介護6
介 護 日 誌 その6
岸辺マツ
明治三十八年生まれ
夫、長男、次男を亡くして、一人暮らし・ ・ ・
近くに亡兄の長男あきら(私、昭和七年生まれ)が住んでいる。
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(平成16年前半)
2004年1月 平成16年 元旦、退蔵と礼子がマツを訪ねた。電気が点いていたので声を掛けると、マツはすぐに目を覚ました。 「おめでとう。」 二人で叔母に挨拶をした。 「おめでとうさん。」マツもうきうきと挨拶を返した。「お正月やなあ。また年取ったわ。」 二十枚ほどの年賀状を手渡すと、一枚一枚確認をしてとても嬉しそうにした。 お雑煮のお餅は三個。永らくごひいきにしている仕出屋から配られたおせち料理の盛り付けに、 「おいしそうやなあ!」 と何度も繰り返し感心していた。 「花札どうする?」 「ちょっとしんどいし、明日の楽しみにする。」 とマツが言った。 翌朝はとても機嫌がよく、退蔵と礼子の顔を見るなり、「あっはっは!」と笑って起き出した。 お雑煮のお餅は三個で、みそ汁も二杯半。 午後二時ごろから二人で出かけ、花札をして遊んだ。少々の悪い手でも下りようとしないので、いつも結局負けることの多いマツが、今日はどうしたことかツキまくり、最後まで一人勝ちの大勝利だった。上機嫌で節をつけて、 「こいつは春から縁起がいいや!」 が何回も飛び出した。 後で、礼子が抹茶をたて、和菓子を食べた。 今年初めてのヘルパーが訪問し、 「おめでとうございます!」 マツはそれににっこりと、 「おめでとうさん!」 と答えた。 「へえ!なんとまあ!」感嘆詞連発。ヘルパーも思わず身を乗り出して、「なんでしょう?」 新聞に目を通して、小泉首相の靖国参拝にえらく感心していたのだ。 えびフライとサラダに「おいしい」と「ありがとう」を繰り返す。お汁は蛤をきざんで、蒲鉾三つ葉でいろどりよく作り、すましにして出した。おせちが続くので、ヘルパーがちょっと目先を変えると、マツはとても喜んで食べた。 体臭がかなりきつくなっていたが、看護師がマツの全身を清拭するとそれもおさまり、マツの気分もスッキリしたようだ。 「岸辺さん、とてもいいお正月だったそうですね。沢村さんご夫婦と花札をしたそうですねえ?」 「何歳になってもやっぱり勝ちたいわ・・・」とマツは大笑いした。 食欲もあり元気だったが、七草粥はあまり好きではないと言うので白粥にした。 食後のうがいはいつもヘルパーから三回するように促されているが、マツはそれもしっかり覚えていて、 「三回したえ。」 とヘルパーを振り返り、 「よう覚えてるやろ。まだまだ大丈夫!」と笑った。 ヘルパーが訪問すると、マツはベッドの端に腰をかけて、 「お腹減ったー」 お粥、みそ汁、エビフライ、 「おいしいわー」 と本当においしそうな顔をする。 「エビフライのコマーシャルに出られますね!」 「ほんま、おいしいんやもん!」 マツとヘルパーが大笑いした。 朝のヘルパーが訪問すると、マツはすでに目覚めていて、髪を結いながら独り言。 「お父さん、お父さん・・・」 と話し掛けていた。ヘルパーが声を掛けると一変して、にこやかな笑顔で挨拶を返した。ご飯もお替りをし、朝食すべて完食だった。 年頭に、主治医のF先生から指示書がきていた。不整脈もほぼなくなり、腎機能悪化もストップ、貧血も下限ながらストップしており、とても状態が安定しているとのことだった。 そのことを看護師がマツに話すと、 「ほおー、そうかー。こらまだまだ長生きできるわ。」 とマツは喜んだ。 夕方、ヘルパーが訪問すると、マツはベッドに座って、 「お腹すいた。」 とお菓子を一つまみ食べていた。 夕食メニューの柳川鍋、珍しいのか、 「おいしい、なんとおいしい。なんか知らん、おいしい。」 と喜んでいた。 「ごんぼ(ごぼう)も柔らこう炊いてある。」。お茶新しく入れて持って行くと、 「もうごちそうさま。」 「何を食べてもおいしいねん。」 えび天を四等分に切って出した。 「ほぉー、すごいなー!」 食事の中心は、ごはん、みそ汁、千枚漬となる。 「あーおいしかった。満腹。ありがとう。ありがとう。お腹いっぱいやー」 訪問したら、台所のガスレンジの上に入れ歯がおいてあり、ヘルパーはビックリした。まどろんでいるマツの枕元に、 「お願いのこと、私の入れ歯がありません。困ります。お返しください。お頼みします。」 とメモが書いて置かれてあった。すぐに洗ってマツに渡す。 「ああよかった。」 食事の後、暑い暑いと言い、少ししんどいと言っている。ファンヒーターを消して庭のガラス戸を透かし空気を入れ換えたら、 「これでええ気持や。」 と言ってまた眠ってしまった。 少し心配だと、ヘルパーが退蔵に知らせてきた。 体温計を持って退蔵がマツのところへ出かけると、寝室に電灯がともっていた。声をかけるとすぐ目を覚ましたので、体温を計ると六度三分だった。退蔵の行くちょっと前に整形外科のT先生が来てくれたとのことで、今回は何ともなかったようだ。 夕方のヘルパーが訪問時マツはベッドに座ってテレビを観ていた。 「入れ歯、昨日私が洗った後流しに置き忘れたようです。ごめんなさい。これから気をつけます。ごめんなさいね。」 マツは話は合わせているがあまり覚えていないようだった。 おでんは、うす切りにして出したが、コンニャクは口に入れてすぐ吐き出した。 「こら、食べられへんわ。」 とのこと。その他はいつも通り、「おいしい、おいしい」と食べていた。 相撲見ながら足浴を時間をかけてゆっくり浸かってから、天ぷらそばを勢いよく食べた。 「ほんまにおいしい時は声が出んもんやなあ。」 顔付きが違った。 ベッドの下に汚染パンツがあった。雑巾掛けの時、正月花が床にたくさん散っていたので、ヘルパーは枯れた花は取り除き水を入れておいた。 「おみかんがおいしいなってうれしい。」 マツは新聞のテレビ欄に目を通し、 「今日はのど自慢がのうて駅伝やわ。」 少し残念そうだった。 マツが下着をヒーターの前で乾かしていて、その香りが部屋に漂っていた。