介護5
介 護 日 誌 その5
岸辺マツ
明治三十八年生まれ
夫、長男、次男を亡くして、一人暮らし・ ・ ・
近くに亡兄の長男あきら(私、昭和七年生まれ)が住んでいる。
.:*:・’゜★゜’・:*:.。.:*:・’゜☆゜’・:*:.。.:*:・’゜★゜’・:*:.。
(平成15年後半)
2003年7月 平成15年 ヘルパーが訪問した時マツは起きてテレビを見ていた。朝食が出来るまで、渡された新聞を読み、何かつぶやいていた。 食後、ヘルパーが、足踏みをするように声をかけると、マツはすなおに、がんばって足踏み体操をしていた。 カレンダーが七月になると部屋の雰囲気が少し変った。 部屋はさらっとしてクーラーが効いており快適な様子だった。マツは久し振りに勢いよく食べた。しかし量は以前の二分の一ほどで、「お腹一杯」になるようだ。 裏庭のカーテンと窓を開けると、 「あー気持ええ!」 柱時計が止まっていると、ヘルパーさんから電話が掛かってきた。すぐ退蔵が自転車で走り電池の交換をすると再び動き出した。 看護師の訪問時マツはよく眠っていた。 今日は雨が降っていたため入浴はせず、清拭、足浴、爪切り、ドライシャンプーを実施する。清拭後になってマツはようやくすっきり目覚め、機嫌よくしていた。 ベッドの下に汚れたパンツ二枚あり、穿いているのも少し失禁しているようだ。風呂場へ持って行って、パンツ四枚ハイターに浸けておく。 記録上今日で四日間便秘状態だった。マツ自身は苦痛はないとのことなので、看護師から水分摂取を促している。 マツが謡曲をすることをヘルパーは初めて知った。そう言えば枕元に小さな謡曲本が置いてあった。その日、「高砂」をよく通る声で二回も聞かせてくれた。 「すばらしい!マツさん!」 下着汚れてないと言っているが、一部失禁があった。足浴は体まで温まったと嬉しそうにしていた。 おやつを食べているのか、夕食は少食だった。いちごはもう一つ食べると、お砂糖をつけておいしそうに食べていた。それも最後に、 「もうそないはいりません。」 マツはよく眠っていたが、沢村宅よりの電話で目覚めた。昼から花札に誘われたと嬉しそうだった。久し振りに晴れたのでヘルパーが裏庭の窓を開けると、 「気持ええわー!」 と庭を見ていた。 中学生の暴力事件のことを新聞で読んで、 「先生が子供をしっかり指導せんからこんな子供が出来るんや。」 と怒っていた。昔、婦人会副部長で青少年を育成していただけに手厳しい。「負けん気の強いマツさん」の話をいつも繰り返すのだ。 花札をする約束をしていたので、礼子は早い目に昼ご飯を食べて叔母に電話をする。まだ寝ていて、「十分ぐらい待って。」とのことなので、ちょっと間を置いて退蔵と二人で出かけた。とても元気で花札の「役」もよく覚えている。十二回(一年)を二廻り、合計二十四回してまだやりたそうにしている。あまり続けると双方に疲れるのでこのへんで止めておいた。 「何回やっても面白いなあ。」 が叔母の口癖である。 ヘルパーが訪問すると、消灯していが、目は覚ましているようで、「お父さん助けて。」を繰り返しつぶやいていた。 声を掛けると、けろっとしてヘルパーの着ているTシャツが真っ赤だと大笑いする。 「十五、六歳に見えるがな。」 熱いタオルで顔、手、足を拭いた後、オーデコロンを擦り込むと、マツはいい香りに上機嫌だった。 長崎の四歳児殺人事件を熱心に読んでいて、にわかに涙を流した。中一の男の子、そんな性格に生れてきたのも可哀想だと・・・。 「考えられへん。」と何度も首を振っている。 後はまたいつものマツに戻り、元気な声で話をしよく笑った。朝食は好きな物ばかりと完食。 アイスクリームがとても好きだ。ただチョコレートのクリームは嫌いだそうだ。 看護師が訪問した時、マツは布団をこっぽり被って寝ていたが、朝のヘルパーが用意しておいてくれた風呂に入ると、後は、 「スベスベしてええ気持や。」 と、すっかり目覚めていた。 夕方には入浴後でスッキリしていて、食事待ちの状態でテレビの相撲を観戦していた。 やはりご飯と味噌汁中心の食事だった。どこからか頂いたお中元の焼き紅鮭を開封すると、 「これはええ。おいしい。」 と喜んだ。食後のアイスクリームもうれしそうだった。足の腫れ少しひいている。 マツが、部屋に蟻がいると言うので、ヘルパーと二人で部屋中にキンチョールをかけて掃除をした。びっくりするほどの蟻が次々と出て来たので、ヘルパーが退蔵に電話で報告する。退蔵夫婦がやってきてみんなで大掃除した。千匹くらいはいたかもしれない。 夕方、アイスクリームが食べたいとマツが冷蔵庫を開けていた。ヘルパーが顔を出すと、何か冷たい飲み物が欲しいと言う。でもご飯だし、ジュースはいつ開封されたの疑問だった。「後にしましょうね。」と夕食を先にした。ベッドルームでマツの声がした。 「お父さん助けて」・・・ 「どんな時に口から出るのですか?」 夕飯を運びながらヘルパーが尋ねると、 「ああしたいなあ、こうしたいなあ、と思ても、自分で出けへんしなあ。お父さんやったら、よっしゃ、やったる、と言うてくれはる。そう思うんや。」 デザートのぶどうは「おいしい」の十連発。 女性の寿命が延びて八十五歳に到達したとの新聞記事にマツが、 「百歳に近いわてがここにいるのに、八十五歳やて?・・・」 また蟻がたくさん死んでいた。ヘルパーが掃除機で吸い取っておく。 着替えすると下着は失禁で汚れていた。本人は汚れていない気分でいるようだ。足浴では、「こそばい・・・」と、とても可愛い仕草をする。 「ご主人に大事にしてもらわれたのでしょう。」 「そうや、可愛がってもろた。」 さらに失禁パンツ二枚がベッドの下から見付かった。 ゴミ箱の中に蟻がたくさんたかっていたのでヘルパーがキンチョールしておく。 食後マツは新聞を読んでいた。 「ふうん・・・。そうか・・・。ふうん・・・」 明日、近所の友達が訪問するそうだ。 マツがヘルパーに何十年か前の祇園祭の話をしてくれた。家に屏風を飾り、お化粧して、いい着物を着て、それはそれは大ごとだったと話してくれた。姉さんたちとの楽しい思い出話を語ってくれた。 足浴をすると足の腫れがひいてくる。 町内からいただいた赤飯、山菜おこわ、「おいしい、おいしい。」とよろこんでいた。 今日は祇園祭一色。朝からマツはテレビをずっと見続けている。 