第4回
「流転」
「……っと。着いたな」
ジェイク・スレイヤー少尉は酔いつぶれたアイス・アンセロット中尉を背負い、彼女の部屋の前に立っていた。
あらかじめ探し出しておいたカード・キーを使って扉を開ける。
扉は問題なく開き、ジェイクは暗い部屋の中へと足を踏み入れた。
「……なんとなく気が咎めるな」
ジェイクは部屋に入ると、そうひとりごちた。
なんとなく、土足で綺麗に整えられた庭園を踏み荒らしているような、そんな罪悪感を覚える。
暗がりに見え隠れするアイスの私室は、彼の部屋とは比べるべくもなく整っており、しかし所々にまだ若い少女らしい要素もあり、
アイスの性格をよく反映していると言えた。
「なんつーか、部屋の空気からして俺なんかとは全然違うもんだな……」
そんなことを呟きながら、足を進めるジェイクの足元で、何かがひっかっかる感触があった。
その感触はすぐになくなったが、逆にそのことがジェイクに感触の原因が何であるのか、直感的に感じ取らせた。
(トラップ!)
そう判断するが早いか、ジェイクの左拳がかすむ。
次の瞬間、鈍い音と共に頭上から落下してきた何かが部屋の床に落ち、金属質で耳障りな音を響かせた。
「……タライって……ちょっと古典的すぎるんじゃねーの……?」
左手を振りながら、ジェイクは床に転がったタライを一瞥し、それから背のアイスの様子をうかがった。
割と大きな音を出してしまったので、起きるかと思ったが……。
「うぅ〜ん……すー……すー……」
問題なし。アイスは僅かに身じろぎしただけで、またすぐに規則正しい吐息がもれる。
「ふぅ。ここで起きられちゃあ俺の命が危ないぜ……けど、ユーリの親父さん、ここにも仕掛けてんのかよ……」
部屋の暗さになれてきたジェイクの目に、廊下から入り込む僅かな明かりを反射する罠の群れが映る。
幸い、ベッドの周りにはないように見えるが、そこまで行くのは相当難しそうに見えた。
「これが俺の部屋ならぶっ壊しながら行くんだがな……」
ジェイクは少しの間考え込むと、何かに気が付いたような表情を浮かべた。
そして、アイスを起こさないように床に下ろすと、懐からゴソゴソと何かを取り出す。
取り出したのはジェイクが愛用しているヘッドホンだった。
注意を払いながらヘッドホンをアイスにかぶせると、ジェイクは懐からMD本体を取り出し、中のMDを入れ替えた。
そして、音量を絞って再生を開始する。ヘッドホンからは少しも音は漏れていない。
ジェイク・スレイヤー編集、世界の名バラード集。流石に、寝ている人間にいつものメタルを聞かせるわけにもいくまい。
「これならOKだろ」
ジェイクは満足そうにうなづくと、再びアイスを背負った。
そして、無造作に罠の群れの中へ足を踏み入れる。
ワイヤーがジェイクに蹴られて宙を舞う。振ってきた何かを拳で弾き返す。
跳ね返った何かは床に落ちて騒々しい音を響かせる。
足を取ろうとするトラバサミを機先を制して横へと蹴り飛ばす、重い音を立ててトラバサミが転がっていく。
横合いから正体不明の何かが迫る。が、命中する遥か手前で跳ね踊り、勢いを失って停止する。
停止したそれにはジェイクの右拳がピタリと突きつけられていた。
罠のいくつかはアイスの部屋を散らかしたのを、ジェイクは肌で感じていた。
しかし、ジェイクはにやりと笑うと陽気に言い放った。
「後で謝りゃOKだ!」
結局、罠と言う罠を破壊して道を作る。それがジェイクの選択だった。
そして、アイスの部屋から、再びすさまじい騒音が響き渡った……。
数分後、ジェイクは無事アイスをベッドへと横たわらせることに成功した。
罠の突破中、相当の音が発生したが、ジェイクの弄した策……と言うほどでもないが。が功を奏したのか、
アイスは眠ったままだ。
「ま、とりあえず寝かせとけばいいだろ……」
いいながらジェイクはアイスの寝顔を覗き込んだ。
安らかな寝顔。その表情を見て、ジェイクの顔に微笑が浮かぶ。
「ちッ。気持ちよさそうに寝やがって。戦場たぁえらい違いだぜ……」
そっと、ヘッドホンを外し、軽く髪をなでる。
今はこうして穏やかに眠っている。しかし、ジェイクは知っている。
アイスが戦場に赴き、敵機を落とすその度に、彼女が苦悩していることを。
戦場でのアイスは普段とはまるで別人のような冷酷さを見せる。
ルーシア・ウィル少尉も同じだが、彼女はそもそも意図的にそうしている節がある。
だが、アイスは無意識のうちにそうなってしまい、戦闘終了後にそのことを思い出して自分を恐れている。
兵士に向いていない性格と、優秀な兵士として機能する能力。
この二つを明確に区分できないことから、アイスは苦しんでいる。
「もう少し、割り切って考えりゃあ楽なんだぜ……?」
ジェイクは普段の彼からは考えられないような穏やかな表情を見せながら、アイスの寝顔を見つめつづけた。
ジェイクがアイスのことを意識し始めたのは初出撃の後、アイスが格納庫で一人涙を流している時からだった。
あの時のアイスは戦場の冷静な戦い方や、普段の説教の多い口うるさい女性士官ではなく、
とても小さく、今にも潰れて消えてしまいそうな年相応の少女にジェイクには見えた。
そのときからだ。ジェイクが率先して彼女の前を行き、敵を叩くようになったのは。
少しでも、アイスの負担を減らす。アイスの心を守るために。
とはいえ、逆のパターンになることもたびたびあった。
「今回は上手くいったけどな」
苦笑しながらジェイクは立ち上がった。
アイスを護る。そう考えるようになってからは以前よりも死ぬことが恐ろしくなくなった。
ルウムで死にかけて以来、ジェイクは死ぬことを恐れた。彼の戦闘スタイルは死ぬことへの恐怖の裏返しだった。
やられる前にやる。敵を破壊してしまえば自分が破壊されることはない。そしてなにより、死にたくない。
常にその思いが頭の片隅にあった。そして、それを噛み砕くために彼はコクピットで歌いつづけたのだ。
しかし、最近は死にたくない。と言う想いよりも、アイスが苦しむのを見たくない。と言う想いのほうが強い。
だから、ジェイクはこう思う。
「死ぬのは怖くない。けれど死ぬと悲しむ人がいる。だから死は嫌いだ」と。
「お前のおかげなんだぜ? アイス……」
ジェイクは穏やかに微笑むと、静かに寝息を立てるアイスの額に軽く口付けをした。
「俺は、お前を護り抜く。たとえこの体が原子の塵に変わっても。必ず、な。」
そう呟くと、ジェイクはアイスの部屋を後にした。
その目に、強い決意の光を宿して。
「……しかし、起きたらあいつ怒るだろうなぁ……」