Scene9:
「んー……」
駅の改札を抜け学校へ向かう道を歩きながら、ユウトは朝食の時に見た汐の様子を考えていた。
あの時の汐は、確かに何かに怯えていたようにユウトには思えた。
それも、尋常ではない位に。
だが、何に対して?
「なんだろうなぁ……?」
ガリガリと頭をかきむしる。
要と一緒に玄関まで見送りに来た汐は、ユウトが家を出るまで心細そうな表情を崩さなかった。
ユウトの不在を不安に思っている事は明らかだ。
自分が頼りにされている?
うぬぼれなのかもしれないが、汐の顔を見ていると、どうしてもそう感じてしまう。
「けど、わっかんねぇよなぁ……」
汐とはまだ出会って一晩。そもそも、出会いからしてが偶然だ。
確かに、不審人物から助け出しはした。だが、言ってしまえばそれだけだ。
それ以上、特別な事をした覚えはない。
それだけの関係でしかない人間が、一時的に自分の傍を離れる。
その事があそこまで取り乱す理由になるだろうか。
「ん〜〜〜……」
答えは出ない。
ユウトはまた頭をかきむしった。
「わっかんねー……」
早朝の青い空を見上げて呟いた瞬間、横合いから不意に声をかけられた。
「おはようござます。竹塚さん」
「ん……? ああ、木ノ坂さん。おはようございます」
顔を向けると、そこには木ノ坂が相変わらずの無表情で立っていた。
ユウトが気の抜けた返事を返すと、木ノ坂は僅かに首を傾げた。
「おや。なにやらお疲れのようですね。昨日、そこまで疲労していましたか?」
「あーいや。そうじゃないんスけどね」
「ふむ。まあ、とりあえず学校へ向かいましょうか」
「ウス」
ユウトの曖昧な答えに木ノ坂はもう一度首を傾げると、さっさと歩き出した。
ユウトもその横に並んで歩き出すと、二人は学生の群れから外れて、いつも使う迂回路に向かった。
早朝で人気のない住宅街を通る小道がそうだ。
距離的にはさほど変わらないにも関わらず、この道を使う徒歩の学生は少ない。
ほとんどの学生は、駅から真っ直ぐに学校まで伸びる道を使う。
ユウトらも、元々はそちらの道を使っていた。
しかし、ユウトがUGNに協力するようになってからは、『アルバイト』に関して簡単な打ち合わせをする事もある為、
登校の際はこの道を通る事が暗黙の了解になっている。
「ところで、何か問題でもありましたか?」
「は?」
人込みから離れ、静かな道を歩いていると、不意に木ノ坂が問い掛けてきた。
ユウトは虚をつかれたように、きょとんとした顔をする。
その顔を見て木ノ坂は口の端を僅かに上げると、静かに自分の眉間を指した。
「シワが出来ています。竹塚さんがそうしている時は、大抵何かを考えていますからね」
「……ウソ。俺、顔に出てた?」
「ええ、とても分かりやすいですよ?」
笑みを含んだ声で言われて、ユウトは口を尖らせた。
しかし、すぐにその表情を改めると、木ノ坂の方を向いた。
「まあ、確かに考え事はあるんだけどね……考えても考えても分からないんだよなぁ」
「おや、どういった事です?」
「いや、それがさ……」
そう言って、ユウトは昨日木ノ坂と分かれてからの経緯を説明した。
公園での汐との出会い、不審人物から救出した事。家に連れて帰り、家族があっさり受け入れた事。
こちらの言葉は理解しているが、汐の方からは話せない事。
そして、今朝起きた不自然な程のうろたえ様。
家族には話せなかった部分も、同類の木ノ坂になら話せる。
だから、不審人物がオーヴァードについて知っているようだった事も説明した。
「ふむ……なんと言いますか……中々、ユニークなご家族をお持ちですね」
全て聞き終えた木ノ坂は、彼にしては珍しい微妙な表情を浮かべて感想を口にした。
「いや、言う事ってそれだけ?!」
思わずと言った様子で、ユウトが突っ込む。
木ノ坂はすぐに表情を切り替えると、口を開いた。
「まあ、冗談はさておき。その少女、気になりますね……」
「うん、大分ワケありっぽいんだよね」
「分かりました。こちらでも調べて見ましょう。最近はこの辺りでも『FH』の動きが活発になっていますし。
もしかしたら、その少女も何か関係があるのかもしれません」
「ふぁるすはーつ? 何、それ?」
木ノ坂の口にした聞き慣れない単語に、ユウトは思わず問い掛けていた。
木ノ坂は無表情にユウトの顔を一瞥する。
「……竹塚さん、訓練の座学はちゃんと受けていましたか?」
「……いや、その……ゴメンナサイ」
冷ややかな木ノ坂の視線を受けて、ユウトは頭を下げた。
実は、訓練の時の座学はほとんど興味がなかったので、半ば眠ってスルーしていたのだ。
木ノ坂は軽く溜息をつくと、前を向いた。
「仕方ありませんね。学校も近いですし、手短に説明しておきましょう。
FHと言う組織は、簡単に言ってしまえば私達UGNの敵です。
組織形態、規模、目的。一切が不明。
分かっているのは、UGNを敵視し、数多くのオーヴァード事件に関与している事。それだけです」
「俺達の、敵……」
「ええ」
そう言ったきり、木ノ坂は口を閉ざしてしまった。
ユウトもつられて、押し黙る。
だが、その心中では様々な考えが渦巻いていた。
FH。UGNの敵。そんな物があると、ユウトは知らなかった。
では、昨日の男はそのFHの構成員だったのだろうか。
それなら、ユウトがオーヴァードだと知っても冷静だった理由はつく。
だが、それならば。
男が連れ去ろうとした汐は何者だ?
