旅行5

 

 

 

 

 

 

2003.8.7更新 

香    港

デパートのレストランで貰ったアンケートに応えたら、数日後「当選」のハガキが舞い込んだ。香港三泊四日ペアーでどうぞ!ただし、よく読むと、一人目は確かに五万円の特別価格。ペアーの場合同伴者は九万円ご負担ください、計十四万円というのである。それでも浮かれた気分に浸って、生れて初めての海外旅行に、さっそく負担金を払い込んだ。時あたかも私は五十歳を迎え、長男も春には大学に進学していた。八十二歳の父に、「無料招待券が当たった」と告げると、「それはよかったな。行って来い。」 長男も高校生の長女も、「楽しんできたら」と言ってくれた。六年生の末娘だけはちょっと不満そうだったが無視することにし、会社には「泊りがけで田舎に行く」と適当に言っておいた。

 

香 港 島

 

昭和五十八年(一九八三年)

七月二十一日 (木曜日) 

六時前に起き出し、そそくさと空港バスに乗り込んだ。バスの中で自家製のミックスサンドをほうばって朝食を済ます。伊丹空港までは一時間以上も掛かった。

案内に従って空港ロビーに八時半に集合する。随分の人数だった。皆「当選ハガキ」にそそのかされて群れて来た人達なのだろうか。それからさらに待つこと一時間半、十時にようやくゲートが開く。キャセイ航空CX五二一便に乗り込んだ。国内航空には乗ったことはあるが外国へは初めてだ。スチュワーデスは外国人で片言の日本語で我々に接した。いよいよ十時四十分伊丹を離陸する。

やがて祖国日本の島影が視界から消え、海原が続いた。

途中、台湾高尾空港に給油のため着陸、小一時間機外に出ることを許された。ターミナルでトイレを使った桂子が、ドアが上下開いていたとぶつぶつ言う。再び離陸、十二時三十五分、ホンコンの啓徳空港に到着する。

着後、出迎えの専用バスに乗り込み、タイガーバームガーデンへ出かける。総勢五十名ほどの大所帯である。「タイガーバーム」というのは日本でも有名な塗り薬で、その会社の社長が私費を投じて作った公園が名所となっている。造りがマンガチックで、彩色がまたいかにも中国らしくけばけばしい。こんなところに長居したら頭がくらくらしてきそうだ。

市内観光後、エクセルオールホテルにチェックインする。三十六階建てで、テレビつきの立派な部屋だった。

十六時三十分、ホテル玄関より、専用バスで香港島観光に出かける。コーボーカク、リバレスベイ、映画「慕情」の一シーンとなったところなどを見て回る。

十八時半、アバディーンの水上レストラン「海角皇宮」で海鮮料理の夕食を食べる。どんな豪華な代物かと期待したら、小指ほどの小海老がはいった、香料がぷんぷんのまずい料理だ。

そのあとバスとケーブルでビクトリヤの丘に登り、世界三大夜景の一つ香港百万ドルの夜景を満喫する。家内はそこで香港風景の幻灯を買う。

二十時ごろホテルへ戻る。

 

七月二十二日 (金曜日)

朝起きがけに、ホテルの近くを散歩してみる。中心街に位置するが、まだひっそりしていた。海岸べりに漁船が数隻停泊している。ホテルの近くに大きなビルが立ち並ぶ中に、大丸デパートが進出してきていた。開店前で店内を見ることはできなかった。八時半にホテルのレストランで朝食。

九時半、ロビーに集合してからバスに乗り込む。その後二階建て電車に乗り換えて、香港市内、ビクトリヤ湾岸などを観光する。香港の風景写真に必ず出てくる名物電車で、車体の前、腹に「仁丹」や「味の素」など日本メーカーの広告が仰々しく描かれている。窓はガラス無しなので涼しい。

その後再びバスで九龍半島へ出かける。難民アパート、サーテイン、ロンション道などを見て回る。アパートの窓という窓から竹ざおが突き出され、洗濯物が表通りに堂々と干されている。建築中の高層ビルの足場はなんと全て竹ざおだ。その足場が十階建て二十階建てまでみごとに組まれて伸びている。