昼から看護師が来て、入浴を促した。マツは風呂まで這って行き、浴槽の中にも入り、そのあと爪切りもしてもらって機嫌良好だった。 翌朝は、ヘルパーが訪問時もぐっすり寝ていて、 「なんぼ寝ても眠たい・・・」 清拭後はしっかりと目が覚めて新聞を読んでいたが、食事となると、 「あんまり食べとうない。なんでやろ。」 とマツは自分の体調を心配していた。 「あんまり食べられへん。ありがとう。ごちそうさん。もういらん。食べとうない。」 ぶどうを持っていくと、 「これやったらおいしい・・・」 水分が足りないのか濃い尿だった。 何もないと不安なのでヘルパーが、昼用にちっちゃなパンを買っておいた。 夕方もやはり食欲があまりない。粥を三分の二杯ほど食べ、 「なんか果物でもないやろか?」 スイカが二切れ残っていたので、それを出すと、一切れのみ食べ、 「もうお腹一杯や。」 食後は新聞を読んでいる。 「政治というもんは、こんなもんかいな。」 しばらくすると、 「しんどい。お父さん助けて。」 ヘルパーが急いで行くと、もう笑顔で、 「ちょっと横になるわ。」 マツが夕食にハモのおとしが食べたいと言うのでヘルパーがスーパーへ買い行った。 「なんでハモのおとして言うのやろう?」 とマツが何度も疑問を呈するがヘルパーにも解らなかった。 夕方、ヘルパーが訪問した時、マツは自分でお尻にメンタームを塗っていた。虫にさされたような痕が二ヶ所あり、痒いようだった。 ハモのおとしを大変喜んで食べた。今日は暑くて冷たいものがいいらしい。祇園祭に「はも」は付きもんだと言った。でも一人前は無理のようで食べ残している。 冷蔵庫の冷蔵室が冷えてないように思われる。冷気がないのだ。冷凍室はOKだった。ヘルパーから退蔵にも報告が来た。 久し振りに朝食完食だった。 冷蔵庫がやはり故障している。二時ごろ電気屋が来る手はずとなった。 昨日のハモ、豆腐が腐っていたので、夕食は、マツにも了解を得て、缶詰などで対処ることとなった。 冷蔵庫はコンプレッサーが故障で修理代が高く付くので思い切って新品を購入することになった。退蔵が電気屋と掛け合った結果、真夏で忙しい時期にもかかわらず、明日午後には新しい冷蔵庫がやってくる。退蔵はヘルパーさんに、それまでの間、品物の調整を願い出た。 夕飯のひじきの梅煮をマツはあまり好まなかったが、鮭缶は気に入ってくれた。 「世の中から魚と果物、どちらがなくなったら困りますか?」 「うーん・・・」とマツは熟考した後、「 果物やなあ。わてが猫やったら魚やろけど・・」 頭が痒いそうで、頭皮が赤くなるほど掻いている。ヘルパーがお湯でタオルをしぼって拭いてやると、 「ああ気持ええ・・・」 タオルを引き取って自分で顔まで拭いていた。フケは出ていない。 冷蔵庫は故障だが、冷凍室は動いており、残り物はそこに入れてある。 翌日、約束どおり新しい冷蔵庫がやってきた。ピカピカのやつだ。やっぱり新品は気持がいい。台所へ這い出してきてマツもご機嫌だった。 夕方のヘルパーがやってくると、マツは冷蔵庫の戸を開けつつあった。 「やっぱりサラ(新品)はええなあ。そやけど、これどこ仕舞うねえ?」 もう出前を取って食べて終わった残りを、きれいに皿に乗せて冷蔵庫に入れようとしていた。ヘルパーは何も言えなかった。マツが一生懸命上手な言い訳をしてみせたが、ヘルパーは少し間腹立たしくて黙って台所に立っていた。 洗浄、足浴後、朝のヘルパーさんがきれいに並べて用意した夕食を冷蔵庫から出し、ご飯とお茶を添えて出すと、マツは咎めたのか少し箸をつけて食べていた。 朝のヘルパーが訪問したら、マツはベッドに起きて手紙の整理をしていた。「お父さん助けて」とか独り言が多く、ヘルパーが 「何か心配事がありますか?」 と訊くと、 「まあ、いろいろあるけれど・・そやなあ・・・なんか淋しなったんや。」 「お父さんはなんて答えはりますのん?」 「なんも気にせんでええ。きばって生きなあかん、言わはる。」 と笑っている。その後は独り言もなくいつもの表情に戻った。 看護師の検温時もマツはすやすやと寝ていた。眠くて風呂は無理のようなので、清拭、ドライシャンプー、手浴、足浴した。清拭中もうとうとしている。ふいに目を覚まし、 「通じがしたいけど、どうしょう。」 とマツがもじもじし出した。 「ここでされたらいいですよ。」 と看護師が言うと、 「すまんなあ。」 上手にPTに座り排便した。 「たんと出た。」とのこと。 マツはあまり入浴は好きではないようだ。 「どうして?」 と尋ねると、 「面倒やねん。」 また、旅行もそんなに好きではないとのこと。 「何してるのが好きですか?」 「和裁の仕事が好きやった。」 きっといい奥さんだったんだろうと看護師は思った。 髪が長過ぎて、マツはいつもネットをはずしてゴシゴシ掻いている。 そうめんは冷たくて口当たりもよいので大変喜んで食べているようだ。それでもやはり、みそ汁とご飯の方へお箸が動く。 ズボン下を穿いていないので、ヘルパーが勧めたが、「暑いのでこれでええ。」とのこと。 ヘルパーが帰り時、大きな羽のある蟻が一匹ベッドの上にいた。 2003年8月 平成15年 大きな蟻が蛍光灯に二匹とベッドの上に一匹いたのでヘルパーが殺虫剤で殺した。 マツはマヨネーズは大好きなようだ。蟹身をマヨネーズで食べていた。大盛りの蟹身のほとんど食べ尽くした。 いつもベッド上のきゅうすにお茶の用意がしてある。ヘルパーがそれそぞれ新しく入れなおしておいてくれるが、ずっと飲んだ形跡がない。冷蔵庫にも別に用意してあった。 下着汚れいるのに本人は汚れてないと言う。 蟻が大量発生していて、ヘルパーが殺虫剤を撒き、食料品を全部冷蔵庫にしまいこんだ。 夕方のヘルパーが訪問すると、マツは消灯して休んでいた。クーラーも消えていたので、 「岸辺さん朝ですよー。」 「えーほんまに!」 マツが驚いてパッとはね起きた。 「うそです。夕方でした。」 ヘルパーが白状すると、マツはお腹をよじらせて大笑いした。 「頭が痒い」 マツが頭を掻いていた。髪も長くなっているので、 「せめて週一回のお風呂は実施した方がいいですよ。」 ヘルパーが入浴を勧めた。 「そうする。」 ヘルパーが親戚からのハガキをマツに渡すと、眼鏡なしで見ているので、 「読めますか?」 ヘルパーが尋ねると、文面を読み上げながら、 「目はまだ若いねん。」 