木次長と少し話をする。平野の土地が処分できなければ八月末での結了が不可能になる。森脇専務はどう考えているんだろう。会社に帰って、「営業譲渡契約書」の案文をワープロする。明日は出勤して結了の議事録を作ってしまおう。とにかく私としては予定通り八月末で切りをつけるつもりで進めるしかない。

 

八時まで寝ていて、十時に会社に日曜出勤する。今日は一人なのでスボーツシャツで出掛け、事務所でズボンもバーミューダに穿きかえた。

昨日倉中さんが八月二十日で締めて帰ってくれたので、それを午前中にまとめようと思ったが、なかなかはかどらず、とうとう一日掛りとなってしまった。結局結了の議事録の作成も中途半端になり、軽装ついでに少し倉庫の整理をと思ったが、それも全く出来ずじまいに終わった。

地蔵盆の足洗いとかで礼子は夕食抜きで七時過ぎに会長さんとこへ出かけていった。私は一人でお膳の冷たい焼肉を食う。

 

朝のうちに社長に会いに行こうと思って電話したら、午後からの出勤とのこと。なかなかうまくかみ合わない。倉中さんは銀行回りに出掛けてくれた。

昼に南都銀行へ行く。六億円の名目立退き料と借入金の返済を現金を動かさず、紙切れだけで、我が社とみやびホテルとの間で同時に決済しようという試みだったが、うまく通じてなくて銀行側がまごまごした。

会社に帰ってきたらちょうど森中元部長と水野元次長が来ていた。森中部長は保倹の外交を呼んでいて、自分の生命保険の契約を長々と話していた。後で三人で四方山話をしたあと、秋に一度みんなで集まろうということになる。水野次長はあちこち連絡しあっているらしく、原野元課長が屋台でイカ焼きを売っていたとか、だれそれが結婚したとか交通事故に遭ったとかいろいろ情報を提供してくれた。その最中広部常務から電話が掛かり、土地のことを大分心配しているらしい。六本木次長からも同じような内容で電話が掛かったりして、私に気遣ったのか二人は帰ってしまった。

五時前から夕立となる。

すみ子は明日から沖縄へ行くというので利武君に餞別を三千円もらっいてた。我々も出さない訳にはいかなくなって、五千円明日渡してやることにする。

 

すみ子は十二時四十分の飛行機に乗るので、九時半にはうちを出掛けるらしい。台風が少し気がかりだ。

十時半に社長に会い、譲渡明細に判をもらう。大阪のM弁護士へのお礼のことを了解を得る。広部常務に会い結了の段取について相談する。退職金の件では渋いことを言うので少し頭にきた。昼は例のごと四川の焼き蕎麦をご馳走になった。その足で京阪に乗って淀屋橋のM先生に挨拶に行く。二時の約束時間にほぼ間に合った。商品券を渡したら気軽に受取った。

家に帰ったら、すみ子から電話が掛かったらしく、無事那覇に到着したとのこと。

佐和子は暑さ負けしているみたいで、夕飯時になると胃が痛いと言い出す。うじうじしているのが礼子の勘に触ったようだ。

「今はええけど、いつまでもそんなんやと強い子が生まれへんよ。」

と一言投げた。しばらくして利武君と二人で、「二階で寝てくる。」と不機嫌な顔で上って行った。

 

経理の書類ロッカーを整理する。随分あるものである。ダンボールの空き箱を二十箱程用意したがみるみる使い果たしてしまった。

セコムが来て隣接する旧従業員寮の電源を切って行った。

電話を三本売る。これでとうとう残るは一本となった。人事課の倉庫の整理をする。放り投げたような収納の仕方からは人の性格が計り知れた。入り口の物を出すのにもひと苦労する。奥のほうで鼠がちゅうちゅうと鳴いたような気がした。

家に戻ると、佐和子は少し元気になって利武君といっしょに晩ご飯を食べていた。

疲れているのか、マンションの一人の部屋へ帰りたくないのか、利武君はよく寝る。佐和子が起にしてもなかなか起きない。今日も十時半を過ぎてやっと帰って行った。この土曜日には佐和子も自分たちのうちに帰ると言う。

 

