単身赴任2

 

 

 

 

 

 

単身赴任日記

第二章 春から夏へ

2005.3.16追加更新 

四  月

 

今朝は異状に寒かった。

稲荷参拝日だったが、私は出ない。十一時からは入社式があるので、それには出席した。新入社員は三十人だった。私自身長良河畔ホテルに入社して六ヵ月経った。次第に会社行事から遠ざかろうとしている自分がいた。会食も欠席して事務所に戻り決算関係の仕事の続きをやる。

 

翌朝は六時に目が覚め、うとうとしていたら八時前になってしまった。カーテンを開けたら陽射しがサンサンと入ってきて、快晴である。

しかし仕事の方は冴えなかった。こんを詰めてやっていると、この頃少し背中が痛い。いつ果てるとも知れない仕事の連続である。それでも償却計算はほぼ終わった。昼からは、もう新年度が始まっているというのに支出予算を見直すことになる。説明が足りないというからまた一から説明書を書き直す。今夜も十時半までやることになる。取締役とK君もまだ残っていた。

 

礼子から電話で、咋日の法事には叔母の兄弟の代表としてその息子たち、つまり町田健一郎、幸村民夫、岩佐勝男が出席していて、欠席は私だけだということだ。叔母は私のことを怒っているらしい。私の家は伯母の実家、つまり「本家」だというのだ。その長男の私が欠席というのが叔母には許せなく思えたようだ。

その席で、従兄の民夫がゴールデンウイークに新みやびホテルに一部屋予約したいのでと私になんとかならないかと頼んだそうだ。彼は呉服を商っていて、一度は倒産の憂き目に遭っている。礼子も私が駄目と言うだろうと思って断ったらしいが、彼がくどくど頼むので困ってしまったようだ。 

昼前、新みやびホテルのN次長に電話してみる。電話の向こうで、「幹線食堂の沢村さんが長良河畔ホテルで初めて頼まれはったんやさかい、何とかしたげて。」と言う声が聞こえてくる。そして、五月五日を押さえてくれた。さっそく礼子に返事する。

 

昨夜は小一時間頭が冴えて寝付かれなかったので、今朝はまだ少し疲れが残った感じだ。

予算会議の資料作りでさらに午後一時までかかりきり、それから食事に行く。二時から経営企画会議。その冒頭で経費予算を審議する。各所からの希望を大幅にカットしたので、その趣旨説明を私がやったが、案の定各課から不満が沸き出した。ひどいことに、新年度も始まらないうち、予算も確定してないのに、先ぐりで子算額の八十%も発注済みになっている。これは経埋の責任ではない。あえて言えば社長の独断先行の結果である。肝心の社長は中座中座で、意見沸騰の最中には姿を消していた。あとは取締役が何とかまとめでくれた。その後は営業サイドの話が長々と続く。取締役が、「沢村さん、決算があるから中座したら?」と助太刀してくれたので五時過ぎに私は事務所に戻ることが出来た。

今日は新館の管理人の家で桜祭りの席があるから行きませんかと取締役に誘われて九時にでかける。広い庭で夜桜はちょうど満開だった。Y副支配人、H部長も来ていて、昼間の予算の分捕り合戦の話になり、お互い胸を開いた感じとなった。十時過ぎ、太田課長の車で送ってもらって帰る。少し晴れ晴れとした気分で、久し振りに風呂を沸かす。

 

伝票が次から次から回ってくる。判を押すだけでどんどん時間が経っていく。

食パンが切れているので社員食堂で菓子パンを買う。昼からも座り詰め、やってもやっても仕事が沸いてくる。

 

昨夜は心臓にペースメーカーを入れている夢を見た。太田課長が不整脈が出ると言ったのが頭に残っていたのだろう。曇っていた。この分では昼からは雨らしい。

礼子から電話が掛かった。孫の名前はまだ決まってないらしい。

十時半から総務経理会議。昼からは「五時」を頭に置いて調整しながら仕事をした。五時になったところで、取締役の方から「もう時間じゃないですか。」と催促された。

雨の中をバス停まで歩いた。グランドホテル前の土手の桜が満開だった。

新幹線のホームで缶ビールを買い、出張帰りの気分で飲んだ。おかげで顔を赤くしての帰宅となった。赤ん坊はまだ名無しで眠っていた。夕食後、腕まくりをし産湯を十何年振りに私がつかわせる。佐和子やすみ子の時のことを昨日のことのように思い出してしまう。気持ちよさそうな表情も変わらない。

 

朝の九時に床屋に出掛ける。随分念入りに刈ってくれたので終わったら十時二十分だった。家に帰ると桂の叔父叔母がもう来ていた。二階の赤ん坊を見てくれた。彼等の住まうマンションの保証人に私がなっていて、その更新の判を貰いに来たのは二の次となった。叔父は補聴器を着けていていつもよりよく喋る。二人して赤ん坊を順番に抱きっこして、十二時過ぎに娘のところへ寄るからと帰って行った。

昼から礼子と二人で円山公園へ花見に出掛けた。触ればはらはらと散りそうな花加減で、最後の日曜日とて人出も大変だった。庭に緋鯉の泳ぐ茶店で草わらびと甘酒を一つずつ取り分け合って食べた。帰り道、高島屋に寄って孫のためにオルゴールメリーを買って帰ったが、佐和子が目を真っ赤に泣き腫らしている。名前のことで姑と意見が合わないらしい。

夜はみんなとすき焼きを食べてから岐阜へ出かける。佐和子に、赤ん坊のためにも自分の体のためにも、妥協しなさいと言い残して家を出る。

気になって長良川に着くと同時に電話してみる。佐和子が出て、「さやか」に決まったことを聞きほっとする。

 

また数字とのにらめっこが始まった。決算ではあるが月次と同じ手数は踏むのでその下準備をする。

今夜はナイトマネージャー当番である。八時半ごろ副支配人が電話してきた。三十分ほど遅れて行くからと答えると、決算で忙しいのを知っているから、泊まりも少ないしどうぞと了解してくれた。

九時半頃いったん寮に帰って礼子に電話する。利武君が来てるからと電話口に小声で、昼間舅と少し「やり合い」があったことを打ち明けた。

九時四十分ごろフロントに行くと、クラークのM君が、今日は何もありません、なんなら部屋のキーを渡しましょうか、と言う。いくらなんでもと思って一廻り巡回する。十時に戻ってきたら本当にキーを渡してくれた。部屋は応接セット付きのスぺシャルルームである。副支配人が気を遣ってくれたのかもしれない。セミダブルのベッドでさっさと寝ようとしたが、これが寝付かれなかった。結局一時過ぎまでごろごろと起きていた。

 

六時過ぎに目が覚めてしまう。部屋はスペシャルでもカーテンが薄く、朝日が透けてどうしょうもなく明るい。それでもぐずぐずしていたらフロントに降りるのが八時になった。今日は快晴である。春たけなわで長良川対岸の桜が美しい。

「客室改装に伴う建物設備の除却」について、処理の方法を税務署に聞きに行く。相談室長に相談したのだが、今一つ要領を得ない。それを報告すると取締役はもう一度自分が行って法人担当官に会ってくると言う。結論は分かっていたが「どうぞ」と言っておく。

今日は九時半に引き上げた。取締役も風邪を引いていて彼といっしょに事務所を出た。

 

昨日の快晴はどこへやら、今日はもう曇っていた。春の天気は変わりやすい。

午前中資産台帳の整理をする。午後、仮締めの数字が出たのでまとめに掛かるが、どうも算盤の滑りが悪い。曇っていて空気が湿っているせいばかりではない。指先が疲れている。取締役が税務署に寄ってきたらしいが、やはり私が聞いてきたことから何も変わらなかった。納得したらしい。

八時過ぎ取締役が、

「沢村さん帰ってよろしいですか。」なぜか私に聞く。

「どうぞどうぞ」

ところが、なかなか帰らない。私の方が疲れて、九時に、

「引きあげます。」と頭を下げるとやっと自分も腰を上げた。

家に電話する。すみ子が出たので、「さやかは元気か?」と聞いたら、「今おっぱいを飲んでる。」と答えた。

 

決算の仮締めをして決算予想を立てた後で、取締役が利益は三千五百万円くらいがいい、そうしてください、と修正を命じた。償却の計算からやり直す。除却が変われば償却も変わってくるので、僅かのことでもあちこちの表を書き替えなければいけない。大変な手間である。