でもその後眼鏡をかけて、 「やっぱしこの方がよう見えるなあ。」 看護師が訪問時寝ていたが、声をかけるとすぐ起き上がった。入浴を勧めると、 「そやなあ・・・ほな、はいろか。」 と応じた。 「髪が伸びて・・・」とマツが気にしていたので、看護師が少し切ってくれた。 風呂場へはゆっくりだが、スムーズにハイハイの状態で移動していた。入浴後も特に疲労感は訴えず、ただ少し息があがっている程度だった。 下着の汚れてるのがベッドの下に三枚あり、今穿いているのも汚れていた。失禁があるようだった。 冷蔵庫横のくず入れ、アイスクリームの空きケースに蟻が真っ黒にたかっていた。 食事は、スイカから食べ始める。 「気持はわかけど、まずは主食から食べてくださいね。」 ヘルパーがマツに意見すると、よく理解していた。 刺身も一切れのみ。みそ汁も汁だけ飲んで、具は全部残した。 元気にはしている。 ヘルパーが訪問すると、マツは襖を全開して休んでいた。 「お盆やさかい、旦那さまが帰って来たはりますか?」 ヘルパーが水を向けると、 「今ここに来てはるねん。あてを大事にしてくれてはる。」 「ヘエ?あたしはいってええんかしら?」 下着は失禁でしっかり汚れていた。足浴はゆっくり足を浸けもらい石鹸で洗っている。 以前に比べるとマツの食事量が少し減った。 食後は高校野球を見ていたが、ルールはよく分るそうだ。 いつものように新聞にも目を通し、「ふうん・・・そうか・・・」「こんなもんや。ハイありがとう。」 朝のヘルパーが裏庭のカーテン窓を開けたら、 「気持ええわー」 とマツはガラス戸から庭を覗き込むように腰を曲げた。 高校野球は今ちょうど平安がやっていると伝えると、 「それは見なあかん。」 とテレビを点けて、九回裏だったので、少し興奮して見ていた。ものの十五分もすると、 「しんどい、横になろう。」 とつぶやいて、朝ご飯の出来上がるまで横になっていた。高校野球をずっと見ていて疲れたのか、少食だった。 食欲がない。ヘルパーは夕食のおかずの量を少な目に作った。 買い物に行く時、何がいいかマツに聞くと、 「スイカがいいわ!」 と嬉しそうに言う。 スムーズに這い這い歩行で浴室まで行き、入浴している。 足背の腫れは軽減していた。入浴後の息のアップもなく、倦怠感も特に訴えていなかった。 夕刻、ぐっすり眠っていたが、夕飯用に置いてあったスイカが、皮だけ枕元に。 うな重、う巻き、鮎の塩焼き、みそ汁、お茶を出したところ、すごい勢いで食べ出した。 「おいしい。」 という言葉が本心から出ている。舌の肥えたマツならではの「うーん」という満足気な表情に、食欲という欲の深さを感ずる。時々こんな日があってもいいだろう。 下着汚れてないと言っているが、現物を見て最後には、 「ここ濡れてるなあ。」 とやっと認めた。ゆっくり足浴しながら、 「お風呂に入っているみたいやなあ。」 いかにも幸せそうだった。 鯖寿司、一切れやっとの思いで食べている。 居間のちゃぶ台の上に、昨日の残りの鰈煮付けが出ており、その下の物陰にはまだ炊けてない炊飯器が持ち込まれていた。どうしてマツに炊飯器が運べたのか不思議だったが、空腹で食事をしようとしたのだろうか・・・ スイカの皮が流しにあった。ブドウの皮も。結局ご飯が炊けず、果物でがまんしたようである。 ベッド下に汚染パンツが五枚見つかった。 夕方五時前にヘルパーが到着した時、もうすでに出前の天ぷら定食は食べ終わっていた。残り物がきれいに器に入れてあり、ヘルパーはマツに小言を言うわけにもいかず、すぐ片付けて、冷蔵庫にぶどうがあったのでそれをデザートに出す。 地蔵盆のお下がり物を気にして、一生懸命お金を包んでいた。 「五千円持って行ってくれるか?」 ヘルパーは困って、退蔵に何度も電話するが彼は留守のようだった。どうしてもお供えを持って行ってくれとヘルパーに頼むので、彼女が地蔵さんのお祭りがしてある近所の家を尋ねたら、「もう頂いてます。」と言う。それをマツに伝えるが、その時はそうかと納得するが、五分も経たないうちにまた、持って行ってくれと頼む。 「息子が生きていたらしてくれるのに。」 と涙を流すのだ。 「もうお供えはしてありますよ。」 とヘルパーが繰り返すとようやく、 「そうかあ?忘れてるわ。」 とのこと。またマツが悩んではもいけないと思い、ふくさとお供えを片付けてもらった。 頭が痒かったようで、かきむしって髪が嵐の後のようになっていた。ヘルパーがタオルを絞って持っていくと、まず顔を拭いてから頭も拭いていた。その後アイスクリームをなめてニッコリして頭の痒みも収まったようだ。 お地蔵さんのお供え物の「わらび餅」を大喜びして食べていた。きな粉と黒蜜両方をかけて、 「こらおいしいわ。ご飯よりおいしい。」 と、黒蜜をスプーンですくって食べる姿にはヘルパーも笑ってしまった。 マツが台所まで起きて来ていて味付けのりをパクパク食べていた。ヘルパーの顔を見るなり言った。 「お腹空いたわ。」 急いで食事を準備し、 「食後のデザートですけど、ぶどう、アイスわらび餅、どれにしますか?」 と訊くと、 「いっぱいあるなあ。迷うわ。」 と考えた末、ぶどうにした。 食事を持っていくと、 「かき揚げはおいしいけど、固い。」 とのこと。その後はベッドに腰掛けて真剣に食べていた。時々独り言が出るが、ご機嫌は悪くない。 「満腹。お腹ポンポンや。」 「何ヶ月ですか?」とヘルパーが尋ねると、 「そやな、五ヶ月目やなあ。」と答えた。 今日は雨だったので、看護師は入浴は避け、清拭にした。マツはさっぱりしたと言っている。お尻の方も洗ってあり、足浴、爪切り、耳掃除もしたが、耳掻きを怖がるので綿棒でしてくれた。 夕方のヘルパーがやってきて、 「岸辺さん、今日お風呂は?」 「眠とうて、やめたんや。」 「ああ、なんだかこっちの方がガッカリしてしまいます。」 「お風呂がじゃまくさいねん。はいらんでもどうもない。」 入浴の気力がないことも理解できなくはない。入ったら入ったで、気持ちいいのだろうが、天候と関係しているのかもしれない。 朝のヘルパーが部屋を覗くと、マツはぐっすり眠っていた。熱いタオルを持っていくと目を覚まし自分で清拭すると、 「ああ、気持ちええわ。これで目が覚めた!」 食事する前は、「おいしそうやなあ。」と何度も言うのに、いざ食事になると副食に手が伸びない。 メロンは、「おいしい、おいしい。」