探草日誌1
フラワーウォッチング日誌
第1集
1.宇治白川 1998年5月28日(曇り) 八時十七分宇治駅発のバスに乗り遅れたので歩くことにする。白川口の楓橋のところで九時を過ぎていた。車道を越えた山手の肌に白い風変わりな花がいくつも咲いていた。思いがけなく家内が、 「あれ、ホタルブクロや。」と花の名前を言った。 紅葉谷にはほとんど鳥の声もなく、ただ、カヤクグリらしい茶色の鳥影を見ただけだった。 白川神社を出たところでオオヨシキリが道の端でけたたましく鳴いていた。やがて谷川沿いの林道に入り、アオゲラの鳴き声と飛ぶ姿を垣間見た。かすかに期待していたサンコウチョウはもとより、あとはさっぱり鳥影なし。 合鴨養成所にキセキレイが姿を見せて、ようやく鳥を見たという実感を得る。茶畑を歩いて行くと、立派に出来あがった自動車道に出るが、その出来立ての土手に排水用の管が通っていて、その小さな穴にシジュウカラが巣を作っていた。さらに行くと今度は畔にコチドリが下りている。どうやら番いがいて近くで卵を抱いているようだった。 来た道を戻る。白川神社まで戻ったら、やっぱりオオヨシキリが鳴いていた。しばらく待つと姿を見せ、大口を開けておしゃべりしだしたので、ビデオを回した。 白川口のバス停からホタルブクロが見えていた。 それを撮ってくれと家内が頼むので、車道越しにズームして白い花をビデオに収めた。バスが来ないので宇治橋まで歩くことになり、道すがら傍らの花を撮りながら帰った。 これが野草に関心を持ち始める発端となった。 2.志賀打見山 1998年5月31日(晴れ) 八時四十六分の永原行きに乗りこむ。 ゴンドラがあるかどうか、なければ比良に行こうと相談して、さらにバス待ちが長ければ山麓までタクシーを使わざるをえないだろうといろいろ考えあぐねる。 九時二十分ごろに志賀に着く。バスはとみると、なんと平日は無料の小型バスが出ていた。ほぼ満席で、乗りこむやいなや発車する。終点の山麓駅からはゴンドラが動いていた。これは往復で千七百円。八分で打見山山頂駅に到達。道を聞き、ゲレンデの急勾配をとっとと下る。ホトトギスとジュウイチの声が左右から聞こえる。そのうち鳴きながら飛ぶホトトギスの姿を見た。傾斜面草原で腹のまっ黄色なキセキレイが二羽で戯れている。 汁谷口まで下りてきて気が付いたが、そこからは今来た山頂までリフトが運転している。帰りは疲れたらこれに乗ればいい、と気を楽にして谷川沿いに下り始める。同じバスに乗っていた五人連れが戻ってくたので道を尋ねる。「夫婦滝はこの方向でいいですか」「一本道ですよ。ついそこにフリンソウがきれいに咲いてますよ。ミズバショウの花はもう済んでいますがね・・ 」と教えてくれる。百メートルほどでそれらしい花が咲き競う場所に到達した。その赤い花に鴉色のカラスアゲハがまとわりつくように蜜を吸っていた。さらに五十メートルも行くと今度はミズバショウの植わった小広いところへ出た。たった1輪まだ枯れずに白い花が残っていた。キビタキとミソサザイが耳が痛くなるほど鳴き合っている。ただし姿は見せない。 ここはジュウイチがことのほか多いところだ。道は細くなっていく。やっとミソサザイの姿を捉えた。近くに巣があるらしい。ビデオを回していたら釣り人が登ってくる。道を除けて通してやったつもりが、その人ざぶざぶと目の前の谷川に入り込み釣り糸をたれ始めたので、ミソサザイは飛んでしまった。さらに下り、ちようど一休みできる空間があったので、そこで腰を下ろして沢音を聞きながら昼飯にする。 夫婦滝がどこなのか見当が付かなかったので、今日はここまでで引き返すことにする。もう釣り人の姿もミソサザイの姿もなかった。リフトの乗り場まで戻ったところで、二時。