第4回
「流転・前編」
「何だ。貴様は! 私は今具合が悪いのだ、さっさと出て行け!」
医師が病室を出るのと入れ違いに入ってきた士官を、ウォーレン少佐は不快そうに睨みつけた。
彼はここの所、少々機嫌が悪かった。
なぜなら、目をかけてやった女性兵が、くだらない理由で自分に大怪我を負わせたからだ。
(まったく、今まで私がどれだけ便宜を図ってやったと思う! あの馬鹿者め……)
(おとなしく飾り物のエースを演じていれば、おいしい思いの一つでもさせてやろうとも考えていたものを)
(大体、兵士がいくら死んだ所でどうだというのだ。……まったく! 私の足を引っ張りおって!)
心の中の忌々しいものをすり潰しながら、ウォーレン少佐はそれでも悪意に満ちた笑みを口元に浮かべた。
その女性兵はすでに拘禁され、軍法会議を待つ身である。
いわば籠の鳥であり、その生殺与奪の権限は彼の手に握られているのと同意だからだ。
(ふん、こうなれば私に逆らったことをたっぷりと後悔させてやる。死刑だ。どんな手を使っても死刑にしてやる……)
(そのときになって泣いても遅いぞ。私はもう決めたのだからな……)
そこまで思考をめぐらせた時、ウォーレン少佐はまだ病室に士官がいることに気が付いた。
折角気分がよくなってきた所に水を差されて、少佐の顔がますます苦いものになる。
「出て行けといったのが聞こえなかったのか! 貴様、上官の命令が聞けないというのか!」
しかし、その士官は少佐の怒声を浴びても涼しげな表情だ。
その士官がおもむろに口を開く。
「別に私はあなたの部下でも何でもないですからねぇ。命令を聞けといわれる筋合いはないですが」
「なにぃ?」
「ついでに言わせてもらうなら、私はあなたと同じ階級ですから、あなたが上官だという訳でもないのですよ、ウォーレン少佐殿」
口調もその表情同様なその士官の言葉で、少佐はその士官が自分の見覚えのない顔であることと、
その襟元に自分と同じ少佐の階級章が縫い付けられていることに気がついた。
(しかし。この男が少佐だと?)
ウォーレン少佐は士官の姿を見て、何かの間違いなのではないかと思った。
少佐の目の前に立つ男は、およそ軍人というには程遠い容貌だった。
軍人というよりもむしろ、学者でもやっていた方が似合いそうな、そんな印象を受ける。
こんな男が少佐になれるなど、今の連邦はどうかしているのではないか?
そう考えた所で、士官が再び口を開いた。
「私の名はヤン・ユージン少佐。第211独立特攻部隊、イエローウィザーズの指揮官を務めております」
ヤンと名乗った士官は、口元に薄く微笑みを浮かべながら言った。
ウォーレン少佐はヤンの言葉で、最近連邦軍内に指揮官独自の裁量で部隊を運営するはみ出し者達がいることを思い出した。
そのはみ出し者の一人が自分に一体何の用があるというのか。
「本日は、ウォーレン少佐にちょっとしたお願いがありまして。このように失礼をしたわけです」
「……お願いだと?」
「ええ。実はあなたの隊の人員を私の部隊へ編入させていただきたいのです」
なるほど、そういうことか。
ウォーレン少佐は心中ひそかにほくそえんだ。
つまり、このヤンと名乗る若造は、自分で部隊を設立させたはいいものの人員不足に苦しみ、
仕方なく正規軍から引き抜かせてもらおうと、そう企んでいるに違いない。
戦争を知らない若造が考えつきそうなことだ。本来なら受ける必要はないが、恩を売っておけば後で役に立つかもしれない。
最悪、部隊の捨て駒代わりにはなるだろう。
そこまで頭をめぐらせると、ウォーレン少佐は表情と口調を理解のある、と本人は信じるそれに改めた。
