探鳥日誌1

 

 

 

 

 

 

バードウォッチング日誌

第1集

 

1. 小鳥との出会い

1995年2月のいつごろだったか、妻が突然、双眼鏡を、それも二組!バーゲンで買ってきた。

「どうするんや、そんなもの・・」

けげんな顔で私が尋ねる。

「二人でバードウォッチングやるんやがな。」

当りまえのこと聞かないでとばかりに、妻が弾んだ声で答える。今まで、実生活にゆかりのなかったバードウォッチングだ。

「それにしても、二つもいらんやろ。」

「一人ずついるのんよ!鳥は飛ぶから、替わりばんこというわけにはいかへん。」

そんな理屈が急には理解できなかった。

こうして、あくまで探鳥は妻の思いつきではじまった。

1995年2月26日の日記に、「はじめて、鴨川へバードウォッチングに行く、ユリカモメを見た。」とある。それから、3月6日、京都御苑の小鳥の水呑み場で、おじいさんが掌に餌を載せてヤマガラに食べさせているのに出くわし、餌のひまわりの種を少しくれたので、手にのせてしばらく待つと、本当にヤマガラが飛んできて種をついばんだ。その晩、妻は外出して、小鳥屋でひまわりの種を一袋買ってきた。

翌3月7日、再び水呑み場へ出かけ、だれもいなくなったすきに、ひまわりの種を手にのせてみる。やはり飛んできて餌をくわえた。さらに、携えて行った双眼鏡で、ちょっと注意深く観察するだけで、その日、何種類かの鳥を確認できた。とりわけ、これが日本語とは到底思えないビンズイという名の鳥(つい昨日まで、スズメと同類に思っていた)冬にだけやってくるらしいこの小鳥が、足元の地面をうろちょろ歩きまわっていたりした。よく見ると腹の縞模様といい、歩き方もぴょんぴょん跳びではなく、我々同様左右の足を交互にして歩いている。まるで、夜ふと目を覚ますと、おもちゃの兵隊が部屋中を歩き回っているような光景だ。

こんなに多様な鳥たちが、人知れず自然の中で暮らしているとは・・急に目の前が広がったように思えた。

 

2.松尾林道 1995年4月7日(晴)

苔寺の南側の道を辿ると、松尾林道に至る。谷川ぞいのすばらしいハイキングコースにもかかわらず、あまり人はやって来ない。いつぞや初めての時、地の人に道を聞いたら、教えるのが迷惑そうで、途中熊が出たり、道に迷ったりもするから「やめといたほうがよろしい」と警告された。

ご親切な言葉を無視して私たちは二度三度訪れた。かかりの竹薮ぞいの道からやがて林道となり、おおよそ4キロほど平坦な道は続く。夏にはアサギマダラが木の間を飛び交い、秋には水引草や秋丁字が沿道に咲き乱れていた。その他の名も知らぬ小さな花に時々歩を休め、かがみこんで覗いた。やがて、車が充分に通ることのできる林道は、それが小さくUターンできるほどの小広い草っ原で途絶えた。あとは、私たちを誘い込むように細い道が山肌を登ってくねり、時としては山中を、人一人の幅にも満たない崖沿いの道が尾根伝いに貼りついていて、恐る恐る進むと、小1時間で、嵐山に抜けることもできた。

最近バードウォッチングを始めた我々は、足元の花のかわりに、梢を見上げながら歩いている。苔寺脇の堀割に飛び交うセグロセキレイも以前はとんと気が付かなかった。

目の下の谷川の流れに目を落とすと、カルガモの親子がひっそりと泳いでいる。林道の入り口から300メートルぐらいのところで谷川が流れを押し留め、水も奇妙に澄んでいる格好の場所があり、道側には都合よく広い寄り州も出来ていた。夏の休日には近来の子供たちが水遊びにやってきて占領しているのだが、今は早春の平日だった。人気はない。まだ少し早かったが、水辺近くにビニールシートを敷いて座りこみ、リュックから弁当を取り出した。腹が空くというより、早く平らげて肩の荷を減らしたい気持ちのほうが強かった。その時、10メートルほど先の水面から突然変な鳥が飛び立った。鳩ぐらいの大きさだ。前面の雑木林の、とある木の枝に留まった。驚いた!緑色の鳩である。そして、

