介護1

 

 

 

 

 

 

    その1

(平成13年後半)

 

岸辺マツ

明治三十八年生まれ

夫、長男、次男を亡くして、一人暮らし・ ・ ・

近くに亡兄の長男あきら(私、昭和七年生まれ)が住んでいる。 

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2001 平成13

 

退蔵の叔母マツが住む川原町は火曜日と金曜日がごみの収集日と定まっていた。足の弱った九十六歳のマツには、朝の八時ごろ起き出してゴミ出しするのはとてもつらいことなので、その前日(月曜日と木曜日)の夕方、退蔵が叔母のうちに出かけて、ごみ袋を自転車に積んで持って帰る。そのたび彼女は台所の居間までいざり出てきて、

「ごみだけはよう溜まるわ。」

と済まぬげの顔をするのである。

 

朝、ヘルパーが訪問した時、しばしば玄関の戸が施錠のままで開てないことがある。彼女がぎくっとして玄関のベルを押すと、壁伝いにマツが土間をゆっくり出てきて鍵を開けてくれた。

朝食はヘルパーがおじやを作り、野菜の煮物、などでマツに食べてもらうが、食欲は充分にある。ただ、冷房は入っているのに暑いらしく、「しんどい」の言葉が何度も口を突いて出た。

退蔵の妻、礼子は週に一二度、昼に食べ物の差し入れをしている。なにしろマツは口が肥えていて、うな重、てんぷら、鯛の刺身、ステーキなどが好きで、しょっちゅう出前をとっているのだ。その合間を縫って、出来合いのものを礼子が持っていくが、気に入っているのかどうかは分からない。今日は礼子がカレーライスを持って行った。

 

今朝、前触れもなくやって来た退蔵の末娘、すみ子が、午後マツをお風呂に入れてあげるといって父といっしょに出かけた。ちょうど岸辺の玄関先に手すりをつける日で、大工が来てくれていた。通り庭の台所から表戸までの五メートルばかりが近頃マツにとって歩くのに大変だった。介護保険だと一割負担で工事をしてくれるというので退蔵が頼んだのである。

マツは風呂嫌いで、皆でいくら勧めても、いつまでも風呂に入らないでいる。すみ子が父と出かけて行って、二人で説得すると、ようやくお風呂に入ってくれたのである。「気持ちよかった」らしく、すみ子が

「これからもヘルパーさんにお風呂に入れてもろたら。」

と促すと、

「そやなあ、そうする。」

マツが素直にうなずいた。

 

玄関の鍵が掛かっていたので、訪問のヘルパーが携帯から電話を掛けた。付けたばかりの手すりを伝いながらマツが表戸まで来るのに三分は掛かる。それでも思ったより早く手すりが付いた。

天気がよかったのでヘルパーが布団を干してシーツ交換してくれた。

在宅相談員が来て、入浴介助の段取りをしていった。しばらく使ってなかったので、今日のところはまず湯舟に水を張って帰った。

ヘルパーが買い物に行く時、いつもマツは枕元の財布からお金を出して渡すのだが、今日、どうしたことか財布にお金がなかった。あちこちを探したが出てこず、三つの財布の小銭を合わせて買い物をしてもらった。 

「どうしたんやろ。」

と言いながら、マツは近くの郵便局に電話して、なじみの事務長にお金を届けてもらった。

 

訪問看護師が週一度マツを診に来てくれる。血圧測定から始まり、全身清拭、足浴、更衣などをしてくれるのだ。その日は下肢に軽くむくみがあるので、今後増強しないか観察していくとの報告を連絡帳に認めて帰った。

相談員 (ヘルパー協会の班長のような立場の人)が退蔵に連絡してきた。

「今日からヘルパーの介助で入浴させていただきます。浴室の椅子が低いので、もう少し高さがあるシャワーチェアーの方がご本人に楽だと思いますよ。また滑らなくて安定しますので安全です。ケアーマネージャーにも連絡をとっておきます。」

彼女は一方的にしゃべって電話を切った。

 

仕出屋の若いのが出前の器を取りに来たが、岡持ちにお金が入れてなかった。

「ああ忘れてた。」

マツは、先日郵便局員に届けてもらったばかりのお金から三千円を支払った。

その直後に消防署員が来て、いろいろ注意事項を話して帰る。

「えらい忙し日やなあ・・・」

マツが畳の上を這い回りながらぶちぶちつぶやいた。

 

入浴もスムーズに出来た。ただ暑さのためか体調があまりよくないようで、何度も、「しんどい」という言葉が出てきた。その後、食事を摂ってからは少し元気が戻ったようである。

 

寝室の蛍光灯の一つが切れた。マツが電話で近くの電気屋に注文すると、古くからの顔なじみで親切な店の主人がすぐさま配達してくれた。ちょうどそこへ福祉用具専門店から風呂の椅子が届いた。マツはこれ幸いと、その見ず知らずの人に、

「ちょっとお願い・・・」

と電球を取り替えてもらっていた。

 

看護師が戸を開けると、マツが土間に座り込んでいた。玄関まで新聞を取りに来て、「立てんようになった。」とのこと。時々足の動きが悪くなることがあるらしい。

「新聞を取りに出るの誰か訪問に来るまで待ってみてはどうですか?」

するとマツは、

「まだ大丈夫。足も使わんと・・・」

意欲だけは充分だった。

 

「ぬるめのお湯に浸かって、お湯の中でタオルで身体をこするのが一番気持ちがええ。」

とマツは、今日も石鹸を使わなかった。

 

今朝ヘルパーさんが訪問すると、玄関の鍵は開いていたが、手紙や、昨日の夕刊、今日の朝刊がポストに入ったままだった。看護師の助言を聞いて、自分では取りに行かなかったのだろう。

 

「しんどくないですか?」

入浴後、ヘルパーが聞くと、

「どうもないえ。すうっとしたわ。ありがとう。」

チェアーを風呂場に常時置いておくのは嫌らしいので、奥の物置に置いておき、入浴時にヘルパーが持ってきてくれる。風呂場に椅子というのがそもそもマツには邪魔物に思えるのだ。

 

看護師が午後に訪問すると、マツはちょうど台所に立って昨夕の食器を片付け終わったところだった。瞬間湯沸器の電池が切れたというサインの赤ランプが点灯していた。

「どうしたんやろ?お湯が出えへん。」

退蔵が電話で呼び出され、彼が自転車で駆けつけて電池交換する。

台所に小さなゴキブリがわいている。退蔵は押入れを探し、ごきぶりホイホイがあったので二つ仕掛けておいた。

 

 

2001 平成13

 

脈が時々少ないのと、はれぼったいのは、心不全の傾向があるからだと看護師に指摘された。でも医者に慌てて診てもらうほどではないので、看護師は様子をみたいというのだ。 

 

ヘルパーの訪問時久し振りに玄関の鍵が開けてあり、新聞も取ってあった。でも彼女が部屋を覗くと電気を消してマツはすやすや寝ていた。

朝食も普通通りで食欲もあり、よく話もする。特に異常はなかった。

 

昼食になにか持っていこうと礼子は思うのだが、この暑さで何も作る気がしない。夫が側から、「カレーがある。」と言うのでカレーにトマトをつけ、ご飯をレンジで温めて行った。マツはうちわを使いながら、ちょっとカレーの皿に目をやったが、元気がなく、

「あんまり食欲がない。後で食べる。」

とのことだった。

 

翌日は打って変わって機嫌よく、入浴後、宇治氷を食べ、お茶を飲み、

「すっきりした。」

と笑っていた。身体の調子もよさそうで、仕出屋にうな重を注文した。

 

朝方冷蔵庫にうな丼が二人前入っていた。(どうして、二人前注文したのか分からない。)一人前は自分でおじやを作って食べていたが、もう一人前はそのまま残っている。

仏壇の横に一万円札が置いてあったので、退蔵がマツに聞いてみると、出前の器に入れるのを忘れたのだと言った

 

看護師が清拭、足浴してくれ、足のむくみはもうみられない。

マツは洗濯物をたたんだり、仏壇の掃除をしたりで動いていたためか、血圧が高い目だった。倦怠感、軽度の食欲不振がみられるとのこと。

 

朝食のおじやはおいしそうに食べるが、その他のおかずはあまり食べない。暑さでマツの食欲が少し落ちているのかもしれない。すり下ろしりんご二分の一個は食べたようで、食欲が全くないわけでもない。

台所回りに小さなごきぶりが先週までたくさんいたのが、今日は一匹もいなかった。

 

お風呂チェアーを看護師が入れ忘れ、浴室に入ってから気付いた。しかしマツは、
「無い方が広々してええ。」と言った。「ぬるめのお湯にゆっくり浸かるのが好きなんや。」

清拭の途中でマツは横になりたいと言い出した。昨日から腰痛も少しあるようだ。

 

M病院から、マツが少し具合が悪そうだと退蔵に連絡があった。急ぎ自転車で様子をうかがいに行くと、夕飯用に天ぷらが置いてあった。

「どうなの?」退蔵が聞くと、

「しんどい」マツは顔を曇らせていた。

 

ヘルパーが訪問時玄関の鍵が掛かっていたので、またまた携帯電話を掛けてマツに開けてもらった。腰が痛いと、ゆっくりゆっくり歩いている。

朝食は普通に食べ、食欲はあるようだ。

 

看護師がやってきたが、マツは腰痛を訴え、倦怠感もあり、床に臥して過ごしている。とりあえず看護師が下半身のみ清拭した。

体調が勝れないことを看護師は退蔵に伝え、見に来てもらっている。主治医のF先生にも彼女から連絡して近日中に往診くれるよう依頼してくれた。

夕方礼子が松茸ごはんを炊いてマツに持って行った。やはり少しいつもと顔付きが違っていてしんどそうだった。

 

礼子は今日もおかゆと鯛のお造りを持って見舞いがらマツをのぞいて見た。今日は顔色もよく、すっきりしているので、礼子はこれなら大丈夫と思った。

 

