探草日誌2

 

 

 

 

 

 

フラワーウォッチング日誌

2集

 

21. 六甲高山植物園 2000年8月25日(晴れ)       

六甲の高山植物園にサギソウが咲いているとテレビでやっていたので、見に行こうかということになる。

ちょっと甲子園浜に寄った後、とにかく西行きの電車に乗り、たまたま隣の席の女性に聞いてみると、三ノ宮まで乗って、JRに乗り換えて六甲口で降り、そこから出るバスにお乗りなさいと教えてくれた。ようやくバスのターミナルまで辿り着くが、一時間に一本しか出ない。二人連れの女の子も先ほどからバス待ちしている。そこへタクシーの運ちゃんが、山頂まで二千円にしときますよと勧誘するので、四人で乗り込んで、私たちは千円払って高山植物園の近くで降りる。山肌に沿って設えられた、なかなか見ごたえのする自然植物園だった。今日のねらい目、サギソウも見たし、何時だったかテレビドラマに、「深山の不思議な花」と紹介されていたキレンゲショウマにもお目に掛かれた。その他・・コバギボウシ、フシグロセンノウ、ナツノタムラソウ、キキョウ、ミズギク、ヌマトラノオ、サワギキョウ、クリンソウ、ミソハギ、ニッコウキスゲ、コウホネ、ツルリンドウ、カリガネソウ、ヒゴタイ、タテヤマギク、ユウスゲ・・など。

 

22.嵐山から松尾橋   2001年3月30日(晴れ)

嵐山のユキワリイチゲのことをやっと天気が回復したので見に行くことにする。

御池通りから大覚寺行きのバスに乗りこみ嵐山に着いたのが十一時ごろだった。花見客がもう詰めかけていた。先に亀山公園へ回ってそこで弁当を済ましてしまう。アオジ・メジロ・ルリビタタキの♀などはいたが、ウソには出くわさなかった。少し時期も遅かったようで桜の花芽も膨らみ過ぎている。

早々に亀山公園を引き払って、いよいよ教えてもらってきた道を行く。間違いなかった、それはすぐ見つかった。白い可憐なユキワリイチゲの花が少しうつむき加減に三十株ばかりが咲いていた。

帰りは、いつものサイクリングロードを松尾橋まで歩いたが鳥見のほうは特にめぼしいのは出なかった。

 

 23.伊吹山 2001年8月23日(晴れ)

記録を見ると、一昨年の今日初めて伊吹山に出掛けている。酷暑と先日の台風で足止めされていたので、久し振りに外に出掛けた。京都駅七時五十九分発の米原行き新快速に乗りこんで、米原で乗り換え、関が原に着いたのは九時過ぎだった。伊吹行きのバスは十時発というので冷房のきいたバスの中で小一時間待つ。

バスは予定より十分早く出発した。

ドライブウエーの途中すっかりガスってきて、視界は十メートルくらいとなる。それでも山上ターミナルに着くと少しはガスも下火になっていた。夏休みも終わり近く駐車場もまばらで、涼しかった。

台風の影響だろうかルリトラノオの数が少なかった。

しかしお目当ての青紫色の伊吹トリカブトは二・三群見られ満足、満足。

 

 24.比叡山  2002年5月14日(晴れ)

久し振りに山へ出かけようと、比良山のリフトが動いているかインターネットで調べたら、火曜日つまり今日は休日とのこと。ついでに琵琶湖バレーも調べたが比良山といっしょで火曜日休み。仕方がないので比叡山に行き先を変えた。何度も行っていて、とくに何も期待しなかった。

ケーブルの終点から人工スキー場への上り坂にチゴユリが咲いていた。

オオルリが鳴いている。もう夏も間近い。そのほかホオジロ、ヒガラ、ウグイス。

ヒメハギを見つけた。ツボスミレ、ムラサキサギゴケ、カキドオシ、タニギキョウの花が盛り、思わぬ収穫にうきうきする。そう言えばこの季節には以外と来たことがなかった。

自然観察館で駐在員に道すがら撮ったデジカメの映像を見せると、「カンアオイ」だと教えてくれた。ついでにエイザンスミレ、ミヤマカタバミの花の盛りを聞くと、「四月初めに来たら教えてあげますよ。」来年が楽しみだ。

