介護7
介 護 日 誌 その7
岸辺マツ
明治三十八年生まれ
夫、長男、次男を亡くして、一人暮らし・ ・ ・
近くに亡兄の長男あきら(私、昭和七年生まれ)が住んでいる。
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(平成16年後半)
2004年7月 平成16年 欲しいものがあれば台所まで這って行き、冷蔵庫の中から出して食べているようで、今日もスイカの皮だけ残っていた。 看護師訪問時マツは電気を消して、「眠とうて、眠とうて・・・」とベッドに丸まっていたが、少しずつ起きてくる。 すっかり夏の気配になり、マツも毛布なしでもいいということなので、看護師が毛布を外す。保清が終ると、 「ああよかった、気持がええわ。」 と、ようやくいつものマツに戻った。看護師が入浴を勧めたが、 「めんどくさい・・・」「いややー」 と拒否するので、看護師も強行せず少しずつ勧めていくつもりで今日のところはやり過ごした。 真夜中の午前一時半ごろ、マツから電話が掛かってきた。 「たくさん虫がいる。」 と言うのである。退蔵が自転車で駆けつけてみると、なるほど無数の(数百匹?)羽虫がベッドのシーツや、周辺、電灯の傘に止まっていた。マツが泣き出しそうな顔で畳に座り、虫退治をしていた。すぐに退蔵が掃除機で吸い込み、半時間ほどで一応始末をつけ、同時に「アリコロ」を噴霧しておいた。 虫がたくさん出たということを連絡帳で知ったヘルパーは、布団類すべてを日に干した。カバー類も洗濯して交換、毛布は外してタオル地のシーツにした。 虫が出て退蔵が夜中に訪れたことをマツはあまり覚えていないようだ。 ハモの落し、食べやすく珍しかったのか、全部食べた。からし酢味噌がおいしかったようだ。 「もういらん」 と何度も言ってからもマツは、スイカを出すと、 「ああそれええわ。それもらう。ありがとう。これ欲しいわ。これがええ。」 と喜んで食べた。 「ああおいしかった。ありがとう。・・・ああおいしかった。」 午前○時半ごろマツからデンワ。またまた「虫」だと言う。退蔵が行くと今回は大分少なく百匹程度だった。 夜中に虫が出たので眠れなかったのか、朝食事した後電気を消してそのまま熟睡してしまった。退蔵がやってきてヘルパーに虫の様子を訊いた。 「もうどこにも見当たりませんが・・・」しばらくして礼子も来て夫婦で布団等を片付け、クーラーの掃除、扇風機出し、下着の点検をして帰った。 夕方ヘルパーが訪問すると、マツは起きていて、お金のことを何かぶつぶつ独り言していた。足りないのではなく、使わないのにたくさんあるというようなことを・・・。 「あんたもろて。」 「枕の下に穴掘って埋めておいてください。」 とヘルパーが応じるとマツも大笑いした。 梅雨が明けたようだ。暑い日が始まっている。 夕立で少し涼しくなったようだ。 看護師が来て、マツに入浴を促したが、 「いやや、いやや、入りとうない。」 と駄々をこねて、やはり今日も入浴できなかった。浴室がとても暑く、半年振りの入浴なので、本人の拒否が強いのだと思う。その代わりに看護師が石鹸清拭をしてくれた。 夕方、ヘルパー訪問時マツは、 「パンツが汚れた。」 と自分で下着を出して着替えたところだった。 そうめんは目先も変わり大変喜んで食べていた。 「お風呂はよかった?」 と、てっきりマツが入ったものと思い、退蔵が様子を聞きに来た。入浴していないことを知り、退蔵もヘルパーもがっかりだった。退蔵がマツに、来週は必ず入るようにこんこんと話すと、マツはそれなりによく理解し、 「うん、今度はいる。じゃまくさいけど、入るように努力します!」 と明るく誓った。 スイカは、「おいしかった。」「漬物おいしい。」と、口当たりのいいものはよく入るようだ。味噌汁はいつも残さずに飲む一品だった。 朝食後は祇園祭の中継をずっと見てした。社会福祉協議会からいただいた赤飯は朝食時には「食べない」とのことだったが、昼前になって、食べたくなったと言い出し、「おいしい。」と残さず食べていた。 新聞に目を通しながらマツは、新潟の水害の話をして、 「京都はありがたい。地震も水害もない。」 さらに、「神幸祭の御輿を囲んで人々の山」の写真を見て、 「これ見とうみ。みんな人やで。うじゃうじゃ・・・びっくりするわ。」 朝のヘルパー訪問と同時に起きて、冷たいオレンジジュースを飲んだ。朝食も、 「おいしいわー」 と食欲はあった。 退蔵が来て、今日の入浴をマツに確認して行った。 「わかりました。がんばって入る。」 マツは確約した。その後で礼子が桃をむいて持ってきて、入浴後に食べるように冷蔵庫に入れて行った。 半年振りにマツが入浴した。看護師が促すと、 「ほな、はいろか!」 とのことで、拒否なく入った。入浴後はテレビを見て、 「ああスッキリした。気持えー。よかった。」 さほど疲れた様子もない。 「今度もまた、はいろ。」 と笑顔で言った。 訪看さんもよほど嬉しかったのだろう、聴診器を忘れて帰った。 マツがテレビを見ているところへ、 「暑いですね。」 ヘルパーが入って行くと、と入っていくと、 「それ(扇風機)点けや。」 とマツが気を使ってくれた。 ガラスの器に盛られたおそうめんに、スイカ・・・。見るからに涼しげで食欲をそそる献立のあれこれ。 「おいしそうですねー」 とヘルパーが誘うと、もちろんマツは大満足。 朝、上がり框の下にぶどうの殻がたくさん落ちていた。 おうどん一玉は多いかと思ったが、マツは残さず食べた。食欲は落ちてないようだ。 夕方も、大きなぶどうの房、 「なんぼでもはいる。」 と、とてもおいしそうに食べていた。 