腰痛だいぶましになったとのこと。でもマツが今日は入浴休むと言うので、訪看さんは清拭のみ行う。

腰痛は火曜日よりは少しよくなっているようだが、マツは元気なく朝食後布団に入って寝ていた。

仏壇に供えてある果物が腐っている。

 

 

2001 平成13

 

マツの食欲は旺盛で、おじやを茶碗二杯、ケーキ、あられなど食べた。ただ腰痛がまだあり、湿布を張り替えてもらったが、腰痛のため歩行がますます不安定となってきた。唇の色はやや勝れないが、むくみはない。

全身清拭と足浴をすると、「気持ちよかった。」と笑顔がこぼれた。

でも、マツは腰が痛いと言って食後はさっさと寝ていた。

 

礼子が松茸ご飯を炊いて、鮭の塩焼きと蛤と松茸の澄し汁をマツに持って行った。まだ残暑が厳しく、しんどい日やらそうでない日やらいろいろらしい。九十六歳という年の「しんどさ」はなかなか他人には分からない。

 

午後二時前、ヘルパーが訪問すると鍵が掛かっており、昨日の夕刊が取りこまれていなかった。少しドキッとしたようだが、彼女がベルを何度か鳴らすと、マツが開けてくれた。見るからに具合悪そうで、足元はふらふらしていた。昨日からしんどくなり、ほとんど何も食べてないらしい。

「おじやを作りましょうか?」

とヘルパーが聞いても、

「なにも食べとうない。」

と元気がない。

「なんでもいいから食べられるものを食べてください。なにか買ってきます。」

「お造りと蟹身を食べたい。」

ヘルパーが買いに走った。お造りは鯛がなくて、スズキだったので硬かったらしく、マツは小皿に吐き出していた。蟹はおいしいと全部食べ、少し元気になったようだった。その上で桃を半分食べたので大分元気が戻った。でもまだいつも通りではない。今日は入浴、清拭とも中止した。

この蒸し暑さでマツは大分参っているらしい。

 

朝ヘルパーが訪問すると、玄関の鍵が掛かっていた。電話を掛けるとマツはゆっくりゆっくり歩いて出てきた。

朝食はおじや二杯半、焼き魚、すり下ろしのりんご二分の一個食べ、食欲は少し戻っている。ヘルパーに腰の湿布を張り替えてもらった。

 

次の日もヘルパーが戸口から電話して玄関の鍵を開けてもらった。マツはまだ就寝中だったようで、活気なく、しょんぼりしていた。

歩行はますます不安定。トイレへの移動もなく、尿瓶を使用しているようだ。

手元にお金がなくなり、財布の中から銅貨を集めてもらってヘルパーは買い物をした。とても不安がっていているが、マツもいよいよ自分で金銭管理するのが難しくなってきているようだ。

 

看護師がやってきた。血圧はまずまず安定している。微熱があるが頭痛ない。腰痛はややましで笑顔がよく見られたとのこと。

朝食はおいしいと食べ食欲はある。

お金がないと言い、マツは電話で郵便局に来てもらって、なにがしかを引き出したようだ。

 

久し振りに礼子はおでんを作って岸辺に持って行った。マツは昨晩のニューヨークのテロを逐一見てたらしく会うなりその話で、

「怖い世の中やなあ。」

と何度も繰り返した。お陰で大分元気そう。台風一過涼しいせいかもしれない。

 

ヘルパーが訪問すると、マツはうな重とお造りを一人前ずつ仕出屋からとって食べていた。

先週と異なり笑顔で迎えてくれたが、

「お風呂は今日はまだ止めとく。」

とすげなかった。看護師が清拭して湿布を張り替えてくれた。

 

朝食後はよくヘルパーと会話し、少しずつ腰痛もよくなっているように思えた。食欲もあり安定してきている。食後は新聞を読んだりテレビを見たりしていた。

「ごきぶりほいほい」が一杯になっていたので、礼子が取り替えておく。

 

昼の間マツは布団に入ることもなく元気だった。

礼子が散らし寿司を作り、ぶりの照り焼きと赤出汁をそえて持って行った。マスは顔色もよくなって元気そうだった。水屋からお皿やお鉢をたくさん出してきて、

「これあんたとこのん?」と聞く。

「お友達のとちがう?」と礼子は答えて家の刺身皿だけ貰って帰った。

 

ヘルパーが訪問時、新聞受けに昨日の夕刊がそのままで、鍵が掛かっていた。ベルを押すとマスがゆっくり出てきて、元気な顔を覗けた。

風呂に入ると言うので、ヘルパーが急いで沸かしたが、食後、「やっぱりやめる。」と変心した。お風呂のお湯で清拭と足浴をしてくれた。腰痛も治まっており、「次にはお風呂に入る。」と、いたずらっ子のような表情をした。

 

また玄関の鍵が掛かっていた。ヘルパーがマツを携帯電話で呼んで開けてもらったが、腰痛になってから一度も鍵の開けてあったことはなかった。

食事のあとは仏壇の掃除をしたり、新聞を読んだりしていて、どうやら腰痛も治まり普段のマツに戻った。

 

看護師が訪問するとマツは「寒い」と言って横になり、あんかを抱いて布団をかぶっていた。手足がひんやりしていて、布団から出るのがしんどい様子で、寝たままで足浴を行い、掛け布団を増やしてくれた。腰痛はないとのことで、今日は湿布は張らなかった。

 

朝から礼子が岸辺に持っていこうと、おでんと炊きこみ御飯を作った。起きるのは十一時過ぎてからのようで、十時半ごろ電話すると、ほとんど夢うつつの返事が返ってくる。

 

すっかり元のマツに戻ったようで、久し振りに入浴した。初めぬるい目にして、追い焚きすると、マツは結構熱いお湯で平気だった。バスチェアーを不安がるので、看護師もとうとう使うのを諦めた。

 

ヘルパーの訪問時久し振りに玄関の鍵が開いていた。マツは部屋で新聞を読んでいた。

元気で食欲もあり、安定しているようだ。

 

 

200110 平成13

 

夕方、退蔵が叔母のうちにごみを取りに行くと、マツは奥の間で夕ご飯を食べながらテレビを見ていた。台所から彼女に声を掛けるが、容易には聞こえない。身を乗り出して退蔵の顔が見えるようにするとやっと気付いて、

「いつもすまんなあ。」

と言いながら、いざって台所までやってきた。

 

十時にヘルパーが訪問する。朝食後マツは仏壇の掃除をしたり、新聞を読んだりしていた。冷蔵庫を整理すると、甘酒、マヨネーズ、のりの佃煮など賞味期限の切れた食品が多くて、彼女はマツに断って処分した。

 

秋晴れのさわやかな一日。午前中礼子は散らし寿司と蛤のお吸い物を作って、岸辺を尋ねた。行く前に必ず電話をしてから出掛けるが、十時半ごろは大体寝ているのを起こすことになる。今日は十一時に電話をした。が、やっばり受話器の向こうから眠たそうな声が返ってくる。しかたなく十二時前に持って行った。

 

十四時にヘルパーが訪問すると、岩佐稲二郎 (マツの弟)が寄ったらしく、みやげに下げて来た干し鰈をマツが焼いて食べようとしていた。だいたい二時ごろ昼食を摂るらしいので、マツと相談して、以後訪問時間を三時にすることに決めた。今日のところはヘルパーはマツの食事中に拭き掃除をし、あと、清拭と足浴をしてくれた。マツは食欲もあり、身体もよく動き、すごく調子がよいようであった。

 

夕方退蔵がごみを回収に行くと、奥の間で出前もんの食事をとっていたマツが、手を休めて台所までいざり寄ってきた。

「いつもすまんなあ、ごみだけはすぐ溜まる。」

と言いながら、退蔵の突っかけを揃えてくれた。ついでに退蔵が二階の干し場の洗濯物を取り入れ、下着を畳み出すと、マツは少しわずらわしそうに、

「洗濯もんてあらへんやろ?わては汚さへんもん。」

「シーツが干してあるけどまだ乾いてへんから、あしたまた来るわ。」

と、退蔵は表戸に鍵を掛けて帰った。

 

少しずつ寒くなってきて、マツは上半身を脱ぐのが寒いらしく、ヘルパーも足浴だけにしている。足が冷たくなっていたので、本人はよろこんで足浴はしていたが、靴下を穿くようにとヘルパーに促された。そのくせアイスクリームが好きで、いまだに買ってきてもらっている。

 

礼子が昨日から買って置いた松茸でご飯を炊いて、十一時過ぎに岸辺に電話をしたら通話停止になっていた。退蔵が自転車で走り、電話を点検したがやはり不通で、どうやら料金未納らしい。郵便局に退蔵が確かめに行くと、残高が千円あまりしかなく自動払いが停止になっていた。マツのうちでNTTの八月分請求書を探し出し、退蔵が電話局に支払いに行くが、九月分も同様未納ということで、二ヶ月分を清算して帰る。マツのうちで電話をテストしてみると通ずるようになっていた。大騒動だった。マツには書き付け類は必ず退蔵に見せるように言われているのに、どこか彼女は意地を張っている。

 

三時に看護師がやってきて、

「今日は暖かいから入りましょ。」

と入浴を勧めると、マツは少し躊躇したが、

「そうしょうかなあ。」

と入ってくれた。

「ええ気持ちやった。」

マツは湯上りのアイスクリームをおいしそうに食べた。

 

体調は安定しているが、物忘れが少しずつ進んできているように感じられる。

洗濯物が廊下の片隅の袋に入れて置かれてあった。いつからか分からない。だれも気付かなかった。

これから寒くなるので、退蔵は二階にあった簡易便器(PT)を持って下りてきて廊下に据えた。 

 

昼から一時半にケアマネージャーの南さんがマツのうちに新任の挨拶に来たので、退蔵が立ち会った。

「居宅介護支援重要事項説明書」と「居宅介護支援契約書」の差し替えに何ヶ所も住所氏名捺印が必要だったが、退蔵はあえて叔母に直筆で書いてもらった。マツはまだまだ手先が震えることもなく、がんばって書き終えた。二年ほど前まで着物の仕立てをしていたので、目と指先は人一倍達者だ。それでも、あまりのたくさんの書類にマツは、