安心してそこいらを行ったり来たり時間をつぶし、三時前にやっとリフトに乗りこむ。頂上までけっこう長かった。朝からの快晴続きが、ここ千メートルの山では瞬く間に変わってくる。もやがかかり風も出てきた。ゴンドラで山麓駅まで降りたが、そこで植栽された「フリンソウ」に再会した。名札を見て、やっとその花の名が「クリンソウ」だと分かった。近頃テレビで不倫不倫と耳にたたき込まれていたので、「夫婦滝」との連想から、つい聞き間違えたのだ。無料バスは四時出発で、しばらくひまをもてあそぶ。そのバスでまた朝の四人連れと同乗した。そのリーダーに教えてもらって、志賀駅の案内所でゴンドラ往復券の前売り割引券を買った。千七百円が千五百円だった。 3.松尾林道から桂川 1999年7月5日(うす曇り) 曇っていたので遠出はできないからと、久しぶりに苔寺の裏道、松尾林道に出掛ける。谷川沿いの道に入ると涼しかった。「奥に行ったら崖崩れの個所がありますよ。」と通り掛かりの人に注意される。二百メートルほど行くとまた、 「どこまで行かれますか。道路の修復中で行き止まりですよ。」 「どのくらい先ですか?」 「一キロほど先です。」 「わかりました。早めに引き返しますから。」 鳥の声はめったに聞かれない。野草を見つけながら歩いた。聞いた通り一キロほど行くと、前方にトラクターが動き回っているのが見えたので引き返す。そこらあたりでオオルリの声が聞けた。 折り返してほどなく、ひらひらと飛ぶ蝶に出くわす。アサギマダラだった。なんという木か、白い花に、止まっては遊びしているところをビデオに長々と撮る。 バス停まで戻ってきて民家の近くにヒメヒオウギズイセンの花が咲いていた。 松尾まで歩くことにして、松尾橋からもまた嵐山まで歩こうということになる。堰の近くでキジが犬に追われたのか、母親と幼鳥三羽が枝に止まったところに出会う。前方の桂川べりに雄鳥の姿も見た。 渡月橋との中間点くらいでヤブカンゾウ(ユリの一種)の花一輪を見つける。その先でコシアカツバメの群れが飛び交うところにも行き会った。ビデオで捉えようとするが、見る目よりすばやくて無理だった。 4.清 滝 1999年7月10日(晴れ) 梅雨の晴れ間がもったいなくて、涼しいところと考えて清滝に出掛ける。出掛けたのがもう十時を回っていた。土曜日で山歩きする人も多くて、道すがら互いに挨拶をかわしてくる。わずらわしいようなうれしいような気分だった。ホトトギスの声を聞く。ここでも途中道がくずれて応急修理されたところもあった。鳥影はいたって少ない。野草を見て歩く。すぐに昼になり、谷川に下りて弁当を広げる。いい空気と、谷水の音に生気を取り戻す。 行程の中ほどで谷川に掛かる小橋を渡るあたりでは釣り客が何人も川に浸かっていた。 どんどん歩いて、今日の目標一万歩の半分あたりの、折り返し点で、可憐なトラノオの白い花を見つける。これは二種類あって、幸運にもオカトラノオとノジトラノオの両方を見つけた。 帰り道、探していたカワガラスに一目だったが出合えてほっとする。 5.二ノ瀬・貴船 1999年7月17日(曇り) 山鉾巡行の日だったが、自転車で鴨川出町橋まで乗り、あと叡電で二ノ瀬に出かける。二ノ瀬で降り立ったのはわれわれ二人だけだった。線路脇に白いヒルガオが咲いている。桂子が山を登り出したが、私が嫌がったので下山し、二ノ瀬川沿いに歩いて貴船に向かうことにする。川岸の家の前でバーベキューをしている一家があった。道を尋ねると、そう遠くないらしい。 途中の道端にはハンゲショウやマルバマンネングサ、それにサワオトギリが咲いていた。 貴船口からは道の脇を車に脅かされながら歩いた。 それでもこのあたりは山路なのか、いろいろ珍しい花に出会う。ハグロソウ、ナンテンハギ、そして不思議な花、キツリフネなどを見つけた。 