何故?今(古代中国哲学に基づく自然観)なの? <
現在私達の生活している社会は、それなりに平等で・健康的で・文化的な最低限度の生活は保証されていますよね?!
日本では、地球上の至る所から様々な食材・人種・映像や音楽などのカルチャー・リアルタイムのニュース・そして病気が、尽きる事なく膨大な量流入しています。
僅かな金額やそれなりの努力で大概の望むサービスや物品を手に入れることができて、寿命はかつてない程に伸びているというのに?
確かにそれは事実でしょうが、しかし現実の一面を切り取って見たに過ぎません。 毎日メディアから流れるニュースを見聞きすれば、実際に解決しなければならない問題は山積していて、 しかも躊躇など許されない差し迫った状況に直面してしまっているようです。
これまで私達人類が歩み続けてきた文明という道程は、「生命を脅かす様々な危険からいかにして身を守るか?」という根元的な自己(種(保存本能に基づいて、<採集狩猟→貯蔵>→<所有・略取>から<欲望の充足>の方向へと傾注してゆきました。
ところがあまりにもその<欲望の充足>に固執し、
<快適さの追求>のみが最優先事項となって限度を超えてしまった結果
生態系や社会システム・心身の健康など様々な歪みが次々と顕在化してきているのです。
しかしある意味、このような状況こそ自然界のバランス調整の法則が働いている証明なのかもしれません。恐竜の絶滅のように「驕る者は、久しからず。盛者必衰の断りを覚えず」という法則が発揮されているのでしょう。
これまでのような状況下で、「より早く!・より大きく!・より長く!・より豊かに!」に固執せず、 本質的なもの・有機的なもの・有限性・多様性などに重きを置く人々が、年々増加する傾向にあります。 所詮人間も地球上の生物の一種に過ぎないのですから、 その自然界の法則というリズムを無視したり・環境という大きな生命リングの環から逃れて生きることなど決して出来ないことに気付き始めたのです。
最近マスコミでも多く取り上げられるようになった考古学。 次々と遺跡から発掘される出土品や資料の研究の成果から、古代人の現代に優るとも劣らない豊かな生活振りが伝えられています。 過去に学ぶと言うのは、なにも電気も水道もなく、狩猟採集の源始時代の生活用識に戻ろうというのではありません。 自然の持つ時間のリズムと・地球を取り巻く生命のリングを意識して、 それらをうまく生活の中に取り入れて行こうというのです。 そうすることによって、人も、生命としての能力を充分に発揮することができ、その結果健康的で・豊かな生活を楽しむことができるのではないでしょうか?
この自然のリズムやリングを重視した古代中国哲学の自然観とは、いったいどのようなものなのか、 Q&A形式で、順次説明してゆくことにしましょう。
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