「コアオー、アオ」

と鳴いた。慌てて双眼鏡を引き寄せる。感動が身体中に込み上げてきた。

どのくらいの時間眺めていたろう。ほんの短い時間だったような気もする。やがて、美しい翼を広げて、まるで主人公が舞台を去るように林の奥に消えてしまった。地面に弁当を広げたまま、妻と私は小半時その場にじっと立ち尽くしたが、アオバトは二度と現われることはなかった。

その日の収穫は結局それだけに終わったが、初心の私達には忘れられない一日だった。

 

3.松尾橋まで 1995年5月2日(曇)

昨日からの雨も朝には上がっていた。九時半ごろから出かけて、烏丸から阪急に乗り込む。ずいぶん混んでいる。そういえば、今日はまだゴールデンウィークのまっ最中だった。世間の暦を忘れてしまっている。嵐山で降りると、人の流れに加わって渡月橋下流の堰へ出てみる。昨夜の雨で急流となり、石畳は水没していた。4月21日に来た時に見つけたハマシギの群れもイソシギも今日は見かけない。ユリカモメとツバメが目につくのみだった。諦めて河畔のサイクリングロードを歩き出す。ここらあたりまで来ると、自転車も人影もないので、この上なくいい散策路だ。早い流れの中に、ダイサギが逆らうように立っている。道の傍の雑木には、ヒヨドリばかりが喧しく鳴いていた。

同年輩と思われるジョギング姿が向こうから走ってきて、すれ違いざま「おはようございます」とわれわれに声をかけた。こちら側も慌てて、「おはようございます」と返す。

行く手に松尾橋が小さく見えてきた。その橋の袂を右に曲がれば、由緒ある松尾神社の鳥居が聳えているはずである。

ここにも堰がある。流れが堰にかかる手前に二箇所、小島が頭を出していて、その上に二三羽のカワウが羽根を広げて、やっと射してきた薄日に乾かしている。見知った人には詰まらぬ光景が、今はひたすらいとおしかった。あいかわらず流れは早く、カワウのほかには、そこら中で飛び交っているツバメが目につくだけだった。

さらに歩を進める。松尾橋の間近、ケッケツケッと警戒音を発する鳥。木の葉の中から突然飛び出した鳥が梢のてっぺんに止って、さらにけたたましくケッケッとさえずる。しばらくじっとしていてくれ、と祈った。まだまだ慣れぬ手つきで胸元の双眼鏡を目にあてがい、枝先の鳥影を探し当て、どきどきしながら焦点を合わす。鳥はレンズの中でまだ鳴いていた。図鑑のページをめくる。双眼鏡と図鑑の間を私の目が行ったり来たりした。間違いなくモズだ。しばらく、道端に身を隠すように見ていると、どうやら巣があるらしく、頻繁に枝から枝へ飛び移り、ふいと消えてはまた現われる。そしてケッケッと警戒音を出す。葉の重なりの奥で雛らしい、遠慮のない合唱も聞こえた。

 

4.鴨川から京都御苑へ回る 1995年5月11日(曇)

鴨川と言うからは昔からカモが多かったに違いない。実際、地方に旅行に行っても、都会のど真ん中を流れる、この程度の川にこれほど数多くの鳥が生息する例は珍しい。私達のバードウォッチングも鴨川から始まった。と2月26日の日記にも記してある。

我が家から鴨川までは自転車で一走りの距離にあった。御池大橋から上流1キロばかりの賀茂大橋まで行き、そこから京都御苑の北側へはこれまた自転車で一走りだった。バードウォッチングを始める前からのわれわれの散策コースでもあった。

水鳥にもいろいろの種類があって、カモとかサギとかカモメではすませられないことを知った。カイツブリを初めて見た時も、驚きだった。この種のトリがそんな芸当をするとは露知らず、潜ったままいつまでも水面に現われないので、ひょっとして川底の藻にからまれて溺れているのではなかろうかと、真面目に心配したものだ。

今日は雨が降りそうだったので、傘を持ち歩いて出かける。荒神橋の堰のところで、じっと小魚をねらう姿はゴイサギかと思ったが、どこか違う。図鑑を紐解いて比べてみると、意外や意外ササゴイだった。羽根の笹模様があざやかで美しい。通りがかりのジョギングの人にも声をかけて説明したいぐらいに、この新発見が嬉しかった。

