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介 護 物語 その2
(平成14年前半)
岸辺マツ
明治三十八年生まれ
夫、長男、次男を亡くして、一人暮らし・ ・ ・
近くに亡兄の長男あきら(私、昭和七年生まれ)が住んでいる。
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2002年1月 平成14年 十時過ぎ、退蔵と礼子でお雑煮を持ってマツを訪ねた。マツは昨夕届いた仕出し屋のおせちに大喜びしながら、お餅二個入りのお雑煮もおいしいと、汁を二回お代わりした。 食事の後、前々から大好きな花札を、マツはベッドに腰掛け、その前にお膳を置き、退蔵と礼子は畳に座って一時間ほど楽しんだ。 朝のお雑煮がつかえているのだろう、マツの夕食はあまり捗らなかった。昨夜のヘルパーが用意しておいてくれた蛤のおつゆと、鯛の刺身は「おいしい」と食べたが、おせちはほとんど手を付けなかった。 二日目。お雑煮と退蔵の家のおせちも少し持って十時ごろマツを訪ねる。昨日は二個のお餅がお腹にもたれたようなので、今日は一個にしておく。デザートのパイナップル半分と和菓子の小さいのをおいしそうに食べてくれた。 正月のお印に退蔵は、彼自身の創作になる羽根が紅白の折り鶴をヘルパーたちに貰ってもらおうと、二十羽ほど折って箱に入れておいた。 正月早々看護師が訪問してくれた。特に変わりはないが、右膝の痛みが少しあるようで、両膝に湿布を貼ってくれた。帰りに看護師は紅白鶴を一羽貰って帰った。 退蔵の末娘が夕方バイクで尋ねて来たので、礼子といっしょに岸辺へ出掛けた。すみ子の若い声に釣られたのか叔母の明るい声が台所にいる礼子の耳にまで届いた。マツはお餅入りのおかゆをお茶碗一杯と、蛤のお汁がおいしいと全部貝の身まで食べた。おせちは、竜飛巻きのほかは、 「どれから食べようか、いっぱいあって、迷うわ。」 と、お箸で摘んではまた元に戻すことを繰り返す。最近ヘルパーたちの作ってくれている、柔らかくて暖かい料理がよくなっているみたいだ。 今朝初出勤のヘルパーが、 「おめでとうございます!」 すると、マツはニコニコして、 「おめでとうさん。」と返した。 夕方のヘルパーも同様の挨拶すると、マツはこれにも気持ちよく答え、 「寒いのにご苦労さん。」 と気を使った。夕食のおせちには、 「見ただけでお腹一杯。」 と、柔らかい玉子、黒豆、いくら、を少し食べた。蛤の汁は、「おいしい、おいしい。」と満足したようだ。 叔母の下着を見に礼子はサカエまで歩いて行った。サカエのグンゼの売り場ではちょうど叔母のサイズが売りきれていて、仕方がないので高島屋まで運動がてらに歩いた。ところがデパートにはフアッション下着しか近頃は売っていない。「スーパーで聞いてください」と言われて、とうとう三条商店街の西友まで足を伸ばし、やっとパンツの替えを求めることができた。 昨日買った小型消火器を退蔵は自転車置き場に設置した。台所にある消火器は期限切れなので持ち帰る。 看護師さん訪問の日。 両膝の痛みは治まっていた。左下唇に口内炎できているが、痛みはないようだ。 「F先生に塗り薬を出していただくとよいかと思います。全身清拭、足浴などさせていただきました。紅白鶴ひとつ貰って帰ります。ありがとうございます。今年もよい年になりますように。」 そこで退蔵は家にあった「口内炎」の塗り薬を持って行って叔母の口の中に塗りこんだ。 昼のヘルパーが用意してくれたはずの鶏の照り焼きを、夕方のヘルパーが探したが見当たらない。あちこち随分探したが結局、狐につままれたように消滅していた。百合根玉子とじ二分の一鉢のみとなり、マツにも鶏の照り焼きが見当たらない話をして、貧弱な食事をヘルパーが詫びると、 「こんで充分、おいしかった。」 とマツはにこにこしている。最後に、 「おいしいよばれました。」 と大きな声で手を合わせ、いちご三個も食べ残した。 「外は寒いやろ。気を付けて帰ってや。」 とマツは帰りがけのヘルパーに気遣って声を掛けていた。 退蔵はぴんと来た。「鶏の照り焼き」がもし居間に置いてあったのなら、マツがおやつに食べたのにちがいない。 看護師が訪問時、マツはベッドに腰掛けてテレビを見ていた。今日も全身清拭、足浴、更衣してくれたが、衣類には便が少量付着と尿洩れの跡あった。 右膝に痛みがあり起つのが困難な状況だった。Pトイレにも四つ這いになって近寄り、跨ぐのでいかにも不便そうである。 朝九時過ぎに退蔵が叔母のうちに行くと、電灯が点いていた。覗くと、マツが起き出して、「お腹減ったんや。」 とお菓子を食べかけていた。 「近頃お腹減るらしいなあ・・・しかし食欲があることはええこつちゃ。」 と退蔵が言い、「ところでこの前居間にあった鶏の照り焼き、ひょっとして叔母さん食べなかった?」 「食べたかもしれん。」との返事だった。 朝のヘルパーが訪問し、 「岸辺さん、おはようございます。」 