「お役所の仕事はなんでもきっちりしてはるなあ。」

と呆れ顔で笑っていた。

 

十一時に看護師が訪問した。朝食はまだ食べておらず、手足が冷たくなっていたので、手浴と足浴行った。機嫌はとてもいい。 

昼前、七月分の介護保険料が未納になっているのが判明し、退蔵が郵便局に支払いに行く。岸辺に立ち寄ったら、ちょうど叔母は清拭(しぼったタオルで拭く)をし終えたとこで、気持ちよさそうに座っていた。

それから退蔵は区役所に自転車で走り、期限のちょっと過ぎてしまった税務申告書を提出してきた。

夕方、ゴミ袋をもらいに行ったおり退蔵が、廊下の簡易便器をマツが使ったかどうかを叔母に聞いた。使ってるとのことで、

「バケツは自分で捨てに行った、まだまだ頭はしっかりしてるえ。」と言っていた。

 

ガス台の上に豆腐の澄まし汁があった。中に小さなごきぶりが三匹入っていたのでヘルパーがびっくりして処分した。

朝食もおじや二杯、すり下ろしりんご二分の一を食べ、マツの食欲は正常だった。アイスクリームを買って来てほしいと言うので、ヘルパーが買ってくると一個をすぐぺろりと食べた。 

 

十二時前に礼子が叔母におでんとハマチの赤出し汁を持って行く。

「おいしそう」を連発してくれるので礼子も持っていくのに精がでるらしい。 

急に寒くなってきて、

「お風呂止めとく。」とマツが言うので、看護師は清拭と足浴にしておいた。

エアコンのフィルターに掃除機をかけ、今年初めて部屋を暖める。

 

冷蔵庫の中にまた「二人分」の鰻丼が入っていた。ヘルパーさんは一人分でおじやを作り、経緯をマツに聞いたら、残っているのを忘れて出前を取ったと言うことだった。

 

忘れていたのか、面倒だったのか、一週間前の肉と野菜がそのまま冷蔵庫に残っていた。もったいないとヘルパーも思ったが、マツと相談して処分した。

Pトイレの使用をマツはちょっとためらっているようだ。冬期には使用することを退蔵からマツに勧めている。 

うな重がよほど好きなのか、マツは今晩も出前を取って食べていた。

 

午後一時半ごろ退蔵が岸辺に行くと、ちょうどガスの検針に来た人が戸が締まっていて困っていた。合鍵で開けて検針してもらった。叔母はボリュームを上げてテレビを見ていて呼んでもなかなか気がつかない。部屋を覗くと奥の間を暗くしてまだ寝ており、声を掛けると、眠そうにやっと起きて電気を点けた。何も食べていないようなので、

「カレーでよかったら礼子が持ってくるけど・・・」

と退蔵が言うと、少しやったら食べると答えた。

郵便局を往復して退蔵が電気代の納入を終え、ほかに未払いがないか、叔母に尋ねたところ、水道代の請求書を見つけた。マツは集金に来るものと待っていたらしい。これも数ヶ月前自動払いにしている。ただ残高不足で落ちていなかったのだ。

この際退蔵は、マツの一ヶ月の所要経費を計算して見ようと通帳を借りて帰り、パソコンで集計すると、一ヶ月の経費が光熱水道、テレビ、電話、固定資産税、健保料、介護料でほぼ年金額一杯だった。食事、衣料、日常品の約五万円が毎月手元貯金から持ち出しとなる。これは大変だと、マツに説明して、生活補助をもらう手続きをすることを退蔵は叔母に了解してもらった。

 

礼子がカレーにどぼ漬けの茄子と胡瓜に林檎をむいて持って行った。マツは顔色もよく、「カレーよばれるわ。」

と、ご飯を半分にしてすぐ食べた。

 

ヘルパーが訪問すると、昨日の夕刊がポストに入ったままで雨に濡れていた。どうしたかと思ったが、朝食後は仏壇の掃除をしたり、よく話もして、とても元気ではある。

 

昼前退蔵は、中京福祉事務所のNさんに電話する。マツの生活保護について相談したところ、明日午前中に通帳などを持って窓口に来てほしいと言われた。

水道代も未払いになっているようで、退蔵が郵便局に聞きに行くと、改めて水道局から請求書が来るまで待っているようにとのことだった。

 

十一時過ぎに礼子がマツに電話をしたらまだ眠たそうで、十二時頃に寄せてもらうと伝えておいてからお寿司を詰めて蛤のおつゆを作った。今日はほうれん草のおしたしも付けておく。

 

ヘルパーが訪問するたび、玄関の鍵が先月から一度も開けてあったことがない。携帯電話を掛けて開けてもらうが、手摺りを使って土間を往復するマツは危うく、ヘルパーが背中を支えながら歩いている。寒くなってくるとますます移動が大変になるにちがいない。

ガス代(八月から)が入金されていないと通知が来ていて、ヘルパーが近くのガス店で支払ってくれた。マツは慌てるふうもなく、「タリバン報道特集」を見ながらうな重を食べていた。

 

ポータブルトイレは全然使用していないようだ。寒くなって庭の便所まで行きづらい時には使用するように看護師がマツに促してくれた。

  

十一時過ぎ礼子がマツに電話を掛けると、気の毒なほど眠そうな声が返って来た。十二時過ぎに、今日はおでんと鮭の焼いたのにほうれん草のごま和えをつけて持っていった。「ご馳走や。」

と、にこにこしてくれたが、最近笑顔が綺麗なので九十六歳とはとても見えないと礼子は思った。

 

 

200111 平成13

 

ヘルパーが十五時に訪問すると、

「お昼まだ食べてへんし、なにか注文しょうと思うねん。」

冷蔵庫を開けてみると、うなぎ丼とおでんの残りが入っていたが、お造りと蟹身を買いに行き、マツに食べさせた。この寒いのに、アイスクリームも買ってきてほしいとのことで、三つ買ってきたら、食事の後にすぐ一個を食べてしまった。

 

ヘルパー訪問時鍵が掛かっていたので、彼女が携帯電話すると、マツがそろそろ戸を開けにやってきた。膝に力が入らないようで、土間をいざって戻って行った。歩行はかなりしんどいようで、これから寒くなるのが少し気がかりだ。

 

昼退蔵が叔母のうちに寄ってみると鍵が掛かっていたのでそのまま帰り、夕方もう一度寄ると、まだ鍵が掛かっていた。ベルを鳴らしてから持ってきた鍵で戸を開けて入る。

叔母は寝ながらテレビを見ていた。二階の洗濯物を取り入れ、ヘルパーの連絡帳を預かって帰る。

 

看護師がやって来た時、玄関まで出て行くことができず、マツが退蔵に電話してきた。退蔵が開けに行くと叔母は膝が痛そうで倦怠感もある。熱も少し上がっているが、おそらく脱水によるものだろう。

 

十一時半ごろ看護師の携帯から退蔵へ、

「今岸辺さんの家の前ですが、どうも戸口まで歩いて来れなくて、鍵が開けられない状態で・・・」

マツからも電話が掛かり、力ない声で、

「玄関まで歩いて行かれへんねん。」

と言ってきた。

退蔵はすぐに自転車で駆けつけ、鍵を開けて看護師と入ると、マツは奥の間で布団にくるまって寝ていた。

「すまんなあ、時々歩かれんようになる。」

電話までぐらいなら行けるし、立ったり座ったりもできるとのことで、退蔵は一応後を看護師に任せて、ゴミ袋を回収して家に帰った。

昼頃看護師から再度電話が掛かってきた。

「熱が少しあります、昨日から飲まず食わずで、多少脱水症状が出ているようです。」

とのこと。

午後一時半ごろ傘をさして、おかゆとみそ汁を持って退蔵夫婦が叔母を訪れた。叔母は「しんどい」と寝ていて、ご飯を食べるのに正座するのも足が痛いらしく、横座りで食べていた。それでもお腹は減っていたのか、「おいしい、おいしい」を繰り返した。

中信の通帳から現金を引き出すことを提案して、退蔵が判子の所在を尋ねたが、方々探しても見当たらず、今日は断念する。

まもなく主治医のF先生が往診に見え、風邪熱だからそう心配ない。足の痛みもそれが原因だと言う。水分を充分取ることを注意され、貼り薬ももらった。

「ちょっと歩けんようになると、この歳やと不安になるもんや。不安なのはわしかて同じやで。まだまだ顔色もええし、元気元気。」と先生が笑うと、マツも釣られて笑っていた。

退蔵からケアマネージャーに電話して、月、水、のヘルパーをお願いする。彼女は、

「低額の老人ホームを予約されてはいかがですか。」

と教えてくれ、二三年待ちだが今からでも早いに越したことはないとのこと。マツがそういうところに入所はいやがると退蔵が言うと、

「それなら沢村さんの名前でとりあえず予約しておいたらどうですか。」

「なるほどそんな手があるならお願いします。」

「ところでお金の管理はどうされてるんです?」

「叔母がいっさいやっています。」

「もう無理なんじゃないですか?」

「とは思いますが、叔母は人に全面的にまかせたくないらしく、まだまだ頭はしっかりしてると言うんです。」

「私が行って沢村さんといっしょに話しましょう。」

「まあちょっと待ってください。私からもう一度言ってみますので。」

夕方、退蔵は礼子と二人で叔母のうちに行った。マツは廊下に置いてある尿瓶で用を足そうとしていたが、足が言うことを利かず横座りで動けない状態だった。礼子が助けようやく用を足した。

再び床にもどるのには退蔵が後ろから抱えなければならなかった。

礼子がおかゆとみそ汁を温め、主に梅干でおかゆを食べさせた。出前の仕出物はほとんど手を付けずに、「もう満腹」と言う。

ガスストーブを寝る前に切るようにマツに言い聞かせて、表の戸締りをして二人は帰った。

 