決算事務の担当をもう一度見直そうと取締役が言い出した。要するに取締役がやることになっていた一部を私に振り向けてきた。風邪をひいて弱気になってるみたいだ。八時過ぎ、またまた、

「沢村さん、悪いけど帰らせてもらいます。」と、今日は本当に帰っていった。私も、喉のあたりで風邪の菌が繁殖するのを感ずる。それでも十時半までやるが、総務のK君はまだ頑張っている。

 

咋夜はちょっと寝付かれず、電気を点けて雑誌を読む。寝たのは一時半だった。それなのに今朝は六時過ぎに目が覚めてしまった。

取締役は体調が悪く昼から出勤すると交換台を通して伝えてきた。しかし、再び、「決算が心配だからこれから出勤します。」と電話があり、十一時ごろふらふらとやって来た。二時に社長に決算の仮締めを説明することになった。とにかく急げ急げと取締役がハッパを掛けるものだから、総動員して帳簿残高の確認をやりながら、私が最後の調整伝票を起こす。五時には到底帰るとは言えなかった。

七時二十分までかかって伝票を切り終わってやっと帰り支度を始める。

「羽島までタクシ一に乗って帰ってください。」と取締役がチケットを呉れた。それでも家に着いたのは九時を過ぎていた。ちょうどさやかの行水がはじまるところだった。さやかは帰るたびに大きくなっているような気がする。 

 

さやかが夜泣きするので寝不足のまま六時前には起き出す。

今日は利武君の妹、静子さんの結婚式に招ばれている。

阪急の急行に一台乗り遅れたが利武君の迎えの車も停滞に巻き込まれて遅れ、茨木を出たのが八時二十分だった。千里阪急ホテルには九時前に着いた。外村のおじいさんに挨拶すると、いきなり曾孫の名付けの話になり、大分ご不満のようだった。

利武君に茨木まで送ってもらって家に着いたのが五時半だった。

夕食後さやかの産湯を私が入れてやる。

 

礼子は昼ご飯もろくろく食べないで、昼早々にお隣の奥さんと岡崎の美術館へ出掛けて行った。六時過ぎに礼子は両手に買い物をして元気よく帰ってきた。彼女のスタミナにはいつも感心する。

晩、長良川に帰るバスから長良球場のライトが砿々と眩しく、ナイターが延長戦をやっていた。

 

七時半までよく寝たと思う。快晴である。

取締役は咳をしながら出勤していた。連休後の仕事は体が付いていかない。そろばんが指になじまなかった。取締役と太田課長と私で決算を進めるのだが、なにから手をつけていいか分からないほどの忙しさである。私もまだもうひとつこちらのやり方に馴染んでないので、ちぐはぐのところがあった。昼から、去年の監査役の指摘事項についての対処を三人で相談する。私もいろいろ意見を述べるが、取締役はいざとなると私の忠告に二の足を踏む。私も強要はしない。またまた遅くなった。安藤取締役は九時過ぎ、行くとこがあると席を立ち、十一時前、私は引き上げたが太田課長はまだ頑張っていた。

 

今日もフル運転の一日が始まった。昼食後も夕食後もほとんど休みを取らずに机とにらめっこ。私が数字を提供し、取締役と太田課長はワープロで清書してくれた。日常の仕事は片側に置いておく。

太田課長はワープロを取締役に独占されていらいらしている。そのことを口実にはしなかったが、むっとした顔で九時を過ぎたところで彼は引き上げた。

私はなんとか十時過ぎまでやる。取締役は咳をしながらまだがんばっていた。

部屋に戻り缶ビールを買ってくる。仕事仕事で日記を書く材料もない。ゴルバチョフ大統領が来日したが、今日の第一回目の海部総理との会談ではたいした話題もなかったようだ。

 

今日もいい天気だ。しかし散歩に行く元気はない。

今日は下川係長が休みである。彼女はこの頃自分の仕事にだけ集中して、余分なことには拒否反応を示す。係長の机が空いているので、その分書類を広げるスペースが増えた。なにしろいろんな書類を一挙に作ろうとすると、その中からある一枚を取り出すのが大変なのだ。

昼時間、玉子を買いに行く暇もない。

前期末簿価がどこかで四千円違う。合間を見てチェックし、やっと三回目にして見付かった。ほっと肩の荷が下りたが、どこかシステム上の欠陥があるようだ。

春闘が妥結した。私には無関係だが6.58%アップである。

十時過ぎ、安藤取締役が、「もう引き上げましょうか?」と自分から言い出した。

 

目が覚めたら時計が八時三十五分を指していて、一瞬目を疑ったが、間違いようもなかった。慌てて飛び起き、トーストにかぶりついて紅茶で流し込む。昨日と打って変わって雨空だった。

出勤してみると取締役はまだだった。十時ごろに電話が掛かってきて彼はとうとうダウン。一日休ませてもらうとのこと。

決算の目途が付いたので私もちょっと気持ちが和らいだ。

太田課長は咋夜ナイトだったこともあるが、取締役が休みなので七時過ぎにさっさと帰ってしまった。総務部長も春闘が終わってほっとしているようだ。八時には皆帰ってしまった。私も九時を過ぎたところで電気を消して引き上げる。

 

取締役は今日はもう出勤していた。まだ咳は止まっていない。

十時四十五分から決算収支の社長説明。

昼の休み時間に寮のガスメーターを取り換えに業者が来た。マイコンメーターとかで、ガス洩れ、風呂の炊き過ぎでもガスがストップするらしい。

今日は五時きっかりで引上げ、新幹線ホームを走って六時九分のこだまに間に合った。七時十五分には家に着いた。すき焼きとさやかが待っていた。さやかは今日はもう四千二百グラムとなっていた。佐和子も久し振りにスカート姿ですっかりお腹もへっこんできていた。

 

十時半頃、小川さん夫婦と利武君がやってきた。さやかは利武君から小川のお母さん、小川のお父さんの腕と、代わり番こに行ったり来たりした。

礼子が宮参りの着物を広げて見せる。いろいろ不要な長物がセットされてるものである。贅沢と言うよりばかばかしい。小川夫妻は三時過ぎまで話し込んでなごり惜しげに帰って行った。

今日は最高によい天気で爽やかだったのに、のめのめと一日を無駄に過ごしたような気がした。

少し早い目に出て、新幹線コンコースの売店で、事務所の土産に「きんつば」を二箱買う。今夜は春冷えである。

 

七時三十分に起きる。この宿舎は東向きで、しかもカーテンが薄いから朝早くから窓辺が明るい。当初は押入れの襖を四枚はずして窓に立て掛けて寝たものだが、最近はそれも面倒で、また慣れてもきたので、今は自然に任せている。

充分寝た積もりが気分はすっきりしない。

無償供与明細というのを書かされた。大して意味もない明細だが、それが結構手間が掛かる。「いい加減でよろしいですよ。」と言うのだが、いい加減がまた判断の苦しむところだった。

安藤取締役が明後日関鉄本社に説明に行くので、山ほどの資料を持っていく。太田課長と私と三人で、とうとう今日は十一時半までやってしまった。

 

明日いよいよ関鉄本社に取締役が決算説明に行くので、それはもう大変だった。やっさもっさ、あの資料この資料と作りに作る。取締役のスタミナには参ってしまう。

夕方五時半から、部次長で昇給昇職の審査会が開催された。係長以下の部員の昇職を裁定しようというのである。何も彼もオープンな会社であると感心する。しかしそれも中途で退席して決算に掛かりきる。

やりにやって真夜中の十二時を回り十二時三十分に私は引き上げた。取締役と太田課長はまだやっていた。

 

昨日寝付いたのは一時を回っていたが、今朝はいつもどおり七時半に起きる。

九時前に出勤したら、下川係長の話では、取締役は八時過ぎに出勤してきてワープロを叩き、ろくろく口もきかずに大慌てに車で出て行ったとのこと、ここまでくれは頭が下がる。

雨が降っていた。

十二時過ぎに取締役から電話。五時過ぎにまた電話。六時過ぎに新大阪からと言って三度目が掛かってきた。私は資産台帳の綴じ替えをやりながら、九時半まで待ったが帰って来なかったので、引き上げて久し振りに風呂を沸かす。

 

