我家写真3

 

 

 

 

 

 

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その3 

 

やがて喜一郎夫婦の間に男の子が生まれたが、

一恵は肺結核と産後の疲れが重なり、二度と病床を畳むことはなく、

三十歳の若さでこの世を去った。

 

 

     一恵、最後の娘時代                 結婚一周年目の喜一郎と一恵

 

 

 

木綿問屋「川村喜代楠商店」も大正五年頃が一番栄えた時期だが、

喜代楠の一番上の姉ヒサの嫁ぎ先、福井商店も、その頃は奉公人も二十人位いて、

野球チームを店員だけで作れたというほど繁盛していた。

土蔵も三つあり、庭先が広くて、水道を呼びこんで設えた谷川が流れていた。

ある日、福井英太郎が喜代楠のうちに来た。

「お義父さん、私もやっと百万円という金が出来ました。」

福井商店主英太郎

 

 

長い間続いていた木綿問屋も世の中の移り変わり、

時代の波に呑まれ、ついに廃業することになる。

 

 さて、川村商店にNという大番頭がいた。

年は私の父喜一郎と同年代であったが、喜代楠はむしろをNをより多く信頼していた。

没落の日まで、いやその後に及んでも、主人に忠誠を捧げ最後まで見捨てなかったので、

喜代楠はその人情が痛いほど身に染みた。

番頭N氏の別家料等の受領書

 

 

喜代楠夫婦は六角の家を明け渡して、太秦の借家に移った。

喜代楠は案外平然としていたが、生まれて以来住み慣れた市中を追われ、

田舎にひっそくした無念さを噛みしめたのは、アサのようだった。

角家で、生け垣と格子戸のあるこじんまりした二階建てで

もう女中もいずに、アサが家事万端をこなしていた。

太秦多薮町の家の前