先日の木曜日にマツが入浴を拒否して入れていなかったので、看護師がマツに訊いたところ、 「今日は入る。」 と入浴してくれた。入浴後は、 「ああよかった!」 とのことで、冷たいお茶を一杯飲んでいた。 夕方のヘルパーが少し遅刻してやつてきた。 雷雨の後で、外は気温が下がったが、屋内はむっとする熱気がこもっている。庭のガラス戸などを開けて風を通すと少しましになった。 「雷で少し来るのが遅くなってしまって・・・」 とヘルパーがマツに謝ると、 「かめへん。うちかて雷大嫌いや。ゆっくりしてくれたらええ。」 と庇った。 2004年8月 平成16年 熱いタオルを持ってヘルパーが声掛けすると、マツはやっと起きてきた。 「ああ、いっぺんに目が覚めたわー」 食欲はある。 「これ食べようー」と嬉しそうだ。 「おいしい。もうちょっと食べよ。」 おそうめんのことだろう。 「ああおいしかった。ありがとう。」 朝食後は新聞に目を通し、時々、 「とんどー、お父さん助けて・・・もうよろしー・・・」 など、独り言を言っている。意味不明の部分もある。そのあと裏庭を見て、 「今日もカンカン照りやなあ。」 看護師訪問時、バンバンと音がしており、うちに入ると、マツが氷を容器から出そうとしていた。 室内クーラーが入っておらず、暑かったのですぐに入れる。 石鹸清拭し、ドライシャンプー、洗浄、足浴をする。久し振りに耳掃除をすると、中が見えないほど垢が詰まっていた。マツは、 「こわい・・・」 と言いながらも、たくさん垢が出たので、「すごいなあ!」 と驚いていた。 朝のヘルパーがやってきた。 食事の準備が出来て十時五十分にマツに起きてもらった。今日もいつもと変わらず、元気でいい笑顔をしている。 食事の時、味噌汁を胸元からこぼしたので肌着が上下全部濡れてしまった。すぐに更衣し、ついでに風呂を勧めた。 「よう覚えとく・・・」 「いつも約束破るの誰?」 とヘルパーが言うと、 「わてやなあ。ごめん、ごめん。」 と笑っている。 お陰で今日の入浴は問題なく終了した。 「ああすっとした。」 夕食のおそうめんを見て、 「一等賞やなあ。」 と大喜び、「おいしい」を連発して食べていた。 急に雨が降り出し、屋根に当たる雨の音が大きく部屋の中まで響いた。 「聞こえますか?」 ヘルパーが耳を澄ませて見せた。 「いや、聞こえへん。」 夕方、ぐっすり寝込んでいた。しかし、氷水とか、器の空きが二個あり、スイカも冷蔵庫になかったので、おやつに食べたのだろう。 ヘルパーに起こされて夕食になる。ハモのおとしは希望の品だったのか、 「ああおいし」と全部食べた。そして何度も、「ありがとう。」 夕刊に目を通して、 「今日は原爆の日か・・・五十九回目。そないになんのか。わてが四十の時やったんもんなあ。」 仏壇のバナナ痛んでいて、ヘルパーはマツにも断って処分した。 マツは起きて、オリンピックの開会式を見ていた。 「下着着替えますよ。」 とヘルパーが声を掛けると、 「下着は少しも汚れてへん。きれいなもんや。それでも着替えるのか?」 「そうですよ。汗かいてますもん。」 失禁ではないが、尿瓶で取る時汚れたような汚れ方だった。 今日も鰻をきれいに食べ、ウニもおいしいと食べた。その間もずっとオリンピックのテレビを見ていた。高野豆腐はおやつに食べたようだ。 マツは、オリンピック選手の「金」の記事を見ていた。 「えらいわー。精神力やなあ。」 「夕飯どうしましょう。」 ヘルパーが尋ねると、 「お腹大きいねん。」と言ったが、 「なにがある?」 ヘルパーがメニューを伝えると、 「おいしそうやな。」 しかし、最後のスイカが、 「一番おいしかった。」 それから、オリンピックの柔道をヘルパーといっしょに見て、 「やっぱり腕に力がないと勝たれへん。」 と一言。さらに、 「あっち(外人)は背が高いさかいなあ。」 と冷静に分析した。 看護士が今日も入浴させてくれた。 「ああ、すーっとした。よかった。」 この前彼女が携帯で撮った写真持ってきてマツに見せると、喜んでいたが、ちょっとショックのようだった。 「わて、こんな顔か?ひどいなあー。」 「違う違う、もっと美人ですよ。これは現像の加減でこうなっているけど、もっと色も白いしー。」 しかし手元の写真しか理解できないマツは、 「これやったら、ホンマのおばあさんやなあ。しようがないけどな。アハハハハ。」 マツは高校野球を真剣に見ていた。 「野球はよう分かるねん。」 町内からお地蔵さんの提灯を表に掛けておきますと言ってきた。 牡蠣フライにはマヨネーズ掛けてあったので、それを温めて出したが、ヘルパーがどうかなあと思ったとおり、マツは半分残した。 足が冷たいのでヘルパーがマツに尋ねると、 「どうもない。」とのこと。でも、ヘルパーが手で触ると、 「温かい。ええ気持ちや。」 ヘルパーはしばらくマツの足を擦り続けた。やはり少しむくんでいるようだ。 「お茶もたくさん飲んでくださいね。」 とヘルパーが勧めた。 足の冷えを聞きつけて、礼子が靴下を持ってきて穿かせた。 夕方ヘルパー訪問時、マツは靴下は脱いでしまっていた。足浴をしたあと、足が冷たいようなら、と靴下を勧めたが、 「べつに、どうもない。」 とのこと。 「マツさん、外は大雨ですよ。」 「へえ、そうか?」 「今私が自転車で雨の中走ってたら、新聞配達が全身ずぶ濡れになりながら、新聞の束だけは大事にビニールに包んでいたんです。」 「みんな大変やなあ。」 「私、新聞配達の青年に心の中で(がんばれ!)と(ありがと!)と叫びましたよ。」 マツの枕元に夕刊を届けながらヘルパーが語ると、 「あんたええ人やなあ。」 