と挨拶しながら戸を開けると、独り言で、「腰が痛い」「お腹が空いた」とつぶやいていた。さっそく冷蔵庫の中のえのきと白味噌汁とお餅でお雑煮を作り、あと、うなぎ、サラダ、うにで朝食を出した。 ヘルパーからの電話で、マツが「鯖寿司と巻き寿司を食べたい」と言っているそうで、礼子は大丸まで買いに走った。 礼子が届けた鯖寿司と巻寿司を、ヘルパーが夕食に出すと、 「待望の鯖寿司や!」 とマツは大層に喜んだ。 阪神大震災から七年が経ったことをニュースが伝えていた。マツは充分理解しているようだった。 「岸辺さんが九十歳の時だね。」とヘルパーが水を向けると、 「自分の年を言うたら自分でもびっくりする。」 と笑った。 看護師訪問日。 「口角炎きれいになっていますね。よかったです。下着の汚れ多少ありますが、いつもに比べ少ないです。今日も全身清拭、足浴、爪切りなどしています。足がすべすべ、と喜んでいただきました。」 マツは「寒い寒い」とお布団を頭からすっぽり被って休んでいた。 朝のヘルパーが出勤時ガスの元栓がまた切れていた。ストーブも切れて寒かったのだろう、マツは電気ストーブを隣の部屋から持ち込んで使用していた。 食後は活気が戻りテレビを観ていた。 ヘルパーが便器カバー新しいのを買ってきてくれた。ピンクのカバーを見てマツは、「若返った」と笑っていた。 またまたガスの元栓が切れていた。ヘルパーが覗くとマツはまだ眠っていて、部屋は暖がなく、寒々としていた。ガスストーブを点けると、布団から顔を出し、 「ああ寒かった。ありがとう。」 「庭の椿が咲いていますよ。一輪切ってお部屋に飾りましょうね。」 ヘルパーが茶箪笥の上に花瓶を置いてくれた。 「おお、きれい!」 食欲もあり、元気にしていたが、左足首の甲が少し腫れている。 十八時、看護師が見にきてくれた。今までも時々むくんでいることがあったが、心臓の音も大丈夫そうで特に心配はないとのこと。水分をたくさん取り、尿をたくさん出すようにと看護師がマツに指示し、今夜は足を少し高く上げて眠るよう、布団を調節してくれた。 炊飯器が台所の居間に置いてあり、奥の間に茶碗とスプーン、玉子の殻が置いてあった。マツが夜中に食べたのにちがいない。ご飯もスプーンで入れた形跡がある。 寒い日が続いているので、布団から離れることなく、すぐにすっぽり入ってしまう。食欲はあり、おかずの煮豆をおやつに食べてしまうほど、しっかり摂っている。 新聞を読んで、「ボクサー志望一割が女性・・・」という記事に、「世の中変わった」としきりに感心していた。 朝のヘルパーが訪問すると、表の鍵が開いていた。マツが自分で開けたのだろうか?ふと昔の習慣が蘇るのかもしれない。 マツは居間にいた。 「どうしたの?」とヘルパーが聞くと、 「お腹が減ったから・・・」 急いで食事を作って出した。 「こんなに物がおいしいのはとても幸せや。こんな年になってもおいしいもん。」 「元気な印ですね。食事がおいしくなくなると、だんだん元気もなくなるよ。しっかりよく噛んで、ゆつくり食べてくださいネ。もう一花咲かせましょう。」 「アッハッハッハッ・・」
2002年2月 平成14年 「岸辺さん、今日から二月ですよ。早いですねえ。」 「そうかあ、もう二月か。早いなあ。」 「ねえ、岸辺さん、早く感じられますか、遅く感じられますか?」 「早う感じる。」 「そらあ、お若い証拠!」 ヘルパーは話が上手だった。 今日は好物の鯛の刺身とはまぐりの吸物。 とても気分がよいらしく、しっかり朝食を摂ったあとも、マツはさば寿司を一口食べていた。 その後、いつものように新聞のテレビ欄を見て、ボールペンで見たい番組に○を付ける。 朝食から夕食の間にはおかきも食べ、食欲は旺盛だった。 「寝ててもお腹は減るわ。ハハハ。」 鯛の造りと、うなぎは大好物だ。 夕方のヘルパーが、マツが明日バースデーなのを知っていて、 「九十七歳 おめでとうございます。」 と声を掛けると、マツもうれしくなったのか、女学校時代に女子国防報国団副団長を務め、「右向けえー右!」のお話から、時代の移り変わりの中での自分の生き様など、まるで昨日のことのように話した。 マツは部屋を暗くして眠っていた。 礼子が誕生日のお花のプレゼントを持っていくと、まだ寝ぼけ眼だったのが目が覚めたのか、枕元のメガネをかけて、 「ああ、きれい!きれいやなあ。」 礼子は一旦帰り、二時頃マツに、 「花札をする?」と電話で聞いてみた。 「しんどいし、眠たいねん。」 「そんならまた明日にしよ。」 ところが、しばらくして折り返し電話が掛かってきた。 「やっぱりする。」 との返事。急いで花札やらお菓子の用意をして退蔵と二人で叔母のうちに出掛けると、マツが箪笥からスカートを出して穿こうとしていた。今まであまり身なりをかまわなかったマツが、大分元気が出てきた証拠だった。花札を十二回(一年)して、途中ケーキで誕生祝いをした。花札となるとマツの思考力はまだまだ衰えていなかった。 