介護4
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介 護 日 誌 その4
岸辺マツ
明治三十八年生まれ
夫、長男、次男を亡くして、一人暮らし・ ・ ・
近くに亡兄の長男あきら(私、昭和七年生まれ)が住んでいる。
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(平成15年前半)
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2003年1月 平成15年 礼子は自家製のお雑煮を持って退蔵と共に岸辺を訪ねた。年賀状を渡すとマツはさっそく目を通して、一人一人の名前を確認しては納得していた。 「お餅はいくつ?」と礼子がマツに訊くと、「二つ食べられる。」 おせちと千枚漬とうにが気に入って、 「おいしいおいしい!」 と食べてくれた。 お正月なので三人で花札をして遊ぶつもりだったが、マツはお腹が一杯で横になりたそうだったので、またお昼から出直すことにした。 叔母の便秘が気になって退蔵は浣腸を用意していた。でもマツは、 「どうもない」とのことだった。お餅で便通がつくか、様子をみることにした。 昼過ぎ電話をしてみて、マツが起きていたら花札をして遊ぼうと思い、礼子が二三度掛けてみる。どうやらぐっすり眠っているようだった。 夕食時にもう一度夫婦で訪問した。マツは起きてテレビを見ていたが、ご飯のことを尋ねると、柔らかいのがいいとのことで、おかゆにし、水分補給に蛤のおつゆを作ったが、蛤のおつゆは以前からマツは大好きで、今日もおいしいおいしいと、二杯お代わりした。 食後に花札をしようかと退蔵が提案したが、マツはお腹が一杯だし、これからテレビを見るから明日にしようと断った。 二日目もお雑煮を持って二人で訪ねた。礼子が熱いタオルでマツの手を拭いてやると、 「赤ん坊みたいや。」 と楽しそうに笑った。きんとん、金柑、たらこなど持って行ったが、お雑煮を一番喜んで、今日もお代わりをした。 食後三人で花札をして遊んだが、マツは自分で全部考え、配り方、点数の数え方から手役出来役などしっかり覚えていて、退蔵も感心してしまった。 正月早々看護師が訪問してくれた。寝ぼけているのか、今日は元旦だろうとマツが言い張り、二日だと納得してもらうのにいつとき掛かった。 陰洗はマツが「寒いから」という理由で半身清拭で対応している。マツがまたお金包んだが、看護師は、退蔵の用意しておいたお菓子一つと「ひつじ」の折り紙を見せて、これだけ貰うからと伝えると、マツはなんとか納得したようだ。 夕方、叔母がおせちに飽きたのではと、好物の鯛のお造りを持って礼子が訪ねた。蛤のおつゆも付けて出すと、 「ぎょうさんある!ご馳走や。」 と喜んだ。ところが朝の花札の話をするとすっかりもう忘れていた。昔の事はよく覚えているが、直前のことを覚えていないことが時々ある。 退蔵がマツに日記を付けることを勧め、ノートを渡し、その場で今日の出来事を書いてもらった。字も達筆なので、続けてくれるといいと退蔵は思った。 いまだ便が出ていないので、 「浣腸をしようか?」 と退蔵がすすめてみたが、マツはお腹をさすって、 「まだ、どうもない。」 と言う。無理にとも言えずそのままにしている。 マツはベッドの上に起きて待っていた。 「あけましておめでとうございます!」 今年初めてのヘルパーさんが熱いタオルを渡して挨拶した。 「おめでとう。」 マツは嬉しそうだった。 おせちは見るだけで箸を出すことはなく、満腹だと言った。 お正月に花札をして楽しかった話などをしながら二人で大きな声で初笑いした。 「なにやかや貰うたもの食べるやろ。