幕間
「3年間の休暇」
「……う〜ん? アンセロット大尉、どういう意味で言ったのかなぁ?」
アオイは給湯室で淹れたコーヒーを持って、ヤンの私室に向かっていた。
頭の中では、アイスが去り際に言った「隊長をよろしく」という言葉が、妙に気になっている。
「美味しいコーヒーを持っていってって意味……じゃないだろうし……う〜ん?」
首を傾げながらも足は止まらない。程なくして、アオイはヤンの部屋の前に立っていた。
とりあえず、こつこつと軽くノックをする。
返事は、ない。
いつもなら、ノンビリとした声で「あいてるよ〜」といった返答が返って来るのだが。
「あれ? ヤン隊長……お留守なのかな……?」
ドアノブに手をかけ、回してみる。すると、鍵はかかっておらず、すんなりとドアは開いた。
部屋は暗く、中の様子はつかめない。
「ヤン隊長……? いらっしゃいますか……?」
ドアの隙間から、小さな声で呼びかける。だが、やはり返事はない。
「……どうしよう」
アオイは少し困った。部屋は真っ暗でヤンがいるのかどうかはわからない。
しかし、ヤンは部屋を出る時はいつも鍵をかけてから出る。
抜けているようでも、その辺りはきちんとしていた。
だから、鍵が開いているということは、部屋の中にヤンがいる可能性が高い。
「……失礼、します……」
アオイは意を決してドアを静かに開け、ヤンの部屋の中に一歩足を踏み入れた。
ヤンがいつも吸っている煙草の匂いがする。そして、正面に小さなデスクスタンドの明かりが見えた。
そして、それに照らされている、ヤンの後姿も。
ヤンはどうやらデスクに向かっていたようだ。椅子の背には、上着が無造作にかけられている。
足元に転がる本を注意して避けながら、アオイはヤンの側に歩み寄る。
そして、ヤンのすぐ横に立ってみて初めて、返事がなかった理由がわかった。
「……ん〜……」
ヤンは書類と本の山を枕にして、眠っていた。
何かの処理をしていたのだろう。右手にはペンが握られたままだ。
気持ちよさそうに眠るヤンの顔は、どこか子供っぽかった。
アオイは、そんなヤンの寝顔を見て、くすりと笑う。
普段は妙に老けているかと思えば、こういう子供っぽい側面も見せる。
ヤンの別な一面を見たような思いがした。
「隊長。風邪を引きますよ……」
囁くように言うと、アオイはコーヒーカップを手の当たらない安全な位置に置き、
上着を背中にそっとかけてやった。
そうしてから、部屋を出ようと足音を忍ばせて歩き出す。その背後で。
「う……ん……おや?」
ヤンが目覚めた。アオイの心臓がドキリと跳ねる。
「……しまった、寝てしまっていたか……あれ?」
ヤンが振り向いたようだ。慌ててアオイも振り向く。
まだ、半分閉じたようなヤンの目が、アオイを捉えた。
「あれ? アオイ君じゃないか。どうしたんだい?」
「は、はい! あの、隊長がお疲れじゃないかと思って、こ、コーヒーをお持ちしたんですけど、
お休みのようでしたので、失礼しようと思ったところですっ!!」
そう言われたヤンが、自分にかけられた上着に目をやり、それからデスクの安全な所にあるコーヒーカップを見る。
「ああ。それはどうもありがとう……ありがたくいただくよ」
柔らかく微笑むと、コーヒーカップを手に取った。
一口含んで、満足そうに頷く。
「うん、美味しいねぇ」
「隊長、お疲れでしたら、寝室の方でお休みになられた方がよろしくはないですか?」
アオイの心配そうな言葉に、ヤンは苦笑で応じる。
「うーん。私もそうしたいところなんだけどね。微妙に急ぎの書類があるものだから」
「急ぎの書類……ですか?」
「うん。ちょっと、補給物資が足りなくてねぇ。少し知り合いから譲ってもらおうと思ってさ」
すまし顔でコーヒーをもう一口すすると、ヤンは悪戯っぽく微笑んだ。
「補給物資って……この基地には十分な備蓄があると思いますけど……」
「そうなんだけどね。この手の物は、いくらあっても足りないってことはないでしょ」
「それは、そうですが……」
アオイには、どこか納得がいかなかった。
これではまるで。
「戦争に向けて、準備をしているみたいだね。確かに」
ヤンが自分の考えていたことを、さらりと口にした。思わず絶句する。
カップの中の琥珀色の液体を見ながら、ヤンは静かに口を開いた。
「アオイ君。私はね、もう少し先に……そうだね。数年のうちに、必ず一度大規模な戦闘がある、そう考えているんだ……」
「……」
「……あちこちで、どうもきな臭い動きがある。地上、宇宙を問わず、ね。連邦への不平、不満とか、
そういったのが日に日に高まってるんだ。それに対して、連邦は高圧的、強硬的な行動しかとってない。
……これじゃあ、不平は高まるばっかりだ。古今東西、高まりきった不平不満は大抵が武力蜂起という形をとる」