礼子が大丸での生け花展に友達と出掛け、十二時頃まで喋って、帰ったとたんだった。

「叔母さんが風邪を引いて足が立たないので鍵を開けに行って来た。」

と退蔵が言った。何も食べてないとの看護師からの電話なので取りあえず、二人でおかゆと梅干に玉子入りのみそ汁を持って行く。全然足が痛くて動かないようだ。ちょうどF先生が来ていて、風邪のせいで膝とか腰が痛むのだと言った。夕方もう一度礼子が出掛け、おかゆを食べる手伝いとおしっこをする手伝いをした。いざりながらでもマツはまだ自分でやる気はあるようだ。

 

マツが夜中の排尿をどうするのかが気になり、礼子は夜なかなか寝つけなかった。

看護師から九時ごろ退蔵に電話がかかり、

「昨日の状態では入院しないと生活は無理と思いますよ。」

「私も実はそのことでケアマネージャーの南さんと相談しようと思っていて、十時半に会うことになっています。」

やがて南さんから電話が掛かり、

「それなら一応入院の場合の手配をしておきますので・・・」

「お願いします。」

十時に退蔵が自転車で岸辺の戸を開けに行くと、表でヘルパーがもう待っていた。

「鍵をあけてもらうように電話でマツさんに頼んだけど、五分してもまだおいでになりません。」

半ば笑いながら退蔵が、

「それはそのはずですよ。足が痛いと言っているから無理です。」

鍵を開けて中に入ると台所まで叔母は這いずりながらやってきていて、そこで、「もうあかん。」ともがいていた。

礼子が作ったおでんを食べるというので、一度家に帰って、三十分ほどして再び叔母のうちに行くと、ちょうどケアマネージャーの南さんが来ていて、叔母に入院を勧めているところだった。叔母がしきりに、

「行きとない。ここがええ。」

と嫌がっている。

「どうしましょう・・・」

と南さんが困っているので、摺り林檎を食べ終わったマツに、退蔵が畳み掛けるように説得を始める。当日のヘルパーも退蔵を掻き分けるようにしてマツの前に座り、懸命に話してくれ、ようやくマツも観念したのか小さくうなずいた。

そのうちに早くも救急車がやって来て、手回り品を礼子が揃え、南さんはその間に主治医のF先生に「紹介状」を書いてもらいに行き、あとから来てくれるというので、マツを乗せ、退蔵が付き添って出掛けた。

M病院では入室まで三十分ほど一階でいろいろ検査などがあり、その間退蔵は廊下で待たされた。とりあえず携帯電話で桂の岩佐稲二郎(マツの弟)に電話する。マツと一つ違いの九十五歳で耳が遠いのだ。それでもなんとか大声でマツの入院を伝えた。やがて年若い担当の先生が近寄ってきて、

「館内での携帯電話の使用はやめてください。」と注意され、続けて、「なにぶん超高齢の患者さんですので前もってお伺いするのですが、風邪と言っても肺炎に急変する場合があります。そこでいわゆる延命処置を望まれるかどうか、お家族の方に確認しておきたいのです。」

「分かりましたが即答はできません。叔母の弟がいますから相談して返事します。」

「それなら夕方までにお願いします。」

四一〇号室に入った時には十二時を過ぎていた。ベッドは窓際の明るい場所で、七人部屋に患者はマツを入れて四人だった。稲二郎から聞いたのだろう、従妹が、おずおずと入ってきた。退蔵は彼女を廊下に呼び出し、先ほど先生が言った「延命処置」の件を相談する。

「そんなん、じいちゃん(稲二郎のこと)に相談しても本人もショックを受けるだけやから、我々で了解しといたらどう?」

と定子(従妹)が即断した。退蔵はなるほどと思い、二人でM先生に「延命処置」抜きを申し出る。

午後一時を過ぎ、考えて見たらまだ昼を食べてなかったので、従妹にしばらく付き添ってもらって、退蔵は礼子と二人で外に食べに出た。小奇麗な中華料理屋で五目ラーメンをとり、差し入れに持ってきたおでんもここで広げた食べた。

退蔵夫婦が病室に戻ったら二時を過ぎていた。定子は仕事の休憩時間に抜けてきていたので会社へ戻る。三時前に退蔵夫婦もマツに、

「また夕方に来るさかい・・・」

と告げて帰った。

家から民生委員のKさん、マツの友人のYさんに入院の件を電話で通知しておいた。仕出屋さんにも断りをし、礼子は読売新聞の配達も断っていた。

夕ご飯を食べてから、退蔵だけ京都バスに乗ってもう一度M病院を訪れると、ベッドでマツが所在なげに座っていた。

「夕食は食べたの?」と聞くと、

「食べた。」と元気なく答える。

看護師が、

「テレビを見るのにカードを買ってもらわないかんのです。お金お持ちですか?」

「いくらですか。」

「一枚千円で、千分間見られます。」

すぐ廊下の自動販売機で買ってくる。テレビが点くと叔母も少し元気になった。

「明日朝にまた来るから。」

と二十分ばかりで引き上げかけると、廊下側のベッドから声がかかった。

「来たげてや。帰りたい帰りたいばっかり言うてはるえ。」

「分かってます、必ず来ます。」

「わてらみんな、帰りとうて泣いて暮らしてるんや。」

と後ろから声だけがまた返ってきた。

 

昨夜は二時ごろからしばらく寝つかれず、退蔵が次に目が覚めたら七時半だった。

十時ごろから退蔵は自転車で中信に走り、マツの預金十万円を引き出し、その足で区役所に入院中の食費減額認定書を貰いに行った。ついでにマツの生活保護のことをもう一度聞きただしてみたが、結論は先日と同じことですぐには無理のようだった。

堀川御池まで来たので、引き続き自転車で丸太町七本松の病院まで走り続けた。部屋に入るとマツはちょうど簡易便器を使っていたようである。そのあとベッドに這いあがり、せっせと手提げ袋に身の回り品を詰め出すのだ。手近にまとめて置きたいのかなと、

「それ、どこへ置くのやな。」

退蔵が聞くと、

「もう、帰るんやろ?」

けろっとた顔で退蔵を見詰めた。

「なに言うのや。昨日来たとこやろ、足も動かんのに。」

そこへ担当の先生が来た。

「昨日と今日では大違いです。もう元気にならはって、朝からそこらじゅう這うてはりましたよ。本人が帰りたい言うのを無理に留めたらボケはりますよ。」

とむしろ叔母の側に立って物を言う。

「ちょっと相談させてください。」

退蔵は慌てた。

「それは今日明日とは言いませんけど・・」

とりあえずマツにもう一晩泊まることを納得させて退蔵はうちに帰る。

礼子と相談し、ケアマネージャーに電話で事情を説明して、明日からのヘルパーの手配方を頼み、その上で明朝の退院を申し出る。

やがて南さんから返事があり、婦長さんに通じておいたので、「明日の朝十時から十時半の間に救急車の手配もしておきました。」とのことだった。

三時頃退蔵が病院へ行ってマツにそのむね話すと、子供のように嬉しい嬉しいを連発して涙まで流した。これからの大変さはさておき、退蔵も本人の前で、「よかったね。」と喜ばざるを得なかった。

 

朝、従妹から礼子に電話が掛かってきた。出勤前に病院に寄ってマツに会ってきたが、朝食も済ませ、もうすっかり帰る気になって荷物のまとめをしていたそうだ。

九時半ごろに礼子は岸辺の家に行き、退院に備えて空調暖房を入れ、部屋に電気を点けておいた。

それから夫婦でタクシーで病院に出かける。マツの手回りの持ち物は二つの手提げ袋に入れてもう脇に置かれていた。下の受付けで退蔵が入院費用の精算をし、退院許可証を貰って四階の詰所に渡すと、薬と主治医のF先生への手紙をくれた。十時半に救急車の運転手が来て、さて、マツに立ちあがってもらおうと促したが、立てない。力が出ないのだ。家に帰りたいという気持ちだけで、足元は付いていかない。婦長とケアマネージャーも来て「岸辺さん、立てる?」

とちょっと大騒動になった。でも本人の気持ちはもう病院にはない。

「帰して、お願い!・・・」

マツが手を合わせて繰り返すのだ。

「ここまで言うのに、昨日から待ち焦がれていたのに帰さないわけにはいきませんので、とにかく連れて帰ります。」

と退蔵が頭を下げ、ようやく車椅子に乗せて病室を出た。

救急車で家に着き、布団に臥せったマツはこの上なく幸せそうだった。

玄関先に近所の奥さんがお見舞いに覗いてくれた。

今後のことを退蔵は、

「あまり我を張らずに、回りの皆さんの親切に感謝して、一人で頑張れるところは頑張り、出来ないところは素直に認めて、人の言うことに従わないかんよ。」

マツにこんこんと言って聞かせた。少しかわいそうと思ったが、「おいしいものを食べたい時も、手持ちのお金と相談するように。」とも言っておいた。

昼に礼子が、

「ささやかな退院祝いよ。」

と手料理に鯛の造りを付けて持っていったら、「おいしいおいしい。」と時間を掛けて食べてくれた。それでも正座はまだ無理で、片足を投げだしてやっと座れる状態だった。

退蔵も一度昼飯を食べに家に帰った。ちょうど桂の叔父(マツの弟)から電話で、「世話になった。」と退蔵にお礼を言った。

「もう心配ないという状態ではあらへんよ。

叔母さんがどうしても帰りたいと言うから仕方なしに帰ってきた。」

退蔵はつい本音を吐いた。

明朝ベッドを持って来てもらう頃、ケアマネージャーの南さんも来てくれ、介護認定の級査定を引き上げる書類を持っていくとのことだ。

学会員であるマツの友達Yさんに退院のことを報告し、同時にK新聞を止めることをお願いしておく。

夕方六時前に岸辺に行くと、マツは暦(こよみ)を開けて、今日の日付のところに「退院」と書きこんでいるところだった。

「嬉しかったし書いとくねん。」

とにこにこしている。思ったより元気にしているので退蔵は一安心した。

この際Y新聞も止めることにして、その代わり退蔵が朝鍵を開けにくる時、自分の家の読み終わったA新聞を持ってくることにした。食事の後片付けはマツが自分ですると言うので、一応出来るかどうかを見定めようと思い、そのまま表戸を施錠して退蔵は引き上げた。