夕食に礼子は焼きたてのステーキと尾頭付きの海老、はまぐりのおつゆ、を届けておく。 「食べ過ぎてバチが当たったらかなん。」 マツはステーキを少し残した。 左膝がはれているが、痛みはない。もし痛みが出てくるようなら、整形外科で水抜きなどの処理を受けたほうがよいと看護師は言った。 「今は様子を見ていて、痛がるようなら看護ステーションへ連絡を下さい。」 二日遅れだが、看護師が「Happy Birthday!」をマツと一緒に歌ってくれた。 新聞を読みながらマツは、「へえー、ふうーん、ふんふん」と独り言を言っている。テレビのスキーの場面で、 「運動する人は精神力が違うなあ。」 左膝は身体を動かすと痛そうな表情をする。他に身体症状の訴えなく、小さな咳は時々するが、胸の音はきれいとの看護師の診立てだった。 マツの膝にどうやら水が溜まっているようなので、「タクシーで近々T整形外科で診てもらおう」と退蔵がマツに勧めると、 「あんまり痛とないし、そんなん、えらい大層や。」 と嫌がった。それでも一度出かけておけば、後は往診もしてもらえるからとなんとかマツに納得させた。退蔵からケアマネージャーに電話して、介護付きのタクシーの予約と車椅子の手配を頼んだ。 部屋の電灯は点いていた。頭からすっぽり布団を被ってマツは寝ていた。 朝食を用意してヘルパーが起こすと、案外機嫌よかった。 食後お盆の上のみかんを渡し、 「新しい袋入りのみかんも買ってありますよ。」 と見せると、 「どっちの方が柔らかいか?こっち皮が固いなあ。」と、食べ比べて、「やっぱし、新しい方が柔らこうてええわ。ふふふ。こっちがおいしい。」 入歯洗浄後、上だけを嵌めた。 「どうして?」 「上は嵌めてへんとシワが寄ってじじむさい。誰も見てへんけどなあ。」 オシャレなマツの一面を窺がうことができた。 夕方六時過ぎ礼子がマツのとこへ行き、明日T医院へ診察に出かけるので、着ていくものを揃えておいた。 翌朝九時に二人で出掛けるがマツはまだ平和な寝息をかいて寝ていた。声を掛けて起こすと、なにごとかという顔で退蔵を見るので、T整形外科に出かける準備をするようにマツに言った。昨日までに退蔵が何度も何度も念を押しておいたのに、マツはまるで寝耳に水のような顔付きだ。また一から退蔵が説明すると、 「もう全然痛とないし、腫れもひいてる。どうしても行かんならんのん?」 と迷惑そうに訴えるのだ。 「T先生も待ってくれてるし、介護タクシーも予約したし、行ってもらわんと困る。」 退蔵は半ば強制的に起こして、礼子もだだっ子を宥めるようにして、昨夜用意しておいた服を着せた。まもなく、予定より早くタクシーがやって来た。運転手に少し車で待っててもらって、叔母がお腹を空かしても困るので、手元のカステラを一切れ大急ぎで食べてもらった。やっと観念してマツは台所の居間まで這って行き、土間からはヘルパー資格の運転手に抱きかかえてもらった。ところが土間の中戸が狭くて老婆を抱えたまま一度立ち止まった。そのまま横になって押し出すように通りぬけ、やっとの思いで運転手はマツをタクシーに乗せた。 T医院でも、車椅子で廊下は困ると言われ、結局運転手がレントゲン室までマツを抱えて運んだ。 三十分で終わるからとのことで、タクシーは表で待ってもらうことになった。 二十分あまりの後退蔵は先生に招かれてレントゲンの結果の説明を受けた。膝関節の骨が、高齢でぼろぼろに弱っているとのことだが、膝頭に少し水の溜まっているのは心配ない、関節の中には溜まってないそうだ。病名は「変形性膝関節症」。注射を一本打ってもらった。 「今貼っている温湿布は止めといた方がいいですね。塗り薬を上げるから、朝夕二回患部に摺り込んであげてください。」 これからは時々往診に覗いてあげる、と先生が言ってくれた。 帰りも運転手のお世話になり、家に着いてから、またもや土間の中戸に引っかかった。マツは痛がって、自分で這って行くと、土間にじかに四つん這いになり、這って中戸をくぐった。ベッドに戻った時はマツも、退蔵たちも、それから運転手もやれやれと一息ついた。 退蔵からケアマネージャーに報告の電話をする。その時土間の中戸の狭い事を説明し、改善をお願いしておく。 夕方ケアマネージャーから返事の電話があり、明日昼ごろ大工さんが見にきてくれるとのことだった。 翌日一時過ぎにケアマネージャーが家具屋を伴ってみえたので、土間の中戸が狭くて車椅子が通らないことを退蔵が説明し、改善の相談をした。もう一度来週戸の写真見本を持って打ち合わせに来るとのことだった。 ある日、若いヘルパーが紬(つむぎ)のベストを着ていたのが、マツの目に止まった 「それ、大島つむぎやろ?やっぱりええなあ。ハイカラに仕立ててあるなあ。よう似合うわ。」 「いやー、照れちゃいます。」 昔、呉服屋の娘だったマツは、箪笥に一杯の着物を作ってもらって大阪へ嫁入りした時の自慢話を始めた。その後戦災に遭いそれら全部が灰になった。だから、着物には興味が、と言うより執着があるのだろう。 「今日はだいぶ暖かかったやろ。