第十三番 浅草寺(浅草観音)
(東京都台東区浅草)


浅草寺は東京で最古の寺。飛鳥時代の推古天皇の628年3月18日、隅田川で漁をしていた檜前浜成・竹成兄弟の網に、観音像がかかった。郷司の土師中知はこの像を聖観世音菩薩と知って深く帰衣し、出家して自邸を寺をしたのが浅草寺の始まりという。大化元年(645年)には勝海上人が現在地に観音堂を建立。夢のお告げによって本尊を秘仏と定め、以来この戒めは今の守られている。徳川家康が江戸に入府した天正18年(1590年)には、浅草寺が徳川家の祈願所に。その後上野寛永寺に移ると庶民の信仰の対象として繁栄した。

浅草寺

浅草寺2


 第十四番 弘明寺
(神奈川県横浜市南区弘明寺町)


養老5年(721年)、インドの善無畏法師がこの地を訪れた際、瑞雲たなびく霊域を感得し、7つの盤石を埋めて鎮護国家道場として結界した。その17年後に巡錫中の行基がこの地で霊感を受け、十一面観音を刻み一宇を建てたのが始まりである。「鉈彫り」とよばれるノミの跡がはっきりと現われた観音像で、行基は一刀三礼(一刀刻むごとに三度礼拝する)のうちにこの像を彫ったという。本堂は寛徳元年(1044年)、光慧上人が建立し、当時の古材「チョーナ彫り」が床板として使われている。ここは、駅からも近い。

弘明寺


第十五番 長谷寺(ちょうこくじ)(白岩観音)
(群馬県群馬郡榛名町白岩)


聖武天皇の勅願により、徳道上人が伽藍を建て、役ノ行者が柳の霊木で本尊の十一面観音を刻んだのが創始という。その後源義家や頼朝、新田義貞などの武将によって堂宇の修理が行われたが、永禄6年(1563年)、武田信玄が箕輪城主・長野信濃守業政を攻めたとき、兵火にあって焼失し、その後山内大坊、世無道上人の手によって再建されたのが現存の御堂だといわれる

白岩観音

白岩観音2