七時ごろ従妹の定子から電話が掛かってきた。

「じいちゃんから聞いたけど、叔母さんほんとにお金ないのん?仕出し屋さんの支払いとか、退ちゃんが出したげてるのやったら、うちらも幾分か負担してもええけど、どうなん?」

「そんなことはしてない。」と退蔵は答えた。「お金の乏しいことは確かや。もう以前のようなお大尽気分ではやっていけへんけど、まあ、そういう現状だけは分かっといてほしい。」

「了解しました。いろいろ大変やろけど頼みます。」

 

午後十時半ごろマツから電話が掛かり、退蔵が何事かと思ったら、ふすまが開けられなくなったとのこと。退蔵が自転車で行ってみると、たしかに奥の間と台所の間のふすまが敷居に食い込んで動かなくなっていて、マツが泣き出しそうな顔で畳にへばっていた。ふすまの上の方を私がとんとんと叩くと元に戻ったが、這いながらふすまの一番下に手をかけて開け閉めするので敷居に食い込むのだ。できるだけ中ほどに手を掛けて開けるように言い、ついでに退蔵はゴミ袋を回収して帰った。

 

朝、ケアマネージャーから電話があり、ベッドは午後三時ごろになるとのことだった。

今日から毎日ヘルパーが来てくれるようになった。

九時半に今朝の朝日新聞を持って夫婦で岸辺に行き、表の鍵を開けた。マツはまだまどろんでいたが、礼子が声を掛けると目を開けて、「寒い」と言う。やはりガスの元コックが落ちていた。ガスストーブを点けっぱなしで寝ると、八時間以上経つと自動的に元コックが切れてしまう。退蔵がすぐに復旧したが、いくらマツを責めても、

「そんなこと初めて聞いた。」

退蔵がなんども言い聞かせたことなどまるっきり忘れている。ストーブの前に注意書きを貼っておこうと退蔵は考えた。

ヘルパーと相談員が来た。

「ヘルパーが帰る時にいったんガスストーブを切り、空調暖房を点けておくようにしましょう。」

夜ストーブを切ると寒いので、礼子が押入れから電気毛布を探しだして夜具の下に敷いた。

「毎日のお買い物が蟹身だとか鯛の刺身とか少し贅沢ではないかと思うので、一日何円くらいと決めていただけませんか。」

と相談員が提案してくれた。

「では一日千円以内でどうでしょう。」

とりあえずやってもらおうと退蔵は思う。 

 

三時過ぎにベッドが着いたと言ってきたので退蔵は岸辺に出かけた。かなり大きなベッドにマツは目をひそめて、あまり嬉しそうになかった。ケアマネージャーと貸し器具屋がてきぱきとベッドを組んでいき、テレビの向きを変えたりして、たちまち洋式の部屋となった。ベッドから下りて簡易便器に座る練習を二三回やったが、マツは少し苦痛のようで、這うて元の便所に行くと主張する。

「言うとおりにしないならここで一人暮しはできへんよ。ほかの身の回りのことはみんなが助けてくれるさかい、庭の便所はないものと思て、用足しは暖かい部屋の中でするよう、自分が頑張らんと。」

と退蔵が言い含めてなんとか納得させた。

便器が少し軽くて不安定なので、木製便器を購入することとし、さし当たって退蔵が代金を立て替えることにする。新品を取り寄せるまで、とりあえず代替品を貸し器具屋が六時ごろ届けてくれることになった。

 

六時半ごろ新しい便器が来たというので退蔵が岸辺に出かけると、土間の中戸の幅が狭くて便器が入らない状態だった。戸が外れずどうしようもないので、木製便器は諦めざるを得なかった。マツに今の簡易便器をもう一度試してもらうと、昼間よりはるかに足元が定まっていて、これなら充分使えそうだった。足の踏ん張りが少し回復していたのである。

 

マツは前からガスストーブを点けたまま寝て夜中に何度かガスが切れ、退蔵が朝走って行ったことがある。ガスが止まって寒いのではないかと心配になり、礼子が夜の九時半頃訪ねると案の定ガスが切れていて寒い寒いと言っていた。早速ストーブを入れ、電気毛布のスイッチを入れた。マツは電気毛布のスイッチ操作のことをまったく理解していなかった。

 

朝九時四十五分ごろに退蔵は岸辺に行き表戸の鍵を開けた。叔母はベッドから下りて、座ってみかんを食べていた。

「おはよう。どうベッドの具合・・」

「ええ気持ちや。よう寝られたわ。」

と機嫌がいい。

「便器も使こてみたか?」

「使こた。これ楽やなあ。」

しばらくしたら、相談員に連れられたもう一人のヘルパーがやってきて部屋が賑やかになった。ヘルパーは、てきぱき見事な早さで玉子のおじややその他二、三品を作ってマツの前に並べるのだ。やはりプロだと退蔵は感心する。

 

夕方退蔵が岸辺に行くと奥の間でマツが、

「これが食べたかったんや。」

と独り言を言いながら、仕出屋に電話したらしい出前のうな重と刺身を食べていた。お盆の脇に二千五百円が置かれている。

「どうしたんや、夕食はヘルパーさんが用意してくれてるのやろがな。」

「そうかあ?ごめんなあ。そやけどこれが食べたかったんや。」

と繰り返すので、退蔵はそれ以上責めるわけにもいかず、

「たまにはええけど、しょっちゅうはやめときや。」

「分かってる。経済のことも考えなあかんもんな。」

 

午後七時過ぎ、退蔵のうちに彼の従弟が蟹とアジの干物を持ってきてくれて、話は叔母のことだった。退蔵から、叔母の経済状態と健康状態の二点について、

「あんた方にも今の実情を知っておいてほしい。」

と頼んだ。援助といっても、従弟妹たちも勤めがあり、彼等にも年老いた親がいることだし、経済面、あるいは手助けは出来ないだろうことは退蔵も分かっていた。 

 

九時半に礼子と退蔵でマツのうちに行き、表戸の鍵を開けて入ると、叔母はまだベッドで寝ていた。

昨夜のうな丼などはきれいに片付いていて、残りは冷蔵庫に保管してあり、そのあたりは一人でなんとかやったみたいで、気力はまだあるようだ。

 

夕食には、ヘルパーが冷蔵庫のうな丼を利用して鰻巻き、ほうれん草のおしたし。丼のご飯でさつま芋入りおじやを作ってくれた。

食べながらマツは寂しいと涙する。

「今日はなんでやろ、独りぼっちの感じ・ ・ ・今までこんなことなかったのに。」

ヘルパーも、「がんばってください。」と励ますしかなかった。それでもマツは、

「なんでやろ。」と同じ言葉を繰り返す。「なんにも悪いことしてへんのに・ ・ ・」

 

退蔵の末娘(すみ子)が来たので、五時に二人で岸辺に出かけた。すみ子は大阪で自身ヘルパーをしている。マツは畳に座って、なんとなくしょんぼりしていた。すみ子が、

「こんにちは、元気?」

と声を掛けると、

「あんたら二人とも元気やなあ。」

と、ようやく少し明るくなった。嫁いでいるすみ子に、

「いつまでたっても親のうちがええか。今日は泊まっていくんやろ。」

「いいや、晩ご飯だけよばれて帰る。」

マツに退蔵が、

「便器は使こてるのん?」と聞くと、

「今日は元の便所まで這うて行った。」

「こっちの使いにくいか?」

「汚れたもんが部屋にあるの、嫌やねん。」

「そんなこと言うて、また足が痛うなったらどうするんや。暖かい時はまだしも、寒なったら止めとかなあかんでぇ。」

「分かった。」

夕食をみす子が温めてマツに出すと、

「おいしそう」と食べ出した。「おなか減ってておいしい。」

すみ子が後片付けをして、

「また来るわ。」とが言うと、

「また覗いてや。」マツが笑顔を返した。

 

朝、ケアマネージャーから退蔵に電話が掛かってきて、

「おばあさん、どうですか?」

と聞かれたので、少し孤独を感じているらしいこと、PTを使わず便所まで這って行ったらしいことを報告した。

「なかなか難しい問題ですね。」

 

今日はヘルパーが来るのが十二時過ぎになるというので、礼子が朝のうちに野菜ジュースとバナナにヨーグルトを掛けたのを持っていってみた。ジュースは、おいしいと言ったが、ヨーグルトは少しすっぱそうなのでお砂糖を掛けると半分ほど食べた。

 

二時に約束していたので退蔵は岸辺にでかけた。マツはベッドの端に腰掛け、手提げ袋から自分の財布を出して中を改めていた。お金が乏しくなっているのでちょっと不安な面持ちだった。

「あて、最近頭がぼけてきてる。」

と独り言ともつかぬことを呟きながら、財布を仕舞った。

まもなくケアマネージャーが見え、退蔵にコーディネーターのNさんとKさんを紹介してくれた。一通り話を交わし、契約書類を預かり、明日から夕方にもヘルパーを手配してもらえることになった。

「火、木、土、日の十八時から一時間です。お昼のヘルパーさんに作っていただいた夕食を温めて食べていただきます。」

退蔵にとっても礼子にとってもこれで一安心だった。

 

夕方礼子が一品添えようと、野菜の天ぶらをして持って行った。台所にはおじやと鰈の煮付けと、いちごと、わかめのおつゆが用意してあった。マツは朝より大分明るくなっていて、「どれもおいしい。」と食べてくれた。

 