貴船神社までは行かずに、引き返し、貴船口から電車に乗って帰る。 6.比良山 1999年8月4日(曇り) 行こうか行くまいか思案していて、十時半ごろやっと腰を上げる。京都駅で聞くと、比良山上駅までの往復JR代、バス代、リフト代が三千六百六拾円というセット割引が夏休み中の今もあるというので、買い求める。得をした気分で湖西線に乗りこんだ。バスの終点あたりにゲンノショウコの白花が咲いていた。リフトに一年ぶりに乗ったが、九分間が前よりいっそう長く感じた。途中にカワラナデシコを見つけたが、ビデオに収めることはできなかった。 山の上は風も吹いていて、晴れてはいたが少し寒かった。ノコギリソウやウツボグサ、ヤマブキショウマ、ミヤコグサが次々見つかる。八雲ヶ原湿原には一輪だけヒツジグサが残っていてくれた。チタケサシの群れが夢のように乱れている。ミズギボウシ、ヌマトラノオなど、いくらでも新しい発見があった。 帰りのリフトの山頂駅近くでヤマジノホトトギスを、下山してからもオオバクサフジ、ボタンヅルを見つける。 7.伊吹山 1999年8月23日(晴れ) 六時前に目が覚めたので、伊吹山に出かけることにする。 大急ぎで朝食をとり家を飛び出したが、予定の七時四十五分に乗り遅れ、八時三分の新快速に乗りこむ。米原着が八時五十七分。九時八分の鈍行に乗り換え、関が原に着いたのが九時二十九分。たくさんのリュックの連中が下りたので、少し安心する。バス停まで小走ったが、結局バスの方が遅れて、炎天下を半時間近く待たされる。伊吹山頂駅には十時四十分ごろに到着する。平日にもかかわらず、お花のシーズンで大勢の人が連なって頂上を目指している。下界より十度は涼しいというが、木陰がなく、結構暑い。しかし、常々「お花畑」と呼ばれるだけあって、つぎつぎと繰り広げられる野草花の登場に時間を忘れる売店で求めた「伊吹山ミニ辞典」を片手にビデオを撮るのも忙しい。目も鮮やかなルリトラノオ、サラシナショウマの群生。点在するコオニユリの朱色、キオンの黄色。シモツケソウの赤。キアゲハが飛びまわる。なにを思ったか桂子の腕にアカタテハが止まって、少しぐらい追ってもまた止まる。あちこちで、「ほれ、ツリガネニンジン!」とか「アキノキリンソウ!」とか「ワレモコウやわ」とか嬉々とした奥さん連の叫びが飛び交う。 一時近く、眼下に琵琶湖を見下ろす崖の一角に座って昼飯を食べる。その横にカワラナデシコが一輪咲いていた。幸運にもフウロを四種とも見た。イワアカバナも、タムラソウもヤマホタルブクロも見た。 二時二十五分のバスで下山する。 8.打見山 1999年9月27日(曇り) 久しぶりの晴天だった。前売り切符を買っていたので、打見山に出掛けることにする。湖西線志賀駅に降り立つと、打見山はよく見えていた。 リフトで上がってみると、山上ははじめ曇っていたがやがてまた晴れてきた。もうジュウイチの季節は終わったようだ。そのほかの鳥の声も聞こえず、いたって静かだった。再びゲレンデを歩いて下りる。草原の脇にリンドウが咲いていた。ツリフネソウにも出くわした。 夫婦滝に向かう谷川沿いの山道で、せせらぎの音の中にヤマトリカブトが高貴に咲いていた。秋は紫の花が多い。ずいぶん歩いてやっと夫婦滝に辿りつく。予想したよりずっと壮観だった。高さは二十メートルくらいあるだろう。バスでいっしょだった四人連れが、狭い一等地を占拠して休憩していた。しかたなく私たちは回れ右して帰路につく。 9.石鎚山 1999年10月15日(曇り) 朝宅急便で荷物を送りだし、片付けをして、大急ぎで九時二十分の松山行き特急に乗りこむ。伊予西条で降り、トランク一つを駅に預け、バスを尋ねたら一時間半待ちとのこと。一時思案にあぐねた。恐る恐るタクシーに聞いてみる。