森脇専務に経過報告をと思い電話するが本日は休み、なにか腰が痛いとかで明日もどうか分からないとのこと。

いよいよ身辺整理に取りかかる。空き箱が足りない。

関西電力が従業員寮の電源を切りに来て、ついでに料金の精算もしていく。一つずつ片が付いてくるにつれ、さっぱりするような、胸元の寒いような気持に駆られる。

昼からはなにをしているというのでもなく、だらだらと時間が過ぎて行った。

四時ごろ、近くまで来たのでと島田元常務が寄られた。前回と比べ元気になられたみたいだった。帰り際には、お互いもうこの事務所では逢えないだろうからと私の方から別れの挨拶をする。急に疲れを感じた。

少し早く帰ると、案の定、夕食の支度はまだだった。佐和子はまた気分が悪いと言って夕食時に二階で休む。利武君が来てやっと下りてきたが、食事が済むとまた二階へ上がってしまった。

 

二時過ぎに森脇専務に会う。

「土地は直ぐには処分出来ん。少し待ったら八億の土地と換地出来るから、それは良かった、成功や。」と自分で納得しているから世話はない。「あんたとこは消えていくだけやけど、我々親会社は尻拭いせなあかん。大変なんや。」それからこともなげに付け加えた。「いったん切りをつけて、土地が処分できた折り、君が長良川から帰って結了してくれたらええ。」

私は応ずるしかほかなかった。最終の事務打ち合わせを担当者でやりたいと申し出ると、広部常務に相談しなさいとのこと。九月に二三日ずれ込むので日割りで給料計算したいと了解を求める。

「それはいいが、常務に処理を説明しておくように・・・」と、今日は嫌に常務のことを信頼している気配である。

広部常務のところへ行く。給料の日割りの事は専務がいいと言ってるならそれでいいんじゃないかと、お互い信頼しあっているのか責任転嫁なのかよくわからない。事務担当の打ち合わせを早急にやろうということになる。

今夜から日曜の晩まで佐和子はマンションに帰る。

 

堀吉君が寄ったので鍵の取換えの事を頼む。おととい別れの挨拶をしたはずの島田元常務が今日もみえた。老人大学で史跡探訪に城南宮へ行く、その下見に一人で行ってきたとのこと。

「この事務所はいつで仕舞いや。」

とまだ来そうな口ぶりである。

二十七日の朝から打ち合わせがあるので、その資料造りに少し時間が掛かって七時ごろうちに帰った。晩ご飯のあと礼子と散歩に行く。しんしん堂で私は「アインシュタインを越える」という柄にもない本を買い、礼子は「カルシュームの効用」という本を買った。それだけで喫茶店にも寄らずに帰ってきた。

今日は佐和子もいない。

 

十時半から広部常務の部屋で有村部長、六本木次長を交えて会議。

十一時ごろ終り、会議の結果を森脇専務に報告する。庶務課長にも飲み込んでおいてもらってくれとのことなので、すぐに呼んで説明しておく。

会社に帰ってから三日間の残務日当を計算して、結了費用に組み入れた。

税務署に行き、還付金の訂正を相談する。官庁とはこういうものだよと笑い話にされながら、粘り勝ちで、一番簡単な方法を寄ってたかって考え出してくれた。

帰り際になって倉中さんが階段の植木鉢が臭いと言い出す。役員室が健在な時、ホテルの庭園係が定期的に鉢を交換してくれていた。先日、暑さでむれている役員室に入ると、この観音竹が息絶え絶えだったので、私が階段の踊り場に移動しておいた。もう葉が垂れかけていて駄目そうだった。根腐れしている。すぐホテルの庭園係に電話する。

「鉢を引き上げてもらえませんか。」

「そんなものそちらで捨ててください、ゴミ屋やないんやから。そこまで面倒みられませんよ。」

と、つんつんされてしまった。私は自分の今の立場がどんなものか思い知らされた。しかたなく、その鉢を元の役員室に戻した。

佐和子は出産を機会に退職する旨申し出ていたのだが、今朝、礼子が佐和子の代理で住友信託銀行へ退職の挨拶に行った。退職金やら餞別やら花束やらをもらって帰ってきた。父と娘で仲良く退職する羽目になった。

 

みやび幹線食堂株式会社の本社が所在する、ここのご町内に配るクッキーの注文をみやびホテルにした。あと数日だ。

朝から鍵の整理も始めた。なにしろ不要な鍵がいつまでも保管されたままであったり、エフの付いてないのがじやらじやらある。この際思い切って袋に放り込んで、捨てることにした。