  

25.比良山  2002年9月4日(晴れ)

市バス、地下鉄の無料券を七十歳で貰ったので、初乗りをしに清滝へでも行こうかということになる。相変らずの暑さ、後で聞くと三十六度だったそうだ。

しかし、インターネットで調べてみると、清滝行きの京都バスは無料パスの対象外とのことで、急遽比良山へ行くことにする。

比良の駅前にコシアカツバメの群が舞う。

草花はあまり無い中、八雲湿原のあたりに、ウメバチソウ、ミミカキグサと初見の花が見られ嬉しかった。、サギソウは以前六甲高山植物園では見ていたが、野生のは初めてだった。

 

26.比良山  2002年9月12日(晴れのち雨)

今日も気温がうなぎ登りで清滝か松尾林道に行こうと心積もりしていたが、ぐずぐす十一時頃になって急遽志賀打見山へ変更する。志賀駅から山麓までの無料バスが数分前に発車したとこで、次のが来るのに一時間ほど待たなければならなかった。バス停でうろうろしていた男女二人組を誘ってみたら、彼らも我々を当てにしていたらしくタクシーの相乗りでゴンドラ乗場まで行く。コンドラの割引券を桂子が貰って来ていたので、四人とも五百円引きの恩恵に与れた。二人で往復千円助かるので喜んでもらえた。 

いつもクリンソウの咲いている所でハッカ、トリカブト、アケボノソウ、アカバナ、メタカラコウ等楽しめる。谷間一面に咲いているツリフネソウもお土産。

 

27.深泥池  2002年9月14日(曇り)

私が市バス地下鉄の敬老乗車証を貰ったので、深泥池へ植物を探しに行く。鳥はたいしたことなかったが野草は久し振りにタヌキモ、ヒメコウホネ、ヘラオモダカ、クサネム、ハナイバナ等にお目に掛かれて満足。

北山で金ちゃんらーめんを食べてから植物園を一巡りする。帰り道北大路の地下鉄まで歩いてシュークリームを買い、九十七歳の叔母のお土産にする。

  

28.比良山  2003年4月17日(晴れ)

京阪の無料乗車券を貰っていたので、大阪城へコマドリ、ヤブサメ、オオルリが出ているらしいので、それを探しに行こうと言っていたのだが、朝になって急遽、昨年からの宿題の比良山のイワウチワを見に行くことにする。時期を逸するとすぐ消えてしまう山野草だからと桂子がえらく心配した。インターネットで調べてみると、たまたま今日、「比良山フラワーウォッチング」の催しがあるというので、JR比良駅に降りてから、山の事務所に電話してみる。「急いで来てください。」との返事に、すぐにバスに乗り込んだ。「ウォッチング」は十時に出発予定なのに、麓の駅前付近でそれらしい一行に出会った。どうやら、あたりの草花を探索して我々が到着するのを待っててくれたようだ。お陰で間に合って「ウォッチング」に加えてもらった。

山上はまだところどころ残雪があり、結構厳しくて滑りそうな山道を大分歩いた。人のどよめきにつられて道端を覗き込むと、バイカオウレンと言う可愛らしい白い小さな野草に出会う。また歩く事三十分あまり、山の斜面にピンクの愛らしいイワウチワを教えてもらった時は三十名余りの人達皆歓声を上げた。結局、谷川のほとりでお弁当を広げて三十分ほど皆で休憩を取ったが、あとはゲレンデの売店まで歩きっぱなしでやっとサービスコーヒー二百円也にありついて解散となる。

四時過ぎに地下鉄烏丸御池駅に着いた時には足が歩くのを嫌がっていた。

 

29.比叡山  2003年4月22日(晴れ) 

京阪マキノに出ているヒメコウテンシを見に行くか、比叡山へ問い合わせたエイザンスミレを見に行くか迷ったが、確率の高いエイザンスミレにする。

昼食を済ませやっと腰を上げて地下鉄国際会館駅からバスに乗り継ぎ、八瀬からのケーブルで叡山へ登り、駐車場まで歩く。待っていただいた館長さんに案内してもらって待望の可憐なエイザンスミレに会える。その他ナガバノスミレサイシン、フッツソウ、シハイスミレ等新種が見られ幸せな日となる。が足が棒になった。