もうごちそうさまや。」 正月早々またお金を包んでヘルパーに渡そうとした。ヘルパーが断ると、ベッドから下りて畳に座り、蕎麦まんじゅうと包み紙を渡し、私の気持を受取ってとヘルパーの膝に押し付けた。 「沢村さんからお菓子と折り紙を頂いてます。」 と見せると、 「あの人器用やからなあ。」 とマツはちょっと寂しそうだった。 夕方、マツがぐっすり寝込んでいたが、ヘルパーが声を掛け、清拭後食事する。 「なんでやろ。もうよう食べん。」 それでも造りはおいしそうに食べて、お茶を持っていくと、 「これが一番おいしい。」 テレビの番組も普段に戻ったので、マツはさっそく時代劇を見ていた。 前触れなしで福祉事務所から訪問があり、いろいろ彼女が質問するのにマツはしっかり受け答えしていた。その事務員が帰り際、ヘルパーにするようにお金を包んで差し出すので、彼女がびっくりして断ると、 「そんなら甘えとくわ。また来てや。」とマツはお金を財布に仕舞った。 朝のヘルパーが訪問時テレビが点いているので、今日は早いお目覚めだなあと思って声を掛けたが、マツはまだぐっすり眠っていた。もう一度声を掛けるとすぐに起き上がり、いつも通りにこやかで、よく話をする。 夕食の買物に魚はもう飽きたのかなあ、とヘルパーが本人に聞いてみたが、 「ふん、でもやっぱり魚しかないなあ。」 鯛を煮て欲しいとのこと。 ヘルパーがやってきた時、マツはベッドの中で大きなくしゃみを一回。でも部屋は暖かかった。 煮魚は「おいしい」と言いながら、半分残している。 今日もアイスクリームを買って来てほしいとヘルパーに頼み、すぐにおいしいおいしいと食べていた。 今日もお金を包んだが、ヘルパーは枕元のチョコレートを一個貰ってマツといっしょに食べることで納得してもらった。 ヘルパーが帰り際、寝室から「お父さん助けて・・・」とマツの呟く声が聞き取れた。独り言は多くなって来ている。 いつも釜揚げは好きですぐに食べてしまった。漬物もマツは間違いなく食べ切るのだ。 「そんなに食べられへん。」と言ってると思うと、「焼き魚おいしい。」と食べている。「お腹いっぱい。そないに食べられへん。」とまた繰り返した。 お金を包もうとしている。 「わての気持や、もろて。そやけど包む紙があらへん・・・」「もろてや。」 と独り言を言いながら半紙かティッシュを探している。仕事を終えるとヘルパーはすぐに荷物をまとめてさーっと出られる態勢にしておいてから、 「マツさん、さよなら!またね。」 でも、やっぱり這って出て来て、台所で姿を探しながら、 「もう居やはらへん・・・」 マツの声がヘルパーの背後に聞こえていた。 いつもの時代劇をマツは真剣に見ていた。ヘルパーが朝の新聞を持って行くと、 「ありがとう。」 十一時ごろヘルパーが朝ご飯を持って行く。食欲は少し落ちているようだ。 炊飯器の下にごきぶりがたくさんいたので、ヘルパーはタッパーにご飯を入れて冷蔵庫に入れておく。 ヘルパーが台所のスノコを雑巾掛けしていると、マツが這って出て来て、 「これ私の気持やし・・・」 と彼女のカバンの中へ入れようとする。急いで、 「寒いからベッドに戻ってください。気持は充分頂いていますから。」 受け取れない訳を繰り返し、やっと分ってくれたが、マツは何度も、 「すまんなあ、すまんなあ・・」 マツの目に涙が流れている。ヘルパーの胸がきゅんと痛んだ。 便秘が四日目で、看護師が摘便を試みたが、排ガスのみで硬い便には触れなかった。 「お正月どっか行ったか?」 とマツが三回くらい看護師に聞いた。 「初詣に行きましたよ。」 「わてはテレビであちこち行った。」 かぼちゃの煮付けの皮が固いようで、マツは中の柔らかいところのみを食べている。 