九時四十五分に退蔵が岸辺の表戸を開けに行った。ようやく目を覚ましたマツに、予備の鍵をご近所に預けることを提案し、了解してもらった。退蔵はすぐお隣を訪れ、非常用に岸辺の予備キーを預かってもらえないかと頼むと、そこのご主人も快く「いつでもどうぞ」と言ってくれた。

 

朝、寒かったので礼子が、マツが冬にいつも肩にしていたダウンの肩あてを探してみようと行きかけたら、ヘルパーが家の前を大急ぎで自転車で走っていくところだった。彼女に肩当てをどこに置いたか知らないかと聞いて見たけど、

「私は衣類のかかりでないので分かりません。」

とのことただった。マツにも聞いたが、すっかり忘れていて、なんの事か分からないらしい。結局礼子は、寒い時はモヘアのカーディガンを羽織って寝たらと、枕元にそれを置いて帰ってきた。

 

午後一時に介護用具屋のKと約束していたので、岸辺に行った。マツは半分居眠っていた。簡易便器の蓋を開けてみると、立派な長い便が入っていたので、それを便所に捨てて、あと水でゆすいでおく。Kさんは一足先に来ていた。台所でベッドのリース契約にサインをしている間、彼はまだお昼を食べずに働いていたようで、お腹がぐうっと鳴るのが聞こえた。もちろん退蔵は知らぬ振りをしていた。

 

午後七時過ぎに退蔵が表戸を閉めにいくと、すでに閉まっている。マツが玄関まで這ってきて戸締りしたのかなと一旦帰り、電話で叔母に確認する。

「あては表までとっても行けへん。閉めといて、頼むわ。」

と言う。自転車で退蔵がまた閉めにいくが、やはり閉まっていて、ひょっとしたらお隣さんが閉めてくださったのかもしれない。

 

今日はヘルパーが十一時半にしか来ないので、礼子が牛乳とバナナのヨーグルト掛けを持って岸辺へ出掛けた。牛乳を少し飲んだだけで、ヨーグルトがすっぱいのか手を付けず、

「ごちそうさん」と言った。

 

朝方礼子が電話すると、マツはなんだか元気がなかったので、昼過ぎ叔母の好きな尾張屋の蕎麦餅を持って様子を見に行く。少し元気が出たのか、「おいしい、おいしい」と一個食べてくれた。礼子の入れたお茶が少し濃すぎて苦そうなので、「薄めようか?」と訊くと、「苦いのがおいしい」と笑っていた。

 

看護師んが来た。

右膝の痛みが身体を動かす時にあり、右足の動きもよくないとのこと。(やや腫れがきているらしい。)

 

退蔵がお隣に電話して鍵のことを尋ねると、やはり昨夜閉めてくれて、今朝も開けてくれたとのことだ。今朝は開けついでに奥さんがマツの枕元に顔を出すと、喜んで、握った手をなかなか離さなかったらしい。

読売新聞の販売所に退蔵が電話して再度岸辺に新聞を入れないように頼んだ。先日の女性に替わって今回は男性が出て、

「一年契約になっているんですがね。あとを引き受けてくれますか?」

とか訳のわからないことを言う。

「そんな契約あるはずがないでしょう。あったら持って来て見せてください。」

退蔵がきつく咎めると、

「そこまでいうなら持っていきます。」

と喧嘩腰だ。

 

夕食は礼子が鰻一切れと甘えびのお造りを持っていった。

「ありがと、おいしい。」

を繰り返しながら、やはり四センチ位の鰻を最初に食べたところを見ると、マツはよっぽど鰻好きなのだろう。ヘルパーが作ってくれたさつま芋の煮たのも、おいしそうに食べていた。

 

九時四十五分に退蔵が表戸を開けに行った。読売新聞はもう入っていなかった。マツはまだまどろんでいる。ヘルパーは今朝は十時からのはずが、予定表では二時からになっていた。退蔵がケアマネージャーに電話で確認したらその通りで、来週から朝十時になるとのこと。逆に、ケアマネージャーから年末年始、お休みをいただいてよろしいでしょうかと尋ねられた。

「三十一日から三日まではしようがないでしょう。」と退蔵は答えた。

 

電話でケアマネージャーから注意があったので、退蔵がマツに庭の便所には行かないように告げると、本人も、「もう行かへん。向こうは危ない。」と分かっていた。市から支給の非常ベルを首に掛けるように何度言っても、やはり嫌だというので、退蔵はベッドの頭のあたりに括りつけておく。 

 

九時四十五分に退蔵が鍵を開けに行く。マツはまだベッドで寝ていて、退蔵が枕元に新聞を置くとようやく目をぼんやりと開けた。

十一時過ぎに仕出屋が集金にきた。六千三百円、一回千二百円の五回分だ。これを払った上で出前は以後、マツから電話があっても受けないように仕出屋に了解してもらった。

「永らくお世話さんでした。」退蔵が礼を述べると、

「こちらこそ長い間ありがとうございました。なにしろ私が独身時代からのごひいきでして・・」

仕出屋の主人はもう六十歳近いだろう。

 

午後大丸へ行ったついでに、礼子はシュークリームを買って来て岸辺に持っていった。紅茶を入れるとマツは、「おいしい、おいしい」と喜んで食べてくれた。

 

マツのうちのY新聞を断って、その代わりに退蔵のうちのA新聞を、読み終わったあとに持って来ているが、今日は朝から読む間がなかったので、火の気のない岸辺の台所で五分ほどかけて退蔵は目を通した。

やがてヘルパーが気さくに、「おばあちゃん、元気?」と入ってきた。彼女はヘルパーの中で一番始めからの顔なじみである。

マツは茶碗二杯分のおじや、漬物など摂った。食欲もあり、体調は安定しているようで、食後、たんすにもたれ、足を出し、「体操のつもり」と、しばらく身体を伸ばしていた。膝の痛みが少しあるようだ。

 

午後七時前はもう真っ暗だった。退蔵が岸辺に行くと、コーディネータに連れられて、今日はじめてのヘルパーが作業に入ってくれていた。

「どの人もみんな親切なええ人ばっかりや。」

とマツが言った。退蔵もそう思う。

 

朝、十時ぎりぎりに走って行ったら、ちょうど岸辺の前でヘルパーが携帯電話を掛けて退蔵を呼び出そうとしているところだった。急いで鍵を開けて中にはいり、礼子から預かってきた蛤のパックをヘルパーに渡した。

マツはようやく目を覚ましたところだった。

エヤコン暖房がちょうどベッドの顔のところに風が来るのでマツがいやがっているようだ。マツにエヤコンの替わりに電気掛け毛布を勧めたら、

「それ買うてきて!」

 

午後、退蔵は寺町へマツの電気掛け毛布を買いに行った。いつも行く電気屋で少し安くして貰って九千円程で買えた。さっそくまつのとこへ持って行くと、

「これは具合がええわ。」

と喜んでくれた。 

 

相談員から退蔵に電話が掛かり、夕方勤務の変更を言ってきた。先日のヘルパーが、マツの身の上のことを少し質問したというので、「利用者のプライベートに立ち入ったから」と以後人を変えると言うのだ。それほど深く気に留めてなかったのになかなか厳しい規律だと退蔵は思った。

 

今日は礼子が叔母の夕食当番の日だった。六時に岸辺に出かけ、昼のヘルパーが作ってくれていた献立を温め、持ってきた鰻を付けて食べてもらった。昼のおやつに草だんごを食べさせたのが災いしたのか少しおじやを残していた。

 

九時四十五分に退蔵が出かけたら、もう岸辺の前でヘルパーが待っていた。部屋を暗くしてマツはまだ寝ていたので、電気毛布を使用しているかどうか、ちょっと肩口に手を入れて暖かいのを確認してから、あとをヘルパーにゆだねて帰った。

 

夕方ケアマネージャーから電話で年末年始の勤務について申し入れてきた。年末は三十一日まで、正月は一日二日だけ休ませていただきたい、三日はなんとか誰かをやらせますので、とのことだった。 

 

午後七時前に退蔵が行くと、いつものヘルパーと、今週土曜日から勤務に就いてもらう新しいヘルパーが来ていた。介護見積書と勤務表をもらう。

退蔵がマツに電気毛布の具合を聞くと、「暖かい」と言った。以前からの敷き電気毛布の電源を入れ、その代わりにアンカを外すからとマツに説明すると、

「そんなん(電源のこと)あるて知らんかった。」

と、敷き電気毛布の存在にやっと気が付いたようだ。 

 

看護師来訪の日。血圧が低めだったがマツの自覚は特になかった。

身体を拭くように勧めても、寒いのでいいとマツが断ったので、足浴のみ実行する。皮膚が乾燥しているのでメンタム軟膏を塗ってくれた。右膝がまだ痛むようで、マッサージ、ヘパリン軟膏を塗ってもらっている。

 

礼子が夕食当番なので、サカエで甘えびを買ってきて、蛤のおつゆを作り、ヘルパーの食事にプラスして出た。

「どれを食べてもおいしい。」と喜んだ。

「じっと寝ててもお腹は減るのや。」

と感心したように何度も繰り返した。

 

マツがヘルパーにいろいろぐちを言うようになった。「右足が痛い」と言った。お昼ごろから身体がだるいそうだ。そのうち、右膝はもう痛くないけど、「今度は下の筋がなあ。」

「沢村さん、よく聞いてあげてください。」

笑いながらヘルパーが退蔵にバトンタッチした。

副食がたくさん残っている。本人いわく、「こんなにたくさん食べられへん。」「残ってもったいないなあ。」「申し訳ないなあ。」

白菜と豚の煮物はあまり好きでないようだ。

うなぎ大好きという話から、

「うなぎを好きな人は長生きなんですって。」とヘルパーが話すと、

「ああ、そうかもしれんなあ。」

話がはずみ、二人で意気投合、

「楽しいですね!」

「アハハハ、そうやなあ。」

と心から楽しそうに大声で、大きな口を開けてマツは笑いっぱなし。

 