と、とても嬉しそう。「ああおいし!」 2003年9月 平成5年 「九月やのに暑い。」 とマツは夏嫌い。 「私も嫌いです。」 とヘルパーと意見が合った。今日は間食をしなかったのか、食が進んでいる。 月曜日は、「関口宏のフレンドパーク」「水戸黄門」「月曜ミステリー」を見ないといけない、とマツが言った。 「我が家と同じですね!」 とここでもヘルパーと話が合い盛り上がった。 ベッドの下に汚れた下着二枚。 冷蔵庫に入れてあったメロン、いつ食べたのか、種と皮だけ残っていた。 朝の十一時ごろヘルパーが声掛けしてマツを起こした。 「よう寝たわ!気持ちええ。」 と爽やかにマツは目覚めた。夜もよく眠れるそうだ。 「一人は淋しいけど自分のことだけ考えてたらええから、気持ちが楽でよう眠れる。」 ・・・そうだ。 鮭缶のマヨネーズ和えが大好きなマツは一生懸命食べていた。 「もしかしてマツさんマヨラーなのでしょうか?舌もハイカラなんですね。」 「なんのことえ?」 看護師訪問時マツはぐっすり寝ていたが、声掛けにすぐ起き出し、入浴した。機嫌良好で移動もスムーズだ。シャンプーもしたので、「頭がすっきりした。」と言っている。足背の腫れも軽減しているようだ。 夕方、マツは、 「お風呂も入ったからお腹がすいたわ。鮭缶にマヨネーズをかけると好物やから飛んで入る。」 久々に食欲のあるところを見せていた。以前は大好物だった鯛の刺身はもう堅くて無理のようだった。その点鮭缶は柔らかくて食べやすい。マヨネーズが好きで、以前何かといえばお砂糖を掛けたのと同様、なんにでもマヨネーズを掛けた。例えば蟹身にたっぷりまぶしたり、カボチャの煮付けにもマヨネーズを塗りつけサラダ感覚で食べるのだ。 「うん、これなかなかいける!」とパクパク。「あーおいし。満腹や。」 「今日は下着を替える日ですよ。」 「何も汚れてへん。」 とマツはヘルパーにパンツを開けて見せた。やはり汚れている。 タオルで手と顔を清拭してから結局パンツも着替えた。 「デイサービスというところがあって、そこへ車で行くとお風呂に入れてもらったり、みんなと話したりできるんですよ。」 ヘルパーが誘ってみたが、 「嫌や。家でこうして一人のんびりしているのが一番ええ。お風呂が家にあってよかった。」 ぜんぜんその気がない。 鯖寿司を切って出してみたが、「いらん」と言って、マヨネーズたっぷりかけの鮭身を「おいしいおいしい」と食べていた。 一度目覚めたのだろう、線香の臭いが部屋に充満している。朝食の支度が出来てからヘルパーが声掛けしてマツを起こした。 ベッドの下に汚染パンツ四枚、他の洗濯物といっしょに洗って干した。 食事が進まないようで、ご飯が一口茶碗に残った。 「なんでこの一口が食べられへんのやろ?」 努力したのだろうか、ややあって、 「ああやっと食べられた、ありがとう。」 シッカロールをたくさんはたいたのか、マツの眼鏡がくもっている。 「拭きましょう。」 とヘルパーがテッシュで軽くぬぐって渡すと、 「ああ、こらよう見える。」 とニコニコ。どんなことでもマツが嬉しそうにするので、ヘルパーもやりがいがある。 ヘルパーが訪問すると、喉が乾いたからとマツが台所まで来て、ぶどうと氷を食べていた。 「よかった、来てくれて。」 とつぶやきながらベッドに戻った。 今日も暑い日が続いている。 部屋の中にずうっといるマツにも、やはり分るようで、 「この暑さ、かなんなあ・・・」 日記を見ると九月六日、九月七日の日付のみが書かれてあり、 「書こう思てたけどズボラするなあ。」 「がんばって記入しましょうね。」 食欲もあり、元気ではある。 「暑いのいややなあ。食欲もなくなるわ。」 「食いしん坊の岸辺さんもですか?」 とヘルパーが尋ねると、笑いながら、 「わてそんなに食べてるか?」 朝のヘルパーがやってきた。 マツは充分寝ていて快い目覚めだった。よく話し、よく笑う。朝食もお腹いっぱいと満足そうに食べ終えた。 「今日はお風呂の日ですよ。」 ヘルパーが念を押すと、 「そうか?」 とあまり気乗りがしないようだ。 「お風呂に入って、すっきりしましょう。」 マツは風呂嫌いなのだ。 午後看護師さんがやってきた。 マツはちょうどベッドから抜け出し、冷蔵庫の前まで来ていた。ジュースを飲んでから、そのまま浴室までハイハイで移動する。 入浴してみると頭もスッキリ、体の前面は自分で洗っていた。入浴後もう一度ジュースを飲んで、機嫌よくしている。足背の腫れはあるが、だるさなどの訴えはない。 日記もスムーズに書いていた。 目先の変わったそうめんは見た目も涼しく満足したようだ。 「おいしそうにしてあるなあ。」 入浴後の冷たい品はご馳走なのだ。浸け汁も飲もうとするので、ヘルパーが慌てて制し、冷蔵庫にあったみそ汁を温めて出した。ご飯プラスみそ汁でお腹も落ちつくようだ。 台所のガス台、レンジの回りにたくさんの蟻がいたので、ヘルパーがアリキンチョウルを振りかけて殺した。 町内の組長さんが、七十才以上の方にと、小学生中学生が作った飾り物を持って来てくれた。マツは、 「ほんまになあ、かわいらしい!」 と喜んだ。 仏壇のローソクがどうも用心悪いので、電池式がないか退蔵は寺町へ探しに行った。仏具屋に小さい目のが見付かったので二つ買って帰り、さっそくマツのとこへ持参した。炎のところを押すと点き、もう一度押すと消える。マツは子供が玩具を得たように大層喜んだ。 朝刊が休みのため、いつもは新聞を読んでいる時間をマツはテレビを見て過ごしていた。 ヘルパーが傍から、 「阪神が優勝しましたね。」 と話題を提供すると、マツは、 「わて巨人フアンえ。」 と笑った。 お腹の調子が悪かったのだろうか、Pトイレのカバーが便で汚れ、ベッドの下にも汚れた下着一枚あった。着用しているのも汚れており、ヘルパーがマツに尋ねたが、 「どうもない。」とのこと。食欲も普段通りなので、今のところは大丈夫なのだろう。 食後、ベッドに座って謡いを吟じていた。 「お上手ですねえ!」 とヘルパーが感心する。 「鼓はされなかったのですか?」 「わてはうなる方が好きやった。アハハハハ・・・」 能の話などを楽しそうにヘルパーに話した。気分がよかったのだろう。 「そうや!日記になにか書かんと・・・」 「読んで聞かせてくださいね。」 しかし、「感謝、感謝」の言葉が連なって日常雑記が書けない。