部屋にいてもわかるわ。」 「ホント今日は暖かくて、バイクに乗ってる私も助かります。」とヘルパーさん。 「若うても、寒いのはこたえるやろなあ。」とマツは笑っていた。 小さく丸めたごみをベッドに座ったままポイッとゴミ箱にシュートして、見事に入ったので、思わずヘルパーが、 「ナイス ショット!」 2002年3月 平成14年 雛祭りなので礼子は午前中慌てて散し寿司を作り、パック詰めにして叔母のところに持って行った。 ちらし寿司を出すと、 「お雛さんや!」と子供のように喜び、 「おいしい。」と食べた。しかしやがて、「そない食べられへん。」「おいしいけど、満腹や。」「ありがとう。」 それでも三分の二パックは食べてしまった。少し顔にむくみがあるようだ。 食事の後、TV欄に鉛筆でチェック出した。 「六時からはウルトラマン・・・おばあさんになったら子供みたいなもんや。ウルトラマンおもしろいエ。」 右の下腿や下腹に一センチ大の「できもの」が数ヶ所ある。本人は気にしておらず、広がっていく可能性は低いと思われる。看護婦も、多分加齢によるものでしょう、とのことで、「気になるようでしたら皮膚科で診ていただいてください。」 おかずは好物のうなぎからなくなっていく。途中で一休みして、あとは野菜の煮物を少し食べる。 「人間はなあ、食べることが楽しみやで。」とマツは言った。 Pトイレに少しゆるい便が多量に出ていた。 「お腹は痛とない。」とマツはけろっとしている。みかんの食べ過ぎかな? ヘルパーがマツの全部を着替えさせ、ハイターに浸けて洗うが、きれいに落ちない。 看護師訪問。 「下痢気味ということヘルパーさんから電話があったので、訪問しています。腹痛はありません。お腹の音も亢進しておらず、もう下痢はないようです。両手指が、みかんの食べ過ぎなのか黄ばんでました。みかんは下痢される方には症状悪化させてしまいます。状態が落ち着くまではみかんを制限してください。今日は隣の部屋へ三個引き上げておきます。」 翌々日また看護師が寄ってくれた。 お腹の音も亢進しておらず、下痢は落ち着いているとのこと。体を拭いてもらったり話ししていると、マツにいつもの活気が出てきたようだ。 「気持ちよかった、さっぱりした。」 と喜び、また横になった。。下肢の方は腫れがやや先週に比べ軽減したようである。 相変わらずマツはみかんを欲しがり、枕元にあると全部食べてすぐに無くなった。 「みかん欲しい。」とヘルパーに訴え、「みかんと、なにかおいしいもん買うてきてーな。」 とお金を二千円渡した。 看護師が訪問すると、睡眠中だった。起きてもらって保清し、更衣もしてくれた。尿瓶の使用での失敗はないが、使用後下着への付着が多少ある。下痢は治まっているが、みかんなど食べ過ぎるようなら制限するように言って帰った。 夕方、ヘルパーが訪問すると、 「ひとりぼっちは淋しいねん。」 と、いつになく弱気なマツだった。 「お腹空いてるでしょう?だから淋しくなるんですよ。すぐ温めて来ますからね。お腹一杯になったら幸せな気分になりますよ。」 とヘルパーが話すと、マツはいつもの笑顔に戻った。 機嫌よくしているが、一人になると淋しいようで、「しんどいなあ、しんどいなあ」と、独り言を言っていた。 冷蔵庫の中にかまぼこがたくさん入っているので、ヘルパーがマツに、誰にいただいたのかを聞いたが、知らないとのこと。 「わては食べられへん。持って帰って。」 と何度も言われ、利用者から金品を貰うことを厳禁されているヘルパーが困っていた。 看護婦が訪問すると、襖の向こうでマツが、「しんどい、しんどい」と独り言を繰り返すのが聞こえた。 ベッドに寝ていたが、看護婦の顔を見るとたちまち元気になった。 下着交換を行おうとすると、 「下着はきれいやから・・・」と着替えを嫌がった。膝の軟膏を塗る時、「ついでに・・・」と看護師が誘導して履き替えさせた。さっきまで嫌がっていたのが、「さっぱりした」と喜んだ。 夕食のうなぎ、ヘルパーが温めて出すと、「おいしい、ありがとう。」と喜んで食べた。お粥も、高野豆腐も全量摂って、 「なんぼきばってもはいらんわ。おかずが多いので、どれ食べようか迷う。おいしいなあ。」と言いながら食べていた。 マツは体調も安定し、食欲もあり、良好だった。 桂に住むマツさんの弟(岩佐稲二郎)が尋ねてきた。彼とは一つ違いで、姉弟合わせると大層な歳になった。ケーキのお土産を貰い、二人して嬉しそうに話しを交わしていた。。 稲二郎が帰ると、少し疲れたようで、「しんどい、しんどい」の声が聞こる。 朝のヘルパーが尋ねると、部屋はまだ暗く、襖の向こうで独り言が聞こえてきた。 「ああしんど・・・」 ヘルパーが挨拶して恐る恐る電気を点けると、マツがスクッと起きてきた。思わず、 「お元気でよかった!」 「ふふふ、ありがとう、気分ええ・ ・ ・」 兄弟の話をし、姉二人と兄がすでに亡くなり、下の二人(マツと稲二郎)がこの年までがんばっていることを話した。 大工さんが戸を直しに来た。