本人に断ってヘルパーがそれをハイターに浸けた。 「ゆで卵のマヨネーズ掛け」はすでになかった。お皿だけがテーブルに残っていた。 ちょうど「お通じ」があった直後だったようで、申し訳なさそうにマツが、 「汚してしもた。」 とヘルパーに謝った。 「大丈夫ですよ。なんぼでも汚してもらっても洗いますからね。」 「ありがとう。すまんなあ。」 「寒うて・・・」 とマツはふとんにくるまって寝ていた。室温八度。冷えていたので、看護師はガスファンヒーターで部屋を暖めてから、マツの身体を拭き足浴をさせた。やがていつも通り元気なマツに戻った。 便もよく出ていて順調だった。ヒーターを室温十六度の一番低いのに設定し、入口のふすま少し開けておいた。 夕方のヘルパーがやってくると、マツは、 「寒い。」 と布団の中で丸くなっていた。羽根布団の上にもう一枚毛布を置くと暖かいことを話し、やつてみたが、毛布がめくれてしまわないかちょっと不安だった。 礼子が来たので、ヘルパーがその話をすると、電気毛布の掛け用が使用されてないことが分った。さっそく掛け用の電気毛布のスイッチを入れ、羽毛布団を掛けた。これで当分寒さ対策は大丈夫のようだった。 「裏に板を置いていただいたのですが・・・」やって来た退蔵を掴まえてヘルパーが言った。「洗濯の時排水溝に水を流しますが、板が濡れれば腐るのではと心配です。今日は外してからしましたが、洗濯のたびに外すのは少し大変です・・・」 「皆さんがトイレまでスリッパのままで行けるようにと思って置いているので、スノコですから洗濯の時も気にせず水を使ってください。すぐに腐ることはありません。長年で腐ればまた敷き替えますのでご心配なく。」 「わかりました。」 鯛の煮付けが寝室に置いてあった。ヘルパーが聞いてみると、 「食べようと持って来てみたけれど、悪いさかい食べられへんかった。」 と笑っている。 汚れた下着がベッドの下に置かれていたが、着用しているパンツも汚れていた。 「お腹空いてんねん。」 と、先程の鯛の身、きれいに食べていた。煮ぬきマヨネーズ付けは後から出したが、おいしいとこれも全部食べた。 2004年2月 平成16年 「二月六日は私の誕生日です。」 とメモに書いてあった。ヘルパーにアッピールしたかったのだろう。 「すごい!九十九歳ですね!」 とヘルパーが話しかけると、 「自分でもビックリやわー」 と大きな口を開けて笑った。 夕食のお膳を見て、マツは顔を輝かせた。食欲も旺盛でよく食べた。 「今日のおかずは全部おいしい。どれ食べてええか迷うわ。」 と本当に困った顔をしていた。 六日が自分の誕生日で、物がおいしく食べられ、とても幸せだと喜んでいた。 「九十九歳!百歳までもうすぐですね。」 ヘルパーまでうれしそうだった。 夕方のヘルパーが訪問時、マツは電話器の方に向って座っていて、 「淋しいなあ。」 と泣いていた。仕出し屋さんに鯛の注文をし終えたところとかで、 「なんか虚しいなってしもた。」 思わずヘルパーはマツの肩を抱き、しばらく感情を共にした。 「何事も忍の一字。生きるのもつらい。」 「お腹減ってるからですよ。おいしそうな夕飯ですよ。」 とヘルパーが食事を出すと、 「ほんまにおいしい!なに食べてもおいしい。幸せや。」 と笑顔に戻った。 「今日いっしょにお祝しましょうか。」 とヘルパーが持ちかけると 「いや、明日が誕生日や。」 マツにとって二月六日という日がとても大事なのだとヘルパーにも痛く感じ取れた。 十時半頃に退蔵が、錦市場の花屋へ頼んでおいた花を貰いに行った。礼子は、どんな花が来るかと心配だったが、けっこう豪華で品のよい花だったので満足した。二人で花篭を持ってマツのところへ出かける。花好きのマツは、盛り花を見たとたん、にこにこしてとても嬉しそうな表情になった。 昼から退蔵と礼子がお祝の肩カバーを持って行ったら、マツが早速肩に着てくれたので、喜びの表情をビデオ撮影をしておいた。それからいよいよ花札大会開幕となった。途中いちご大福を食べたりしているうちに早々と時間が経って、夕方のヘルパーがやっ来た。マツはとても名残惜しそうだったが、また今度ということで納得してもらい花札大会は終了した。 夕方のヘルパーが訪れると、マツたちは花札の最中で笑い声が聞こえてきた。撮りたてのビデオを退蔵に見せてもらった。 「今日は何の日なのですか?」 マツは少し考えて、 「今日は何日やった?」 「六日ですよ。」 「わての誕生日や!」 「おめでとうございます!」 マツは相好を崩した。ヘルパーが仕出屋から届いた幕の内弁当と鯛の塩焼きを出した。 「もうなにも入らん。」 とマツは弁当の中身を眺めていた。 やって来たヘルパーにマツは、幕の内弁当と天ぷらを取ったと言って待っていた。間もなく出前が届いた。また仕出しの味を思い出したのだろうか。 マツの下着が汚れているのでヘルパーがハイターに四五枚浸けた。漂白剤の量を少な目にしているが、毎度浸けるので下着の破れるのが早い。 「とてもよう食べんなあ!」 マツが料理を眺めながら感嘆の声を発した。時間を掛けて少しずつ摘まんで、 「なんぼきばってももう入らん。ごちそうさま。これだけ食べたら上等や。もういらん。」 「マツさんのように元気で百寿を迎えられるのなら、私も長生きしたいけど・・・」 「そやなあ。けっこうなことや。ありがたい。あんたもガンバリや。」 とヘルパーにマツは言った。 今朝もとてもいい笑顔でベッドから這ってきてヘルパーに挨拶をしてくれた。 「食事すぐできますから、ちょっと待ってね。」 「ゆっくりでええ。」 とマツが気を遣った。白寿を迎え、ますます元気のようで、食事もおいしいと、完食だった。目玉焼きを特に喜んだ。 ヘルパーが訪問時、ガスの元コックが切れて、ガスストーブが点かないとマツはとても寒そうに布団にもぐっていた。ヘルパーがすぐにガスを復旧し、部屋が暖かくなると、いつものマツに戻った。 起きてきて用を足し、清拭してから食事をいただく。 「ありがとう。おいしいわ。えらいごちそうやなあ。」 お茶をすすり、 「おいしいよばれた。」 ちりめんじゃこも全部食べた。 礼子が買ってきたお花とその横のミニ雛人形。