ぱらぱらと小雨が降り出し、足元を濡らしながら賀茂大橋まで行ってしまう。途中、岸辺に雨宿りするカルガモの親子。めげずに飛び交うのはツバメだったが、石畳に止ったところを双眼鏡でじつくり眺めると、頬が赤くて可愛い。それからキセキレイにもお目に掛かった。

雨も止み加減だったので気をよくして御苑にも回ることにする。御苑東外側に位置する梨木神社の、染井と呼ばれる井戸の湧き水が、京都の名水だというので、私達は、三日に上げず汲みに来ているが、近頃は大抵双眼鏡を忍ばせて行き、したがって御苑の小鳥にも次第になじんできた。

御所の敷地内には旧何々邸跡というのがあちこちに点在している。大抵木の標識が立っているだけだが、近衛邸跡には池が残っていて、周囲に張り巡らされた鉄柵のため、中には踏み込めないので、おかげで鳥たちのいい住まいになっている。池にはカルガモのつがいが浮いていた。キセキレイ、セグロセキレイも尻尾を振りふり、飛び回っている。池の中ほどに深水を示す計量尺の棒が立っていて、それが格好の止り木になっていて、代わりばんこにセキレイが止る。今日は、カワセミが止って、そこを起点にホバリング、ダイビングを繰り返すのを目撃した。見事だった。池の回りは背の高い雑木の茂みで、その梢にイカルの群れも見た。5月5日に深泥池の奥の谷水で水浴びするイカルを見ているが、御苑で確認したのはこれが初めて。

 

5.大阪南港野鳥園 1995年9月15日(晴れ)

大阪南港第二埠頭の野鳥園に出かける。阪急烏丸まで歩き、特急で梅田へ出て、地下鉄四つ橋線で住吉公園前から、ニュートラルに乗り換えて、中突堤終点まで乗るのだ。そこから1.6キロ歩いて、やっと野鳥園にたどり着く、都会にしては不便な場所だ。まだまだ残暑が厳しく、十二分に汗をかいた。でも、今回はすんなりと来て迷わなかった。

この前5月に一度来たことがあるのだ。御苑で小耳にはさんだ、楽園のようなその名前だけを頼りに、バードウォッチャー気取りで、そわそわと出かけたものだ。「野鳥園」というからには野鳥がいっぱいいるにちがいないと思った。ところが、その日はちょうど水曜日の休館日で、人影はほとんどなかった。正門は閉ざされ、センターには入れてもらえなかった。それでも公園内は自由に歩け、北観測所の、狭間のような小窓から眺めて、そこで初めてオオバンと、

ホシハジロを見ることができた。林の中の小道で、セキレイを見かけ、それが、顔の白いハクセキレイだったことも嬉しかった。帰り道、工事の用地に溜まった水溜まりにイソシギとコチドリがいるのを目撃もした。

楽園とまではいかなかったが、私たちにはなかなか見ごたえのある探鳥地だったのだ。

今日は打って変わって、祭日のため沢山の家族連れで賑やかだ。本館の観察センターにはいるのは今回が初めてである。係員がいて、いろいろ説明をしてくれるうえ、窓辺に固定してある望遠鏡を覗くこともできた。30メートルほど離れたところに島というか、州があり、サギやシギが餌をとっている。なにしろ広いので、シギは小さく、双眼鏡では見辛い。親切な若者が自前の望遠鏡でセイタカシギやソリハシシギなどというのを次々見せてくれた。倍率は二十倍だそうだが、、よく見える。いつぞや京都御苑で、これを担いできて近衛邸の池の鳥を見ている人に出くわしが、その時はなんとまあ大層な道具立てと可笑しかった。今は、つくづく望遠鏡が欲しいと思った。別名「貴婦人」と呼ばれるセイタカシギはいつまで見ても見飽きない。まるでバレリーナのようだ。

相当見せてもらって堪能したとこで、さらに家内は事務所に申し出て、南側に出る鉄扉の鍵を借りてくる。こういうところは私より抜け目がない。「野鳥の会大阪支部の者です。」という先ほどの親切な若者といっしょに南観測所に回る。そこにはすでに数人のベテランらしい人たちが、それぞれりっぱな望遠鏡を構えていた。いかにも大阪人らしく、大声で喚きあっている。時々大きな魚が池面をはねるが、おずおずと名を聞くと、「あれはボラや」と見知らぬ私にも見境ない笑顔で教えてくれる。

