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旅の記録

………月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人なり………
人は生まれ、そして死んでいく


神代桜・他(2004)

§ 山梨訪問・神代桜、他

日  時  4月13日

メンバー  下平好上

行程概要  自宅、国道にて山梨県韮崎の武田橋経由武田八幡神社、
      わに塚の桜、神代桜、万休院舞鶴マツ、精進ヶ滝、
      清春白樺美術館、神田大糸桜、国道に出て帰宅
主な所見

イ 〔武田八幡神社〕

   

            本殿                         神楽殿

   

           公園の概要                      神社大杉

早朝というより夜中に目が覚めた。2時半だと思って支度をして時計を見ると、まだ1時半過ぎであった。まあゆっくり出かければいいと考えたが、結局2時スタートとなった。

国道153号線を走って岡谷から国道20号線に入り、韮崎の武田橋を渡ることにした。山梨までの国道は、暫くぶりの走行であった。信号機の点滅は夜中のため青が多かった。

武田八幡神社到着は朝の6時ころである。
【武田八幡神社】(「戻る」ボタンで戻すこと)は「南アルプスNET」で紹介しており、
【武田八幡神社・山本周五郎】(上と同様)は「山梨文学散歩」の「やまなし百所百歌」で紹介している。この山門の写真はよく撮れている。

まず写真の「神社の大杉」をクリックすると、石段をのぼった境内左に太い杉の大木がある。この見事な木の肌に左手をピッタリ押し当てて大杉の生命と一緒に息をした。命の同化ができればなどと勝手都合の気持ちでいたのである。

石段は一種独特の組み方であった。緩やかな勾配で落ちついて登っていけた。本殿に至る石段、その他、向きが少しずらしてあるのは、遠くから相対するのはシッケイだからずらしているのだろう。韓郷社の場合もそうなっているから、理由はそんなところから出ているのだろう。能舞台のような建物があったが、調べてみると、これは神楽殿とのこと、こんな神楽殿ははじめて見た。伏見稲荷の神楽殿と違って正規のものだろう。

ロ〔わに塚の桜〕



         わに塚の桜

今回のコースは、山高神代ザクラを調べているとき、 【ジョナサンの「桜を見に行こうモデルコース」】に出会って決めたものである。それまではただ神代桜と神田の大糸桜を見に行くつもりだったのである。BR>
そんなわけでしたから、「わに塚の桜」を地図で調べていたがまったくわからず、桜のある場所が韮崎市神山町北宮となっていたから、武田八幡神社付近だということだけ判った。BR> 神社の左に入ったところには駐車場があった。まだ6時だから誰かに聞きたくても早すぎて困ったと思っていたが、すぐ下に農家があり、おばさんが仕事の準備をしていた。これ幸いと思って降りていって「わに塚の桜」を聞くと判りやすく教えてくれた。BR>
やっと安堵して神社のまえで車をとめ、武田八幡神社の参拝に出かけたのである。BR>
参拝後言われたとおり車をすすめると、写真の桜はすぐ見つかった。すでに二組のカメラを手にした人たちが写す場所をしきりに選んでいた。やや離れたところにいた人に近づいて挨拶をし、ここで八ヶ岳をバックにして撮影した。遠くはかすんでいた。BR>
撮影を終わって神代ザクラへ向かう途中八ヶ岳がきれいに見える場所があったので、車を止めてシャッターを切った。

ハ 〔八ヶ岳遠望〕



戸沢川にかかっている橋からの八ヶ岳遠望である。左に見える白い山は赤岳だろうという。雪に覆われた八ヶ岳連峰を山梨県側から撮影したいと長いこと願っていた。
もっと左のほうへいって手前の山が入らない場所をさがしておいて、冠雪した連峰をカメラにおさめたい。

次は神代ザクラだが、今朝20号線を走っていてトラックの交通事故処理中の現場をみてから、近くのセブンイレブンで地図の按配を教えてもらった。ちょうど近くの歩道橋を左折すると「神代ザクラ」のある実相寺へゆけること、車で走っていて気のつくことなど判りやすい説明を聞かせてくれた。年をとると人の親切が身にしみる。
そんなわけで、神代ザクラのある実相寺へはスムーズに行くことができた。