昨夜はなぜか寝付かれなかった。二時近くまで電気を点けて雑誌を読む。

朝、雨は止んでいて日が射していた。

安藤取締役は直接大阪へ行き、会社へは顔を出さなかった。

一山過ぎた感じでみんな少し気を緩めていた。私は第四段の、決算最後の伝票の発行準備をする。これは大変奇妙な作業だった。補助簿(と言っても通常の元帳と変わりない。)の残高を0にするのである。こんな決算のやり方もあるのかと、ただただ感心する。しかし手間なことである。ほとんど意味のない大作業を、一方で伝票を切り、それを他方が記帳する。これはたまらないと私が、少しやり方を変えましょうと提案すると、その案を持って取締役が大阪の本社にお伺いを立てるのだ。四時ごろ私がサンプル提出したやり方でよいという返事が、大阪の取締役から電話連絡があった。

今日は皆早かった。下川係長は七時。太田課長も七時半。私も八時に引き上げる。バスで岐阜駅まで行き、新幹線の回数券を買う。こんな風に外出できたのは何か月ぶりだろう。

 

取締役は今日は休みである。新館で彼が仲人の披露宴がある。

十時ごろに電話が掛かってきた。帳簿の締切りは大夫夫ですかとか、二十九日にもチェック出来ないかとか、とうとう心配だから披露宴が済んでから五時過ぎに事務所へ寄りますとも言った。私は五時に帰ることを諦めて、待つことにした。四時半にやってきて、帳簿の装丁がいずれにしても連休明けになることが分かり、それなら慌ててもしようがないと納得したようだ。私はタイミングを計って五時十五分に引き上げる。社員食堂でうどんを掻き込み、大急ぎで長良橋のバス停へ急ぐ。

それでもいつもの列車より一台遅れてしまった。

さやかは少しずつ大きくなっている。佐和子も小坂(夫の実家)へ行くことに抵抗がないらしく、夕食も「送別」の雰囲気はなかった。

 

朝の九時半に利武君が迎えに来た。こっちがぐずぐずしでる間に二階へ上がって荷物の取りまとめを始める。

十時半ごろ山形君がやってくる。すみ子もさやかが誕生したての頃からすると、赤ん坊に対する熱が覚めてきたようで、程なく姉に買ってもらった花柄のスカートを穿いて、山形君と出掛けていった。

利武君も荷造りで疲れたのか転た寝をする。それやこれやで出発は二時半ごろになった。

礼子も一ヵ月もの間のさやかと佐和子の世話に疲れて、別れを悲しむどころか、せいせいしていた。直後保雄から電話。礼子が先に米を十キロと砂糖を一袋送ってやったのが着いたという連絡だった。親父の法事にはさゆりさんも来るらしい。

九時ごろ佐和子に電話する。新居にうきうきしている様子で安心した。

 

八時に起きる。礼子も夕べはぐっすり寝たみたいだ。

朝は雨模様だったが、やがて雨も上がった。テレビが長岡天神のツツジを放映していたのに我々も誘い出されて、十一時半ごろから阪急に乗って長岡天神に出掛ける。ツツジはすでに満開を過ぎていたが、日差しも爽やかで、たくさんの人出だった。池を巡って錦水亭の前を通りかかったのでメニューを覗くと、定食が一万五干円!我々は大勢の人といっしょに売店で七百五十円の笥弁当を求め、赤絨緞を敷いた露天の床几に腰掛けて食べた。

帰り道、礼子が靴を直してもらいに大丸に寄り、どら焼きを五つ買って帰る。

すみ子はどら焼きを一つ頬張って自転車に乗ってバイトに出掛けた。

その後雨が降り出し、一時ひどくなった。しかし岐阜に着いた頃にはほぼ止んでいた。事務所に電気が点いていて、取締役がまだ仕事をしてる後ろ姿が窓越しに見えた。

 

取締役は今日も朝から大阪へ出張である。

固定資産台帳を記帳する。分量が多くてなかなか進まない。しかもちょこちょこ過去の計算相違が見付かった。しかし近頃、私自身集中力が衰えている。

三時ごろ取締役から電話で、「これから新幹線に乗ります。」とのこと。やっと七時前に彼は帰ってきた。帰ってきて早々に、なにやらぼそぼそ電話していると思ったら、社長らとのマージャンに誘われたらしい。よくやるなあとつくづく感心する。私は九時で引き上げる。

五  月

 

月初め恒例の稲荷参拝にはうってつけの爽やかな朝である。

昼からは経営企画会議がうだうだと五時まで掛かった。それから「原簿」の下書きをやり終えたらもう九時半だった。「原簿」というのは決算書類を手書きで書上げる「最終帳簿」のことである。時代離れした儀式のようなものだった。書き損じが許されないのでまったく非効率極まりなかった。

翌日原簿の清書をする。やっと出来上がって息をついでいると、取締役が覗きこんで、

「沢村さんは字がうまいから得ですね。」とニタニタする。

 

今日は憲法記念日。でも休めない。

決算資料の修正を手分けしてやったが、みんなでやれば早く仕上がるというものではない。返って手間取って、とうとう四時前になってしまった。この分だと最悪、もう一晩泊まるはめに、つまり三連休が二連休になるかもしれないと覚悟した。

しかしそれからが案外スムースに事が運んだ。天の助けである。六時半に終り、社員食堂で油揚げ入りきしめんを食べ、七時に会社を出られた。八時九分のこだまに間に合って、うちに着いたのが九時過ぎだった。

明日から三連休と思うと気が落ち着く。すみ子は今日はバイトは休みらしく、しばらくしたら風呂から上がってきた。お帰りとも言わない。この子はいつも親の気を汲まないからこちらも気を使わなくていい。しかし、佐和子とさやかがいないので、ちょっと抜け殻みたいだった。

 

翌日、どこへ行こうかと礼子といろいろ相談する。

映画でも見ようということになり、昼ごはんを食べてから家を出て河原町まで歩く。しかしろくな映画をやってなかった。蹴上のツツジを見に行くことにして、三条京阪まで歩くが、その辺りで歩き疲れて電車に乗る。沿線案内を見て、石清水八幡宮に決め八幡市まで切符を買った。まったく行き当たりばったりだ。八幡市駅から五十メートルばかりのところからケーブルがついていた。山頂を一廻りして八幡宮に参拝してから、帰り道は歩いて降りる。ウグイスの声が聞こえる。

 

子供の日。今日もなんとか天気はよさそうである。

礼子があり合わせでお弁当を作って十時半頃から出掛ける。地下鉄でとにかく奈良まで切符を買った。奈良に着いたら十二時を回っていたので、公園でひとまずお弁当を広げる。また電車に乗って、室生寺に向かった。室生寺大野という駅からまたバスに乗る。予想外の人出で狭い道を自家用車が立て込んでいて、寺に辿り着いたら四時だった。しゃくなげは盛りを少し越えていた。

家に帰った早々に佐和子に電話する。今日がさやかの宮参りだったので様子を聞いた。利武君、小川のお母さん、お父さん、佐和子と一人ずつ電話口に出て口々に宮参りの話を繰り返す。よほど嬉しかったみたいだ。

 

連休三日目。九時近くまで寝てしまった。

朝食後、テレビドラマ「ロングウェイ・ホーム」を見る。礼子と二人してぼろぼろと涙を流しながら見た。その後うたた寝をする。昼ご飯を食べてまたうたた寝をする。

礼子とすみ子はリクル一トスーツを買いに出掛けたが、私は留守番をして四時ごろまでまた一寝入りする。いくら寝ても寝たりない感じである。

四時ごろ二人は帰ってきた。スーツは決まったらしい。しばくしてすみ子は寿司バーへバイトに出掛けて行った。私は、礼子と夕食を食べて、ぼーっとした頭でうちを出る。連休明けの新幹線はどの列車も込んでいたが幸い座れた。

 

七時半に起きる。よく寝たはずなのにまだ体中に疲れが残っている。

正午過ぎに太田課長と二人で名古屋みやびホテルヘ出向く。経理部長に会い、コンピュータ室にも案内してもらった。相当大掛かりな設備で我が社とは比較にならない。あと現場主任にいろいろ資料を見せてもらって説明を聞く。購買から予約、セールスと回っていろいろ話を聞いた。太田課長はここ(名古屋みやびホテル)の出身なので顔見知りが多い。五時に引き上げ、地下街で二人して甘味噌のラーメンを注文する。味噌味のラーメンと思ったのだが、出てきたのはラーメン玉に味噌ダレのかかった、見たこともない皿ラーメンだった。

