介護9

 

 

 

 

 

 

    その9

 

岸辺マツ

明治三十八年生まれ

夫、長男、次男を亡くして、一人暮らし・ ・ ・

近くに亡兄の長男あきら(私、昭和七年生まれ)が住んでいる。 

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(平成17年後半)

 

 

2005年7 平成17年

 

ヘルパーが訪問した時、マツは冷たいものが欲しかったとアイスクリームと氷を食べていた。

「ああよかった、来てくれて。ご飯食べたいわ。」

食べ終わった後、

「一人ぼっちは寂しいわ。」

と涙ぐみ、落ち込んでいたが、ヘルパーと話しをしているうちに、

「がんばらなあかんしなあ。」

と笑顔になった。

 

夕方、マツは暑そうにうちわ使っていた。ヘルパーが扇風機のスイッチを入れると、

「やっぱりこれがええなあ。」

夕食を出す。

「食欲全然ないわ。何も食べとうない。なんでやろ。」

とマツは心配そうな顔になった。

「食べとうない。横になりたい。」

今日は見事に全品を残した。 

 

朝のヘルパーが訪問時マツは起きてテレビを見ながら、カステラを食べていた。

「陰部洗浄しましょう。」と言うと、

「今日は嫌やな。」

「あせもが出てるし、気持ちよくなるよ。」

「ほなして。」

洗浄をすると、

「気持ちええわ。」

と言った。 

好物のおうどんも半分残した。少し暑いのでヘルパーがクーラー入れる。

排便バナナ大一本。ヘルパー訪問中にさらに一本出た。

 

 

 

・・・☆☆☆ ◎ ☆☆☆・・・

 

 

その夕方・・・食事の前に礼子が岸辺を覗いたらマツはなんだか元気がなかった。ちょうどヘルパーが来てくれたので、

「ご飯を食べたら元気が出るかもしれないから容子を見ててください。」

と頼んでおいて礼子は帰った。

今日のマツはいつもと違う、とヘルパーは思った。食欲もなく、ただ「寝たい」と訴える。陰洗時、顔ががたがたと震えていた。足の甲(特に左)の腫れが強く、赤く色づき、痛々しい。足浴も湯の熱さがしみるらしく中断する。ポータブルトイレからベッドに戻る際、ヘルパーは思わずじっと見守った。失禁の可能性があるのでおむつをした。いつもなら拒否するが、今日のマツは力なく了解した。ヘルパーがずっと様子を見ていると、血の気は少し戻ったように思った。しかし身体は熱く、足は冷たい。夕飯は一口も食べなかった。ヘルパーは異常と感じ退蔵に連絡した。

マツの様子がいつもと違う、とヘルパーが電話して来たので退蔵と礼子は急いで自転車で駆けつける。叔母の熱を計ると三十九・四度あり、夕食も口を付けてなかった。主治医の児玉先生に相談すると、すぐ入院させた方がいいとのことで、退蔵が救急車を呼んだ。行き先は町田病院だった。

町田病院の担当医は児玉先生からの紹介状がないと不機嫌丸出しだった。そんなことを退蔵たちに言ってもしょうがないのだが。そのうち医者もそう気付いたのだろう、機嫌を直してひとまず四階の大部屋を手配してくれた。

夕方のヘルパーがその後の様子を聞いてきたので退蔵は、入院して今病院だと伝える。ケアマネージャーにも携帯で一言現状を報告しておいた。

マツがしきりに、

「なんでこんなとこ入らんならんね?」

と大声で不服を言い立てるのを夫婦でなんとか宥めて午後九時ごろようやく帰ってくる。

ひとまず退蔵は従妹の星田定子に連絡しておいた。

 

朝一番に退蔵は区役所のケースワーカーに連絡して、生活保護扱いを確認しておいた。

十時半ごろ二人で家を出て、地下鉄に二条駅まで乗り、歩いて町田病院へ行く。四階病室ではケアマネージャーに逢ったのでかいつまんで容態を説明しておく。マツはようやく目を覚ましたとこらしく、大人しくしているので一安心だった。尿は今のところ管で吸引しているようだ。これで回復して家に帰ったら、果たして元通り自分でPTを使える状態に戻るだろうかと退蔵は心配だった。

昼前に下へ降りるとそこでもヘルパー協会のチーフに出会った。みんな親切に見舞ってくれるのだ。退蔵はひとまず外へ出て丸太町通りの軽喫茶を見つけ、礼子と焼き飯定食で昼を済ませ、病室に戻ってきたら、ちょうど叔母の昼食が運ばれてきていた。おかゆと魚の身のつぶした煮物、味噌汁、玉子の料理。それぞれ二匙ほど食べただけで、「もうええ。」と言う。

元気付けようと、この五月に生まれたばかりの退蔵の孫、さつきの写真をマツに見せた。すると、マツは大喜びして、大声で、

「ちっちゃい!かわいい!」

と笑い転げるので、看護師さんや賄さんが何事かと寄ってくる。

「つい最近生まれたひ孫です。叔母とは百歳違いなんですよ。」

と言うとみんなも大喜びしていた。

その最中に星田定子が見舞いに寄ってくれた。昼ごはんはまだというので、先ほどの軽喫茶に連れて行き、定子はミックスサンドとコーヒーを、退蔵らはコーヒーを注文して三十分ほど話し込む。

もう一度みんなで叔母を見に上った。

「がんばりや。」と退蔵が声を掛けると、マツは、

「そらがんばらなしょがないなあ。」

と観念していた。やれやれである。ひとまず問題なく落ち着いているようなので、

「また来るから。」

とそれぞれ手を握って帰ってくる。

 

十時半に早昼を食べて退蔵は礼子を伴って家を出る。地下鉄では叔母の昼食に間に合わないのでタクシーで町田病院に乗り付けた。朝方、検査があったようで、疲れたのかマツは眠っていた。やがて十二時過ぎに昼食が配られてくる。昨日よりは食欲があるようだ。礼子が持ってきたウニを、

「これはおいしい。」

と喜んで、そればかりをおかずにしてお粥を半分ばかり食べた。さやかの新しい写真を見せたら大部屋なのに「ワッハハ」と笑うので、礼子は他の患者さんに気兼ねして急いで新聞と取り替えた。

帰り際従妹が寄ってくれる。アイスクリームを買ってきたと、叔母に勧めるが、三口か四口で、「もうお腹いっぱい。」と言う。

退蔵らは定子に後を頼んで引き上げた。

 

退蔵たちが病室に上るとカーテンの向こうでマツの声が、

「わて、なんでここにいるねんやろ?誘拐されたんやろか?」

叔母の独り言が聞こえてきた。それをなだめるのが一苦労だった。

「叔母さんテレビの見過ぎやない?」

と礼子が言った。

叔母は疑問が収まると急に大笑いし出した。

「これは喜劇やなあ!ワハハハ!ワハハハ!喜劇や!」

そのうち、

「ここええ施設やなあ。こんなええとこあったら、わても年いったら入りたいわ。友達にも紹介しとく。食べもんかてごちそうやし。ありがたいことや。」

これでなんとか納得してくれたかとほっとして帰った。帰り際エレベータの前で従妹とばったり。後を託して帰ってくる。

四時前に電話で担当医に相談しようとしたが、電話では話はできないということなので、急いでまた退蔵のみ町田病院へ出向いた。中村先生は救急車で着いた時診てくれた先生で、今見れば優しそうな先生だった。今後の成り行きを聞いてみた。

「熱は下がっていますが、足の腫れがあり治り切るのに今しばらくかかるでしょうね。もし長引けば這って移動する現状に快復するのにも時間がかかるだろうし、むしろ早く家に戻す方がいいかもしれません。出来れば近くの適当なお医者さんで点滴をしてくれるところがあれば帰った方がいいですよ。」

とのこと。メモに病名「左足蜂窩織炎」、状態「発熱なし。炎症あり。」、治療「抗生剤点滴。リバシップ」と書いてくれた。

帰りしな退蔵が病室を覗くと、マツが独り言で、

「こんなとこになんでいるのん?どっこもどうもあらへん。騙されてるんや。だれか、はよ連れて帰って・・・」

「なにを言うてんのん。だれが無理やりに連れてなんかくるもんかいな。九度四分も熱があって足が腫れてたんやろ。」

「みんなが親切にしてくれはるのはよう分かってるねん。それでもわてはここは嫌やねん。帰りたいねん。いつ帰れるの?あと三日しか辛抱でけへん。」

「ほな三日だけがんばって。」

「指切りげんまん、約束やで。」

「わかった・・・」

退蔵もマツの勢いに負けてしまう。

「お父さんに謝っといて・・・」

「お父さんて、叔母さんのだんなさんか?」

「そうや・・・」

「分かった。」

もう一つよくわからなかったが退蔵はその場を収めて帰ってくる。

午後七時前に土井整形外科に相談に行く。退蔵が最後の客で、先生は自分とこでは出張の点滴は出来ない、児玉先生ならやってくださるだろうとのこと。

「退院後に足の腫れについては往診してあげましょう。」

そこまでの話で彼は帰ってきた。

 

十時ごろ退蔵は児玉医院に出かけて、マツのことで相談するが、もういきなり、

「今帰らせたらあかん。うちでは点滴はでけへんで。もう前から往診は全部断ってるんや。岸辺さんだけはやむを得ず残してるけど・・・」

と付け入る隙もない。

「百歳の人の治る見込み聞かれても返事のしようがない。自然に往ってもらうのを見守るだけなんや正直言うて・・・」

十一時二十五分のバスが十分遅れで来た。二人で病室に上ると、マツは、

「ありがとう。お世話になります。」

と昨夕と打って変わって機嫌がいい。右手にグローブをはめていて、それをしきりに外そうとしていた。

「これ取って・・・」

「外したらあかんのちがう?」

「そうかあ?」

ベッドを見ると左手の方のグローブは外れていた。

右手首にチューブが這ってるので、

「やっぱり付けとかなあかんのや。食事の時は外してくれはるわ。」

それから急に窓際を指差して喋り出した。

「そこの人、がんばってはんね。体操してはる。」

振り返ったが誰もいない。

「あの人わてが生まれたときのおんばさんや。育ててくれはったんや。」

退蔵にもなんのことか分からない。間もなく昼食が運ばれてくる。看護婦がグローブを外してくれた。それから書類を持って来て、マツが点滴の針を抜こうとするのでそれを防止するため防護手袋を着けることに同意して欲しいと、サインを求められた。

礼子がハモの落としを持ってきたがそれが気に入っておいしそうに食べた。

「ああ、おいしかった。ごちそうさん。」

食べ終わった後、ふいに、

「ここ、料理屋さんか?」

ととぼけたことを言う。私もとまどったが、

「ここは病院や。」

「へえ!病院か?」

「りっぱな病院やろ。」

「そやなあ。」

定子がやって来たので急いで交代して帰ってくる。

御池通りまで帰ると雨がひどかつた。

ケアマネージャーから電話が掛ってきた。退蔵から叔母の現況を報告し、一度相談員さんを交えて今後のことを相談したいと提案する。

四時ごろケアマネージャーから再度電話で、月曜日十時半に会う約束をする。

六時過ぎ従妹から掛かってきたので、退蔵は月曜日の相談会に出席してくれるように頼み、彼女はすぐ応じてくれた。昼、マツの病室で退蔵と交代した後、定子に叔母はかなりトンチンカンの話をしたらしい。

「わて、六年生。」

から始まって、連れ合いと息子二人、四人で生活していると、昔と今を錯誤していた。

「あんたら三人で方々廻ってるのか?」

退蔵夫婦と定子がボランティアで年寄りを慰問して廻っていると思っているのだろうか。

 

十一時半のバスで病院に出かける。ナースステーションに菓子折りを渡しておく。

病室のいつものベッドを覗くとだれか別人が寝ていた。びっくりして看護師詰所に聞きに行くとベッドの位置が変わったという。なるほど窓際に移されてマツはおとなしく寝ていた。下着や吸い飲みがなくなっていてちょっとごたごたしたが、やがて叔母が穏やかに目を覚ました。

「誰かわかる?」

退蔵は自分を指差してみせた。

「そんなん退ちゃんやろ。」

と、何を聞くのかと即座に答えた。だが次の言葉が怪訝であった。

「高ちやんと雅ちゃん(すでに亡くなっている叔母の次男と長男)家でちゃんとやってるやろか?」

退蔵は一瞬返事に窮したが、

「大丈夫や・・・僕が時々覗きに行ってるさかい・・・」

「そうかあ?おばあさんは?元気か?」

「・・・おばあさんて?」

「わての連れ合いを育ててくれはったお母はんやがな。」

マツの夫の義理の母のことだった。夫の実の母が亡くなったあと乳母を勤めた人が後妻に入ったのだ。退蔵はまた答えに窮した。

「・・・ああ、心配ない。」

退蔵は平静を装って言葉を継いだ。礼子がやって来た。

「私分かる?」

「あんたは礼子さんでこれが退蔵ちゃんや。分かってるがな。」

ちょうど昼食が配られてきたので礼子は安心して給仕を始めた。今日は食欲も出てきたようだ。看護師に朝食と夕食の食べ具合を聞いてみる。

「今朝は梅干とウニで三割ぐらい食べてはりました。」

昨夕については記録を見に行ってくれ、

「お粥は全部、おかずもそこそこ食べてはりますよ。」

帰り際もマツは、退蔵に手を合わせ、

「ありがとう。頼むえ。また来てや。」

と問題なかった。

 