ちょうど昼過ぎ堀吉係長がやって来たので本館玄関の鍵と従業員寮の裏木戸の鍵を取り替えてほしいと頼む。従業員寮に浴室があり、裏木戸から入るため一部の管理職に合鍵を渡していた。本館玄関の鍵もコピーが存在する可能性があった。器用な彼は裏木戸の方は難なくやってくれたが、表玄関の鍵は無理だと言うので、町内の金物店にお願いした。主人が見にきてくれて、そこは餅は餅屋である。ドアーの止め金をはずして器用に錠前を抜き取り、見事に鍵の取換えをしてくれた。

鍵のエフも近頃は色分けされたプラスチック製の札付き、しかもちゃんと環が付いたのが、同じ町内の文房具屋さんに売ってある。それを差し上げましょうと言った。

夕方から倉中さんと場所ごとの鍵の点検をする。今日は一日鍵に明け暮れた。

 

今日は朝から従業員寮の整理をする。なにしろ散らかし放題なので放っておくわけにはいかない。三つの寮室の備品を休憩室にかためて、他の室内を空にするのだが、各室に配置されている小型冷蔵庫、旧式テレビ、ホームごたつ、扇風機、敷布団、掛け毛布、枕など一ヶ所にまとめるとかなりの量となる。

倉中さんはあさって社長に会うのにパーマをかけておきたいからと早退した。

私は明日配るクッキーを袋に詰めて用意をし、後、倉中さんにならって私も床屋に行く。JRの地下の小汚ない散髪屋にしては、腕はなかなかで、なにより値段が安い。今後も地下鉄に乗って刈りに来てもいいくらいだ。

家に帰ったら、「不幸の手紙」というのが舞い込んで来ていて、受け取ったら二十八人に葉書を出さないと不幸が訪れると書いてあった。暇な奴もいるるものだ。「幸福の手紙」なら聞いたことがあるし、受けとっても相手もそう悪い気もしないだろうが、「不幸の手紙」を見ず知らずの人に送りつけ、自分の不幸を人に振り撒くと同時に、おのれの埃をぱたぱたと払うような振るまいはなんとも陰湿だ。

沖縄は暴風雨である。礼子が電話を掛けるが、すみ子は風呂に入っていて、代わりに友達が出た。台風は大した事ないらしい。それならいいが・・・

 

朝方、会社の南隣、さのや旅館の前に高校の修学旅行生が歩道一杯にあふれていた。私が通ろうとしても誰も退こうとしないので、近くの先生らしい人に声を掛ける。

「ちょっと通行の邪魔でしょう。」

その先生はきょとんとした顔で私を見つめてから、

「おい、みんな。お客さんが通られるから退きなさい!」

私は頭に血が登ったが、気持ちを押さえて冷静に、

「私はお客さんではありません。通行人です。」

と返した。すると近くの女生徒が、

「お客さんじゃないんだって」「通行人だって」と胸糞悪い関東弁で囁き合ったが、それでも先生には私の一言が通じないようだった。

出勤して一番の仕事は、ご近所にクッキーを配って歩くことである。倉中さんと一緒に閉店の挨拶をして回った。

その間にセコムが来て器具の取り外しに掛る。十時半に挨拶回りが終り、そこへ年金基金の町田課長が来て、倉中さんを連れて社会保険事務所に行ってくれる。

昼からは税務署へ所得税返還金の間違い分を返金に行く。倉中さんは嘱託医のN先生にクッキーを持って行った。

税務署から戻ってから私もお隣の「さのや旅館」に挨拶に行く。通用口から入って狭い事務所に取締役経理部長を訪ねた。フロントロビーに案内されてお茶をよばれる。彼とは同業で似たような立場なので時々話をする。

「うちも大変なんよ。」と彼が言った。「駅前の小さい旅館ともども修学旅行生の取り合いや。」

「さのや」は旅館というより表構えもホテルなみで、駅前旅館とは数段規模が大きかった。「近頃大手ホテルも修学旅行を引き込んでるていうやないか。もう挟み撃ちや。」

私は今朝出会った修学旅行の先生の応対のことを話す。

「質が落ちたなあ。」と二人の意見が合致した。

私はその後、関鉄本社に行こうと思ったが時間もなくなったし、それよりなにより疲れてしまって中止にする。鍵の整理をする。これも今一つ捗らない。

六時前にうちに電話する。まだすみ子は帰ってないみたいだ。

七時帰宅。すみ子より先にパイナップルが着いていた。結局帰ってきたのは午後八時過ぎだった。

 