礼子は明日から四国観音寺に行く予定だ。

 

小雨が降っていた。

昼休みに傘をさしてスーパーへ卵と牛乳の買い出しに行く。このあたりはいまだに舗装が行き渡っていない。

勘定科目の見直しを、昨日の名古屋みやびホテルで聞き出したことを参考に、特に資産勘定についていろいろ取締役と相談する。伝票は溜まっているし、関鉄本社からは四月分の売上速報を急いでくるし、三つの仕事を平行してやっていることになる。

今日も九時半まで残業した上に、売上予算の数字がおかしいので寮に持って帰って検算してみると、どうやら四月と五月で、百万円入り繰りしている。どう処理するか困ってしまう。

 

予算の数字が違っていることが気になって朝からすっきりしない。

一週間ぶりの卵焼き。大玉で一個二十二円と安くなっていたので、三つを割って太巻きを作った。

朝一番に太田課長と帳簿屋に車で行って、頼んである製本に六枚を差し込んでもらう掛け合いをした。勘定科目のことを半日掛かりで取締役と相談する。昼からは期首戻しの伝票を切る。どう考えても奇妙な処理だ。

夕方から記帳方法の打ち合わせ。八時半まで掛かる。気になっていた予算の数字の間違いを取締役に打ち明けると、

「そんなの誰も気付かんから、いいです、いいです。」

あっけない返事。安堵はしたが、さてうまくごまかしおおせるか、今一つ安心できなかった。

すみ子に電話する。母親が四国へ行ったので、どうしてるかと思ったが、元気な声で受話器に出てきたので安心する。晩は一人でサンマを焼いて食べたらしい。

 

七時半。起きがけは久し振りの快晴だった。

朝から売掛台帳の検印を押す。分厚い台帳が十二冊もあり、判を押すだけで腕がしびれる。

検印を済ませてから、勘定科目を変更したので科目変更の伝票を起こす。やっと終わったらまたもや九時半だった。近頃取締役も九時半を過ぎると、「帰りましょうよ。」と私に誘いかける。

寮に帰って家に電話する。妻は観音寺から帰っていた。明日から鵜飼が始まるので日曜日のナイト勤務と鵜飼当番と二つを重ねて勤めることになる。すると五時からフロントに出向かなければならないので土曜日の晩に帰っても翌日はゆっくり出来ない。それで一回飛ばして来週連休するからと礼子に告げた

 

寝不足である。

休み時間に明日からのパンを買いに出る。もう一週間自炊を続けなければならないと思うとちょっと情けなかった。

朝から花火がドンドンと打ち上げられている。鵜飼開きの祝砲である。

花火は夜になって七時ごろが最盛期だったが誰も見にいこうとしないし、私も知らん顔をして仕事を続けた。滞納者リストが七時半に出来上がり、それから皆でその内容の検討会をやる。済んだら十時を回っており、花火もとっくに終了していた。

十一時過ぎ礼子から電話。山口県宇部に礼子の叔父さんが住んでいるが、彼が突然礼子に手紙を寄越した。なんでも戸籍騰本を取り寄せたら四男として礼子の祖父が出生届けを出している。「お前は戸籍上も私の姪だ。」と書いてあったらしい。義理の養子と聞いていたのに奇妙な話だと礼子は言う。「それはそうと・・・」保雄の嫁さゆりさんが礼子に母の日の花束を送って来たそうだ。

 

日曜日で、休むと言っていた取締役が十時前に出勤してきた。十一時になって太田課長もやってくる。

そのせいでもなかろうが、朝曇っていたのが午後から雨になる。

五時からは鵜飼当番である。今日は人数も少なく、私の仕事と言えば川沿いの道路が引っ切りなしに車が通るので「横断中」の手旗を持って、ホテルの泊り客で乗船乗船希望者を川岸に誘導するだけである。ただ雨が降っているので車が泥水を跳ねて通るので困った。八時過ぎに今度は船が帰ってくるのを迎えてまた同じ交通整理をやる。

その後は引き続いて新館のナイトマネージャーの仕事が待っていた。この会社は管理職の人使いが事のほか荒いようだ。

「新婚さんが六組泊まっています。」とクラークが耳元で報告した。一般客は少なく全部で十二室二十二人である。これでは売上は上がるまいが、気遣いは少なくて済む。十一時半に部屋へ引上げ風呂に入り頭を洗う。

 

八時にフロントに降りると外は爽やかな五月晴れだった。もう一部のカップルがチェックアウトしていそいそと次の観光に発って行った。

昨日からシャトルの発着時間が変わっているのをすっかり忘れていた。九時五分と思っていたら九時ジャストに出てしまい、仕方なく一台遅れで事務所に戻る。

事務所に着いた早々取締役が、「三時からやりましょう。」と言った。昨日帰りがけには、「もう帳簿チェックは私ー人でやったから明日のチェックは結構です。」と言っていたはずなのに朝令暮改もいいとこだ。

昼から銀行へ出掛けていた取締役が出先から電話してきて、「三時半に延期してください。」 始まったのは四時だった。太田課長が算盤が出来ないので監査当日は私が算盤を受け持つ。

監査の模擬は七時で終わる。終わるや否や太田課長は風邪っぽいのでとすぐ帰った。取締役も八時には引き上げ、私も九時に引き上げた。

来月結婚するN君がまだ残ってやっていた。今日私はその彼から招待状を貰っている。

 

八時前に起きる。いい天気である。

太田課長が昨日からぐずぐず言っていたが今日はとうとう風邪でダウンした。優良社員の表彰を受ける下川係長は、十時半のシャトルで新館へ行った。代表で謝辞も読むことになっている。彼女は在籍二十年のベテランである。私との間は次第に溝が深まりつつあるようだが、どう取り入っていいのか分からなかった。

監査の準備は出来た。関鉄本社への資料送りが放ってあったので、すでに期日が済んでおり、慌てて作り始めるがなかなか進まない。取締役は九時で帰り、私は九時半で帰る。

テレビを点けると、千代の富士の引退を放送していた。家に電話したらすみ子が出てきた。お母さんは旅行とのこと。

 

昨夜遅くまで千代の富士引退関連のテレビを見ていたので少し寝不足気味である。昼前から雨が降り出した。昼の休憩時間にカッターシャツを受取りに行く。

関鉄本社への資料もなかなか手間が掛かる。

夕方から取締役と太田課長と三人で会議。N君の力量について二人は悲観的だ。私は誰かを付けてやればと口を挟んだが、太田君もウンと言わない。要するに人手が足らんのに、いつでも太田課長は自分で自分の首を締めている。あるいは、それを口にすると課長の管理能力を問われるので黙っているのだろう。

 

Kチーフが急死した。朝から皆ばたばたしていた。Kチーフの葬儀の段取りで特に総務はてんやわんやである。しかし我々はそれどころでなかった。監査の準備に忙しい。六〇七号室へ帳簿書類など一切を運び入れる。

十時に大阪の本社から常勤監査役がやってきた。監査が始まったのは十時半きっかり。東大出とは見えない風貌だが、言葉は講義口調だった。太田課長が算盤が出来ないと言うから私は専ら算盤を入れる役目を引き受けた。これはどちらかといえば楽な仕事であった。四時にすべてが終わる。去年より一時間早く終わったとのこと。安藤取締役は私に監査の指摘事項をまとめて下さいと言い残してKチーフの通夜に行ってしまった。

九時に引上げ、久し振りに部屋の整理清掃をする。昨日の洗潅物がまだ乾かない。

 

朝は一時的によく晴れていた。お陰で洗濯物を取り入れることが出来た。

正午、ホテル仕立てのバスでKチ一フの葬式に出掛ける。新岐阜の近くの円徳寺でなかなか立派なお葬式だった。本人ということで社葬に近い気の使いようで、総務が取り仕切っていた。四十歳と言えば働き盛り、下の娘はまだ小学校の二年生だった。癌である。三月の入院で急逝した。後輩のT君の鳴咽しながらの弔辞が涙を誘った。堂内が広いので部長以上は堂中に座らされた。みんなあぐらを組んでいたが、私は意地になって最後まで正座を続けた。

