幕間
「3年間の休暇」
ジオン公国の起こした独立戦争。通称『一年戦争』は、結局連邦軍優勢のまま幕を閉じた。
この苛烈な戦いに際し、連邦・ジオン両軍の中には、指揮官の裁量に部隊運営が任された『独立部隊』が数多く結成された。
ヤン・ユージン少佐の率いた『第211独立特攻部隊 イエローウィザーズ』もその一つである。
だが、その一年戦争が終わり、各独立部隊はそれぞれの道を歩み始めた。
ある部隊が正規軍に戻り、また別の部隊が解散という道を選ぶ中、イエローウィザーズもまた、解散、という選択肢を取った。
隊長である、ヤン・ユージンは解散にあたり、こう述べた。
「戦争は終わったんだ。私らのようなイレギュラーな存在は、平時には必要ないよね? と、言うわけで、皆ご苦労様」
随分と、簡潔である。
しかし、ヤン・ユージンと言う人はそういう人であった。
結局、イエローウィザーズは解散となり、隊員たちはそれぞれ正規軍の一員として再編成されることになった。
その、一部を除いて。
そして、それから数ヶ月の時がたち、再編成が終わった頃、ヤン・ユージンは。
――――だらだらしていた。
「はぁ〜〜。今日もい〜ぃ天気だねぇ……」
日当たりのいい窓際の席で、自ら豆を挽いて入れたコーヒーを飲んだ。
コーヒーの豊かな香りが、ヤンの嗅覚を楽しませる。
窓際で日の光を浴びながら、ぼーっとしているその姿は、まるで退役間近の後方勤務の士官、と言った風情である。
ちなみに、ヤンはまだ三十路をすぎたばかりであったりする。
「これからは毎日こんな生活ができるのか。うんうん、ようやく私が願っていたような形になってきたなぁ」
心底嬉しそうにヤンは言った。
ヤンは今、連邦軍の中でも閑職といえる部署に配属されている。
名目上は後方の補給基地の指令であるが、補給が必要になるような部隊は平時となった今ではほとんどなく、
時たま訓練のためにやってくる部隊の面倒を見るのが仕事だ。
――――ちなみに、前にそんな部隊がきたのは、一月以上前である。
要するに、ヤン・ユージン少佐は窓際族としてここに配属されたのである。
軍人としての出世コースからは著しく外れた、と言えよう。
だが、ヤンの顔に鬱屈した表情などはかけらもない。心底嬉しそうにしている。
「ま、私は元々出世したくて軍人になったわけじゃないしねぇ」
そう言って、再びコーヒーを口に含んだ。飲み下して、幸せそうに息をつく。
「ひがな一日ボーっとしてるだけでお給料がもらえるんだから、楽なもんだね……」
「おいおい。随分だらだらしてんじゃねーの」
そんなヤンを苦笑まじりに見やるのは、イエローウィザーズでヤンに付き従っていたジェイク・スレイヤー少尉である。
彼は、ヤンとは別時期にこの基地に配属されていた。
「やあ、おはようジェイク君。問題児のレッテルを貼られてしまうと誰しもこうなってしまうものだよ?」
「へ、自分でそうなるように仕向けておいてそんな台詞を言うんだから、いい面の皮だよ、アンタは」
「おやおや。それは心外な言い方だなぁ……ところで、君もコーヒー飲むかい?」
「ああ、もらうぜ」
ヤンは紙コップにジェイク用のコーヒーを注ぐと、手渡した。
ジェイクはコーヒーを受け取り、手近な椅子を引き寄せると背もたれを前にして腰を下ろす。
「ところでジェイク君、今暇かな?」
「この基地で忙しい奴なんていないだろうがよ」
「言われてみればそうだね。じゃあ、また一局付き合ってくれないかな?」
笑いながら言うと、ヤンは机の引出しからがさごそと折りたたみ式のボードを取り出した。
「またかよ。ショーギだったら俺よりもアイスやアオイの方が強いだろ?」
「いやね、あの二人には私勝てないんだよねぇ……」
「……そのうち、4人でリーグ戦でもやるか?」
「いや、2勝1引き分けが二人とそれ以外で終わるから、止めておこう」
言いながらも手際よく駒を並べていく。
ジェイクもヤンのデスクまで椅子を引いて座りなおした。
「それじゃ、お願いします」
「うい」
しばらく、パチリパチリと駒を進める音のみがヤンの部屋に響く。
二人ともコーヒーを啜りながら、無言で駒を進める。
ジェイクが口を開いたのは、一瞬の隙をつかれて自分の王将が窮地に追い込まれたときだった。
「ところで、そろそろ教えておいてくれてもいいんじゃねぇの? なんだってアンタはまた俺を配下につけた?」
「うん? その質問の意味がわからないな。待ったはなしだよ?」
ヤンは微笑を浮かべてはぐらかす。
だが、ジェイクは目に真剣な光を宿してなおも問う。
「別に誤魔化さなくてもいいぜ……もしかして、アイスが動いているのと何か関係があったりするのか?」
パチリと駒を進める。
ヤンの陣地は堅牢な防衛線が張られていて、容易に王将までたどり着けそうにない。
ヤンは無言でその一手を受け流す。
その一手を受けて、顔をしかめながらジェイクが駒を進める。口を開く。
「アイツが今この基地に色々な補給物資を集めてきてるのは知ってる。だけど、何のためにさせてるのか、聞かせてくれ」
ヤンは微笑を引っ込め、コーヒーを飲み干すと、新しい一杯を注いでテーブルに置いた。
そして、やや考えた後、また一手打つ。その後おもむろに口を開いた。
「……これは、私の感なんだ。だから、杞憂である可能性が高い。いや、そうであってほしい可能性なんだけど……」
「……また、何か一悶着あるって、そう言いたいのか?」
「……ありていに言えば、そうなるね」
「……」
今度は、ジェイクが黙り込む番だった。その間にヤンが一手打つ。
コーヒーをゆっくりと口に含み、ヤンは再び微笑を浮かべた。
「あらゆる可能性を考えて備えて置くのは悪いことじゃないだろう? 君は下手をすると懲罰部隊送りにもなりかねないからね〜」
「おいおいおい。言うに事欠いてそりゃねぇんじゃねぇの?」
「何を。事実だよ」
「そうかよ……おっと、千日手だな」
「おや。そうみたいだね。ふむ。この短期間に随分と腕を上げたね」
言って二人で苦笑する。
将棋盤の上では、お互いこれ以上手が進まない状況が形成されていた。
ジェイクはヤンの言葉に納得がいったのか、椅子から立ち上がった。
紙コップを握りつぶすと、ゴミ箱に向かって放り投げる。
「ま、アンタがそう言うんだ。準備しとくに越したことはないな。俺の機体もこっちに回ってきてるんだろ? 適当に訓練しとくわ」
「……ジェイク君。確かにギレンは死んだよ。けど、その信奉者たちはまだあちこちに潜んでいる。……火種は、なくなったわけじゃない」
「ああ。わかってるって。今ん所は、こっちも千日手なわけだ」
ジェイクはもうヤンの方を振り向くこともなく、部屋を出て行った。
一人、部屋に残ったヤンは、時間をかけてコーヒーを飲み干し、傍らのパイプに火をつけた。
大きく息を吸い、吐く。煙がゆっくりと天井へと上っていく。
その煙を見ながら、ヤンは呟いた。
「まあ、千日手であってほしいよ。本当に……」
将棋盤では、膠着した戦線を維持したままの駒たちが、何も言わずにヤンを見上げていた。