第1回
「地球侵攻作戦」
「0079 4月 中立コロニー『サイド7』宙域」
「いいかぁこのクソ野郎ども! 今回の演習はなぁ、てめーらヒヨッコのために特別行ってんだからな!
トロトロしてっと撃ち落すぞぉ!」
パイロットスーツの通信機からそう怒鳴る声が聞こえる。
自分たちを統率するグレゴリウス少尉とか言ったはずだ。
ルウム戦役を戦い抜き、MSを数十機落としたと言っているが、真偽は定かではない。
アイス・アンセロット中尉は記憶の底にあるグレゴリウスの顔を思い出す。
陰険そうな目をした、40絡みの中年男性が、粗暴そうな笑いを浮かべている。
(……嫌なもの、思い出しちゃった)
フルフルと頭を振って、グレゴリウスの顔と声を意識の外に追いやると、アイスは目の前に広がる宇宙に目を向けた。
さまざまな宝石をちりばめたような空間が目の前に広がっている。その深い紺色の瞳に、いくつもの星が映った。
(綺麗……。こんなところでも人って争えるんだ……)
無限の星が広がるその空間を見ていると、自分の意識が体を抜けていきそうな、そんな感覚を覚える。
グレゴリウスの耳障りな大声も次第に遠ざかっていく。どこまでも飛んでいけそうな、そんな不思議な感覚。
その感覚に身を任せていると、耳元で一際大きな怒鳴り声が爆発した。
「聞いてんのか! アイス・アンセロット!」
「きゃ!」
突然現実に引き戻され、アイスは思わず声を上げた。
それにもかまわず、グレゴリウスはがなり続ける。
「聞いてんのかって言ってんだ! 人の質問に答えろ!」
「え〜と、私の役割は他の人よりも先行して、他部隊を発見すること、その後合流してこれを撃破する、でしたか?」
「う……そ、そうだ。聞いてるなら返事くらいしやがれ」
顔さえ見ていなければニコニコとしているとしか思えない声で、アイスは淀みなく答えた。
その返事にを聞いたグレゴリウスの声に、若干悔しそうな音が混じったのにアイスは気がついたが、黙っていることにした。
(何か言えば、そこにまた噛み付いてくるだろうし)
実際、演習の班が決まったときから、グレゴリウスは何かとアイスに当たっていた。
今行っている最終演習の方針を決めるとき、グレゴリウスの提案したルートにアイスが異議を唱えたとき、
グレゴリウスは口から泡を飛ばさん勢いでこう言ったものだ。
「戦場に出たこともない女の餓鬼に、いったい何がわかるってんだ! これでいいんだ! ひっこんでろ!」
確かにアイスは今まで本格的な戦闘を体験したことはない。
しかし、それでも戦術は学んだ。機体についても必要なことは覚えた。
アイスの乗るセイバーフィッシュとグレゴリウスが乗るトリアーエズでは航続距離が違う事は確認してある。
このまま行くと、アイスが敵に遭遇するころには後続との差が開きすぎてしまう。
一機で敵陣に突っ込めと言われているようなものである。
(やっぱり、私が女だからかなぁ。でも間違ってないと思うんだけどなぁ……)
そう思いながらもアイスはスピードを上げた。
どうせなら有利なところを確保して待ち伏せしよう。それなら多少数に差があっても何とか持つ。
そう考えて、アイスは近くの暗礁宙域に身を隠した。
そして、待つこと数十分。
ようやく仮想敵である他部隊がやってきた。アイスのいる暗礁宙域のすぐそばを通りすぎた。
グレゴリウス達はまだ後ろにいる。このままでは逃げられる!