マツさんの周りも春だった。 「こんな年寄りでもお雛さん(ひな祭り)は子供に返ったようでうれしいわ。」 夕方、ヘルパーが訪問すると、マツは起きて枕元でお金を数えていた。 メモ書きに「御池せんべいを買ってきてほしい」と千円といっしょにあったので、代わりにそばぼうろが買ってあることをヘルパーが話し、お金をマツの財布の中に戻してもらった。マツは一応了解していた。 これは退蔵が言い出したことである。「御池せんべい」は口当たりは上品でおいしいが、なにしろ高価で、腹持ちも悪く、マツの言いなりに買うわけにはいかない。 ヘルパーが声を掛けると、 「外は寒いやろ。」 とマツが気遣った。その後は新聞を読みながら、 「いろいろな事件があるのやなあ。わてが死んでも争いはおさまらん。」 とつぶやいていた。 巻き寿司の中身だけ食べてあったので、マツに確認してヘルパーが処分した。 町内の組長さんが社会福祉法人の募金を集めに来た。ヘルパーが取り次ぐとマツは一口分五百円を払った。 今朝は部屋の温度が暑いようにヘルパーは思ったが、本人は暑くないとのことで、そのままにしておいた。食事の方は残さず食べ、いたって元気だった。 「大便をしてもええか?」 と遠慮がちにヘルパーに訊く。 「大丈夫、ゆっくりしてください。」 「ごめんな。」 とマツらしい気遣いを示した。 新聞の書道展を感心して眺めていたり、子供の時習ったと、謡の羽衣をヘルパーに聞かせたり、いつまでも機嫌よかった。 看護師の訪問日。 排便のコントロール良好。活気もあり、笑顔で答えてくれている、とのこと。 オレンジジュース百ミリリットル飲んでもらった。風邪症状なし。胸苦しさ、めまいなどもなく、安定している。 今日は魚のほかはすべてきれいに食べた。こんなふうに食べてくれるとヘルパーも嬉しくなる。 礼子がこっそり持って行った「御池せんべい」がおいしかったのでまた買って来てほしいとマツがヘルパーに頼んだ。でも退蔵に申し渡されているので、ヘルパーは御池せんべいの代わりにエイセイボーロを買ってきた。 ヘルパーが夕食の支度をしていると、テレビの音が聞こえてきた。マツが起き出した合図だった。すぐ熱いタオルを持って行くと、 「ああ、気持ええ。すっとする。」 目覚めも爽やかだ。 失禁パンツ二枚がベッドの下にあった。 テレビでは、子供達が能に兆戦していた。 みそ汁においしい声を上げて食べていた。夕食用に用意してあった玉子のマヨネーズ和えは、もうすでに食べてしまっていたようだ。 「お腹減ってるねん。ああおいし。」 鯖の身は自分でほぐして食べていた。 「おいしいねん。お腹減ってんねん。」 ヘルパーが訪問すると、マツは独り言を言いながら、何やらメモしていた。 「食べ過ぎは胃によくないから控えます。」 と書いてあった。 ヘルパーはマツと相談の上、味噌汁の汁だけ飲んでもらうことにした。 「食べ過ぎたらようないて分かってるのに、つい、いろいろ並んでるとつまんでしまうねん。これを凡夫と言うのやろ。」 「ボンプってなんですか?」 とヘルパーが尋ねた。 夕方、マツは眼鏡をかけて上着着用のまま寝込んでいた。ヘルパーが声を掛けるとすぐに起きて、 「ありがとう。来てくれてうれしい。」 天ぷらそば、とてもおいしいとおつゆまで全部飲んでいた。春の彩りが感じられる盛り付けに季節を感じているようだった。勢いよく食べて、胃の方の心配もなさそうだ。 マツは新聞の、「オウムの松本被告に今日判決」の記事を見て、 「こんな悪い人に弁護する人がいるのかなあ。」 とふしぎがっていた。 蟹身がなくなっていたので、マツがおやつに食べたようだ。空のお皿が寝室にあった。ごま和えもなかったので、これもおやつに食べたのだろう。いなり一個皮のみ食べてあった。そのせいでマツは今日は少し落ちついていた。みそ汁の具の豆腐をきれいに食べ、 「もうはいりません。ごちそうさま。」 2004年3月 平成16年 マツは毛布だけ掛けて寝ていたが、すぐ起き上がってヘルパーに、 「なんか冷たい物が欲しいわ。」 と注文した。ヘルパーが冷たいオレンジジュース出すと、 「ああよかった、来てくれて。」 かなり暑かったようだ。 今日は好物の「かまあげ」をあまり食べなかった。千枚漬けの方が気に入ったようだった。全体的に少な目で「満腹」とのこと。食後はテレビで「鶏インフルエンザ」の話題を熱心に見ていた。 夕方、ヘルパーが訪問すると、マツが女学校時代の事を大きな声でぼやいていた。ヘルパーがびっくりして声を掛けると、 「夢を見てて、今怒ってたんや。恥ずかしいなあ。」 と笑っている。それ以上はヘルパーは追求はしなかったが、過去の一時期のことは鮮明にマツの記憶に蘇るのだろう。 下着はかなり汚れがひどく、ハイターに浸けておいた。食事は釜揚げを少し残したが、あとはおいしいと全部食べた。二日前のいなり寿司はマツの了解を得て処分した。 雛祭りの日なので礼子は叔母に雛ケーキを買って持って行った。お腹一杯らしかったが、ケーキを見て少し食べたいとのことなので、紅茶を入れ、ケーキをお皿に移してマツの枕元に持って行った。マツは目を輝かせ、上に載ったクリームを食べ、 「おいしい」 と言った。後は冷蔵庫に入れておく。 パンツ二枚とズロース一枚尿汚染があり、看護師がハイターに浸けた。時々尿での汚れが強いため、 「尿パットなど今後少し験してもいいかな、と思いますよ。」 マツと相談したところ、 「今後のためにええかもしれへん。」 と以外にも同意した。 「サンプル、なにかよいもの、薄手の物探してみますね。」 いつも通り看護師が全身清拭、洗浄、足浴、ドライシャンプー、更衣をしてくれた。オレンジジュースをグラスに一杯渡すと、 「おいしい。」 と飲んでいた。 お尻の右の方に、二つ三つプツプツした湿疹の痕があるが、この前よりよくなってきている。尿が着いたパンツをそのまま穿いているせいかもしれない。 朝のヘルパーが訪問時マツは寝ていたが、声を掛けると、 「今日はとても淋しかった、来てくれてありがとう。」 と涙声でヘルパーの手を取った。 朝食はおいしいと食べていたし、買物に行く時にいちごが食べたいとのことなので買ってきた。 