手記

 

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手  記

 

子どもの「お話」を記録して

川 村  晟

 

   ″退屈ども″の三題ばなし

 

 雨の日曜日など、幼稚園と一年ぼうずの遊び相手をしてやるのはまったく気骨の折れることである。ページワンを五へん、神経衰弱を三べん、ぼうずめくりをもう数えるのも面倒なほど……。

「さあ、もう自分たちで遊びなさい。」

「遊ばれへん。どっか行こう。」「なんか買うて。」

「あかん!」

とどなると、いきなり背中に空手チョップ。

「けんかごっこやろ。」    

いたって弱虫のくせに太郎(六才)は、私や妹の加奈子(四才)には、すぐにひざ蹴りやライダーキックで向かってくる。私は負けてやらない。太郎の首ねっこを押さえてつけておいてから、

「やめろ、やめろ。」

「そんならかわりになにしてくれる?」

 紙芝居程度では、子どもたちはうんといわない。家内はなにかというとすぐに本を読んでやるのだが、私にはひどく大儀に思える。

「題を三つ出してごらん。」

 落語の三題ばなしである。出まかせにお話をしてやる。

「今度は太郎やってみろ。」

 鉛筆とマッチと椅子と。鉛筆がロケットになってお月さんに行く話。なんとかつなぎ合わせる。加奈子も、「私もやる」という。話はでたらめだが、これなら私はただ寝っころがりながら聞いててやればいい。むろん私には、こんな話を記録しようなどという気持はさらさらなかった。

 ただ、小さな退屈どもが遊びをねだるとき、この名アイデアを私はちょくちょく切り札にした。しかしどうしてみても、おもしろいという具合にはいかなかった。「ふん、それから?」と合いの手を入れてやるだけで、いいかげんうんざりしてくる。うんざりついでに、いったいどこにつまらなさの原因があるんだろうとせんさくしてみると、理由は三つ考えられた。

 一つ。話し方がたどたどしくて、よけいなつなぎ言葉がやたらと出てくる。

 二つ。内容が平板で、大人の想像力を刺激しない。

 三つ。身勝手に話の筋を変える。しまいにはさっさと投げ出してしまう。

 

 今一つ、適確にはいいあらわせないのだが、こんな例もある。「うさぎ」「スリッパ」「リボン」という題だったと思う。たいていなら、うさぎの足にスリッパをはかせ、耳にはリボンをゆわえる、と、こんなところが自然な筋立てだろう。ところが子どもたちは(とくに加奈子の場合)、いきなりこんなふうにつないでしまう。

 ……うさぎさんがやってきました。つぎにスリッパがやってきました。さいごにリボンがやってきて、みんなでおにごっこをしました……。

 

 でも考えてみれば、はたしてこれが欠陥といえるかどうか。これが子どもたちの特色といえばいえる。つまり以上のことを承知の上で、その一見でたらめな話に耳を傾けはじめると、思いがけなく新鮮で、大人の考え及ばない世界みたいなものがかいま見られるな、と考えはじめたのは、そんな遊びの繰り返しののちにである。ある日、私は紙と鉛筆を用意して、漠然とした期待と冗談の入りまじった気持で、こう宣言した。

「さあこれから毎日一人一つずつお話をしなさい。ずっと続けて、たくさん溜まったらお父さんがそれを本にしてやるから。」

 このくわだてが、半年後に挫折するにいたるそのあらかたの責任は、私自身にあった。わが子のおそまつなつくり話を金の卵にたとえるのはおもはゆいが、どうやら私はせっかちにも、にわとりをしめてしまったようだ。その結果はあまりにも童話的でない。

「この家はお話をつくらせるからいやだ。」

と太郎に手ひどい一言をあびせられて、あきらめるにいたるのである。

 

  うんこは皮の外

 

 でもなんとか、お話集はできるにはできた。集まった話の数は、太郎のが四十三、加奈子のが四十四と、合わせて八十七編である。といっても一編が四百宇詰め原稿用紙にして一枚程度の掌編なので、全部合わせても百枚をようやく越える分量にすぎない。それは童話と呼ぶのもこころもとないしろものである。

 

 かにさんがちょっきんちょっきん、ごはんをたべていました。おかずはおつけもんと、たまごでした。たまごがすべってわれてしまいました。それで、もう一つもらってきて、ミルクセーキにしてたべました。(加奈子の作品)

                                        

 ブリブリという名の犬がいました。いつもぶりぶりっとおならをこくのです。

 ある日、またぶりぶりっとおならをこきました。つづいてまたぶりぶりっとこいたとおもうと、ついにうんこをたれてしまいました。

 「うわあ、きもちがわるい!」

  ブリブリはおおいそぎでおしりの皮をぬごうとしました。でも皮はぬげないのです。

 「これはたまらん、くさい、くさい!」

 といいながらかけていきました。(太郎の作品)

                                         

 どこの家庭でもこの種の一つや二つは、きっと子ビもたちにきかされていることだろう。その上私には、加奈子が「かにさん」といっしょに゙生活″しているのを感じる。「ブリブリ」が、パンツをぬぐように皮をぬごうとする、ここのところで、家内も私も吹きしてしまった。三、四へん繰り返してきいたあとで、やっと加奈子なんかその矛盾に気付く。            

「にいちゃん、うんこは皮の外へ落ちるやんか。」

 実際どこの子どももこんな類いの話が大好きなのだ。

 