 

30.比良山  2003年5月12日(晴れ)

朝十時過ぎに家を出て比良山へイワカガミを見に行く。事務所に電話すると、もうリフトの所のイワカガミは終わっていてシャクナゲルートに少し残っているのみと教えてくれた。がつかりしたが、一縷の望みに賭けて、四月のフラワーウォッチングで辿ったルートを二人で探しながら歩いた。

途中咲き誇るシャクナゲに見とれたり、結構楽しかったが、やがて「しゃくなげ峠」を抜けたあたり、道をはずれた斜面に白い花が咲いているのを見つける。双眼鏡で確かめると何とイワカガミが三株咲いているではないか。とりあえずビデオに収めることができた。さらにその近くの木々の間にもイワウチワの小さな群落を見つけた。

帰り道、ロッジの付近でアカモズらしいのを見付け追っかけてビデオを撮ったが、帰ってから確認すると残念ながら普通のモズだった。

 

31.北海道大雪山旭岳、大雪高原、黒岳、富良野 2003年8月1日〜3日 

八月一日(金曜日)曇りのち晴れ

二人とも四時に目が覚めてしまった。充分時間があるので、急いで軽食を作って食べる。五時四十五分MKタクシーが迎えに来てくれた。八人乗りのワゴン車で、すでに四人乗っていて我々で六人、後二人を二ヶ所で拾ってから伊丹空港へ向かう。

理由は分からないが伊丹空港は発着が混んでいて、八時十五分の予定が十五分ほど遅れてようやく離陸した。上空は雲の海だった。富士山も頭だけを覗かせていた。機内放送でも北海道は曇りだと予告した。

飛行機は新千歳空港にも少し遅れて到着し、遅れを取り戻すべく添乗員さんに急かれてすぐにバスに乗り込む。途中砂川サービスエリアでお弁当が配られ、バスの中で昼食を済ました。旭岳ロープウエーの麓駅には昼過ぎに到着した。天候が気になるが着いてみると山の頂上まですっきり見え、ガイドさんの滑らかな説明を信じるなら、「こんなに山並みがきれいに見えるのは嘘でなく三ケ月振りですよ!」とのこと。事実山上駅に降り立つと、雲の切れ間に青空さえのぞいている。

山上は暑いぐらいだった。旭岳連峰が一望に見渡せる高原の山道を人の列に従って歩き出す。たちまち高山植物のチングルマやエゾツガザクラが花盛りで、私たちはそれをカメラに収めるのに忙しかった。イワギョウ、イワブクロ、ウメバチソウ、エゾオヤマノリンドウ、エゾキンバイソウ、エゾコザクラ、ホソバノキソチドリ、ミヤマリンドウ、メアカンキンバイ、など沢山の花を撮ることができた。姿見ノ池の周辺を巡って、そろそろ山頂駅に戻ろうと歩いていた時、ワタスゲの群れを見付けて私は撮影に夢中になる。その時数歩先で仰天することが起こっていたのだ。ワタスゲを撮り終えてゆっくり歩き出した時、前方に鳥が一羽視界を横切った。前の人込みの中に妻がいて私に手招きしている。思わず走り出す。「なにしてたん!飛んでしもたわ。」「え?」「ギンザンマシコやがな!ハイマツに止まってたんや。真っ赤なヤツが・・・」一生の不覚だった。「デジカメ撮ったか?」「そんなん撮る間あらへん。」帰りのロープウェーの中で、偶然携帯電話のデジカメにギンザンマシコを撮っていた人に映像を見せてもらう。すばらしくきれいに写っていた。

宿泊は四時間余りも走った十勝川温泉笹井ホテルである。午後八時を過ぎた夕食はバイキングだった。

 

八月二日(土曜日)曇り時々時雨

八時に宿をバスが出発、途中北海道一標高の高い三国峠を経て、十時半に「ひぐまセンター」に到着する。大雪高原へはここで「ヒグマに出会った時の心得」を係員から聞いた上で、木柵のある通路から入山しなければならない。昨日の快晴が嘘のように小雨が降ったり止んだりする天候で、雨具の用意をしてヒグマに気を付けながら出発する。お化け水ばしょう、オオレイジンソウ、キンバイソウ、ナミキソウ、バイケイソウ、ハクサンボウフウ、オオバノミゾホオズキなどを見て、我々は温泉の湯煙が見えるあたりで引き返す。最後まで行くとギンリョウソウやバイカモが見られたそうだか、ちょっと限界を感じていた。