「あれ!コアオ!」

と女ウォッチャーが叫ぶ。みんな一斉にその方向にレンズを向ける。

「ちょっと見せたげよ。まあ、珍しい方の鳥や。」

なるほど細い足が確かに緑色だ。コアオアシシギを見たことで、その日、なにかいいことがありそうに思えた。

家に戻って万歩計を見ると2万2千歩も歩いていた。

 

6.桂川久世橋 1995年10月21日(晴)

 絶好の晴天である。

11時過ぎ、早い昼食を家で済ませてから、漠然と聞いていた地理と、「おもしろいとこですよ」の人の勧めに従って、烏丸四条から市バスに乗り込んで、久世橋まで行く。どこで降りたらいいかもわからぬまま、東詰めで降りたが、鉄橋の上から見下ろしてみて、どうやらカモは西詰めに片寄っていたので、長い橋を渡って西詰めまで移動、桂川の土手に下りる。そこで望遠鏡を組み立てる。とうとう買ったのだ。この前、大阪南港野鳥園で、他人の望遠鏡を覗かせてもらったが、その時のセイタカシギの印象が頭からはなれず、翌日には家の近くのカメラ屋に走った。そしてズームレンズつきまを買って帰った。60倍ズームは接眼レンズだけで6000円もする。

遠くから、けたたましく警戒音を発するので、立ち木の枝を目で探すと、やはりモズだった。木の下で望遠鏡を構えたが、近くの小さな運動場で高校生が野球をしていて、ユニホーム姿が走り寄ってきて、「危ないですよ!」とどなられてしまった。

しばらく川を遡って歩いた。川の中ほどにオナガガモとコガモが数羽ずつ泳いでいた。肉眼でも十分見えたが、せっかくの望遠鏡だから、三脚を立てて、じっくりと見る。オナガガモの白く食い込んだ首の模様がなんともいえない。コガモもよく見ると顔が冬羽になりかけていた。芦原を踏み分けて2、3百メートル歩いたろうか。中州の向こう側から回り込むように、ひときわ風変わりなカモが数羽、一列に並んでやってきた。望遠鏡で捉えて、黒い頭にまくれ毛があり、目が黄色いと報告すると、家内が息をはずませる。

「キンクロハジロ!」

と呪文のように言い放った。なに?それ・・と私には聞きなれない名前を妻が難なく口走ったのが不思議でたまらなかった。それから彼女は、ページを繰るのももどかしく、図鑑を見る。ようやく私にも飲み込めた。やっぱり「キンクロハジロ」に間違いなかった。五六羽がすいすいと編隊を組んで、中州の草むらに寄りそうように泳いでいた。桂子が興奮する。それにしても妻は、いつの間にキンクロの名前を知っていたのだろうか。

帰りに、河原の畑にヒバリが舞い降りてきて、望遠鏡でしっかり見ることができた。子供の時から歌に聞き、空を飛ぶ姿は見かけたが、じっくり姿を確認したのは、何と初めて!知らないことばかりである。

 

7.深泥池にて 1995年11月5日(晴)

定年後の健康維持のために時々出かけたハイキング、その「ついで」に鳥を見始めてから半年が経ち、「ついで」が逆転した。鳥を探すうち、いつの間にか距離が伸びていて、時計を見、腰の万歩計を確かめてびっくりする今日この頃となった。先月の末にとうとう、日本野鳥の会に入会した。やがて京都支部から会報が届き、探鳥会の案内が出ていたので、さっそくの初参加である。

さいわい雲ひとつない、絶好の鳥見日和だ。9時のところを少し早目に深泥池に着いたつもりが、集合場所にはもう大勢の男女が集まっていて、眼の前の池に向かってスコープの砲列を引いている。見るからに鳥好きと顔に描いてある人たちばかりだ。場慣れた人同士たのしそうにしゃべりあっていたが、われわれ二人は新参なので、この位置にいていいのかさえよくわからなかった。私よりは多少よく気の回るツレアイが、会長さんにご挨拶したいと、ベテランらしい人に名乗り出ると、「この人が今日のキャプテンや。」と若い人を指差して紹介してくれた。「なにぶん初めてなもんで・・よろしくお願いします。」如才なく家内がキャプテンに挨拶する後ろで、私も帽子を取って頭を下げた。

