第4回
「流転・前編」
「さて、と。そういうわけで、君を私の部隊に招きたいんだけど……。どうかな? アオイ・ラザフォード准尉」
今、ヤンの目の前には一人の女性兵が半ば呆然とした面持ちで座っている。
何故自分が今こうしてここに座っているのかも今ひとつ理解できていない様子だ。
(まあ、無理もないかな)
ヤンは心中で苦笑をした。つい数分まで基地の独房に拘禁され、軍法会議を待つ身だったのに唐突に釈放され、
見覚えのない士官から「おめでとう、君の罪は帳消しだ」といわれた挙句、その士官の部隊への編入を要請されている。
さすがのヤンもこれは少し強引だと感じないわけではない。
(とは言うものの、あまり時間を空けると、また何か変なことが起きないとも限らないしねぇ)
ウォーレン少佐に対する告発はあくまで非公式なものだ。表向きはジャブローへの配置換えということになっている。
彼が独自のコネを利用し始めればなにがどうなるか、今の時点ではヤンにすら見当がつかない。
下手をしたらヤンの行いはみもふたもない恐喝行為だったといわれかねない。
いや、ヤンについてはどうにでもなるのだ。彼に独自のコネがあるように、ヤンにだってコネはある。目には目を、と言うやつだ。
しかし、アオイを守りきれるかどうかは微妙なところだ。守れるとは思うが、断言は出来ない。
それを防ぐためにも早急に部隊に編入した方がいい。そう考えてはいるのだが……。
(それにしたって急ぎすぎのような気がするねぇ。自分でも)
確かに急ぎすぎだ。ウォーレン少佐はまだジャブローに向けて出発すらしていない。
そのことを考えれば、今日のところは独房から出すだけにして、後日改めてスカウトしにくればいいのだが。
(おかしいね。会ったのはたった一回だと言うのに……)
ヤンは心中で密かに苦笑した。ヤンがアオイとであったのは僅かに一回。しかもその時は短く言葉を交わしただけだった。
ベテラン兵にいじめられ、しょげ返っていた新米の女性兵。その女性兵に声をかけ、励ました。それだけだ。
しかし、ヤンの記憶にはその女性兵、アオイの姿がくっきりと焼き付いていた。
(やれやれ、向こうはそんなこととっくに忘れているだろうに。お前は何がしたいんだ、ヤン・ユージン?)
自分に向けてからかいの言葉をかける。正直、苦笑するより他に感情の表現方法がない。
自分の行動が理解しきれない。こんなことはヤンの人生の中であまりある出来事ではなかった。
そんな心の中の苦笑は、いつしか顔にまで表れていたらしい。
目の前にいるアオイが自分のことを凝視していることに、ヤンは初めて気が付いた。
「おっとっと。これは失礼。少し考え事に気を回しすぎたらしい。で、どう?」
「…………」
しかし、ヤンの言葉にアオイは返事を返そうとはしなかった。ただ、じっとヤンの顔を見つめるだけだ。
「うん? 何か私の顔についてるかな?」
「どうして……」
ポツリともらしたその言葉は、どこか呆然とした響きを帯びていた。
ヤンはそれを何故自分がスカウトされているのかと言う疑問から来る響きだと認識した。
「え〜っとだね。結論から言うと、君のように柔軟な操縦ができるパイロットを、私は必要としているんだ。
で、あちこちで探したんだけど、これと言う人材が中々いなくてね。そんな中、君を見つけた。
戦歴やデータを参照するに、君がもっとも合っているというか……」
ヤンの説明を、しかしアオイは手を振ってさえぎった。
「あ! い、いえ。そういう意味じゃなくて……」
「ん? 違うのかい?」
「え、ええっと……そうじゃなくて、どうして、少佐殿はボクのことを助けてくれるのかなって……」
「あ、ああ。そういう意味ね……」
アオイに言われてヤンは少し戸惑った。
確かに、アオイの言うとおりだ。正直な話、人材は探せばいくらでも条件に合う者が見つかるだろう。
たとえその人材をヤンが気に入らなくても、運用する分にはそれで問題はないはずだ。
しかし、ヤンはわざわざ敵を作る覚悟でアオイをスカウトしに来た。
今回のアオイの状況が、もし他の、会ったことのない人が当てはまっていたら、どうするだろうか?