食後マツは新聞を読み、児童虐待の記事に珍しく激しい口調で怒っていた。 ヘルパーが訪問するとマツがちょうどテレビを点けたところのようで、急いで温タオルを持って行った。 「今起きたとこやねん。ああよかった。気持ええ。」 食後しばらくテレビを見ていたが、 「もう結構。ちょっと横になる。寒い、寒い。」 「外は雪が降っているんですよ。」 「そら寒いはずやなあ。」 スッポリお布団を被り、 「こん中には入ったら極楽やわ。」 「若い時はもっとふっくらしてきれいやったんえ!」 マツの話に、看護師はすっかりうれしくなって二人で笑い転げた。お尻のプツプツした所よくなってきている。尿取りパット(シール二枚つき固定)のもの二枚置いていくことにした。強制でなく本人の気が乗る日に験してみてほしいとのつもりだった。 今日は気温も上がり、暖かい雨となった。近所に住む知り合いの訃報の知らせに少々落ち込んでいた。 「人間それぞれ与えられた寿命やさかいなあ。」 ヘルパーが尿取りパットのことを話してみたが、 「ワテはまだ・・・」 と否定。 「ベッドからポータブルトイレに移動する時、間に合わないということはないですか?」 やんわり聞いてみたが、 「ない!」と即答。「ワテはまだしっかりしてんねん。」 下着が汚れていないか気を付けることが今の時点で出きることではないかとヘルパーは思った。 ヘルパーの帰ったあと、ぶつぶつ言いながらマツはそのパットをくず入れに捨てた。 蟹身はすでにおやつに食べたようだ。まず味噌汁から・・・ 「ありがとう。」 ヘルパーはできるだけマツに食べてもらうよう促している。ブリの照焼き、玉子焼きなどおいしいと食べていて、食欲もあった。 「ああおいしかった。お腹満腹。もうはいらん。」 灯りは点いていたが、マツはまだ眠っていた。 朝食の支度ができてからヘルパーが声を掛ける。 いちごミルクにはコンデンスミルクを掛けて持って行ったが、マツはその上に砂糖をかけて、 「ミルクだけでは頼りない・・・ああおいし・・・」 食べ終わると、 「お腹一杯や。」 と言いながら、お菓子の袋に手が伸びていた。 勢いよくたべていて食欲はあるが、口数が少なく、少し元気がない。近頃毎日「淋しい」ようなことを言っている。いちごはたっぷりの砂糖をかけて食べていた。 枕元の甘納豆にカビが生えていた。 洗浄後ヘルパーは尿パットを使用してみた。マツに説明したところ、 「ほな、やってみよか。」 と納得済みである。明日になったらどうなのかは分からない。 翌朝、礼子がやってきて、マツにに尿取りパットのことを聞いたが、 「そんなん知らんわ。」 と気にもしてなかった。探してみたが、マツの身体にパットは見当たらない。ヘルパーと礼子で尿パットを再度勧めたが、 「そんなん、まだしとない。」 とまるで他人事のようだった。 切干大根のパックを枕元に置いて、いくらか食べていたようだ。 礼子がパット付きの下着を探して買って来た。早速マツに試着してもらう。二枚目のパンツも厚手の下着に替えた。これで尿漏れの状態を見てみようというのだ。 ヘルパーがマツに日記をつけてもらおうとしたが、ボールペンが見あたらないので、枕を動かし探していると、枕の下に洋食用のナイフが出てきて驚いた。念のためヘルパーは、はさみ等、切れるものを棚の中に入れておく。 パット付きの下着だが、尿洩れもなくマツも気に入っているようだ。これは洗濯機で洗うのでなく、手洗いの方がいいとのこと・・・ 夕方ヘルパーが訪問すると、マツは義歯が汚れていたようで、自分でテッシュで拭っていた。 「すぐ洗って来ます。」 とヘルパーは流しで洗って持って行った。 夕食についてマツは、 「どれもこれも水臭い。あんまり食べとうない。」 と独り言。好物の蟹身も残した。 「お腹満腹。」 と言いながら、いちごを横目で見て、 「イチゴはもらう。」 と二個食べた。 雑巾掛けの時ヘルパーは雛人形がまだ飾られているので、 「旧暦まで飾られていますか?」 とマツに尋ねた。 「もう片付けてちょうだい。わてお嫁に行けんようになる。」 とのことなので下のボードの中に片付けた。 マツは尿瓶で用を足していることが多いが、この時洩らすのではなく、そこに行く前に失禁が起こるのだ。我慢と行動が一致しない。 清拭後マツは、 「おいしそうやなあ」 と言って食事していた。 「お魚好きや。」 と、半身すべてを食べた。 いちごにはミルクが掛かっているが、手を伸ばして砂糖を取り、しっかり掛けて、 「もう一つ食べようかなあ。」 礼子がパット付き下着の様子を見に来た。色柄の落ちにくい漂白剤を携えて来て洗濯機の上に置いて帰った。だが、ヘルパーはつい口に出せなかったが、今日のマツは普通の下着を着けていた。 シーツ交換の時、マツがベッドから降りると、ちょうど裏庭が見え、爽やかな晴天に大喜びしていた。 「緑を見ると気分がようなる。」 ヘルパーが訪問すると、 「お腹が空いた。」 とマツはみかんを食べているところだった。 失禁があったようで、下着が汚れていた。尿パット付き下着は厚めの七分丈のと、長めの下着の三枚を着用してもらい、暖かめにしてみた。 カキフライにタルタルソースの代わりにマヨネーズを掛けて出すと、おいしかったようだ。 「今日下着もサラサラー」 と訪問して来たヘルパーにマツがうれしそうに報告した。食欲もあり元気そうだ。高校野球をずっと見ていた。 食事前、マツが義歯を取り出すと汚れていて、 「なんでやろ?」 とマツが不審がる。ヘルパーが覗くとあんこのようなものが付着してした。 「あんこですよ。」 「そう言えばおはぎ食べたわ。」 失禁用のパンツのお陰で尿洩れも少なくなっている。お尻が少しかさつき、赤味があり、看護師が洗浄後オリーブ油塗っておいた。 『身体介護のヘルパーさんへ。お尻を洗ってもらうと少しお尻の具合がよくなるかもしれません。現在すでにされておられたら、すみません。』 『訪看さんへ。お尻は毎回洗っていますが、かさつきが引いてきていたのでよかったと思っていたのですが。ひょっとして、尿洩れパンツが新品だったので糊でかぶれたのでしょうか?いずれにせよ、注意します。帰る時気が付いたので一度洗ってから使用したいと思います。 