朝の九時前に娘のすみ子から電話で、今日病院に行く時車で送ると言ってきた。退蔵が待ってるとなかなか来ない。やっと十時過ぎにやってきたので乗せてもらって病院へ行く。病院に着いたらジャスト十時半だった。従妹も来ており、地下の会議室でケアマネージャーさん、相談員さん、定子、退蔵夫婦との五人で話をする。マツの認知症がここ二日ぐらいで急激に進み、このままでは自宅での療養は無理だと実情を話し、それに対し、今老人施設は満席でそれぞれ二百人待ちの状態だとの答えだった。それも予約は効かないので完治後の状況により入室申し込みということになるそうだ。それでも一応準備ぐらいはやっときましょうと提出書類を持ってきてくれた。とりあえずそれにサインする。

マツのところへ三人で行くと、まだ彼女はぐっすり寝込んでいた。

退蔵は詰所に出向いて中村先生を呼び出してもらう。しばらくして上がってきた先生と詰所の片隅で話をする。私の後ろには礼子と従妹も傍聴した。近所の医者二人に往診点滴を断られたことを退蔵が報告し、マツがこの二三日で急激にぼけて来ていることを説明し、我々老人が老人を介護するのがもはや限界にきていることを申したてた。

「ようするに・・・」と医者が言葉を引き取った。「介護の意志があるかどうかです。どうなんですか?」

「人情としては・・・」

「人情はこの際横へ置いておきましょう。あなた方で介護が継続できるかどうか、イエスかノーかです。」

「はい、正直言って、出来かねると思います。」

「分かりました。それなら、今のところまだしばらく治療は続けますが、その後は介護病棟に移るとか、さらに施設に入れるとか考えていきましょう。よろしいですね。」

「はい。何分よろしくお願いします。」

三人ともほっと安堵して詰所を後にした。

マツはまだ眠っていたが、しばらくして礼子が起こすと、

「おおきに・・・」

と弱々しく目を覚まし、力なげに礼子に微笑んだ。昼食が運ばれ、礼子が持ってきた蟹身と瓶詰めのウニを、「おいしい」と食べてくれた。マツが今何を考えているのか、あるいは考えていないのか、退蔵にもよく分からなかったが、マツに働きかけて記憶を呼び覚まそうとはしなかった。それは退蔵たちを、もう一度困難にするし、またマツを救うことにもならないと思った。

帰りしなマツは、

「また来てや。」

と我々に手を振ってみせた。

これから会社に出勤する従妹とはそこで別れた。

家ではさつきとすみ子が待っていた。最近のさつきは少しずつ人間くさくなり「おっくん」とか「ぐえー」とか声を出すようになった。マツの下着を洗濯しながら礼子は、ここ一、二ケ月の間にゼロ歳の下着と百歳の下着をいっしょに洗った人はそうざらにはいないだろうと思い一人でくすくす笑った。

 

朝一番にマツの創価学会の友人吉田さんにマツが入院中だということを伝えておく。次に京都新聞の配達店に今後岸辺のとこの新聞を沢村に配達してもらうように頼んだ。

十時前にケースワーカーから電話が掛かって様子を聞いてきた。退蔵は昨日の中村先生との会話の内容を報告しておいた。

十一時十八分のバスで病院へ出かける。マツはベッドのへりにちょこんと座り、首からビニールの前掛けをしてもらって昼食の来るのを待っている様子だった。

「ありがとう。来てくれたんか。」

退蔵たちを見つけてそう言うが、あまり明るくはない。ほどなく食事が配られ。礼子が持っていったハモの湯引きは酢味噌を付けると自分でお箸を使って全部おいしそうに食べた。

「これおいしい。」

と喜んでくれた。ただ口数は少ない。なんとなく自信なげにみえた。排便があったかを退蔵が看護師に訊いてみると、ベッドの後ろに掛かっているボードの記録を見てくれ、

「はい、ありましたよ。」

とのこと。帰りも、

「また来てや。」

マツは握手を求めて、寂しそうに手を振った。

夕方長女の佐和子から退蔵に電話が掛かってきて岸辺のことを心配してくれた。

 

十一時十八分発のバスが珍しくほぼ定時にやってきた。病院には十一時四十五分に着き、マツはまだまどろんでいた。冷たい手をして悲しそうに横になっている。十二時ごろ定子が、まだ昼食前だと言いながら息せき切って駆け上がってきたところでマツが起き出した。なんか元気がなさそうだ。

「来てくれたんか、おおきに・・・」

その言葉に張りがない。やがて配膳が廻ってきたが、賄いはいつもとまったく変わりない。もう少し目先を変えてくれてもよさそうだ。これではとても食欲は出ないだろうと退蔵は思った。礼子が今日は甘エビを持ってきた。定子もコノワタを持って来て叔母に食べさせている。おいしいとマツがお粥をすすった。

便通表を見ると、ここ二三日通じはあるようだ。それも「多い」と書かれていた。食事をしてマツは少し元気を取り戻したようだ。従妹は食事をせずに来たからと早々に帰った。退蔵たちもほどなくマツと握手を交わして病室を後にする。

どうやらマツは下痢がひどいようだった。家に持って帰った下穿きにしこたま便が付いていた。これで叔母が落ち込んでいた訳が礼子にも分かった。年寄りはこの心配で毎日くよくよし続けているのだ。礼子が二三度洗い流しても便の付着が取れないので、バケツ一杯の漂白剤に浸け置きした。汚れた下着は捨てて新調したらと退蔵が提案したが、毎日続けばたちまち替えがなくなるからと礼子は応じなかった。

夕方退蔵はマツの家に行って、冷蔵庫のコンセントを抜き中の物を全て出して持ち帰った。

東京の長男から岸辺の病気見舞いを送ってきた。夜保雄にお礼の電話をすると珍しく嫁のさゆりさんが出て、かなり長いこと話に付き合ってくれた。

 

病院に着いてすぐ退蔵は看護師詰所に行って、下着の汚れのことを言い、

「下痢しているんですか?」

と訊いてみた。

「そうですね。ここ二三日そうだったんですが。昨晩あたりから止まってきています。」

マツは目を覚ましても力なくうつろな目をしていた。

「おおきに・・・」

と言う言葉も弱々しい。食事の時間と言っても身体が動かなくて給食のおばさんに起こしてもらっていた。前掛けをしてハモの落しを出した途端、

「これおいしそうやなあ。」

二切れほど残しただけで酢味噌をつけて食べた。お粥三分の一とおつゆは少し飲んだが後のおかずには手を付けない。喉に詰まらないように細かくして物の形が分からないので食欲が湧かないのだろう。礼子にも全部いっしょに見える。それでもハモのおとしを食べるうち少しずつ元気を取り戻してきた。礼子は今日はスイカの代わりにメロンを出すが、それはあまり喜ばない。やはりスイカがいいんだろう。

隣のベッドの威勢のいいおばあさん。先日は、昼食を娘さんに食べさせてもらっても、

「いらん!いらん言うたらいらん!もう、ひつこいなあ!」

と拒否していたが、今日は目を瞑ったまま青い顔をして寝ている。移動式のレントゲンが運ばれ胸の撮影をしてもらっていた。付き添いの息子さん?(六十代)に、

「今日はしんどそうですね。」

と退蔵が声を掛けると、

「はい、日替わりで悪くなったり・・・」

とのこと。

マツはそれからするとまだ元気だ。帰りに、

「また来てや。」

握手もまだ力がある。

帰りの待合室で定子に会う。さすが退蔵より若いので四階まで階段で行くと登り出した。会社から十分掛かって歩いてきて汗を拭き拭きだからさすがだった。下痢のことを告げておく。

外へ出たところで今度は訪問看護師のKさんに出会った。

「これからマツさんの顔見に行こうと思って・・・」

家に帰ったら一時半だった。

 

久し振りに晴れていた。

退蔵たちが病室に着いて看護師さんにいきなり言われた。

「食事をぜんぜん食べはらへんので、おしっこもほとんど出ません。それで点滴をまた始めました。」

点滴を手首から入れているのでグローブをはめている。食事の時だけはそれを外してもらっていた。ハモはいつでも好物だ。ウニと今日は海苔の佃煮を持ってきた。それもおいしいとお粥が進んだ。

今日は患者がまた一人増えて、八人部屋が満室となっている。すべて年寄りばかりだった。お粥をたくさん食べてお腹がふくれたのか、礼子がむいた桃は期待するほど食べてくれなかった。

 

土曜日だからバスの時間が十一時二十五分で、少しゆとりがあったが、退蔵はそれでも慌しく家を出る。

いつもマツは目覚め際が元気がない。叔母の左横に寝ていて昨日はほとんど目を開かなかったおばあさんのベッドが今日は空きになっている。看護師さんに、

「退院されたんですか?」

と退蔵がそっと聞いてみたら、「はい。」の返事が返った。果たしてどうなのだろうか?

礼子が持ってきたうなぎと赤飯を温めて病院食より先に出すと少し目に力が出てきてぱくぱくと食べだす。赤飯はお茶碗に三分の一ほど鰻は五センチくらいのを全部食べた。後から来た病院食はお粥を五匙ほどと味噌汁を少々飲んだだけでお腹一杯と言った。スイカは一センチ角七切れを、

「おいしい、おいしい。」

と本当においしそうに食べてくれた。

「明日は祇園祭の山鉾巡行や。」

「今日何日え?」

「十六日や。」

「それやったら今日は宵山や。」

マツはよく分かっていた。

 

いかにも祇園祭らしく蒸し暑い日だ。

今日は御池通りを閉鎖しているのでバスがなくて、地下鉄で丸太町まで行ってから七本松までバスに乗り継ぐ。病室に着くやいなや、

「わての家、まだあるやろか?」

「大丈夫!あるある・・・」

マツに山鉾巡行のテレビを見せようと退蔵は急いでチャンネルを廻したが、ちょうど中継が終わったところで残念だった。

湯引きハモは大喜びで七切れぐらいを全部食べてくれた。お粥も一緒に半分ほどおいしそうに食べ味噌汁も半分飲んだ。

だれか見舞いにも来てくれたようで顔色もいい。

 

関西は今日梅雨明けしたらしい。朝から夏の日差しがまばゆかった。久し振りの天気なので、退蔵は岸辺の家に出かけ、庭先のガラス戸を開けて風を入れる。簡易便器も廊下に出して蓋を開け、冷蔵庫も扉を開けておいた。

十時半ごろ退蔵たちが病院に出かけようという直前に、石垣さんの奥さんが見舞いに尋ねてきた。長い立ち話にちょっといらいらした。

今日は休日で病室も看護師が少なく、昼食の配膳も遅れていた。マツは礼子が持ってきたしらすや、大根の煮物を「おいしい」と、ご飯の来る前にぱくぱく食べ、それだけで「ごちそうさん」しそうになった。十二時半近くにようやくお膳が配られ、マツはお粥を少しすすったがすぐに食事を終わった。今日のマツは落ち着いていて、特に異常は見当たらなかった。

定子から電話が掛かり、昨日今日叔母さんの見舞いに行けなかったことを断ってきた。

 

退蔵たちは今日もバスで町田病院へ出かける。

マツがだいぶシーツを汚したらしく、看護師たちが寄ってたかってベッド周りの総替えをしてくれていた。その間マツは車椅子に移り、食事もその状態で食べた。今日は礼子がしらすとうなぎを持って来ていて、マツも「おいしい」と食べてくれた。どうも賄いのきざみ料理は見向きもしないので、退蔵から男の看護師さんに、

「もう少し形のあるおかずに変えてもらえませんか。」

と頼んだ。一応了解してくれた。今日は顔なじみのヘルパーが見舞いに来た。それから訪問看護師のKさんも見舞ってくれた。定子も来てくれて賑やかだった。

 

十時ごろ、退蔵は区役所福祉課のケースワーカーに電話する。本人入院の場合の生活保護費について問い合わせてみた。やはり長期入院となると医療費食費は無料だが、その代わり生活保護費は打ち切られるとのこと。理屈から言ってももっともな話である。