少し真剣に考えかけたヤンの意識を、アオイの放った一言が、瞬時に現実へ引きずり戻した。
「前も、助けてくれたし……」
「え?」
思わずアオイの顔を見つめてしまう。
アオイはそのヤンの顔を少し意外そうな顔で見返した。
「え? 覚えていらっしゃらないんですか? 前にボクがベテランの方々から責められていた時、少佐殿は助け舟を出してくれました」
「もしかして……覚えているのかい? あの時のこと……」
「もちろんです! その後の少佐殿の言葉で、ボクは戦うことへの決意が出来たんですから!」
「えーっと……なんて言ったかな?」
「えっと……
『最初から上手くやれる人なんて一人もいないよ。でも君には才能がある。
自分の失態を素直に認めて悔いる姿勢は賞賛に値する、しかし、萎縮してしまっていてはせっかくの才能を発揮できない。
その才能を活かし、自分の大事な人達を守り、敵と渡り合っていけるように努力する事が、今の君にとって大切な事ではないか?』
……確か、そう言ってくださいました。ボク、あの時のことは忘れていません!」
「そんな偉そうなことを言ってたんだねぇ……」
ヤンは今日幾度目かの苦笑を浮かべると、口を閉ざした。
表情はいつもと変わらないように見えたが、その心の中には衝撃が波のように広がっていた。
(まさかねぇ。向こうもこっちのことを覚えているなんて……こいつは予想外だねぇ)
しかし、その衝撃はどこかヤンの心の中を暖かくもしている。それもヤンにとっては不可解な現象だった。
その暖かさは、ヤンにとってどこか懐かしく、しかし新鮮な感覚だった。
(なんだろうね、この感覚。昔、どこかでこんなことがあったような……)
「あの、少佐殿? どうなされました? も、もしかしてボク何か悪いことでも記憶してましたか……?」
「ん? あ、ああいや。大丈夫、問題ないよ。ちょっと驚いただけだから」
ヤンが自分の中に湧き上がった感覚に戸惑っていると、アオイが少し狼狽したように声をかけてきた。
ヤンは若干慌てながらアオイの心配を打ち消すべく、やわらかく微笑んだ。
その微笑を見て、アオイも安堵の表情を浮かべる。ヤンはなぜか自分が、アオイのその表情に心を惹かれるのを感じた。
そして、アオイがその視線を感じてヤンを見る。二人の視線がぶつかった。しかし、どちらも口を開かない。
二人の間に奇妙な沈黙が下りる。その沈黙に気が付いたのか、ヤンがやや強引に口を開く。
「あ〜。まぁその、なんだったっけ……。ああ、そうだ。どうだろう、私の部隊にきてくれるかな?」
「え? あ、はい! それはもう、喜んで入隊させていただきます! というよりもむしろ、ボク……いえ! 自分の方からお願いいたします!」
「あ、ああ。ならいいんだ。これからよろしく頼むね。アオイ君。私の名前はヤン・ユージンだ。ヤン、でいいよ」
「はい! よろしくお願いします! ヤン少佐殿!!」
生真面目に敬礼をするアオイに、微笑みながらヤンは敬礼を返す。
それを見て、ようやくアオイの表情にも笑みが浮かんだ。
その微笑を見たヤンの心に、再び暖かいものが宿る。
暖かいものを感じたそのとき、ヤンの心に一つの結論が急速に導き出された。
(ああ、なるほどね。そういうことか)
つまり、自分はこの少女と共に歩いていきたいと感じていたのだ。
あの日、あの場所で言葉を交わし時から。
あの、強い決意の光がこもった、この少女の瞳をみたそのときから。
それ故に、これほどまでに強引かつ性急に事を運んだのだと、ヤンはいまさらながらに納得した。
(まったく、この年で一目ぼれか。もう青春する年でもないだろうに……)
(しかも状況はそんなことを許してくれるほど甘くはない、な)
心の中で苦笑するとヤンは立ち上がり、アオイに一枚の紙を手渡した。
「さて、早速でなんなんだけど、私たちはまもなく開始される作戦に参加することになっている。
そこで、君にも出撃をして欲しい。急な話ですまないんだけど……」
「いいえ! 隊長のお役に立てるなら、自分はどんな事でもします!」
「そういってもらえると助かるよ。さあ、それじゃ私たちの駐屯地へ案内しよう。ついたら皆に紹介しなくちゃね。
まあ、個性的な人間が多いけど、すぐに慣れるよ。……じゃあ行こうか」
「はい!」
ヤンが先に立ち、アオイがそれに続く。その二人の間の距離は微妙だった。
完全に一歩離れた位置ではない。しかし、横に並んで歩くわけでもない。そんな微妙な距離。
そして、この距離がこれからどうなっていくのか。ヤンにはそれはわからなかった。
(ま、なるようになる、さ……)