ヤンの声はいつものようにノンビリとしたものではなく、緊張感をはらんだ物だった。
アオイも、その声に飲まれて立ち尽くす。
「特に、宇宙では裏で色々とMSや何かがどこかに消えているらしい。それも、ジオン系のがね」
「……まさか」
アオイの呟きを聞いて、ヤンがこくりと頷いた。
「ジオンの残党が、戦力を整えているんだろう。今は少ないけど、ちりも積もればってやつだね」
「隊長、そこまで掴んでおられるなら、何故上層部に訴えないんですか?」
その言葉に、ヤンは苦笑して首を振った。
「もうしたさ。けどね、彼らはこう言ったよ。『ジオンの残党がいくら増えようと、我々の有利は揺るがない』ってね。
まあ、一見すればそうだろうけどね。けど、こっちだって色んなところに結構被害を受けてる。
しかも、それらはまだ回復しきってない……」
ヤンの顔が珍しく歪んだ。カップを握る手にも力が入っているのがわかる。
「だけど、私にはこの程度しかできないんだ。いずれ来る戦争を予測しておきながら、未然に防ぐこともできず、
できることといえば、それが起こった時に慌てないですむように準備をするだけ……。まったく、面白く無い」
語られた言葉に満ちていたのは、連邦の高官達に対する不満でも、ジオンの残党達に対する怒りでもなかった。
そこにはただ、ヤンの自分自身への憤りが溢れていた。
「ヤン隊長……」
大きく息をつくと、ヤンはまた苦笑し、椅子から立ち上がった。
「……すまないね。つまらない話を聞かせてしまって」
「……」
「コーヒー、美味しかったよ。ありがとう」
ヤンは、空になったコーヒーカップをアオイに手渡すと、再びデスクに戻ろうとした。
その背中に、アオイが声をかける。
「……あの、ヤン隊長」
「ん?」
ヤンは肩越しに振り向いた。その顔は、もういつものヤンの顔だ。
その顔を見つめながら、アオイは心の中にたまった言葉を一気に吐き出した。
「ボクは、隊長のなされていることは正しいことだと思います。隊長は今ご自分ができることを精一杯やってます。
少なくとも、ただ見ているだけよりは何倍もいいことだと思います……ですから……」
そこで、もう一度ヤンの目を見る。
「ですから、あまりご自分を責めないで下さい……」
最後の声は、か細い物だった。しかし、ヤンには聞こえていたようだ。
一瞬、面食らったような顔をして、ついでアオイの方に向き直ると、微笑を浮かべた。
「……アオイ君は私を少し買いかぶりすぎだよ。別に戦闘が止められないからといって自分を責めるほど、
私は自惚れていないつもりだよ? ただ、面白くないことのための準備をするのがイヤなだけさ」
照れたように頬を掻く。
そして、微笑の質を悪戯めいたものに変えながら、ぼやいてみせる。
「折角、ノンビリできる部署に配置されたんだ。ゆっくりと本でも読みながら過ごしたいよ」
「隊長……」
「まあ、それは後のお楽しみにして、今はつらーい苦行を自らに強いている、と。それだけだよ」
冗談めかして言い、ヤンは不器用に片目をつぶってみせる。
それを見て、アオイは自分の頬が少し赤くなったような気がした。
そして、それと同時に自分が言った台詞を思い出し、今度は青くなる。
一隊員である自分が、隊長の行動の是非を述べるとは、思い上がりもいいところだ。
アオイは慌てて頭を下げた。
「ご、ごめんなさい! 隊長の行動について、ボクなんかが偉そうなことを……」
だが、それを見たヤンは一瞬ぽかんとした顔をすると、今度は声を忍ばせて笑い出した。
「……隊長?」
「アオイ君、君は面白いことを言うねぇ。君くらいのものだよ? うちの隊で、まだそんなことを気にしてるのは」
「……そんなこと……ですか?」
きょとんとするアオイを見ながら、ヤンはなおも笑い続ける。
「そうさ。他の人たちなんて、私の行動がマズかったら、『おっさん、アンタ何考えてんだよ』とか、
『ヤン隊長、それはもう一度考え直した方がいいと思います』とか、散々にこき下ろしてくれるよ?」
途中の台詞をそれぞれ発言しそうな人物を真似て言ってみせる。
ヤンは忍び笑いを収めると、優しげに微笑んでアオイの目を見た。
「だから、逆に嬉しいね、そうやって肯定してもらえると」
「そ、そんな。ボクは隊長を尊敬してますし……」
「ははは。そう言ってくれるのもアオイ君だけだよ」
そして、ヤンは微笑んだまま、言った。
「ありがとう。アオイ君」
アオイはその言葉に、また少し、自分の頬が赤くなるのを自覚した。
「さてと、それじゃあその尊敬を裏切らないためにも、もう少し苦行を積むとしましょうかねぇ。
……っと、その前に……」
ヤンは一つ伸びをすると、アオイの肩に手をかけ、回れ右をさせる。
「そろそろ、夕飯の時間だよ。ちょうどいいから、一緒に食べに行こうか?」
微笑むヤンの顔を見上げて、アオイは嬉しそうに頷いた。
「はい、隊長! お供します!」