旅の記録へ


旅の記録

………月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人なり………
人は生まれ、そして死んでいく


家族旅行(1967)

§ 家族旅行  〔昭和42年頃〕
  喬木村(自宅)−戸隠−直江津−糸魚川−木崎湖−帰宅 

家族四人の初めての旅行!
三菱バン、軽自動車へテント、布団、コンロ、薪、炭、飯盒など、要するにキャンプできる支度をして出かけたのだから大変だった。布団や毛布は車の上にのせていった。
飯田市の東にある喬木村を出発して、長野市から戸隠へ。善光寺裏から今は崩れてしまった地附山のくねくね道を登り、悠然とした飯綱山を右に仰ぎ、左には静かに横たわる大座法師池を見て戸隠へむかう。

戸隠村は平らなところはない。村の中心地にある下社、中社を通り過ぎて戸隠神社にいたる。長男真介が小学校四年生か五年生頃のことだ。奥社を過ぎて山麓の牧場らしきところへテント設営をして、一泊。 二日目は爽快な朝だった。飯盒で米を洗ったのだが、水がとても冷たかった。誰一人としてテントを張っているものとてなかった。食事をすませて柏原へでて、一路直江津へ向う。赤倉からは下り坂がずっと続いていたことが記憶に残っている。

直江津の海岸で海水浴をした。はじめての経験の一つとして、子どもも一緒に海にはいり浮いていた。流れるから危ないと家内は大声で呼んでいたが、池の中でも足がつかないだけのこと、どうということはない、と子どもに話をしてやがて岸辺へもどった。

糸魚川で昼食をとり、メノウ石の売店をみてから帰路に着く。

ガソリンスタンドで燃料を入れそこねて山道にさしかかった。途中でガスケツになって困ったが、100メートル位の上り坂を押しあげたところにスタンドがあって助かった。うえの子の真介にハンドルを握らせて、夫婦と弟俊成の三人で三菱バンを押したことが忘れられない。

青木湖で二泊目をすることとした。弟の俊成と湖水の沖へ出て泳いでいたとき、岸辺で水球をしていた子どもの一人が水球を追いかけてアップアップしはじめた。俊成はちょうど自動車のチュープの浮き輪につかまっていたので、「このままじっとしとれよ」と言い残して、泳ぎ寄って水中から助けあげた。俊成は言われた通り浮き輪につかまっていた。これも忘れられないことだった。

遠い昔のこととなった。戸隠のキャンプ、海水浴、ガスケツ、溺れ救助、いい思い出だ。


旅の記録へ