始まる前から、柳の天辺にジョウビタキが止まっているのを、キャプテンが見つけてさっそく教えてくれた。みんな

が一斉にジョウビタキに視線を集中していると、今度は、まったく別な方向を指差し、青空に舞っている一点を、「あれはタカですよ。トビでとは違います。尾を見てください。扇型をしてるでしょう。あれはオオタカや」と断言する。私はその豆粒のような鳥の舞を双眼鏡に捕らえるのに四苦八苦した。

みんなが輪になり、深泥池が天然記念物に指定されている謂れ、池の真中の島が実は浮島だとかを、キャプテンがいろいろ説明してくれ、いよいよ探鳥会本番が始まる。池には数種の鴨たちが泳ぎ回っていた。「ほれ!ナポレオンハットをかぶった鴨がいるでしょう。ヨシガモです。」図鑑ではお目に掛かっていたが、実物はこの時初めて見る。感激だった。やがて、出発して、池の回りの薮にはいる。「ベニマシコが鳴いてます。」「カケスをちらっと見かけました。」と言われても、さっぱり聞こえない、わからない。「耳を澄ましてみて。チャッ、チャッと舌打ちをうるような鳴き声が聞こえませんか。」それがウグイスのササ鳴きだとは今が今まで知らなかった。秋の今時分にウグイスがまだいること自体、初めて知ったことだ。

2時間ほどで元のところへ戻ってきて、「鳥あわせ」が始まる。その儀式がまた面白い。「コガモを見た人ありますか?」の問に、思わず「はい!」手を上げてしまう。コガモが数のうちに入ってしまった。「お父さんホントに見たの?」家内が心配そうに、そばからささやきかけてきた。急に自信を失ったが、もういまさら引っ込みがつかない。鳴き声も含めて、33種だと言う。われわれのチェック表には13種しかチェックが入ってなかった。会誌に初参加の感想を書いてもらえないかと原稿用紙を渡される。

解散後、池の傍で、お婆さんが鴨に餌をやっている。ハシビロガモがほんの間近までやってきて、パンくずをぱくぱく食べた。気の強いマガモの雌が他の鴨を蹴散らかして餌を独占しようとする。我々はもう一回りしてから帰ることにする。

 

8.新旭町水鳥観察センター 1995年11月10日(晴)

  十時に家を出たが、近江今津に着いたのが十一時半だった。会社勤めのころ、もう20年も前だ。近くの私立高校に卒業生を求めて、進路指導の先生を毎年訪ねた。かんかん照りの夏のさなかだった。多少思い出のある駅舎だったが、今はいい気候で、家も建て込み、道筋もきれいになっていた。退職してからまさかここへ、鳥を見つけに来ようとは思いもよらなかった。人に聞いてきた道順を、聞き違いがないことを信じながら、湖岸に沿って歩き出すが、穏やかな水面に、いきなり変な冠羽のついた、ちょっと大きいやつを発見する。しばらく飄然と泳いでいたが、ふいと立ち止まり、ちょっと伸び上がったかと思うとずぼっと潜った。家内が図鑑を繰りだす。「カンムリカイツ

ブリかもしれん!」まさにその通りだった。かなたが霞むほど広い水面を見渡した最初の不安が、だんだん期待に変わってくる。砂地を踏みしめて歩くうち、桂川で見て小躍りした、あのキンクロハジロが、こともなげに連なって泳いでいる。行くほどに湖面の鴨は数を増していった。しかし肝心の水鳥観察センターは、行けども行けどもまだまだ先らしい。途中のベンチで手製のお弁当を広げる。

ほとんど波はなかった。ぽかぽかと暖かい。

時々箸を置いて、双眼鏡を覗くとその中には、ホシハジロもいる。オオバンもいる。それもぞろぞろいる。ハシビロガモもいる。三十分と聞いてきたセンターまでの道のりを二時間かけてしまった。わくわくしながら扉を押して中に入るが、りっぱな館内にまったく人気がない。ひょっとして休館かと思ったら、どこからか館長さんが現れてきて、「白鳥なら沖に五六羽いますよ」とスコープを合わしてくれる。それが、コハクチョウだった。来た甲斐があった。館長さんは人なつっこく、瓶にはいった南京豆のようなものを、我々に見せて、「なんだと思いますか?」とクイズまがいに私の顔を覗き込む。