先日マツを近くの病院で検診させようとした時、通り庭の中戸が狭くて通りにくかった。それで戸の付け直しを退蔵が依頼したのだ。 朝のヘルパーが入ってくるなりお線香が匂ってきた。今日はお彼岸の中日だった。梅の開花が早いので、もうじき桜が見られそうだとヘルパーが話した。 「マツさんお花見行きたくないの?」 「そんなしんどいことしとないねん。テレビでお花見するのが一番楽や。」 マツがさいふの中を見て大きく溜息をついている。 「どうされたの?」 「お金がどこへ行ったんやろ。わからん。ボケてるんやなあ、あははは・・」 「本人さんお金が少なくなっているようで、心細く思われています。」 とヘルパーから退蔵に連絡があった。 「うっかりしていました。お金、叔母に渡しておきます。」 朝のヘルパーがやって来た時、マツは熟睡していた。食事の支度ができたことを告げると気持ちよく起きて、 「ああ、ええ天気やなあ・・・」 庭が見えるようヘルパーがカーテンを開けてくれていた。 「わての入れ歯、作ってからもう十年以上なるけど、この入歯がよう合うてんねん。はぐきが痩せてきてへん証拠や。」 礼子が届けたちらし寿司をヘルパーが夕食に出すと、大層気に入って、 「なんておいしいなあ。」 「岸辺さん、お寿司が好きなんですね。」 「そうや。お寿司大好き。」 を連発して食べていた。次に煮魚を、 「なんとおいしい鯛やなあ。」 骨があるにもかかわらず味わっている。 「お魚がお好きなんやねえ。」 ほどなくお寿司のケースが空になった。 「寝ててご馳走食べられるて、わて幸せ!」 全部を食べつくした。 2002年4月 平成14年 三時頃、礼子はサカエへ自転車で走り叔母に甘海老と、台所に春柄のスリッパを買ってきた。持って行くと、テレビが点いていたのでマツに声を掛け、甘海老とスリッパを置いて帰った。 夕食はおかゆをお茶碗一杯。鯛の煮付け全量、豆腐すまし汁、礼子の差し入れの甘えびのお造り。 「おいしい。」 「よかったね。」 ヘルパーが微笑みかけると、 「あんたになにか上げようと思うのに、なにもない。」 と、マツはちょっと涙ぐんでいた。 今朝ヘルパーが訪れた時、マツはもう目覚めており、独り言で「ありがとう」を繰り返していた。一日一日を感謝の気持ちで過ごしているのだろうか。 「あんた、味付けが上手やなあ。」 朝食をたべながらマツが褒めた。 「私たちいつもマツさんにおいしく食べてもらいたくて心を配ってるんですよ。喜んでいただけてほんとうに嬉しいです。」 夕方のヘルパーが、十五分ばかり遅れて来たら、隣の部屋でマツが自分で食事の用意をしていて、彼女は慌ててしまった。 「お腹がすいて、お腹がすいて・・・」 「本当に申し訳ありませんでした。」 マツの話はいつもヘルパーを感心させた。 「気持ちの持ち方で幸せにも不幸にもなる。わては一人ぼっちやけど、毎日おいしいものは食べられるし、甥夫婦が親切にしてくれるし、幸せや。」 ちょうどテレビでやっていた長寿日本一の人の話にヘルパーが話題を向けると、 「わてはまだまだ若い方や。日本一までは先が長い。」 朝のヘルパーが訪問すると、表の鍵が開いており、カーテンも半開きになっていた。台所にマツが座っていて、 「今注文したさかい、もう持ってくる頃や。待ってるねん。」 うな重とお造りが届くと、 「嬉しい、嬉しい・・・」 と喜んですぐに食べ出した。 「やっぱりおいしいわ・ ・ ・」と何度も口にした。 結局マツは、うな重二分の一、お造り二切れと漬物を残す。 出前代は退蔵からマツに返金した。外食分は今後ともこちらから出すからとマツに言った上で、「それもほどほどに」と諌めておいた。 枕のカバーが古くなって、そばがらがいつも二三粒枕元にこぼれ出ていた。 買物のついでに礼子は寺町の布団屋でそば枕を買って帰る。昼から岸辺に届け、叔母の頭に合うか聞いて見たら、どうやら気に入ってくれた。 看護師が訪問時、マツは電灯を消して真っ暗な中で寝ていた。起きてもらって、全身清拭、手浴、足浴、うがい、義歯洗浄など行う。リハビリメニューは、座位での足踏み二十回、足関節の屈伸、左右各二十回、肩挙上十回、深呼吸三回・・・ 今日は両足、ややむくみが見られる。足首を曲げ伸ばしすると血行がよくなるので、マツにテレビを見ながらするといいと看護師が勧めてくれた。 礼子が出来たての天ぷらを届けた。 「こんなご馳走があってバチが当たるわ。」 マツが喜んだ。ヘルパーは、 「当たりませんよ。バチは悪いことした人にあたるので、岸辺さんはいい人なので当たりません、だいじょうぶ。」 「あはは、あんた巧いこと言うなあ。」 「お腹がすいたから出前を取ろ思て・・・」と、夕方のヘルパーが訪問した時、中の間まで出て来ていた。 「たまには変わったもんも食べたいねん。」とマツは出前の言い訳をした。「食欲あるもんなあ。自分から食べに行かれへんさかい、出前をとらんとなあ。」 退蔵は夕方ごみ袋を回収に行き、再度、出前を慎むようマツに言っておいた。