午前中倉中さんには銀行へ行ってもらう。住友銀行、京都銀行の解約の段収りである。私は東日本キヨスクに電話して電源設備の売却金を今日中に入れてもらうように督促の電話をするが、うまく噛み合わない。やっさもっさでどうにか間に合いそうである。

昼飯は向かいでざるそばを食べ、倉中さんと二人でみやびホテルへ出かけた。広部常務に会い、終了の挨拶をし、営業企画部長、経理部の六本木次長に挨拶する。昼は久し振りにみやびホテルの社員食堂で食事し、一時半、社長に会い、用意して行った退職金を取りだし、それを社長からまたわれわれに手渡しで戴く。秘書室でしばらく待っていて、森脇専務に会う。綿引監査役にも挨拶できた。有村監査殺にも会えた。健保組合の小谷理事の部屋へ、任意継続の保険証を貰い保険料を払う。

タクシーで新みやびホテルに直行し役員室に行ったがどなたも留守だった。夕方にもう一度来ることにする。みやびフーズに行く。中川部長は休みだった。堀吉君らに挨拶する。社員食堂の皆にお世話になったお礼を言い、組合事務所に寄る。沢松委員長、甲谷副委員長もちょうどいて、挨拶出来た。

一旦会社へ帰って改めて六時前に新みやびホテルへもう一度出かける。フロント玄関先でうまく西内専務に挨拶出来た。

結了処理の最終は残ったが、社員としてはすべてが終わった。

うちに帰ったら礼子はパート先の懇親会に出かけていて留守だったし、すみ子はバイトに行っていた。

利武君も残業で九時半に帰ってきて、それから私の会社へ車で私物を取りに行ってくれた。会社の玄関の鍵を掛けようとして、ふと観音竹のことを思い出した。戦場から敗走する兵士が、病で動けない戦友を置き去りにする気持ちだった。三階の役員室に駆け上がり、鉢を抱えて降りてきた。

「これも積んでくれるか。」

「くさい!シートに匂いがつきますよ。」

「なんとか頼む。」

家に着くやいなや、利武君は車のドアーを開けっぱなして、困ったような顔をした。私は鉢を庭に運んだのち、

「しばらく車の番してるさかい、このままにしといたら?」

二十分ほど彼もタバコをふかしながら付き合ったが、「もういいですわ。」とドアを閉め、車の鍵を掛けて家の中へ入ってしまった。悪いことをしたと思いながら私も続いた。

 

 

九月以降

 

昨日で正式に退職したのに、今日もいつも通りに出勤する。社員ではないからバイトだろう。倉中さんも時間通りに出ていたが、二人とも昨日の挨拶回りで疲れ果てていた。

社会保険事務所に全員喪失届を提出に行く。その足で監督署まで歩いて行き、労働保険の最終申告をする。帰ってしばらくしたらW君が私の離職票を作って持って来てくれた。

七条職業安定所で事業所閉鎖届の用紙を貰って来たところへちょうど堀吉君が来たので、その届に判を押して手渡し、出しといてくれないかと頼む。西陣職業安定所には時間がなくなったので月曜に行くことにする。

鍵の整理を終え、最終書類の整理をする。

長良河畔ホテルの海音寺部長に電話すると、受話器の向こうから、赴任の日取りが延びそうです、と歯切れの悪い返事が返った。

間もなくみやびホテルの森脇専務から電話が掛かってきて、やはり長良河畔ホテルから赴任を十月一日にしてくれないかと要請があったらしい。どうかと専務が聞くので、向こうの都合ならいたし方ありませんと返答した。頭の切り替えにはいい休息時間だと逆に安心した。

六時に帰宅。

八時ごろから礼子、佐和子、すみ子と四人て、散歩に出る。リプトンで休憩して、帰りにビデオを借りた。ルイ・マロの「さよなら子供達」を早速見るが、私は今朝寝不足していてうたた寝してしまい、目が覚めたら終わっていた。

 

昨日から庭がくさいと礼子にさんざん文句を言われた。

さっそく庭に下りて、観音竹を鉢からすっぽり抜く作業から始めた。鉢が小さすぎて根がギチギチに張っていて、そう簡単ではない。さてそれから、素人にはどうしていいか分からない。とりあえず根を水洗いしてそのまま陰干しにしておくことにする。土がくさいので穴を掘って埋めた。利武君の車のシートは大丈夫だろうか。夷川通りに行って大型の鉢と土壌を買って帰り、少し根をほぐしてから観音竹を植え直し、水をやったらもう九時半だった。でもまだ葉が垂れている。