とマツが微笑んだ。 看護師の介添えでマツの入浴は問題なく終了した。下肢の冷感はお風呂に入った後は消えている。便秘三日目だが、お腹の動きはよいようで、張った感じもない。下肢の腫れも少し引いている。膝の関節が硬くなってきているので今後リハビリの方も強化していこうと看護師は考えた。それも本人の疲れない程度に。 退蔵がマツの若い頃の写真をPCで複製して持ってきた。すでに他界したマツの連れ合いと二人の息子、家族揃っての写真をマツは食い入るように眺めた。幸せな嬉しい時間が流れていく。 「次男がワテにもたれてる。ほれ、見て!」小学生ぐらいの次男の姿をずっと見つめていた。 温かいタオルでマツは顔を拭いた。 「ああ、ええ気持ちやなあ。目が覚めたわ。」テレビの台風情報を見て、 「外は風強いか?」 心配そうにヘルパーに尋ねた。 「まだ大丈夫ですよ。」 いつの間にかマツの若い頃の家族写真が壁にかかっていた。ヘルパーの目に留まり、 「いいお写真ですね!」 と言うと、マツはとても嬉しそうにニッコリとした。 二十七日から便がないようでヘルパーは気になった。まずお腹を「の」の字に撫で、マツにベッドに座ったままで少し運動を促した。すると、 「しとうなってきた・・・」 と言って、簡易トイレまで行き、少しいきんでいた。途中も、「お父さん助けてー」と合掌姿。すると良便が出た! 「ホッ・・・」 洗浄の時、マツの陰部の左側が少し赤くなっているのを見つけた。ただれているのかな? 2004年9月 平成16年 電気を点けて眼鏡をかけたまま、マツはよく眠っていた。 ヘルパーが声を掛けると、 「なんぞ、冷たいもん・・・」 オレンジジュースと、熱いタオルを持って行った。 「ああサッパリした。目が覚めた。」 うがいの後、 「わての財布しらんか?」 つい先ほどマツが手にしていたのをヘルパーは見ていた・・・ 「いっしょに探しましょうね。」 マツがお尻に敷いていた。 「えろう大事なとこに仕舞ってはりましたね!」 二人で大笑いしたが、少し恥ずかしそうなマツであった。 看護師訪問時、マツは電灯を点けて昼寝中だった。声を掛けると目を覚まし、 「寝てると気持ちええ。」 とのことだった。まだ眠いせいか血圧が少し低めだったので、入浴は中止し、お風呂の湯で清拭などをした。下肢のリハビリ中、 「膝が伸びひん・・」 とマツが少し悲しそうな顔をした。陰部の発赤はやはり少しあるが、とくに痛みとかかゆみはないようだ。パンツ二枚を重ねて穿くと、少しむれるのかもしれない。 さんまをヘルパーに差し出して、 「分けてえな。」 とマツが要求した。身をほぐすのは、「じゃまくさい」とのことだ。ヘルパーにマツが甘えている。ヘルパーはマツを愛らしく感じた。 「こんなおばあさん・・・」と会話の中によく出てくる。 「ほんとうにおばあさんと思っているの?」 とヘルパーが聞くと、 「いーや。」 と即答が跳ね返ってきた。 便の出が快調だと、マツがしっかり食べているのがよく分かる。お腹もよく空くようだ。 新聞のチェチェン学校突入の記事に大変ご立腹だ。 足浴は石鹸で足を洗い、テレビを見ながらゆっくり湯に浸かってもらっている。 鯖は自分でていねいに骨を取り、ゆっくり食べている。ぶどうはすでにおやつに食べてしまったようで、冷蔵庫に見当たらなかった。 ヘルパーが雑巾がけをするたびにボードの上にいつも季節の人形が置かれている。礼子が季節季節に買ってきて飾っているのだった。 「ああ、お月見!」 ヘルパー自身が忙しく活動する中、ほっと一息吐く一時だ。 食後すぐにマツはベッドへ戻り、よほど眠かったのか、テレビに向かって、 「なにをベラベラうるさい!」 と消した。 「もう寝させて。お父さん・・・」 朝のヘルパーが訪問したら、マツがうなされているようだった。急いで声を掛けると、下着がめくれあがって 気持ちが悪かったとのこと。手伝って直すと、 「こんでええわ。」 と安心した。 退蔵が来て、マツに深夜に地震があったことを話していた。急いでマツは新聞を読んだりテレビで見たりで、ようやく事実を知り、大変だったと分かると、あらためてびっくりして何度も、 「地震あったんやなあ!」 と繰り返し、 「もう大丈夫ですよ。」 とヘルパーが伝えると、 「そうかー?」 それでもまだ少し気にしているようだった。 今日は台風のため、朝からとても蒸し暑い日だった。昼過ぎから風もだんだん強くなってきたが、マツさんは涼しい顔でぐっすり眠っていた。ヘルパーが起こして、 「下着替えますよー」 「汚れてへん・・・」 マツが夢うつつで返事をした。 確かに下着はほとんど汚れていなかった。足浴は石鹸で洗いながら、お湯を替え、ゆっくり浸かった。 「ああよかった。」 食欲はあるが、少し元気がない。しんどいことはないと言っているが・・・食事の後、しばらくするとすぐまた寝てしまった。 翌日の夕方、マツは甘エビを一生懸命食べていた。昨夜の台風のことヘルパーが尋ねたが、 「そやなあ、あんまり分からへんかった。」 とのこと。新聞で被害を知り、驚いているようだった。 今日は京都府から百寿のお届けが来るのをマツはとても楽しみにしている。少し緊張気味だった。 「ほんまかいな。ほんまかいな。」 とニコニコそわそわしていた。入浴後、 「ええ服着とかんと格好悪いな。靴下も穿いた方が感じええやろ・・・」 京都府庁の職員が四時にやってくるので、退蔵と礼子も三時半にマツの家に出掛けた。ちょうど看護師がマツを風呂に入れて洋服も着せてくれていたが、先日礼子が買ってきた洋服を着るとのことで、また急いで着替えさせた。