「ここがおいしいのや。」 ヘルパーの帰り際、マツがお金を包んで差し出し、 「車代にしてや。」と言うので、 「今日は自転車だから・・・」 とヘルパーが返答すると、 「そらお金かからへんなあ。」と二人で大笑いした。笑いついでにお金を戻してくれたのでヘルパーはホッとする。 電気を点けたままマツは寝ていた。ヘルパーの声にびっくりして起きた。 「よう寝てたわー。」 雪が降っていることをヘルパーが伝え、裏庭のカーテンを開けて見せると、 「ほんとや。白いなあ。」 と子供のような顔付きをした。 「天皇陛下もわてらとおんなじやなあ。病気しやはるわ。」 とマツは新聞を読んでいた。 野菜には一応箸をつけたが、鶏はヘルパーが細かく刻んでくれたのに食べなかった。 「鶏おいしいけど堅い。」 と独り言っている。食事途中,喉に食べ物が詰まった。自力で「ゴホン」として治ったが、喉も細くなっているのかもしれない。 「おばあさんで、そんなにたんと食べられへん。」 訪問したらガスが切れていた。ヘルパーが元コックを探して戻してくれた。マツは電気ストーブだけ点けて寝ていた。ガスの元栓が切れたことを伝えると、 「気を付けなあかんなあ。」 と何度も自分に言い聞かせていた。 お腹が空いていたようで、冷蔵庫からリンゴなどを出して食べていたようだ。 「ご飯は熱々がおいしい!」と喜び、 「一人ぼっちやから、人が来てくれはったら嬉しいねん。」とも言った。 貴乃花が引退したことが新聞の大見出しになっていた。 「ほうかあ!誰にでも仕舞いがあるのやなあ。」 それから、ちょっと寂しげに、「そうかあ!」を三回ほど繰り返した。 帰る時すでにお金の包みを用意していて、ヘルパーに渡そうとする。 「こんなことはダメですよ。気持は充分頂いていますから。」 と財布の中へお金を戻した。 大きな声でマツが独り言で怒っていた。ベッドの横に貼られた一枚の注意書きに腹を立てていたのだ。それは退蔵がワープロで書いて貼っておいたものだった。 『感謝の言葉こそ大事なので、その気持をお金に代えたりすると、時により、相手を傷つけ、また、ご迷惑を掛けることもあるのです。 退蔵』 朝食の仕度が出来たころには落ち付き、食欲も出て、気持はテレビに向かい、そのあとはケロッとしていた。 食後に、アイスクリームを食べるかどうかヘルパーがマツに尋ねた。 「あるかあ?そんなら食べる食べる。」 とってもうれしそうに言う。冬の最中でもアイスクリームが大好きなだ。 仕出屋に珍しく出前を注文したようで、玄関に空き盆が二枚置いてあった。 「そんなに食べられへんのに、食べたかったんや。」「よけいには食べへんのやけど、ちょっと食べてみたいなあと思て取ったんや。」独り言を言いながら食べている。「たまに食べとうなってきて・・・」「おいしいお漬もんやなあ。」ヘルパーに弁当箱を持ってこさせ、残り物を詰めている。「こんだけ食べたら満腹や。」 保清を面倒くさそうにするので、看護師が手浴、足浴、更衣のみを行った。終わるとマツは、「よかった、すっとした。」と笑顔だった。手足の爪も切ってもらう。 看護師もまたお金の包みは、ヘルパーがするようにマツといっしょにマツの「お財布」へそっと戻した。 「お金はお財布に寝かして大きくしてください。実が成ったら頂きます。」 マツも大きな声で笑っていた。 明朝は零下六度との予報なので、夜九時過ぎ、礼子は叔母のうちに出掛け、台所の水道の水を少し出しっぱなしにしておいた。 ヘルパーが訪問した時、ちょうどマツは着替え中のようだった。先にご飯の準備をし、もう一度部屋に行くと、まだ同じ姿のままだった。どうやら下着の入っている抽斗の場所が分らない様子。いっしょに探して身支度をしてから食事が始まった。