十二時半、市内レストラン「美麗宮」で、広東式飲茶(ヤムチャ)の昼食を摂り、食後、バスでショッピングに出かける。免税店で、桂子は飲めもしないのにブランデー(DXシャボー)、シャネルNO5、ニナリッチ、などを買った。帰りのバスに乗り込むところで、窓越しに物売りが群がるので、千円の手押し布製鞄を買ったが、これはなかなか利用価値があった。

一旦ホテルへ戻る。

夜はオプションに参加する。十七時四十五分ごろからマンダリンシアターへ行き、中国古典舞踊「京劇」のさわりを鑑賞しながら広東料理を食べる。ちょっとした殿様気分が味わえた。

  

以下2003.8.17更新 

 

マカオ、中山県

 

七月二十三日 (土曜日)

六時半、モーニングコールで起こされる。

ホテルのレストランで朝食をとった後、今日は朝から、オプショナルツアーに参加する。七時半にホテルを出発、バスに二十人ばかりが乗り込んだ。水中翼船に乗ってマカオに行くのだが、乗船場に向かう途中、パスポートの点検があり、ガイドさんの手元に私のパスポートがないので、一時大騒動になる。ガイドさんも青くなって探したところ、他の人のパスポートに表紙のビニールカバーがぴったしくっついていたことが判明して一同大笑いだった。ガイドさんもさることながら私自身もほっとする。

マカオでは、壁一枚が残っている聖天主堂跡、中央砲台などを見る。ここでも物売りの子供が付きまとい、路上で日本の古銭、一円銀貨を、恐らく偽物だと分かっていながら買わされた。

マカオからいよいよ中国領中山県に入る。腰に拳銃を吊った中国軍の兵隊がバスに乗り込んできて、真剣な目付きで人数を読む。一回では不安なのか二回繰り返す。やっと出発したが、道すがら、だだっ広い土地に高層建築がいくつも建ちつつある風景に出くわした。ホンコン返還に向けての、新経済圏建設の最中ということだった。

赤いレンガ造りの孫文の旧居や、孫文ゆかりの中学校(これも赤いレンガ造りだった)などを見学する。

中山県内レストランで炒め物の多い昼食をとる。

帰りに、再びマカオへの国境で兵隊が乗り込んで来て、人数点検する。ところがどうしてか、入国時より一人多いのか少ないのか知らないが、数が違うという。怒ったような顔をして何度も何度もくどいほど数え直す。三十分ほど掛かってやっと通してくれた。「お待たせしました。」とも言わず、一体どのようにして埒があいたのか聞いてみたいところだった。

マカオの売店で、桂子はヒスイの指輪を買う。「安い」というからそうなのだろうが、形は大きかったが色は薄いように思う。

再び水中翼船で香港へ渡り、十七時ごろホテルへ戻った。

十九時、ロビー集合。市内レストラン「四川楼」でちょつと豪華な夕食をとる。

夜はまたオプションに参加。旅慣れた人はあまりオプションに参加しないのか、我々のグループで参加者は数名だった。船上ナイトクラブでの、ダンスパーティー。お酒は呑み放題だが、我々はろくろく呑めない。フリーダンシングにも誘われたが、とうとう椅子から立ち上がる勇気がなかった。それでも楽しさをそれなりに味わった。

二十三時近く、ホテルに帰館する。

 

七月二十四日 (日曜日)

五時ごろから起き出して、荷物の整理をする。千円で買った鞄が大層役に立った。八時に、モーニングコールが鳴ったが、その時にはすっかり用意が整っていた。八時半。ホテルレストランで最後の朝食をとる。

九時にロビー集合。託送荷物の確認後、ホテルを出発。新免税店でまだ少し小物を買い込み、しばらくそのあたりをぶらぶらする。人ごみがすごい。

午後、専用バスで香港空港へ。十四時四十分の、CX五二二便に乗り込み、機内でやっと昼食にありつく。

大阪着は二十時十五分だった。

 

一応これにて「旅行記海外編」を終了とします。