第4回
「流転」
「むぅ〜。ジェイク少尉ってば、ひどいなぁもう・……」
アオイ・ラザフォード准尉はジェイク・スレイヤー少尉に引っ張られた頬をさすりながら、窓際へと逃げてきた。
先ほどまで自分がいた食堂の中央ではユーリ・フィアールカ少尉が作った『特製』ボルシチのせいで大騒ぎが起きている。
それに加えて、これもユーリが仕掛けた大型動物捕獲用のワイヤートラップがあちこちで発動し、騒ぎを煽っている。
「すごいところだなぁ……隊長の言ってたこと、ホントだったんだ……」
アオイは、この隊に入隊する際ヤンが言っていた、「個性的な人間が多い」という意味をしっかりと確認しながら、
窓際の席へとさらに移動を続行し。
そして、見た。
アイス・アンセロット中尉がカウンターでなにやらビンを受け取っているのを。いや、それだけだったら大して驚くようなことではない。
それよりもアオイが気になったのは、アイスのまとっている空気がいつもと違うことだった。
なんというか、威圧感、いや、殺気とでも言うべきものが揺らめいているように見える。
ありていに言えば、おっかない。
「……? 気のせい、かな? いつもと雰囲気が違うような……」
このときの自分の見立ては、まったくもって正鵠を射ていたことを、アオイは後に知ることになる……。
その頃、アオイに強烈なプレッシャーを与えていたアイスは、酒瓶を片手に仁王立ちをしていた。
「…………」
アイスの心の中に原因不明の怒りが吹き荒れている。
何故だかは分からないが、とにかく心の中で青い炎が燃えている。
そこで、自分がビンを手にしていることに気が付いた。中身はブランデーだ。
酒など今まで飲んだことはなかった。父親が晩餐で飲んでいるのを幼い頃に見ただけだ。
そもそも、自分はまだ未成年。アルコールを飲んではいけない。
いけない、のだが。
今はこれを一息に空けてしまいたい気分だった。
そう考えるのと、手が動くのはほぼ同時だった。
「…………」
無言のまま、ビンに直接口をつける。そして、一気にビンをあおる。
ビンの底が天井を向き、琥珀色の液体の量が見る見るうちに減少していく。
そのビンが空になるまで、それほど時間はかからなかった。
「……はァ……」
息をつく。体の中からカァっと熱くなっていくのが分かる。
先ほどまでのほのかな温かさではない。燃えるように熱くなる。頭が少しぼうっとする。
まだ、足りない。
「おばさま。お代わり」
「お代わりって……まぁいいけど。倒れんじゃないよ?」
次のビンが持ってこられる。悠然と受け取って、これもすぐにあおる。
琥珀色のブランデーが喉を流れていく感触が心地よい。
一口飲むごとに体が芯から熱くなっていく。
まだ、足りない。
「お代わり」
「アイスちゃん? 大丈夫なのかい? これ結構キツイ酒だよ……?」
「大丈夫です。全然平気ですよ?」
何故、そんなことを聞くのだろう、この人は。私は平気。酔ってない。
アイスはおかしくなった。我慢できずにクスクス笑い始める。
「だから……お代わり早くください」
「……ウ〜ン……」
「はやく」
アイス・アンセロット。18歳。未成年である。
ちなみに、飲んだブランデーのアルコール度数は40%を越えている。
彼女は完全に酔っ払っていた。
アイスの自我が確実にアルコールによる浸食を受けている頃、ヤンは背筋が冷えるのを感じた。
「ん……?」
背後のカウンターから、いやな気配が漂ってくる。
カウンターと言うことは、おそらくその奥の厨房内の物体が、また異常な化学変化を起こしたのだろう。
ヤンはそう思い、半ばあきらめつつ振り向き、目を見開いた。
「ちょっと、待ってよ……」
ヤンが見た光景。それはアイスが酒瓶を次々と飲み干していると言うものだった。
アイスの持っている酒瓶は、間違いなく自分が頼んでいたブランデー。それも地球から特別に取り寄せた品だ。
ただでさえ少ない給料を削って頼んだ品が、次々とアイスの中へ吸い込まれていく。
ヤンは呆然として、その光景を見ていた。足元には既に数本の酒瓶が転がっている。
だがしかし、背筋が冷えた理由は別にあることに、ヤンは気がついた。
目だ。アイスの目が危険な色をはらんでいる。
