発刊にあたって

 既に20年前、中込商店街百年の大計のもとに取り組んだ「区画整理事業に併せての街づくり」構想は幾多の曲折を経ながらも8年の歳月と32億の巨費を投じて昭和59年3月には完成を見ることができた。
 しかし、その過程は決して平坦なものではなかった.組合員の汗と涙、苦汁をなめながらの連続で"何処まで続くぬかるみぞ"という心境であった。
 「批判する人は多いが、実践する人は少ない」と言われるとおり、我々が心血を注いでつくり上げた街づくりであったとは言え、問題点は沢山あることも事実であり、批判されるところも多いと思う。
 しかし、これだけの「街づくり」を成し遂げた近代化事業は全国的にも余り類例を見ない。今さらながら協同のカの偉大さを実感している.
 街としての基盤はできたとはいえ、昨今の経済情勢や社会情勢は大きな転換期を迎え、商店街をを取りり巻く環境は一段と厳しさを増してきている。
特に、佐久平は高速交通網時代を目前にひかえ大きく変貌しようとしている。それだけにその対応策は急務であるといわざるを得ない。
 このような時に、近代化計画発想当時から実現に至るまでの経過と対応などを集約して本書にまとめ、発刊のはこびとなったことは、誠に意義深く、喜ばしい限りである。
 本書は中込商店街近代化事業の記録としての意義を持っていると同時に「成せば成る」ということを教えているよき指導書でもあると思う。
 行間から往時の方々の労苦を読み取り、今後の商店街活性化の糧にして項きたい。
 最後に、この近代化事業に係わった行政関係機関の皆様並びに組合役職員の方々、さらには本書執筆に当った高地専務に改めて敬意と感謝を申しあげる次第である。

                      中込商店街協同組合    
                      初代理事長 市 川 邦 男


まえがき

 中込の橋場で「商い」の道を歩む同志104名が、商店街近代化事業に取り組むため、中込商店街協同組合を発足させたのが昭和50年2月であった。
 区画整理事業に併せての街づくり、しかも「新しいところへ新い街をつくりなおす」という全国的にあまり類例のないような事業であっただけに長い年月もかかったし困難も多かった。
 暗中模索、試行錯誤を繰り返しながらも、あらゆる困難と障害に挑戦し、これ等をひとつひとつ解決しての街づくりであった。
 行政機関の指導や助言、あるいは協力があったとはいえ、まさに「月へ行くよりもむずかしい」と言われた言葉どおりで、当時の役職員の方々の労苦は並大抵のものではなかったと言える。
 そんな中での商店街近代化事業も、その内容については新聞やテレビ、雑誌などで断片的には数多くく紹介さてれている。しかし、全体をまとめての記録はひとつも残されていない。誰かが何等かの形で記録として残しておかなければ、先人の苦労は水の泡になってしまうし経過も分からなくなってしまう。そしていつか忘れられてしまう。"誰かが"という声は前々から組合内部からも、また関係行政機関からも強く望まれていた。
 そこで、遅ればせながら私が厚顔をかえりみず、その掌に当たることになった。もちろん浅学非才で、その任でないことは十分承知のうえで、ひとつの記録を残すという意味から筆を執った次第である。
 なお本書は、あくまでも「中込商店街協同組合」当時の概要をまとめたものであり、平成元年5月に「中込商店会協同組合」に改組されてからの経過については記述を省略してあるので了とされたい。

中込店街協同組合     
 前専務理事 高 地 佳 人


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