8.共同駐車場

 駐車場と商店街とは不離一体のものであり、駐車場のない、あるいは少ない商店街は衰退するとまで言われている。中込商店街でも、近代化計画の中でこのことは当然大きた課題として取り上げられた。
 マスタープランでも述べてあるとおり、当初計画の中では、各ブロックの街区ごとに駐車場が計画されていた。しかしこれは、減歩などの関係で実現できなくなってしまった。(49ページ参照)
 その結果、組合経営による共同駐車場の設置が強く叫ばれるようになり、その目玉は55街区(旧国鉄官舎跡地・国鉄所有地)の市営駐車場化(収容台数 約120台)であった。もちろんこのほかにも各ブロックの周辺に駐車場を確保して、最終的には組合経営以外の分も含めて総数で800台、1日3回転を目標に2,400台収容という構想であった。
 組合経営駐車場の用地については、用地を買収することは当時の組合財政の状況からして到底できないので、借地権を設定して確保するということであった。
 しかし実際に折衝してみた結果、借地権を設定する場合は、時価の7割ぐらいの設定料を出さなければ借地できないことが分かった。これとても、組合財政では対応できない状態であったため、結局は普通の賃貸借によって借地することにした。
 その第1号が山岡俊夫氏(長野市在住)からの借地による駐車場で、昭和53年6月に開設された。(現在の第1駐車場)この駐車場周辺の区画整理事業は大分遅れて61年度であったため、その間は周辺の道路敷分まで駐車場用地として使うことができたので、当時の駐車台数は42台であった。(現在20台)

 またこの駐車場の管理体制は、入口にプレハブの管理操を設貸して管理人を置き、1時間100円という手作業による経営であった。
 第2号は、中込農場からの借地で、現在の橋場公会堂の周りの駐車場で57年12月に開設された。(現在の第2駐車場)
 この駐車場については、当初中込農協が経営するという話もあったが、農協経営では、県や市の駐車場設置の補助金が貰えないということから、組合が借地して経営することになった。なお、この駐車場の収容台数は機械化以前は51台であったが、うち10台分については農協分駐車場として確保されている。(農協の10台分については、借地面積から123m2が除かれ、工事費も農協が負担した)
 次に設置したのが、相生町通り北側の柳沢基一氏と小林多郎氏からの借地による第3駐車場であり、収容台数は93台で、60年2月に開設された。この駐車場は組合経営駐車場の中では最も広い駐車場であるが、近代化区域とは若干離れていることから、駐車場の中央部分30台分を無料駐車場とし、外柵に添った周りの部分63台分は個店の来街者用として月ぎめ駐車場とした。
 また昭和59年3月には、国鉄が中込駅貨物置場の跡地を国鉄経営(管理は中込駅)による駐車場に造成したため、早速lこのうち50台分を借受け、これを周辺個店の来街者用駐車場として活用させて貰った。
 しかしこの駐車場は、管理がJR清算事業団に移管され、同用地が競売により売却されることになったため 5年間で解約された。
 これら、第1・2・3及び中込駅駐車場の造成については、いずれも市の「商店街駐車場設置事業補助金交付要綱」に基く補助対象事業として総額で2,613万円の補助金(各駐車場とも5年間の年賦補助)を受けた。このほか、県費補助金も総額で419万円受けた。

 さて、駐車場の運営方法であるが、前述のとおり第1駐車場は設置当時管理人による有料駐車場であった。ところが、野沢のリッチランド、中込原の松坂屋、長崎屋、あるいは岩村田の西友など大型店と言われる店舗は、広い駐車場を確保してすべて無料であった。いつでも確実に無料で駐車できるということは、消費者の立場からすると大きな魅力である。
中込商店街としても組合経営の駐車場だけでも無料化して誘客に努めなければ、お窓さまから見放されてしまう。"何とか無料化しよう"ということになり58年12月から第1・2駐車場を無料化にした。
 しかし、そのまま無料開放した場合は、中込駅利用の通勤客あるいは周辺企業に勤める人達の駐車場になってしまうおそれがあったことから、次のような対策を取った。
@ 第1駐車場は、A、Bブロックが、第2駐車場はCブロックが責任を持って当番制で管理する。
A 駐車場ごとに管理日誌を作り、これに午前10時と午後 2時及び 5時に 駐車している車のナンバーを駐車マスごとに記入する。
B 駐車していた車のナンバーが違う場合は、回転している証拠で同じナンバーの場合は、朝から駐車していたことを示すもので、これに対しては注意を喚起するための警告書をフロントガラスに貼る。
 しかし、これらの方法は結局長続きしなかった。まず当番制が崩れてしまったこと、ステッカーが全く無視されたこと、駐車マスを途中で移動することによって、長時間駐車がゴマカされてしまうこと、などによるものであった。
 折角の無料開放も、お客さまのためではなく、通勤者あるいは従業員の人達のための駐車場になってしまった、という皮肉な結果に終った。
 そこで、次に考え出されたのが、朝6時に駐車場入口のクサリを閉めて午前10時に開ける、という方法であった。これは、駅利用の通勤者の閉め出しには効果はあったが、周辺企業の従業員には余り効き目はなかった。10時以降は無料開放になることが知れ渡ると、それまでは路上駐車をしていて、10時になったら駐車場に入れてしまうという始末である。
 まさにイタチごっこである。いくらモラルの低下、非常識だと論じてみても通用する時代ではない。結局はこちらが対応策を講じる以外は方法がないのである。

 理事会、施設委員会でも、いろいろ論議したが、最終的には機械化による管理以外方法がない、ということになった。論議の中で問題になったのは「無料化というシステムを機械によってどのように処理するのか」ということであった。しかしこれは入車時に受け取る整理券(磁器テープ)がすべてを処理する仕組みで、
@ 最初の1時間は無料。
A 2時間日からは1時間100円の有料にする。
B 各商店は、メタルコイン(1時間無料)をお客さまに差し上げることにより無料駐車できろようにする。
C 夜間(午後9時より翌朝8時まで)の料金は中込料飲組合の特珠事情を考慮して一律200円とする。
等々であった。
 機械化によるにしても問題は設置のための経費であった。1基1千万円以上もするという機械で、第1と第2駐車場を合わせれば、2千万円以上の金額になる。到底組合だけの負担で賄える金額ではない。機械化設備も補助対象にして貰えるよう市に陳情した。時たまたま、大店法の出店規制緩和問題に関連して、既存商店街の活性化対策が打ち出されていた時でもあり、県が補助制度を設けたため、市も比較的スムーズに補助対象にしてくれた。(補助率1/4)
 お陰で昭和62年3月に第1、第2駐車場を機械化し、うち1基は買取り、1基は5年間のリース契約にして現在に至っている。
 このように、駐車場の運営方法については、いろいろな経過をたどってきたが、これらを通じて言えることは、駐車場を確保して誘客を図ることは確かに商店街にとっては重要な間穎である。しかし、管理体制が整わなければ、結局は無駄な投資になってしまう、ということである。


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