ようやくいつもの笑顔に戻った。 テレビの天気予報を見て、 「今日はほんとに寒いなあ。寝てると分らへんけど・・・あんたら気の毒や、わてのために・・・ああ冷たい手や。」 とヘルパーの手をさすった。 「今日はとてもいいお天気ですよ。」 と彼女が笑った。 2003年2月 平成15年 少し遅れてきたヘルパーがすぐに清拭し、食事を出す。焼き魚は骨付きだったが、きれいに骨だけを残した。だいたい味の濃いものが好きなようだ。広島焼きを出したところ、ソース味がおいしかったらしく、「久し振りやなあ。」と喜んだ。しかし芋のすり下ろしは、 「ちべたい(冷たい)わ。」 とマツが顔をしかめた。 「ずっと寝てるし、そない食べられへん。」 漬物は大好物で、後から出しても全部食べた。 たくさんあったおせんべいの大袋もなくなっていたところを見ると、食欲がないわけではない。まだお金包み続いている。そして「お父さん助けてー」も時々。 礼子は、何年ぶりかで焼き芋を買って帰り、半分を、おぜんざいといっしょに叔母のところへ持って行った。 「ありがとう。」 マツは起きてごそごそしていて、紙の包みを枕の下に隠した。ヘルパーに渡すお金を用意していたのだ。礼子は見て見ぬ振りをしてぜんざいを温めた。 「明日は節分ですよ。一日早いけど・・・」とヘルパーが鰯の焼き魚を出した。 「子供の時から好きなんえ。おいしい。」 感激しながらマツはきれいに食べていた。 「ああおいしかった。」 退蔵が新しくガスファンヒーターを購入して部屋に取り付けたが、マツは新しい物にはすぐは慣れてくれなかった。マツさんは不安そうで、それでもヒーターから風が出て来て部屋がすぐ暖かくなるので、「助かるわ。」と言った。 退蔵が夕方また出掛けて、マツにヒーターの説明を繰り返した。「運転」の赤いボタンを押すと点いて、もう一度押すと消える、と退蔵はくどくどと説明したが、退蔵が帰るとマツは、 「どうやって消すんやろ?」 とヘルパーに訊いていた。 ヘルパーが帰り際にもマツはまだ不安げにぶつぶつ言っているので、ヘルパーが側に付いて、試してもらった。 「ほんまや。簡単や。おばあさんでもよう分る。」 と言った。 翌日も退蔵がヒーターの説明をしに行った。彼が帰った後またマツが困った顔をした。 「どうやって消したらええか分らん。」 ガスストーブが新しくなって、熱風が寝ている顔に吹くようで暑いとマツは言う。古くても使い慣れたのがやはりいいのだろうか。 訪問時すでに起きていて、それからずっとテレビを見たり、新聞を読んだりしていた。少しお元気がないようだった。 ファンヒーターには慣れられたようで、「どうしたらええんやろ」と言う言葉は聞かれなくなった。 食事中少し喉がつまり気味で、好物のお刺身も弾力があり、噛みきれないようだった。たたきのように小さくきざまないと飲み込みにくくなっているのかもしれない。 朝から雪がちらちらしていた。退蔵が十一時に予約してあった錦の花屋へ花篭を取りに行った。それを礼子がマツの家に持って行って、茶箪笥の上に飾った。その時まで何かしきりに独り言を言って寂しそうだったマツが、急にとても感激して、嬉し涙を流した。 「みんながこんなに大事にしてくれて、私は幸せ者や。」 あまり長く泣いているので、 「お誕生日だから、もっと嬉しいお顔をしましょうよ。」 ヘルパーが誘いかけても、 「嬉しいて嬉しいて涙が止まらんのや。」 今朝の食事はしっかり食べていた。 午後、退蔵夫婦はケーキを持ってマツの家に花札をしに出かけた。花札で遊んでいる最中に、整形外科のT先生と看護師が訪ねてきた。 「おばあちゃん、えらい元気やなあ!おじゃま虫やったか?」 T先生がマツに笑いかけた。 