二 〔山高の神代ザクラ〕



           境内から                      境外から…これが正面

【山高神代ザクラ(山梨県武川村)】には次のような紹介が載っている。


武川村山高の実相寺境内にある、幹の太さでは日本最大のサクラといわれるエドヒガンの巨木で、大正11年に国の天然記念物に指定された時は、樹冠が東西27m、南北30.6mもありました。現在でも根元幹周で12m以上あり往時の姿がうかがえます。約1800年前に日本武尊が東夷征定の帰途、この地に留まり記念にお手植えされたといわれ、また、日蓮上人がこの地を訪れたおりに、衰弱していたこの桜を見て樹勢の回復を祈ったところ、不思議にもしだいに繁茂したという伝説があります。平成15年度から4年間にわたる樹勢回復工事に取り組んでおり、樹勢回復が待たれます。


なるほど、これは素晴らしい桜である。「 Seeing is blieving. = 百聞は一見に如かず」の諺をつくづく感ずる。桜を訪ねる旅もパソコンがあってこそである。

桜の三大名木といわれる【根尾谷の淡墨桜】と【山高神代ザクラ】を見たが、もう一つは 【福島県の三春の滝桜】がある。これも計画にあげたい。

サクラを調べているといろいろなホームページに出会う。次の 風景写真館「旅列島」も役立つサイトである。



           鳳凰三山                       甲斐駒ケ岳の雄姿

実相寺駐車場から南アルプスを眺めると、写真の二つの山が目前に聳えている。
鳳凰三山というのは右から、地蔵岳2764m・観音岳2840m・薬師岳2780m の三山だと近所の人からお聞きした。いい山なみである。

三山の右には、異容な、左側が切り立って急峻な甲斐駒ケ岳が見える。妙義山とは少し違うにしても、男性的とでも形容したくなる山だ。近くから見るのはもちろん初めてである。

ホ 〔満休院の舞鶴松〕



神代ザクラを観てから、長松山満休院の松を見に行った。場所はすぐわかった。誰一人とてなく、静かに松が写真のように休んでいた。路の片側には椿が植えられており、庭園はひろく手入れはいきとどいていた。

庭園から院への入り口にはパンフレットが用意されていた。それには次のような解説文がある。すこし長いがインプットしておく。

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《満休院と舞鶴の松説明》
当院は、長松山満休院といい、山梨県北巨摩郡武川村三吹に位置する。当院の建立されている丘陵を中山といい景勝の地である。当院の開創は元亀二年(1571)開基は馬場美濃守信房公である。公は、信春ともいい天正三年(1575)長篠戦で陣歿、同年法名を贈って満松院殿因岳?円大居士と称される。

当院の本尊は、聖観世音菩薩で寺記によると寛永十五年(1638)、及び明和三年(1766)と再度にわたって一山ことごとく消失したとあるが、本尊聖観世音菩薩は幸い火災を免れ、建物の形態は変化しても仏陀のご加護、信房公のご威光にて法灯絶ゆることなく今日に至っている。甲斐八十八霊場四十五番武川筋三十三観音霊場十二番。

昭和十八年にセイロン国で貿易を営んでいた故小野氏より仏舎利が奉納されている。

昭和四十年(1965)当院十九世の住職がスリランカ国(当時セイロン国)に渡り、国際仏教センターに入所、仏法を研鑽した。帰国に際し同国の仏教大寺院アヌラード・ミヒンタリより仏舎利数体を贈られ、昭和四十一年九月厳かな奉納式を奉行し安置している。

当院の「舞鶴の松」は、赤松として日本一といわれる名木である。昭和九年(1934)一月二十二日、文部大臣指定の天然記念物である。(文部省第十六号 文化庁発行の「天然記念物事典」)

指定された当時の樹勢は、高さ8メートル60センチ、根元の周囲4メートル50センチ、目通り幹囲3メートル80センチ、主幹は地上2メートル40センチの高さで折れ、折れ口の真下から西方へ一本の大きな横枝が伸びているもので、樹形はきわめて美しく、まるで鶴が舞う姿に似ていることから「舞鶴の松」と命名されたものである。

元治元年(1864)に地元の俳人小野松渓氏が建てた句碑がある。「見る人に見せばや松の深みどり」その当時の松の緑が今日も衰えることなく美しい姿で見る人の心を慰めてくれている。