明日から退蔵と礼子と交代で見舞いに行こうと話し合い、今日はとりあえずいつも通り二人で出かけた。

今日も暑そうだが生協のスイカが安いので礼子が買いに走る。ついでにマツが通っていた二条のパーマ屋へ寄って、ヘアーネットを下さいと言うと、探してくれたが在庫がなかったので取り寄せてくれるそうだ。礼子の買物がひまが掛かったので、食パンをかじって慌ててバス停に向かう。千本丸太町の九十九円ショップで礼子は玉子焼きととうろく豆を買った。

マツはいきなり頭が痛いと訴える。看護師に告げて痛み止めの座薬を入れてもらった。点滴とおしっこの管は全部外してあった。しばらくして痛みが収まるとマツは、「頭が痛かった」こともすぐに忘れて、食事を始めた。玉子焼きはあまり食べない。退蔵が少し味見をしてみたが、なるほどまずい。今日は食欲もあまりないようだった。従妹が来たので、近々生活保護費が全額減額されそうだと報告しておく。

生活保護がなくなるなら、出費は出来るだけおさえなければならない。家に帰るや退蔵は、さっそく岸辺に出向いて光熱水道費の領収書を探し出し、ガス、水道、テレビの休止手続きをする。電話については、停止時復旧時にそれぞれ二千円掛かるというのでしばらく保留しておいた。あと新聞をどうするかだ。

 

今日から退蔵と礼子が一人ずつ代わりばんこに病院へ行こうと計画していたのだが、退蔵の体調が悪くて行けそうにない。退蔵は朝食に続き昼食もお粥で済ます。

気温三十六度を越えていた。病院へは礼子が一人で出かける。マツは礼子の顔を見るや、

「帰りたい、帰りたい。」

としきりに言う。隣の六十そこそこの人が看護師にやかましく訴えて帰してもらうことになったらしい。外は猛暑で普通の人でも病気になりそうなので医者の許可がないと今は無理だと、礼子が叔母に説明して、やっと黙ってもらう。昨日頼んでおいた「きざみ食」から普通食は、煮抜き玉子が付いてたぐらいで代わり映えはしなかった。持って行ったウナギとゆで卵の黄身を半分食べてご飯は四分の一ほどで終わった。

 

今日は退蔵の当番だった。十一時十八分のバスで町田病院へ出かける。少し早く着いたので一階の待合室で十二時五分前まで待ってから四階に上った。マツは機嫌よかった。持ってきた「ハモの落とし」を喜んでくれた。昼食のおかずも、今までと違って見た目もおいしそうだった。玉ねぎとかしわを玉子でまぶしたのは、退蔵も一口食べてみたがこれなら食べてもいい味付けだった。マツも三口ほどおいしいと食べた。大きな声で、

「これおいしい! も一つ食べよ。」

 とマツが大きな声でしゃべるので、隣のベッドのおばあさんも、

 「おいしそうに食べてはる。」

と看護師と話しているのが聞こえた。三つほど向こうのベッド方面からも別の看護師の、

「岸辺さんおいしそう!」

の声が掛かった。

デザートの桃も、砂糖を掛けるとマツの顔色が輝き、おいしいと食べた。洗い物をしていたら、十二時四十四分のバスに乗り遅れそうになり慌てて「バイバイ」して帰る。

 

薄曇りの分だけ少しばかり暑さがましだった。

昨日生協で子持ちしらすを買ってあったのでそれと西瓜をさいころ切りしたのを持って礼子は一人で出かけた。マツは病院食も冬瓜の餡かけなどが出て食べやすかったのか思ったより食が進む。食事が終わった後帰りのバスまで少し時間があったので礼子がマツの横に座っていたら、突然マツが、

「頼むえ、勝手なことを言うてごめんな。」

と言った。

「勝手なことを言うて」という言葉は初めて聞いたので礼子はびっくりした。

 

七時半まで退蔵は寝たが、それでも身体がだるい。

今日は日曜日でバスは十一時三十分発だ。薄曇りで少しは暑さはましだった。

叔母は退蔵の帽子とサングラスで一瞬分からなかったのか、

「どなたさんやなあ?」

といぶかしげだったが、帽子を取ると、

「ああ、来てくれたんか・・・」

と笑顔になった。枕元にフルーツゼリーが数個はいった紙袋が置いてある。だれか見舞いに来てくれたに違いない。

「だれが来たん?思い出して・・・女の人?」

「わからへん・・・」

ちょっと前のことが思い出せない。

「朝食もあまり食べはらへんのですよ。ウニばっかりで食べて・・・」

通りすがりの看護婦が笑った。そんならと退蔵は闘志が湧いた。食べさせて見せるぞ。

十二時十分ごろ昼食が運ばれてきた。家から持ってきたうなぎを備え付けの電子レンジでチンしてくる。賄いの皿にはチキンの照り焼きが乗っており、退蔵がナイフで細かく切って出すと、お粥を脇に置いて、そればかりを「おいしい」と食べた。皿の脇に添えられたサラダにドレッシングを掛けると、それもおいしそうに食べた。持ってきた「うなぎ」に品を変えると、「これおいしい!」とそれも食べる。隣の患者に聞こえたのだろう。

「なにがおいしいおいしい言うてはんのやろ?」

とカーテン越しに独り言が聞こえてくる。

マツは今日はいつもよりよく食べた。恐らく朝食をほとんど食べなかったのでお腹が減っていたのだと思う。最後のデザートの桃もきれいに平らげた。

 

月曜日は二人で行く日と決めていたので、退蔵と礼子で十一時十八分のバスで出かける。

マツはしだいに元気を取り戻していた。いつも飲まずに放ってあるバナナ味のジュースを、「これおいしい。」と飲んだ。やがて昼食が運ばれてきて、病院の賄い「豆腐と肉のミンチの煮込み」を最初にマツに渡すと、お腹が減っていたのか三分の一ほど食べた。次に礼子が持ち込んだ「はもの落とし」を出すと、たちまち、「これがおいしい。」とそればかりに箸が行き交う。賄いの「かぼちゃのつぶし煮」は一口食べて、

「これはいらん。」

と拒絶。スイカは最後に砂糖をまぶして食べ尽くした。寝てばかりいるのでもう座ることは自分では出来なくなっている。入院した時よりも身体が固くなっているようだ。けれど頭の方はなかなか冴えていて何でも分かっているようだった。

従妹の定子が三日振りにやってきた。近く勝男も顔を出すと言っていたそうだ。

夜になって町内の加藤さんに礼子が電話すると、やはり見舞いに行ってくれたようで、聖教新聞の若い女の子らといっしょにフルーツゼリーをお土産に持っていったそうだ。マツは元気で、「来てくれてありがとう。また来てや。」と頭もはっきりしていたらしい。

 

明日はすみ子とあおいが来るので礼子が家にいた方がいいだろうと当番を交代した。従って今日は礼子が病院へ行くことになる。雨が降っているのでウナギの蒲焼を少し持って行く。デザートは冷菓子を冷やして持って行く。お昼はお蕎麦のとろろ掛けだがあまりお箸がすすまない。鰻ととろろ昆布はおいしそうに食べた。

看護師の話で、風呂を勧めたがこれも本人が拒否したそうだ。少しわがままになってきているのではないだろうか。

 

台風一過、さわやかな朝だ。庭のガラス戸を開け放つと涼し過ぎるくらいだ。

今日は退蔵の番なので十一時十八分のバスで出かける。病室に入ると叔母の姿はなく、ベッドの周りを看護師たちが掃除をしていた。

「そばぼーろを入れたガラス瓶が床に落ちて割れたのです。すみません。」

とのこと。

「岸辺さんは車椅子に乗ってもらって詰所の横で待ってもらっています。」

迎えに行くと、マツがほっとしたような顔で退蔵を見上げた。病室に戻って、今日は何も持って来なかったので、運ばれてきたお膳の賄いの品を叔母に食べてもらった。牛肉と野菜の炊き合わせを「おいしい」と食べた。大根とさつま揚げの煮物は大根を一切れ食べた。味噌汁はとろろ昆布を入れると半分ほど飲んだ。お粥三分の一程はウニと海苔の佃煮と梅干で食べ、

「ごちそうさん。お腹いっぱい。」

と言った。持ってきたフルーツゼリーも半分残した。

看護師さんに入浴のことを聞くと、

「浴室を一度見てください。」

と廊下の端に案内してくれた。こじんまりした清潔そうな浴室だったが、二人がかりで抱えて入れようとすると、その入口で、

「怖い!やめて!」

と硬直して恐怖の表情をするので、

「それ以上無理強いしてはストレスになると中止しました。」

とのこと。

退蔵が家に帰るとすみ子が来ていた。「こども未来館」で赤ちゃんの「オイルマッサージ」の講習があって、その帰りに寄ったのだ。あおいは額が一段と広くなったように思えた。

三時頃病院の「相談員」さんから退蔵に電話が掛かり、

「治療が間もなく終わるので、その後の施設について至急相談しておかないといけません。ちょっと集まっていただけますか?」

「分かりました。日を設定していただければお伺いします。」

治療が終わった段階で五階か六階の介護病棟に移るらしい。原則は治療病棟は一カ月、介護病棟は二ヶ月が滞在限度らしい。その間に次の施設を探さなければならない。

 

「相談員」に退蔵が電話すると、今電話ししようとしていたところだと言い、

「八月一日月曜日十一時からでいかがですか?」

と提案してきたので、退蔵はオーケーした。

今日も退蔵が病院に行く。ベッドの回りにカーテンが閉めてある。覗いて見ると、叔母が下半身を投げ出して寝ていた。

「すみません。おしめを替えますので・・・」

と看護師が言った。二三分で、

「はい終わりました。」

叔母はもうなんの抵抗もないようだ。退蔵が顔をみせると嬉しそうに笑顔を作った。

「岸辺さん、今朝、愉しいお話したんやねえ。そしてお風呂に入ったんやねえ。」

ちょっと年配の(看護師とユニホームが少し違うので)館内ヘルパーだろうか?・・・

「へえ?昨日は拒否したのに!入ったの?お風呂!」

マツはうなずいて、

「ふん、入った。」

「そらよかったなあ。すっとしたやろ。」

「ふん。すっとした。」

「ありがとうございます。」

と退蔵がヘルパーにお礼を言うと、

「今日も最初は怖いとおっしゃいましたが、なんとか話しをして、入ってもらいました。」

「何度か入浴日があるんですか?」

「週に三回、火木土です。」

「これからもよろしくお願いします。」

一つずつ荷が軽くなってくる。これから長い道のり、叔母が風呂にも入らないと先が思いやられた。

食事も、煮そうめんをほとんど食べた。魚も身をほぐし、醤油を掛けると半分ほど食べた。若い看護師が、

「朝も晩も、ウニとか海苔の佃煮のほかは何も食べはりません。」

と困っていたのからすると、食べてくれた方だ。やはり退蔵が傍にいると食べないと悪いと思うのだろう。

 

郵便局へ行ってから礼子はサカエへハモの落しを買いに行く。今日は彼女が病院へ行く番なので落しと桃を持って十一時十八分のバスに乗る。お風呂に入ったせいか叔母は明るい顔でベッドを立ててもらって座っていた。介助の男性に座らせてくださいと頼んだら車椅子に乗せて食事をするようにしてくれた。食事もお肉と野菜の煮物で、

「おいしいなあ!」

と部屋中に聞こえる声で叫ぶので、思わず釣られてかもう一人の車椅子のお婆さんも、「おいしいわ!」

と言った。

 

昼、退蔵が町田病院へ行く。叔母は車椅子に乗せられて、入口に置かれていた。向かいのベッドの婆さんと話しが出来る距離にいて、会話するようにとの配慮だろう。顔の大きい、がらがら声のそのお婆さんは、私にも笑顔で挨拶する。

「七百億円も・・・」

なにか新聞記事の話題で叔母に話しかけている。

「あんたなんでもよう知ってるなあ。」

とマツは言葉を返してした。やがてお婆さんにも若い女性が尋ねてきて、おかずを持ってきたようだ。娘さんかと思ったら、どうやら息子の嫁らしい。明るい元気な嫁さんだった。

マツは今日はあまり元気がない。食欲もあまりなかった。今日の賄いがあまりおいしそうでないせいもある。持って行った「くらげウニ」もデザートの桃も、「おいしい」とは言うが箸は進まない。食事の途中でマツがなにかつぶやくので、聞き返すと、

「おしっこがしたい・・・」

と言っているのだ。看護師にそう言うと、

「この人どうやったんやろ?」

「おしめはしているんですが・・・」

「それならそのまましていいんですよ。」

「そうかあ?してええんか?」

マツは赤ん坊がお漏らしする時の困ったような表情をしばらく続けていたが、やがて普通の顔に戻った。

携帯が鳴り、なにごとかと思ったら礼子からで、

「一時から義経があるしテレビ点けたげて。」

マツに、

「義経、いつも見てるんやろ?」

と退蔵がテレビをNHKに合わせたが、

「別に、見てへん・・・」

マツはどうでもよさそう。

帰り際叔母に「ばいばい」し、例のお婆さんにも退蔵は「さよなら」を言う。

ヘルパーさんに聞いてみたら今日の入浴は拒否したらしい。

 