「ふむ。まぁそちらも事情があるだろうからな。考えてもいいが、一体何人必要としているのだね?」
「一人です」
「何?」
「一人で結構です」
ウォーレン少佐は多少肩透かしを食らったような気がした。
文書ではなく、直接交渉に来るくらいだから、さぞ大勢必要としているのだろうと思えば、たったの一人。
(これでは大した恩は売れんな。適当にあしらってやるか……)
ウォーレン少佐は失望感を隠そうともせず、ヤンに答えた。
「まぁ、一人位ならこちらとしても問題はない。よかろう。では、適当な人材を選択させてそちらに……」
「いえ、目星はこちらの方で立てて置きましたので、それは結構です」
「そうか。では誰をつれていくのかね?」
もはやヤンへの興味を一切失ったように、ウォーレン少佐は投げやりに聞いた。
どうせ、自分はこの部隊全員の名前など覚えてはいない。
ヤンが言ったことにただ許可を出してやればいい。それだけだ。
しかし、ヤンの口にした名前は、ウォーレン少佐が記憶していた数少ない隊員の名前だった。
「第2パトロール中隊所属、アオイ・ラザフォード准尉です」
「何!」
ウォーレン少佐はベッドから跳ね起きるとヤンを睨みつけた。
冗談ではない。自分に怪我を負わせた相手を他の部隊になどやれるものか。
ウォーレン少佐はヤンにぎらつく目を向けながら言った。
「……ラザフォード准尉は現在拘禁中だ。それは許可できん」
「ええ? 本当ですか?」
ヤンの驚いたという表情を無視して、ウォーレン少佐はさらに続けた。
「加えて、まもなく軍法会議にかけられる予定になっている。結果次第だがおそらくは除隊か、それ以上だろう。
従って、君の部隊への編入は不可能だ」
「軍法会議にかけられる理由は、一体なんですか?」
「貴様が知る必要はない」
「なるほど」
そこまではおとなしく聞いていたヤンの表情がそこで初めて動いた。
口元の微笑がはっきりと嘲笑とわかるそれにかわる。
目は細められ、そこから放たれる眼光はウォーレン少佐の背筋を冷たくした。
「な、なんだ。何か不満があるのか?」
「いえ。軍法会議にかける理由が私怨を晴らすためだと何故正直に言ってくださらないのかと、不思議に思いまして」
「な!」
「隠さなくても結構ですよ。あなたがラザフォード准尉に殴られ負傷したという話は、この基地の中でたっぷりと聞くことができました」
「き、貴様……言いがかりを……」
ウォーレン少佐は自分の顔が赤くなっていくのを感じた。
緘口令をしいたはずなのに、なぜ部外者のこの男が知っている。
いや、それよりも。何故自分がアオイに対する恨みを軍法会議で晴らそうとしていることを知っているのだ。
それは誰にも話していないはずなのに……。
「あなたの人となりを少し理解すれば、おのずと行き着く答えですよ」
そういうとヤンは手にした紙束をウォーレン少佐の前へと投げ出した。
そこにはウォーレン少佐本人に着いての調査が、本人が気が付かないところまでも詳細に書かれていた。
言葉を失うウォーレン少佐に対して、ヤンが冷ややかに告げる。
「あなたは典型的な小悪党だ。自分の栄達のためにはどんなことでもする。部下には自分への忠誠を強いる。
そんなあなたのことだ。出世の邪魔をした上、自分に怪我まで負わせた部下をただで許すわけがない。
……幸い、あなたは司令官だ。現場の指揮官権限を乱用して簡易的な軍法会議も開けるだろう。
そこなら、自分の思い通りに判決を選択できる。
あなたにとって一番気分が晴れるのは、自分に逆らった者が命乞いをするのを見ることでしょう?