せっかくヘルパーさんが毎度作ってくれているのに、と退蔵は思うが、禁止するわけにもいかないし、マツにとって食べるだけが唯一楽しみだから、たまには仕方ないとも思う。 今日昼過ぎ、F先生が往診に来てくれた。その後に看護師が訪問し、血圧を計ると少し高い。 「今、先生が来やはったとこやさかい、気い使うたんやなあ。」 とマツは笑っていた。事実三十分後に再検すると下降していた。 右足にややむくみがあるが、顔色も問題ないとのこと。 夕方のヘルパーがやってくると、ベッド上にお盆に載せられたうな重と分厚く切った造りがあった。 「お腹が空いて空いて、注文してしもた。ああおいしい。おいしい鯛やなあ。生きてるわ。」 と感心しながらマツは食べていたが、やがて、 「あかんなあ・・・やっぱりあかん。食べられると自分では思うたんやけど。」 と、お造り二分の一、うな重二分の一を残して終わった。 「いっぺん食べてみたかったんや。辛抱が足りん。あかん。」 仏壇にお線香が上がっていた。 ヘルパーが部屋に入るなり、 「わあー、春らしいなあ。ええなあ、ええなあ。」とマツが叫んだ。「若いて、ええなあ。」 ヘルパーのピンクのワンピース姿を何度も何度も絶賛した。 「ありがとうございます。」とヘルパーさん、「外出されない岸辺さんに、春を届けるのにこんな方法もあるんですね!」 マツはヘルパーが帰るまで「ええなあ」を言い続けた。 礼子が五時前に叔母のとこへ天ぷらを持って行つた。マツがここのところ出前のうな重にはまり込んでいて今日も注文したと嬉しそうにしている。そんなに度々鰻を食べてコレステロールは大丈夫かなと礼子は心配になるが、九十七歳の人にはそんなことより日々好きな物を食べた方がよいのかもしれない。 夕方退蔵は叔母に手持ち金を渡しに行った。今まで八日ごとに一万円渡していたのを、近頃出前を取るようになり、押さえることもできないので、八日目ごとに一万五千円に増額した。叔母には無闇な贅沢は身体にもよくないことを説明しておいた。また昨日はうな重と天ぷらをヘルパーさんといっしょに食べたらしく、その行為が返ってヘルパーさんを困らせていることも重々言って聞かせた。 今日は看護師二人での訪問だった。マツは電気を消して眠っていたが、声を掛けると起きてくれた。 両下肢のむくみは今日は見られない。膝に軟膏を塗ったあと、リハビリ(足踏み二十回、足揚げ六回、両手上げ二十回、肩上げ、深呼吸)指導してもらっている。 看護師二人が退室したあともマツが独り言を言っていた。 「運動せなあかんなあ。」そして「若いもんに負けてられん!」 朝のヘルパーさんが訪問すると、枕元に「天丼を注文してください」とメモ書きがあった。ヘルパーさんが、「岸辺さんの好きなものをお作りするから出前はやめましょう。」と、納得させてくれた。 看護師が訪問した時、マツが居間に座っていたので彼女はびっくりした。 「誰もきいひんし、どうなってんのやろなと思もて。」 とマツは笑っていた。 礼子が届けた筍を、 「柔らこうておいしい。」と喜んでいた。全部食べ、これも礼子が揚げてきた天ぷらも海老からお箸をつけて、「これもおいしい」とのこと。しかし、蟹かまぼこの天ぷら、野菜揚げは残した。やはり油の量が多いので、少しで満腹感があるようだ。 「みかん、もうおいしくない。水気もなんにもない。まずいねん・・・」 みかんの季節も終わったようだ。 昼のヘルパーが訪問すると、表の鍵が開いており、マツが出前の「ぎおんべんとう」を食べている最中だった。ご飯も三分の二以上、おかずもほとんど食べ終わっていた。 夕方もヘルパーが訪問時、出前が来たあとで、天ぷら定食三分の二ほど食べてしまったいた。 「人生の最大の楽しみは食べること!」 と、食に関してはとても意欲的なマツではあった。 2002年5月 平成14年 夕方礼子が叔母に天麩羅を揚げるけど食べるかどうか聞いてみた。 「うん、よばれるわ。」 マツが言ったので礼子は急いで作って持って行った。ところが、上がりがまちにお盆が置いてある。 「なにか取らはったの?」 怪訝に思って礼子が訊くと、 「天麩羅が食べとうて頼んだんや。」 礼子はあっけにとられた。一応家の天麩羅をマツに見せ、あとは精一杯気持ちを抑えた。 「二重になったし持って帰るね。」 何回かこんな事があった。そこで、晩のおかずはヘルパーさんが作ってくれているし、食べたいものは仕出屋さんで頼んでいるので、礼子もおかずはしばらく持って行くのをやめにした。 夕方のヘルパーが訪問すると、 「お腹がすいた。」 マツが居間に座っていた。夕食の献立の竹の子煮がなくなっていたので、早々にマツが食べたのだろう。 夕方、退蔵がごみ袋を収集に行って、「連絡帳」を持って帰ろうと思ったら、定位置のちゃぶ台には見当たらなかった。叔母に尋ねて枕元の廻りを探したが見つからない。 翌朝、新しい帳面を作っていくと、マツの枕もとの棚に「連絡帳」が置かれていた。 朝のヘルパーが買っておいてくれたお造りが気に入ったらしく、「なんとおいしい!」