蒸し暑かったが曇っていたので少しましだ。礼子は十一時三十分のバスに乗る。バスは立命館大学で何かあるのか男女学生で一杯、丸太町七本松まで立っていた。病室では、叔母はぐっすり眠っていたので目が覚めるまで椅子に座って待つ。食事は持っていったウナギの蒲焼とお汁とお粥を半分ほどと玉子の黄身だけを食べた。

帰りはとうとう雨になった。

 

 

2005年8 平成17年

 

十時十八分のバスに乗って夫婦で病院へ出かける。着いたのが十時四十五分で、約束の十一時にはまだ間があった。持ってきた荷物を四階の病室に置きに行くが、叔母はぐっすり眠っていた。フロントでしばらく待つうち従妹の定子が汗を拭き拭きやってきた。十一時、相談員のNさんと共に別棟の二階にある会議室に案内される。そこにはすでにケアマネージャーも来ていて、叔母の今後の手はずについて説明があった。叔母の病状は快復しており、通常なら近く退院ということだが、中村先生の配慮もあり、五六階の「介護病棟」に空きが出しだいまずそちらへ移してくれるらしい。介護病棟は最大二ヶ月が限度で、家庭での介護が不可能な場合は、その間に施設を探しそこへ移ることになる。特別養護老人ホームは終身だが、その空き室待ちは一施設あたり二百人とかでなかなかすぐには回ってこないとのことだ。そこで、短期療養施設(介護老人保健施設)で一時待ちすることになるが、一時待ちといっても三ヵ月の期限があるので、次々と施設を移転して廻ることになる。以上が老人養護施設の実情の説明であった。とにかく短期施設を九ヵ所と終身施設三ヵ所の申込みをすることになる。

ちょうど昼になり、病室に上がり、二人してマツに昼食を食べさせるが、今日は食欲もありおかずも魚の煮物でマツは、「おいしい。」と食べた。礼子が持ってきた蟹身がまた大好物で、それにマヨネーズを掛けると、

「おいしい。飛んではいる!」

と大きな声を張り上げるので隣近所のベッドまで聞こえそうだった。

退蔵が帰り際一階の事務室でパソコンをしている中村先生と目が会ったのでちょっと挨拶しておく。

 

退蔵が当番で病院へ出かけた。少し早い目に病室に上がり、詰所を覗くとちょうど中村先生がおられたので、廊下に呼び出し、持ってきた商品券の包みを渡そうとすると、即座に、

「そんなものは頂けませんから、お気持ちだけお受けします。」

と断られた。退蔵もそれ以上押し付けることはせず、今後の叔母のことをよろしくと頼むに留める。

昨日認め印を忘れてきてしまったので、退蔵が今日持参して来て、ケアマネージャーを病室まで呼び出して施設申込み書類に捺印する。その時のケアマネージャーの話に、新設の「本能特別養護施設」では、生活保護わくはあることはあるが、個人負担が六万なにがしかかるとのことである。

マツの昼食はなぜか「きざみ食」になっていて、看護師に訊くと、

「それはすみません、次から気を付けますが、今日はこれを食べてもらってください。」

結局マツはおかずはほとんど食べず、「うにくらげ」と「海苔のつくだに」でお粥を三分の一ほど食べた。

「今日は外は暑いやろ。」

「暑い暑い!ここへは入ってきたら涼しいし極楽みたいや。」

「そらそうや、夏の盛りやもんなあ。わても夏の間はここでしんぼうせなしょがない。がんばる・・・」

と頭はぼけていない。

マツは午前中の入浴を拒否したらしい。

 

五時に起きて退蔵と礼子で鴨川御池大橋までウオーキングする。歩きながら退蔵は、病院行きを日曜日は二人とも休もうと提案した。従って、礼子が月水金、退蔵が火木土と交代で行くことに決めた。

生協が西瓜をお買い得日にしているので礼子は病院へ行くまでに買って来る。バスはどこも遅れるのだが堺町御池の停留所もいつでもバスが五分以上遅れてくる。こう暑い日は待っている間も熱射病に罹りそうだった。礼子が病室に入ると、いつものところにマツの姿がない。入口の足の悪いお婆さんに、

「うちの叔母は、お風呂ですか?」

と聞いてみたが、「さあ」と首をひねった。よく見ると隣の奥にベッドが変わっていて、マツはもうご飯を食べる態勢でテレビに向かって座っていた。礼子の顔を見ると、

「お腹が空いた。」

海苔と梅干とウニをお箸で取り、

「おいしい。」

と機嫌よく食べた。ところが、お茶を飲んで本番の昼食時には早々と、

「もうお腹一杯・・・」

それでもスイカは礼子が持っていったのをみんな平らげてくれた。

礼子が病院へ行っている間に、退蔵は京都銀行へ出かけた。やはりマツの生活保護費は入金していなかった。入院中は家計の出費がないので打ち切られたのだ。理屈はそのとおりだし文句は言えない。

退蔵は自分のうちから局に電話して、岸辺のとこの電話を今日で局預けにする。これで電気以外は全てストップしたことになる。

夕方、ケアマネージャーから退蔵に電話が掛かってきて特養三ヵ所への申込みを郵送しておいたと報告してきた。

 

珍しく定時にバスがやって来て、途中もスムースに走ったのだろう、退蔵が病院に着いたらまだ十一時半だった。十一時五十分まで一階の待合で待つのがひどく退屈だった。四階に上るとマツは隅のベッドで寝ていたが、退蔵が顔を寄せると目を開いていて、ニコッとした。

「そこのカーテン閉めてくれるか。」

ベッドの回りのカーテンでなく窓のカーテンのことだった。案外明るいのが苦手のようだ。

昼食の来る十二時十分までがまた退屈な待ち時間だった。今日のおかずは煮魚と豆腐の炊いたのと、味噌汁。煮魚は半分ほど「おいしい」と食べた。豆腐も、「これもおいしい。」とスプーンで三分の一ほど食べた。味噌汁も「おいしい」、うにを出すとこれも「おいしい」。

隣のおばあさんが、

「なんでもおいしいおいしい言わはるんやねえ。」

と感心してくれる。

「おいしいて言うほど、たくさん食べへんけどね。」

と退蔵は応じた。

 

朝ご飯のあと少し腰を痛めた退蔵は、軟膏を貼り、薬を飲んでしばし横になっている。この際ぎっくり腰になっては大変だ。

十時頃から退蔵は整形外科へ出かけ、電気を掛けてもらい、注射をしてもらった。

今日はハモの湯引きを持って行くつもりと礼子は九時過ぎにサカエまで走る。退蔵が看護士たちへのお礼にお菓子を持って行って、たまには二人とも休むことを頼んでおいたらと言ったので、礼子が病棟の詰所で菓子折りを渡すが、強く断られた。何度も押し問答の末向こうが根負けしたのか最後には受け取ってくれた。

「外はものすご暑い、三十五度くらいあるわ。」

と礼子がマツにいきなり言っても、マツは何の反応もなかった。ただハモの湯引きは、

「これおいしいわ。」

と半分以上をぺろりとたいらげた。

昼から二時に業者が岸辺の家に来てマツのベッドを受け取って帰った。ベッドも借りてからもう五年も経過したなじんだ代物だった。三十分ばかりで分解して持って帰ってしまったが、部屋は少し広くなった。

 

退蔵の腰の調子は少しましになった。でもまだ少し痛みが残っており、軟膏を張替え、薬を飲み座薬を挿入した。

今日は退蔵の当番なので病院へ行くつもりをしていたが、彼が座薬を入れているのを見て、礼子は自分が行くと言わざるを得なかった。

うなぎと西瓜を持って礼子が訪ねるとマツがベッドにいない。看護士に聞くと、

「お風呂に行ってはります。」

とのことだった。しばらく待っていたら、きれいに洗ってもらってちょっと小さくなったマツが車椅子で帰ってきた。ついでにそのまま車椅子で食事ということになり、マツは部屋の正面で椅子の前に台を置いてもらって昼食を食べた。病院のおかずにはあまり手を付けず、礼子が持って行ったうなぎとすいかはほとんど食べた。

退蔵がぎっくり腰だと昨日礼子が報告しておいたはずなのに、今日もまだ痛がっていると繰り返すと、

「へえ!知らんかった。」

と昨日のことを忘れていた。

 

退蔵の腰の調子はほとんど正常だ。

今日は二人とも病院に行かないことにしているので気分が穏やかだ。やはり昼に病院行きを予定していると朝から慌しい。マツの入院以来初めて二人共病院をお休みすることになる。

 

今日は退蔵が病院へ行った。昨日二人とも訪問しかなかったのでマツの反応はどうかと気懸かりだったが、別段変わりなくほっとする。食事もおいしいと食べるが、相変わらず三分の二を残した。

食事が終わりかけたころに従妹がやって来たが、先週金曜日には彼女の弟の勝男が見舞いに来たらしい。定子が入れ歯の洗浄をやってくれたので、退蔵はいつもより早く病室を離れることができた。

家に帰ってから退蔵はケースワーカーのTさんに電話して、特養(特別養護老人ホーム)の「本能」が生活保護者にも六万円の負担が掛かることに疑問を呈したが、Tさんも矛盾は分かるが今のところしようがないとのことだった。今の治療病棟でも月五千円の負担があり、介護病棟に移ると一万五千円の負担が掛かるのだと説明された。

夕方小泉内閣は解散を閣議決定していた。

 

退蔵の腰の調子は九十九パーセント回復した。

病室で退蔵がマツと話している時、女の看護師さんが寄ってきて、

「岸辺さんですが、十五日に六階の介護病棟に移動します。」

と告げてくれた。

「ありがとうございます。だれか付き添った方がいいですね?」

「いえ別に、こちらで適当に移動しときますから・・・」

「そうですか・・・でも出来るだけ来るようにします。」

その間、マツは聞こえているのかいないのか、無反応だった。退蔵は一つ乗り越えたような気がした。

今日の昼食の肉うどんを、

「おいしい。おいしい。」

と言いながらマツは食べていた。

 

礼子が病院へ出かけている間に、退蔵はまず郵便局へ叔母の年金を受け取りに行き、その帰り道岸辺に立ち寄って、居間の雑品の整理をする。大きなビニール袋に一杯のゴミが出た。

礼子はサカエへハモの落しを買いに行ってから、西瓜と落しを持ってマツを訪ねた。病院の前でケアマネージァーのMさんに出会った。

「今日は熱があるみたいですよ。」

今しがた寄ってくれたらしい。病室に入って礼子が介護士に聞いてみると、すぐに詰所に聞きに行って、

「熱はありません。」

と戻ってきた。車椅子に掛けさせてもらって食事を始めたが、マツが元気に食べだしたのでやれやれだ。昨日入院してきたすぐ入口の患者が五時頃から大きな声で一人言をわめくので、寝不足になったと隣の患者が礼子に話しかけた。そのお詫びの印にと、そこの家族がテッシュペーパーを一個包んで各ベッドに置いて行ったらしい。礼子がいる間もその患者はずっと喋りっぱなしなので、よく声が続くものだと感心する。マツに、

「やかましかったやろ?」

と礼子が尋ねると、

「みんなこないな人ばっかりや。」

と隣に聞こえるような声で言ったので、

「そんなことはないない。」

礼子は慌てて否定した。

 

退蔵はいつものより三十分後のバスに乗ったので着いたのが十二時十分だった。マツは寝ていたが、お膳はテーブルに置いてあった。

「起きてご飯食べよ。」

と促すが、

「このまま寝てたい・・・」

と言うのを布団をはがしてベッドに座らせる。退蔵が遅かったのでちょっとすねてたのだろうか?その後はいつもと変わらず、煮魚、ナスの煮物を、「おいしい!」と食べていた。いつもより少し遅くなったので、一階フロントに降りて、次のバス待ちをしていたら従妹がやってきた。

「六階の介護病棟にはエレベータでないと行けないよ。」

と言い残して退蔵は外へ出る。

空が真っ黒で夕立が来そうだったが、結局それもやがて晴れてしまった。

四時ごろ特養の「本能」に退蔵が電話してみる。こちらから行って話しを聞かせてほしいと言ったが、

「来てもらっても同じことで、候補に上ったら通知の上調査に行きます。」

とのことだった。次に「東九条特養」に電話して礼子と二人で出かけた。京都駅八条口から歩いて三百メートルほどのところだった。建物は大きいが収容人員は五十名とのこと。年に五名程度の入れ替えが発生する。