六千円というが思い切って乗りこんだ。かなり長い道のりだった。途中、この前の台風で路肩が崩れ、定期バスもそこで折り返し運転になつている。傍を流れる川床には大石がごろごろしていた。運転手も気の毒と思ったのか、六千円のところでメーターを切ってくれた。 ロープウェーの駅まで五十メートルほど徒歩で登った。石鎚山頂はそこそこ晴れていた。わき道でハガクレツリフネを見つける。鳥はほとんどいなかったが、花はほかにも多少はビデオに撮れた。 三時半のロープウェーで下山するが、今度もバスが一時間以上待たねばならない。たいていは自家用車できているらしい。困っていたら一人親切な若者が方向違いにもかかわらず同乗させてくれた。車中で話を聞くと、歳は四十五とのこと。最近最愛の奥さんをなくしたらしい。忘れられず、二人で出掛けた思い出の四国路を車で遍歴しているとのこと。山には気持ちをほぐすために登っているのだ。桂子が若いときには下から山頂まで歩いて登ったと言うと、呆れたように感心し、少し気を許したらしく、ガソリン代も受け取らず駅前近くで降ろしてくれた。最後に「がんばりなさいよ。」と声を懸けると、「はい」と返事はしたが、少し顔がこわばっていた。 電車は金曜のこととて混んでいて、二人ともとうとう岡山まで立ち通しだった。新幹線にはなんとか座れた。 10. 小塩山 1999年4月19日(曇り時々しぐれ) 朝起き出したのからして遅かった。天気も悪く、午後から雨の予報だった。それでも十時に家を出て、阪急に乗る。西向日で下車して、改札で尋ねると、阪急バスは東向日から出るとのこと。それでも親切に証明を書いてくれたので、一駅前の東向日に戻り、十一時三十分発の南春日町行きのバスに乗り込む。終点からの道がわからない。尋ね尋ねてようやく梟庵の前にたどり着く。この前車で来たことがあるのでここまでは間違いない。きれいなカワセミに出会う。「探鳥地ガイド」の簡単な地図を頼りに登るが金蔵寺までがなかなかだった。道すがらムラサキケマンやスミレをビデオ撮りし、途中の野良で握り飯を頬張る。金蔵寺にたどり着いたらもう二時だった。時々降りてくる人に聞くたびに「あと三十分」と同じ答えが返ってきた。何度かぽつぽつとしぐれ出してはまた止んだ。もう我々以外に登る人はいない。引き返すにはもう遅過ぎていた。淳和天皇陵の前でちょうど三時。やっとたどり着いたという感じでもう限界だった。「花を見る人は右に下って・・」の張り紙。そこからがさらに長く感じた。もう日差しはなかった。それでも壮観だった。一面のカタクリの花!二百株は下るまい。日差しのない分、少し元気がなかったが、感動に値する。 帰りは元の道を戻る勇気がなかった。花の寺に通ずるなだらかな自動車道をゆっくり降りる。途中コマドリが鳴き交わすところに行き会い、眼下の眺望を愉しみながら二時間掛かって麓にたどり着く。南春日町五時半発のバスに乗って帰った。 11. 三川合流 2000年4月24日(曇り一時しぐれ) オドリコソウの群落のありかをTさんに教えてもらったので、出かけてみる。京阪八幡市駅で降り、河川まで出たあと、木津川鉄橋を渡る。宇治川との境目が桜並木の堤防だ。その下の駐車場に至る道を下りると、道端にクサフジが数本見つかった。さらに約五百メートルほど進むと、その右手の草原に、こつぜんと淡黄色をしたオドリコソウの群落が現れた。なんでも初めて目にしたものは感動ひとしおだ。 土手に上がり、今度は木津川の川岸にまで出てみる。向こう岸にキアシシギが一羽、十メートルほどの間を行ったり来りしている。コチドリ、イソシギもいるらしい。かなり遠いのでビデオで撮ってもたいした画像にはならないだろう。 桜土手に戻ったところで、とつぜんキジが鳴いた。それから今度はコジュケイが!