三人で花札を一年半(十八回)して、マツはまだまだやりたそうだったが、夕方のヘルパーさんが来てくれたので、それを潮時にバトンタッチをして二人は帰った。 夕方には仕出屋から焼き立ての鯛が届いた。 「あの世では、おいしいもんはそうは食べられへん、今のうちせんど食べときや、お父さんが言うてはるねん。あははは・・・」 鯛はあっというまに半身近くを食べ終えてしまった。 「あと半分は明日食べる。」 マツの九十八歳の誕生日だった。 翌朝、新聞を見ながらの食事だった。 「おいしいけど、そない食べられへん・・・」 残り半身の鯛を食べていた。 「きのうなあ、わての九十八歳の誕生日やったんや。鯛焼いて持ってきてくれはってん。」 満面の笑顔でヘルパーに話していた。 「それはおめでとうございます。」 「あと二三年は生きたいと思うわ。」 「もうすぐ百歳やからがんばってね。」 「九十八!びっくりした。自分では九十六と思てたのに。九十八歳になってもまだボケてへんし、喜んでます。」 と独り言。 「もう満腹、ごちそうさん。」 冷蔵庫を開けて中を覗き込んでいる時にヘルパーが訪問したので、マツはびっくりして、慌ててベッドに這って戻った。 「お腹減ってるのでしたらバナナを食べられますか?」 「ご飯が出来るまで待つわ。」 朝食、お腹が空いていたようで、 「おいしい、おいしい。」を繰り返した。 看護師が訪問時、マツは電気を消してぐっすり寝ていたが、突然電話が掛かってきて、吃驚して起きた。電話の相手はセールスか何かだったようだ。マツの要領の得ない受け答えに相手が切ったようだった。 一人で下着を更衣したらしく、ベッドの下に汚れたパンツが二枚あった。看護師が清拭、更衣、ドライシャンプー、整髪などをしてくれた。それから手足のリハビリに、手あそびとじゃんけんをし、「春が来た」をマツといっしょに歌った。 枕もとに九十八歳の記念写真が飾ってあった。とても若々しくきれいに撮れていて看護師は感心した。 「いいお写真ですねえ。」 「退さんが撮ってくれはってん。」 お金の包みが続いているが、看護師が財布へ戻すと、すんなり、 「ほな甘えとくわなあ。ごめんなあ。」 と受け入れてくれた。 夕方、マツは起きて座布団に座って、髪の手入れをしてた。 いわしは半身夕食までに食べたようで、食べてない方を上に向けて皿に戻してあった。リンゴも半分食べている。 マツは髪に手櫛をいれながらテレビを見ていた。珍しくサスペンスドラマを、ボリュームを大にして見ていた。 ヘルパーがすぐに熱いタオルを差し出し、マツに清拭を促す。続いて食事を出したが、テレビから目を離したマツが、急にそわそわと下の入れ歯がないと探し出した。ヘルパーがいっしょにあちこち探すと、マツがお尻に敷いていて二人で大笑いだった。 尿が濃くて、水分不足気味を感じる。 毎度マツはお金包んで渡そうとするが、ヘルパーも手間を取らないように近頃はっきり断っている。ちょっと白けるが、 「ほんなら甘えとこ。」 マツのせりふもお決まりとなった。 「お魚好きやねん。」 とマツは鰯をペロリ。 「私もお魚好きですよ。」 ヘルパーが同調すると、お魚の話で盛り上がり、 「わてら猫の生まれ変わりやね。」 と二人で意気投合していた。 仕出屋が器を取りに来て、ヘルパーがマツに預かった三千円を支払うと、 「お元気になさってますか?」 と仕出屋の主人が聞いた。 「おばあさんのことは私がまだ子供の時からよう知ってますねん。」 それをヘルパーがマツに伝えると、 「うれしいわ。そうや。あそこの先代に付いてきてて、かわいかったわ。」 と言った。その主人はもう六十近い。 マツの小さい時兄弟で写している写真を、退蔵がパソコンで複写して持って行った。 礼子がおぜんざいを作って訪ねると、マツはその昔の写真をことのほか喜んでいるようで、何度も眺めては楽しそうにしていた。 