スカートも穿いてもらって待っていると、四時きっちりに二人の府の職員が知事の賞状と、身障者が編んだというマフラーを二枚記念に持ってきてくれた。ここのところ少し元気がなかったマツがにこにこしてたちまち元気になった。 「食べるものもおいしいし、テレビを見てもよく分かる。来てくれてありがとうございました。」 を四五回繰り返し深々と頭を下げていた。 特に記念撮影もなかったので退蔵がカメラ マンになって記念撮影をした。 さっそく退蔵は寺町の額屋へ走り、表彰状 を額に入れて、マツがよく見える壁面に飾った。 さらに数日後、今度は京都市から表彰を受けることになった。 その朝、マツは起きてテレビを見ていた。ヘルパーに促されて簡易トイレに座って下半身の洗浄をしてもらい、少し下着が汚れていたので更衣もする。 「ちょっとも汚れてへん。」 「岸辺さん、お祝いに来てくださるんですよ。」 「いつ来てくれはんのか知らんけど・・・」 と、照れ隠しのようなことを言った。 壁に京都府知事からの百歳のお祝い状が掛かっている。 「岸辺さん、今度は市長さんが来てくれはるんですよ。」 「ほんまかいな・もう百歳て・・・」 うれしいとも悲しいともつかぬ目で表彰状を眺めていた。ベッドに腰掛けた右足が少し腫れている。 十時きっかりに、中京区役所の区長と職員、福祉協議会の皆さんなど七人がぞろぞろとやってきた。退蔵と礼子も加わり狭い座敷が足の踏み場もないほどの満員状態だった。小泉総理大臣からの賞状と直径十センチほどの小振りの銀杯、京都市長挨拶状、福祉協議会からの記念品と花束を貰った。やはり記念撮影は退蔵が受け持った。マツは感激で少し目頭がうるんでいた。 みんなが引き上げると、またまた退蔵は寺町の額屋に走り、額を二枚買って帰った。マツの居間の壁は表彰状やら挨拶状などで満開の花盛りとなった。大きな盛り花も礼子が部屋の片隅に飾った。 夕方のヘルパーがやってくるなり、 「今日の市民新聞にマツさんの名前がありましたよ!」 と叫んだ。 「へえー、はずかしいなあ。」 と言いながら、渡された中京版の市民新聞の自分の名前を食い入るように見ていた。 右足が特にむくんで腫れているように思う。 「ああよかった」「ありがとう」を繰り返しながら、マツのお目覚めだった。百歳のお祝いを多くの方から戴いたことを感謝していた。 看護師が入浴を勧めたが今日は拒否した。浴室のお湯を使い、足浴、洗浄、清拭、爪切りもしてもらい、 「ああよかった。」 それから、 「今日は眠とうてかなん。ああ眠た。」 とベッドに横になって寝てしまった。 夕方、マツはよく寝ていた。すぐに起きてもらい清拭し、食事を出す。 「百歳のお祝いに来てくれはんのかしら・・・」 と言っていたが、すでに大勢祝いに来てもらっているのだ。マツは枕元の市長から頂いた漆工芸の手箱をヘルパーに見せた。 「これ、ほな百歳になったさかいに呉れはったんやろか?」 「そうですよ!りっぱなもんや・・・」 「ほんまか?ホンマか?」 と、自分でも今さらのように驚いていた。 「百年も生きてたなんて、自分のことやのに、びつくりしてんねん。おかしいやら、うれしいやら・・・」 と大笑いしていた。 「百歳言うたら、日になおしたら・・・」としばらくして暗算しているようだった。 「三百六十五日かける百やなあ。三万六千五百日!」 と大きな声で答えを言った。 「すばらしい! 」 ヘルパーが思わず叫んだ。 マツはテレビを見ていた。ヘルパーがパンツを替えようとすると、 「汚れてへんやろ。」 今日は嘘ではなく本当に下着の汚れはなかった。気分もいいようだ。 イチジクは食べにくいのか、時間を掛けてやっと食べ終えた。 「もうこれでええ。」 「記念写真とても若々しく撮れていますよ。」 マツがようやく大声で笑った。 朝のヘルパーがそっと襖を開けて覗くと、まだ眠っていた。新聞を枕元に置くと、やっと気付いて、 「ああ、ありがとう。来てくれてよかった。」 「市民新聞にも載っていましたよ!」 ヘルパーが伝えると、 「そうかあ・・・」 「マツさんの他にも十三人も百歳迎えられた方がおられて・・・」 「そうか、そうか・・・」 と嬉しそうだった。 「あ!忘れてました。百歳までの人生は?」とヘルパーがインタビュー調で尋ねた。 「まあ、楽しい人生やったなあ。顔見たら分かるやろ。ほぉーっとした顔してる・・・あはははは・・・」 尿が白濁していたのがヘルパーには気掛かりだった。 翌朝十一時ごろ、礼子が、昨日の連絡帳に尿が白く濁ると書いてあったのを心配して確認に来た。ヘルパーが、「今日は普通でした。」と報告すると、安心して帰って行った。 夕方のヘルパーが、尿白濁の件について、マツが陰部に散布しているパウダーが下に落ちたのではないか?と報告してきた。 「今後注意してみる必要はあると思いますが・・・」 「二十日の尿白濁の件、牛乳でも入れたような感じだったので、なんだろうと思ったのですが、パウダーとは思いつきませんでした。おそらくそうではないかと思います。」 先日、最初に白濁を見つけたヘルパーも原因が分かってほっとしたようだ。 「水分は人間の身体の七十%は水で出来てるんですよ。だからお茶、よう飲んでくださいね。」 ヘルパーが話しすると、 「そうかあー?」 マツは少しがんばって飲んでくれた。 「簡易トイレの処理の仕方で、いつも感じていることがあります。処理した後、洗剤で洗い、あとお水を三百CCから五百CCほど入れていますが、お水を入れない方もあるようで、その点で、尿が濃かったり薄かったりの差もあると思います。水を入れることは、本当の尿の濃さを知ることはできませんが、排便のあった時、汚れが取りやすく、また尿によっての汚れも軽減されるので、どちらがどうなんでしょう?