「岸辺さんは緊急二十名の中には入っていますが、それも順番ではなく、緊急性により入居が決まるので、気長に待ってもらうしかないです。」

さらにここで気がかりのことを聞かされた。

「一人住まいということですが、借家ですか?」

「いえ、叔母の持ち家です。」

「それなら生補は受けられないですよ。」

「どうしてですか?今は持ち家のまま受けていますが・・・」

「住んでいる場合はね。しかし施設に移り、そこで終身を過ごすことになれば、持ち家は財産とみなされます。売るなり貸すなりして収入が得られますから、まずそれを実行して、それで通常の施設使用料を払っていただき、それが出来なくなったら、再び生活補助を申請してください。」

かなり難しいこととなった。

 

東大阪に住んでいる長女の佐和子が来ると言っていたが、それがは昼頃になりそうなので、礼子に替わって退蔵が病院へ行った。昨日二人が休みだったのに、マツは別段変わりはなかった。

入口窓べりのおばあさんは大分認知症が進んでいるようで、常に何かを叫んでいる。マツが昼食のおかずを食べるたびに、「ああおいしい。おいしいなあ。」と口にすると、そのおばあさん地獄耳なのだろう、

「おいしい、おいしいて、なんや!ばかもん!」

とどなる。しかしマツはさっぱり聞こえないか、聞こえない振りをしているかだ。隣のおばあさんは、

「賑やかな部屋ですわ。」

と笑いながら退蔵に小言を言った。そのおばあさんは自分は八十一歳だと明かし、

「この部屋で一番若いんですよ。」

家に帰ると佐和子たちが来ていて混雑していた。さつきはさやかとマナの玩具になっていた。

雨は降りそうで降らない。

 

マツが六階の介護病棟に移るので退蔵は一時前のバスで病院へ出かけた。途中空が真っ黒になったので千本丸太町でバスを降り、スーパーで四百円のビニール傘を買った。

ベッドの移動は一時半だったが、退蔵もちょうど間に合った。

「ここは狭いさかい、ゆったりした部屋を頼んでおいたら、今日移してくれはるねん。」

とマツには言っておく。

「そらええなあ。」

と叔母はうまく乗ってくれた。女の看護師がマツに、しきりと、

「寂しいねえ岸辺さん。」

と言葉を掛ける。

「岸辺さんは私らのアイドルでしたからねえ。」

マツは車椅子に乗せてもらいエレベーターで六階に行く。カーテンも掛け布団もピンク色で明るい。マツは少し不安気だったが、しばらくしたら納得したようだった。担当の女の子に退蔵が、

「あんたたちはヘルパーさん?」

と聞いてみる。

「いいえ。準看護師です。」

と彼女は少しプライドを傷つけられたような顔をした。四階よりずっと静かだが、マツはそんなことは気にならないようだ。

帰りに退蔵は四階詰所にに寄ってお礼を述べておく。病室にも寄って顔なじみの看護師に挨拶をしていると、隣のベッドのおばあさんがエレベーターの前まで歩み寄ってきて、

「どうぞお大事に。また寄せてもらいます。」

「おばあさんもお元気で・・・」

一月半ほどでも退蔵には四階病室が懐かしく思えた。

退蔵が家に帰ってきて、礼子は退蔵から今日の報告を聞く。今は病院の寝巻を借りているが看護士がパジャマの方がいいといったそうなので、礼子はサカエと西友に適当なのを探しに自転車で出かけた。なかなか百歳の人の寸法が分からなくてうろうろして、結局もし叔母が着なかったら礼子自身が着ればよいと決断した。

夕方退蔵は岸辺の家に寄って造花の盛り花を取ってくる。明日叔母のところへ持っていくつもりだ。

 

介護施設に移って二日目なのでまだ慣れていないだろうと二人でマツを訪ねることにする。礼子は湯引きハモとスイカと昨日買ったパジャマを二着持って行った。黄色とピンクのパジャマは、ピンクの方を気に入ってくれたようだ。病室と違ってかなりゆったりとしていて一部屋に三ベッド入っていた。みんな物静かで返って今までのがちゃがちやがマツにはよかったのかもしれない。十二時五分前に病室に入ったのにもう昼食が届いていた。診療病棟より先に配られるようだ。マツはそれでもそ知らぬ顔で横になって寝ていた。起こして食事を勧めるとお肉の炊いたのを少しと、持っていったハモの湯引きは全部食べた。同部屋のあとの二人はおとなしく声は聞かれない。黙々と食事をしている。マツだけは一口食べるごとに、「おいしい!」を連発する。お粥は半分ほど食べた。

「また来るね。」

と帰りかけるといつもより必死で、

「また来てや」

とマツが礼子の手を握り返した。

 

叔母が介護病棟に移ったので詰所にお菓子を持って行って挨拶をしておいた方がよかろうと、礼子は大丸のマーロンブランシェを買って来た。ついでに魚ソーメンをマツに食べさせようと買ってきた。礼子が病院へ行くとマツは、昨日礼子が枕元に置いておいたピンクのパジャマを着せてもらい、それがとても似あっていた。昨日礼子が初めに黄土色を見せた時はなんの反応もなかったのに、ピンクを見せるとマツの目が輝き、「有難う」と言ったのを思い出した。魚ソーメンは不評で二口食べたらもう、「お腹いっぱい・・・」と箸を置いた。

 

早朝少ししぐれたがその後は晴れてきた。十一時五十分に退蔵が病室に上るとマツはベッドの端に腰を掛け、テーブルには昼食のお膳がすでに配られてきていた。おぼろたまごと澄ましとサラダ。あまりうまそうではなかったが、叔母は最初から食べる気がなかった。退蔵が勧めても嫌々口に運んでいるのが見え見えだった。持ち込みのウニ、海苔、梅干も効果がない。仕方なく切り上げてほとんど手を付けなかったマツのお膳を片付けた。

退蔵がテレビの上を整理して、叔母の家から持ってきたバラの造花を飾り、小さな時計も配置すると、

「きれいやなあ!」

マツは子供のように顔を輝かせた。しかしすぐ、

「もう横になりたい。」

と言い出す。チャンスを逸してはならずと、叔母あての「現状説明」をワープロしてきたので、

「先にこれを読んでくれるか?」

マツはちょっと目を通したが,

「字がちいそうて読めへん・・・」

とあまり読みたくなさそう。

「ほんならまた字を大きしてくる。」

と叔母をベッドに寝かせて退蔵はバイバイする。

四時過ぎに、今度は「そうふう」と言う老人保健施設から電話が掛かり、

「一度ご本人に面接したい。出来ればご家族同伴で・・・」

と言ってきた。来週二十三日火曜日の十一時を約束した。

電話を切ってから退蔵は、町田病院のN相談員に電話するが不在で、土曜日に出勤だからということで、それならと土曜日に電話してもらうように依頼する。次に「そうふう」にもう一度電話して、事前に施設の見学をしておきたいと申し込む。明日四時半に来てくれとのこと。場所は堀川松原である。

 

昨日買った甘エビとスイカを持って礼子が病院を訪ねた。声を掛けるとマツはすぐ起きてくれて、甘エビを三匹くらいと病院食についていた挽肉の炊いたのを二匙、味噌汁を半分なんとか喉に通し、スイカは喜んで全部食べてくれた。

礼子はいったん家に帰り、四時過ぎに改めて退蔵とともに家を出た。地下鉄二条城から9番の市バスに乗り換えて堀川松原で降りる。目の前の六階建ての新しい建物が老人保健施設「そうふう」だった。応接でしばらく待たされたが、やがて愛想のいい男性に施設内を案内してもらう。建物は今年六月に出来たばかりで真新しく、気持ちがいい。部屋は四人部屋だが、一人ずつプライバシーが守られ、間は障子で仕切られていた。食事は広い食堂で皆がいっせいに食べるのだそうだ。テレビはこの食堂に一台大型のが備えてあり、各部屋にはない。風呂は週二回。係員はどこにいても我々に挨拶をし、利用者がまた挨拶する。よくマナーが行き渡っている感じだった。

「本人面接をさせていただくということは、ほとんど受け入れが確定しているということですから・・・」

と担当が言った。以外に早く、しかも新しい施設に入居できることになったものだ。「叔母さんは運がいい。」と退蔵は思った。

 

退蔵の当番なので病院へ行く。昼食はすでに配膳されていたが、マツはベッドに横たわっていて、

「なんにも食べとない。」

と言う。半ば無理やりに起こして箸を持たせるが、一口二口で、

「もうおなかいっぱい・・・」

おかずが「きざみ食」になっていたので、退蔵が看護師を呼んで、普通の形のあるおかずにして欲しいと頼む。

「わかりました。夕食からそうします。」

「お粥も量が多いので、丼鉢でなくて普通のお茶碗にしてくださいませんか。」

「お粥はどうですか?やわらかご飯というのもありますよ。」

「それならその柔らかご飯で試してみてください。」

好きなはずのスイカも半分も食べない。

ほとんど手付かずのお膳を下げると、マツはもう横になりたいと言う。水枕がしてあったので、

「どうしたん?熱があるの?」

「・・・・」

よくわからない。退蔵はマツに眼鏡を掛けてもらい、持ってきたワープロのメモ書きを読んでもらう。

『叔母さんへ

今の状態を説明します。

入院したいきさつは、脚がひどく腫れ高熱が出たので緊急入院したのです。熱が下がっても、脚の腫れが引くのに、かなりの日数が必要でした。

ようやく脚の腫れも引いてきたのですが、その間ずっと寝て過ごしたので、下半身の機能が低下して、以前なら家の中で這うことが出来たのが、今は出来なくなりました。従って大小用を足すのにも一人で便器を使うことができず、看護師さんのお世話になっています。

機能回復のためのリハビリも、何分叔母さんは百歳を越える高齢のため、無理をすると骨折などを引き起こしやすく、非常に難しく、大事を取らなければなりません。

今、家に帰ると、叔母さんは一人で何も出来ない状態ですし、介護をするにも終日の付き添いが必要で、それは不可能です。

今叔母さんがいるところは、町田病院です。病院施設ですからいろいろ不自由な面もあるでしょうが、もう少しゆったりしたスペースで、介護が行き渡るところを探しています。そこなら朝から夜中まで充分の介護をしてもらえます。そこでならリハビリが出来るようになるかもしれません。

それまで、気を楽にして、食べるものもしっかり食べ、水分も出来るだけ補給するようにしてください。』

「字が小さいし読めへん・・・」

とか言いながらマツは一応読んでいる。途中、

「いろいろすまんなあ・・」

とつぶやいているところをみると、文章を理解しているようだった。退蔵は最後のところ、「食べるものもしっかり食べ・・・」のところを繰り返して読んできかせる。

「食べるものをしっかり食べんと、リハビリも出来んし元気も出んよ!」

マツは首を縦に振っている。解ったようだ。

家に帰るとまだ一時前だった。

 

千三百円の寿司折り(ちらしと握り寿司のセット)を持って礼子が病院へ出かけた。マツはマグロの握り寿司を三等分した二個をやっと口に入れもうお腹がいっぱいと言う。これでは体力が落ちてしまうと、

「食べないと点滴になるよ。」

傍から看護師も、

「岸辺さん。食べんかったらチュッチュしますよ。」

回りのベッドにも聞こえたようでくすくす笑い声が漏れた。

「点滴か食べるのか、どっちにする?」

礼子も攻勢をかけた。

「注射いや。食べる・・・」

そのお陰でやっと味噌汁は全部とお粥を三匙ほど食べてくれた。

「もう眠たい。寝かして。」

礼子が詰所の看護師に、

「点滴で脅してでも少し食べさせてください。」

と訴えて帰ってくる。

夜、定子から退蔵に電話が掛かり、叔母が大分しんどそうだった。持って行ったアイスクリームを三口ほど食べてまた寝てしまった、とのこと。だいぶ弱っている様子なので、それを心配しての電話だった。

 

「そうふう」の松浦さんと約束していたので、退蔵は十時十八分のバスで病院へ出かけた。病院の入口でケアマネージャーに出会った。その後の経緯を報告しておく。

ほどなく玄関先にそれらしい若い女性がたたずむので訊いて見ると、

「はい、松浦です。」

六階のマツの部屋にいっしょに上って、ベッドの傍で松浦さんの話を聞く。やはり著名な早坂先生の堀内病院系列の施設ということだ。

入所時のいろいろの注意事項、用意すべき身の回り品、費用の個人負担額、リハビリのことなどの説明を受けた。入所時期は、

「今週中は厳しいけど今月中なら大丈夫でしょう。」

松山さんとの面接を終えたころ、昼食が運ばれてきた。昨日同様食欲皆無。牛肉と玉子の具の入ったうどんだったが、マツはうどんを三筋ほど食べて、

「もうごちそうさん。」

持ってきたメロンさえ、

「これおいしい・・・」

と言いながら、ほとんど残す。若い男の介護師が寄ってきたので退蔵が、

「どうしても食べないけど、もう一度挑戦してもらえますか?」

「わかりました。やってみましょう。」

と引き受けてくれた。

 