いつも「ありがとう。」で締めくくる。 「お彼岸なので・・・」 礼子が果物を仏前に供えに行くと、叔母に線香がもうないから買ってきてと頼まれた。 退蔵は、電池式ろうそくと同様、電池式線香もあると人に聞いていたので、川端ニックまで自転車で走った。少し高価だが売っていた。電池を入れて点けて見たら本物そっくりなので、さっそく叔母に見せると、すっかり驚いてときりに感心した。退蔵は仏壇の引出しからろうそくとマッチを探し出し引き上げて帰る。 夕方、今日は急に寒くなり、マツは掛け布団を二枚重ねて使用していた。足がとても冷たくて、ヘルパーが用意してくれた足浴はいかにも気持ちよさそうだった。 食事は相変らず、ご飯、みそ汁が中心である。ついこの間まで好物だったうなぎは「油っぽう過ぎてなあ。」とのこと。あっさりしたものに変わりつつあるようだ。ヘルパーがうなぎ一切れを勧めるとやっと口にしたが、残る三切れは、 「もういらんわ。」 じゅうたんの上、いつもヘルパーがローラーでごみを取るが、たくさん髪が抜け落ちている。マツの髪の嵩からして驚くほどの分量だった。 朝、ヘルパーが訪問すると布団をすっぽり被り、よく眠っていた。起き掛け、肌寒いのでブラウスを重ねて着てもらう。ベストを探したが見当たらない。 枕元のおはぎ、固くなっていたのでマツの了解を得てヘルパーが処分した。 「今日は昼からお風呂ですよ。」 「そうか?都合ではいる。」 「都合はだめ、ぜひ入ってください。」 「そんなら、ぜひ入るわ。」 今日はしとしと雨が降り、デッキがぬれていて浴室移動は危険なので、入浴は中止となった。 看護師が全身清拭、洗浄、足浴、ドライシャンプーをしてくれた。足背の腫れは軽減している。腸ぜん動は良好だが、便が十日も出ていないのは長過ぎる。摘便してくれ、直腸部軟便と普通便少量が出る。水分補給と野菜の摂取に気を付けるようマツに告げた。下剤の使用で、下痢などを起すより、自然に食物で調節できるのが、本人にとってもいいと看護師は思った。 退蔵が来て暖房機の試運転をして行った。 マツの便が出ないので、ヘルパーがリンゴを二分の一個すりおろして食べさせた。おいしいと食べていて食欲はあるようだ。 庭側の障子の張り替えを退蔵がシルバーセンターに頼んでおいたら、今日障子の引き取りに来てくれた。 ちょうど礼子が目が覚めた朝の六時頃、マツから電話があり、 「家の様子がおかしい。それにお腹が空いてたまらへん。」 と言ってきた。礼子と退蔵が行くと、マツは冷蔵庫の前に座って高野豆腐と椎茸の炊いたのを手に持っている。せっかくヘルパーさんが用意してくれる食事を食べなかったから今時分お腹が減るのだと礼子は言いたいが、言っても詮無いので、パン半分、スクランブルエッグとカフェオーレをお盆にセットした。相当お腹がへっていたらしく、「おいしい、おいしい。」と食べていた。昨日、庭側の障子を張り替えのため業者が持って帰ったのを忘れてしまったようで、それで家の様子がおかしいと言い出したらしい。 四時ごろ障子の張り替えが出来てきた。その物音にマツは起き出し、 「ほう、きれいになった・・・」 とそのまま起きて、あとはテレビを点けて見ていた。 夕方ヘルパーが来て着替えをさせると、パンツが汚れていた。マツはすんなり脱いでくれた。足浴も、このごろヘルパーの言うままおとなしくいつまでも湯に浸している。 カニ身はマヨネーズを掛けて、ほうれん草は、「野菜食べなあかんねん。」と全量しっかり食べた。「ごちそうさま」 「寒い、寒い。」 ヘルパーがマツに上着を着せた。 線香を買ってほしいとのメモ書きが枕元にあった。ヘルパーが電気線香を見せて、 「用心悪いから、これになったようですよ。」 と説明すると、 「ええもんが出来てるんやなあ。へえ!」 便が出ないということなので、きな粉牛乳をヘルパーが勧めてみたら、牛乳が嫌いなので少し抵抗があったが、飲んでみて、 「おいしいわー」 と全部飲んだ。おみかんもマツは、 「食べ過ぎるとお腹こわすからなあ。」 と用心深くなっている。 「今は便が出ていない時なので大丈夫ですよ。」 と答えると、 「なかなか難しいもんやなあ。」 マツとヘルパーがいっしょに笑った。 今日はあまりお腹が空かないとマツが言うので、なるべく野菜だけは食べるようヘルパーが勧める。でもやっぱり魚が一番のようだ。みかんを渡したが、 「お腹ポンポンやし、後にするわ。」 と枕元に置いた。 便が出ないと心配していたら、バナナ大二本の便が出た。マツにヘルパーが、 「よかったですね。」 と言うと、 「みなさんのお陰や。」 と感謝していた。 夕方、マツは下着一枚で寝ていた。起きるなり、ヘルパーに、 「あーさぶー。」 ブラウス、ベストを着用させる。ズボン下も冬物に替えた。足も冷たく、足浴すると血行がよくなり、次第にピンク色になった。気持ちよかったようで。夕食の食べっぷりもよかった。 2003年10月 平成15年 看護師訪問時よく寝ていたが、すぐ起き出して、入浴した。とてもスムーズに移動し、身体の前面は自分で洗った。 排便状態順調で、グル音も良好である。湯温もちょうどよく、本人も、「いいお湯や。」と言っていた。 さすがにお風呂は疲れるが、便があったのと、涼しくなったためか食欲が出てきたようだ。 朝夕涼しくなり、お布団をしっかり被って寝るようになった。 今朝はおかゆをやめて普通のご飯を食べた。 夕食までにお腹が減ると思ってヘルパーが買ってきたカステラ、すぐに半分ほど食べてしまう。「おいしい、おいしい。」と。マツにとっても食欲の秋だ。 今日は寒かったので、マツは布団から出辛そうにしている。ヒーターを点けることにしたが、それでも下着姿なので少し寒そうだ。ヘルパーが勧めて、ブラウスを着用することにした。 大分冷え込んでいるので礼子が出かけて行って、ヘルパーさんといっしょに羽毛布団にカバーを掛け、夏蒲団と交換した。 涼しくなってきたので、退蔵夫婦が電気毛布を敷きに行ったが、前日きれいなシーツに交換したところなので、マツも、 「これで寒ない。」 と言い、替えずに二人は帰った。 夕方、マツはテレビの井上八千代を観ていた。ぶどうを食べながらのリラックス状態で、「立派やなあ。」 としきりに感心していた。 左のお尻に虫刺されの跡のような、赤く腫れた部分がある。 いつも火曜日は「火曜サスペンス」の日だが、その前に「踊るさんま御殿」も見る。