悩みます。」 ヘルパーはそれぞれ熱心で親身になってマツの介護をしてくれている。 今日は拒否もなくスムーズに入浴してくれた。湯舟に久しぶりに浸かることが出来て、「ああ気持ちええ。ああよかった。」 マツも喜んでいた。入浴は短時間なので、入浴後の疲れもなく、ジュースを飲んで水分補給もしていた。 「お腹も暖まったさかい、便が出るかも・・・」 とマツが言った。 事実その夕方良便があった。 「ポータブルトイレ、私の場合。洗浄後、お風呂の洗剤ルックを二三回シュッシュッと入れています。これは便をされても汚れが取れやすく、また匂い消しにもなるかと思い実施しています。ほかになにかよい方法がありましたらご指示いただけると嬉しいのですが・・・」 ヘルパーの言葉が連絡帳の上を行き交った。 外でゴロゴロと雷の大きな音がしている。夕方から雨と言っていたので降るのだろうか。「今年の夏は暑かったー」 マツがぽつりと言った。 「よう寝たなあ・・・」 夕方である。簡易トイレで用をたし、清拭後、マツは運ばれた夕食を前にした。 「あんまり食べとうない。あんまり食欲がない。」 しばらくお膳をにらんでいて、再び、 「あんまり食べとうない。なんでやろ。」 ちょっと箸でつまんで一口食べる。 「まだたんとあるけど、もうよう食べん。」 「よく食べられてますよ。」 ヘルパーがおだてる。 「なんでやろ。そない食べとうない。もういらん。全然食べられへん。」 ヘルパーの目にはマツはいつも通り食べていたが、 「もう満腹。百歳になって、そないに食べられへん。いろいろしてもうて、ありがとう。」 おみかんには文句は言わなかった。 「おいし。このおみかん、おいしい。」 顔を温かいタオルで拭いた後、オーデコロンを付け、ヘルパーがマツの顔をポンポンたたいた。 「きれいですね。」 「あんた冗談上手やな。」 とマツが大笑いする。食事も時間をかけて全部残さず食べた。 食後、熱心に新聞を読んでいる。 「ああ、いろんなことがあり過ぎや。難しいことは分からん。」 これは独り言。 2004年10月 平成16年 ご飯が少ししかなかったので、ヘルパーはそうめんを作ってマツに食べさせた。それでも「おいしい」と言って、出したものを全部食べ、食欲はあった。 今日あたり涼しくなったので、礼子が上布団を取替えに行ったが、マツは、 「まだこのままでええ。」 と現状を変えたがらなかった。 夕方、マツは起きていて、 「ああしんど、お父さん助けて・・・」 テレビでは土砂崩れのニュースが流れていた。 「そんなとこに住んでるからや・・・」 マツが独り言を言った。 筍は好きで、ボソボソと全部を食べた。 「あああ、おいしかった。もうはいません。」 百寿の祝花はもう枯れてきていた。 「もうアカンなあ。」 食後熱心に新聞を読んでいる。 「なんでこんなことしやはるんや!」 怒っている。患者の爪をはがす十条病院の事件を読んでいるようで、 「言葉も話せへん人を・・・」 といっしょになって怒っていた。 涼しくなってきたので、マツは肩掛けを着てベッドに腰掛けていた。 「外はとてもいい天気ですよ。」 「そうかあ!」 とマツは驚いていた。 今日は看護師に研修学生が一人付いて来た。入浴をマツは受け入れ、湯舟にも浸かったので、少し疲れたようだ。涼しくなってきたので、そろそろ入浴を終了する時期かもしれない。 「今日はお風呂に入られてよかったですね。」 その日の夕方、ヘルパーが話しかけると、 「わて、はいらへんかったえ。」 昼の出来事はもう忘れているようだ。 朝、ヘルパーが訪問してすぐ、居間の中程に十円玉大の黒い物体が目玉のように二個並んでいた。よくよく見ると、羽根があって動く小さな虫の塊だった!急いで台所から殺虫剤を持って来て、黒い目玉に向かって撒きかけた。しかし残量が少なくて出が悪い。退蔵に電話すると、彼が新しいのを持って走ってきてくれた。 退蔵は散布しながら、 「まだまだ叔母さん若いから虫がつくんや。」 すでに起床されベッドに座っておられました。沢村さんの奥さんが、寒くなってきたのでと電気毛布の準備にきてくださいました。毛布のスイッチコードは電話代の下にあります。 「よう寝た・・・」 と起き上がってきた。 簡易トイレにて排便。 「悪いなあ。悪い思てる・・・」 その上に丁寧にちり紙を掛けている。 「お腹が減ってんねん。なんのお魚やろうね。」 と出てきた夕食に箸をつけて、一口ずつ口に入れる。だいたい味付けの濃いものに箸が行くようだ。 「もうそない食べられへん。」 湯葉のさしみに手を出し、 「これなんやろ」 「味見してください。」 「なんかわからへん。」 たくさんのおかずに、 「もういらん。ご飯だけ食べとこ。」 「そうおっしゃらずにせっかくのおかずですから・・・」 「もう入らん。なんぼきばってもはいらへん。」 朝、退蔵が大工を伴って、通り庭の先にある洗濯機の上の壁を見に来た。 マツは食欲もあり、元気に過ごしている。台風接近で大雨になりそうだった。雨の音が聞こえないので、マツはなんの心配もしていないようだった。今夜は「さんま御殿」と「火曜サスペンス」があり楽しみにしている。 夕方のヘルパーは台風来るというので、いつもより早めにやってきたが、夕飯は「食べる」とマツが言うので、五時前に運んだが、しっかり食べてくれた。台風のことを話しすると、 「雨降ってんの?風も?」 と驚いていた。雨音や風の音にも気付かないようだった。 台風も通過したので天気もよくなり、今日から四日間、南側壁面の補修のため左官が入ることになった。 それぞれ八時から夕方五時まで。作業場は主として南側露地である。