今日は二人とも病院行きは休んだ。わずかな時間の拘束だが、無いとほっとする。たまに二人が来ないとマツも、「食べろ、食べろ」と言われなくて自分から食べる気になるかもしれない、と礼子はいいように解釈した。礼子も言いたくて言ってるわけではないのでストレスが溜まってくるのだ。

町田病院六階詰所から退蔵に電話が掛かり、何事かと思ったら、

「介護病棟に移った時点で新しく契約を結んでもらわなくてはいけませんので・・・」

とのこと。金曜日に詰所に寄ってくださいとのことだった。

 

今日は礼子が病院へ行った。マツはお風呂に入れてもらったらしく喉が乾いていて、介護士が置いてくれていた湯飲みのお茶を、「おいしい、おいしい」と全部飲んだ。ご飯は三匙ほど、湯引きハモは四切れ食べた。今日は人恋しいのかしきりに「ありがとう」と「また来てや」を繰り返した。

一日七百五十円追加すると特別メニューが出るようなので礼子がそれを頼んでくる。

四時ごろ町田病院の介護病棟詰所から退蔵に電話が掛かり、「そうふう」への受け入れが三十日に決まったむね連絡してきた。その上で特別食は申し込んでから一週間ほど時間がかかると言われ取り消した。

五時半ごろから礼子と二人で岸辺の家に出向き、「そうふう」入寮時の上着などを持ち帰る。

 

台風一過、十時ごろには次第に晴れてきて、退蔵が病院へ行くころにはカンカン照りとなった。

叔母は今日は少しは食べてくれた。スイカも砂糖を掛けると、

「こらなおおいしい!」

と食べた。ただ、食後に下痢止めの薬が配られてきたところを見るとどうやら少し下痢気味のようだ。

介護病棟の契約書作成について、師長が外出なので、退蔵は玄関の待合で十二時四十五分まで待った。契約書の様式を貰って帰る。その時、三十日の転所時間を聞いたら、一時半に来て欲しいとのことだった。

家に帰って、三時ごろ退蔵がケースワーカーの田口さんに電話するがお休みとのことだったので、係りに「そうふう」への転所のことを伝言頼んでおく。

夜七時ごろ従妹の定子に電話して「そうふう」への転居のことを報告しておいた。三十日には自分も行くと言ってくれる。

もらってきた契約書(二種類×二枚)に住所氏名(叔母と退蔵)を書くだけだが、このごろ字を書くことがひどく負担で疲れた。

礼子礼子でマツが施設へ持参する洋服の洗濯や名札作りをした。いよいよ叔母も新しい施設でいい老後が送れそうだ。何とかそこに順応してくれるといいのだが・・・と礼子は思った。

 

病院の受付は日曜日でがらんとしている。礼子が病室に行くと叔母は機嫌よく出迎え、素直に起きてご飯を食べた。隣のベッドのおばあさんが、

「昨日、水が欲しいと言うてはるので上げましたえ。」

「そうですか。それはありがとうございます。」

「それから、うちの娘が来た時、おばあさんがまだご飯を食べずに寝てはりましたので、起こして食べさせてました。」

「へえ?それはまあすみません。」

叔母が見知らぬ他人にご飯を食べさせてもらうなんて新しい展開だ。叔母は食事を前より少し積極的に食べたが、相変わらず量は少なくすぐお腹一杯となる。ハモの湯引きも二切れだけでもう入らないと言った。

 

退蔵が当番で病院へ行く。叔母は機嫌よく起きてご飯を食べるが、しかし分量は多くない。食べ終わるとすぐに横になってしまう。その叔母に退蔵が、

「もう少し元気が快復するように、軽いリハビリをさせてくれたりするとこを頼んどいたら、そこが見つかった。あしたそこへ変わる・・・」

「そうかあ?」

とマツは別段異議はとなえなかった。

「元気出さなあかんで。」

と言って退蔵はバイバイして帰る。詰所に寄って先日の契約書を渡しておいた。

午後は、二人で明日施設に持っていく荷物の最終点検をする。

 

十時四十分にやってきたタクシーに荷物を積んで、退蔵夫婦は「そうふう」へ出かけた。事務所に荷物を預け、今度はバスで町田病院へ向かう。マツは眠っていたが、昼食が来たので起こし山菜そばを食べさせた。相変わらずの小食だ。

退蔵たちも近くで食事しようと外に出て、丸太町通りの喫茶店でオムライスとやきめしを食べ、部屋に帰ってからもしばらく待たされた。

一時半にマツを寝台車に乗せ、退蔵夫婦も同乗して雨の中を出発する。

「こわい・・・どこ行くの?」

と車中マツは何度も不安がったが、なんとか堀川松原の「そうふう」にたどり着いた。直後に定子もタクシーで乗りつけてきてくれた。まだ予定の部屋が空にならないのでと、しばらく待たされる。その間にここの担当医の吉村先生の説明を受けた。医者というのに白衣でなく紺の着物姿で現れ、利用者に圧迫感をなくそうとの配慮だろう。

「もう百歳だから一時間後になにが起こるか分からないものね。甥夫婦のお立場であなた方が長年よく面倒を見てこられたのは聞いています。後はお任せください。」

ようやく部屋に入居する。四人部屋で入口の表札は「新町」だった。町田病院の介護病棟よりさらにゆったりとしていて調度品も新しく立派だ。マツはそれでもまだ不安そうだった。スカートは介護に不向きだからズボンをそろえてくれるように看護人に言われた。持ち込んだ衣料などを礼子が抽斗に片付け終わったら三時。「おやつ」の時間とのことで、マツはさっそく上っ張りを羽織り、靴を履き、車椅子に乗せられて広間に移動した。二十人ほど集まっている中にマツも入れられる。

「たくさんいやはる。年寄りばっかしや。」

とマツが人目をはばからず声に出したので、廻りの人がくすくす笑う。

「お幾つです?」

「百歳です。」

と退蔵が答えると。どっと沸いた。マツの前にプリンが置かれ、

「これおいしい・・・」

とマツは食べだした。お遊戯体操もみんなのまねをして手を上げ下げする。右手がグー、左手がパーを交互に繰り返す運動もなんとかやっている。昨日までほとんど寝たきりで過ごしていた百歳の老人が果たして昼間は出来るだけ起きて生活することなんかできるんだろうかとの退蔵の疑問をたちまち払拭してしまった。

ただその運動が一時間以上続くと、さすがのマツも、

「しんどい。」

と不機嫌になる。退蔵が係員に耳打ちしてマツを部屋へ連れて帰ってもらった。

帰りはタクシーに従妹を乗せて帰る。定子は烏丸御池から地下鉄で帰った。マツもしんどかったようだが、退蔵夫婦も疲れた。

 

礼子は朝一番にサカエへ叔母のスラックスを買いに走る。おかげでちょうど寸法もぴったりの夏物が見つかり、茶色が二着とグレーが一着揃った。

昼から二時過ぎうちを出て、二人して「そうふう」へ出かけた。ズボンを買い揃えたり、造花の胡蝶蘭を持っていったりで、荷物が今日も多くてタクシーに乗った。

「そうふう」の一階にあるセブンイレブンで礼子がアイスクリームを買って持って行く。受付で、持ってきた菓子折りを渡すと、最初断られたが、礼子がしつこく差し出すので、根負けして受け取ってくれた。

四階の「新町」。叔母は特に変わりなくベッドに横たわっていたが、アイスクリームを「おいしい」と食べた。ヘルパーが車椅子に乗せてくれたので、礼子が窓際や部屋の外を見せて回ると、

「きれいやなあ!ホテルみたい・・・」

と喜んだ。同席の三人は広間へ行ったらしく空席だったが、持ってきたテッシュの箱を枕元に置いておく。ちょうどおやつの時間だったので、そのまま礼子が叔母を広間へ連れて行った。場所は決まっているようで昨日と同じ席に導かれ、さっそくシュークリームが配られてきた。叔母はそれを手元に引き寄せ、手を合わせると、

「いただきます。」

頭を下げてさっそく食べ初めた。その様子を見て、同席の人たちも叔母のまねをして、手を合わせ、「いただきます」と食べ始めた。

退蔵と礼子も安心して引き上げる。階下で入所に当たっての契約書の説明を受け、自宅で書き込んで次回持って来るように言われた。

 

 

20059 平成17

 

退蔵は京都銀行にマツの通帳の打ち込みに行く。ひょっとしたらとかすかな望みをつないでいたが、やはり生補の入金はゼロだった。

 

十時過ぎにすみ子がさつきを連れて来た。昼をいっしょに食べ、一時過ぎにすみ子の車で「じゅんぷう」へ出かける。マツはさつきを見て大層喜んだ。さつきのほっぺや手にさわって、

「かわいい・・」

を連発。マツは環境に大分慣れてきたようで、係りに聞くと昼食も半分くらい食べたという。家に帰りたいようなことは素振りには見せなかった。昨日風呂にも入ったようだ。叔母ともどもみんなでアイスクリームを食べる。帰りに洗濯物をもらって帰る。

 

今日は退蔵がじゅんぷうへ洗濯物を取りに行く日で、すみ子が施設を見学したいとさつきを連れて車で送ってくれた。さつきはこの前より太って丸くなり抱き応えがある。マツはさつきに夢中で手をさすったり頬っぺたを突いたりした。人見知りの最中のさつきは時々泣き出すしまつで私が廊下に連れて行ったら他のお年寄りや掃除のおばさんたちが赤ちゃんを珍しがった。

 

台風一過でよく晴れていた。空色が濃い。しかしまだ少し風あり涼しかった。

昼から「じゅんぷう」へ二人で出かける。マツはベッドですやすや寝ていた。ヘルパーさんに聞くと、食事はやはり進んでいないとのこと。一度部屋食にしてみたが結果は同じで、おかずもいろいろと試みてくれているようだった。

「昨日熱がなかったのでお風呂にはさっと入ってもらいました。」

とリーダー格の人が言った。足が見違えるほどきれいになっている。

礼子がマツを起こして、持ってきた二十世紀と巨峰を食べさすが、「おいしい」とは言うがあまり進まない。葡萄は甘くておいしかったのか剥いて差し出すと七粒ほど食べた。置いてあった栄養ジュースは口当たりがいいのか飲んでいるとのこと。

「しっかり食べんとまた点滴されるよ。」

礼子が繰り返すと、

「わかった。しっかり食べる。」

一応返事はしたが、どこまで本気なのかわからない。しかし、居心地は悪くなさそうである。

 

岸辺の家のご近所で鍵を保管していただいている石垣さんを訪ね、マツが「じゅんぷう」に入居したことを報告して、永らく保管してもらっていた鍵を返していただく。

「両隣が寂しくなります・・・」

と主人が口ごもるので聞いてみると、上隣におられた九十台のおばあさんは数ヶ月前に亡くなったとのこと。

 

退蔵夫婦が昼から「じゅんぷう」へ出かけた。マツはパジャマ姿でぐっすり寝込んでいた。風呂には入ったそうだ。週二回入っているとは立派なものだ。

礼子が起こして持ってきた二十世紀を食べさせようとするが、

「眠い、寝させて。」

の一点張り。それに果物を食べるのに入歯を入れようと礼子が探したが見当たらず、介護士に聞いてみるが分からない。マツが胸をしきりになでるので寒いのではと介護士に頼んでシャツを着せてもらうために起こしたら入歯が背中の辺りから出てきた。行った時「お腹が痛い」と言っていたのはひょっとしたら背中に敷いた入歯で痛かったのではと退蔵が言った。大騒動の末だったが、二十世紀も二センチ角くらいのを三切れ食べただけで、

「もうごちそうさん。ありがとう。」

と半分目をつぶっている。隣のベッドから、

「おいしい・・・ごちそうさん・・・ありがとう・・・言うてはる・・・」

と聞き耳を立てて物まねが聞こえてくる。

吉村先生も覗いてくださり、

「ちょっと酸素量が九十で低いけど、息切れもないので様子を見ています。」

とのこと。

「食事も細いけど、まったく食べないわけではない。何分お年ですからねえ。我々の想定を越えているので・・・」

と笑っている。

「また水曜日に来るから。」

と二人がバイバイすると、

「また来てやあ!」

とマツが退蔵の手を握り返した。

 

十一時過ぎにカレーうどんを食べてから、二人して早々に「じゅんぷう」に出かける。マツは寝てはいたが今日はパジャマでなく服に着替えていた。肩に触ると目を開けて、しっかり退蔵を認めた。先日送ってきた京都府知事からの贈り物を目の前で封を切り、中からいい柄の肩掛けが出てくると目を輝かせ、

「ありがたいことや。」

とそれを頬に当ててたり顔に当てたりして感触を味わっていた。知事からの書面にも目を通し声に出して読みながら感激していた。

しばらくして係員が車椅子で食堂に連れて行ってくれる。二人が見に行くと、マツはテーブルに並べられた昼食のお粥をスプーンですくって一口食べていた。抵抗なく一人で食べているところが嬉しかった。