マツはさんまさんが大好きなのだ。今日は七時から「皇室スペシャル」と、「さんま御殿」もスペシャルの二時間半放映される。 「どっちにしますか?」 とヘルパーが尋ねると、 「そら、サンマやで!」 との即答が返った。 蟹身のマヨネーズかけはとても好きで、 「とってもおいしい。」 りんごはすり下ろしの方がいいらしく、 「おいしい。」 ようやく目を覚まして、 「なんぼでも寝られるわ。」 仏壇の電気線香に火を点けたのだろう。プラスチックの先が解けて曲がってしまっている。マツにこれは電池式だと説明したが・・・ 汚れたパンツがベッドの下にあった。 鮭身にマヨネーズをかけて食べるのが好きだ。 「こうするとおいしい。」 茶碗蒸しも珍しいのか食べていた。 黒い蝿のミニサイズのような虫が多く飛んで来る。発生個所はどこだろう? 「夕飯どうしますか?」 とヘルパーが尋ねると、 「お願いするわ。」とのこと。蟹クリームにコロッケは、 「昔人間やから・・・」 と、ちょっと口に合わない様子。 仏壇の電池式お線香にマツが火を点けたのを連絡帳で知って退蔵が検分に行った。マッチは引き上げたつもりだったのにどこから見つけたのだろう。 「危ないからマッチを使用しないように。」退蔵はくどくマツに言い聞かせた。マッチは再度引き上げ、すぐ新しい電池式線香を買って来た。「電池式ろうそくと線香の使い方」の文を用意してマツにもう一度説明した。 『お仏壇のろうそくと線香は電池式です。ろうそくは、炎の部分を押すと点き、もう一度押すと消えます。線香は、容器の中の突起がスイッチです。押すと点いたり消えたりします。』 この文をマツは声を出して読み、 「よう分かった。」 とガッテンした。 今日もマツはスムーズに入浴した。外気温が低かったので看護師は少し心配したが、寒いとは言わず、意欲的に身体の前面を洗っていた。戦前の大阪の夢を見ていたと楽しそうに話もした。 これからは風邪を引くことが年寄りには一番こわい。寒い日は入浴できなくなるだろう。 「十月いっぱいで終わりかもしれません。」 と看護師が退蔵に告げた。 布団をすっぽり被って寝ていた。シーツ交換時、ヘルパーはマツの敷き毛布を電気毛布に敷き替えた。 足浴は、湯加減のいい時はゆっくり浸けている。 「気持がええ。」 「ああ、たくさんのおかずやなあ。おいしそう。」食べながら、なぜか、「ふうーん」「ふうーん」と独り言。いなり寿司とおやつ二個残っていた。 「お腹いっぱい。有難う。」 毎回のお金の包みいまだに渡そうとしている。 ヘルパー訪問時、マツは冷蔵庫をごそごそ。すぐにご飯を出したが、なにかつまみ食いをした後なのか、さほど進まない。 「入れ歯は、恋人のようなもんや。」 とマツが言うので、ヘルパーが、 「入れ歯とお父さん、どっちが大切ですか?」 と尋ねると、 「・・・どっちやろ?」 と笑っていた。 「魚が好きやねん。」 「旦那さんとお魚とどっちが好きですか?」 とまた尋ねると、 「そら、そら、・・・そんなん較べられへんわ!」 と二人で大笑いした。 「弟がこんなん持って来てくれた。」 とマツが紙袋を覗いていた。どこかのホテルの詰め合わせ弁当だった。桂にマツの弟がマンション住まいしている。年子の姉弟だから彼も九十七歳だった。マツよりずっと耳が遠いが足元はまだ達者で歩くことも出来た。ヘルパーは紙袋から弁当を出し、盆に載せ、マツに食べてもらった。 「こんなん、あんまり食べとうない。」 と言って、ほとんど手をつけようとしない。 「ご飯も堅い・・・」 すぐにいつもの雑炊を持って行く。 「この方がええ。」 「お赤飯も届いていますよ。」これは学区の福祉事業から届けてきたものだ。 「これは仏壇に供えておきましょか?」 「いらん。欲しいない。」 とマツは少々興奮ぎみだった。 「お腹が減らへん。こんで充分。なんでこんなもん、たくさん持ってきたんやろ。もったいないなあ。明日になったら皆放らんならん。」 「沢村さんにお届けしましょうか。」 「沢村が持って来たんやろ。」 「今弟さんておっしゃいましたが・・・」 「そやったか?ワテぼけてるワ。」 その時、マツの弟から、今家に帰ったという電話が入った。 「弟さんの声、沢村さんに似てはる。」 とヘルパーが言うと、 「そうか?やっぱり血は争われへんねんなあ。」 と初めて嬉しそうにした。粥少し、弁当を少し摘まみ、みそ汁も三分の一ばかり飲んだ。 「もう何もいらん。」 ヘルパーが訪問したらマツが台所まで来て、氷を食べようとしていた。慌てて戻ろうとするので、 「食べたい物があったら食べてくださいよ。全部岸辺さんの物ですから。」 と言うと、笑って、 「そうかー?」とゆっくり冷蔵庫の中を見ていた。結局オレンジジュースを飲んだだけだった。 ヘルパーが炊き込みご飯を温めて出したら、 「おいしいわー。」 と食べていた。 「来てくれて嬉しい。一人ぼっちでさびしかった。」 寒くなって人恋しい気持ちなのだろうか? 食べる量はあまり多くない。少し元気がないように思えた。 2003年11月 平成15年 珍しく起きてテレビを見ていた。お腹が減っていたのか、朝食はしっかり早く食べ終えた。水分もお茶を湯のみ二杯と澄まし汁一杯。 下着パンツが汚れていた。 「汚れてへん。」 とマツは言い張っている。足浴はうれしそうで、 「お風呂入っているみたいや。」 ニコニコ、そして、ゆっくり浸していた。 テレビを点けて見ている。 「なんや、鳥ばっかり。・・・ヘエ?」 と感心している。退蔵と礼子がバードウォッチングを趣味にしているのが頭にあったのだろうか。鳥には関心があるようで、 「きれいな鳥やなあ。」 とか言葉に出して見ていた。 阪神タイガースの優勝パレードをずっと見ていた。 「大阪に住んでたし、名前がええ。」 以前巨人フアンだと口にしたことを忘れて、「ずっと阪神ファンだった」そうである。食欲もあり元気だった。 「男前の主人」の写真をヘルパーに見せて、 「この人も阪神フアンやったんえ。」 マツは今でも夫のことをとても大事に思っているそうで、ヘルパーが、 「うらやましいですねえ。」 と水を向けると、 「人生いろいろ・・・」 と急に人生訓を語り出し、 「若い時がんばっとかなあかん。」 「ハイ。」 ヘルパーが訪問時マツは電灯を点けて寝ていたが、声を掛けるとすぐ起き出した。