そう判断したとき、アイスの手は自動的に動いた。
一番遅れていたコロンブス級に向けて、背後から模擬弾を発射する。
本当にダメージを与えるのではなく、コンピュータに「攻撃を受けた」と認識させる程度の衝撃を与える弾だ。
後部主機関に直撃を受けたコロンブス級はコンピュータが自動的に行動を停止させる。
そのときには、すでにアイスは敵陣を潜り抜けつつ、トリアーエズを一機、沈黙させていた。
ようやくグレゴリウス達が到着したころには、ほとんど戦闘不能状態のセイバーフィッシュが脱出しようとしているところだった。
そして、そこで演習の終了が作戦本部から通達された……。
そして、それからまた数十分後、ルナ2のある部屋で、グレゴリウスの怒号が爆発した。
「ふざけるな! 手前、何で勝手に攻撃しやがった!」
「でも、あの時攻撃を仕掛けて足止めしてないと、確実に目標にたどり着かれていました。
私は、グレゴリウス中尉たちが間に合わないと判断したから攻撃をしたまでです」
もちろん、対象はアイスである。
グレゴリウスは自分の立てた作戦が、アイスによってぶち壊されたと信じきっていた。
だから、アイスがどんなに事情を説明しようとしても聞く耳を待たない。
「俺らが間に合わなかったから、だぁ? バカ抜かせ! お前がちゃんと目標地点にいたらきちんと間に合ってたんだよ!」
「でも……」
「でももへったくれもあるかぁ!」
目標地点は戦闘が開始されたところよりさらに離れている。間違っても間に合うわけはない。
そのことが頭に血が上っているグレゴリウスにはわからない。
ただ怒鳴り続けるだけである。
「大体なぁ、俺ぁ初めて見た時から気に入らなかったんだよ! 何だってこんな小娘が俺より階級が上なんだよ!」
とうとう作戦からも離れた私怨になっていく。
興奮しすぎて何を言っているか本人も自覚していないようだ。
「あぁ? おかしいだろうが! 経験も実績もねえただの小娘が、中尉様だぁ? 笑わせんじゃねえや!」
しかし、グレゴリウスの言葉に積極的に反論しようとするものはこの部屋にはいなかった。
誰もが確かにそう感じていたからだ。
10代で士官の上に「女性」だ。古い形の軍隊である連邦軍に置いては異様と言ってもいい。
それはアイスもわかっていた。しかし別になんら不思議ではない。ただ、昇進に値する仕事をしただけなのだ。
しかし、それを言うのはアイスは嫌だった。だから黙ってうつむいている。
だが、抵抗しないその様子がグレゴリウスの言葉をさらに過激にしていく。
グレゴリウスははたと何かに気がついたという表情をした後、下卑た笑いをその口元に貼り付けた。
「はっはぁん? わかったぞ。手前、さてはあれだな? 中将とか少将の辺りに体でも……」
グレゴリウスがその先を続けようとして、アイスがそれを否定しようと顔を上げたとき、突然部屋のドアが開いた。
「お取り込み中のところ、ちょ〜っと失礼するよ」
入り口から聞こえてきた声は、場の空気を一瞬で打ち砕くほど、のんびりとしていた。
一瞬、言葉に詰まるグレゴリウス。そんな彼をドアの外から口調とは程遠い目で見つめる男がいた。
「あまり、大声を出さないほうがいいねえ。廊下にまで丸聞こえだよ?」
男は背は高いががっしりと言う印象はなく、どこかひょろりとしていた。
癖の強い黒い髪の毛はあっちこっちにはねている。
その口には割と古めかしい形のパイプがくわえられていた。
「え〜と、アイス・アンセロット中尉は……そちらのお嬢さんだね」
男は無造作に部屋に入ると、アイスとグレゴリウスの間に立ち、
そして手にしたクリップボードをアイスのほうに差し出しながら微笑を浮かべた。
「私はヤン・ユージン。今度新しく創設される独立部隊の隊長を勤めさせてもらっているんだけど、
君にもぜひ手伝って欲しいんだ。どうかな?」
突然の申し出にアイスは声を失った。
それは端で聞いていたグレゴリウスも同じだった。
そのアイスの様子を、微笑を消さないままヤンは黙ってみている。
一瞬の沈黙が部屋に舞い降りた。
その沈黙を破って、先に口を開いたのはグレゴリウスだった。
「あんた正気か? そんなまだ年もいってねえ餓鬼、しかも女だぜ?」
「ああ。そうですね。でもそれが何か問題になるのですか? グレゴリウス・シュレック少尉殿?」
ヤンの言葉遣いは丁寧だったが、アイスが思わず息を飲むほどその声は冷たく、そして敵意に満ちていた。
そしてヤンはグレゴリウスのほうを見た。アイスからはその表情は見えなかったが、
グレゴリウスは顔に恐怖の色を浮かべて後退った。
「少なくとも彼女は君のように自分の戦果を誇張して吹聴する癖はないし、戦場での判断も君より確実に正確だ。
たとえ若輩者であろうと、女性であろうと、彼女が中尉の位はなるべくしてなったのであって、君ごときが口出しできるものではない。
それでもまだ彼女を辱めようとするならば、私は名誉毀損で君を軍法会議にかけてもいい」
穏やかに、しかし有無を言わさぬ力をこめ、ヤンはそう言い放つ。
その威圧感にすっかり気圧されたグレゴリウスは、逃げるように部屋を飛び出していった。それにつられるように他の男たちも出ていく。
やがて、部屋にはアイスとヤンだけが残った。
「え〜と。で、回答なんだけど……」
ヤンがちょっと困った表情でアイスの顔をうかがった。
アイスはごく自然に笑みを浮かべていた。
ここなら、私は私のままでいられる。女だからといって遠慮する必要はない。
少なくとも今までより居心地はよさそうだ。
「ぜひ、お手伝いさせて下さい。ヤン少佐。これからよろしくお願いします!」
アイス・アンセロット中尉に偵察部隊記章の授与と、第211独立特攻部隊、通称『イエローウィザーズ』への配属が通達されたのは、、
それから数日後のことだった。