事務所に戻ったら三時だった。事業所税に手を着ける。これもなか厄介な仕事なのだ。取締役はさすが疲れた様子で七時過ぎに引き上げてしまった。私も久し振りに八時で切り上げて寮に帰る。

 

七時半に起きて、布団を干す。いい天気である。

昼から事業所税の申告準備をするうち五時のチャイムが鳴った。私は少し焦った。五時きっかりに終わるように加減していた仕事がほんの五分か十分ばかりの分量が残った。大したことではないのだが気持ちが焦った。それを見透かすように後ろから、

「五時を回りましたよ。もう仕舞いなさいよ。」と取締役が声を掛けた。

この二週間は長かった。名鉄にも駆け込んで乗った。こだまも、いつものことながら階段を駆け降り駆け登りして間に合った。やっと気持ちが落ち着いた。岐阜が遠ざかり、京都が近付いてくる。地下鉄工事も、家の前のマンション工事も二週間ぶりなのに大して進捗していなかった。礼子も変わりなかった。

十時過ぎに佐和子に電話する。佐和子は風呂に入っていて、代わりに利武君が出た。さやかの声を聞きたかったが、寝ているとのことだった。

  

連休もなにをしたともなしに過ぎてしまった。

二日目の夕食に、このごろの寮生活では滅多に食べられないキュウリや白菜の漬物が食卓に並んでいて、つい食べ過ぎ、出掛ける前に消化剤を飲む。

十時過ぎ、長良河畔ホテルの事務所はまだ灯りがこうこうと点いていた。

 

仕事が溜まっている。伝票類が箱に一杯になっている。しかも取締役から関西鉄道への提出資料が少し違う、「考え違いをしてませんか?」と指摘される。なるほど!ともう一度一からやり直す。これがまた一筋縄ではいかなかった。ふと気が付いたら一時を過ぎていた。急いで昼飯に行く。とうとう修正に夕方まで掛かってしまった。それから箱一杯の伝票整理。いわゆる判子押しだ。

九時半項、そろそろ引き上げかけたら、取締役が仕事の配分についてああやこうやと話しをしかけ、私も昨日休んでいる手前付き合わざるを得ない。とうとう十時半になる。

寮のドアーを開け掛けたら電話が鳴っていた。急いで暗がりのまま受話器を上げると、礼子が法事(亡父の七回忌)の料理をどうしようという相談だった。

 

 

八時前まで寝ていたが、風邪気味でどこか熱っぽい。だるい。

それでも昼、牛乳と卵を買いに出る。

一時半から七階サロンで企画会議。私が売掛滞納状況を報告する。社長がいきなり怒り出した。古い売掛金が残っていることを今まで自分に報告しなかった上に、監査役に先にそれを見せたこと、あらゆる事が気に入らない。私と取締役が代わり番こに謝るしかない。明日の朝一番に担当者を集めて、自ら理由を聞くと言い出した。N君を会議に参加させることになったので少し気の毒だった。

九時半に引き上げ、風邪薬を飲む。

 

朝から事業所税に取り掛かるが、風邪気味で集中力を欠いている。

五時から二度目の鵜飼当番である。今日は天気がいい。しかし予想に反し客は少なく十人ばかりだった。

九時半に本館のナイトマネージャー当番でフロントヘ出向く。中日と広島の試合が近くの長良球場で催されており、カープの選手が本館に泊まる予定だ。試合が長引いて選手たちは十一時ごろ帰ってきた。それから夕食が始り、終わったのが十二時。副支配人やフロント課長も遅くまて残っていたので私も付き合って、寝たのが一時過ぎになる。

満室だから私自身の部屋が取れたのが不思議だった。

 

仕事はとぎれることなく沸いてくる。

五時のチヤイムが鳴ったが取締役は今日はどうぞ帰って下さいとは言い出さない。仕方ないからこちらから、「引き上げさせてもらいます。」と切り出す。

「沢村さんに段取りは任せてあるから、問題なければどうぞ帰って下さい。」

と皮肉な言い方をされた。私もたじろがずに引き上げる。

新幹線の中が冷房が効き過ぎていて、異常に寒かった。

仕事の事も気になり、体の調子も悪い時に、保雄から電話が掛かってきた。残業が多くて寝不足だからとても明朝早起きして京都へは行けない、と言ってきた。私自身が今似たような症状であるにもかかわらず、腹を立てて、つい電話口で怒鳴った。保雄は直ぐ受話器を切る。もう一度礼子が掛けたが出る様子はなかった。

 

八時に起きて一番に泉仙に電話するがまだ出ない。風邪は良くなってない。

九時前、もう一度泉仙に電話する。二人分取り消しを頼んだらあっさり受けてくれた。

九時過ぎ、電話が鳴る。誰かと思ったら、

「さゆりです。今新幹線から掛けています。」と言うので私も慌てた。

「一人?」と聞くと、

「いえ保雄さんと・・・」

狐に摘ままれたような感じだった。すみ子も思わず大声で母を呼んでいた。礼子は、「そんな予感がした。」とプンとしている。私が料理を急いで取り消したことを暗に非難しているのだ。すぐにまた、泉仙に取り消しの取り消しを電話する。

九時半ごろ、さやかに風邪をうつしてはいけないと思って薬局ヘマスクを買いにいく。活性炭入りのが三百七十円もした。咳止めとで千円を越える。

十時。佐和子夫妻とさやかがやってきた。おおよそ一ヶ月ぶりである。さやかはつやつやとしていた。

十一時過ぎ保雄夫婦がやってきた。保雄は新幹線の中で少しは寝たらしく案外けろっとしていた。さやかへのおみやげにと、さゆりさんが「さやか」という名の子犬の縫いぐるみをくれた。さゆりさんは生まれてはじめてと言いながら上手にさやかを抱っこした。保雄が抱くと泣き出す。「相性が悪い。と保雄は頭を掻いた。

向かいの建投工事の音が喧しい。礼子が掛け合って十一時半から止めてくれた。

程なく浄光寺さんがやってきた。十二時半に終り、その間に届いた泉仙の懐石料理を、さゆりさんにも手伝ってもらって並べる。食べ終わったらもう一時だった。片付けて、西瓜を食べてそのあとでケーキを食べたりしているうちに三時になる。保雄は四時五分の新幹線で帰ると、もう腰を浮かせている。我々が駅まで送って行こうと言うのを振り切って帰ってしまった。礼子が一万円をちり紙に包んで自転車で追いかけ、さゆりさんに渡すのがやっとだった。

利武君も夜学があるので四時前に引き上げて行った。

片時ではあったが、まあ、子供たち全員が集まってくれたのでよしとすべきである。これで手近な行事は全て終わった。風邪が残った。今日は早く寝よう。

 

八時に起きたが、声が枯れてしまっていた。

それでも岩佐の叔父叔母が何時来るか分からないので急いで朝食をとる。しかし昼近くになってもまだ来ない。礼子がお腹を空かせて、二人でうどんを食べかけたところへやってきた。叔父叔母にも狐うどんを食べてもらう。

私は仰々しくマスクをして話をする。それでも叔父も叔母も別段苦にすることもなく、話が長引いて、三時半ごろやっと帰った。疲れて、私はひと寝入りする。

礼子が「風邪に利くから」とグレープフルーツをたくさん入れてくれた。夜、その重い荷物と、風邪で弱った重い体を引き摺って長良川に向かう。

 

よくは寝たけど風邪はすっきりしない。しかし仕事は溜まっていた。その夜も九時半までがんばる。

部屋に引き上げても、異常に蒸し暑い。それが気候のせいなのか風邪熱なのかよくわからないまま窓を少し開け、喉が乾いたので缶コーラを飲む。

礼子から慰問の電話。少しマシとしか言えなかった。

 

昨夜は咳に悩まされてよく寝付かれなかった。しかし朝方はぐっすり寝たので少し体調は回復している。しかし仕事をし出すと咳が込み上げてくる。

明日は取締役会なので取締役は必死で準備していた。私も勝手なことは言えないので、とうとう十時まで付き合った。取締役は、「もう少しがんばります。」と残った。

熱いお茶がよかろうとほうじ茶をカップに一杯飲む。それがよくなかったのか、十二時ごろまで寝付かれなかった。

 

