☆☆★☆−張國榮のインタビュー 2 -☆★☆☆

レスリーのインタビューが載っている日本で出版された本や雑誌を紹介しています。
廃刊になっている物でも 図書館や古本屋さん検索などで見つかる事も多いです。
是非、その当時のレスリーの言葉に触れて下さい。

-------------- ここからが情報画面です、間違いが有りましたらお知らせ下さい ---------------

CUT 1996年11月号 ☆★緑妹's 呟き★☆

このインタビュー、『ブエノスアイレス』の撮影途中の合間を縫って行われており、クリス・レスリー・トニー三人の会話を切り取った形のインタビューになってます。

その内容が、かなり面白い。
王家衛監督の作品はいつもそうですが、ストリーがコロコロ変わります。ですから、この前半のインタビューの段階で二人が理解している物語は、きれいさっぱり映画として残っていません。
ふたりのタンゴについての話が大変興味深いです。
レスリー「それもタンゴの本質の一つだね・・・メランコリーと悲しみ、自分が必要としているもの、欲しいものを表現し、人と触れること、パートナーのソウルを見つけること。」

後半のクリスとの会話では、レスリーにとって「歌うこと」は食べたり、息をするのと同じなんだ・・・と。
最後に初監督作品への思いが語られ、クリスにも手を貸して欲しいと話しています。

No.55
(株)ロッキング・オン 1996年11月19日発行
780円
「LESLIE CHEUNG vs TONY LEUNG」
〜世紀の対面か、はたまた宿命の対決か。王家衛の最新作で、香港2大スターをロケ地ブエノスアイレス現地取材敢行!
P58〜P65

前号のCutでクリストファー・ドイルがコラムを執筆していて、そのドイルからこの二人にインタビューしたいと逆オファーが有って実現した企画だそうです。

前半部分は映画の撮影準備段階の10日程前に三人で2度ほどインタビューが行われ、後半はレスリーの誕生日パーティの時、クリスと二人でインタビューが行われています。


ASIAN WAVE 香港電影世界 ☆★緑妹's 呟き★☆

第ニ部については、歌手引退のいきさつから話が始まり、その頃の譚詠麟と不必要な競争をさせようとする環境に疲れたと語っています。

アルバム「紅」への思いや選曲やこだわりについて語っています。
「収録曲に「怪イ尓過分美麗」があってこの”イ尓”は男性のことを指しているんだ。誰か一人愛する人がいれば、男か女かなんて関係ない。それが今回のCDのコンセプトなんだ。〜」と。

その後、映画の話になり「夜半歌聲」についてボロクソなのが、アハハ・・・です。プロデューサーとしては、納得のいかない映画のようです。


暉峻創三(てるおか・そうぞう)著
(株)メタローグ
1997年7月1日発行
1800円
映画評論家・暉峻創三氏による王家衛と彼の映画に出演した俳優達のインタビュー集。
暉峻氏は、色々な映画関係の雑誌に執筆されてる方なので、色んな時に行われたインタビューをまとめた形で本になっています。

レスリー部分はP101〜P128

レスリーのインタビューは、東京国際映画祭に来日した93年9月26日に行われた第一部。(『FLIX』94年3月号に掲載)
「ブエノス」から一人で帰国しワールド・ツアーの準備をしていた96年11月19日に香港のスタジオで行われた第二部。(97年『uno!』『SPA!』『ツアー・パンフ』に掲載)

MUSIC MAGAZINE 1997年8月号 ☆★緑妹's 呟き★☆

まず最初の何故再び日本公演をしたのか、これに対する答えが。
レスリー「それは日本の観客が最高だったから。今回のツアーで最高の反応を得る事ができたし、僕自身、最高のステージを収められたから。〜それに、日本の観客って、とてもオープンだし、何の先入観もなく、自由に僕のステージを受け止めてくれた。〜」

この追加公演で、レスリーは東京で2日間LIVEを行いました。
最初の日は、疲れもあったし音響の不備もあって必ずしも自身が納得いくものではなかったようです。
が、二日目は、信じられないくらいな見事なLIVEでした。たった一日で、あんなに素晴らしいものに仕上げてしまうのですから、本当にレスリーはプロのミュージシャンだと感心しました。