そのころから空模様が怪しくなってきた。鉄橋に辿り着いたらぼつぼつきだした。桂子は傘をさしたが、私は持ってこなかったので、小走りで橋を渡る。駅に着いた頃にはかなりな降りになっていた。 12. ポンポン山 2000年5月3日(曇り) ポンポン山は野草が豊富と聞いたので、このあいだの小塩山で懲りたはずなのに出かけてしまった。 同じように阪急東向日駅で降りて、今度は十時五分発「小塩行き」のバスに乗り込む。祝日のせいか超満員だった。KさんのEメールでは灰谷からと書いてあったが、車中で人に聞くと、終点からの方が近いというのでそうする。 善峰寺までもかなり遠かった。その手前の産鈷寺への参道口に「ポンポン山近道五百メートル」との案内が出ていたので、その傾斜面を登ることにする。三十分ばかりで寺の裏側に達した。道端の木陰で弁当を広げる。 それから一時間ばかりの登り道。ようやく平坦な、山の中の村落に出てほっとする。しかし、そこから再び山に入り、また登り道。途中の谷間でミヤマカタバミ、ネコノメソウ、ヤマルリソウ、ショウジョウバカマを見つけ、その時だけは少しは足が軽くなる。下りてくる人に聞くたびに、「あと三十分」の答えが返ってくる。狭い頂上に立ったのは三時過ぎだった。眺望を楽しむひまもなく、帰りの最終バスの時間が気になって降りにかかる。 クロツグミ、オオルリの囀りを間近に聞く。 四時半のバスになんとか間に合った。 13. 香川県観音寺 2000年5月12日〜15日 5月12日(晴れ) 信号機の故障で「しおかぜ」が三十分ほど延着して、家内の里、中洲の家には一時過ぎに着く。台所の建て替えが出来ていた。家の掃除やなんかで、夕方ようやく時間が取れて、久しぶりの杵田干拓田に出かける。これでも香川県の鳥獣保護区なのだ。橋の下を覗くと、中州にいるはいるは、チュウシャクシギの群。三十羽はいた。キアシシギも混じっている。ヒドリガモもまだ残っていた。 河口を走るとオオヨシキリの鳴き声しきり。 桂子が干拓田の中を流れる小川でクイナの姿を見る。 5月13日(晴れ) 六時に起きだし、朝食を摂ってから、墓参りに出かける。朝少し寒かったから、腹が冷えたようだ。下しぎみで家にとって返す。少しおさまってから、もう一度自転車で杵田干拓田に出かける。橋の近くの休耕田にアマサギが七羽ばかりいた。中洲には相変わらずチュウシャクシギの群がいた。河口近くでキジの鳴き声がした。河口沿いの土手にはハマダイコン、ハマエンドウ、ハマヒルガオが咲き乱れ、ピンク色のムシトリナデシコも見かけた。バンがいた。 5月14日(曇りのち雨) 十一時ごろから有明海岸に出かけてみる。浜辺には、オオバナコマツヨイグサ、ハマボウフウ、コウボウムギ、マンテマなどの珍しい花が咲いていた。帰りの財田川にはユリカモメが二羽まだ残っていた。 昼からは雨となり、帰りの荷造り準備をする。 夜、八時ごろ、ホ、ホーとアオバズクの鳴く声がする。近くの浄蓮寺に数百年の楠の古木があり、たぶんそこだろうと見に行くが、鳴き声も途絶え、確認できなかった。 5月15日(晴れ) 朝、帰り際の墓参りを兼ねて、三度杵田干拓田に出かける。今までと違って満潮に近かったので、チュウシャクの数は少なかった。キジの雌が小道のまんなかをとぼとぼ歩いているのに出くわす。 ビデオを構えたとたん飛び上がり、草むらに隠れてしまう。身じろぎをしないタシギを三羽桂子が見つける。 昼前、戸締りをして、中洲の家を離れる。 (以下2001・8・1追加掲載) 14. 伊吹山 2000年5月24日(晴れ) 朝少し早く家を出て、八時前の新快速に間に合った。米原から普通に乗り換え、去年夏に行ったコースを辿るつもりで、関が原で降り、そこからバスで頂上にと思ったのだが、案内所で聞いてみると、日祝以外はバスは運行してないとのこと。