隣家はお茶のお師匠さんの家の倉庫になっていて、路地を出入りするのに毎度断って戸口を開けてもらった。 ヘルパーが訪問すると、寝室で、 「お父さん、お父さん・・・」 マツが呼んでいた。寂しかったそうだ。 「来てくれてよかった。」 とヘルパーを笑顔で迎え嬉しそうにした。洗浄、足浴、全身清拭の後、着替えをしてくれた。 「汚れてないし、これ暖かいし、これでええ。」 でも、いつ着替えたのか、もう大分長いこと着ているように思えた。 マツは寝ていたが、電気が点いていたのでヘルパーが声を掛けると、 「なんえー?」 と、ちょっと寝ぼけた声で、 「ああまだ眠たいわ。」 と言いながらもすぐに起きてきて、ヘルパーが渡した熱いタオルで清拭した。 礼子が持って来てくれた赤飯を、 「これ好きや。」 とパクついた。とてもかわいらしい声で、 「おいし・・・」 と言い、赤飯のお代わりをした。 「もう満腹。ああおいしかった。」 今日はにわかに寒くなり、ヘルパーがストーブ点けた。部屋が暖かくなって気分がよくなったのだろう。 「あんたの顔見たらお腹空いてきた。」 と珍しく自分からマツが夕食を催促した。食欲の秋だ。えんどう豆が小鉢いっぱいに入っていたが、一粒ずつ箸につまんでたくさん食べた。 「わてお魚好きやねん。」 と秋鯖の煮付けを上手に骨を取りながら食べていた。 2004年11月 平成16年 「髪を短くされたのですね。よくお似合いですよ!」 ヘルパーが褒めると、 「うまいこと言うなあ。」 マツは幾分若い気になってにこにこした。食欲は充分あるようで、勢いよく食べているのだが、ここのところ、 「一人ぼっちやから寂しい・・・」の言葉が少し増えたような気がする。季節のせいだろうか。 「孫の手を買うてきてほしい。」 とマツがお金を差し出したが、この前と同様にベッドの下を探すと落ちていた。 「ありましたよ!」 「わてボケてるわ。」 桂子が縮緬細工の「熊さんの木」を持っていったら気に入ったようで、マツはヘルパーと二人で楽しそうに眺めていた。柿の木の下の熊さんが赤い柿を欲しそうに見上げている人形だった。 食後、新聞を読みながらキャンデーを食べているマツ。 「これおいしいよー」 まるで子供のようだ。 「ああ、おいし・・・」 テレビを見ながら、 「百万円で家が建たへんもんなあ。同情するわ。」 独り言だが、災害補助金のことだ。新聞テレビの社会面にとても関心を持っている。 夕食用の蟹がなくなっていた。ヘルパーが探してみると、ベッドの横にお皿が残っているので、すでにマツが食べてしまったのだろう。 左腰の発赤は見当たらなかったが、仙骨部に軽度の赤みがあったので、看護師が洗浄の後マッサージを施し、ベビーオイル塗布しておいた。祖形部、大転子部も乾燥しており、そこにもオイルを塗布している。多分マツが同じ姿勢で休んでいるので、腰部の圧迫によるものと思われる。 ヘルパーが居間の襖を開けると、マツがチョコンと座っていた。手にはジャガイモの炊いたのを持って・・・ 「お腹すいてんね・・・」 ベッドの下に失禁パンツが置かれていた。 退蔵が来て、当座のお金を置いていったが、新札なので、ヘルパーとマツはその話でしばらく盛り上がった。 夕方のヘルパーが訪問時テレビが点いていたが、マツがそれを消してふとんにもぐろうとする。すぐに熱いタオルをマツに渡し、起きて清拭させた。そして素早くお膳を運ぶ。 「お魚好きなんやけど・・・」 とマツが思案している。 「お魚欲しいんやけど、どないしょう・・・」 魚の煮付けは魚の煮汁に浸して食べている。それも五分の一ほどつまんでやめ、玉子マヨネーズ和えに移った。これは好きなようだ。 「ありがとう。もうお腹ふくれた。もうはいりません。満腹・・・」 朝のヘルパーが訪問時、マツは枕元にお金を並べて眺めていた。 「新札をもろたさかい見てたんや。」 と少し照れ笑いをしている。 食欲もあり元気だったが、テレビを見ていて、急に、 「うるさい!そんなしゃべって!」 とどなっていた。マツにしては珍しいことだった。 その後は ぐっすり寝てしまった。 ヘルパーが訪問時、 「お腹すいた。」 と言っていたのに、いざ運ばれると、白身魚、豆腐あんかけはあまり好きでないようで、一口くらい食べて、 「もういらん。」 とのことだった。 「とろろ昆布は大好き!」 「ほうれん草はみずくさい。」 とあれこれ好き嫌いを口にする。好物の甘エビはおいしいようだ。 枕元にあったシュークリームも、 「もういらん。捨てて。」 と言うのでヘルパーが捨てた。 今朝は大分冷えていて、マツもおふとんをすっぽりかぶり眠っていた。暖房を点けて温かくして起きてもらう。 「お腹空いてるねん。」 とご飯のお替りをした。 いわしはヘルパーが温め過ぎてしまったせいで、たちまちマツの評価が下った。 「おいしいけど ちょっとカタイ。」 フキはやわらかく、ブロッコリーは細かく刻んであるので食べよいとお箸が進んだ。 「何食べてもおいしいわ。」 としっかり食べていた。 目先の変わった天ぷらうどんを大変喜んで、いつもならお味噌汁からだが、今日はうどんを無心に食べていた。その食べ振りを見ると、ヘルパーは嬉しさがこみ上げてくる。 竹の子「硬い・・・」と言いながらも、好きなようで食べている。 「ああ、おいしかった。もうはいらん。ごちそうさま!」 夕方、ヘルパーが訪問時、マツはストーブの前に尿で汚れたパンツを置き、乾かしておいた。マツのプライドを傷つけないようにヘルパーは何気なく引き受けて処理したが、マツにとってちよっとしたこだわりの部分かもしれない。 食器を洗い上げる籠の中に、なんと、なめくじが・・・それもうまくお茶碗の下にスッポリ隠れて!