目が覚めたら八時二十分だった。風邪薬が朝方になって利いてきたのだ。

今日は十一時から新館で決算取締役会が開かれた。関西鉄道の会長が見えるというのでもうそれは大変だった。私は月次決算を理由に本館に残った。変わりに太田課長に行ってもらう。

安藤取締役は二時半ごろ戻ってきた。座るなり「ふー」と溜息をついた。

三時過ぎから管理人室で売掛滞納の整理をN君、課長、取締役と私でやる。微熱がまだあって体全体が気だるい。それでも午後九時半まで頑張った。

喉にハンケチを巻いて寝る。

 

今朝も八時十五分まで寝てしまった。

社員食堂で常務が、

「昨日はご苦労さま、少しは気分的に楽になったでしょう。」と労ってくれるが、一向に楽にはならなかった。

「折り紙やってますか?」と常務が聞く。

「あまり時間がないので・・・」と言葉を濁すのに、「鵜は折れますか?屋形船は?」としつこく聞く。風邪で弱っている上、仕事が込んでいていらいらしていたので、すげない返事をしてしまった。

今日もまた六時ごろからN君と取締役、私で、滞納者の督促の整理に掛かる。取締役はこういう仕事は徹底的にやる。つくづく感心するばかりだ。十時半まで掛かってしまった。

 

十一時から銀扇(小宴会場)で、昇給辞令の発令があった。管理職は一人一人社長から手渡される。×万円上がった。まあ嘱託の身としては上出来の方だと思う。

昼から名古屋栄町の三菱信託に手形の書替えに行く。雨が降っていた。ちょうどこの辺りは、二十歳代後半、独身時代に一年ほど勤めた「みやびホテル栄町食堂」が存在していたところだ。日生ビルはそのままだったが、周辺はすっかり変わっていた。

事務所に帰ったら四時半、月次決算が遅れている。十時までやる。総務部は昇給の苦情対策でまだ残っていた。

 

 

六  月

 

昨夜は久し振りに風邪薬を飲まずに寝た。峠は越したようだ。

昼過ぎに取締役が帰ってきてこれから売掛金の相談をしようと言い出す。二時までかかって昼食はそれまでお預けだった。

なんとか五時過ぎに引き上げる。名鉄がほんの一分遅れたお陰で新幹線を一台乗り遅れ、家に着いたら七時半だった。

珍しくすみ子がいた。二三日風邪をひいてバイトを休んでいたとのこと。それが、今日一騒動あったらしい。礼子がパ一トに行っている間に、すみ子が気分が悪くなって、姉の佐和子に電話したそうだ。佐和子はびっくりして礼子のパート先に電話。礼子が自転車で職場からすっとんで帰ってきたら、すみ子の容体はもう治まっていたというのだ。すみ子の話では、「体がぐにゃぐにゃになって、泣きながらお姉ちゃんに電話した」らしい。飲んだリポビタンゴールドが作用したのだろうと礼子は残り八本を捨てた。

 

雨が本格的に降り出した。九州は梅雨に入ったとか。朝食をとった後またごろっとなる。

我が家の庭も緑が多くなった。若葉色の紅葉が雨に爽やかだ。

森中さんとこに電話してみる。六月十八日のみやびホテル友の会に出席するかどうかを聞いた。会社がどうしても休めないそうである。牧坂さんが関鉄配送を辞めてJR東海の子会社に変わったらしい。野原社長が怒っていると言うが、仕方ないと私は思う。みやびホテルでは顔見知りのM部長やS次長が辞めたとの情報を伝えてくれた。続いてO君に電話する。久し振りである。彼も友の会には行かないとのこと。彼は大阪みやびホテルに再就職したが、昇給は二万円以上だったと安堵の報告をした。それ以上にはどこにも掛ける気がしなかった。ちりじりになった浪士たちである。みんな腹の中を言いたくないに違いない。みやびホテルの敷居がだんだん高くなっていくようだ。

私は時間ばかりを気にしていた。といって何をするでもなかった。

八時、暗い、雨の降る道を岐阜に向かう。

 

今日も雨である。近畿地方が梅雨に入ったと予報士が意気揚揚と告げている。私はどうやら月曜病だ。

休み時間、傘をさして卵とサラダ油を買いに行った。市場の中は閑散としていた。

N君に披露宴のスピーチを頼まれた。主賓挨拶は過去にも何度か経験があるので、気軽に引き受けてしまったら相手の方が逆にきょとんとしていた。

晩は九時半に引き上げる。風邪は一応治ったようだ。

 

昨日と打って変わったいい天気だった。

十時から月次決算の社長説明、社長は難しい顔で聞いていたが、質問は少なかった。それでも昼まで掛かる。月次決算が済んだらまたすぐ伝票が溜まっていた。

五時過ぎ、フロントに催促されて鵜飼当番に出向く。夜光色の黄色の縞の入った法被を今日から着せられた。

それが済むと九時のバスで新館ヘ。ナイトマネージャーである。今日は社長がマージヤンに来ていて、今晩は泊まる手筈だという。しかたなく私は十一時半まで館内をうろうろ点検して廻り、ようやく引き上げて、大浴場で頭を洗う。気温が少し低いせいか冷房がよく利いていた。部屋のチェックを頼まれたので寝たのは深夜を過ぎていた。

 

咋夜半、寒くて押入れを探して、布団の上に布団カバーを掛けて寝た。エヤコンを切ればよかったのだ。風邪っぽい。

九時半のバスで本館に戻る。昼一時半から雅(みやび)の間で経営企画会議。夜は法人税の申告準備に取り掛かる。九時半に引き上げる。

喉がおかしい。風邪を引き添えたようだ。

 

今日は蒸し暑い。

午前中に返事をくれるように頼んでおいた沖縄トラベルから昼前電話が掛かってきた。「十日の月曜日に必ず支払います、遅くなって申し訳ありません。」と低姿勢である。これは間違いないと思った。かれこれ一年間も焦げ付いていたクーポンの代金である。ほっとした。取締役が、N君の担当になっている土佐交通のクーポンの取り立ても、代わってやって下さいと言う。私も少し気をよくして、さっそく電話する。その電話の最中、N君が私の傍に立って熱心に聞き耳を立てるものだから、やりにくい。

太田課長は今日は社命でゴルフに行っていて休みである。

取締役も三時ごろから名古屋へ行くと出掛けたなりそのまま帰らなかった。

夜、七時過ぎに新館から、先に倒産したW社の社長が食事に来ている、どうしましょうと食堂課長が聞いてきた。現金で貰うように指示し、念のために副支配人にも連絡するように伝えた。幸い現金で払ってくれてほっとする。

今夜は久し振りに八時半に引き上げる。

 

咋夜、パブロンゴールドを飲んで寝たら、夜中に汗がだくだく出て、パジャマがないので長袖シャツに着替えた。

朝八時過ぎまでぐっすり寝たので、風邪は抜けたように思えた。

しかし昼を過ぎるとなんとなく熱っぽかった。大体が蒸し暑いのだが、それとは少し違う感しで、体がだるい。

二時から総務部経理部会議。出席者が少ないと、取締役が我々出席している者に当たられてはかなわない。

四時過ぎ、ソフト会社のHさんが来て経理ソフトの説明をするが、一般的な話より、とにかく私の案で早く具体的に進めてくれるよう要請した。それにしても計画の進み方が実に遅い。

九時四十分に引上げ、またパブロンゴールドを飲む。礼子に電話してみる。すみ子は元気なようだ。この前すみ子が飲んで気分を悪くしたパブロンゴールドだが、私にはよく効く薬だ。

 

出勤が九時ぎりぎりになる。安藤取締役は朝一番から機嫌が悪い。しかし十一時半頃、枚方での葬式に出掛けていった。

「滞納担当者への依頼書回収を至急取りまとめてください。」

出掛けに言い残して行く。三時ごろから取りまとめに掛かるがN君のスローペースに太田課長は匙を投げている。仕方なく私がリストアップし担当部長に請求する。四時半ごろ新幹線の中から取締役が電話を掛けてきた。

「これから帰るけど、五時になったら沢村さんはどうぞ引き上げて下さい。」

言われなくても引き上げるつもりだったが、まあおおっぴらに帰ることが出来た。

七時に家に着く。玄関先に礼子か買ってきた女流作家の版画が掛かっていた。

 

朝十時ごろに山形君が誘いに来たので娘はデートに行ってしまった。父の日のプレゼントだと出掛けにすみ子が映画代を2000円呉れたので、二人で祇園会館に行くことにする。

