7.高度化資金と診断

 中込商店街の経営者が、商店街近代化事業を決意した裏には、高度化資金という融資制度があったことが大きな影響力を持っていたと言える。そしてこの融資制度を利用するためには中小企業等協同組合法に基づいた組合を設立しなければならなかったのである。
 この融資制度は県の「中小企業高度化資金貸付制度」の中のひとつで「商店街近代化事業資金」というものである。

○貸付対象者・・・・・・中小小売業者と中小サービス業者が中心になって20名以上で事業協同組合等を設立した場合、その組合と組合員。
○貸付対象施設・・・・・組合または組合員が街ぐるみで近代化事業を行なう場合の施設
○貸付条件・・・・・貸付対象物件取得費の65%以内で、金利は年利2.7%,貸付期間は15年以内(うち据置期間3年)、貸付限度額は無制限。

 中小企業者にとっては、年利2.7%で15年償還ということは大きな魅力であった。極端に言えば「こんな有利な制度は、利用しない手はない」という意識も強かった。 それだけにこの制度を利用できない人達(遊興娯楽業者・風俗営業業者、あるいは商店街近代化区域外の人)からは、うらやましがられたし反発もあった。

 もちろん当時でも中小企業者向けのいろいろな制度資金はあった。しかし、いずれも利率は低いものでも5%以上、貸付年限も5〜7年で担保物件がなければ借りられなかった。
 まして、市中銀行からの借入れとなると利率は7〜10%というもので、担保物件もきびしかったため誰でも借りられるというものではなかった。 昭和50年に組合を設立、51年度から近代化事業を始めたため、この高度化資金の借入れは51年度事業分から対象になり56年度まで続けられた。この間に借入れた高度化資金の総額は55店で13億2,282万円になる。(パラス協同組合が借入れた特定高度化資金(無利子)3億7,924万円を含む)109ページ参照
  借入れ後、高度化対象施設として認められなかったため、償還を命じられたもの、あるいは転廃業、個店の都合などで繰上償還した店は14店にも及んでいる。
 平成元年1月末現在の借入残高は52店で6億6,466万円(うちパラス1億3,820万円)となっている。 この高度化資金の借入れに当っては、その資金が大変有利であるだけに、手続きや査定はきびしいものであった。まず手続きは「前年度方式」といって、事業を実施する1年前に、実施計画に基き、県(中小企業総合指導所)の予備診断と国(中小企業事業団)の本診断(建設診断とも言う)など一連の事務処理が完了していなければならない。
 そのため、現年度方式による区画整理事業との対応については、事前に施行範囲や箇所について綿密な調整をせざるを得なかった。
 実施計画書は、組合全体としての街づくり計画から始まって、各個店の現況、今後の店舗展開、資金計画など、徴に入り細にわたってのすべてを収録したものである。また、この実施計画書はその年度に借入れる店舗を対象に、毎年度作成するもので100ページにも及ぶ膨大なものであった。さすが事務のベテランと言われた本間局長でさえ、この書類作成には残業の連続で休む暇もなかった程である。

 いよいよ診断であるが、これは組合だけでなく組合員にとっても、事務的に最も大きな難関事であった。予備診断及び本診断とも、地方事務所、中小企業団体中央会、市役所、商工会議所の担当者が立ち会いのもとにいずれも2日から3日間にわたって行なわれた。まず、県の予備診断を受け、修正すべきところは修正したうえで、改めて国の本診断を受けるという順序である。診断員は泊り込みで、休む暇もないほどの過密なスケジュールのもとに、組合と組合員とに分けて診断をした。
 県の場合は「何とか借りられるように」という立場からの事前診断であるため、多少指導約な面はあった。しかし、国の場合は「きびしい」の一語につきる厳格なものであった。組合の診断は「街づくり」の総合的な診断ということで、正副理事長と事務局がその掌に当ったのでまだ良かったが、組合員の場合は経営者個人の診断であるため大変であった。
 診断のほとんどが、過去3年間の決算書を元に、これからの経営計画について数字のうえから質問されたり説明しなければならない。自分で決算書を作成している組合員は余りいない。税理士まかせで数字の分析に弱い人が多い。それに対し、相手の診断員はその道のプロである。あらゆる角度から質問してくる。小手先のツジツマ合わせなどすぐに見破られてしまい、しまいにはシドロモドロで何が何だか分からなくなってしまった人も何人かいた。 金を借りる立場だから仕方がないとは言え、余りのきびしさに「診断恐怖症」に陥ってしまったのも事実である。見るに見かねて「もう少しお手柔らかに」と申し入れをしたほどである。

 後日、私は中小企業大学校(東京校)で、診断員を養成する課程の学生を対象に「街づくり」について2回ほど講演をしたことがある。その中で、この「診断恐怖症」の話をして、これから巣立つ診断員に“心して欲しい”とお願いしたことを思い出す。
 しかし、今にして思えば、あのようにキビシイ診断を受けたことが、経営者にとっては大変勉強になったと思っている。今まで自分の経営に対して、あれほど徹底した分析をしたこともなかっただろうし、将来に対する計画についても確たる見通しを持っていなかったと思う。
 それが診断ということによって、洗いざらい俎の上に乗せられ、あらゆる角度から分析して貰ったことは、反省のよいチャンスでもあり、今後の計画についてハッキリした方向づけを持つことにつながったように思う。

 いまさらながら、当時の診断員の皆様には感謝している。特に、鈴木慎吾先生、大久保豊行先生のお2人には、何度か中込商店街を診断して項き大変お世話なり、今でも親しくご交誼をいただいている。


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