「キャー!」とヘルパーが一人で大騒ぎ・・・。ティッシュで処理したが、どこから来たのだろうか? 電池のいらない懐中電灯を退蔵が持ってきた。手回しで電気を起こす手動式だ。 「そんなことより、なめくじかいたんです!」 「塩を掛けたらすぐ溶けるよ。」 「そんなことできません。」 朝、ヘルパーが訪問時。マツは起きていて、ヘルパーの顔を見ると、 「誰か来てほしいと思ててん。よかった。ありがとう。」 そして、 「お腹がすいた・・・」 急いでおにぎりを作って出すと、 「ああよかった。おにぎりおいしい。」 食後マツは、十九歳の男の子が両親をなぐり殺したという記事を読んでいた。昔、自分の息子に、 「母ちゃんはお砂糖よりまだ甘い。」 と笑われた話を何度もして、両親を殺した男の子にも、「何か理由があったんやろ。」と同情を寄せていた。 ヘルパーも手動式の懐中電灯に興味があったらしく、マツに説明しつつ、電灯を消して実際にどのくらいの明るさなのか実験してみた。 「ホォー、なんとまあー。ええもんがあるんやなあ。」 桂子が「なめくじ取り」を買って来て、電子レンジの横と冷蔵庫の横に置いて行った。 マツは機嫌よく過ごしていた。洗浄、清拭の後、着替えてもらおうとしたが、マツがどうしてもこれでよいと言い張った。 食事の方は、お粥は全部全部食べたが、副食は焼き魚少々だけで、とろろ昆布が欲しいと言った。別袋に移してかなりの量を渡したのを全部食べてしまった。 「おいしいおいしい、大好き。」 ヘルパーが塩分の事を心配して、お茶を余分に摂取させた。味噌汁も白菜の煮びたしも味が濃すぎるように彼女は感じた。いつも少し薄めて出している。 2004年12月 平成16年 朝、ヘルパーが訪問したら、マツがうなされていて、急いで声を掛けると、 「ややこしい夢を見てたんや。ああよかった夢で・・・」 と少し涙ぐんでいた。その後も何度も夢でよかったとつぶやいていたが、朝食はしっかり食べ、その後は元気になった。 ヘルパーの手をさわって、 「冷たい手やなあ。」 と温めてくれた。 「今朝は寒いなあ。」 と言いながらも、ぐっすり眠れたようで、機嫌はよかった。ヘルパーがすぐ暖房を点けると、マツは、 「お腹も空いたわ。」 と食欲も充分あって朝食完食だった。 少し尿漏れしており、衣類まで汚れていた。耳掃除し始めると、 「こわい・・・」とのことで、途中までしかできなかった。 テレビを点けても音声が出ない。連絡を受けて退蔵が見にきたが直らないので、これは買い換えるしか仕方ないと判断した。もう十五年は使って来た代物だ。マツに説明したが少し不安そうだ。テレビの音が出ないので、食後しばらく独り言を言っていた。やがて眠ってしまった。 音のないテレビを見て結構喜んでいたが、 「早よテレビ直してもらわんとなあ。」 とも言った。 お腹が少し空いたとのことで、看護師はみかん三分の一をマツに食べてもらった。 ドライシャンプーをし、下肢リハビリをした。 「膝が少し伸びた。」 とマツは喜んでいたが、リハビリで疲れたのかやがて眠ってしまった。 横になって「おかき」をしゃぶっていた。ヘルパーがテレビのことを尋ねると、 「だいじょうぶやろ。」 と故障のことを忘れていた。点けてみてやはり音が出ないので、やっと納得したよう。 新しいテレビは十日に取り付けの予定だと退蔵が言いに来た。 お歳暮が届いた。マツが「開けてみて」と言うのでヘルパーと二人で開けた。 「ほう!この人いつもわてのこと気にしてくれはんね。」 贈られてきたちりめん山椒をすぐに食べたいと言うので朝食に添えて出した。 テレビの音が出ないので物足りなさそうなマツだった。何度もリモコンを押している。 「なんでやろ?」 「金曜日までの辛抱ですよ。」 と伝えるが、ヘルパーが帰るころには忘れていて、 「なんでやろ?音が出えへん・・・」 と悲しそうな声で訴える。故障していることと、新しいテレビが二日後にくることを再度伝えるとようやく納得した。 横田めぐみさんの記事に、 「世の中にはかわいそうな人がいるなあ・・・」 とぽつり。 明日テレビが届くことをヘルパーが伝えた。「テレビの音が出ないの仕方ないなあ。楽しみにしてる!・・・」 翌日、新しいテレビが届いた。きれいにテレビが映り音声が聞こえると、マツは輝くような笑顔になった。 退蔵が、テレビの取り付けが終わったと帰ってきたのと入れ違いに、ぜんざいを持って礼子がテレビの首尾を見に行った。リモコンの音量操作を教えると、マツはすぐ理解できたようだ。今日からはヘルパーたちも、「テレビの音がでない。」と繰り返すマツの悲しそうなグチに悩まされなくてよくなった。