「白鳥のペリットです。つまり一度食べて吐き出した食べ滓です。」

事務所から、もう一つ小さなガラス瓶を取ってきて、

「昨日回収したてですよ」

と、白鳥の糞を瓶から取り出して見せた。刈り取ったあとの田んぼで、落ち穂を拾って食べるので、もみがらが糞に混じっているのだと、つまんで見せてくれる。

帰り道、一時間あれば充分とたかをくくっていたところ、道草が過ぎて、一時間に一本の電車を一台乗り遅れてしまう。

 

9.巨椋干拓田 1995年11月12日(晴れ)

地下鉄から乗り継いで近鉄向島で下りる。人の話を小耳にはさんだだけで出かけたものだから、さっぱり見当がつかない。元小倉池の干拓地というから、どこぞに池のなごりでもあるかなと、駅の窓ガラス越しに畑を一望するが、それらしいものは見当たらない。手っ取り早く駅員さんに、鳥を見るのはどこへ行ったらいいか聞いてみた。 

「みんな西向いていかはりまっせ。」

とのこと。一面の田畑に向かい当てもなく歩き出す。近くを小汚い狭い川が流れていて、そこにコサギが2、3羽下りている。我々がそのほとりの畔道を辿り始めると、ぱたぱたと数羽の鳥が飛び立った。翼を見てあっと驚く。昨日図鑑で見た通りの、白地に端が黒い、小型の鶴のような模様。「お父さん、ケリや!」と家内が叫ぶ。すぐ、10メートルばかりの田んぼの中に下り立って、こちらを伺っている。望遠鏡でなくとも、双眼鏡で十分だ。赤い目、黄色く先の黒いくちばし。地味な背色。間違いなくケリだった。しかし、それも束の間、心臓を高鳴らせてスコープをセットしているひまに、3羽ほどいたのが、いっせいに2百メートルほど先へ飛び去ってしまう。

そのごたごたの最中に、2メートルほどの深さの川底を2羽の、ムクドリほどの鳥がぱたぱたと飛ぶ。お尻のあたりが真っ白い。留まったところの草むらにすぐ隠れた。「クサシギと違うか?」と桂子。そう言えばくちばしも長く、シギであることには間違いない。来てすぐの出来事に、川を辿れば、いくらでも出会えそうに思えた。ところが、クサシギ?にはそれっきりお目に掛かれなかった。

低空でカラスが自分より少し小さい鳥を執拗に追っかけている。背中の色から、うわさのチョウゲンボウに違いない。縄張り争いか。こんな光景も初めて目にする。

小屋の屋根に止っている平凡なやつが、望遠鏡を合わせるとカシラダカだった。こんなことも嬉しい。途中若いウ

オッチャーに会う。京都の人?と聞くと、

「奈良から来ました。まだ、ケリを見てないんです」

という。私たちだって今日生まれて初めて見たばかりではあったが、

「気の毒だけどこればかりはどうしようもない。つい今しがたもいたんだから、そのうち見られますよ」

先輩ぶって返事をする。別れたあとで、私たちは別なところでまたもう一度ケリに出会った。幸運だ。若いウオッチャーに知らせてあげたいが、もうあたりにはいなかった。電線に並んでいるカワラヒワも見た。

   

10.桂坂野鳥園と桂大橋から久世橋まで 1995年11月19日(晴れ)

桂坂野鳥園には先月にも出かけたが、その時はがっかりだったので、今月は少しはと思って行ったが、池にはカルガモが泳いでいるだけだった。参加者も我々二人を除けば、紳士が一人と、双眼鏡も持たないお婆さんの計四人。道中、案内してもらったのは、名前を聞くのは忘れたが、塾の先生だということで、相当のベテランらしく、私は探鳥の代わりに、いろいろ質問をしながら歩いた。それに紅葉がきれいだつたので、別に損はなかった。お婆さんは登り坂になると、すぐ息を切らしてしまう。紳士が見かねて手を引っ張ってあげていた。結局山の中では、鳴き声は多少聞いたが、確認は前回同様のゼロ。ところが、ふもとの道に出たところで、突然けたたましい声で鳴きながら、ちょうど我々の頭上数メートルのところをキジが二羽、バタバタと飛び立った。真っ赤な顔と日の影で黒く見える胴体、長い尾っぽ。突然の出来事で、私はあまりはっきり確認できたわけではない。