がっかりする我々に、「もしどうしてもなら・・」と教えてくれたのが、二駅戻り、近江長岡からタクシーで登山口まで乗り、あとゴンドラが三合目まで行ってくれるので、あとは徒歩で山頂には一時間そこそこで登れるとのこと。 ほっとして、後戻りしたら、長岡からバスも出ていて、ゴンドラの着く三合目辺りの方が今時分は山頂より花見にはいいとのこと。怪我の功名とはこのことだ。なだらかな中腹の草原で芝刈り機を運転する人があり、桂子が様子を聞くと、存外花に詳しい。近くの地面に咲くフデリンドウを見せてくれ、 午後一時から野草観察会があるから、よかったらどうぞと言う。 とりあえずあたりを見て歩く。イカリソウなど見つける。一時に、指定の場所から臨時に観察会のメンバーに加えてもらったのだが、驚いたのは、そのリーダーがなんと先ほどの草刈りのおじさんだった。二時間ばかりで、イカリソウ、イチリンソウ、ニリンソウ、アマドコロ、エビネ、ウスバサイシンなど十数種類の新しい花々を教えてもらった。 鳥のことを書き忘れたが、ツツドリ、ジュウイチが鳴きかわし、キジの声も聞いた。 (以下2001・9・1追加掲載) 15.霧ケ峰・八島湿原 2000年7月17日(晴れ) 六時起床。四十五分には家を出る。御池通りでタクシーを拾って四条烏丸へ。六時五十五分の特急に走りこみ、七時五十分にはなんとか梅田に到着した。。そこから集合場所のプラザモータープールまで十分は歩いた。大勢のグループがそれぞれ待っていて、ようやくバスに乗り込んで、出発したのは八時四十分だった。 九時十五分多賀インター着、トイレ休憩。十二時四十分駒ヶ丘インター着。そこで手渡されたお弁当を木陰で食べる。イワツバメが群れ飛んでいた。十三時十五分出発。四十五分ごろ、ようやく諏訪湖が見えてくる。十四時半、霧ケ峰高原に到着。そこでバスを降り、三十分ばかりの自由時間。ニッコウキスゲの群れを初めて目にする。ゆっくりする間もない。私が、真っ黒く夏羽になりきったノビタキをビデオカメラで追っている最中、桂子はホオアカを間近で見たらしい。お互い悔しい思いをした。 続いて、近くの八島湿原でも三十分ばかりを過ごす。コヨシキリらしいのがしきりに囀っていた。色黒のヒョウモンチョウ、コヒョウモンモドキが三つ巴で舞っている。ハナチダケサシ、オオダイコンソウ、サワヒヨドリ、イブキトラノオ、ヤナギラン、カラマツソウ、ヤマオダマキ、ミツモトソウ、キンバイソウ、オオカサモチ、などなど・・ バスは高原道路いわゆるビーナスラインをくねり、十六時二十分ごろには白樺湖に到着。小休止。かつて若い頃、経理課の連中と訪れたことがあるが、そのころは湖の中に白樺がまだ残っていた。車山も懐かしい。しかし二十分にはもう出発。 山道を二時間近くうねうねと登り、十八時半ようやく軽井沢千ヶ滝温泉ホテルにチェックインする。狭いがツインベッドでバストイレ付きだ。夕食はバイキング。そのあと温泉に浸かる。 16.軽井沢 尾瀬 2000年7月18日(晴れ一時しぐれ) 四時に目覚めてしまった。やがて窓の外も明け染めてきて、どうやら天気のようだ。グリーンが広がり眺めはいい。枝先にホオジロが来て囀っている。そのまま起き出して、五時ごろから一時間ほどホテルの外を散策する。ホトトギスの声も聞こえた。紅紫色のホタルブクロを見つける。朝食は六時半からバイキングだった。 七時半にバス出発。 九時半ごろ沼田インターに到着、トイレ休憩。十時四十分、片品(瀬戸戸倉)尾瀬高原ホテル前からマイクロバスに乗り換え、狭い山道を二十分ほどひた走り、十一時に尾瀬口の一つ鳩待峠に着く。バスを降り、少し時雨れたらしい濡れた谷沿いの道をどんどん下る。