モドル

■君の名を呼ぶ静かな声

 戦争は終わった。二つに分かれた始まりの紋章は、その主と共に歴史の表舞台から姿を消す。白狼の王国は獣の紋章と共に滅び、ハルモニアはその牙を失って、沈黙した。グラスランドとの小競り合いはあるものの、都市同盟はおおむね平穏を取り戻したのである。後の世にデュナン統一戦争と伝えられるこの戦ののち、しばしの平和が中原を訪れることになる。
 宿星たちの戦いは終わった。役目を終えた彼らはそれぞれの場所へと帰る。あるものは家族のところへ、またあるものはここに終の棲家を見いだし、あるものは流浪の旅へと旅立つ。すべては、あるべき場所へと還っていく。戦争は終わったのだ。


 彼女のいる場所は、本拠地からそう遠くはない。人々がそろそろ眠りにつこうかという時間。湖からの風が容赦なく髪をなぶる。その度に、闇に映える銀の髪が揺れていた。
 その傍らには、がっちりした体躯の傭兵が佇んでいた。ライオンのように野放図に伸びた髪の上に、おおよそ手入れの行き届いてない格好。だが、気の良さそうな丸い目が、彼の性格を物語る。シエラとビクトールである。
「なあ、本当にいっちまうのかよ?」
「勿論じゃ。」
 戦争が終われば、宿星たる者の役目は終わったのも同じ。ならば、本拠地にいる必要はない、というのがシエラの論理。本当は、誰にも言わずに本拠地を出るつもりだった。星辰剣さえ余計な告げ口をしなければ、シエラの出発は誰にも気づかれないはずだったのに。
 その星辰剣が、ビクトールの腰から口を挟む。
「何を焦っているのだ?月の紋章の継承者よ。」
「何も焦ってはおらぬ。」
 その、あまりに早すぎる返事がかえって怪しい。
「なあ、せめて別れを告げてから出て行けよ。」
 可哀想じゃねえか、とビクトール。このまま黙ってシエラがいなくなったら、あの優しい青年がどれだけ悲しい思いをするだろう。仕方がないですね、と口にしながら、気にしていない風を装いながら、きっと彼はひどく傷つく。厳格な父親に育てられ、自分を律することを幼い頃から叩き込まれてきたろう彼の、表に出てくることのない感情の波は、きっと今回も誰にも気付かれることはないだろうが。
 シエラの事情もビクトールはわかる。だけど、今回の戦いで係累を全て失った彼に、何も言わずに出て行こうとする彼女は、ビクトールにすれば残酷な女性だとしか思えない。
「せめてもうちょっとだけいてやるとか、できないのかよ。あんたがいなかったら…。」
――あいつはひとりぼっちになっちまう。あのときの俺みたいに。
 仲間を裏切り、父親を失い、祖国を滅ぼすのに力を貸した青年。ハイランドの民たちは、きっと彼を忘れてはいまい。帰る場所も、大切な人も、みんな失ってしまった青年のこれからは、恐らく厳しいものになるだろう。それを知っていても、シエラは行ってしまおうというのか?
 ビクトールはシエラを見つめる。口にしなかった言外の思いは、彼女にだってわかっているはずだ。
「おんしに、何がわかる。」
 湖の彼方へと視線を向けたまま、ビクトールの方を見ようともしないまま、シエラがぽつりと呟いた。
「な…に?」
「おんしに一体何がわかると?妾は夜と月の眷属、闇の一族じゃ。おんしらとは違う。今回は宿星の運命に従って世事に関わったが、本来ならば人と交わることも許されぬ。妾の紋章の呪われし力は、おんしも知っていようが?」
 月の紋章の継承者、その力を受けたものは夜の住人となる。シエラが望むなら、その血を与え眷属にすることも、傀儡にすることもできる。人としての生を捨てた代償に、彼らは余人の想像を越えた長い寿命を得るのだ。
「妾があやつの傍におったとしてどうなる?妾は人と同じ時は生きられぬ。ずっと一緒にいられないなら、今、妾が残っても仕方あるまい。ずるずると別れを引き延ばしては、お互いに辛いだけじゃ。」
「シエラ…。」
「見送りは感謝する。クマでもいないよりはマシじゃ。もう二度と会うこともなかろうが、達者でな。」
 ビクトールに口をはさむ隙を与えず、さっさと言うだけいってしまうと、シエラは月に向かって両手を広げた。月光下、シエラの小さな体が見る間に形を変えていく。ビクトールの目の前で、その姿は白い蝙蝠へと変わり、空へふうわりと飛び上がった。
「お、おい!シエラっ!!」
 別れの挨拶代わりに一声鳴くと、蝙蝠は飛ぶ。羽を伸ばして飛び行く先は、湖の遥かむこう。彼女とて故郷をなくして、行くあてのないはずなのに。顔をあわせ、別れを告げてくれさえしないで。それが結局、ビクトールがシエラを見た最後だった。
「おいっ!待てよ、おいっ!!」
 ビクトールの叫び声はむなしく湖にかき消された。闇の中の白い影が点となり、やがて見えなくなる。残されたのは湖波のさざめきばかり、冗談のように呆気ない別れのシーン。だが、少女はもう二度とここには戻るまい。少なくとも、ビクトールが生きている間は。

「・・・なあ、なんて伝えればいいと思う?」
「…。」
 彼の相棒は、こんなときに限ってただの剣になりたがる。いらんときには口を挟みたがるくせに…と毒づきながら。ビクトールはいつもいつもこんな役目ばかりを請け負ってしまう自分の性格と、助けが欲しいときには助けてくれない不実な相棒を心中恨みながら踵を返した。星空に黒々と輪郭を描く、我らが本拠地へとむかって。

2へススム

(2002/11/10)


※ 久々のクラシエネタ〜〜(笑)少々悲恋気味。ですが、元々クラシエってイベントでコメディ化してますが、設定は悲恋っぽいので、これでいいということにしておいてください。
モドル