「つがいでしたね。一羽は茶色っぽくて・・・」

と言う塾の先生も、さすがにこんなのは初めてらしく驚いていた。キジは近くの山肌の繁みに隠れて、しばらく待ってみたが二度と姿は現わさなかった。そのあと、道端の電線にジョウビタキが止っているのをじっくりと観察する。「頭がグレーでしょう。尉(じょう)と言う位は年寄りの意味があるのです。そこから名付けられているのですよ。」なるほど!探鳥会のあまりの寂しさに同情して、鳥のほうからまかり出てくれたのかもしれない。

野鳥園の庭でお弁当を食べてから、帰り道、京都バスで、桂離宮まで足を伸ばす。桂大橋の脇から桂川の河原に下りて、下流に向かって歩くと、ポカポカ陽気で、日差しが暑い。日曜日で人出も多かった。

いきなりホオジロを見かけた。JR鉄橋の上手でカモの集団に出会う。望遠鏡をあてがってみると、いるわ、いるわ、十種類以上のカモ達が同居している。その中に、遠く肉眼では、白いユリカモメに見えたのが、よく見ると、この前新旭町で見かけたカンムリカイツブリだった。オカヨシガモもいた。バンも数羽、しかも、あまり隠れようともしないの

で、望遠鏡でいつまででも捉えることができた。

陸地には、梢の先に、カワラヒワやモズも見た。実に、この河原だけで、わずかな時間に28種を見たことになる。「野鳥園」では、たった5種類を見ただけだったのに・・

それにしても天気が良すぎて、暑くてたまらない。その上、ゆうべの寝不足がたたって、眠くてしようがない。万歩計も、1万5千歩を越えたので、このぐらいで切り上げることにした。

 

11.守山なぎさ公園 1995年12月17日(晴れ)

7時半に家を出るが、琵琶湖線米原行は8時5分発しかなかった。守山には8時31分着。9時発のバスを待つしかしようがない。終点みさき公園に着いたのは予定より20分遅れの9時20分だった。ところが幸いなことに、一行はまだ出発していなかった。滋賀ブロック発足第1回目の探鳥会ということで小人数の集まりである。バス停の近くの入江でバンの親子を見ている最中に時雨れてくる。

湖畔に出ていきなり、コハクチョウを10羽ばかり見かける。白鳥を取り囲むようにして、カモの群れ。ちょっと離れて、ウミアイサがいると言われ、慌ててスコープをセットするが、しっかり見ぬうちに沖合いへ飛び立ってしまった。小人数だが、発起人が三人ともなかなかの物知りで、学校の先生というMuさんは植物に詳しい。セイタカヨシから始まって、マコモ、ガマ、タチスズメノヒエ、カワヤナギ類、ジャヤナギ、アカヤナギ、はては洋種の三葉松までいちいち教えてくれた。Moさんは貝に造詣が深い。砂地に落ちている貝殻を解説してくれる。カワニナ、ヒメタニシ、タテボシガイ、セタシジミ、マルドブガイ、ササノハガイ、などである。途中の土手で交通事故らしいキツネの死体に遭遇する。Muさんはその体長を計り、記録する。

晴れ上がったかと思うと、急にまた時雨れ、お陰で湖面の向こうに奇麗な虹を見ることができた。また、雪の比良山も素晴しい。

コサギがトビに追われているのかと思ったら、オオタカがカラスに縄張りから追っ払われているところだった。

目的地の野洲川河口が見えてきたところで、ハジロカイツブリを初めて見る。潜るのに忙しく、水面上でしっかりと確認することはできなかつたが、リーダーの青木さんが、これはなかなか珍しい鳥ですよと言った。探鳥以外の道草が多く、時間オーバーのため引き返す。立派なホテルのロビーへ上がりこみ、ソファーを占領して鳥合わせをする。鳥は三十種ばかりだったが、植物の名前とか、貝の名前とか、果ては狐まで記録するのには驚いた。