渡された新聞の、阪神タイガースの優勝パレードの写真を見て、 「雨の中大変やったやろう。」 と感想を述べた。 食欲が落ちているが、きな粉牛乳、柿などはとても喜んで食べた。 夕方のヘルパーがやってくると、横になっていたが、 「今おみかん食べたとこ。」 とのこと。あまりお腹が空いてないらしいが、ヘルパーからメニューを聞いて、 「ちょっと食べよかな。」 エビフライをとっても喜んで食べた。ごま和えの隠元が、 「細かくしてあって食べやすい。」 と好評だった。 「もう満腹や。」と言いつつ食べていた。 「マヨネーズお好きですね。」 「あいだにペロリペロリとなめるのがおいしい。」 との返事だった。 枕元にメモがある。 「当分お風呂には入りません。」 ぶどうはいちじくより好きなようだ。 今朝も冷蔵庫からぶどうを取り出していた。冷たいものが欲しかったと、いざって移動してきていた。 下着やはり大分汚れている。 入浴しないので足浴の効果は大きい。ヘルパーがもういいと言うまでマツはゆっくりいつまでも浸けている。 ぶどうは大好きらしい。食後にも食べていた。 「これは別腹や。ああ、おいし。へえー、なんぼでも欲しい。もつと食べよう。ああ、おいし。なんとおいしいなあ。ふうーん。」 夕方のヘルパーが訪ねると、まだ熟睡中だった。起きてもらって、マツの足元にカーディガンを掛ける。寝ぼけ眼で「お父さん助けて」が出てきた。 ご飯に甘えび、今日の夕食はとてもうれしそうだった。 「どれもおいしい。」 と満足している。食後、夕刊の選挙の記事を読んで、 「やっぱり自民党が勝ったか。なんやかや言うても自民党やな。」 今日から秋田産のあきたこまちの新米だ。礼子が買ってきてマツにその袋を見せると、研がずに炊ける無洗米かとびっくりしていた。 袋に書いてある「おいしい炊き方」をマツは大きな声で読んでいた。 礼子はついでに電気毛布の上掛け出してきた。 電気を点けたことにしばらく気が付かなかったマツが、 「音がするのに誰も声をかけてくれんし、なんやったんやろ?」 と独り言。心配だったようだ。ヘルパーが、 「あたしですよ!」 と声を掛けると、 「ああ、よかった。」 「夕飯どうしますか?」 「お腹減ったなあ。いただくわ。なんぞあるか?」 「さんまとカキフライですよ。」 「サンマは油があるんやなあ。細かい骨・・・」 と言いながら食べている。 カキフライ、気に入ったたようだ。 「全部食べようーと。」 と少女のような表情。 「お腹減ってたしおいしいわ。」 食後は夕刊を見て、いろいろと感想を口にする。 「わてらは寝てたらええねん。」 の一言にヘルパーは笑ってしまった。 さわらの味噌漬けが冷凍室から出してあったので、ヘルパーは不審に思ったが、マツが食べようとだしたのだろうと焼いて朝食に出した。マツに聞いても、忘れたと笑っているだけだ。 五日前から便がないようなので、 「お腹は痛くないですか?」 とヘルパーが聞いたが、 「大丈夫。」とのこと。 看護師が訪問時マツはちょうど冷蔵庫のところまで来ていて、 「氷を欲しい。」 と言っていた。コップにジュースと氷を入れてマツに与えた。 全身清拭、ドライシャンプー、足浴、洗浄。 汚染下着がベッドの下と、引出の中にもあった。時々下着の引出に自分で着替えて使い古しを入れているようだ。 ぐっすり寝ていて枕元に氷のコップが置かれていた。ストーブは消えている。二三度声を掛けてようやく起き出した。 夕食の蟹身にマヨネーズを添えると、 「ああオイシイ!」 とまるで初めてのように感心しながら食べている。何度もマヨネーズをひねり出して完食だった。 「お腹空いてたからおいしかった。たんとよばれた。ありがとう。」 漬物も入れ歯でしっかり噛んで食べている。 起きていた。巻き寿司中の具だけすべて食べてあったのでヘルパーは笑ってしまった。 ベッド下に尿汚染パンツ二枚あり。下着も汚れていた。 足浴をバケツで試みたが、どうもうまくいかない。マツは足を深く浸かれるので喜んではいたが、不安定だった。バケツだと後の始末がやりやすいのだ。 夕食前にお腹が空いたのか、テーブル上に刺身の食べた後の空っぽの皿が残っていた。 ぶりの照焼きを食べてもらいたいため、煮ぬきマヨネーズは後に出した。ヘルパーの作戦である。 具のない巻き寿司、マツに訊いて処分する。 2003年12月 平成5年 ヘルパー訪問時の独り言は、「もうしんどい。お母さん助けて。」と、しきりにつぶやいている。「お父さん」ではない。いつものマツには見られない寂しい顔だった。声を掛けるとすぐいつもの笑顔に戻り、 「お腹空いてんねん。」 うどんは喜んで食べている。おつゆまで全部飲ほど好きだ。 マツが汚れた入れ歯を舌でなめてきれいにしようとしていた。 「そんなことしなくても洗いますよ。」 ヘルパーがすぐに水洗いした。 「悪いなあ。人の入れ歯なんか洗わして・・・」 退蔵が桂の叔父(マツの弟)の所へ行ってきたと、叔父の姿をビデオに撮ったのをテレビに接続してマツに見せた。 「おおー。」と喜びの声を上げ、「凄い時代やなあ。稲さん(彼女の弟)がそこにいるみたい!」 「今日のぶりの照焼きおいしい。」 と言って食べている。たれが少ないのでヘルパーがマヨネーズを持っていくと、ぶりの照り焼きにマヨネーズを掛けてマツが食べた。 「お魚好きやし、これよう合うわ。」 最後に出した漬物も、 「おいしい・・・」と全部食べた。「ありがとう。」 訪問時、「寒いねん。」と布団にもぐっていた。昨日よりぐっと冷えるようになり、部屋の中も寒々としている。 「お父さん助けて・・・もっと寝させて。」独り言。それでも食事には起き上がり、 「おかずがたくさんあってどないしょ。満腹。ごちそうさま。ああおいしかった。ありがとう。」 毎日野菜が残る。野菜を勧めるが、 「もう満腹。そない入らへん。」 ヘルパーに足踏み体操を教えてもらった。マツも大きな声で、一、二、と言いながら足踏みをした。 マツが来年の暦を見て、 「来年九十九才か―。なんとまあー。びっくりするワー。一つ違いの弟も元気やねん。」 ヘルパーが裏庭の紅葉を五六枚取って、マツに見せた。 「こんなにきれいに色づきましたよ。」 と渡すと、さっそくメモ帖に一句さらさらと書いた。 「秋深し庭のもみじ葉色染めて」 自分で下着をストーブの前で乾かしていた。 「洗濯しましょうね。」 