朝のヘルパーが訪問したところ、マツはいつもの元気がみられず、活気がなかった。

食欲はあって、茶碗二杯のおじやを食べ、みかん半分も食べたが、食後またすぐ横になってしまった。

膝の痛みを訴えるので、ヘルパーが湿布を貼ってくれた。

  

退蔵が様子を見に行った。

「叔母さん、大丈夫。熱はない?」

と額に触って見たが熱はなさそうだ。

「寒いんや。」と言う。見るとストーブが消えている。ストーブを点けて、

「寝る前に必ず切ってや。」

退蔵が念を押して帰ってきた。しばらくするとまた電話が鳴って、

「暑過ぎるけど、降りるのが怖い。ストーブ切りに来て。」

退蔵が行って見たら、布団も毛布も全部剥いで本当に暑そうだった。どうも膝が相当痛いらしいので、夜中のトイレが大変ならと、紙オムツを勧めてみたが、マツは大丈夫と言う。仕方がないので緊急呼出しを首に掛けてもらって帰ってきた。

 

昨夜のことがあるので、退蔵が朝の九時半ごろ鍵を開けに行き、寝室を覗いて見たが、マツはまだすやすや眠っていた。部屋が寒かったのでガスストーブを点けて帰る。

十時四十分ごろ退蔵がもう一度行くと、ヘルパーが来ていて、マツはもうベッドに腰掛けて朝ご飯を食べていた。首に掛けておくように言っておいた非常ベルは枕元に置かれている。ヘルパーの話では、ベッドに座るのにかなりの時間を要したらしい。

足が痛そうなので、最悪の時にと、この前礼子が買っておいた「紙オムツ」を押入れから出してきてマツに勧めたが、マツははにかみながら、「まだ大丈夫」と拒絶した。

 

部屋が暖かく、喉が乾いて、冷たいものが欲しいらしく、マツがアイスクリームを要望した。ヘルパーが持って行くと、大さじスプーン一山を食べた。

「食事おいしそうやなあ。・・・野菜ばっかりやなあ。」

 

六時前に退蔵が鍵を掛けに行くと、マツは夕ご飯を済ませてテレビを見ていた。優勝した武蔵丸の表彰式が映っている。

「たくさん貰うんやなあ!」とマツは感心していた。

 

翌朝十時ごろ退蔵が鍵を開けにいく。マツはようやく目を覚ましたところで、足の具合を尋ねると、あんまり芳しくないようだった。

「先生に来てもらうか?」

「うん・・」というので、帰って礼子にT病院に行ってもらった。

「今日は夕方のみの診察や。」

と帰ってきた。

 

礼子が岸辺の家の鍵をなくしたと言い出した。日曜日の夜マツが足が痛いというので見に行って、帰りに鍵を掛け、その場に落としてきたようだ。念のため探しに行ったがもちろん見当たらず、礼子は自分の洋服ダンスのズボンのポケットをすべて調べていた。結局出てこず、しかたなく大工のMさんに電話して付け替えてもらうように依頼した。錠前は注文ということで取り寄せるのに一週間ほどほしい、手間ともで一万二三千円掛かるとのこと。しかたがない。

 

四時半ごろ、退蔵がT医院に電話すると院長先生が出てこられたので、マツの容体を言って訪問して診てもらうように頼んだ。

「その前に一度ここへ連れてきてください。それからでないと適確な治療が行えませんから。明日の朝にでも・・・」

そこで退蔵からマツにT医院に行くことを勧めると、

「とてもTさんまではよう行かん。まだ大丈夫やさかい、このまま寝かしといて。」

と泣くように言う。しかたないのでT医院に電話して、明日の診察を断った。

 

昼過ぎ、礼子が本棚の前のティッシュの箱を片付けていたら、なんと岸辺の家のピンクのリボン付きの鍵が出てきた。急いで大工のMさんへ断りの電話を入れる。一万三千円助かった。

 

夕方のヘルパーがやってきて、

「今日は寒いですよ、岸辺さん。でも、お部屋はエヤコン、ガスストーブで暖を取らなくても、電気毛布のお陰で暖かいそうですね。」

Pトイレを開けると、大きな立派なうんちだった。

「素晴らしい!」とヘルパーが拍手した。

 

夕方六時二十分ごろ退蔵が戸締りをしに寄ると、マツは早々と寝ていた。夢うつつに、「おおきに・・おおきに・・」と呟いていた。

 

看護師訪問日。肺雑マイナス、肺音クリア、下肢のむくみなしとのこと。

「一人は寂しい。」

とマツが悲しそうな表情だったので、

「一人だと気を使わなくて済むよ。」

と看護師が声をかけると、あとはいつものマツの笑顔だった。

身体を拭くのを嫌がるが、朝から顔を洗ってないとのことで、促して上半身のみの清拭と足浴をしてもらった。

右膝の痛みはポータブルトイレへの移動時に痛いらしい。

 

礼子が夕食に蛸とおでんを持って行ったら、頂き物のお寿司が置いてあった。ヘルパーの作ってくれた酢の物とかさつまいもも、おいしそうに食べて、

「えらいご馳走や」

と大喜びしていた。

 

朝、九時五十分ごろ私が鍵を開けに行くと、もう表にヘルパーが待っていた。なんでもご近所に早朝九時半までのお年寄りがおられ、したがってここが十時だと三十分待ち時間が出来てしまうそうだ。それでは気の毒なので退蔵は、「来週木曜日には九時半に開けておきましょう。」と約束した。

 

夜七時に退蔵が岸辺に行くと、まだヘルパーが台所で片付け物をしていた。七時半にようやく終了して帰ったので、退蔵はマツに「おやすみ」を言い、ごみ袋を持って表に出ると、まだヘルパーさんがそこにいた。ほんの少し雨粒が落ちていて、彼女は雨コートを羽織っている最中だった。

「どこまで帰るの?」と退蔵が聞くと、

「太秦です。三十分以上掛かります。」

「へえっ!気を付けて帰ってくださいよ!」

 

 

 

200112 平成13

 

電気毛布が暑過ぎとマツが言うので、ヘルパーは適温から弱にした。

「えらいごちそうや。おいしい。」と何度も繰り返した。「身体も、今日は楽や。」

おかゆは一膳食べ、鯛の造りが特においしいらしい。一人前半くらいのお造りを全部食べた。

六時過ぎに退蔵が行くと、ヘルパーがまだ仕事中で勤務予定を十五分ばかりオーバーして彼女は帰った。

生活保護申請のために福祉に説明する内容を退蔵がマツにかいつまんで話して聞かせる。

「あんたに全部まかせとく。」

とマツは笑った。

 

マツは爽やかに目覚めたようだった。ヘルパーが、ポットに水を入れて沸かし、じゃこ粥を作り、さつま芋煮二切れと玉子とじを添えて持っていった。

「おいしいなあ。」 

新聞に雅子様が女の子ご出産の記事が出ていた。

「よかった、よかった。」

今日は体調もよいようだ。食後には柿を食べ、入れ歯洗浄も自分でしていた。

 

夕刻、退蔵が戸締りに行き、マツに昼渡した書類を読んでくれたか聞くと、

「なんのこと?ああ、あれなあ、読んで、そこのたんすに仕舞うた。」

と半分夢うつつに返事した。

「もう眠たい。あて寝るさかい、表閉めて帰ってや。」

退蔵は家に帰ってから従妹に電話して、叔母の近況を報告しておく。もちろん生活保護の手続き中のこともしっかり伝えた。

  

「おいしいステーキが食べたい・・」

と言うので、千円をマツから預かりヘルパーが買いに行った。

夕方のヘルパーが来て、

「今夜はステーキにしょうね。」

と肉を焼きかけると、マツが今日は鯛の造りが食べたいと変心した。それで急いで彼女が買いに走り、鯛の造りを出した。

 

「寒い。」とマツが言った。看護師は室内温度高めにして、全身清拭と足浴を行った。マツをポータブルトイレに座らせて、下半身洗浄したが、ベッドからトイレへの移動がとても大変そうだった。その後もなんとかベッドに這いあがっている状態だった。両膝の痛みも強い様子だ。温湿布を貼りフォローしてくれている。排尿時の失敗はなく、下着やポータブルトイレ周囲の汚れは見られない。

 

長時間のガスストーブ使用でガスの元栓が切れていた。寒い寒いとマツは、電気毛布を最強にして、さらに電気ストーブを室内に持ってきていた。ヒーターはどうも冷たい風が出るものと思いこんでいるようだ。

 

六時半ごろ退蔵が行くと電気ストーブを点けているので、

「起きてる間はガスストーブを点け、寝る時に電気ストーブを点けてガスストーブを消すように。」と申し渡した。

「わかった。」

 

朝退蔵が表戸を開けに行くとガス工事で入口がふさがれていた。その上、岸辺に通ずるガス管の付け替え工事をしていて、ガスが復旧するのが三時ごろになるという。事情を話すと、

「それなら簡易携帯ガスコンロをお貸ししましょう。」

と、しばらくしてガスボンベ二本付きで貸してくれた。念のために自分の家かにももう一台キャンプ用の同じボンベを持ってきてヘルパーに渡しておく。

  

マツが、「寒い」と言うので、看護師が手浴と足浴を行ってくれた。

「一年経つの早いなあ。」

と足をバケツに浸けながらマツはしみじみ話した。

下着に尿のしみが見られるが、失敗はしていないようだ。両足の軽度のむくみがある。両膝の痛み(右の方が特に痛い)が残っているようで、看護師が温湿布を貼ってくれた。

 

二時に桂の従弟(勝男)が叔父(マツの弟)を伴ってやってきて、退蔵といろいろ話をした。勝男が、叔父の前にもかかわらず、

「緊急連絡先を親父にしててもあまり意味がない。姉(定子)に変えくれへんか。」

と申し出た。叔父の稲二郎は、耳が遠く、二人の会話を聞きながら意味なく笑っていた。また、鍵の開け閉めについても、

「退ちゃんが毎日開け閉めに行くのん大変やろし、番号式の錠前に変えてヘルパーさんに開けてもろたらどう?」

と提案をしてくれた。

二人の帰り際に叔母を見舞ってほしいと退蔵が申し出たが、今日は急ぐので寄れないが、近いうちに一度見舞うと稲二郎勝男の親子は帰っていった。

 