「……あれは悪酔いしてるなぁ……」
ヤンは連邦の標準寿命の半分も生きてはいないが、それでもアルコールによって人格が変わる人がいることは知っているし、
実際に変わった瞬間に立ち会ったこともある。
ヤンが出会ったのは、士官学校の同期の男だった。
その男は普段は大人しいのだが、酒を飲むと豹変した。口調はあまり変わらなかったが、行動がおかしくなった。
ニコニコと笑いながら骨がきしむほど手を握り締めたり、酔ってないといいながらいきなり屋外に脱走したり。
ヤンたちはそれに付き合わされて時たま罰を受けた。
そして、アイスの今の目は酔ったときのその男とまったく同じだった。
「……アイス君が彼と同じ悪癖があるとは思いたくないけど・……」
ヤンは不吉な考えを振り払おうとしたが、ヤンの第六感は警告を叫びつづける。
「……ああ、そういえば出かける用事があったな……」
結局ヤンは自分の直感に従うことにした。
誰に言うでもなく呟くと、ヤンは席を立ち、こっそりと食堂を後にした。
その背後で、アイスが放り投げた酒瓶が乾いた音を立てた。
一方その頃、食堂の中心では、ルーシア・ウィル少尉がユーリの持ってきたボルシチを前に、途方にくれていた。
「うぅん……信じられない匂いねこれ……」
ユーリ本人は「まだまだありますぞ!」と言い残し、嬉々として厨房へと戻っている。
それから少しして、前にもましてすさまじい匂いが新たに立ち上って来た。
食堂内の人数はあまり変化はない。
ユーリが厨房に消えた途端、幾人かの隊員が食堂から逃げ出そうとしたが、仕掛けられた罠に捕らえられている。
中には、まるでどこかで誤発動したような罠にかかった不幸な隊員もいる。
その惨状を確認していると、先ほどよりもよりいっそう名状しがたい匂いが漂ってきた。
「うわぁ……前よりもひどい……って、おばさん倒れてるじゃない!」
匂いのあまりのひどさにルーシアが厨房の方に視線を向けると、厨房の責任者であるカミラが、厨房から出たところで崩れ落ちていた。
あのカミラが匂いをかいだだけで倒れる料理……。想像するだけで、ルーシアの背筋に冷たいものが伝う。
「危険……隊長に止めてもらうのは……無理みたいね」
食堂を見回すが、ヤンの姿はどこにもない。先ほどまで真中で悠然とコーヒーを飲んでいたはずなのに。
「隊長は駄目。なら……。あ、そうだ! アイスさんなら!」
常日頃からヤンやジェイクを捕まえてはお説教をしているアイスなら、ユーリの暴走を止めることができるかもしれない。
ユーリも自分の娘位の少女に諭されれば、流石に考えるだろう。
そう考え、ルーシアはアイスの姿を探す。しかし、探すまでもなくアイスは見つかった。
しかし。
「あれ? アイスさん、どうかしました……? 顔が赤いですよ……?」
「えぇ? そんなことないよぉ〜〜? で、あちしがどうひたってぇ、るうひぁあ? ……ヒック!」
アイスの様子はあからさまにおかしかった。しかし、ユーリを止められそうなのは目下彼女だけだ。
一抹の不安を感じながらも、ルーシアはアイスに状況を説明した。
「と、言う訳でユーリさんを説得して止めて欲しいんですよ。このままだと人的被害も出かね……」
「ん〜? 要はあのヒゲ親父をだまらせればいいんれしょ〜〜? よぉ〜し、まぁかしとき〜〜!」
「あ! アイスさん、ちょっとどこ行くんですか!」
ルーシアの言葉を最後まで聞かずに、アイスは物凄い勢いで食堂を飛び出した。
一人食堂に取り残され、ルーシアは呆然とするより他に無かった。
「絶対、酔っ払ってたわよねぇアイスさん……」
ルーシアがぽそりと呟くとほぼ同時に、アイスが食堂へと帰って来た。
「ああ、お帰りなさい、どこに……って、何を持ってきてるんですか!」
「えへへ……気にしない気にしない〜」
ルーシアが愕然としたわけは、アイスが持ってきた物にあった。
対MS用ロケットランチャーを筆頭に、SMG、ショットガン、拳銃、手榴弾etcetc。
基地の武器庫にあったものをもてるだけ持ってきたという感じ。
アイスの全身は、いまや弾薬と銃器に覆われているといっても過言ではなかった。