「これが退さんのお父さんえ。わての兄さんや。これが死んだ姉さん・・・」 写真に夢中でおぜんざいはなかなか進まない。 夕方のヘルパーがやってきた。マツがちょうどハイハイして出て来たので何事かと思うと、老人会からのアルバムのプレゼントが玄関先に置いてあり、それを寝室に持って入った。 今日は間に何か食べたのか(実はぜんざい)あまり食欲がないようだった。 古い写真をマツがヘルパーに見せた。 「みんなよう似たはりますね。」 「そうかあ?わてには全部違うように見える。顔も性格も。そらもうみんな違うえ。兄さんはみんなからシマツヤて言われてはったし、二番目の姉さんはしっかりもんやった。一番上の姉はこわい姉さんやった。この弟はわてと一つ違いやから一番気が逢うたんや。」 とても嬉しそうにしゃべった。 日記付けるように促してますが、照れて「後で書くわ。」とのことでした。調子はよさそうで、「百歳までは生きられそうや。」と笑顔。 「岸辺さん、今日は雪が降って寒いですよ。」 「そうかあ、ちょっとも知らなんだ。」 味付けのりを出すると、 「ああ、おいしい、おいしい。」 と喜んで食べた。蛸ときゅうりの酢の物は、薄くスライスすると、一生懸命首を上下に振りながら噛み砕こうとした。 ヘルパーが日記の記入を促したが、 「なかなか続かんなあ。」 ともう書くのを諦めたよう。その代わり以前に書いた分を朗読してみせた。 朝のヘルパーに鯛の造りが食べたいと注文したが、売りきれで、ヘルパーさんはマグロの造りを買って帰った。マツにそれを見せると、「おいしそう!」と夜食を楽しみにしていた。 夕方、待ちかねてお腹が空いていたようで、いつもと食べる勢いが違った。刺身は鯛より鮪の方が柔らかく食べやすいようだった。しかしマツは、 「わての好みはやっぱり鯛のお刺身や。」 と説を曲げなかった。 目覚めた時に咳が出て、少し苦しそうにしたが、その後は一度も咳が出ることもなかった。 ヘルパーが訪ねて来た頃にはいつものように機嫌よく朝を迎えていた。新聞を読みながら、 「いろんなことが起こるんやなあ。」 と感心していた。 リンゴはすりおろして出すと結構好評だった。お金包みは今も続いている。 アラレの袋にはさみを入れようとしている時にヘルパーが訪問した。 「お腹が空いた・・・」 テレビは点けずに誰かに向かって独り言を言っていた。 昼前、礼子は一昨日買ったミニのお雛さんと、朝から炊いたおでんを持って叔母を訪ねた。お雛さんをマツは大層喜んだ。 夕方のヘルパーがやって来ると、マツが空盆二つを降り口に置いてうろうろしていた。一生懸命言い訳をし出す。 「お腹が減ってて待てんかった。ごめんなあ。」 「朝のヘルパーさんが夕食においしそうなおかずをたくさん作ってくれているのに・・・」 とヘルパーは言ってみた。 「二月六日はわての誕生日やったんや。なにか食べたかったんや。」 と訳の分からないことをつぶやいた。 「こんでご馳走さん!」 とても早く箸を置いた。幕の内がたくさん残っていた。 「あんたもいっしょに食べてくれんか?ようけは食べられへん、お腹満腹。」 マツは電気を点けたまま寝ていて、看護師が声を掛けると、 「ああ、まだ寝ていたいねん。」 と言いながら、それでも起きてきた。仕出屋さんが器を取りに来た。 手、足浴、更衣などしている間、マツは、 「食べる物おいしい。」 と笑顔で強調した。 パンツのゴムが取れているものが一枚あり、自分で繕おうとしているふうだった。 町内から、「自治会の総会に欠席した人にお菓子を配ってます。」と菓子包みを持ってきた。マツに渡すと、すぐに仏壇に供え、 「ありがたいことや。」 と喜んだ。 