ひぐまセンターの周辺で配られたお弁当を食べ、またバスに乗り込む。午後二時ごろに黒岳の麓層雲峡駅に着き、健脚の人は登ることもできたが、むろん二人共ロープウエー、リフトを使う。雨は止んでくれた。山並みが果てしなく重なりまだ北海道には大自然が残っている。登るリフトの下に目をやるとここかしこに高山植物が植えられていて、それを眺めながら七合目まで楽々登れた。頂上駅周辺の高山植物エゾルリソウ、ダイセツトリカブト、チシマアザミ、チシマフウロ、ハイオトギリ、ヒロハシモツケなどをデジカメに写す。野生のシマリスがちょろちょろと横切った。キタキツネにも会えた。 

然別(シカリベツ)の福原温泉に辿りついたのは午後六時過ぎ。館内の廊下はギャラリーになっていて、数十枚ばかりの油絵掛かっていた。すべてオーナーの趣味らしい。

翌朝傘を差して宿の外に出ると目の前が然別湖だった。水面を眺めていると旅の疲れが和らいだ。

 

八月三日(日曜日)

最終日は旅館を八時に出発、美映、富良野観光に出かける。ここには以前にも来ていて、あまり期待に胸踊るということもなく、コースに入っているのでバスの向くままにゆられてついて行く。富良野の「ファーム冨田」というラベンダー園で降り、バスに居残る人もないので、しかたなく傘をさして園内を一周する。時間を持て余し、売店で、皆がやっているようにラベンダーソフトクリームを食べる。一日中しっぽりの雨降り。ほとんどバス移動で身体がおかしくなりそうだった。

夜八時二十分頃伊丹に到着。着陸寸前に淀川の花火が見えて、乗客から歓声があがる。帰りもやはりMKタクシーのお迎えで十時過ぎ我が家へ帰った。

 

32.礼文島・利尻島  2004年6月7日〜10日  

六月七日(月曜日)京都曇り 現地晴れ

二人とも今朝は五時に起きて余裕があるつもりが、妻はまだ鏡を覗いていた。慌てて玄関を開けると目の前に十人乗りの小型バスが止まっていて、外人客二人と目が合った。

1797便十時三十分発稚内行きは順調にフライトし、関空で買ったお弁当を機内で食べ、十二時四十分無事稚内空港に到着する。待っていた観光バスに乗り込んだのは総勢四十二人、我々は後列から二列目で片側が空いている。これは都合がよかった。一人ずつ左右に別れて座ることができた。

本土最北端の地、宗谷岬まで走り、そこでツアーご一行の第一回記念撮影。売店で「日本最北端到着証明書」を買い求めた。稚内港に引き返し、三時ごろ「宗谷号」という名の連絡船に乗り込んだが、以前天売島へ行った時の船よりずっと大型だった。二等船室でごろ寝をしていたら、やがて左舷に利尻富士が近付いてきた。船の外部通路に出て、潮風を受けながら目前に眺める。空はよく晴れていて、少し残雪もあり、すばらしい眺めだった。一時間四十分かけて礼文島香深港にようやく着く。

再びバスに乗り込むとほどなく宿舎に辿りついた。「ほたて」という名の部屋からは夕映えの利尻富士が正面によく見えた。洗面所、お風呂は共同だが、「民宿」ということは事前に了解済みだから仕方がない。夕食まで少し間があるので海岸を散歩する。スーパーが近くにあるのには驚いた。そこで缶ビールなどを買い込んで帰り道、道端に紫色の可憐な花が咲いている。なんとそれがミヤマオダマキだった。次の家の隅にも次の家にも同じ花が咲いていた。

夕食は海産づくし。部屋に戻るとすでに夜具が敷かれていて、窓からは夕闇の中にくっつきりとまだ利尻富士が眺められた。

  