「見てなぁるーひあぁ、いましずかにさせっからねぇ〜〜」
にこにこ笑いながら、アイスはロケットランチャーを構えた。
その照準は間違いなく厨房に向けられている。
ルーシアの背に、先ほどに倍する冷たい汗が伝った。
「ちょ、待っ……!」
「ふぁいやぁ〜〜!!」
止める暇も有らばこそ、アイスの放ったロケットランチャーは過たず、厨房を直撃した。
厨房の奥から鈍い炸裂音が聞こえ、続いて真っ赤な炎がカウンターからはみ出す。
それと同時に爆風が周囲のテーブルをなぎ倒す。
火と爆風の勢いは、それでもすぐに収まった。しかし厨房に動くものはいない。
あまりに現実離れした光景に、食堂は水を打ったように静まり返った。
「…………」
「どぉよぉ? しずかになったしょお? ……うふ、うふふふふ、きゃははははははははは!!」
「…………」
静まり返った食堂内に、アイスの陽気な笑い声が響き渡る。
ルーシアは、自分の選択は間違っていたのではないかと、後悔し始めていた。
その目の前で、アイスがブランデーのビンをラッパ飲みしてる。
「どしたのるーひあ。しずかになったよ? さぁのみなおそ〜♪」
「飲みなおすって、アイスさん、そのお酒……」
「ほらほら〜うたげはこえからがほんばんらぁい! のめのめ〜♪」
「あの、アイスさん……?」
「ん〜? なんらぁふぉうすぅ。あちきのさけがのめねぇってぇのかぁ?」
「あの、もしもし?」
もはやルーシアの言葉に、まともな返答はなかった。
アイスは、異臭騒ぎが収まったどさくさにまぎれて退出しようとしたフォウスとセオロに絡み始めている。
暴走だ。完全に酒に飲まれている。
「大変です。アイスさん、ご乱心です……どうしましょう……」
ルーシアはオタオタしながら食堂を見回し、そして悟った。
この食堂内でアイスを止めれる可能性がある人材は、自分だけであるということに。
ヤンはいないし、その他の主だったメンバーもいつのまにかいなくなっている。
いや、もしかしたらあのロケットランチャーに巻き込まれたのかも知れないが。
「えっと、えっと……」
ルーシアは必死になって止める方法を考えた。
もし万が一アイスの全身に装備された銃器ならびにその弾薬が誘爆でもしたら、アイス本人はもとより、
食堂内の人間すべてに深刻な被害が及ぶだろう。
それだけは避けねばならない。
「…………そうだ!」
その瞬間、ルーシアの脳裏に電光が閃いた。
つつつ、と足音を忍ばせてアイスの背後へと回り込む。
そして、罠に捕獲されていた哀れな隊員に酒を振舞うアイスの耳元でそっとささやいた。
「アイスさんアイスさん、その辺にしておきましょうよ。でないと、”あの”ジェイクさんに笑われますよ。
……って言うか呆れられますよ? ね♪」
なだめるように言いつつも、”あの”を強調し、最後に爽やかな笑みを付け加えるのを忘れない。
ジェイクの名を出したのは、こう言う騒ぎを最もよく引き起こしそうな人物だし、アイスがことあるごとに説教をする相手だからだ。
その人物に呆れられると聞けば、普段は冷静なアイスの事、きっと大人しくなる……と考えたのだが。
だがしかし、ジェイクの名はアイスの中で相当強烈な反応を引き起こしたようだ。
ルーシアの方を向いたアイスの目に剣呑な光が宿る。
「あぁん?」
閃光の速さで振り向いたアイスの両手には、いつの間に引き抜いたのか、SMGが握られていた。
その照準は正確にルーシアの額と心臓にポイントされており、既に安全装置ははずされている。
酔っているのがまるで嘘のように、その照準がぶれることはない。
「るぅうひぁあ。あんら、あちきにもんくでもあんらぁ?」
不機嫌そうにアイスがルーシアをねめつける。
何故、こんなにも過剰反応するのか、かなり納得がいかないが、このままだと下手をしたら自分は蜂の巣だ。
「あちきのまえであんにゃろうのなまえをだすなんてぇ、よっぽどいのちがおしくないんらねぇ?」
どうやら原因はジェイクの名を出したことにあったようだ。
ますます納得がいかない。
アイスの人差し指が引き金にかかる。
……撃たれる!
ルーシアは直感的にそう悟った。今のアイスは容赦なしだ。
(なんでそんなにおかしい反応をするのよぉ〜!)