棚の上のお雛さまも、 「かいらしいなあ。」 とまた嬉しそう眺めていた。 お茶をこぼしたとのことで、マツが床を拭いているところだった。 「わてももう歳や・・・」 賞味期限切れの巻き寿司が半分枕元に残っていたので、ヘルパーが処分しょうとしたら、なんと中の具だけが抜いてあった。 食事はご飯みそ汁お漬物にしかお箸が行かず、ほかはほとんど残っている。 「こんなようけ食べられへん。食べたら化け物や。」 お金の包みがベッドの棚に用意してあり、相変わらず呉れようとするので、ヘルパーがマツの財布に戻したが、今日は二回同じことを繰り返した。枕の横に「節約」と自ら書いて置いてあるのだが・・・ 今朝もお元気で、おかゆはお茶碗一杯ペロリと食べた。誕生日のお花が枯れてきたので、一部を外すと、ちょっとさびしそうな表情になった。 夕食のお魚を残すことが多いとのことで、今朝のヘルパーさんが少し目先の変わった物を用意してくれた。 その、鯖の酢じめは、「おいしい」とマツは心底から味わっている。途中たこ焼に目が行き、ソース味を楽しんでいた。 「食べることが一番の楽しみ!」 今日は何度もおかずに顔を近付け、幸せそうにしていた。 2003年3月 平成15年 「寝てばっかりで、雨が降ってもわからへん」 とマツが独り言を言っていた。 ヘルパーが訪問した時マツは起きてテレビを見ていた。 「お腹が空いたさかい早よ目が覚めた。」 急いで食事を用意すると、「おいしい」を繰り返し、しっかり食べてくれ、ついヘルパーも嬉しくなっていっしょに喜んだ。特に、うに、鮭、を味付け海苔に巻いて食べるのがとても気に入ったようで、 「全部食べた!」 とまるでゲームに勝ったように大笑いしていた。 「お雛さんの日に花札をしよな。」 とマツと約束していたので、礼子はお昼までにおやつとケーキを買ってきた。マツが昼寝をしてしまう前に電話で念を押しておいてから、退蔵と二人で出かけて行って、四時過ぎまで二十四回(二た月)花札をした。つい先ほどのことは忘れるくせに、花札の手役出来役はもとより、、計算も札配りもしっかり覚えていた。四時を過ぎてもマツはまだまだしたりないようだったが、疲れるといけないので退蔵がストップをかけた。 夕方、マツはぐっすり眠っていたが、ヘルパーが起こすとすぐ起きてくれた。顔と手の清拭。 「ああ気持ええ・・・」 それから独り言で、 「今日は面白かった・・・」を繰り返すので、 「どうしたんですか?」 「今日下ん町の甥と礼子さんが花札で遊んでくれはって、面白かったんや。」 と笑って話した。ヘルパーは始めのうちは正月の事を思い出して言っているのかしらと思ったが、やっと今日のことだと納得した。その証拠にケーキが半分残っていた。 「一日早い雛祭りだったのですね。」 看護師が訪問時、マツは起きて頭のネットを直していた。 「喉が乾いてしかたがない、冷たい物が欲しい。」 看護師がオレンジジュースをコップ一杯差し出すと、 「おいしい、おいしい。やっと落ち付いたわ!」 と一気に飲んだ。よほど喉が乾いていたようだ。 今日は足がややむくんでいるが、特に変わりはなかった。看護師が聴診器を当てたが胸の音もきれいだった。リハビリ体操が気に入っているようで、日記にも「がんばります。」と書いていた。 今日は雪が舞って冷たい日だった。ヘルパーがやって来た時マツは裁縫箱を出して何か縫い物を終了したところだった。 「なにを縫ってたの?」 「ううん、ちょっとな。」 今日はご飯、お汁、ぶりの照焼きにお箸が進んだ。しかし副菜はすべて残っている。ヘルパーが来るまでにすでに何かを食べていたようだ。 「今日看護婦さん来られましたね?」 と尋ねると、 「いいや、来やはらへん。」 ヘルパーが二回訊いたが答えは同じ。