Scene1:実験

 

 雨が降る。

 灰色の空から静かに雨が降り注ぐ。

 破壊され、未だに燻り続ける戦車から、その余熱を奪い取るように。

 地に倒れ、死に瀕した兵士の体から、生きる為の体温を奪い取るように。

 そして、既に息絶えた兵士の体から、僅かに残った温もりすらも奪い取るように。

 全てを凍てつかせるような雨。

 その下に「それ」はいた。周囲を鉄屑と屍に埋め尽くされながら。

 

 全身を暗灰色に統一された「それ」は、一見すれば蜘蛛のようにも、蟹のようにも見える。

 人よりは大きく、鉄屑と化した戦車よりは一回り小さい形状。

 四本の足に支えられた潰れた球のような胴体に、大きなドラム缶を縦に取り付けたような腹部。

 胴体の下からは蟹のハサミのような二本の腕が伸び、丁度爪の間にあたる部分には未だに白煙を上げる機関銃の銃口が覗いている。

 そこが「それ」の感覚器官なのだろう。胴体の上部に取り付けられたレーダードームにいくつかの光が走った。

 その光が消えると、機械的な駆動音を立てながら動き出す。

 「それ」が与えられた、ただ一つの命令を遂行する為に。

 『殲滅せよ』。

 

 「それ」が向き直るのを待ち構えていたかのように、銃声と共に弾丸が飛んでくる。

 『殲滅』の対象からの反撃。それは散発的なものではなく、「それ」を撃破する事を目的とした集中射撃だ。

 しかし、放たれた弾丸は「それ」の装甲に当たると同時に甲高い金属音を響かせて、弾かれる。

 命中し続ける弾丸を無視し、「それ」は滑らかに四本の足を動かして、弾丸の発射点を目指して前進を開始する。

 その進む先には、僅かな窪地に身を伏せて、一心不乱に引き金を引き続ける兵士達の姿があった。

 兵士達の一人が、銃弾を物ともせずに近寄ってくる「それ」を目にして罵声を飛ばす。

 

「くそったれ! 全然効いてねぇじゃねぇか!」

「駄目だ。銃は効果がない! 手榴弾だ、手榴弾を投げろ!!」

 

 別な兵士の叫びに答えて、複数の手榴弾が一斉に「それ」の周囲に投げ込まれた。

 連続するくぐもった爆発音と共に、煙が「それ」を覆い隠し、兵士達はその光景を祈るような顔で見つめる。

 

「……どうだ……?」

「あれだけの数の手榴弾だ、これで駄目なら……」

 

 だが、兵士達の顔は次の瞬間、絶望へと変わった。

 煙を割って、無傷のままの「それ」が現れる。

 最初に罵声を飛ばした兵士が、壊れたような笑いを浮かべながら呆然と呟いた。

 

「……冗談だろ?」

 

 そして、その兵士の体を、「それ」が撃ち出した機関銃の銃弾が粉々に打ち砕いた。

 

――*――

 

「……まあまあか」

 

 その光景を見た男が呟く。

 男がいるのは、どこともつかない薄暗い部屋だった。

 複数のモニターが放つかすかな光が、男の姿をおぼろげに浮かび上がらせる。

 男は研究者が身につけるような白衣を羽織り、ミラーシェードの下から冷めた目でモニターの一つを見ていた。

 そのモニターには、兵士達にとどめを刺している「それ」の姿が映し出されている。

 「それ」はゆっくりと動き回りながら、呻き声を上げる兵士達に近付いては一発ずつ機関銃を撃ち込んでいた。

 男はミラーシェードを指で押し上げると、誰に言うでもなく口を開く。

 

「実験を終了する」 

 

 その声は、感情の全てをどこかに置き忘れてきたかのように無感動な声だった。

 男が声を発すると同時に、モニターの中の「それ」がゆっくりと体を沈め、動作を停止する。

 

「既製のユニットでも、それなりの性能は発揮できるようだが……」

 

 男はそう呟き、再びキーボードを操作した。

 別なモニターに、動作を停止した「それ」のデータの詳細が映し出される。

 データの最初の項目には、『タランテラ』と言う名前が記されていた。

 その中のいくつかの項目の数字が、男がキーボードを打つ度に微妙に変化していく。

 変化した数値を見比べて、男の口元がかすかに動いた。僅かに不満げな印象を与える表情を形作る。

 

「やはり、完璧ではない。この程度の数ならば、もっと素早く処理できるはずだ……」

 

 男はデータを見ながら呟くと、新たな情報を呼び出した。

 モニターに画像入りのデータが映し出される。それは、一人の少女に関する報告書だった。

 長い銀色の髪と、金色の瞳を持った少女。

 少女の画像の横には、『サンプル:A』という文字が記され、その後には少女の詳細らしき文字列が並んでいる。

 

「やはり、こちらの完成も急ぐ必要がある」

 

 男は少女の画像を見ながら呟くと、立ち上がった。

 すると、全てのモニターの電源が落ち、その部屋は暗闇に閉ざされた。