「あんな大きなテレビ、いつ置きはったんやろなあ。よう寝てたんやなあ。」 とマツは昼間の出来事を忘れてしきりに感心していた。 「どないしたら点くんやろ。」 「前と同じでしょう。」 マツは、リモコンを押してみて、 「点いた!大きなテレビやなあ。」 「色が鮮明でよかったですね。」 「起きたらこんな大きいテレビが置いてあった。」 みかんを食べながらマツはゆっくりテレビを見ていた。 「音大きしたりするのはどうしたらええか見てんねん。」 「そうやねえ・・・」 「押してみんと分からへん。」 とリモコンを押してみて、 「こっちは大きなるんやなあ・・・」 朝、灯は点いていたが、ヘルパーが新聞を持って入ると、まだ寝息が聞かれた。朝食の準備が整ってから、マツに声を掛けると、 「怖かった。何か音がするし、あんたやったんか?よかった。ああ怖かった・・・」 「ごめんなさい。怖がらせてしまったようで・・・」 すぐテレビを点けて、 「テレビの画面、前みたいにもやもやしてへん。きれいや。」 食事中もテレビを熱心に見ていた。 「おもしろいから見てんねん。」 玉子のごま和えはおやつに食べてしまったようだ。テレビの音量調整は、 「まだ覚えてません。」 とのこと。 カリントウを、「ほんまおいしいわ。おいしいわ!」とニコニコ笑って食べていた。 「来てくれて助かった。ありがとう。寂しいなあ・・・と思っててん。」 新しいテレビの使い方も覚えたようだ。ヘルパーが帰り際、 「もう帰るんか?」 今日は少し人恋しいのだろうか? 「またすぐ来ますよ。」 確かに近頃帰り際には寂しそうな顔をする。 「また来てやあ。待ってるでえ。わて、あんたが好きやねん。」 と笑顔の中に今にも泣きそうな・・・。老いのさびしさを感じる・・・。 メモ用紙に、 「お願いのこと。牛肉をバターで焼いて食べたいので買ってきてください。」 と千円が挟んであった。千円はマツの財布に戻し、 「明日のヘルパーさんに必ず伝えるからね。」 と話した。 朝のヘルパーが連絡帖読んで、 「牛肉をバターで焼いて食べたいのですね?」 とマツに念を押すと、 「やっぱり蟹が食べたい。買うてきて。」 とのこと。 夕方、お腹が空いたのか、ベッドに座って、みかん一袋を食べ終わったところだった。 「ああよかった、来てくれて。」 蟹身をたっぷりのマヨネーズで食べている。 「なんとおいしいもんやなあ。ああおいし。」 たっぷりご飯を一膳完食した。 「お腹へってんのか、おいしい。」 千枚漬けも好きなようだ。 朝のヘルパーが訪問すると、マツが失禁してパンツを着替えているところだった。着替えて気持ちよくなったみたいで、その後は朝食を、 「おいしい、おいしい。」 と食べていた。今日は日曜日で昼からののど自慢を見るのを楽しみにしている。 今日から一段と寒くなってきた。ヘルパー訪問時マツの部屋にはストーブが点いていた。 蟹は見た目にもカスカスしていて、マツ曰く、 「もうひとつやなあ。」 千枚漬は好評で、 「とてもおいしかった。ありがとう。」 失禁があったのだろう、洗浄時きつく匂った。それでも、 「ああ、気持ちえー」 食欲旺盛!お粥足りなかったようで、 「もう少しないか?」 ヘルパーは慌てて冷やご飯をお鍋で温めた。肉じゃがが近頃とても好きなよう。やわらかいのと、「お肉の味がする。」のがよいそうだ。 今日は軟便がかなり出ていて、便座をひどく汚してしまった。その上にマツはシッカロールを振って汚れが目立たないようにしていた。マツなりの工夫である。体調は悪くない、お腹も痛くないとのことだ。いい笑顔もしている。 「ああよかった。よかった。」 とヘルパーの顔を見るなりマツが話しかけてきた。 以前希望していた牛肉ステーキを前に、 「食べたかってん。ああおいし。ああおいし。」 と何度も言った。 枕元に牛乳がコップに残っていた。夕食が出されると、 「お腹空いてんねん。おいしいわ。ああおいし。」 しかし言葉の割には量は少なかった。 「これ滋養になんねん。食べるわ。ああおいし。」とがんばって肉に箸を運んでいる。 「よう食べた。みんなよばれた。もう満腹。ああおいしかった。もうお腹いっぱい。」 千枚漬けは好きで、 「これおいしいんやけど、どうしょう。もう一つ食べよか。」 楽しんで食事していた。 「ああ、ありがとう。」 福祉協議会から「たらの旨煮と黒豆」を持ってきてくれた。マツが自分で開封して、黒豆を食べたいと言うので、ヘルパーが小皿に少しうつして持って行くと、お腹がいっぱいでも黒豆は別腹だそうで、喜んでつまんでいた。 「今高校駅伝、走ってはるよ!」と声掛けすると、 「見たい!」 テレビのスイッチを入れて、熱心に見ている。 礼子が敷布団の交換に来て、しばらくマツといっしょに駅伝を見ていた。 退蔵が落ち葉で一杯になった庭掃除をしに来た。礼子はお仏壇の掃除や鏡餅を飾った。 部屋の飾りがクリスマスからお正月に変わった。 夕食のおかず多くので喜んでいた。しかしさすがにマツも全部は食べられず、 「お腹いつぱい。」 とのことだった。 「また来年・・・」 とヘルパーが挨拶すると、マツはいかにも寂しそうに顔を曇らせた。 「来年と言っても数日ですよ。」 とヘルパーがマツの手を握り締めた。 朝から気分よさそうで、マツはいい笑顔をしていた。夕べ食事をほとんど残していたせいで、今朝はお腹が空いたと食欲が充分あり、いつもより多く食べていた。 新聞で、インド洋の大津波の犠牲者の多さが報じられていて、心を傷めたようで、しっかりと声を出して読んでいた。 「怖いなあ。気の毒に・・・」 を繰り返していた。 礼子からお正月用の蛤が届けられ、冷蔵庫に保管した。 今年最後の看護師が来て、マツの清拭、更衣をした。 「正月が楽しみ・・・」 とマツは言い、「お正月」の歌を歌った。 大晦日。 朝から雪になり、昼には庭に雪が積もった。ヘルパーがカーテンを開けて、マツに庭のガラス戸越しに雪を見せた。マツは子供のように驚いていた。 |