少し前のことは忘れている。 独り言が聞こえているが、部屋は灯りなし。蒸しタオルを持ってヘルパーが挨拶に行くと、マツは頭からすっぽり布団を被って寝ていた。 ごきぶりがうろうろしているので、台所回りの掃除すると、古いダンボール箱の底にゴキブリの糞がいっぱい溜まっている。そこに手をとられていると、いつの間にか台所にマツが来ていて、アイスクリームを食べかけていた。ヘルパーはすぐに食事を用意する。 鯛の煮付け、 「あまり食べとない・・・」 「野菜がおいしい。」 尿が濃いので、お茶を新しく入れてマツに勧める。すると漬物でお茶を飲んでいる。 朝のヘルパーが訪問時マツは起きてテレビを見ていた。新聞が休みだと伝えると少しがっかりしていた。 昔の写真をヘルパーに見せて、 「これが退蔵の父親や。わての兄さんえ。」と教えた。 昼、看護師が来ると、部屋を真っ暗にして寝ていた。看護師が起こしても、 「今日はかんにんして。」 と動きたがらなかった。体の調子は悪くないようなので、看護師は今日は保清はせずにそのまま帰った。 夕方、久し振りに出前を取っていた。しかしそれも半分ほど食べて終わった。 「そない食べられへん・・・」 食後ヘルパーがうがいを促すと、二回試みたのち、少しにやりとして、 「もう一回!」 いつも三回を促すので、すっかり彼女の口癖を覚えていて、真似をしたのだ。 時代劇がおもしろかったようでマツは真剣に見ていた。 「お魚おいしい。」 と鰯の小骨と格闘していた。 「ああおいしい。飛んで入るわ。」 ベッドのところにお金の包みがあったので、機先を制してヘルパーから財布に戻した。困ったことだが、お金を渡し、それをまた返してもらうのがゲームのように、マツの生活のリズムとなっている。 枕元のメモ帳に、「主人と息子の写真が欲しい」と書かれていたので、ヘルパーが廊下の片隅にあるアルバムを一冊持っていった。昔の婦人会の人達との集合写真をヘルパーといっしょにずうっと見続けていた。 「この人よう知ってる。この人も・・・」 アイスクリームの空箱が枕元にあった。 「あんまり食べとない。」 うなぎには手を付けない。高野豆腐を出しても一箸だけで終わった。 「漬物もいつもやったら食べるんやけど、なんか今日は食べとない。」 いつもマツが、 「車代に取っといて。」と言ってお金を包んで渡そうとするが、 「自転車ですから車代はいりません。」 とヘルパーが断ると、 「そうか。えらい世話になるなあ。」 とすんなり引き下がった。 ヘルパーが来た時、まだぐっすり眠っていたが、食事、新聞へと切り替えが早く、スムーズに時が流れている。 「なんで戦争なんかしはるんやろなあ。」 新聞を見てマツが独り言を言った。イラクのことも北朝鮮のこともマツはよく認知していた。 明日がお彼岸の中日なので、礼子は三色おはぎを持って行って仏壇に供えた。ついでに縮緬布造りの赤ちゃん人形を錦市場で見つけたので、雛人形と取りかえてテレビの上に飾った。 「かいらし(かわいらしい)なあ。」 とマツは何度も人形を指差して楽しそうに笑った。 「お雛さん早よ片づけんと叔母さんお嫁に行けへんから。」 と礼子が軽口を叩くとマツはたちまち大笑いした。 看護師がお通じを尋ねると、 「昨日あった。」 とのこと。体調は良好だ。足の甲の軽い腫れはまだある。 全身清拭、手浴、足浴などしてくれた。右膝を伸ばすと痛みがあるようだ。両膝の拘縮は変りなし。足のリハビリ、上半身ストレッチと、じゃんけんをする。負けても勝ってもマツはそのたびに大きな声で笑った。 戦争のことが気になるようで、テレビを熱心に見ていた。 「一般の人がかなんなあ。」 と心配そう。 尿漏れ少量あり、パンツ二枚を看護師はハイターに浸けて帰る。 < |