六月八日(火曜日)晴れ

昨夜は隣の部屋の鼾まで聞こえてきた。そこまでは辛抱しても、朝の日差しにはがまんできない。東向きなのに窓にカーテンも無い。北の果てゆえか午前三時半には白々と明けてきて、やがて利尻富士の左方からギラギラと日が昇った。富士の姿は逆に暗い。部屋におられず五時過ぎには起き出して、外に散歩に出る。

六時半に朝食を済ませた。他の人は今夜は別の旅館に移動するため荷物を下ろし出す。我々はなぜかもう一晩ここに泊まるらしい。添乗員が耳打ちするには、次の宿はここより条件が悪いので、あまり人にはしゃべらないでくださいとのこと。でも同じ部屋ではかなわない。部屋替えを交渉する。部屋は満席で、添乗員は困惑していたが、旅館の番頭が、「狭くなってもいいんなら反対側に一部屋あることはあります・・・」とのこと。私たちはOKした。

朝食後バスに乗って礼文島東海岸を走り、久種湖を経て八時過ぎに北端のスコトン岬に到着する。快晴で遥かにトド島が見える。そこが本当の意味での日本領土最北端ということらしい。

九時過ぎ、いよいよバスから降り、若いフラワーガイドさんに先導されて四時間コースのトレッキングに出かける。一人一人にレシーバーが配られ、どこにいてもガイドさんの声が聞こえる。住居沿いにしばらく歩いたが、その脇にもすでにいろいろ珍しい花が咲いていた。傍らの杭に夏羽のノビタキが止まって囀っている。一時間ほどだらだら登り、そこはすで高原だったが、目的地の頂上はまだほど遠かった。双眼鏡で覗いてようやく人のうごめくのが確認できる。

左右には「ここにも、ここにも!」と、図鑑の中の野草が咲き誇っている。なだらかな斜面をいつまでも登るが、花に見とれて歩くのでそれほど苦にならない。丘を一つ越えて、ようやく到着点が見えてきた。お天気が良過ぎて汗が出る。

頂上からは、海の彼方に当然のことのように利尻富士が望めた。帰り道は海岸線を右にのぞみながら二百段の木組みの階段を降り、海の色の鮮やかなゴロタ岬、澄海(スカイ)岬、そして海辺の平地をさらに歩いた。途中山際の空にタカが現れる。クマタカだ!やっと迎えのバスが見えてきた。そこが西上泊というところだった。公衆便所にようやくありつく。

バスで少々移動して、レブンアツモリソウの群生地に立ち寄った。盗掘がたたり極端に株を減らして、今は一定地域を四六時中係り員が張り番している。咲くまで七、八年掛かるというレブンアツモリソウの実物にようやくお目に掛かれた。株は少なくとも写真に収めるには充分だった。そこで幸運にもカラフトアツモリソウ、クルマバツクバネソウにも出会えた。

フラワーガイドさんとはここでお別れだ。彼女はさらにもう一仕事あるらしい。我々のバスはもう一度久種湖、東海岸を戻り、南部地区の桃岩が見える草原地までやってくる。二時だった。ようやくおにぎり弁当とお茶をガイドさんから受取り、桃岩を見上げながらその麓で三々五々に食べる。

トレッキングはこれだけでは終わらなかった。今度は「レブンウスユキソウ」の群生を探しに礼文林道を一時間半ほどかけて歩くことになる。「本来ここは二時間コースなのですが、お疲れでしょうから途中で戻りましょう。」との添乗員さんの言葉に真実ほっとした。でも楽しみにしていたレブンウスユキソウはまだ咲いていなかった。この島の風景はとても美しいが、ほとんど木陰が無い、しかも好天のもとだったので、結構大変な一日だった。

四時ごろには、みんなくたくたになってそれぞれの宿に向う。我々二組以外は少し辺鄙な場所にある、見るからにみすぼらしい旅館に案内された。風呂は二人しか入れなくて順番制、食堂も五人ずつということだ。それに比べれば私たちの「宮島荘」は、確かに昨晩より狭くなったが、風呂も食堂も自由に使えた。しかも今日の部屋は窓にカーテンが懸かっていた。