十時ごろから、皆で貸しビデオの「ミニバー夫人」を見る。途中ですみ子は彼氏から電話が掛かってきて出掛けていった。

昼は、昨日Mさんがくれたた文化博物館の券があったので、三人で埴輪展を見に行った。

先に館内にある北村というおばんざい屋で、餅入りの「おきまり定食」を食べたのが胸に支えたらしく、佐和子は埴輪展をほとんど見ずに座り込んでばかりいた。帰ってからひと寝入り。

会社から持ち帰った荷物をちょっと整理したりした。

夜は利武君が慰安旅行から帰ってきてご飯を食べにきた。だいぶ疲れているようで、佐和子と早々に帰って行った。車の臭いことは何も言わなかったので大丈夫だったのだろう。

保雄から電話。仲人のことでまだもたもた言っている。

 

朝起き掛けに庭の観音竹を覗くと、心なしか葉に元気が戻ったように思えた。

今日は出勤する前に出かけるところがあった。

まず区役析で国民年金加入の手続きをする。いとも簡単に加入できた。引き続き、バスで西陣職業安定所ヘ。職安に個人の資格で行くのは何十年ぶりだろう。高校を卒業したての就職難時代に何度か通ったことがあるが、その頃と大違いである。窓口は皆親切だった。年寄りをいたわってくれているような気もした。長良河畔ホテルが決まっているのに、偽っているのが多少後ろめたい。

昼、倉中さんをアバンティーの吟松亭へ連れて行き、二人で貴船弁当を食べる。

そのあと私は書類保存箱の整理をする。倉中さんは八月の締めをやってくれる。

二時ごろ帰洛中の森中元部長がみえた。週休二日制を持て余して映画に行ったりプールに行ったりしているらしく日焼けして元気そうだった。

結局退社は七時過ぎになる。

 

朝から会社ヘ「出勤」する。昨日までは日割り賃金を組んでいたが、今日はまったくのボランティアだ。でも日曜日は休んだからこれで勘定は合っているのかな?

倉中さんはもう来ていて、まもなく手持ち現金を三菱信託に預けに行った。その間に私は八月末収支の集計表をぶっつけ仕事でこしらえた。

もう今日が最後だから、昼はルネッサンスビルのラハァエルでシーフード定食を倉中さんと食べる。食事をしている間にガス屋が来てガスを切って行ったようだ。

私の集計表はなかなか時間が掛かり、今日の鍵引き渡しは到底無理となった。庶務課長と打ち合わせて明日二時半に変更する。

帰り際、倉中さんが餞別の品を持って帰ってくれと言う。私は何も用意してなかったので困った。

六時半に帰る。食後、何となくくたびれて小半時ぐっすりと寝た。

 

休みの間に東北旅行に行こうということになり、旅行会社に電話するが、どこも満席のそっけない返事。半ば諦め掛けたが、礼子が執念で沖縄パックを電話で予約する。九月十九日出発三日間で二人十万円そこそこだった。明日からは一時的にも失業者だというのにいい気なもんだ。昼ご飯をうちで食べてから会社へ出かける。倉中さんは朝から出ていた。

私は個人の京都銀行の預金を解約してから、残っていた保管書類の整理をする。その最中に庶務課長が予定より少し早くやって来たので、とりあえず各部屋の鍵の引継ぎから始める。そのうち有村部長もやってきて、八月末の収支バランスの説明から預金通帳の引き渡し、保管書類の目録、絵画の目録、簿外資産の明細、社印の引き渡しを終わったら、五時を回ってしまった。もう自分では鍵を掛けられない身分である。倉中さんも両手に荷物を引っ提げて事務所の外に立っていた。庶務課長が玄関の鍵を掛けた。

「じゃあ、お元気で。」と親会社の二人が車の窓から手を振った。

「いろいろお世話になりました。」

我々はその車に向かって頭を下げた。

ポルタ地下街から地下鉄への乗り口まで、二人で黙って歩き、

「さよなら」

と作り笑いで私が振り向くと、倉中さんはとうとう堪え切れなくなって、荷物を両手に下げたまま、顔をくしゃくしゃにして子供のように泣き出してしまった。

「近いうちにまた会おう。」握手を求めようとしたが、彼女の両手は塞がっていて、ただ涙顔のまま大きく頷いた。

 

