砂漠


砂漠

アラビア、アフリカ、モンゴルなどに存在するきわめて特殊な風土である。ギリシア人がeremia、ローマ人がdesertaとして把握したものは単なる砂の海ではない。それは住むもののない、したがって何らの生気のない、荒々しい、極度に嫌なところである。人々はこの風土をその形においてではなく、その生気のなさにおいて捉えた。これらを生成する要素、すなわち「乾燥」を、この砂漠の本質的規定として把握するべきである。住むべきものなきこと、生気なきこと、荒々しい事、これらはすべて乾燥にもとづくのである。

乾燥の生活

乾燥の生活は「渇き」である。すなわち水を求める生活である。外なる自然は死の脅威をもって人に迫るのみであり、ただ待つものに水の恵みを与えるという事はない。人は自然の脅威と戦いつつ、砂漠の宝玉なる草地や泉を求めて歩かねばならない。そこで草地や泉は人間の団体の間の争いの種となる。

すなわち人は生きるためには他の人間の脅威とも戦わねばならぬ。ここにおいて砂漠的人間は砂漠的なる特殊な構造を持つ事になる。

(1)人と世界との統一なる関わりがここではあくまでも対抗的・戦闘的関係として存在する。人が自然においてみるところの自分は死である。したがって外なる自然の生産を「恵み」として待ち望む事はできない。草地と泉と井戸とを自然より戦い取る事によって人は家畜を繁殖させる。「産め、殖やせ」が死に対する生の戦いの叫びである。

(2)自然との戦いに於いて人は団結する。人間は個人としては砂漠に生きる事ができない。したがって砂漠的人間は特にその共同体に於いて現れる。草地や泉を自然から戦いとるのは共同体における人間である。しかしこの戦いに於いて人間はさらに他の人間と対立しなくてはならない。一つの井戸が他の部族の手に落ちる事は、自らの部族の生を危うくする。

自然への対抗

自然への対抗は自然に対して人間を際立たせる一切の文化的努力に現れる。自然に対して人間を、あるいは人工を、「対峙」せしめる態度である。したがって、ここの人間の家は方形、長方形などの、幾何学的に規則だった、完結する形を持ってその中に浮かぶ。それはまさに人間の作り出した形である。しかも自然の持つ形を人間的に活かせたのでもなければまた自然の形を克服して人間的に統一したのでもない。明らかに自然に対抗する他者を創作したのである。この特性はそのままアラビア美術として結晶した。あの華麗なアラビア風の装飾模様がいかに著しく人工的であるか、あるいはまたあの簡素と力強さとを輪郭にあらわしたモスクがいかに著しく夢幻的であり、離自然的であるか、それを正しく理解せしめるものは、砂漠的人間の自然への対抗である。

部族

自然への対抗がもっとも謙虚に現れているのはその生産の様式である。すなわち砂漠における遊牧である。人間は自然の恵みを待つのではなく、能動的に自然のうちに攻め入って自然からわずかの獲物をもぎ取るのである。かかる自然への対抗は直ちに他の人間世界への対抗と結びつく。自然との戦いの反面は人間との戦いである。

まず社会組織としての部族がそれである。部族は紀元前千年の古代から、現代アラビアのベドウィンにいたるまで、砂漠における共同社会の形式として存在しつづけた。形式から言えば部族の共同社会は同一の祖先から出た血族であるとのアイディアによって結合している。風習・道徳・法律などの固い掟の下に密接に結合し、共同の生活を営むのである。が、内容から言えばそれは防護団体である。

このような部族の生活はまさしく自然及び人間への対抗を反映したものである。人間は単にその個別態に於いてのみは生きる事ができない。部族の全体性は個別的なる生をはじめて可能にする。したがって全体への忠実、全体意志への服従は、砂漠的人間にとって不可欠である。

しかし、それとともに全体的行動は人間の個別態における運命を左右する。部族の敗北は個人の死である。したがって全体に属する各員は己が力と勇気とを極度に発揮しなくてはならない。感情の温柔さを顧慮する暇のない不断の意志の緊張が、すなわち戦闘的態度が、砂漠的人間にとって不可欠である。ここにおいて砂漠的人間は、服従的、戦闘的の二重の性格を得る。

砂漠における神

砂漠的人間の功績は人類に人格神を与えた事に於いて絶頂に達する。この神は「自然と対抗する人間」の全体性が自覚されたものであり、したがって自然の力の進化の痕跡をふくんではいない。自然は神の下にたたねばならない。生は人間の側にのみ存在する。したがって神は人格神たらねばならぬ。

この人格神がいかに砂漠的であるかを顕著に示したのは、モハメッドである。人は昔と同じく部族の団結を離れては自然の脅威に対抗し得なかった。部族の全体性への「服従」は依然として砂漠の生の可能根拠である。モハメッドはこの全体性の表現たる「人格神」を新しく活気づけた。部族への服従を神へのイスラム(服従)として説いた。アラブ全体が一つの部族として「服従(イスラム)の統一」に到達した。

砂漠的人間の構造

砂漠的人間の構造、それは「乾燥」である。乾燥とは人と世界との対抗的・戦闘的関係、従って人間の全体性への個人の絶対的服従の関係である。

彼らの民性を特性づけるとすると、
(1)思惟の乾燥性。砂漠の生活に於いては実際的な事物に関しての観察・判断が鋭い。しかし利害打算的であって、知的観照や、感情的陶酔を許さない。砂漠に於いては静観と受動とは滅亡を意味する。

(2)意力の強固。必要あるところには、いかなる成り行きをも恐れず、野獣的残酷さをもって、顧慮なく突進する。商人としての成功もこの素質に基づいている。

(3)道徳的傾向の強烈。全体性に対する貴族が人を犠牲的ならしめ、恥じを知らしめる。

(4)感情生活の空疎。心情の優しさ温かさを欠如している。したがって想像力の創造的な動きも少ない。文学は乾燥している。美術と哲学は生まれなかった。


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