それが庭に面していて、そこに野鳥がやってくる。たまたまシマアオジとノゴマを見付けてビデオに収めることができた。明日の朝が楽しみだ。

 

六月九日(水曜日)曇りのち雨

日差しは入ってこなかったが、それでも四時半に目覚めた。裏山側で涼しく、庭先は一面オオイヌタデが群生していて、小鳥が所々にある雑木に止まってよい声で囀る。ビデオ撮影を試みたがなかなか掴まらない。

七時五十分にバスが迎えに来て我々は「宮島荘」をチェックアウトした。もう一つの宿までは十五分ばかり掛かった。どう見ても正直あまり泊まりたくないような旅館だった。

昨日お弁当を食べた桃岩の麓までは宿からすぐ近くで、八時十五分にはもう到着した。そこでバスを降り、展望台まで約一時間を歩いて登った。昨日の好天に打って変わり曇っていて、桃岩もガスって頂上が見えない。付近にレブンキンバイソウやレブンソウ、麓にサクラソウモドキとかオオバナノエンレイソウなどが咲いていた。

九時半、香深港から連絡船に乗船、利尻島へ向かう。一時間後に利尻島鴛泊(オシドマリ)港に接岸。さっそくバスに乗り込み、利尻富士の壮大な裾野を左回りに走り、十一時に沓形岬公園に着き、歩いて一巡りする。海をバックにエゾカンゾウが咲き乱れていた。近くの食堂で少し早い昼食を摂る。

海岸線をまたバスで走り、島の南端、仙法志御崎公園で、「こんぶ」と「わかめ」という名のゴマフアザラシを見物する。妻は百円で餌の小魚を一皿買って与えた。崖から海を臨むと、岩にウミウが数羽止まっている。その横の岩にはオオセグロカモメの藁の巣があり卵を抱いていた。それからさらにその横の小さな岩に、なんとシノリガモが二羽日向ぼっこをしていた。

一時半、オタトマリ沼に着く。沼から見る利尻富士をバックに団体記念写真を撮った。この風景はチョコレート「白い恋人」のケースを飾っているのだが、残念ながら今日は曇っていて、富士はほとんど隠れていた。

二時半、次に姫沼に寄る。これを一周して利尻島観光はおしまい。

三時半、鴛泊港を出航する。さすが疲れていて、二人とも二等船室で一時間ほどぐっすり寝た。五時半、稚内港に帰ってくる。ホテルニューチコーにチェックインしたのは午後六時だった。まもなく夕食。今日はハッカクという半干しの魚の焼き物が出た。昨日はホッケ。両方ともに共通しているのは皮が分厚く身が薄いということだ。

七時半に希望者だけバスに乗って、最北の温泉が売り物の「童夢」というグランド浴場に出かける。ほぼ全員が参加していた。男風呂はそうでもなかったが、女風呂はえらい満員だったらしく、家内はかえって疲れたと愚痴った。帰りの車窓はすっかり暮れていたが、やはり最果ての港町らしく、どこか侘しさの漂う街である。帰りには雨が降ってきた。

 

六月十日(木曜日)

一晩中降っていたようだ。朝になっても止む気配はなかった。まあ三日間天気だったのだから、今日はおまけと思えば一日ぐらいは仕方がない。八時にホテルの前からバスが出発した。

サロベツ原野も雨の中の木道を傘を差して急ぎ足に歩いた。まだ早過ぎたのか白い低木の花とかエゾツガザクラが咲いていた。

後は長い長いオロロンラインをただただバスが突っ走る。ところどころ海岸線の丘に風力発電の巨大プロペラが何基も回っていた。妻は背中や腰が痛いらしくしょっちゅう姿勢を替えて座りなおした。やがて旅の終わりが近付いた頃、雨が上がり、一部に青空も覗き、日も射してきた。

札幌の街を経由して暮れかかった新千歳空港には六時過ぎに到着した。道中話し上手だったガイドさんのお別れの挨拶に、添乗員の女の子の方が思わず泣き出した。

空港内でラーメンを食べる。

飛行機も順調に飛んで八時半ごろ伊丹に帰着する。頼んでおいたMKタクシーが待っていてくれた。十時すぎ、何とか無事に家に帰れた。末娘が留守中に小鳥の水を変えに来てくれたようだ。