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退職して職安に失業保険を貰いに行きながら、しばらく休養状態となり、その間に九月十七日に沖縄旅行を予約したのだが、台風十九号の影響で二十七日に変更した。その二十七日に伊丹空港まで出向きながら再び台風二十号のため搭乗機が欠航。急遽、妻の出生の地信州中房温泉に旅先を変更した。二人で温泉など結婚以来初めてのことだった。

その後私は、十月一日付けで岐阜県の長良河畔ホテルに赴任した。

所属は経理部、身分は嘱託で経理部長の肩書きだった。事務所ビルの二階に従業員寮があり、その家族部屋に一人で入寮する。三部屋と食堂兼台所、そして風呂が付いていて、一人暮らしにはちょっと贅沢な空間ではあった。

不案内の土地、人間環境の変化、仕事内容の相違など慣れるのに時間が掛かった。

それでも京都を離れてからすでに二ヶ月と十八日が過ぎて、いよいよ「みやび幹線食堂株式会社」の結了処理の日が迫っていた。

 

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十二月×日。八時前まで寝ていて、ずっと続けている散歩を今日は止めておく。

こま鼠のように動き回り、いつもがみがみ怒鳴っている安藤取締役が臨時の休みで事務所は穏やかである。ここの経理はまだ電算化されていないので、近頃滅多に手にしたことのなかった算盤を何年振りかで握ることになった。課員のみんなは算盤は私よりはるかに上手だ。

昼の時間に寮に帰って、今晩持って帰る資料の確認をする。取締役には昨日帰り際に、「明日からしばらくの間京都ですので、よろしくお願いします。」と断ってある。ここに来るに当たって、みやびホテルの社長から、「みやび幹線食堂株式会社」の結了処理の数日間、私を京都に帰らせてほしいと頼んでもらっている。ともに関鉄の関連会社であり、快く了解してもらった上、「特別休暇」扱いとするとまで言ってくれている。

朝をパン食にしようと思い昼の休憩時間にトースターを買いに電気屋さんに行ったら、近頃パンが飛び上がる「昔風」のトースターはもう置いてないとのことで、オーブントースターを七千五百円で買った。

五時過ぎに総務部長に断って引き上げる。

寮室を出しなに家に電話するとすみ子が出て、「お母さんとボルタで食事の約束をしてる。」とのこと。私もそこに立ち寄ることにした。

入院中の母の看病に四国観音寺へ今日まで里帰りしていて、ちょうど京都に戻ってくる礼子と、留守中友達と雑魚寝暮らしをしていた末娘のすみ子と、ばらばらの一家が何日ぶりかで京都駅で落ち合い一緒に食事をした。

 

八時前に起き、庭先に目をやると観音竹が葉を広げていた。日当たりの悪い狭い庭の片隅で、酷暑を乗りきり、寒さに向かう今、もうすっかり根付いたようだ。

九時過ぎにみやびホテルに出かける。庶務部長と打ち合わせたあと経理に寄り、六本木次長から預金通帳などを受け取った。広部常務にもちょっと会って挨拶しておき、急ぎ旧幹線食堂会社の事務所へ向かう。

三ヶ月ぶりに玄関に立つが、すでに「みやびホテル幹線食堂株式会社」の表札は取り外されていた。鍵を開け、散らかってはいるが事務所に入ると、懐かしい思い出の残像がよみがえる。引き上げる時はまだまだ暑い盛りだったのが、今はもう真冬である。石油ストーブが見当たらないのでうちから持って来ることにする。

一度家に帰り、昼をカレーで済ました後、鉛筆削りと物差しを紙袋に入れてまた出かける。

事務所の倉庫を探したら、ストーブが出てきた。次は灯油の調達だ。近くのスタンドで聞いたら容器は持って来てもらいたい、配達は一切しないとのこと。取って返して、倉庫からティーポールの容器を探し出し、再度ガソリンスタンドへ出かけ詰めてもらう。二百メートルの間が手がちぎれそうなほど重かった。

事務所に帰ってから、窓を開けっぱなしで机の回りを掃き、雑巾を絞って手近なところだけさっと拭く。持ってきた事務用品を引き出しに仕舞い、さてと椅子に腰掛けて回りを見渡す。人の声も物音もない。

今日の仕事始めはこれだけで終わった。

五時ごろ家に帰った。佐和子が来ていた。利武君は忘年会で帰りが遅いらしい。すみ子は高校の友達と出掛けていて留守だった。

  