降りたぶんだけ帰りは登りだと先のことを心配してしまう。ホトトギスが鳴いている。途中の熊笹の陰に奇妙な花を見つける。竹の花かな?などと考えながらビデオに収めていると、通り掛かりの人が、「おや、ギンリヨウソウだ!」と私に同意を求めるので、分かった振りに私も頷く。ズダヤクシュ、マイヅルソウ、ヤグルマソウ、オオレイジンソウなどを見つけつつ行くので人はどんどん追い越して行ってしまう。十二時半ごろやっと山の鼻ビジターセンター前に到着した。道の傍で、渡された握り飯弁当をほお張る。そこを抜けるとようやく尾瀬らしい風景の木道となるが、運悪く時雨れてきた。しかたなく傘をさして前進することとなる。カキツバタやニツコウキスゲが咲き乱れていた。ワタスゲもあちこちに点在。足元にトキソウを見つける。先の方で家内が呼んでいる。行ってみるとミズバショウが二輪残っていた。二百メートルも行かぬうち、時間が気になり引き返す。コバイケイソウ、ナツトウダイ、ヤナギトラノオ、ミズチドリなど・・ヤマサギソウもあった。急ぎ足でもと来た道を息を切らせながら登る途中、ミソサザイやカッコウの声を聞いた。 鳩待峠に戻ったら十四時五分だった。集合時間の三十分にまだ時間があって、惜しいことをした、もう少し見られたのにとちょっと悔む。マイクロバスで戸倉まで戻り、元のバスに乗り移って十四時五十分出発した。 十四時五十五分、漬物屋に寄る。なにも買わずにそこを十五時半出発。長々とバスに揺られて、千八百メートルの万座高原ホテルに到着したのは十九時だった。十九時半から薬膳会席の夕食。家内はおいしいと言ったが、私の口にはちょつと合わなかった。 あまり名も知らない歌謡曲歌手の余興を見てから五分ばかり外に出たところの露天風呂に入りに行く。ここの湯は硫黄分の多く白く濁っていて、うっかり長湯すると湯あたりするとガイドさんに注意されていたので、ほどほどにしてあがってくる。 17.万座温泉 白根山 2000年7月19日(晴れ) 五時起床。朝湯に行くか行くまいか迷ったが、結局湯には行かずに六時ごろ外へ散歩に出てみる。ここでもあたりにイワツバメが飛び交っている。やがて道すがら、口径の大きなカメラで鳥を狙っているらしい同好の士に出会い、聞いてみたが、生返事しか返ってこなかった。さらに先に進むと、高い枝先に聞きなれぬ囀りがする。鳥も見えたがなんだかわからない。宿に戻ってからじっくり考えたら、分かった。アカハラだった。 七時半からバイキング朝食。 八時十分にバス出発。二十五分には白根山展望所に到着する。そこから山頂の湯釜まで歩いて登る。辺りに硫黄の匂いが立ち込めていた。奇妙な模様の蝶が地面をひらひらしていた。それがクジャクチョウだった。湯釜というのは、山頂の噴火口に硫黄分で出来た乳色の池のことである。それをちらっと見て急いで引き返す。青空に三十羽ばかりのアマツバメの群れが円形運動を繰り返していた。 九時にはもう出発。志賀高原ルートを通り、アルプスの山並みを楽しむ。 十時フルーツショップに立ち寄り、サンプルのすももを食べ、アップルジュースを小さなカップに三杯戴く。 十時半出発。十一時五分ごろ善光寺に到着。広い境内は日差しが暑かった。戒壇巡りを経験する。本堂内陣の長さににして三十メートルほどの真っ暗闇を手探りで歩くのだ。子供の探検ごつこのようで楽しかった。 梅田には二十一時過ぎに戻ってきた。阪急急行に乗り、家に辿りついたのは二十二時半だった。 18. 比良山 2000年7月26日(曇り) 九時半に家を出て、五十分ぐらいの電車に乗る。さらに比良駅からバスに乗る。十人ばかりで空いていた。見上げるところ山上は雲が懸かっている。 あいかわらず長いリフトに乗せられる。オオルリが鳴いている。同行のおばあさんが酔ってしまってぐったりしている。