■ 硝子絵 (2) 「ふーーー、流石に今夜は飲みすぎたなァ。」 マイクロトフのぼやき声が、本拠地の廊下に落ちる。長靴の音が耳につく気がして、マイクロトフはちらりと腕時計に目を走らせた。真夜中の三十分前、もうレオナの酒場も店じまいしている時間だ。 交易で一山当てた漁師コンビに飲み会に誘われ、断るのもなんだからと参加したのはよかったが、まさか酒場の常連がこぞる大宴会だったとは。勧められるままに杯を重ねているうちに、適当なところで席を立つつもりが、結局最後までいる羽目になってしまった。 ――だが、ああいう酒盛りもいいものだ。 酒場でカミューと差し向かいで飲むことが多かったマイクロトフにとって、大人数で酒を飲むのは実にマチルダ騎士団を出奔して以来だ。まして屋外での酒盛りなんて、生まれて初めてだった。かがり火を囲み、湖騒を聞きながら、隣に名も知らぬ人が座ってもちっとも気にならないような一時。こんなに楽しい時を過ごしたのは久しぶりだった。 カミューも参加すればよかったのに、と心地よい酔いに身を任せつつ、マイクロトフが呟いたそのときだ。 「…。」 こんな時間なのに、明りが漏れている部屋があるのに気が付いた。もう一度、時計を確認したマイクロトフの口がへの字に曲がる。もう真夜中過ぎているではないか。 ――…あそこは…シュウ殿の部屋か。 マッシュ・シルバーバーグの一番弟子として、その才知をデュナンにとどろかすシュウという男。マイクロトフの苦手とするタイプであったが、その才能は群を抜いている。寄せ集め…との言葉を免れ得ない同盟軍が、まがりなりにも都市同盟の支持を得、軍隊としての体裁を整え、ハイランドと対抗できているのはひとえに彼の才覚のおかげだ。彼の存在と若き盟主がこの同盟軍を支えている、といっても過言ではない。無論、その分、彼の負担は大きく、深夜近くまで仕事に追われていることが多いのを知っていた。が、早寝早起きが生活習慣であったマイクロトフが、その様子を今まで目にすることもなかったのだ。 ――シュウ殿は、こんな時間まで執務をなさっておられるのか。 飲み会に参加していた自分が、途端に申し訳なくなる。せめて、無粋な騒音で軍師の仕事を邪魔せぬように、と足を忍ばせた。一歩、一歩、部屋へと近づく。 「?」 声に気が付いたのは、扉まであと数歩の場所だった。会話というには、あまりにも断続的な…。これは、シュウ殿の声だろうか。 頭の隅で、何かが警告を発する。近づくな、と。戦場で敵を感じたときの感覚に似た…ここで危険なことなどあるはずもないというのに。 ――これは…泣き声?? 扉の僅かな隙間に手をさしこむと、待ち構えていたようにそれは開く。 室内の光景を目にしたとき、マイクロトフの全ての思考が焼きついた。 室内の中心に据えられた、大きな机。着衣を殆ど乱さず、机上で誰かを組み敷いているシュウの姿。そして、全裸に近い状態で男の体の下にいるのは。 シュウの指が青年の体を滑るたびに、掠れた喘ぎ声があがる。男の愛撫に肌を染め、震えながら受け入れているのがクラウスだと判ったとき、マイクロトフの体は勝手に動き出していた。 扉が開く気配に、シュウが振り返る。闖入者に驚く彼の表情も、進入を咎める言葉も、マイクロトフには一つとして入ってこなかった。 耳鳴りがする。目に見えるものが、全て曖昧な形のないものへと変化していくようだ。踏みしめているはずの大地でさえも、頼りなく思える。酔っているのか?と自問する余裕もなかった。 クラウスを助けなければ。 もうそれだけしか考えられない。無言のままシュウの体を押しのけると、さして抵抗もなく、彼はクラウスの上から離れた。服と一緒にクラウスを抱き上げる。 誰も何も言わない。マイクロトフを誰も止めようとはしない。だから、彼は間違っていない。 感情的な状況にも関わらず、儀式にも似た静寂の中でことが進むのが嘘のようだ。もしかして、これは夢なのだろうか。そう思えば、確かに腕に抱いているはずのクラウスの体の重さが感じられない。 クラウスを抱いたまま、シュウの部屋を出て行く。間違ったことはしていない、それは判っているのに。どうして、クラウスの顔を見ることができない? マイクロトフが抱きおろしたままの状態で、ベッドに腰掛けるクラウスは何も言わない。向かい合う形でクラウスを見下ろして、マイクロトフはどうしたらいいのか途方にくれていた。息苦しい沈黙で、クラウスの部屋が狭まっていく。 俯いたままの青年の、腿に残る赤い痕や麻縄で縛られた手首。いつか風呂でみた傷のわけ。虫さされか?と問うた自分の愚かさが口惜しい。 ”大丈夫”?”たいしたことない”?そんなことがあるわけがない。こんなことは許されない。これでは何も変わらない。 「……あんなこと…するべきじゃない…。」 その言葉に、初めてクラウスの顔が上がる。酷く冥い目の色が、マイクロトフを捕えた。 「あんなこと?」 「自分を…無闇に傷つけているだけではないですか?!あれでは…まるで…。」 シュウに組み伏されていたクラウスの姿や、クラウスを抱いていたシュウの顔。愛情によるものなら、マイクロトフとて何も言わない。だけど、あれはそうじゃなかった。打算や強制、マイクロトフが一番嫌うものだ。 「あれでは、クラウス殿は…!」 マイクロトフは次を続けられなくなった。不意に延びてきたクラウスの手が、柔らかく彼の口をふさぐ。 「よかった。」 何が?一体、何が?志を同じくするはずの人から、辱めを受けて。誰にもそれを訴えることをせずに。何もなかったように送る日々だったのでしょう?一体、何がよかったというんです? こんなときに微笑うクラウスが、マイクロトフには理解できない。泣いて、助けを求めてくれればよい。そうすれば、もう二度とこんな目に合わせない。騎士の誇りにかけて守ってみせる。だけど、クラウスは何も言わないのだ。マイクロトフを必要としてくれない。 「やはり…マイクロトフ殿は優しい人なのですね。」 「…っ!」 躊躇いがちに投げかけられたクラウスの両腕が、マイクロトフの肩に回される。 クラウスの唇がマイクロトフのそれに重なるのと。自分が泣いているのにマイクロトフが気がつくのとは、殆ど同時だった。 |
(2002/04/19)
※玉蕭様よりのキリ番リクエストで、マイクロトフとクラウス。カップリング指定のはず…なのですが、ちがうものになってしまいました。。キリ番の差し替え…なんて因業なことをやってるワリに、出来が悪くてすいません…。ありがとうございました。