沢村さんの奥さんが尿洩れパンツを追加して買ってこられました。明日のヘルパーさん、洗濯機の所に汚れ物といっしょに置いておきます。よろしくお願いします。』 夕方、ヘルパーがやってきた時、マツはベッドに腰掛けていて、ちょうどおせんべいに手を伸ばそうとするところだった。とりあえず、おせんべいは「おあずけ」してもらって、すぐに食事を用意した。 最近、あれほど好きだった蟹身を残すようになっている。えんどう豆の玉子とじは全部食べ、おいしかったようだ。 「まだ五、六年生きてるかもしれん・・・」 独り言を言いながら食べていた。いちごには砂糖をたっぷり掛け、嬉しそうにそれを眺め眺め、 「おいしそうや!」 と言いながら一個でお終いだった。 早朝六時半にマツから電話が鳴り、なにかと思ったら、 「ヘルパーさんが来てくれへんけど今日はお休みか?」 「まだ六時え。ヘルパーさんが来やはるまで間があるがな。」 と礼子が答えると、 「お腹が空いた・・・」 とのことなので、急いでトースト、牛乳、卵を持って礼子が自転車で出かけた。よく聞いてみると、夕方の六時過ぎと間違えたらしく、二人で大笑いとなった。お昼寝の後と思ったのだろう。 十時にヘルパーがやってきた。 朝食の途中でマツが、「ふうー」と溜息をついて、 「なんでやろ。今日はあんまりお腹空いてない・・・」 早朝礼子にトーストを差し入れしてもらったことはすっかり忘れていた。それでもなんとか朝食は食べ尽くした。 夕方、ヘルパーが声を掛けると、すぐに目覚ました。枕元に空のお鉢がたくさんあったので、すでに夕食用のおかずを食べてしまっていたのだろう。当然夕飯はさほど進まなかった。テレビを見て、 「桜がきれいやなあー。」 と溜息をついていた。 洗浄時パンツに尿失禁のあとがあった。お尻の赤味はなくなっているが、看護師はオイルを塗った。両足が少しむくんでいる。 今、土砂降りの雨が降っていて、屋根に当たって音がしているので、看護師の声が聞こえないとのことだった。 マツは退蔵が持ってきてくれた京都御苑の桜の写真を看護師にも見せ、ニコニコと眺めていた。 2004年4月 平成16年 「お腹すいて、すいて・・・」 ヘルパーが訪問時マツは冷蔵庫から鯖と漬物を取り出し、すでに半分をつまみ食いしていた。 「おいしいわあ。ああ、おいし。飛んで入るわ。」 と満足気。食欲ありだった。夕食も、 「もう入りません。そない食べられへん。」と言いながら、ご飯も一膳食べ切って、 「ああおいしかった。」 マツはベッドに座ってテレビを見ていた。雨の音のせいで早く目が覚めたらしい。 「河道屋のそばぼうろ買ってきてほしい。」 と枕元にメモがあったが、ヘルパーは買いに行かなかった。そばぼーろと御池せんべいは礼子の方で調達することになっているからだ。 マツは起きていて、大きな声で独り言を言っていた。 「お父さん助けて。」 ヘルパーはしばらく黙って聞いていた。 「何事も忍の一字・・・ありがとう。」 独り言が終了した。 骨があると言いながらマツは慎重に食べている。鰈の煮付けは完食だった。いちごには砂糖をたくさん付けて、 「ああおいし。もうないやろ。残しとく。」 「たくさんありますので食べてください。」 「ほんなら食べるわ。」 礼子がそばぼーろを買ってきて、食べる分を取って、後は戸棚に仕舞っておいた。 朝食後マツは礼子が持ってきたおまんじゅうと、そばぼーろを食べ、 「ああおいしいわー。」 としあわせそのものだった。 ヘルパーが訪問時ガスのコックが切れてガスストーブが点かないため、寒い寒いと言っていた。すぐにヘルパーが復旧してストーブを点けると、 「ああよかった・・・」 ガス漏れが気になってヘルパーが少しの間縁側のガラス戸を開けると、 「気持ええなあ。」 とマツが喜んだ。 朝食もよく食べて、食事後はテレビを見て過ごしていた。 夕方、よく寝ていたが、五時だとヘルパーが伝えると、 「そういうと、お腹が空いてきたようやなあ・・・」 鯛は食べにくそうなので、ヘルパーが身をほぐして差し出すと、 「これやったら食べる。」 食後夕刊を見ながら、 「なんであかんのや?」 と小泉首相の靖国参拝についての意見を述べていた。 更衣の時下着の汚れが少しあった。足浴はテレビを見ながらゆっくり浸かっていた。マツがサッカーを観戦しているので、看護師が思わず、 「おもしろいですか?」 「少し解るのやで。」 「まあそうですか!」 看護師は驚いた。 今日は口数が少なく、 「しんどいですか?」 とヘルパーが尋ねると、 「そんなことない。わてかてたまには静かな時もある。大丈夫。」 とマツは笑っていた。 今日はケアマネージャーがマツの介護認定調査にやってきた。 「新聞は読めますか?」「テレビを点けたり消したりできますか?」「今日は何日ですか?」「マツさんの生年月日は?」などの質問をするたびにマツはほぼ明確に答えていた。看護師が、 「ごめんなさいね。中には答えられない人もいらっしゃるので・・・」 「へえ?そんな人もいはるんかいなあ。ハハハ・・・」 と自分の元気さを確認できたようでますます元気になった。ただ、自分の年齢は九十六歳から九十八歳くらいの認識で、来年は百歳と看護師に教えられ逆にびっくりしていた。 鯖煮がおいしかったのか、一生懸命食べていた。骨のある魚でも、普通の人よりきれいに食べている。みそ汁も好きで、鍋に残ったのをヘルパーが温めて二杯目を出した。 「熱いですよ。」 と注意を促すと、しっかり耳に入るのか、マツはふーふーと吹いていた。 「おいしいわ、おいしいわ。」 いちごは大きな声で、 「ああおいしい。」 を連発していた。 「ヘルパーさん、助けて・・・」 と独り言が聞こえる。訪問してきたヘルパーが驚いて声を掛けると、その後は安定して何事もなく、今しばらくすやすや寝入ってしまった。 起床後、食欲も旺盛だった。朝食は完食。その後もそばぼうろを食べていた。シーツ交換時の移動も順調だった。 「御池せんべい買ってください。」 枕元にメモがあった。 しかし、退蔵の方針として、御池せんべいは値も張るので、折りをみて時々買うことにしているので、メモは無視された。 