そこからさらにロープウェーで山上駅まで乗る。山上は晴れてこそいなかったが、そう悪い天候ではなかった。 八雲ヶ原湿原へ回る。ヤブサメ、イカルの声。シモツケソウが咲いていた。ミズギボウシも。モウセンゴケの小さな白い花。ヒツジグサも一輪残っている。尾瀬で見たトキソウがここにも咲いている。不思議な花カキラン。ジュンサイ、サワヒヨドリ。アサギマダラはあちこちで見かける。食草がヒヨドリバナなのか?売店の近くに黄色いユウスゲが二輪咲いていた。 戻りはゲレンデを登る。アカゲラを樹の間にちらっと見かける。ミヤコグサ、ホタルブクロ、トゲアザミ、それからコウリンタンポポ。大きな白い蛾を見つける。オオミズアオという蛾だった。ジュウイチの声もちらっと聞く。 四時ごろ下山。 比良の駅舎にはいつもながらコシアカツバメの巣があり、あたりに飛び交っている。 19.志賀打見山 2000年8月4日(晴れ) 涼みがてらに、今年初めて志賀打見山にでかけることにした。平日だから無料バスが運行しているものと期待して行ったが、夏休み中で有料だった。 下界は晴れていたのに、山頂に着くと濃い靄がかかっていた。 スキーののゲレンデが整備中で通行止め、そこからは降りられないので、反対側の斜面を下る。リフト沿いの土手に、ナツズイセンやカワラナデシコが咲いている。去年と季節が違うのか、ホトトギス、ジュウイチの声は聞かれなかった。リフトの降り口が遊園地至っていて、夏休みで親子連れがたくさん来ていた。今度孫たちを連れてくるのに持ってこいの場所だと思う。辺りは何時の間にか晴れて、そよ風が心地よく、ちようど昼時だったのでベンチに腰を掛け弁当を広げる。前方の小山を眺めていると、中腹にオニユリが咲いていた。食後、ヤマブキショウマやヒヨドリバナの咲き乱れる傾斜を経て、ようやく汁谷口に辿りつく。クリンソウはもうなかった。かわりにキツリフネやツリフネソウを見つけた。おぼろなシモツケソウの花も見た。 途中で引き返そうと思い思い、ミソサザイの声に釣られてとうとう夫婦滝まで行き着いてしまった。数人が滝に見とれてうずくまっていたので、狭い場所に我々の居場所はなく、しばらく佇んでからきびすを返す。 鳥より花は多かった。ヤマホトトギス、ホソバヤマハハコ、ウバユリ、シロバナニガナ、ムシトリナデシコ、ゲンノショウコ・・ 帰りに、志賀浜の水泳場を下見しておく。駅からごく近くにあって、山の帰りに孫を泳がせてやればきっと喜ぶにちがいない。 20.伊吹山 平成2000年8月15日(曇ったり晴れたり) 盆の真っ只中だった。そのせいかどうか知らないが、関が原のバスは延着し、一時間以上待たされて、出発は十二時前となる。その上、乗るやいなや、運転手にずばり申し渡された。 「非常に道中が混雑していますから、頂上まで今から二時間くらいかかります。それでもよかったら、覚悟してお乗りください。」 そう言われても今さら乗らないで帰るわけにはいかないので、ぶつぶつ言いながらもみんな乗り込んだ。始めのうちはまだすいすい走ったが、やがて運転手の予言通り停滞し、山頂に辿り着いたのは二時半だった。最終バスが四時半だから、二時間しかない勘定だ。 石ころ道をえっさえっさと登った。去年の花とさほど変わらない、懐かしい趣きだった。 コオニユリ、ツリガネニンジン、クルマバナ、キオン、コイブキアザミ、ルリトラノオ、クサフジ、シシウド、キリンソウ、ヤマホタルブクロ、シモツケソウ、ヒロハシモツケ、カワラナデシコ、サラシナショウマ、メタカラコウ、イブキフウロ、キンバイソウ、ウツボグサ、シュロソウ、ワレモコウ・・ 天気はよく、こんな高いところでも登り道では一汗かいた。それでも帰りのバスは最終より三十分早い、四時の臨時バスに乗り込めたので、混雑はなかった。 |