 

クッションやなんかちょっと荷物があったので、退蔵は十時半にタクシーを呼んで「じゅんぷう」へ出かけるマツは入歯を手に握り締めて寝ていた。ちょっとだけ声を掛け、洗濯物を紙袋に詰めてすぐバイバイする。食堂で室長さんがお茶を勧めてくれたのでちょっと立ち話をした。

「いつもこの食堂に来ると、たくさんいやはるわ、年寄りばっかりや、て言わはります。」

「回りとも打ち解けてますか?」

と退蔵が訊いてみる。

「はい、となりの人としゃべってはりますよ。」

なんとか雰囲気に慣れてきてくれているようだ。

 

今日は昼から二人で「じゅんぷう」へ出かけた。マツは相変わらずすやすや寝ていた。礼子が声を掛けると薄目を開けて眠たそう。マツが自分で胸をさするのを見て、礼子が替わってさすってやると、

「ああええ気持ち・・・」

と嬉しそうにした。少し酸素補給が少ないのかもしれない。

十五日に散髪の予約をしておいたので、礼子は叔母がきれいになっているかなと期待した。どうも散髪をしてもらった気配がない。

「十七日に来たときどうやった?」

と退蔵に尋ねるが、彼はあまり関心がなく気付かなかったようだ。詰所に行って訊いてみても、要領を得ず、とにかく明日木曜日にやってもらうことにして引き上げる。夕方「じゅんぷう」から電話が掛かり、確かに予約金をもらっていましたと謝罪の電話があった。

 

今日も二人して昼から「じゅんぷう」へ出かける。向こうに着いたのが三時過ぎ、ちょうど皆おやつの時間で広間に集まっていた。マツは相変わらずベッドで寝ていたが、礼子が起こすと機嫌よく目を覚ました。持ち込んだアイスクリームを「おいしい」と食べたが、それも三分の一くらいで、

「もうお腹いっぱい・・・」

とのこと。木曜日に散髪をしてもらったようで、髪が短く刈ってあった。

「きれいになった。」

礼子が褒めると、マツは嬉しそうにした。

 

午前中に「じゅんぷう」へ行っておこうと退蔵と礼子は十時前に家を出る。マツは機嫌よく迎えてくれた。

「久し振りやなあ。」

「三日前に来たがな。」

おそらく毎日来て欲しいのだろう、と礼子は思った。

少しベッドの上半身を持ち上げて、アイスクリームを食べてもらう。三口ほど「おいしい」と食べ、「もうごちそうさん。」

窓から陽が射すのを見て、

「ええ天気やなあ。」

を繰り返す。事実はそんなにいい天気ではない。曇っていた。朝方は雨が降っていた。それでも窓は明るかった。出来れば窓辺の部屋に移してやりたかった。合服がなかったので今度来る時は洋服を買って来ることを約束した。

 

昨日買ったマツ用のブラウスが地味で大きいので、替えてもらいに礼子は夕方西友まで自転車で行った。百歳の人に少し派手かと思ったが華やかな花柄があったのでそれと取り替えてもらう。叔母のうれしそうな顔が脳裏をよぎった。

 

 

 

2005年10 平成17年

 

退蔵は十時二十四分のバスで「じゅんぷう」へ出かけた。今日は佐和子とすみ子が来るので一人で行った。

叔母は特に変わりなく過ごしていた。ちょうど昼食を摂って車椅子で部屋へ戻ってきたところだった。介護師に聞いてみると、食事も二割ほど食べているようで、風呂にもかかさず入っているようだ。今日は顔色もよく機嫌もよかった。

新しいセーターを見せても、

「まだこれでええ。」

と着替えさせられるのが面倒なようだった。

十一時半に帰ってきたら家の中はごったがえしていた。佐和子一家四人、すみ子とさつき、我々夫婦と総勢八人。昼食は手巻き寿司。これは狭い食卓に七人が座った。

さやかとマナの通信簿を見せてもらったがなかなかいい成績だ。さやかは今高校受験の準備期間で大変らしい。今日も夕方から塾があり、そのために佐和子たちは三時過ぎに利武君の車で帰って行った。すみ子もそれに釣られて間もなく帰った。

 

秋の長雨に入ったのかここのところうっとうしい日が続いている。そのせいか涼しいを通り越して少し寒い。今日は「じゅんぷう」へマツを訪ねる日だ。礼子はあり合せのリンゴと梨とぶどうを小さく切って持っていった。叔母は梨を三切れほど食べた。やはり以前と違って気力がなさそうだ。「家に帰りたい」と言いたいのをがまんしているのだろう。かわいそうだけれどそれをすると共倒れが待っているので口が裂けても言えない。礼子が胸を擦るとマツは気持ちよさそうにしている。

 

朝から激しく降ったり止んだりして一日うっとおしい日だ。

ちょうどマツは食堂でみんなと食事をしているところだった。退蔵が近寄ると、顔をしかめて、

「しんどい。早よ寝たい。」

と訴える。顔色も悪く姿勢が二つ折れになり小さくなっている。ヘルパーを退蔵が振り返ると、

「いつもここへ来るたびにそうおっしゃいます。それでもなるべくご自分で食事してほしいので傍から見ているようにしています。」

「今日はむりなんでは・・・」

「そうですね。しばらくしたら帰ってもらいますので。」

退蔵夫婦が部屋で待っていると、それでも五分ほどかかってようやく戻ってきた。ベッドに横たわるとすぐに目をつむって寝てしまった。担当の栄養士がやってきて、

「少しお話ししていいですか?」

ここしばらく食が進まないのだと言った。

「体重はどうですか?」

「ちょっと待ってください。資料を持ってきます。」

しばらくして彼女が戻ってきた。

「やはり入所時より二キロほど体重が減っています。それでも身長比ではぎりぎり正常内です。」

「正常不正常といっても百歳では計る物差しがないと吉村先生も言っておられましたから・・・。無理に食べさせていいものかどうか・・・」

と退蔵はそれとなく咎めた。

「そうですね。しばらく様子を見ます。」

「後はお任せします。」

と退蔵はそれ以上は物が言えなかった。

 

十時半頃ケースワーカーの田口さんから電話が掛かり、これから「じゅんぷう」へ行くが、そこで一度お目に掛かりたいと言うので退蔵が一人で出かけることにする。田口さんとは電話では何度か話したが、なるほどまだ初対面だった。

十一時四十分ごろ「じゅんぷう」に到着する。想像に反し、五十がらみの年配の男性だった。十五分ばかりの聞き取りで話は終わり、別れてからマツの部屋を覗くが、ぐっすり寝ていたのでそのまま帰ってくる。

すみ子と婿の信二が来ていて、昼食はうどんを食べ、一時半ごろからすみ子たちはさつきを置いて、今度のマンションの契約に伏見に出かけた。

 

昼食後夫婦で「じゅんぷう」へ出かける。マツはちょうど昼食中だったが、近寄って声を掛けると、

「もういらん。帰って寝たい・・・」

とつぶやいた。

ベッドに戻って、礼子がハーゲンダッツのアイスクリームを食べさすと、

「おいしい。」

と言ったが、それも三口ほどで、

「もうお腹いっぱい・・・」

一応目を開けて応対するのでこの前よりは元気そうだった。

 

朝から蒸し暑くじめじめと雨が降り続く一日となる。台風が日本列島をうかがっていて前線を刺激しているせいかもしれない。

マツは昼食を済ませ眠りに就いていた。寝言を言っているらしいので聞き耳を立てると、

「お母さん助けて・・・」

と聞こえた。家にいる時は独り言で「お父さん助けて」と言っていたが、無意識となると母親が浮かぶのだろうか?

礼子が熱心に胸をさすってやっている。

「ええ気持・・・」

とうれしそう。

「ありがとう。あんた手だるいやろ。」

と叔母が礼子を気遣った。以前のような明るさがないのがかわいそうだが礼子にはどうしようもない。

 

六時半に起きて退蔵は一人で鴨川まで歩いてくる。日の出の位置が大分南に傾いている。

昼食後「じゅんぷう」へ行く。マツは食後で気持ちよさそうに眠っていた。少し肩に触って起こしかけたが、

「眠たい・・・」

と言うのでそのまま寝かせておいて帰った。

帰りに京都駅に寄って、二十一日の観音寺行きの切符を買う。

 

観音寺の家を出る時には雨が降っていた。十四時発のしおかぜに乗り、岡山でひかりに乗り換える。新幹線の中で退蔵の携帯に「じゅんぷう」からまた電話が掛かってきた。気懸かりだったが、

「今新幹線の中ですので、五時過ぎに家から電話します。」

と断って電話を切る。

五時過ぎ家にたどり着く。退蔵がさっそく「じゅんぷう」に電話すると、顔と身体のあざが大きくなっているらしい。しかし黒斑のことより食が細ってきているのが心配らしく、明日先生の話を聞きに来てほしいとのこと。

「明日十一時に伺います。」

と返事をして電話を切った。

今日も阪神は十対ゼロでロッテに完敗する。

 

十時半に「じゅんぷう」に着いた。予定より早かったが、すでに吉村先生が待っていた。

「この四五日食事もほとんど食べてなくてかなり衰弱しておられます。特に痛みなどは訴えていないし、意識もはっきりしているが、この状態ではいつどうなるか分かりません。ここでは手当てはできないので、病院に移ってもらうことにします。」

とのこと。

「で・・・余命はどのくらいですか?」

と退蔵が唐突に尋ねると、先生はよどみなく、

「一週間ぐらいでしょう。」

と答えた。

「町田病院か堀内病院かどこかご希望はありますか?」

「堀内病院でお願いします。」

すぐさま先生が病院に連絡を取ってくれ、手配OKで、二時頃に移送の予定とのこと。退蔵は一度帰ることにする。

家に帰ったらすみ子がさつきを連れて来ていた。皆で昼ご飯を食べ、小休止ののち退蔵は礼子と二人で「じゅんぷう」へ向かう。着替えやなんかの荷物が相当ある。二時過ぎに寝台車が来て、マツと荷物と二人を乗せて出発した。マツは、

「助けて・・・助けて・・・」

と小声で呟いている。

「大丈夫。ベッドを変わるだけや。」

と退蔵。堀川通りを通って十分ほどで堀内病院に着く。若い先生に説明を受ける。というより、延命は望まないことを確認されただけだ。本当の主治医は工藤先生で、ここの理事長だそうだ。続いて担当看護婦長の聞き取りを受ける。かなり込み入った家族関係まで隅々まで聞かれるので、

「そんなとこまで必要なんですか?」

と退蔵がちょっとむっとした顔をすると聞き取りはそこで打ち切られた。その最中にすみ子が乳母車を押して病室に入ってきた。さつきをマツに見せると、さつきの手を握って、

「強い力や。」

と感心し、にわかに晴れやかな顔になった。

すみ子が来てくれたお陰で不用の荷物を車に積んで持ち帰ることが出来た。

夕方従妹の定子に電話して、堀内病院への移転の事情を報告しておく。

 

朝八時半ごろ定子が来た。観音寺のお土産をわざわざ取りに寄ってくれた。退蔵はもう一度マツの転院の経緯を手短に話しておく。あとで堀内病院へ見舞いに行ってくれるらしい。

区役所の田口ケースワーカーに電話で堀内病院に移転のことを報告しておく。

大阪の岸辺の分家にマツの近況を知らせ、お歳暮を断る葉書を送った。

昼から地下鉄で今出川まで行きそこから歩いて堀内病院へ行く。マツは青い顔をして眠っていた。看護師がやってきて我々を見て、

「四階へ移動することご存知やったんですか?」

「いいえ。」

「これから四階の一人部屋へ移ります。〇一二号室です。」

タイミングがよかった。新しい部屋は少し狭いが、寝たままのマツには別段差し支えない。窓から陽が差し込んでいた。

マツは心電図のモニター送信機を胸に付けられていた。退蔵が看護師に訊くと、やはり食事はほとんど食べていないようだった。もうすつかり衰弱していた。

礼子が花篭をマツの見える位置に置くと、

「きれいやなあ」

とほほ笑む。やはり頭ははっきりしている。食事はお昼お茶だけを飲んだらしい。礼子がマツの胸を擦るとあばら骨が「じゅんぷう」の時よりも一段とごつごつになっていた。

 

十二時過ぎに着いたが、病室に食事が届いていて、全く手が付けてなかった。マツはぐっすり寝ていた。礼子がマツを起こして少し食べさせようと試みたが、餡かけの汁を小さじに二匙とお粥を一匙、家から持っていったマンゴジュースを少し飲んだだけで