テーブルの上に卵の殻と白身のみ入った器があった。マツが黄身を吸ったのだろうか? みそ汁の具は何がよいかをヘルパーがマツに尋ねた。 「お野菜ならなんでもええ。」 玉ねぎの薄く切ったものでも・・・。ちょうどお砂糖が無いのでヘルパーは外出して玉ねぎ一個といっしょに買い求めてきた。 「あんた、ええ柄のシャツ着てるなあ。ええわ。ほんまにええわ。よう似合てる!」 と、戻ってきたヘルパーをマツはつくづくと眺めた。 「もう何十年と着ている古い物ですよ。」 とヘルパーが話すと、 「そうか?上手に着てるんやなあ。そうかー」 ヘルパーが訪問すると、マツが大きな声でなにかどなっていた。すぐに襖を開け声を掛けると、 「ああ、なんでもない。自分に言い聞かせてたんや。えらいとこを見られたわ。」 照れ隠しなのか自分で大笑いしていた。気を落ち着かせるためにヘルパーがオレンジジュースを持っていくと、 「ありがとう。サンキュー!」 そのほか、なにか分からないことをつぶやいていたが、朝食を食べた後は平静に戻り、その後は変わりなく過ごしていた。 礼子が買って来た御池せんべいの缶を、マツといっしょにヘルパーが開封した。マツは嬉しそうに食べていた。今度は「そばぼうろ買ってください」とメモが枕元にあった・・・ 寒そうなのでヘルパーはマツに肩当を着用させた。 「こんなええもんあるて、忘れてた。」 鯖には手をつけなかっが、筍が真っ先になくなった。 「ああおいし。満腹。ありがとう。」 その後、「お父さん助けて」が四回ほど聞かれた。 洗濯機の廻りにに蟻がたくさんたかっていた。衣類に付いた砂糖にひかれて集まったのだ。ヘルパーが蟻キンチョールを周囲に撒いたが、洗濯機に水を張って洗濯物を浸けておく方がいいようだ。 食後マツはいつものように砂糖のたくさんかかったイチゴを食べている。 礼子がそばぼーろ二袋を買ってきたので計四袋が在庫していることになる。丸い筒の容器に一袋入れてマツの枕元に置いたので、残三袋は別の容器に入れ、補充分として食器棚に保管しておく。最近のマツはそばぼーろに目がなくなっている。 看護師が、ドライシャンプー、清拭、洗浄、足浴をしてから、手足の爪切りもしてくれたが、その手先を見て、 「あんた、よう見えんねやなあ。」 とマツが感心した。 「コンタクトなんですよ。コンタクトってご存知ですか?」 「知らん。便利なもんあるんやなあ。そんなん目の中入れて痛とないのか?」 看護師の目をマツが笑顔で覗き込んだ。 2004年5月 平成16年 洗浄のためマツにPTに座ってもらい、お尻にオリーブを塗った。相変わらず少しざらついている。そのあと足浴はテレビを見ながらゆっくりして浸かっていた。 いちごに少し砂糖を掛けて出すと、 「これでは物足らん。」 とマツは自分でたっぷり砂糖を掛けて、 「ああおいしい!」 今日の午後は大雨だった。それでもマツはアイスクリームを食べながら元気にいつも通り過ごしていた。 夕方、退蔵から電話があった。退蔵の方はゆっくり話していたのだが、 「なに言うてはんのかわかれへん?代わって。」 そこでヘルパーが取り次いで、 「明日子供の日なので花札をしょうか、とおっしゃってますよ。」 「ああ、そらええなあ。」 とマツがうれしそうな表情になった。 翌日昼過ぎ礼子がマツに電話をすると、もう昼寝の態勢に入っていたらしく、眠そうな声でやっと電話口に出てきて、花札はちょっと一寝入りしてからにしたいとのことだった。 二時前にもうよかろうと退蔵と二人で出かけると、マツはすでに起きていた。「子供の日」でもあるので、まずケーキを出して三人で食べながらコーヒーを飲んだ。それから花札の準備をし、二十四回(十二回を一年と呼び、つまり二年分。)花札をして遊んだ。残念ながらマツが一番負けてしまったが、それでも、 「ああ面白かった。」 と言ってくれた。 灯は点いていたが、マツはぐっすり眠っていた。急須の置かれたお盆には、湯葉しめじを食べた後の器だけが載っている。 目を覚ますと、最初にお茶を一口飲み、 「ああ、おいし。ああ、おいし。お腹が空いてるさかい、ああ!おいしい。よかった、よかった!」 感嘆詞が何度も出ていた。 「湯葉しめじは冷蔵庫からご自分で取ってこられたんですね。」 ヘルパーが訊くと、 「そうや。台所まで行けるだけまだええわ。」 と笑っていた。 夕食の魚の身をヘルパーがほぐして差し出すと、 「こないしてくれたら食べ易い。おいしいわ。」 と全部食べた。おしたしだけは、 「もう満腹や。」 と残したが、「おいしかった」を繰り返していた。 朝のヘルパーが訪問時、台所でマツはバナナとウニを食べていた。 「お腹が空いたから食べてるねん。来てくれてよかった。」 朝食のしっぽくそばを全部食べて、その後お菓子も頬張っている。 訪問が十七時を数分回っていたが、ヘルパーがやって来た時マツはすでに冷蔵庫のおじゃこなど摘んでいた。ヘルパーを見て、 「ありがとう。」 とにっこり。暑い日だったので、氷も湯呑みに入れてベッドまで這い這いで持って帰った。 夕食の魚はすでに食べやすく崩してあったので、その正体が分からなくなっている。 「なんのお魚でしょう?」 ヘルパーにも分からなかった。マツは少し考えてから、 「カマスやないか?」 ヘルパーが少し驚きつつ、 「よく解りましたね!」 マツはにっこり笑って、 「皮見たら分かるがな。」 とのこと。 夕方、テーブルにケーキの箱があったので、 「どなたかお客様がいらっしゃったのですか?」 ヘルパーが尋ねたが、マツの記憶にないようだった。朝の連絡帳の記事から、 「弟さんではないのですか?」 と再度聞きなおしたが、結局分からず、 「さあー?」 今日は看護婦さんの訪問日で連絡帳にも記録があるが、そのことさえ記憶にない状態である。 食欲はあり、夕食をとてもおいしいと喜んで食べていた。 朝食にマツは白粥を大盛り食べ、その後にお寿司を食べたいと言うので、ヘルパーがスーパーへ行き、ネギトロとトロ巻きを買って来た。 「おいしいわあ。」 とても食欲旺盛だ。 電気レンジの前にナメクジが一匹いたのでヘルパーが処分した。 