出勤時間は特にない。礼子は緊張感が乏しいと笑うけど、私は非常にリラックスしている。それでも九時半に家を出た。

十二時過ぎに三菱信託銀行に出掛け、振込み四件と五万円の小口資金を引き出した。その後、まず日本橋支店を解約しようとしたが、届け印の照合は東京でないと出来ないから最低一週間かかると言う。冗談じゃない。会社解散結了の事情を説明してやっさもっさで、ようやく京都支店で処埋してくれることになったが、そこへまた難問が持ちあがった。T商会という会社が我が社の口座への自動振替契約をしているので、それが外れないと解約出来ないとのこと。その場で電話を借りT商会の了解を取り付け、ようやくすべての処理が完了したときには三時を回って銀行の玄関のシャッターが閉まっていた。

四時すぎ、関鉄デパートでメロンを買い、病院に出掛けようとしてる矢先に堀吉君がやってきた。連絡に何度か寄ってくれたらしい。いろいろ聞いてくれたが、あまり話している暇もなかった。

いったん家に帰って、すみ子の自転車でまず府庁に行って申告用紙を貰い、そのあと、かねがね入院のことを聞いていたので、第二日赤南館に倉中さんを見舞う。元気そうで、径過も順調らしい。やはりあの五ヶ月間の異常な解散事務が心身に堪えたのは間違いなかった。

うちに帰ったら、家内と娘がクリスマスパーティーの盛り付けに大わらわだった。利武君が七時半ごろやって来たので即乾杯して食事を始める。みんなよく食べた。十時過ぎに順次帰っていった。

 

九時半に事務所に着いた。石油ストーブの臭いが残っていて胸が悪くなりそうなので、窓を開ける。預金通帳の整理だけで半日掛かった。昼は体力を付けるためポルタでうな重を食べる。

昼からは伝票の整理発行。

二時ごろホテル調度課のJ君が来た。使える備品を当たりに来たんだが、めぼしいものは何も残ってなかった。かって同じ課で働いたことのある彼を新阪急ホテルに誘って二人でお茶を飲む。

そのあと、JRの地下の散髪屋に出かけた。八月末に、もうここへ来るのも最後と感慨深かった床屋である。店のマスターはもう私の顔を見忘れていた。

三時過ぎに部屋に戻って、伝票整理の続きをする。すぐ四時になり、はや少しずつ薄暗くなってくる。昨日堀吉君に教わったので電源を入れて電灯を点ける。やはり明るいと一人きりでも仕事を続けようという気になってくる。五時半まで頑張って、帰り際有村部長に連絡の電話をする。

すみ子に兄の保雄からシクラメンの宅急便が届いた。遅れ馳せの誕生日祝いのつもりなのか、それともクリスマスプレゼントなのか、もらったすみ子も狐につままれたようだと言う。

 

すみ子は九時から郵便局にバイトに出かけた。晩は晩で寿司バーでバイトの梯子をするみたいだ。

私は九時半に出掛ける。昨日整理した伝票を昼まで掛かって記帳する。八月以降の微々たる動きでもやはり記帳処理してバランスシートを合わせなければならない。

昼は大俵亭でうどん定食を食べ、事務所に戻る。今は忍者のような立場だから、どうも新みやびホテルの社員食堂へは気後れして足が向かない。有村部長に電話するが席を外していた。

四時ごろもう一度有村部長に電話して残業することを言っておく。バランスシートを仮締めするころ、電灯を点けると余計詫びしい。これといった仕事もしていないのに気が付いたら七時を回っていた。

家に帰り、夕食を済ませた後年賀状を書こうと筆を取るが、あまり捗らなかった。

  

八時過ぎに礼子に促されてやっと起き出す。頭の芯がまだぼおっとしている。

八時半からテレビで高蜂秀子と若尾文子の「華岡青州の妻」をやり出したので、ちょっと見るつもりがとうとう最後まで見てしまった。慌てて十一時ごろ事務所へ出勤する。

昼から伝票を締め、現金を締め、バランスシートを締め、作表する。なぜかすぐに時間が経ってしまう。やらねばならないと気ばかりあせっても、頭と手がついていかない。虚しさが先立つ。

世の中はクリスマスイブだった。

 

朝、いったん事務所に寄ってからタクシーでみやびホテルへ出かけ、六本木次長と有村取締役に会う。ほとんど打ち合わせらしいことも出来ないまま、こちらも時間に急かれて会社へ帰る。