平成二年六月二日 読売新聞社と国際花と緑の博覧会の主催による博覧会において、新日本名木百選に認定された。
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ジョナサンのモデルコースから「満休院の舞鶴松」をみると、次の記事が載っている。

萬休院の境内南側にあるアカマツで、総枝まわり74m、根本の周囲4mの巨木で樹齢は約450年といわれています。鶴が舞う姿に似ているところから舞鶴松と名付けられ、国の天然記念物に指定されています。見事な枝ぶりと深い緑の葉は、いにしえの歴史を感じさせます。桜見物終了後に是非立寄りたいスポットです。金沢の兼六園の松以上の貫禄があります。萬休院がいかにこの舞鶴松を大切にしているかわかります。<萬休院の舞鶴松は新日本名木百選に指定されています。>

帰りには車三台きていた。

ヘ 〔大武川沿から甲斐駒ケ岳〕

 

大武川沿いは写真のように谷あいまで広がりを見せていた。甲斐駒ケ岳があまりにも立派に見えたので、春先の風景画としてカメラに収めた。朝な夕なにこんな景色を眺めることのできる人たちは自然の恩恵とはいえ幸せなことと思う。

案内板を見ていたら山梨では有名な滝が近くにあることがわかったので、時間の都合はつくので行ってみることにした。

ト 〔精進ヶ滝遠望〕…画像拡大

 

この 【精進ヶ滝】というサイトを開くと、詳しい説明が載っている。
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 精進ヶ滝は、鳳凰山地蔵ケ岳の北面に発し、釜無川の支流である大武川に注ぐ石空(いしうとろ)川にあります.日本の滝百選にも選ばれ、駐車場、散策道も整備されていますが、比較的静かなまま残っているのはうれしいことです.滝の落差121メートルは、山梨県でもトップクラスの高さを誇ります.この精進ヶ滝の展望台までつけられている歩道には、魚止の滝、初見の滝、見返の滝の3つの滝があってこれらをまじかで見ながらの容易な渓谷散策を楽しむことができます.

 この滝を前にしたとき、精進ケ滝の元にいくことはできないことがわかった.滝見台からも見えている九段の滝と呼ばれている急流は近ずくとちょっと登る気にはなれないような巨大なものであった。滝の前には、花崗岩の作り出した真砂の純白の河原が広がっていた.足跡のみつからない白い沢底に一歩踏みいれ、水しぶきを降らす主を見上ると、今日は本命にたどりつけなくてもかまわないという気持ちに私はなれた.

 正午を越えた夏の日の光が容赦なく降り注ぐ砂の上から、涼しげに水の滑り落ちる岩肌を見上げると、汗ばむ暑さが一瞬消えてしまったような爽快さを感じた.なんとすばらしい滝だろうか.そしてこの感動は今私ひとりのものである.
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時間にして10数分かかるだろうか、つり橋のある場所が駐車場になっている。そこから老人の足で45分くらい歩くと、東日本でも有数な精進ヶ滝に達するらしい。一組の老夫妻が小さいガスボンベを使って食事の準備をしていた。鎌倉から来たという。各地のサクラを見たり、滝を見たりしていると言う。

俗世を離れて、自然に包まれ一歩一歩辺りを見ながら歩くことは、現代に暮らすものとしては大切な一瞬に違いない。私はまたの機会を楽しみにしてこの場を離れた。

チ 〔真原の桜並木〕…画像拡大

 

滝へ行く途中、見事な桜並木があったので、帰りにそちらへ回った。

富士見高原・ペンション・ラクーンの【真原(さねはら)の桜並木】
武川村の【真原(さねはら)の桜並木】が参考になる。

リ 〔清春美術館の桜〕…画像拡大

 

インターネットの「清春美術館の桜」には次様な説明が載っている。

南アルプス甲斐駒ヶ岳が正面にそびえる旧清春小学校の広い敷地に、セザンヌ、ゴッホなどの作品や白樺派の資料を展示する『清春白樺美術館』、宗教画家ルオーを記念して建てられた『ルオー礼拝堂』、油彩画の巨匠.梅原龍三郎さんのアトリエなどがある。
十八角形の建物は、シンボル的存在『ラ.リューシュ』です。
パリ万国博の『ブドウ酒館』を改造したモンパルナスのアトリエ『ラ.リューシュ』は、シャガールなど若い芸術家を養成したことで有名。
周囲は樹齢70年にもなるソメイヨシノの大群落。南アルプスを背景に美しい花を咲かせます。清春美術館周辺はのどかなローカルムード満天です。

