Scene2:放課後のアルバイト

 

 世界は変わってしまったのだろうか?

 竹塚 ユウトは頭上に広がる夕暮れの空を見上げながら、ぼんやりと考えていた。

 見上げた空は、目覚める前と何も変わっていないように見える。

 こうして眺めているだけならば、全く気が付かないほどに。

 しかし、ユウトは世界が変わってしまっている事を知っている。

 他ならぬ自分自身がその変化の中にいるのだから。

 

 ユウトがオーヴァードとして目覚めてから、一ヶ月が経とうとしていた。

 あの一件以来、ユウトはUGNで能力を制御する訓練と平行して、その活動に協力している。

 UGNの活動については、大きく分ければ三つある事を教えてもらった。

 一つは、未だに未解明な点が多いレネゲイド・ウィルスの謎を解き明かす為の研究。

 もう一つは自覚の無い発症者や発症する可能性のある人物の監視。

 これは、オーヴァードの能力によって起こり得る不幸な事故を、未然に防ぐ為に必要な活動だと聞かされた。

 そして最後の一つ。それが、オーヴァードが関係している事件の処理。ユウトの協力する活動と言えば、もっぱらこの活動だった。

 その協力の内容は、トラブルを起こしたオーヴァード ――大抵は既にジャーム化している――を無力化する事。

 平たく言えば「暴走している奴を、ぶっ飛ばして捕まえる」である。

 その活動の為、ユウトは最近、しばしばそうした現場に呼び出されるようになった。

 ユウト自身、活動に協力する事はやぶさかではない。

 訓練の成果を試すいい機会でもあることだし、アルバイト代も悪くない。

 不満があるとすれば、平日休日、さらには昼夜を問わず呼び出される事だ。

 おかげで、ユウトは最近とても忙しい毎日を送っている。

 今も、そうだ。

 ワーディングが張り巡らされ、人通りの無くなった路地裏で、ユウトは夕暮れ時の空を見上げていた。

 

(今までなら、どっかで適当に時間を潰してたよなぁ……)

 

 これまでの生活を思い返して、ユウトは溜息をつく。

 そして、その生活がいかに時間が有り余っていたか、それがどれだけ幸せだったのかを噛み締める。

 そうして失ってしまった幸せをしみじみと思い出していると、不意に淡々とした声で呼び掛けられた。

 

「竹塚さん、目標は目の前です。集中してください」

「あ、了解ッス。すんません」

 

 振り向くと、そこには親友の木ノ坂 知徳が立っていた。

 木ノ坂は手にした拳銃に弾倉を装填すると、そのまま視線を前に向けた。

 それにつられて、ユウトも正面に向き直る。その先は、袋小路になっており、目標はそこに追い込まれていた。

 そこにいるのは、元々は人間だったのだろうが、今は衝動に任せて暴れまわるだけの単なる怪物だ。

 怪物は、近寄ってくるユウトと木ノ坂を恐ろしい目つきで睨みつけている。

 人の身に余る力に溺れて、日常から足を踏み外してしまった存在。

 ユウトと背中合わせの存在と言ってもいい。

 

(明日は我が身、かな)

 

 荒々しい呼吸を繰り返す怪物を、冷めた目で見ながらユウトはをそう考える。

 自分も何時かあんな風になるんだろうか。

 血走った両目に正気の色は無く、全身も人とはかけ離れた姿の、怪物に。

 

(って、そうはならないんだろ?)

 

 心の中で首を振って、自分の誓いを思い出す。

 人として生きる。怪物には、ならない。

 この非日常の世界に足を踏み入れた時に、ユウトが決めた事。

 けれど、こうして怪物と化した同類を見る度に、自分の誓いに何の意味があるのかを考えてしまう。

 きっと、目の前のコイツだってそう思ってたはずだ。

 人でありたい。日常の中で変わらずにいたいと。

 だが、実際には今こうして怪物になって、自分の目の前にいる。

 どんなに硬く誓ったって、いつかこうなるなら。

 そんな考えが頭をよぎる。

 ユウトは頭を振る事で、その考えを頭の中から追い払う。

 

(……いけね、仕事中だろ、俺。集中しろ、集中……)

 

 思考を目の前の敵に集中させる。

 怪物は、自分が追い詰められた事を認識しているらしく、先程から盛んに威嚇するような唸り声を上げていた。

 

「回収方法は? デッド・オア・アライブ?」

 

 背負っていた鞄を地面に放り投げながら、ユウトは木ノ坂に問い掛けた。

 直前まで考えていた事が影響したのか、少しぶっきらぼうな口調になっている。

 だが、木ノ坂はそんなユウトの声の変化に、さして問題を感じたわけではないように、淡々と言った。

 例え問題を感じていたとしても、木ノ坂の声は変わらないだろうが。

 言葉と同じような淡々とした動作で、拳銃の銃口を怪物へと向ける。

 

「いいえ。捕獲します。一時的な暴走状態ですから」

「オッケ。そんじゃ、始めましょうか」

 

 木ノ坂の言葉を受けて、ユウトも『領域』を袋小路を覆い包むように展開する。

 怪物が、二人に挑みかかるように吼えた。

 ユウトの、放課後のアルバイトが始まる。

 

――*――

 

 数分後、ユウトと木ノ坂の足元には、怪物から元の姿に戻った男が横たわっていた。

 全身細かな傷だらけで、意識も無いものの、呼吸はしっかりしている。命に別状は無いようだ。

 気絶した男を、UGNの『掃除屋』が運んで行くのを見送ると、横に立っていった木ノ坂に声をかけた。

 

「よしっと。これで終わりだよね?」

「ええ。お疲れ様でした」

 

 木ノ坂が頷くのを見て、ユウトは大きく息を吐き、おもむろに背伸びをした。

 UGNの仕事を受ける事には慣れてはきたが、戦闘自体には中々慣れる事がない。

 終わる度に全身が緊張していた事を自覚する。

 

「んーじゃ、帰りますかぁっ!」

「ええ。そうしましょう」

 

 そのせいか、終わった後はいつも意識して朗らかな口調で話す事を心がける。

 そうやって話しているうちに、緊張がほぐれていくからだ。

 木ノ坂もそれを分かってくれているのか、唐突に変わるユウトの口調に突っ込むわけでもなく、いつも通りの対応をしてくれる。

 ユウトは心の中でその事に感謝しながら、放り出した鞄を背負いなおした。

 そして、二人で連れ立って袋小路を後にする。

 やがて、ワーディングの圏外が近くなったのか、通りの向こうに町の喧騒が聞こえてきた。

 一本道を外れると、そこにはいつも通りの人の賑わいが広がっている。

 どの人も、今そこの袋小路で何があったかなんて気付いてはいない。

 

「では、私はここで」

「ん。じゃまた明日、学校でね」

「ええ。それでは」

 

 木ノ坂はそう言うと軽く手を上げて、ユウトと別れ、人込みの中に消えていった。

 ユウトも軽く手を振り、その背中が隠れていくのを見送る。

 そして、木ノ坂の姿が見えなくなっても、ユウトはその場に少し佇んでいた。

 どこを見ても変な所なんか何も無い。何も変わらない。いつも通りの世界。

 それが、普通の現実。自分のいる世界。

 

「さてと。俺も帰ろっと」

 

 今自分がいるここは今まで通り。

 それで満足する事にして、ユウトは駅に向けて歩き出した。

 背中越しに聞こえる夕暮れの町の喧騒が、ユウトにはどこか心地よく聞こえた。