マツの古い友だちのYさんが様子を見に来てくれた。ヘルパーが交代で入っていることを知り、大変喜んで、安心して帰った。

「岸辺さん、百才までがんばってや!」

とマツはハッパをかけられていた

  

退蔵は昼から区役所に電話して、緊急連絡先の親戚欄が岩佐稲二郎になっているのを、代わりに従妹(星田定子)の電話番号に変えてもらった。同時に退蔵の電話番号に携帯の番号を付け加えた。

次にM工務店に電話して、番号付き錠前について訊いてみると、

「それは洋式ドアーにしないといけないし大層な工事になりますよ。それより、沢村さんの家に取りに来てもらはったらどうですか?」

と、ナイスアドバイスしてくれた。退蔵はなるほどと思い、朝ヘルパーさんに鍵を取りに寄ってもらい、それをまた夜のヘルパーさんが帰りに退蔵の家に戻してもらう、という案を考えついた。すぐケアマネージャーの南さんに電話して、趣旨を説明し協力をお願いすると、

「わかりました。しかしコーディネータとも相談しますので月曜日以降にしてください。」

 

礼子がマツのうちに行き、冷蔵庫を覗いて見ると、ヘルパーがカニ身を買ってくれていた。家に戻って、蛤のおつゆと野菜のてんぷらを持ってもう一度行った。マツは少し寂しそうなので、桂の叔父 (マツの弟)の話とか、以前皆で花札をして遊んだころの話などした。

「そやったなあ、そやったなあ・・・」

とマツは懐かしそうにした。

昼スーパーで買っておいたプラスチック製の鏡餅セットを持って行き退蔵がちょっと披露すると、びっくりした顔でマツが、

「世の中いろいろ考えるんやなあ。」

と感心していた。

さらに川端今出川のニッケへ出かけて、メールボックスを買ってきて取り替えた。今マツのうちに付いているのは小さくて、雨が吹き込んで新聞が濡れるのだ。

 

退蔵が朝行ってみるとガスの元栓が切れている。またガスストーブが点きっぱなしになっていた。すぐ復旧して、マツに同じ事を繰り返して注意しておく。マツも耳にたこが出来たろうが、退蔵も言い飽きた。 

 

明日からの鍵の取り扱いについての「お願い」を退蔵がプリントした。

『ヘルパーさんへ

日頃よりなにかとお世話になり有難うございます。

さて、今まで岸辺の家への出入りは私(沢村)が鍵を持ち、朝夕開け閉めしていたのですが、私のうっかりなどで、ご出勤時に表でお待たせするなどご迷惑をお掛けした事もあります。

そこでケアマネージャーさんとも相談の上、今後は下記の方法で各自に開け閉めしていただくことにいたしました。多少回り道の方もいらっしゃるでしょうが、よろしくご協力の程お願いいたします。

以下略・・・』

 

礼子は叔母のパジャマと昼間羽織るものを堀川の三条商店街へ見に行った。やっとS寸を見つけて帰り、一度着てもらった方がよかろうと夕食の時着てもらうと、上半身はちょうどだったが、お腹の辺りがぴちぴちでボタンが掛けられない。チョッキの方は気にいったようだったが、ハイネックなので首が苦しそうだ。仕方がないので礼子は明日もう一度探しに行くことにする。

 

朝、ヘルパーが退蔵のうちまで走って来て、停電になって真っ暗で何も分からないと言った。退蔵が行ってみると、電気のブレーカーが落ちていた。すぐに回復する。電気ストーブ、電子レンジ、電気がま、電気ポットなど一斉に使用したせいだ。

 

午後礼子はサカエへ叔母のパジャマを探しに行った。そこそこよいのを見つけることが出来た。羽織り物もころあいのがありやれやれだ。気に入るかどうか心配したが、夕食の時マツに着てもらったら、どうやら気に入ったらしくそのまま着ている。

 

今日から鍵の開け閉めをヘルパー自身でやってもらうことになった。

しかし、初日なので退蔵が前もって出かけて岸辺で待っていたら、やはりまだ行き渡っていない。改めてヘルパーと一緒に退蔵のうちまで行って鍵を受けとってもらった。

先日来、ガスと電気が切れることが続いたので、退蔵は、元栓が切れた場合の復旧方法を書いた指示書を貼りだした。

 

朝のヘルパーが訪問すると、ガスの元コックが切れていた。マツが寝しなにガスストーブを切り忘れるのが原因だった。

退蔵はマツの寝室の壁にA4で注意書きを張り出すことにした。

『夜、寝る前にガスストーブを切り電気ストーブをつけること』

その他いろいろなお願いや注意事項をこの際プリンとしてあちこちに貼り出した。

『朝方出勤の時、表の郵便受けから、朝刊を取って枕元に届けてください。』

『夕方出勤の時、表の郵便受けから、夕刊とその他の郵便物を取って枕元に届けてください。』

『早番の方は出勤の時、奥の寝室の電気ストーブを台所の居間に移してください。』

『遅番の方、お帰りの時、台所居間の電気ストーブを奥の寝室に移してください。』

『電気ポット、電気ストーブ、炊飯器を同時に使用しないで下さい。』

我ながら退蔵は少しやり過ぎかもしれないとも思った。

叔母の一言。 

「まあ、これくらいでええとせんなんなあ。」

 

朝のヘルパーが訪問すると、マツはPトイレ使用中。寒いので終わるとすぐまた布団にもぐってしまった。

朝食は大根の煮物とひじき煮物、うなぎ粥。いつもと変わりなく食べ、大きな笑い声で今日も楽しく会話していた。

夕方退蔵が六時半ごろ様子を見に行く。夕食後暦を見ていたマツが、

「あて、運がええんやて、ふふふふ」

叔母が寝かけたのでガスストーブを止め、電気ストーブを点けて帰った。

 

今日はクリスマスなので、ヘルパーの用意してくれた料理に、礼子がビフテキと海老とコーン・スーフを作って持っていった。最後に赤玉ポートワインを少し添えると、マツは目を輝かせ、小さな口元にグラスを寄せておいしそうに飲んだ。ケーキも七分目ほど喜んで食べた。

 

看護師が訪問した時、少し寒気があったそうだ。ストーブとやかんの蒸気で、室温は高めだった。活気低下はみらないとのこと。

清拭後でも体温はやはり高めだった。おしっこが衣服に付着していたが、マツは、大して汚れてないし、着替えはいいと言った。 

夕方のヘルパーが来て。体温を測ると、やはり三十七度五分あった。夕食の副食はほとんど残っていた。食欲が少し落ちている。

十七時半、看護師から電話があり、体温のこと聞いてきた。

「F先生の方に連絡しておきます。」

とのこと。

もう一度看護師から電話があり、

「F医院に薬をもらいに行ってください。」ヘルパーが貰ってきてくれた。下熱薬で、五日分出してくれ、一回分はマツにすぐ飲ませた。

「お元気のない岸辺さんを見ると切なくなる。でも、薬が効いて、明日になったらお目々バッチリよ。」

とヘルパーが冗談を言うと、マツが大きな声で笑った。 

 

朝九時過ぎ礼子が行ってみると、マツは目を覚ましていて結構顔色もよかった。熱を測ると三十六度五分。ほっとして礼子がくず湯を作った。それをマツは喜んで、おいしそうに飲んだ。

退蔵が組立て式の鏡餅をセットしてベッドの脇に飾ると、

「ええなあ、こらええわ!」

子供のように喜んだ。 

 

ケアマネージャーが来てくれた。

「熱が下がってよかったですね。」

そして、「失禁シーツ支給」の申請のために押印していただきたいと言った。 

 

叔母の布団が夏蒲団で薄ぺったく寒そうなので、羽毛布団を買ってあげたらと礼子が言うので、大丸の近くのふとん屋で京都西川の製品を買った。夕方配達してもらって持って行く。

「もったいない、ありがとう。」

を繰り返していた。

 

藤井大丸で柱時計を買い、四時ごろに退蔵が持って行って叔母に見せ、さっそく台所居間に取りつけた。今までのは古くてヘルパーたちは自分の腕時計しか信用してなかった。

あと、庭に紅葉の落ち葉がいっぱいなのを、退蔵は三十分ほど掛けて掃除をし、ゴミ袋半分ぐらいの落ち葉を持ち帰った。明日が今年最後のゴミ収集日だった。

 

岸辺の台所にすのこを四枚新しいのを買って来て敷いた。

「その上にマットを置いたら暖かいやろ。」と礼子の提案で、二人であちこち見て回った。最後に大丸の年末セールでちょうど手ごろなのが見つかった。

 

朝のヘルパーが訪問すると、ガスの元栓が切れていた。復旧の仕方を書いた指示書に従ってゆっくり動作すると復旧した。

「助かりました。」

と彼女は退蔵に礼を言ったが、退蔵も助かった。

 

花屋が正月用の盛花と樒を持って来てくれた。礼子がお仏壇の樒を交換し、お花はボードの上に置いた。

 

今朝もガスの元栓が切れていた。マツは電気ストーブで暖を取っていた。それでも明るく、

「お早ようさん!」

と元気だった。

大晦日の夕方はヘルパーは来ないと聞いていたので、礼子が甘えびと年越しそばを持ってマツのうちに出掛けた。すると、予定外に男のヘルパーが来てくれていた。礼子がケアマネージャーからは連絡を聞いてないと怪訝に思って訊ねると、

「それじあ帰りましょうか。」

「いえいえ私も忙しいのでどうぞどうぞ。お願いします。」

マツに、昨日寝ている間に置いて帰ったお菓子を見せると嬉しそうな顔をした。

「いいお年を!」

と声を掛けると、叔母はベッドから笑顔で手を振った。