桜を訪ねる人はそうとういた。時刻は九時二十分だが、美術館は十時開館というので見なかった。

ヌ 〔神田の大糸桜〕…画像拡大



さすが見事な桜である。まわりは田んぼで農家の人々はこの季節がくると、土手が踏まれ田んぼには入られ迷惑なことと思う。ジョナサンのモデルコース解説にあるように、夜桜花見ともなれば、宮沢賢治の銀河鉄道そのものの雰囲気を味わえることと思われる。シダレザクラはどこの桜を見ても形が整っている。

ここで予定の訪問コースは終わった。標高が高いので満開が過ぎて桜の花びらがチラホラと散り始めたところであった。

ジョナサンのモデルコースより
新宿からの列車が小淵沢に間もなく到着しようとする2分前位に、進行方向右側の八ヶ岳を背景にした1本の桜の巨木が畑の真ん中に立ってます。樹齢はおよそ1000年以上でここで紹介するのがもったいない位のセンスある桜です。
神田の大糸桜は夜にはライトアップされますが、桜の下では宴会は禁物です。なにしろ高原に位置しているので、寒くてとてもそんな気分にはなれないでしょう。
ただただゆっくりと鑑賞あるのみです。
ときどき中央本線の列車が100キロ近いスピードで通過します。
まるで銀河鉄道そのものです。だから神田の大糸桜は、ぜったい夜桜見物がお薦めです。

今年も桜が咲きましたというホームページがあって、ずいぶん桜キチになっていられるようです。「桜ノ咲ク美シキ国ガアッタ」を見ると驚きます。そのなかの『山梨神田の大糸桜』を参考にあげると次のとおりである。
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 枝垂れ桜はお酒をもってのお花見と言うよりも、そう好きな人に会いに行くという風情で楽しみたい桜。そんな思いにぴったりなのが「神田桜」。南アルプスや八ケ岳の残雪を臨みながらのお花会いとなる。それも花満面 とのご対面ともなると、これがなかなか難しい。特に山あいに咲く桜は、その土地特有の風やそして冷え込みに左右される。また、枝垂れ桜はヤマザクラやソメイヨシノと違い咲く時期が一般 的に早い。3月中旬から同じ山梨県の身延山の枝垂れ桜などは咲きだし3月下旬には満開になる。桜前線(これはあくまでもソメイヨシノを主とした桜前線、ヤマザクラやシダレザクラは咲く時期がその木によってまちまちです)と言う十把一絡げ式のこの時桜が開花します宣言の弊害で、4月上旬が桜の見頃と勘違いされる方も多いが、本当はその土地の桜ごとで咲く時期は違う。
 うどんの汁と同じで、関東の黒い土と関西の白い土とは土壌の質も違う。そのために同じ花でも色が違ってきたりする。なんでも一緒なわけが無いのだ。グルメなんてのもあやしい。関西の薄味が関東の人の口にすべて合うわけがないのに、誰でもどこでも何でも美味しい、そう伝える。なわけが無い。こんな風に東京中心に物事を考えるやり方はもうそろそろお終いにしたほうがと思ってしまう。インターネットの世の中なんだから、味ひとつとっても各地域の考え方が発信され理解されていくべきだとおもう。東京や大阪では全国、いや全世界のものが食べられるらしい。しかし、それは私の目には本物には思えないのだ。それをその地域の雰囲気とともに味わいたから、人は旅をするのだ。
 この神田桜には春だけでなく何度となく会いに行っているのだが、満開の姿と出会ったのはつい最近のこと。やっとの思いで出会っただけに、感激もひとしお。ここは南アルプスと八ケ岳に囲まれ、それらの山々だけを観ていても美しく絵になるのに、こうしてぽっんと美し桜が残る。しかもしなやかな枝ぶりの枝垂れ桜なのだ。写 真を撮ると言うより一日かけてゆっくり絵を描きたくなる。この日は一日桜を観ていた。
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思い出に残るコースであった。【おわり】

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