途中、四条寺町で百九十円の立ち食いうどんをすすり、祇園まで歩いた。まだ時間があったので円山公園のベンチで時間を過ごし、すみ子が十九の厄だからと八坂神杜にお参りする。

「シェルタリング・スカイ」という難しい名前の、非常に格調の高い心理劇だった。砂漢の風景が夢のようで美しく、音楽が坂本竜一である。外へ出ると小雨がぱらつき出した。

しかし、夜の長良河畔ホテルまでの道中は雨に崇られなかった。

 

昨日京都駅の売店で買った「きんつば」を持って事務所に降りる。甘い物に目の無い下川係長に手渡すと思惑通り相好を崩した。

「これおいしいんだわ!」

この時だけは笑顔を返してくれた。よく見ればなかなかの美人だ。

十一時から賞与の支給式である。昼休みに下宿へ帰って明細を開けてみると、支給額は列車会社時代のボーナスとそう変わりない。嘱託の身で前もって計算できない分、新入社員の初ボーナスのように嬉しかった。

夜、十時過ぎに私は引き上げるが、皆はボーナスの額に満足したのかまだ頑張っていた。

十一時前にやっと電話が繋がった。すみ子が出る。父の日のプレゼントのお礼を言う。礼子にボーナスの額を報告すると、ちょっとびっくりしたようだ。喜んでる分、私も会社を辞める話は出来なくなった。

 

七時前に目が覚めたが再びうとうととして起きたら八時だった。暑くなりそうだった。急いで朝食を摂るがあまり食欲がない。トーストを半分残してしまった。食事を残したことは岐阜へ来てから一度もなかった。

今日は一日法人税の申告書に掛かり切ったお陰で少しは進展した。

日中はやはり暑くなった。冷房が入ると冷房の風向きが私の方向に向いている。いいようだがしばらくすると冷え過ぎる。上着を着て仕事をする。

 

今日は雨の予報だったが朝のうちは日が射していた。

昼からになって少し曇ってきたが蒸し暑い。昼休みに牛乳とバナナを仕入れる。

二時ごろに名古屋税関が、外貨の両替の監査にやってきた。一時間程度で終わる。申告書の下書きがほぼ終わった。

九時半に引き上げ、昨日の残りのビールを飲む。呑めない私は缶ビールさえ半分余して冷蔵庫にしまう日がある。

持ってきたと思っていた扇風機が押入れをくまなく探したが出てこない。さしずめうちわで凌ぐ。

 

今朝はトーストを全部食べる。

太田課長はゴルフのコンペで休んでいる。十時過ぎから取締役が関鉄百貨店への集金と銀行回りを引き受けてくれたので、私は穏やかに仕事が出来た。ただ咳がどうにも完治しない。

昼最中、雷雨になった。

夜は夜で取締役は誰かの通夜に行ってしまい、下川係長も早く帰った。私も今日ぐらいは早く帰ってもよかったのだが、コンピュータ導入準備を少しやっておこうとやり出して、結局九時を過ぎてしまった。経理の機械化だけが今の私にとって唯一の出口だった。昼間雨が降ったせいで凌ぎやすい夜となった。 

 

六時前に目を覚ましたが、また寝込んで、結局八時に起き出した。

安藤取締役は友人の葬式があるとかで出勤早々に名古屋へ出向いて行った。

午前中コンピュータ用の勘定科目の整理をする。これをやっていると下川係長はいつもウサン臭い顔付きになって、なにかにつけて私を無視してかかる。いずれ仕事を奪われると心配しているのだろうか。

昼からは月次決算の準備に取り掛かる。今日は冷房が利いて少し寒かった。

取締役が帰ってきて、「窓を開けてもいいかい?」とみんなに問いかける。「冷房がかかってると頭が痛くなる。」とぶつぶつ言った。私も咳が残っている。気管支喘息のような感じである。

 

昨日今日と太田課長は出入り業者主催の旅行に出掛けた。

取締役が朝いきなり十日締めの滞納リストの事を言い出した。

「月曜日には説明してくださいよ。」と命じた。よく覚えているもんだ。

私が下書きした法人税の申告書を取締役が徹底的に読み返している。解説書を買って来るわ、それはそれは熱心である。一日掛かりで一ヶ所の間違いを見付けてくれた。これは感服だ。九時ごろまで取締役といっしょに残業していたら、太田課長が帰ってきた。十日締めの滞納リストの事を彼に告げると、二日間の慰労をしてきたので気が引けたのか、「明日出勤します。」と引き受けてくれた。

 

日曜日というので緊張感がなくなっていたのだろう。目が覚めたら九時十五分前だった。

N君T君が出勤していた。私は申告書の清書に掛かる。十一時ごろ太田課長が出勤してきた。滞納者リストをうまくまとめてくれるだろうか、それが心配だ。明日の五時までに済まないと帰洛の時間に差し支える。五時ごろには申告書もあらかた出来た。

鵜飼当番に五時十五分に出掛け、六時過ぎに事務所に戻ると、N君は滞納担当者への依頼書を書いていたのでほっとする。

今日は満室でナイトマネージヤーの泊まる部屋がない。どこか用意しますが最悪の場合寮になるかもしれませんと言う。私は結局自分の下宿で寝ることになった。

 

九時半に事務所に帰ってきたら、いきなり取締役が厳しい顔で、

「十日締めの滞納リストの説明は何時からか、予定を言ってください。」

太田課長と相談したら十時からでいいとのことで取締役にそう告げると、びっくりしたようだった。まさか出来てないと思ったのだろう。実際は十一時過ぎになってしまったが、とにかく一時半まで掛かって説明を終わり、昼ご飯までに埒があいた。これで五時に帰れる目途がたった。

昼からは法人税申告の補助資料作りをやる。計ったように五時きっかりに出来上がった。こういうことは私の得意技である。

七時半に家に着いたらすき焼きが出来上がっていた。すみ子は半ズボン姿でお花のお稽吉に出かける。佐和子から電話で「来るの?それとも来ないの?どちら?」と詰め寄られた。明日は結局行かないことにする。「お食べぞめ」の来月七日ごろ行くと一応そう約束した。

 

八時半まで寝る。第一目的の床屋が連休だったので、水野医院に行く。受付で順番を確保しておいて、そのまま自転車で中京社会保険走り年金のことを聞きただした。窓口は無愛想だった上、六十才での年間支給額が予想より随分少なかった。

水野先生も問診の後で、胸のレントゲンは撮る必要はないとおっしゃる。薬だけ貰って帰ってきたら、礼子が、

「せめて血液検査と尿検査はしてもろといで。」ともう一度押し戻された。

 

翌朝九時半に散髪に行く。客は一人もなかった。

「近頃月に一度くらい連休がないと若い職人が来てくれまへんねん・・・」

聞いてもいないのにマスターが弁解した。

N君の披露宴出席が迫っていて、略礼服を持って帰るので荷物が多く、礼子が自転車で御池駅まで運んでくれた。

 

出勤早々取締役は機嫌が悪い。昨夜(私は休暇中だったが)、事務所に寄ったらしい。

「新婚さんだけ残ってて、お客さんはお帰りだ。」と皮肉っぽく言う。意地の悪いやり方だ。

太田課長は朝から名古屋にソフトの展示セミナーに出掛けている。

「月次の出方が遅い!」

遅いと言われてもつい昨日まで法人税の申告書を最優先にやってきたのである。一つのことをやれば他のことが後回しになるのは当たり前だ。二時からの総務経理会議では、いきなり残業をなくそうと言い出した。

「いっさい残業を付けないというのはどうだろう・・・」

突拍子もないことを発案した。

四時半ごろ太田課長が帰ってきた。取締役はその課長に言い聞かすように、

「ねえ、沢村さん。これから売掛の仕事が溜まったら皆で徹夜でやってしまいましょうよ。」 

昼は残業はやらない。ノー残業デ一とか言っておいて、今は徹夜で仕事をやれと言う。明日の仲人の準備が残ってるからと彼は、言うだけ言うと七時過ぎにさっさと帰ってしまった。昼の会議での残業ゼロの話を課長にすると、