株)ミュージック・マガジン 
1997年8月1日発行  
500円
1997年6月6日代官山にて、再来日公演の際の小倉エージ氏によるインタビュー。

長く香港POPSを紹介し続けて下さる小倉さんならではのインタビューで、1997年の日本公演に関するインタビューとしては、これが質・量とも最高です。

何故日本に再び帰ってきてくれたのか。
紅いハイヒールなど衣装や舞台構成の話。
選曲やLIVEの構成へのこだわり。
など、など、レスリーのコンサートに対する貴重なインタビューです。

POP ASIA No.13 ☆★緑妹's 呟き★☆

「リップ・サービスなんて全くなくて、日本のお客様が世界一素晴らしい。テレサ・テンの曲を皆が一緒に歌ってくれた時には、驚いて、そして感動した。大好きだよ、日本のファン」と語ってくれてます。

本当にこの日は、紅いハイヒールがブレることなく美しいダンスでした。
「月亮代表我的心」では、大合唱の中、美しい涙が流れました。

この時の写真は、『ファイ[fai] フールズメイト11月号増刊』も12PのLIVEレポートとして載ってます。


(株)ブルース・インターアクションズ
1997年8月31日発行
790円
上記の小倉エージ氏によるインタビューと同じ席に関谷さんがいらしたそうです。
レスリーの言葉が、もっとあの早口が想像できる様子で少し掲載されてます。

この号には、更に6月6日のLIVEのルポと素敵なステージでの写真・曲目リストなどが載ってます。


FLiX 1998年6月 ☆★緑妹's 呟き★☆

上海グランドが、有名なユンファのTVドラマであることから、役選びについて問われてます。
「僕の役は全然別の人格にした。僕なりにイメージを作り上げていたから、役作りの際にドラマを参考にしようとは思わなかった」と語っています。
アンディとのダンス・シーンについても話しています。勿論、問題の言葉はカットされてます。

この頃、ドイツ映画への出演の話があったようです。どんな映画だったのか・・・。


No.74
(株)徳間書店
1998年6月1日発行
1300円
『上海グランド』と『Gift』のプロモーションで来日中のインタビュー。

『上海グランド』についてのインタビューです。

P54〜P55。

POP ASIA No.18 ☆★緑妹's 呟き★☆

「愛にかかわるすべてのこと。それこそが、新作アルバムの最大のテーマであり、僕が表現したかったことなんだ。」と語っています。

10が自分にとってパーフェクト・ナンバーだと思っているので、10曲選曲したと語っています。


(株)ブルース・インターアクションズ
1998年6月30日発行
790円
『上海グランド』と『Gift』のプロモーションで来日中、98年4月3日東京での小倉エージ氏によるインタビュー。
1年7ヶ月もかかったアルバム『Gift』についてのインタビューです。

この号には、来日中の映画についての会見のレポートやプローモション中の写真などが載ってます。

Cut 1998年10月 ☆★緑妹's 呟き★☆

「ブエノス」以後、王家衛監督に対するレスリーの考え方が、ぐっと変化したのは何故かよく解かります。

率直すぎるレスリーの言葉の数々、こんなに大胆に答えてしまって・・・。
そんなレスリーが、益々愛しいのですが、もっとずるくなれたら楽だったろうに・・・。

97年の日本でのコンサート、レスリーは激痩せしてました。「ブエノス」撮影時アルゼンチンで病気になり本当に大変だったようです。

写真が、レスリーだけ撮りおろしじゃないので、残念です。


(株)ロッキング・オン
1998年10月19日発行
690円
香港の映画雑誌「電影双周刊」
No.491(1998年2月号) のインタビューの翻訳掲載です。
その雑誌に、Text 6月と書かれているので、インタビューは97年の6月に行われたものだと思います。

レスリー、トニー・レオン、チョウ・ユンファと豪華に3人のインタビューが載ってます。

レスリー部分:P62〜P67

同じ内容ですが、『HONG KONG rapid No.83』にインタビュ前後の記者の分を含めた完全翻訳文が載ってます。


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