……違いますか?」
「…………」
「ああ、ついでに言っておきましょうか、アオイ准尉の昇進が意外なまでに速いので、少し調べさせたいただきました。
あなた、かなり強引な方法を使ってますね。機体や待遇についても同様。これは軍の規律から大きく逸脱していると考えられますねぇ」
ウォーレン少佐は自分の目の前が真っ赤になっていくような錯覚に捕われた。
ここまで読まれている上にこのレポート。こいつは自分にとって都合の悪いことを知りすぎている。
それを明るみださせれば、自分は……破滅だ。
身の破滅。そこに思考の手が届いたとき、ウォーレン少佐の肉体の手はすばやく動いた。
ベッドの枕元においてある拳銃をすばやく引き抜くと、ヤンに向かって照準をあわせ、基地内直通の回線を開く。
「憲兵! すぐに来い! ジオンの工作兵だ、私の病室にいる。 急げ!」
ヤンに照準をあわせたまま、ウォーレン少佐は顔に笑みを浮かべた。その笑みは自分の勝利を確信して醜く歪んでいた。
「そこまで知っているなら、私がお前をどうするかもわかっているだろう? 何、部隊のことは気にする必要はない。
私の部隊に組み込んで、有意義に使ってやるとも!」
勝ち誇り、高笑いするウォーレン少佐を、しかし、ヤンは表情を崩さずに冷たく見下ろしていた。
「まだおわかりになっていないようですね。あなたがどうするかなど、当に理解していますとも」
そう言うヤンの背後の扉が開き、憲兵たちがなだれ込んでくる。
ウォーレン少佐はますます勝ち誇ると、ヤンに向かって嘲笑を浴びせた。
「そうだろうさ。だが、何の策も講じていないではないか。だから、私の勝ちだ!」
憲兵はあっという間にヤンを取り囲んだ。
しかし、その手に握られた拳銃の銃口が次々とヤンに突きつけられていくことはなかった。
「何?! 貴様ら、何を考えている!」
それどころか、その銃口はすべてまっすぐにウォーレン少佐に向けられていた。
ウォーレン少佐が半狂乱になって叫ぶ。
「貴様ら! そいつだ、そいつがジオンの工作員だぞ! は、はやく捕まえろ!!」
「残念ですが少佐。それはできません」
憲兵の隊長が抑揚のない声で答える。その声にウォーレン少佐はますます猛り狂った。
「何故だ! 貴様私を誰だと思っている! この基地の司令官は誰だ! お前らは私の命令に従っていればいいのだ!!」
「残念ですが少佐、あなたの指揮権限は剥奪されました」
「な?!」
「あなたには連邦軍に対する重大な背信行為の疑いがかけられています。その疑いが晴らされるまで、
あなたの身柄はジャブローに預かられます」
「な、なんだそれは、濡れ衣だ! 誰がそんなでまかせを……」
そこまで叫んだウォーレン少佐の目がヤンに向けられる。
ヤンはいつのまにか微笑を消し、表情を引き締め、正面からウォーレン少佐を見据えていた。
「き、貴様……!」
「よかったですね、ウォーレン少佐殿。念願かなってジャブローへ帰れますよ。……考えていた形とは違うでしょうがね」
「お、おのれ……貴様ぁ!!」
「あなたは欲をかきすぎたのですよ。ウォーレン少佐。そして、前線にはあなたのような指揮官は必要ないのです。
……これで、あなたの出番はお終いですよ。あきらめてお帰りなさい」
ヤンは冷ややかに最終宣告を下した。
ウォーレン少佐は力なく銃を落とすと、ヤンの顔を見つめた。
「あなたの出世欲を満たすためだけに犠牲になった、数多くの将兵達のことを考えて、ゆっくりと悔い改めるんですね。
……それじゃあ、後はお願いするよ」
「は! それと、アオイ・ラザフォード准尉の件ですが……」
「ああ、かねてからの連絡の通り、私の隊で預かりますよ。上官に逆らうような兵士は普通の隊では嫌われるだろうから。
そういった連中は、正規の隊より私たちのような独立部隊の方が上手く扱えるだろうしねぇ」
「はぁ。そういうものでしょうか? 小官には問題児ばかりで苦労が増えるような気がしますが……」
「なるほど。そういう見方もあるね。いや、こいつは一本取られたかな」
憲兵が自分を拘束していく間、ウォーレン少佐は呆然とヤンと憲兵隊長のやり取りを聞いていた。
最初からこいつはこうするつもりだったのだ。
自分を破滅に追い込む一方、アオイは問題児を受け入れるという形で周囲に何の疑問を抱かせもせず編入する。
なんて奴だ。
「……この……この、ペテン師め……」
ウォーレン少佐のうめきが病室の中に響いた。
……連邦軍ソロモン方面軍第06パトロール大隊、大隊司令官ウォーレン少佐は、連邦軍への重大な背信行為の容疑で、
連邦軍本拠地ジャブローへと護送される事となった。
それに伴い、ウォーレン少佐への暴力行為によって身柄を拘束されていたアオイ・ラザフォード准尉は、簡易軍法会議において、
第6パトロール大隊を除隊処分となる。
しかし、上層部からの命令により軍からの除隊はさけられ、その身柄は第211独立特攻部隊イエローウィザーズへと移されることになった。
第211独立特攻部隊イエローウィザーズは、その隊員の大部分が何らかの問題を有する者で構成されており、
彼らの事を知る者の大半は、イエローウィザーズが懲罰部隊として結成されたのではないかと見ている。
しかし、その事に関して、隊長のヤン・ユージン少佐はノーコメントを貫いており……。
ルナ2広報部発行情報誌より抜粋