FHの構成員? いや、それなら抵抗はしなかったはずだ。
では、脱走者? それなら抵抗していたのは分かる。だが、何故脱走したのか?
それとも、全く無関係な一般人なのだろうか。
しかし、一般人にしては不自然な点が多すぎる。
答えは出ない。
本人に聞けば全てが分かるのかもしれない。
だが、それを問おうにも、汐は言葉が話せない。
「となると、結局言葉は教えないとダメ、と……」
ユウトは姉から仰せ付かった大任を思い出して、ガックリと肩を落とした。
「ふむ。竹塚さんが、その少女に言葉を教えるんですか?」
ユウトが肩を落としながら呟いた言葉に、木ノ坂は意外そうな反応を見せた。
憮然としてユウトが言葉を返す。
「……何か引っ掛かる言い方っスね、それ」
だが木ノ坂はまっすぐ前を向いたまま、涼しい顔をして口を開いた。
「いえ別に。ただ、竹塚さんは話があちこちに飛ぶ人ですので。
人に物を教えるというのには、少し向いていないかと。そう思っただけです」
「ひどっ!? ……いや、確かに自分でもそうだとは思うけどさぁ」
冷静に自分の欠点を指摘されて、ユウトはもう一度ガックリとうなだれた。
木ノ坂の言うとおり、自分は物事を教えるのに向いていないとユウトは思う。
教えるべき事を端的にまとめるのが苦手なのだ。ついつい、関係のない事まで説明してしまう。
そして、最終的には自分でも何を教えようとしていたかが分からなくなってしまい、頭を抱える羽目になるのだ。
その事を自覚しているからこそ、言葉を教えるという事が重荷になっているのだが。
「頑張って説明しようとしている熱意は、伝わってくるのですがね」
「そりゃどーも……」
木ノ坂の慰めにならない慰めに生返事を返して、ユウトは頭を掻いた。
「参ったなぁ……どう教えりゃいいんだか……」
そう呟いた瞬間、ユウトの頭に一つの考えが閃いた。
弾かれたように、横に立つ木ノ坂を見る。
「そうだ! 木ノ坂さん、俺の代わりに……」
「お断りします」
「即答っ?!」
ユウトの思いついた考えは、最後まで言わせて貰うことすら出来ずに斬り捨てられた。
斬り捨てた側は、あくまで無表情だ。
「なんでさー。木ノ坂さんなら、俺よりもよっぽど簡単に教え込めるじゃーん!」
不満げに口を尖らせるユウトに、木ノ坂は口元を吊り上げて答えた。
「単純な話ですよ。この場合は竹塚さんが思いつくままに教えた方が効果的です」
「? なんでそうなるのさ? 俺、教えるのが下手だってのは、木ノ坂さん言ったじゃん?」
ユウトが不思議そうに聞くと、木ノ坂は元の無表情に戻って解説を開始した。
「その少女、おそらくは単純に『話す』と言う習慣がない環境にいたのだと思うのですよ。
ただ、知識の集積は他の人間と変わらずに行ってきた。なので、竹塚さん達の言っている事が理解できる」
「ふむふむ」
「相手の言っている事が理解できれば、後は自分の方から反応を返すだけです」
「んー……つまりキャッチボールで言えば、汐は飛んできたボールは取れるけど、投げ返せない?」
「そうです。投げ返す方法を知らないのだから仕方がないでしょう」
「うん。それは分かった。で、何で俺が教える方がいいって事になるの?」
ユウトがそう言うと、木ノ坂はもう一度口元を吊り上げた。
「分かりませんか? つまり、こちらから何度も投げてやることで、見よう見まねで覚えてもらうんですよ。
ボールの投げ方を」
「……えーっと、それってつまり」
「そうです。竹塚さんが延々とボールを投げる……つまり話し続けるのが有効なんですよ」
「おー。なるほどなー……」
ユウトが納得して頷いていると、木ノ坂はなおも微笑を浮かべたまま言葉を続ける。
「その点、竹塚さんはうってつけですよ。何せ放って置いても延々と投げてくれますから」
「……それって、誉めてる?」
「もちろん?」
そう答える木ノ坂の顔には、ありえないほどの笑みが浮かんでいる。
「嘘だ。ぜってー嘘だ……けど、ありがと。木ノ坂さん。おかげで何をすればいいか少し分かったよ」
「お役に立てて何よりですよ。となると、今日は真っ直ぐお帰りですか?」
木ノ坂の問いに、ユウトは頷いて答えた。
とにかく話しかけていれば、そのうち何とかなると言うのならば、やる事は一つだ。
「んだね。話し続けるのが大事ってなら、少しでも長い時間、一緒にいた方がいいっしょ?」
「確かにそうですね。頑張ってください」
「あぁ……そうと決まると、このまま家に取って返したくなるなぁ……授業ダルいよ……」
ユウトがそう言うと、木ノ坂からの冷たい一瞥が飛んでくる。
「駄目ですよ。我々の学生の本分は、あくまで学業なのですから」
「う。スンマセン……」
そうして、他愛のない雑談をしながらユウト達は正門をくぐる。
だが、ユウトの心はこれから始まる授業にではなく、既に放課後へと飛んでいた。
自分がやる事が見えた。それは、これから立ち向かう大任の重さをユウトからほんの少し、取り除いていた。