ヘルパーが受け取ると、素直に渡したが、 「・・・乾いたらまた着られるのに・・・」 彩りよく盛り付けられた夕飯にマツは目を細めた。 「どれもおいしそうや。」 キュウリのお漬物は噛めるが、ごぼうは固くて噛めない。 「おいしそうでも食べられへん。もうごちそうさん。食べ切れへん。」 テレビを見てヘルパーが、 「この人、誰だかわかりますか?」 と質問してみた。 「いや、知らん。」 「佐川満夫さんですよ。」 「へえ!あんな頭になってしもて、あははは・・・」 部屋はガスストーブで暖かくなっている。 「外寒いか?」 「はい。」 「そらもう十二月やもんなあ。」 季節はしっかり意識している。 訪問したらマツは繕い物をしていた。 「おうどん食べますか?」 「それがええ。早よ食べたい!」 とお腹が空いていたようで、おうどん、おにぎりと、すごい食欲だった。 退蔵がマツ用の年賀状をパソコンで印刷して持ってきてくれた。喜びで、涙ぐみながら裏の絵を見ていた。 「来年は九十九才ですね。」 とヘルパーが話しかけると、 「自分でびっくりするわ!」 今日から本来の冬の寒さになったが、マツはストーブも点けず元気にしている。部屋の中には鏡餅が用意され、障子紙も新しくなり、おせち料理も退蔵が手配してくれていた。新しい年を迎える準備が着々と進んでいる。 「わて幸せや。」と言い、ヘルパーといつしょに部屋の中を見回し、いろんな話をした。今一番欲しいのは、話し相手だと言う。 「ウチは新年いうて誰も来やへんけど。」 「お父さんが来やはりませんか?」 とヘルパーが笑いかけたら、 「ワシのこと忘れんとけよ、言うたはるわ。」 いっしょにお正月の歌を歌い、マツもヘルパーもすっかりその気分になっていた。 今朝はぐっすり十一時前まで眠り、まだ眠そうだった。 体調も気分も最高によさそうで、よく話し、楽しそうに笑っている。 「お正月が来ると思うと、なんとなく嬉しいなるなー。」 「♪早く来い来いお正月♪」 をヘルパーがマツといつしょに歌った。年越し蕎麦のご馳走に、 「ああおいしー、ああおいしー」の連続だった。 「ん?天ぷら蕎麦?」 海老を探したが見付からない。もうすでにマツのお腹の中へ入ったようだ。 目先の変わった献立はほんとうに喜んで食べている。 「こんなに年いっても、食べる事が一番の楽しみ。お正月がなんとのう嬉しいのも、おいしいもんが食べられるちゅう楽しみがあるさかいやなあ。」 とても寒い日、窓の外の初雪を見てマツはびっくりした。 朝食後は全国高校駅伝をテレビで見て、京都の立命館宇治を応援していた。 おせち料理の注文が済んでいることをヘルパーごとにいつも繰り返してマツに告げている。昨年はうっかりマツが三個所に注文したそうで、忘れのないように退蔵が壁に張り紙を壁に張っている。 「お正月のおせち注文済み!」 「今日は冬至やからかぼちゃを煮ますね。」 とヘルパーが言うと、マツも、 「そやなあ、縁起もんやからなあ。」 と言いながら、もう一つ気乗りのしない様子だった。 「かぼちゃの天ぷらにしますか?」 「そうや、それがええわー!それにしてー。」 とたちまちうれしそうな顔になった。 訪問時、「お父さん助けてー」 とベッドの上で独り言をつぶやいていた。声を掛けると、いつものマツの笑顔に戻ったが、どこか寂しげだった。 今日は「天皇誕生日」だということを話すと、マツがお祝の歌を歌った。たぶん昭和天皇の時の「天長節」の歌だと思うが、よく覚えているものだ。 「まだ死ぬのはかなん。まだもうちょっとおいしいもん食べたいなあ。」 食は生きる意欲につながっている。 訪問時起きてテレビを見ていた。ヘルパーが声を掛けると、にっこり笑って、 「ありがとう。」 おにぎりと白粥とどちらにするか聞いたら即座に、 「おにぎりがええ。」 と言い切った。お腹が空いていたようで、おにぎり三つペロッと食べた。 エビフライは尻尾ぎりぎりまで食べて、満足の様子だった。 初音社会福祉からお正月の「おせち」が二品届けられた。マツも少し試食してみたいと言い、開封して竹の子をつまんで食べた。 「後は冷蔵庫の中に仕舞といて。」 看護師訪問日。 下肢の腫れもほとんど見られない。訪問時寝ていて、独り言中だった。 表情もよく、穏やかに過ごしている。女学校時代の話をしてくれた。ドライシャンプー、全身清拭、足浴、陰洗している。更衣はスムースに自分でするし、Pトイレ移動もスムーズに自分のペースで良好に動いている。 「今日はクリスマスですよ。もうすぐお正月で、来年マツさんは九十九才ですね!」 「自分の年にびっくりするワー。」 きれいに盛りつけられた食事に、 「おいしい。」を連発。満足しているようだ。布団が丸洗いされて戻ってきた。お餅も飾りつけられ、正月準備が整った。毎年恒例の退蔵手作りの折り紙は「おさるさん」に決まったようだ。 ブリの照焼きにたっぷりタレをつけてしっかり食べていた。 「おいしい、お腹空いてんねんなあ。」 と独り言で言っている。 食欲旺盛だった。 「お腹空いてたんや。おいしかった。」 「お金がない・・・どうしたんやろ・・・」さいふとにらめっこ。 「なんでやろ。あわれなもんや・・・」 気分が変わるようにヘルパーがお正月の話などしている。 ヘルパーが退室前にはマツが浄瑠璃を吟じていた。 「よいお声ですね。」 「うふふ・・・聞こえたか。」 とニッコリ。 枕元に煮ぬき玉子のマヨネーズ掛けが置いてあった。お腹が空いたのでお膳から今取ってきて食べようと思っていたとマツは言った。マツの好物だがちょっとお預け。ヘルパーは先に煮付け鰈から食べてもらった。 ヘルパーがおせちのことを毎回尋ねると、掲示を見て、「退蔵が注文してくれてるから安心しているのや。」 とよく分かっているらしい。 寒いのでヘルパーがマツの肩にカーデガン着用させた。 「ストーブ点けましょうね。」 朝食は、冷蔵庫内のご飯を粥に炊き、魚をほぐし、蟹玉子とじと、胡麻和えと、お茶を入れた。とてもおいしいと、ほとんど食べた。 退蔵夫婦がお正月の飾り付けに来た。 「ワテはお正月でもなんにもせんでもええなあ。」 とマツがにっこり笑ってみせた。 午後七時ごろ仕出し屋の「おせち」が届いたので退蔵がマツのところへ持って行った。摘んでみるかと聞いたところ、 「もうお腹一杯。」とのことだった。 九時過ぎに礼子が年越しそばを持って行きかけたが、 「もうお腹が一杯」そうなのでと退蔵が止めた。
|