我家写真4

 

 

 

 

 

 

古いアルバム

その4 

 

長い間続いていた木綿問屋も世の中の移り変わり、時代の波に呑まれ、

ついに廃業することになり、喜代楠夫婦は六角の家を明け渡して、太秦の借家に移った。

 

真ん中が喜代楠 娘と孫たちに囲まれて・・・ 

 

 

 

次男米太郎とその母アサ

 

 

 

私の母一恵が産後間もなく没し、私はすぐに、梅津に里子に出され乳母に育てられたが、

数えの三歳になると太秦のうちに連れ戻されて、アサ(私の祖母)が育児一切を引き受けた。

私の父喜一郎がほとんど家に寄り付かないまま、アサが一人で、手の掛かる時期を育てたのである。

梅津の乳母と私

 

 

喜代楠は昭和十二年五月、多薮町の家で亡くなった。享年七十歳だった。

本葬は中京区高倉の浄光寺で営まれたが、その時の記念写真。

アサを真ん中にして、総勢三十人あまりが写っている。

 

最前列右から二人目が私、その左隣が私の祖母アサ(喜代楠の妻)