夕方のヘルパーがやってきた時マツはぐっすり寝込んでいた。 「よう寝た。目が開かへんわ。」 と言いながらベッドに起き上がる。ヘルパーが庭のガラス戸を開け、タオルを熱めに絞って差し出すと、ようやく目が開いてきたようだ。 あまり食事が進まないな・・・と思ってヘルパーが、朝の記録を読んで納得した。朝食に白粥大盛りと巻き寿司を食べていた。 退蔵が当座のお金を持って行くと、 「これが何より!」 と喜んでいた。 「でも、入れ歯の大事さには敵わへん。」 五日間便が出ていない。マツの水分補給にはヘルパーたちが努めたが、マツ自身はあまり関心がない。 「おいしないわ。」 と珍しく今日は夕食半分で終わった。便が出てないからかな、とヘルパーが思い、マツのお腹を「の」の字にさすってくれたが・・・ 昨日のマッサージがよかったようだ。今日はしっかり便が出た。食欲もあり、マツは元気を取り戻していた。礼子も便の出を気にして様子を見に来て、安心して帰った。 両足が腫れている。自分で、 「血の循環が悪いんやろ?」 と自己診断していた。看護師が自分の膝にマツの足を乗せてマッサージしていると、 「あんたの手はおこた(こたつ)みたいや。ああええ気持・・・」 今日は外気がひんやりとしているせいか、マツの足も冷たかった。 今日も電子レンジの前にナメクジが二匹いた。ヘルパーがマツに話すと、笑いながら、 「ナメクジは大嫌い。」 と笑った。 マツはテレビを見ていた。「北朝鮮の拉致問題」を熱心に見ていて、理解しているようだった。 夕食をしっかり食べている。食後再びテレビを見て、小泉首相が訪朝して子供達を日本に連れ帰ったのを、涙ぐみながら、 「よかったけど・・・まだまだ大変やなあ・・・」 と評した。 ぐっすり寝た後で喉が乾いていたのだろう。ヘルパーがオレンジジュースをコップ半分持って行くとマツはそれを一気に飲んだ。 「ああおいしい!」 夕食は鯛の造りが新しくて、なかなか噛みきれないようだったが、 「おいしいわ。」 と喜んで食べていた。 部屋の中の様子がなんだか違う。テーブルの上におみそ、空の食品ケース、財布が開いている。部屋は丸盆の上に空のお皿。お腹が空いていたのだろうか?ヘルパーが訪問時マツは眼鏡を付け、入れ歯を入れたまま眠っていた。 食事はいつも通り「ごちそうやなあ。」と召食べていた。 毛布一枚で眠っていた。賭け布団がかかってないことをヘルパーが話したが、 「暑いねん。」 確かに今日は気温が高い。 看護師に看てもらった後なのだろうか、いつもの足の腫れが少しひいている。 便が月曜日以来出ていないが、食欲もあり、元気のようだ。ヘルパーがお腹のマッサージをした。 「どうぞ明日、出ますように・・・ 」 ヘルパーが唱えると、マツが、 「心配せんでええ・・・」 マツの枕元のメモ書きに、 「注意すること。当分風呂には入りません。」 これは自分に言い聞かせての言葉だそうだ。 夕方、礼子がマツのところへ行って、冬の羽毛布団を夏蒲団二枚に替えた。寒い時に困るのでマツの希望で毛布を裾に置いておく。 また、「ナメクジいらっしゃい」を薬屋で買って持って来たので、電子レンジの下に三個置いて帰った。 2004年6月 平成16年 今日は珍しく起きていて、 「喉が乾いてん。冷たい物が欲しいなあ。」とマツが注文した。ヘルパーがジュースを持って行ったが、五十ccほどしか飲まなかった。 「おばあさんやから、いっぺんにたくさん飲まれへん。」 「ゆっくり飲んでくださいね。」 「淋しいなあ思てたんや。来てくれて嬉しい。」 とヘルパーの手をにぎって涙を浮かべた。 夕刊を見て、小学六年女児同級生殺害の記事に、 「考えられへん・・・嘘やろ・・・考えられへん・・・」 と繰り返していた。 マツはぐっすり眠り、機嫌よく目覚めた。新聞に目を通し、小学校六年生の女の子の殺人事件のことで、深い衝撃を受けているようだった。 物忘れがだんだんひどくなってきている。メンソレタムとソバボーロの注文が枕元のメモに書いてあるが、缶の中にソバボーロが入っていることをヘルパーが何度も説明したが、すぐに忘れてしまうようだ。 なぜかPトイレが障子の方を向いて置かれていた。いつもの反対方向だ?その中にはりっぱなバナナ大の良便が一本。四日ぶりのマツの便通だった。ヘルパーは思わず、 「出たね、マツさん!」 PTの向きなぞどうでもよかった。 皆に同じことを言っているのだろうか、帰り際にマツが、 「あんた、好きやからまた来てや。」 そう言われると、ヘルパーも悪い気がしない。 「OK!また来ますよー。」 「ホンマに来てや。好いてもろて迷惑やろけどー。あはははは」 いつも笑ってバイバイという結末になる。一人暮らしのマツにはどうも、わが身を守るための演技力が備わっているのかもしれない。 訪問時ベッドの上に座り、財布を開けてお金を数えていた。泥棒にお金を取られた夢を見て、目が覚めたと言い、夢でよかったと何度も独り言を繰り返していた。 新聞を見てマツが、 「びっくり仰天!」 少女の殺人事件である。 「テレビの影響やなあ。」 と興奮はいつまでも続いている。 「ああ、おいしい。なんぼでも入るわ。」 食後、いつものようにマツは、お金を包んで用意し、 「気持ちだけ・・・」 と独り言。これはもう儀式だった。 「もうしんどい・・・ありがとう・・・横になります・・・」 枕元の財布の中を開けて、 「なんぼあるか心配や。」 夕方ヘルパーが訪れるとまだ眠っていたが、すぐに起きて排尿。清拭は嬉しそうだ。 「お魚好きや。おいしそうやなあ。ぜんまいの炊いたんありがとう、いただきます。」 独り言をつぶやきながら箸を動かす。 「どれ食べてもおいしいねん。」 スイカはおやつに出してきて先に食べてしまっていたようだ。 ヘルパー訪問時、マツはベッドに座っていたが、湯呑のお茶を出され、 「こんなんいらん。氷欲しいねん。」 といつになく厳しい口調だった。 洗浄をしようと着替えの下着を探していると、ベッドの下のピンクの篭から濡れたタオルと失禁したパンツが二枚出てきた。穿いている下着も失禁で汚れている。昼に朝のヘルパーが帰ってから四時半の間にパンツ三枚が失禁?薄手のシャツだったので冷えたのだろうか。