消費税などの納付に銀行ヘ行き、昼はまた四条の八万騎で鉄火丼定食を食べる。

バランスシートを締め直し、法人税の申告書に取り掛かるが、これがまた一筋縄にはいかない。五時までで帰るつもりが七時を過ぎてしまった。

家庭ごみでないと市営は収集してくれないので、事務で出たごみを袋詰めして、それを抱えて地下鉄に乗る。うちに帰っても議事録のワープロが残っていた。九時まで掛かった。年賀状が少しも捗らない。

 

みやびホテルへ出かけ、十時から綿引監査役、広部常務、有村取締没、六本木次長を交えて最終打ち合わせをする。

事務所に戻り四時まで仕事。ようやく目途がつき、長良河畔ホテルに了解してもらっている休暇予定も過ぎようとしているので、荷物をまとめタクシーでとりあえず家に帰る。荷物だけ置くと、すぐに自転車で、府庁まで申告書を届けに走った。

夕食後、元帳を閉じ込んだり、最後の整理をやり終え、法人税の申告のまとめに入った、その時ふと税法規定に目が釘付けになった。平野の土地譲渡益のことが引っ掛かる。他が赤字でも土地の売買益には別枠で課税されるとある。広部常務のお宅に夜の九時半ごろ電話する。「公認会計士のM先生にすぐ相談しろ。」と言われた。六本木次長はまだホテル経理で残業していた。彼からM先生に電話してもらう。六本木次長にいろいろ調べてもらうが十一時過ぎ結論が出ないまま明朝に再調査することとなる。やっかいなことになったものだ。

真夜中0時過ぎ、即席うどんを食べて寝る。

 

七時半に起床、気が焦るので朝食もろくろく食べずに八時に飛び出した。やはり少し早過ぎて事務所で待機する。いらいらしながら事務椅子に腰掛けていると身体の芯まで冷え込んでくる。九時に扉が開くのを待ちかねて下京区役所、それから下京税務署へ回った。土地課税は税率三十パーセントだが、利息年率六パーセント、諸費用四パーセントの控除があることを聞いて帰る。府庁へ寄って帰った。十時半だった。

六本木次長から電話がかかり、こちらから広部常務に電話するよう指示された。控除額が大きく、課税されないことが判明したらしく、あっけない幕切れとなる。軽い食事をしでホテルへ出かける。昨日の数字でGOサインが出た。やれやれである。

長良河畔ホテルの総務部長に、ナイトマネージャーの当番には遅れないように今夜帰りますと電話しておいた。

社長と専務に挨拶してから、庶務課長とH司法書士の所へ登記の依頼に出かけた。

府庁へ再び行って再度申告書提出、区役所にも同様にする。税務署に消費税の申告する。うちに帰ったら三時半だった。

軽業のような一日だった。あちこちとぐるぐる走り回るうちに、「結了」事務が終わり、「みやび幹線食堂株式会社」はここに完全に消滅した。しかし、仕事をし終えたという達成感はなく、疲労だけが手足の先に広がってくる。

家で後片付けをしていたらたちまち五時になり、こたつでちょっとうとうとする。六時前に礼子がパートから帰ってきて、水だきの用意をしてくれるのももどかしかった。

京都駅までタクシーを飛ばすが、烏丸四条あたりで財布を忘れたのを思い出した。Uターンしてうちへ取りに戻り、八条口に駆け込んで新幹線に飛び乗った。

岐阜羽島から名鉄に乗り換え、終着岐阜駅からさらにバスに乗り継ぐ。長良川の鉄橋の袂で下車すると河畔は暗く物寂しい風景だった。小雪がちらついていた。

午後九時前に寮に辿り着いた。事務所にはまだ灯が点いていて安藤取締役が一人仕事をしていた。遅くなったことを詫びると、

「お帰りなさい。夕刻、みやびの広部常務さんから、京都滞在中の給料を振り替えてくださいと電話がありました。もういいと言ったのですが・・・」

課長代理以上が交代で勤めるナイトマネージャーの当番日なので、九時半のシャトルバスで新館へ泊まりに行く。今日のお客はたった十一人だとフロントが教えてくれた。夜半まで、客室の廊下、がらんとしたいくつかの宴会場、暗く広い厨房などを夜回りする。

元旦は休めそうもない。

長良河畔ホテルに来て三ヶ月が過ぎようとしていた。

 

第四章結了消滅 おわり 

 

 

これで「解散日記」は終了いたします。長らくのお付き合い有難うございました。