ばっかり繰り返す。 「とってもおいしいよ。」 おいしいしか声が出ない。 「へえ!」と感心していた。やっと「ありがとう」の言葉が出て、「ご馳走さま。」 その後からも、 「ああおいしいかった。全部食べた。満腹。もうそない食べられへん。」 造りは三切れ残っていた。 今日は子供の日だ。礼子が柏餅を持っていくと、 「今日は柏餅食べんとあかん日や。礼子さんありがとう。覚えといてくれたんやねえ。近頃食い気が勝って、おいしい。」 と大笑いした。 「笑いながら食べたらなおおいしい。」 夕方、ヘルパーが五時前に来たのに、 「もう出前取って食べた。」 ベッド上には造り一切れ、うなぎ一枚、ご飯二分の一が残っていて、 「もう少ししたらまた食べる。」 ノートのメニューのうち、豆腐のみそ汁が見当たらない。 「ころっと死ねたらええんやけど、お迎えがないと死なれへん・・・」 マツが長いこと独り言をつぶやいていた。 「足の運動せなあかんなあ。」 夕方のヘルパーが訪問すると、マツが、 「今日のおかずは何かいな。」 と独りごちながら、台所へ見に出てきていた。空の盆が出入口に置いてあったので、ヘルパーは嫌な予感がした。案の定、 「うなぎが食べたいから注文した。」 と言う。マツは準備された夕食を覗いてみて、 「これやったら明日また食べられるなあ。」 とベッドに戻り、相撲を見ていた。 出前が到着。うなぎ二枚、玉子だし巻き、造り、ご飯。それに吸物と漬物。吸物は温かいままの出前だったので、ヘルパーがお茶のみ用意してくれた。マツは本当にうれしそうな幸せいっぱいの顔をしていた。 台所でねずみが走り回っている・・・ ベッドの下から、汚れ下着が出てきた。 十一時半ごろ、ケアマネージャーと施工業者が来て、退蔵とで風呂回りの改修の相談をした。そろそろ温かくなってきたので、マツに入浴させようと退蔵は思っていた。去年の秋以来は半年以上風呂に入っていない。昨日ヘルパーにマツが、そろそろ風呂に入ってもいいようなことを言ったらしく、それには足元が弱っているマツのために少し風呂場と廊下の段差解消などをしておく必要があった。多少自己負担金が出てきそうだが仕方ないと退蔵は考えた。 ヘルパーが訪問したのが午後五時前だったが、もう間もなく弁当が届くとマツがそわそわしていた。出前を取ってしまったようだ。 「ちょっとあったらええんやけどなあ。」 お茶と汁物を出すヘルパーに弁解する。 「よう食べへんもん。」 ご飯、おかず半分くらい残した。 「半分食べた、上等上等。」と自分で言い、 残りはきれいに器に詰めて、「明日食べる。」と言った。 夕方大工が風呂回りの検分に来たので、退蔵も立ち会った。マツには二三日庭で工事が入ることを退蔵から説明しておいた。 ヘルパーが五時前訪問すると、電灯を消してマツはぐっすり眠っていた。 夕食を出しても、 「まだお腹空いてないねん。」 全く食欲がない状態。顔がまだ眠っていた、 「岸辺さん、今、身体がぐっすり眠っているんじゃないですか?」 「そうや、まだ眠い・ ・ ・」 「じゃあ、お休みになられますか?」 すると、すぐ横になり眠ってしまった。こんな日もあるんだと思い、ヘルパーは、夜中にマツがお腹が空くと困るだろうと心配したが、賞味期限が二十二日までの巻き寿司が一本あったので、枕元に置いておいた。食べなかった食事の品々はそのまま冷蔵庫の中に入れて引き上げた。 「どうぞよい夢を見られますように。」 朝のヘルパーが新聞を持っていくと隅々まで目を通し、中華民国機墜落の記事を読んで、 「怖おうて飛行機乗られへんなあ。」 「私、二十八日に乗るんです!」 ヘルパーが話すと、 「そらええなあ。ほんとはわてまだ飛行機に乗ったことない。そら楽しみや。」 とマツが事故のことを忘れて羨ましがった。 五時十分前に夕方のヘルパーさんが訪問すると、 「お腹空いたし出前とったんや。」 空の盆が玄関先に置かれいて、出前をマツが待っていた。 出前が遅いので、その間テレビ点け、さらに仏壇に線香を上げたりしていた。そのうちやっと出前が来ると、相撲見ながらマツは、 「食べたかったさかい頼んだんや。」 と独り言。 「そやけど、そない食べられへん。」 「もう満腹で食べられん。」 だし巻きがそのまま、うなぎ二分の一が残る。 礼子がシュークリーム二個買ってきて、岸辺に持っていった。マツはご飯を食べ終わったとこらしいので、シュークリームを一応見せて、「後で食べたら?」と礼子が冷蔵庫に入れかけると、 「いま食べる。」駄々っ子のような顔をした。 2002年6月 平成14年 朝のヘルパーが、アユを焼いて出すと、マツは、 「ありがとう、手間かけるなあ。おいしいえ、ああおいし。」 と二匹とも食べた。 夕食にはマツはうなぎを注文すると言うので、ヘルパーが、 「それならスーパーで買って来ます。」 と申し出たが、マツは、 「生きてる間においしいもんが食べたい。お金もこうして用意してある。」 と言い張った。 夕方、暑いのでマツはシャツ一枚になっていた。