「もういらん・・・」

と力なく言い、弱々しく手を振ってみせた。お茶も吸出しから一口だけ飲んだ。入ってきた看護師さんも声掛けしてくれたが同様だった。まもなく再び寝入ってしまったので、一時過ぎまでいて黙って引き上げた。

旅行会社に電話して十一月十一日の東京行きをキャンセルした。一万円余のキャンセル料が掛かったが仕方がない。東京の長男にもメールで旅行中止を伝達する。

とうとう阪神が四連敗しロッテが三十一年ぶりの日本一になった。残念と言うにはあまりにもあっけなく完敗だった。

 

堀内病院から工藤先生が十二時半に会ってくださるとの連絡が入った。

昼十二時半に堀川病院へ行く。叔母は心地よさそうに寝ていた。昨日より顔色もよかった。しばらく待って工藤先生に会う。彼はこの病院の理事長でもある。先生は意外にも、

「なにも検査もしてないからうわべだけの観察ですが、急を要するとか危篤とかの状態ではありません。心音もしっかりしているし、食事がすすむようなら『じゅんぷう』へ帰ってもらうこともあり得ます。」

とのこと。

「よければ胸のレントゲンとか血液検査とかはさせてください。」

「それはかまわないです。」

ということで終わった。

夜、従妹の定子に電話する。叔母の病状について今日工藤先生に聞いたことを報告しておく。彼女によると、今朝見舞ったおりの叔母はしごく元気で、看護師さんとずいぶん話をしていたそうだ。

 

今日も十一時半ごろ家を出たが、退蔵夫婦が堀内病院に着いたら十二時を廻っていた。〇一二号室の前に立ったが名札が変わっている。ナースセンターで聞くと、部屋が替わったとのこと。〇二一号室は六人部屋だった。大分狭く感じる。そのためでもないだろうが、マツは元気がなく顔色が悪かった。ジュースも「いらん。」と弱々しく拒否する。ただただ眠いようだ。同室のだれもが同じ程度の容態だった。元気な病人は一人もいない。

礼子と二人でナースステーションに菓子折りを持って行くが、入口で看護師の固いガードで、

「すみません。いただけないんです。」

昨日はちょっと安心したが今日はまた「もう間近い」ような気になる。

 

夜中から雨が降っていて朝起きた時も雨だった。

カレンダーを見ていて退蔵はふと今日が自分の誕生日なのを思い出した。礼子に告げると、

「すっかり忘れていた!」

とのこと。本人も忘れていたのだから別にいいのだが、急遽夕食はすき焼きと決まる。

定子が八時半ごろ立ち寄って、彼女の父親(退蔵の叔父)の葬儀の時の領収書のコピーを参考にと渡してくれた。

夕方から寺町へ散歩に出る。誕生日プレゼントに礼子がサカエでえんじのベストを退蔵に買ってくれた。

 

昼、堀内病院に出かける。マツは相変わらず眠っていた。食事を摂っているようには見えなかった。

ところが隣の患者さんが大変で喉に痰が詰まるらしく二人位で「ゲーゲー」と痰を取っている。ずつとその状態なのでマツも眠っている方が聞こえなくて幸いだ。礼子が胸と足を擦ると「ありがとう。」と夢の中でつぶやいた。

携帯に定子からの電話が入っていたので何事かと確認すると、今日昼に退蔵が自宅を訪問すると思って待っていたとのこと。退蔵は昨日葬儀の領収書のコピーをくれたのでもういいと思い訪問を中止したが、悪いことをしたと謝った。

 

小泉内閣の改造人事が発表された。安部さんが官房長官になる。大したサプライズはなかったが、武部さんが幹事長を留任したのがサプライズと言えば言える。

堀内病院から電話で、あまり食事がすすまないのでカキ氷のような物を食べさせてみるのでどこかスーパーで買って来てくださいとのこと。

 

 

 

2005年11 平成17年

 

昨日看護師さんからジュースをゼリー状にして食べさせて見ますのでとの電話が掛かっていたので礼子はジュースを二本持参した。今出川通りのスーパーを探すがカキ氷はどこにも売ってなかった。今日は何時もより早く病院へ行ってマツが起きている顔を見ようとしたが、二人が堀内病院に着いたのは十一時半ごろで、マツはやはり白川夜舟でうつうつ状態だった。マツを含めて大部屋の六人はみな似たような寝たきり老人ばかかりで、すやすや寝入っているマツはその中では幸せな方だった。

目を覚ますとマツはお茶を一口飲み、礼子が足を擦ると、

「ありがとう・・・」を二、三回夢見心地で呟いた。

 

今日はもっと早く出かけようと、八時半まで朝ドラの「風のはるか」を見終わってすぐに支度をして出かける。同志社のあたりは人気がなかった。通学時間帯をはずれているのかと思ったが、よく考えたら今日は祝日である。今出川から堀川に抜ける細道もゆっくり歩けた。今出川通りは車の騒音が喧しいので最初から細道を渡り歩いて各家の前に並べてある植木鉢の草花や菊、はなみずきの紅葉等を楽しませてもらいながら歩くと案外早く病院に着くのだった。

九時半ごろ病室にたどり着いたが、マツは相変わらず眠りこけていた。礼子がゆすって起こし、お茶を一口と、置いてあった水菓子を一さじ食べさせたら、喉にスムースに通らなかったのか、えづくような動作をする。余計なことはしない方がよかった。しばらくしたら落ち着いて寝てしまった。同室の八十九歳の老婆はもっと深く眠っている。六十がらみの娘さんがいつも見舞いに来ているが、なにをしていいのかわからないようだ。礼子がマツの胸をさすっているのを見て、真似てさすっている。

家に帰ってから退蔵はある予感を感じ、もしも万一の時に岸辺の家の水道とガスが止まっていては困るだろうと思った。すぐにガス会社と水道局に電話する。ガスは明日にでも復旧してくれるとのこと。水道はいったん止めると復旧は新規設置と同じ扱いで申込みをしなければならない。明日にでも局に来てくれとのことだった。

夜、ヘルパーのSさんから電話で叔母の消息を訊いてきた。

 

今日は病院へ行かない日なので二人とものんびり過ごせた。午前中に岸辺の家のガスの復旧に来るので待っていると、九時半ごろ電話が掛かってきた。岸辺に出向いて少し待つとガスの工事屋さんがやって来てすぐに復旧してくれた。

退蔵は昼から水道の復旧を頼みに丸太町知恵光院の水道局まで出向く。三時半ごろまでに復旧しますとのことで、家に帰るとちょうど三時半だったが、確実なところは四時過ぎだろうとコタツでうとうとしていて、結局四時半に岸辺に確認に行くと、台所で水がざあざあ音を立てている。朝ガスの復旧の時、ガス屋がガス湯沸しの栓をひねって水が出ないのでそのままにしておいたのだ。一時間分ほどの水とガスが無駄になった。

夕飯時、堀内病院から電話が掛かって、明日朝マツが介護病棟に移るからと連絡してきた。

夜従兄の健一郎に電話で叔母の近況を報告しておく。

 

今日も真っ青な秋空だ。

早昼を食べて夫婦で堀内病院へ行く。マツはすでに二階の介護病棟に移っていた。思ったよりきれいで、四人部屋だからゆったりとしていた。ここなら「そうふう」に戻らなくとも充分だと退蔵は思う。マツは眠っているのか目覚めているのか分からない表情をしていた。礼子が眼鏡を掛けてあげたらと言うので、薄目を開けた叔母に退蔵が眼鏡を掛ける。

「よう見えるやろ?僕や。分かるか?」

マツはにこっとしてこっくりとうなずいた。しっかり分かっている。礼子も顔を近付けるとやはりにっこりしてうなずいた。それから少し元気になって、消え入るようだった声にも張りが出てきて、

「ありがとう。」

がしっかり発音できた。帰り際も、

「また来てや。」

としっかり言った。

 

退蔵は岸辺に立ち寄って水道とガスの点検をするが、湯沸しの水が少しぽとぽとと止まらない。パッキンとペンチを家から持って来て修理しようと道路にの水道栓の蓋を開けて中を覗くと五十センチほどの穴の底に栓が見える。手探りで腕を伸ばしペンチで閉めようとしたがなかなか自由が利かない。とうとう退蔵は人差指をペンチではさんでしまい血が滲んだ。栓を締めるのを諦め、湯沸しの栓を逆回ししたら水漏れが止まった。

退蔵は一人で昼から堀内病院に行く。ちょうど介護病棟のお昼時で食堂に三十人ばかりの年寄りが思い思いに食事をしていた。むろんマツの姿はそこにはなく、あいかわらずベッドですやすや眠っていた。看護師に聞いても、お風呂も拒否、食事も食べないそうだ。ガーゼに汁を湿らせて口の中に吸い込ませてなんとか二三匙分の水分を摂ったそうだ。今日も叔母に眼鏡を掛けてみるが、昨日のようには目を開けてくれなかった。

 

二日に一度の割で堀内病院へ行っているので今日は行く日に当たっていた。昼ごはんを早く済ませ、病院に着いたら十二時半だった。マツの寝室の向かいが共用食堂になっていて、今は昼食の最中だったが、マツは相変わらずベッドで眠っていた。今日はいつもより息が荒い。強くはないがいびきが聞こえた。こんないびきは今までも聞いたことがない。なんとなく退蔵には異常に聞こえた。胸に耳を近付けると、かすかな呼吸が聞こえた。呼吸の振幅といびきの振幅がずれていた。呼吸の方が大分速いと思った。看護師詰所に誰かを呼びに行く。若い看護師がやって来て、マツの指に輪っかをはめて何かを計り出した。

「なにを計ってるんですか?」

「酸素量を測っているんです。特に異常はありません・・・」

退蔵はちょっと安心するが、看護師が行ってからマツのいびきはさらに大きくなった。息も荒く、退蔵と礼子が交互に胸をさすってもなんの返答もない。しばらく見守っていると、すうーっといびきが消え、潮が引くように息が弱くなって、顔付きも安らかになる。呼吸が止まったように思えた。脇を通った看護師に礼子が、

「ちょっと変です。見てもらえますか?」

看護師がマツに近寄って脈を計る。

「動いてないみたい・・・」

それから皆が慌しくなった。看護師長やなんかが替わりばんこに見にやってくる。

「すぐ院長先生を呼んできます。」

マツの担当医はこの病院の理事長でもあった。五分ばかり待った。マツはどう見ても息遣いが停止したままだ。やがて先生が聴診器を首に掛けて急ぎ足でやってくる。マツの顔を覗き込み、目を開き、さらに胸に聴診器を当てる。

「心肺が停止しています。脳も活動していません。」

それから腕時計を見て、

「ええと・・・一時九分です。」

と二人に頭を下げた。退蔵も礼子も言葉もなく頭を下げる。

「大往生ですよ。安らかなお顔です。」

本当に美しい死に顔で礼子は見とれているうちに涙が出てきた。

帰宅準備にしばらく時間が掛かるので、まず葬儀屋に電話する。二時半に来るとのこと。次に退蔵は従妹の定子に連絡した。礼子を病院に残し退蔵自身は一旦タクシーで家に帰る。自宅から連絡簿を探してポケットに入れ、表に待たしたタクシーで再び堀内病院へ戻る。定子がすでに来てくれていた。まずケースワーカーの田口さんに連絡する。今度は礼子と定子に岸辺の家に帰ってもらい、部屋の片付けを依頼する。遺体処理の間入室を許されなかった退蔵は二時十五分ごろまで廊下の角で待ち続けた。やっと遺体に再会する。マツは薄化粧してもらい唇は紅をさしてまるで眠るがごとくだった。医者はマツの手の指が柔らかいと言った。

「これは長寿のしるしです。」

寝台車は二時半に堀内病院を出発、マツは七月に家を出てからようやく我が家に戻って来た。

マツの家では礼子たちが敷布団の用意をしたりストーブを下ろしたりして待っていてくれた。北枕で寝かせ、通夜と葬儀の打ち合わせをする。通夜は明日七時から、葬儀は十一日十時からと決まった。マツの友人にも連絡した。町内の石垣さん、町内会長、民生委員にも連絡に走る。定子は風邪を引いているのでそれ以後はうちに帰った。

夕食後、枕経を上げてもらうが、立ち会ったのは礼子と退蔵の二人だけだった。

マツの甥たち、町田、幸村に連絡する。退蔵の娘佐和子、すみ子、東京に住む長男の嫁さゆりさんにも電話する。午後十一時までマツの枕元で過ごした。

 

 

 

 

 

平成十四年以来三年十ヶ月あまりの長きにわたりお付き合いいただき

ありがとうございました。岸辺マツも百歳の天寿を全うし、やすらかな眠りに就きました。

その間付き添っていただいたホームヘルパーさん、訪問看護師さん、病院でお世話いただいた

先生と看護師さん、その他お見舞いや励ましをいただいた方々に、

マツの甥、沢村退蔵とその妻礼子よりも心から感謝申し上げます。