フレンズ...34 「、高校受かったんだって?」 「……亮くん」 廊下を歩いていると声を掛けられて、振り向けばそれは亮くんだった。 「バネに聞いたよ。おめでとう」 「……ありがとう」 「なんか、あんまり嬉しそうじゃないね」 「そんなことないけど……」 それなら、私が違う高校を受けたことも知ってるはずだ。だからなんだか後ろめたくて、素直に喜べない自分がいるのは事実だった。他のみんなに祝ってもらった時だっていつもこんな風で。 それでも亮くんは高校について追及してくることはなかった。気を遣ってくれているのか、元々そういう人なのか。恐らく後者だけど、今は、それがありがたかった。 「そういえば、淳くんは元気にしてる?」 「ああ、うん。元気そうだよ、昨日も電話したし」 なんとなく落ち込んでいる気分を紛らわせたくて、私は亮くんにそんな話題を振った。ここのところ話せていなかったから、彼の弟の淳くんのことが気になっていた。 以前はよく手紙をくれたけれど、この頃は忙しいのか、そんなやりとりもなくて。 「淳くんは、高校どうするのかな」 「そのままルドルフの高等部にいくってさ」 「そっか……こっちには戻って来ないんだ」 「寂しい?」 「え……?」 亮くんの長い睫毛が、まばたきと一緒にふわりと動く。 「は昔から、淳の方がお気に入りだもんな」 「そんなこと……」 「あいつは優しいからなあ、俺と違って。子どもの頃も、いつも淳とばっかり遊んでさ」 「えっ……ちが、」 慌てる私に亮くんはにやりと笑って、からかわれているのだとわかっていてもなんだか顔が赤くなってしまう。 確かに淳くんは柔和で優しくて、ヒカルみたいに女の子遊びにも嫌がらず付き合ってくれたから、よく一緒に遊んだりしていた。 「淳がルドルフに行くって時も、大泣きしちゃって。泣き止ませるの大変だったなあ、あれは」 「もうやめて……」 「ごめんごめん。面白いなあ、は」 楽しそうにくすくす笑う亮くんの顔を眺めて、私もどこかほっとした気持ちになって少し笑った。 「まあ冗談はさておき、淳ものこと気に掛けてたよ」 「そうなの?」 「うん。元気でやってるかってさ」 淳くん、どうしてるかな。中学1年の時に突然、転校しちゃって、とても寂しかったのを覚えている。時々帰省はしているらしいけど、私はみんなを避けてたりしたし、なかなか会えなくて。 「今度にも顔見せるように言っとくよ」 「えっ、ほんと?」 「なんだ、随分嬉しそうだな。いつも同じ顔見てるのにさ」 「あ、べつに、そんなつもりじゃ……」 慌てて弁解すると、亮くんはもう一度笑って、じゃあねと手を振っていなくなった。程よい素っ気なさがなんだか心地良い。 私は一息吐くと、踵を返して、自分の教室へと戻った。 「おめで豆腐」 「わ、びっくりした」 放課後になって家に帰ると突然、塀の影からヒカルが現れて驚いた。その手のひらにはパック入りの豆腐(絹ごし)が乗っていて、一瞬聞こえた「豆腐」というワードは聞き間違いではなかったのだと確信した。 「なに、それ」 「の合格祝い」 「……あ、ありがとう」 「唐辛子と迷って、一応両方持って来たんだけど……」 「いいよ……豆腐で」 謎の気遣いを見せるヒカルは、相変わらず時々よくわからない。貰った豆腐はひんやりとしていて、ちゃんと冷蔵庫に入れて冷やしておいたのだな、などとどうでもいい推理をしてしまう。 「誰かに聞いたの?」 「うん」 「ごめん、後で言うつもりだったんだけど」 「べつにいいよ」 結局、みんなとは違う高校を受けたこと、誰も私を責めたりしなかった。みんな素直に「おめでとう」と祝ってくれる。それがなんだかほっとした様でいて、どこかつらかった。 「あ……お守り、ありがとう」 「ああ、うん」 「ヒカルのおかげだよ。神様にもお願いしてくれたし……」 「べつに、俺は何もしてない。が頑張ったからだ」 「……そうかな」 豆腐を持つのとは逆の手で制服のポケットに手を突っ込むと、そこから貰ったお守りを出して眺める。あれから、いつも肌身離さず持っていた。これを眺めていると、なんだか心が落ち着いて試験も上手くいった。 