  千円くれてもせえへん

 

 大人から見ればずいぶんでたらめのような話も、子どもたちにとっては「制作」なのだから、あまり楽な遊びではない.そうそうすらすらとお話が飛び出してくる道理がない。ついネタ切れになる。話の筋を誘導したりすることは避けなければいけないが、気を散らしたり、投げ出されてはしようがないので、注意をうながす。その方法が時折り度をすごしたこともあったようだ。

「しっかり考えなさい!」

と頭をこづいたり、どなったり。これでは子どもたちが、オルガンの練習をいやがるのと同様、お話をしたがらなくなって当たり前だ。ガムかみながらであろうと、食卓の上にひっくり返ってしゃべろうと、お行儀のことはあまりやかましくいわなかったにもかかわらずだ。

 毎日一人一つずつのペースにはいろいろ悪条件があった。会社勤めの私がつい日曜日の、それも午前中に、一週間分を取り返してやろうと欲張って、一度に一人五つものお話をねだった。子どもたちが進んで話してくれたのは、せいぜい一カ月くらいまでで、次第になだめたりすかしたりがはじまった。そのうち報酬も与えてしまう。一編十円から、おしまいのころには五十円に値上がりした。それでもテコでも動かなくなり、

 「千万円くれてもせえへんで。」

という事態にいたる。浅はかにも私は種々その方法を誤った。まことに親とは勝手なものだ。

  

  太郎のはなし・加奈子のはなし

 

 太郎の話にどうして天国がしばしば登場するのか、私にはわからない。うさぎを食べるのがかわいそうになって、かわりに自分の指を食べて天国へ行く「モン吉という名の虎」の話。これには信仰心の乏しい私はずいぶん驚かされた。子どもは瞬間的に残忍であったり、天使であったりするものなのだろう。また太郎の怪獣話には、正義の味方スーパーマンが現われないが、それも謎といえば謎だ。おかげで二度までも地球はめちゃめちゃにされて、ついに滅んでしまう。

 それにひきかえ、妹の話では、一度天国にやられたゴキブリが人間の子どもに生まれかわったり、あまり悲劇は起こらない。またどうしたわけか、平気で加奈子は人まねをする。

「ジャックと豆の木」。「きつねとつる」。「桃太郎」。題名からしても借りものだから、うっかりしていると乗せられてしまう。家内がかたわらから、「その話、きのう買うてやった雑誌に載ってたエ。」と耳打ちしてくれるまで気が付かない。

「そやけど、さいごがちょっとちがうもん!」

とうそぶく。因ったことに、そのまねになかなか捨てがたい味があったりする。兄のつくった話の焼き直しだと知りながら、つい加奈子に軍配を上げてしまうこともあった。

 

 太郎と加奈子の話を比較すると、かなりはっきりした違いが見られる。違いの生ずる原因は、性格、性別、年令などいろいろ考えられるが、なににもまして、六才と四才の「次元差」がそこにはある。太郎の話にはものの道理と常識がちらつき始めている。とくに結末部分にそれが現われる。ちょうど手品の種明かしの感じである。それは太郎自身が問題の答を求めている証拠と思える。ところが加奈子のはまったくおかまいなしである。好きなことを好きにいって終わる。夜中になると針が一本になる「お化け時計」(太郎作〕の結末では、科学者が現われて、針が一本取れていたのを見まちがえたのだろうと、あっさりお化けの存在を否定する。如奈子の「ゆうれいのおうち」はそれにひきかえ、次のように自分の気持に忠実だ。

 ――みんなはこわいので道を歩けないで、家の中を歩くことにしました。けいさつだけが道を歩きました。――

 一概にはいえないが、太郎の話はすこし暗く、社会の入り口の匂いがする。加奈子のは多分に楽天的といえるだろう。もちろん二人ながら例外があり、逆な場合もある。

 

  弁解がましいかも知れないが……

 

 太郎と加奈子のお話集の中身は、一口でいえば、子どもたちの机の引き出しを引き開けたようなものだ。 一目ではがらくたとしか映らない。しかしふと、遠いむかしに自分たちが通りすごした幼な心に立ちもどって、もう一度ながめると、なにかそこに、大事なものがかくされているような気がしてくる。私はそれらを、なかば「親の権限」で手に入れた。でも、もし私より賢明なお父さんお母さんが、その気にさえなれば、もっと豊かな宝ものが、もっと楽しい方法で収集できるにちがいないと、私は考える。 お話ごっこが破綻してはや一年近くが過ぎた。もうそろそろ時効かと思って、先日、「お話、またやるか」と誘惑してみたが、

「一生やらへん!」      .

 即座に返答がはねてきた。つぎの機会には失敗は繰り返さないぞ。そう心に決めて、去年の暮れに生まれたばかりのゆき子を見ると、親の気持を察してか、、急に泣き出した。

 弁解がましいかも知れないが、最後に、この「お話ごっこ」で子どもたちが、百パーセントなにも得なかったとは、私は思わないといいたい。その一番の獲物は、子どもたちの母親のつぎの言葉のとおりのものだと思う。

「このお話集は世界中でたった一つしかあらへんのやで。あんたたちが自分で作ったんやからな。」

                              (かわむらあきら/会社員・京都市在住)

 

 

福音館書店「母の友」1972年11月号掲載

 

 

 

 

 

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