理不尽さを呪う叫びを心の中で上げながら、ルーシアは目を見開き、アイスの人差し指に全神経を集中させた。
射撃は発射する瞬間の銃口の向きで攻撃の方向が決定される。
そして、弾丸の軌道はあくまで直線だ。発射された瞬間に動けば、命中するかもしれないが致命傷は避けられる。
ルーシアは場違いな覚悟を持ってアイスと対峙した。しかし、アイスの人差し指は一向に動こうとしない。
「………………?」
「ん……ふァああ〜〜…………」
ルーシアがいぶかしがっていると、アイスはあっさりとポイントを外し、右手で口元を隠してあくびをした。
目はとろんとして既に半分閉じかけている。
アイスは軽く目をこすると、近くにあった椅子にちょこんと腰をかけた。
「んにゅ。なんら眠くなってきら………じゃあ、ねるです。おやしゅみ〜………」
そしてそのまま、ぽてんとテーブルに突っ伏した。
数秒後、規則正しい寝息がもれ聞こえてくる。
「…………眠った…………?」
ルーシアの全身から力が抜けていく。
助かった。その確信を持つことができ、ルーシアは大きく息を吐いた
それと同時に先ほどの疑問が再び頭をもたげてくる。
「なんだってあんなに過剰反応したのかしら……?」
「……くぅ〜〜……」
ルーシアの呟きに返って来たのはアイスの安らかな吐息と。
「いてててて………………」
ガソゴソとテーブルの残骸を除けながら這いずり出てきた、ジェイクのうめき声だった。
「あ、ジェイクさん! 生きてたんですね?!」
「おお、なんとかな。戦場から生還してここで死んじまったら、それこそ笑い話だぜ……」
ジェイクは苦笑いを口元に浮かべながら、テーブルの残骸を蹴飛ばした。
床に寝転んだ格好のまま、ジェイクはアイスへと目をやった。
安らかに眠っているアイスを見て、その口から思わずと言葉がもれる。
「……しっかし、こいつものすげぇ酒乱だったんだなぁ……」
酒乱の一言でカタがつく問題だろうか? ルーシアは思わず首を捻った。
ジェイクが体を起こし、全身についたすすを払う。その足元にビンが一本、転がってきてぶつかった。
「ん? こいつは……」
拾い上げ、ビンに張られたラベルと、転がってきた方向を見たジェイクの顔が驚愕に彩られる。
「……ブランデー、それも6本が空……全部こいつが飲んだんか? …………化け物か?」
しばらく呆然と空き瓶とアイスの顔を見比べていたジェイクだったが、やがて頭を一振りすると、
アイスの体から手榴弾や弾帯を取り外し始めた。
「ジェイクさん? 一体何を……」
「あぁ。このまんまじゃあぶねーし。何よりもこんなトコじゃ風邪引くだろ?……っしょっと」
一通り弾薬類を取り外し終えるとジェイクは寝ているアイスを背に負った。
そして、そのままルーシアに向かってすまなそうな顔を向ける。
珍しいこともあるものだ。あのジェイクがこんな顔をするなんて。
ルーシアはふとそんなことを考えた。
「なあルーシア。俺こいつを部屋に寝せてくるからよ。ここの片付け、頼むわ」
片手で拝む真似をするジェイクの仕草と表情が妙におかしくて、ルーシアはつい笑ってしまった。
その反応に少し気を悪くしたのか、憮然とした表情に変わったジェイクを見ながら、ルーシアはこっくりとうなづいた。
「いいですよ。行ってらっしゃい♪ ちゃんと介抱してあげて下さいね♪」
「何でそんなに楽しそうなんだよ……」
「別に? 気のせいですよ♪」
「ちっ……じゃな」
アイスを背負ったジェイクの姿が食堂から消えるのを微笑みながら見送って、ルーシアは改めて食堂に向き直った。
そして。
「う……」
思わず声を失った。
動かない人影と酒瓶の山がルーシアの目の前に広がっている。
ここを一人で片付けろと? ルーシアは先ほどのジェイクのすまなそうな表情を思い出した。
あれは、このことに対する謝罪の意味がこめられていたのだろうか。
「……どこから手をつければいいのかな……」
貧乏くじを引いた。そういった思いがルーシアの中にこみ上げてくる。
がっくりと肩を落としながら、ルーシアはとりあえず倒れている人を起こすことから始める事にした……。