今日は雨で少し寒いようだ。 食後はいつも通りの穏やかなマツに戻った。 「そろそろ、お風呂はどうですか?」 とヘルパーが尋ねると、 「好きやけど、今はまだええわ。」 「氷が欲しいねん。」 台所へ出て来ていたマツに、ヘルパーが湯呑に氷とお茶を入れて出すと、 「ありがとう。」 マツは清拭して食事を摂った。 「甘えびは全部食べないとダメですよ。」 「これおいしいねん。全部食べてもええか?」 と逆にヘルパーに尋ねる。 セールスらしい電話が掛かってきたが、マツは自分で受話器を取って適当に断っている。 「わてとこに掛けてきても骨折り損え。」 この二三日下着の汚れは少ないようだ。足浴はテレビ観戦しながら長く浸かっている。 「サッカー、あんまり分からんけど見てるねん。なんとなくおもしろい。」 かなり熱心に見ている。以前には「分かる」と言っていたが・・・これが本音だろう。 マツはベッドに座ってぼんやりしていた。ヘルパーが朝刊を持って挨拶に行くと、 「よかった、来てくれへんのかと思てたんや。ありがとう。」 ゴミ箱にアイスクリームの空き箱。ベッド上にも空のお皿が載っている。起きがけが寒かったようで、ファンヒーターを入れていた。朝食のうどんを食べた後は暖まったのだろう、ヒーターを消した。 ヘルパーの見るところマツは少し元気がないが、食欲はある。 朝食後、新聞を読みながら、 「お父さん助けて。もうええ・・・」 「明日の朝、新聞お休みですよ。」 「そうか。しょがないなあ・・・」 食欲はあるが、「ああしんどい。」の独り言が多い。ヘルパーが聞きただすと、腰が痛いと言った。 「まあ、この年になったら、あっちこっち痛うなって、しんどいのは仕方ないわ。」 熱いタオルで顔と手足を拭いてもらい、オーデコロンをつけて、ヘルパーがポンポン叩く。 「きれいなお顔ですね・・・赤ちゃんのようなふっくらと白い足!とても九十九歳に思えません。」 「うまいこと言うて・・・」 とマツは大笑いしながらも、とても嬉しそうだった。 「朝食、ゆっくり食べてくださいね。」 とヘルパーが言うまでもなく、マツは今日も約一時間かけてゆっくり食べた。 明日十時に役所から、マツが来年「百歳」ということで近況確認のため訪問したいと言ってきた。 「洋服はどこ?」と礼子が尋ねても、仕舞ってある場所を思い出せないようだ。箪笥の上から二段目の抽斗を開けるとブラウスが入っていた。 「これはどうえ?」 「そうそう。そこへしもといた・・・」 とその場を合わすが、すぐまた忘れるのだ。 とりあえず礼子がブラウスをベッドの上に準備しておく。 「もし、写真撮影の時はバッチリ若く美しく写ってくださいね!」 傍からヘルパーがからかった。 翌朝、ヘルパーが訪問時、退蔵夫婦がすでに来ていて、まもなく京都市福祉事務所から若い事務員が一人自転車でやって来た。マツに話し掛け、生年月日やらを確認してメモを取っていたが、ほかはマツの昔話を楽しそうに聞いているだけだった。特に写真の撮影もなく、なんでもこの秋の敬老の日に表彰があるので、どうかそれまでお達者に・・・と言い置いて帰って行った。 朝、マツは起きてベッドに座っていた。 「メガネのフレームが折れて、細かい字が読みにくい・・・」 困ったような顔をしているので、ヘルパーがセロテープで止めて応急修理を施した。 礼子が夏用下着を持って来て、サイズを合わすとOKだった。ついでにヘルパーはマツの眼鏡フレームのことを礼子に頼んだ。 灯りが点き、話し声がするので、ヘルパーが急いで温タオルを持って行くと、マツはベッドに横にってテレビを見ていた。ゴルフの中継画像である。ヘルパーが声を掛けると、 「ああ、びっくりした・・・アハハハ・・・」 先ほどの話し声はマツの独り言だった。 食後にメロンを食べ、「おいしいわ!」 と満足していたが、その後はまたゴルフの実況に見入っている。 「お魚おいしいわ。」 と言って夕食を食べている。ベッドの枕の上には氷の入ったグラスが置いてあり、倒れずに上手に乗っていた。メロンは好物のようで、 「おいし、ああおいし。」 感心しながら食べていた。 「なんとおいしいこと。」 余程おいしかったのか、皮ぎりぎりまで、スプーンを入れて、 「もうあかん。」と独り言の後、「ああよかった!」 二三日忘れていたが、ようやく退蔵が眼鏡のフレームを交換してきてくれた。 「ああ、これでよう見える。」 とマツが嬉しそうに眼鏡を懸けたり外したりした。 台風が気になるようで、台風情報をずっと見ていた。 「大丈夫やろか・・・」 礼子が「そばぼうろ」を補充しに来て、マツに訊いていた。 「どっちが食べやすいのん?」 「つぼみ(丸いぼーろ)の方が食べやすい。」 「ほんなら、次からそれにする。」 マツが急に涙ぐんだ。 「ありがとう・・・」 足が少し腫れている。今日のマツは積極的だった。 「よいしょ、よいしょ」と唱えながら足踏み体操をしている。 夕方のヘルパーがやってきた時、マツは起きて何かぶつぶつつぶやいていた。ベッド下に、お盆に載せた冷凍ぶどうが置かれていた。 「お腹が空いたさかい、これから食べよと思てたとこや、よかった。」 と喜んでいる。夕飯のおかずの茄子煮はおやつになったようだった。すぐに清拭の後に、食事を出す。 甘鮭がおいしかったのか、 「なんぼでも食べられる。」 「筍どうです?」 「これもおいしい・・・」 と完食だ。 「岸辺さん、スイカがありますよ。」 「こらまた、別腹や!」 と食べ、「ああおいしかった。ありがとう。」 「頭の髪が痒い」 とマツは頭を掻いていた。 「ハモがおいしい」 と、イの一番に食べていた。 七月から入浴も始まるのだろうか? 「足がむくんでいるので、血流をよくするためにも入浴してくださいね。」 とヘルパーが入浴を勧める。 「お風呂、じゃまくさいなあ・・・」 「今日は梅雨の中休みで、いいお天気ですよ。」 とヘルパーが廊下のガラス戸を開けて見せた。居間から見る日の光は眩しく、 「ああ、ホンマ。ええ天気やな!」 と新鮮な風を受けながら、二人でしばらく外を眺めて時間を過ごした。 運動のためと、また便が出るようにと、ヘルパーがマツのお腹をマッサージした。 |