ヘルパーが熱いタオルを出すと、 「ああ、すっとした。」 出前の鰻が盆に載っていた。冷蔵庫を見ると、朝のヘルパーさんが用意してくれた二品と、すまし汁の具もあり、それもいっしょにマツに差し出した。 「えらいご馳走や。」と喜んで食べ、「ほんまにわて注文したんやろか?キツネにつままれてるみたい。」 ととぼけて見せた。 昼、ヘルパーが訪問すると、鍵が開いていたので、もしや?と思って入いると、マツが出前を注文し、ちょうど食べているところだった。 食事の後、ヘルパーがいちご、バナナを出すとそれもぺろりと食べた。 朝のヘルパーが訪問時なぜか中から鍵が掛かっていた。携帯から電話すると、マツは了解し、玄関までハイハイでやってきて開けてくれた。 「この方が楽や。手摺りは怖おて持って歩けん。」 と笑顔だったが、ヘルパーはマツがどうして中から鍵を掛けたのか結局分からなかった。 マツの足にむくみがみられたので、 「時々ベッドに横になって、足を高くして休んでいたら?」 とヘルパーが意見すると、マツは 「わかった。」と素直にすぐ実行に移した。 今年初物の西瓜を生協で買ってきて礼子がお裾分けに昼過ぎマツに持って行った。 「暑い時はおいしいなあ、おいしい!」 マツは赤いところをスプーンでほぜるようにして食べていた。 看護師訪問日。 血圧が少し高めなのと、両足の甲の腫れが気になった。マツは看護師と機嫌よくおしゃべりしていた。七日に便があったきりその後出ていない。左下腹部がやや膨満し、圧迫すると痛みがある。便秘のため、看護師が腹部マッサージをし、少し腹緊を使ったりリハビリをしてくれた。肛門を刺激しても、マツの便意はなかった。 「食欲はあるからマツさん、そのうち出ると思いますよ。」 「お父さん、はよ連れに来てー」 と、何度かマツが独り言を言った。 朝のヘルパーが訪ねると、マツは気分よく目覚めた。 「仕出し屋さんに、たくさん払われてるんですね。」 「もういつお迎えが来るかわからんから、好きなもん食べるんや。」 と笑っている。 マツが仕出屋に電話注文しようとしているその時に夕方のヘルパーが訪問した。 「岸辺さん!昼のヘルパーさんが上手に煮物を作ってくださっているので、今日もおいしそうよ!」 「あはは。そうかあ。」 今日はセーフ! なすの煮付けも、高野豆腐の甘煮も、おいしかったようで、マツも満足気だった。 「お腹がすいた。」 とマツが出前を頼んでいた。 ヘルパーに手足浴、全身清拭、更衣などをしてもらって、さっぱりした後、うなぎ定食を食べだした。 「おいしい。おいしいけど、食べきれへん、えらいご馳走や。」 口ばかりで、あまり腹には入っていない。蟹は半分、造りは三分の二残っていた。漬物といちごは全量食べて、「満腹!」と言った。 朝のヘルパーが訪問をすると、マツは糸と針を出してつくろい物をしていた。 「針に糸通せるんですか!」 ヘルパーが目を丸くした。 「こんなんなんぼでもでけるえぇ。ついこないだまで、わて仕立てもんしてたんや。訪問着やら、振袖かて縫うててたんえ。」 「へえっ!びっくり、びっくり!」 ヘルパーがマツのために庭側の戸を開けて風通しよくしょうとしたが、蚊が入ってくる。 「電気蚊取りががあればいいですね。」 「夕ご飯ですよ。」 ヘルパーが声を掛けるとマツが目を覚ました。あまりお腹が空いていないとのこと。あっさりしたものがおいしいらしい。 テレビを見ながら、マツの独り言でヘルパーさんが気付いた。「モーション」という言葉をマツは知っていた。 「ハイカラですねー」 ヘルパーさんが感心すると、 「わて若い頃、西陣の女工さんにあこがれたんえ。自分で働きたかった。お母はんにきつ怒られたけどなあ・・・」 この時間はトルコ対日本のサッカーを中継中で、サッカーの話をし、ヘルパーさんとマツはいっしょにテレビを観ていた。 「あっ!あー!」と、マツは敵味方なく応援している。 「マツさん、サッカー分かるんですか?」 「分かれへん。分かれへんれど面白い。」 「今日は雨ですよー」 「そうかあ。わてには関係ないけど、あんたら大変やなあ。傘さして帰るんか?・・・」 「いいえ、私は車で来てますから・・・」 「そうかあ。車やったら濡れへんなあ。」 何気ない会話がマツの脳には心地よいのだろう。 焼き鮭がおいしいと喜んでいた。 ベッド横の時計の電池が切れている。 先日来の改装工事で縁側が広くなり、浴室の中も新しいスノコが敷かれ、マツもすっかり喜んでいる。 市の福祉課から風呂の改築を確認にきた。ついでにマツの近況を観察して行ったが、マツは昔のこともよく覚えていて、彼女の一人舞台のようによく喋った。 朝、ヘルパーが訪問時はまだ眠っていたが、すぐに目を覚まし、いつものように新聞を読み始めた。天気が悪かったので、庭のガラス戸から外を見て、 「そろそろ梅雨じぶんやなあ。ほれ、庭が夕方みたいや。」 と形容した。 「お腹空いてるねん。」と朝食も、「おいしい、おいしい。」とよく食べた。 今日は六月の晦日で大極殿から「みなづき」の配達があった。 |