「それで徹夜とは何事や。私、取締役に電話で聞いてみます。」

と受話器をとってダイヤルし出す。まあ待てよと私が宥める。

「部長が待てとおっしゃるなら今日は止めときます。」

となんの抵抗もなく受話器を置いた。芝居染みていると思ったが、彼の不満もよく見えた。「そのうちに辞表を叩きつけますから」とも言った。

私は昨日と同じ十一時に帰ったが、彼はまだ残っていた。

 

取締役は今日は仲人だから朝から休んでいる。太田課長は十時半頃やってきた。昨夜はしおらしく午前二時まで頑張ったらしい。

小雨が降っていた。昼はきしめんうどんを食べておく。

二時半のシャトルで購買の海野部長と一緒に出掛ける。三時半開宴だから少し早過ぎた。コーヒーコーナーでレモンティーを注文し、また六階でリキュールも飲む。

安藤取締役の奥さんは小柄だが、すらっとした美人である。披露宴は三時半から始まった。花嫁さんはプロのエレクトーン奏者で、少し肉付きがいいが、かわいい感じの女性だった。取締役の仲人挨拶の直ぐ次に私の主賓の挨拶が回ってきた。練習する間もなかったので、いつも言っているようなことを、幸いこの地は初めてなので適当に喋った。夫婦が長続きするための三つの秘伝、子供を作ること、大いに夫婦喧嘩をする、ただ仲直りのタイミングを逸しないこと。まずまず旨く言えたと思う。太田課長は「祝い酒」を歌う。その巧いのには驚いた。帰りに取締役に明日は出て月曜日に代休したいことを申し出る。場所柄機嫌よく受け入てくれた。

六時四十五分のシャトルで帰り、もう一度仕事をする。鯛折りを下川係長に差し出したら、

「あらまあ、部長は京料理しかお口に合わないから。じゃあ、いただきまーす!」

家に電話して明日帰ると告げる。九時半に引上げ風呂に入る。 

 

九時十五分前に起きて出勤する。太田課長は十時過ぎにやってきたが、挨拶抜きで仕事を始めた。私も黙って仕事する。五時きっかりに月次の表をまとめて引き上げる。

咋日の引き出物が重かった。しかも小雨が降っていた。名鉄が羽島の直前で三分ばかり止まり、お陰で目の前の新幹線を一台乗り遅れた。

八時前に帰宅。礼子もすみ子もまだ食事をせずに待っていてくれた。夕食に大根の葉の煮付けが出た。ビタミンが豊富で近頃はやりらしい。戦時中食べる物がなく大根の葉まで食べたのと意味が違う。

夕食が済んだ項佐和子から電話が掛かってきた。さやかの笑い声を聞かそうといろいろやってくれたが、結局成功しなかった。

 

昨夜寝付きが悪かったこともあるが、今朝は九時まで寝てしまった。起き出してもまだ寝たりない感じである。庭にさつきが二鉢増えていた。

水野医院の血液検査の結果を見るが中性脂肪が多いくらいで特に異常はない。しかし体が鈍っている。疲れやすく朝食後転た寝する。昼食後もまたごろっとなって寝てしまった。

のそのそと起きてきたら礼子が観音寺の母に手紙を書いていた。それに釣られるように私も保雄に手紙を書く。父の日の贈物のお礼と、N君の披露宴に主賓の挨拶をしたことにかこつけ、保雄にも夫婦長持ちの方法を伝授しておいた。

手紙を投函に行く。今日唯一の運動である。

小型扇風機を礼子が出してきてくれたので岐阜へ持っていくことにする。トマトも二個入れてくれた。寂聴の般若心経も放り込んだ。

 

八時まで寝る。どこか腹の真ん中と頭の芯に眠気が残っている。

午前中、溜まっていた伝票をまず整理する。昼からは売掛の滞納督促依頼を一表にまとめ、明日の企画会議に掛ける準備をする。

N君は新婚旅行でハワイに出掛けて十日ばかり休む。太田課長も明日は休ませてくださいと申し出てきた。売掛は課長の担当のはずなのに。

五時半、今日は雨で川の流れが早く、鶴飼のお客は向こう岸の遊船事務所から乗船することになる。太田課長と私はともに鵜飼当番だが、「客も少ないし自分だけでいいでしょう。」と一人で行ってくれた。まもなくひどい雷雨になる。見かねて、下船の折りには二人して行った。客は雨で弁当が食べられなかったのと、バスを待たされたのとで機嫌が悪かった。というより一部の客が荒れていた。私ができるだけ引っ込んでいた分、太田課長が矢面に立って客を宥め、ぺこぺこ頭を下げまくっていた。

今夜はナイトだ。十時のシャトルで新館へ行く。いつも通り大浴場にどっぷり浸かった。

 

目覚ましをセットし損なって、起きたら七時四十四分だった。あぶないとこで飛び起きる。九時半のシャトルで事務所に帰る。

一時から部課長会議があるのでもう一度新館へ行かなければならない。

会議後、コンピューター会社のHさんがやってきて、それから六時半まで経理ソフトの話しをする。これには取締役もタッチしたがらない。

さて月次決算の説明に掛かろうとすると、下川係長が月末の支払伝票を見てください、今月は二十八日が月末だからと、どさっと伝票を差し出す。伝票チエックでどうしても数字が合わない。いつも自信満々の下川係長に間違いを指摘すると、きっとどこかでしっぺ返しをしてくる。慎重に再検査して結局九時半、月次の説明まで至らず、引き上げる。

 

翌朝下川係長に少し数字が違わないかと指摘する。

「へえっ?」と彼女が顔をこおばらすが、しかし検算結果は私の勘違いだった。朝から出鼻を挫かれた。もはや彼女の信頼を取り戻すことは出来ないかもしれない。

昼の時間にミルクと卵とオレンジジュース、ジャム、つまみを仕入れる。

月末の支払いが二十八日なので下川係長はいらいらしていた。それでも上手にM君を使って、八時にはさっさと帰ってしまった。相変わらず残っているのは太田課長と私。取締役も明日が株主総会なので、残っていた。私は十時前に一応説明書きを完成したのでほっとする。

安藤取締役から初めて折り紙の話が出た。盆のサマーフェアーで披露してもらえないかと言う話になる。

十時に引き上げ、缶ビールを飲む。折り紙の話が出たので、ちょっと折り紙をと思ったが、直ぐに十一時になり、やはり寝ることにする。

 

昨夜は少し寝付きが悪かったが、パターンとしては何時も通りに六時に一度目を覚まし、八時に起きた。

今日は四時半から株主総会なので取締役は朝からそわそわしていた。

私は昼過ぎにM君の車で岐阜信用金庫まで行き、帰りはバスで帰ってくる。取締役はまだ事務所にいた。やっと四時十五分前に自分の車で出掛けていった。

五時ごろ東京の森中さんから電話が掛かってきた。牧坂さんがJダイナーの常務になり、さらに、その子会社の社長に就任されたそうだ。

七時ごろ、いつもより早く夕食に行く。太田課長は早々と帰ってしまった。

安藤取締役が戻ってきた。彼が帰れば私も帰ろうと思うのだがなかなか帰らない。八時半にやっと帰ってくれたので、私も引き上げ、久し振りに部屋の掃除をし、風呂に入る。

 

株主総会も終わり、今日は取り立ててする急ぎの仕事はなかった。五時まで何をして過ごそうかと思案しながら雑用をいろいろ作った。

取締役に月次決算を説明すると、いつもの調子で、

「沢村さん甘いですよ。こことこことの説明をしっかり詰めてもらわないと・・・」と注文をつけられる。幸いだった。これで夕方まで時間が潰せる。

昼の食事の時に珍しく上坂マネージャーが、今日は送りましょうと申し出てくれる。しかしいつものことでこちらの思い通りの時間とはいかない。結局六時まで出発を待たされて、それから揖斐川の堤防をびゅんびゅん飛ばすのだ。なんとか六時三十五分に間に合ったが、これなら一人で電車で帰る方が気が楽だった。

それでも七時四十分に家に着き、礼子にいつもより早いと言われる。西瓜西瓜と思って帰ったら本当に西瓜が出てきた。さっそく牧坂さんに社長就任のお祝いの電話を入れる。名古屋にマンションを借りて単身赴任するらしい。

九時半ごろ保雄に電話すると、寝ぼけた声が返ってきた。昇給を訊いてみると組合がないのにそこそこベースアップしたらしいので安心した。

 

2005.03.21に追加更新予定です。