またポケットに戻すと、私はヒカルの顔を見上げる。 「せっかくだから、寄っていけば」 「え、いいよ」 「ジュースくらい出すからさ。ちょっと散らかってるけど」 「でも、のご家族にごあいさつがまだ……」 「なに言ってんの、全員顔見知りでしょ。それに今は誰もいないよ」 せっかく合格祝い(豆腐だけど)まで持って来てくれたのに、このまま帰すのじゃなんだか悪い気がする。 やけに遠慮がちなヒカルを家の中に上げて私の部屋に行っているように言うと、とりあえず豆腐を冷蔵庫にしまう。それからジュースのペットボトルを取り出して、コップに注いだ。 お盆を手に階段を上がって部屋へいくと、ヒカルはくるりと中を見回していた。 「どうしたの」 「いや、なんか懐かしくて」 「そっか」 「全然変わらないな……。この家の、間取り」 「間取りは変わらないでしょ」 小さい頃は、こんな風によく家に呼んで遊んでいた。泊まりに来た時には、夜中トイレに行くのが怖いと言って泣くヒカルと手繋いで一緒に行ったこともあったっけ……随分と可愛かったな。 (ほんと、懐かしい) 座る様に促して自分も近くに腰を下ろす。はい、と差し出したオレンジジュースが入ったコップの氷がころりと音を立てて、それから……、何とも言えない沈黙が流れた。 「……」 ヒカルの視線の先を見ると、そこには合格した高校の入学案内が広がったままになっていた。 何も言わなくても、彼がどう思っているのかは伝わってくる。でも、変に取り繕うこともできなくて、私はただジュースを口に含むだけ。高校に行っても仲良くして欲しいと言ったヒカルは、私が別の高校を受けると決めたことをきっとわかっていたのだろう。 「……、よかったな。おめでとう」 ヒカルがこちらを見てそう言う。寂しそうな笑顔を見れば、やっぱり胸が苦しかった。本当にこれでよかったのかなんて、そんなの、わからない。だけど、どれだけ考えても正解なんてどこにも見つからなかったから。 「うん、……ありがとう」 自分では笑顔を作ったつもりだったけれど、上手くできていたかは知らない。それきり何も言えなくなって、子どもの頃にはあり得なかった微妙な空気に包まれた。思わず俯くと、制服のスカートから糸が綻んでいるのが見えて、やけに気になる。 「卒業式……、もうすぐだな」 「……うん」 「晴れるといいな」 「……」 中学生活は、長い様で短かったし、短い様でいて、長かった。今この胸の中にもやもやとした霧みたいのが広がる気持ちは、”寂しい”という感情なのだろうか。それとも、唯一みんなと繋がっていられる場所のなくなることが、怖いのだろうか。 春になれば、毎日当たり前に見ていたみんなの姿はない。気軽に肩を叩いてくれる、温かい手はない。 (……そんなの、知ってるよ) 学校が違っても、友達でいることはできる。どこにいたって友達は友達だ。変わることはない。……そう思うのに。それなら、どうしてこんなにも不安になるのか。どうして、卒業式の日が永遠に来なければいいのにと願ってしまうのか。 「そういえば、バネさん達卒業式の日にタイムカプセル埋めるって言ってた」 「え、そうなの」 「俺と剣太郎も誘われてる。も一緒にやろう」 「……私はいいよ」 「なんで」 「べつに……、理由はないけど」 理由はあった。虎次郎ちゃんと顔を合わせるのが怖い。そしてそれ以上に、みんなと離れるのが耐えられなくなる自分が現れるのが、怖かった。 「ならいいだろ」 「……」 これがみんなと顔を合わせる最後かもしれないし……。そう思えば、いつの間にか小さく頷いていた。何年後か、何十年後か。それを掘り出す時には、私きっとはもうそこにいないだろうけど。それでもいい。 「何か一つ埋めたい物持って来るようにってさ」 「ヒカルは、何入れるか決めたの」 「まだ。いいシャレが思いつかないから」 「ふうん……」 ダジャレ関係あるかな、と思いつつ本人は何やら真剣に考えている様なのでそれ以上は突っ込まないでおいた。 退屈な卒業式の練習が、いつまでも続けばいいのに。カレンダーから、卒業式の日付がなくなればいいのに。 机に頬杖をつきながら、窓の外の夕焼けをぼんやりと眺めていた。 |