解散後、私たちは寒い砂浜で持ってきた弁当を広げ、そのあとで、ホテルの喫茶でコーヒーを飲み、2時20分のバスで帰る。

 

12.新春巨椋干拓田探鳥会  1996年1月2日(晴れ)

雲一つない、絶好の鳥見日和である。11時前に近鉄向島の駅にはもう四五十人が群がっていて、通行の邪魔になるほどだった。新参の私たちは誰に挨拶していいかさえ分からない。

やがて出発する。大移動である。巨椋田には以前、個人的に一度来たことがあり、その時は駅の近くのドブ川でケリやクサシギらしきものを目撃している。今回はその辺りは目もくれず、どんどん先へ進んで行くのである。川べりでカワセミを見かける。やがて広大な田畑の中、枯れた草むらの中に飛び込む鳥を指さして、「オオジュリンです」と、リーダーのFさんが教えてくれたが、その時はもう姿は見えない。チョウゲンボウがカラスに追っ払われている。遠くの電線にとまる二、三羽のカラスは「ミヤマガラス」だという。近ずくにつれミヤマガラスは数を増し、何十羽も刈り田に群れているのに出くわした。

先頭としんがりの間隔は200メートルぐらいに伸びた。それでも予定より半時間遅れの12時半に土手に着き、昼食をとる。空をハトやユリカモメの群が舞っており、時折その群にハヤブサやハイタカが襲い掛かる。一方、土手の草むらからコミミズクがふいに飛び立ち、ちょっとの間小枝に止った。ラッキーとばかりに望遠鏡を立てる間もなく、再び草むらに隠れてしまった。おちおち休憩もしていられないほど出現鳥は豊富である。モズがいる。カシラダカがいる。ホホアカもちらりと目にとまる。

「タゲリ!」の声に、目をこらすと、畝の先10メートルばかりのところに、確かに冠をつけた緑色の鳥が突っ立っていた。一斉に望遠鏡を覗くが、こんな貴婦人のような装いが、どうして田んぼの中の生活に必要なのか私には奇妙に思えた。

道すがらリーダーが道端にかかみ込んで、親指大の物を取り上げて皆に見せた。「コミミズクのペリット」だと言う。主にカヤネズミ(カヤの穂先に巣を作る小型のネズミ)を食べているらしい。コミミズクの生息場所のヒントを教えてもらう。木の上、とばかり思っていた私の常識は破られ、地表30センチぐらいの枯れ草のなかに潜んでいるらしい。

コミミズク探しの最中に、セイタカヨシかなんかの先にオオジュリン

が長々と止ってくれ、堪能するまで眺めることができた。

ここで鳥合わせをするが、総数三十七種とは凄い。

3時過ぎ、一旦解散となる。コミミズクは日の入り後に活動し出すので、熱心なウォッチャーはそれを待つことになるが、我々は、大部分の人達とともにさよならをする。振り返ると、残留者は五、六人だった。

それから元の駅まで引き返すのが、また長かった。途中の畑の中に、タヒバリを見つける。東の空には薄色の月が懸かっていた。

向島の駅に着く直前に、夕日が山の端に沈んだ。電車の窓から見ると月が輝きを増していた。今頃コミミズクが草地を、カヤネズミを探してふわふわと飛び出しているのだろうかと思うと、少し心残りではあった。

 

13-1.久世橋から桂鉄橋  1996年1月13日(晴れ)

久世橋西詰でバスを下り、土手に出たところで、ちょうど昼の時間だった。壊れかかったベンチでサンドイッチを広げたあたりに、モズとカシラダカを見つける。今日はカワウが飛ぶのがいやに目についた。

上手へ歩き出し、最初の堰のところで、たくさんのユリカモメに混じって、ひときわ体の大きい鳥がうずくまっているのに出くわす。図鑑と照らし合わせてよくよく見ると、どうやらセグロカモメの幼鳥らしい。居合わせたカメラマンも必死で焦点を合わせていた。その人に鉄橋の近くでミコアイサが出ているらしいと聞いて、急いで上流へと歩く。カンムリカイツブリやホシハジロは見つけるが、JR鉄橋を潜り、二百メートルばかり探しても、とうとう見つかられなかった。中州にバンのつがいがひょこひょこ歩いている。

もう一度注意深く下ってみるうち、鉄橋下流の島の茂みにゴイサギのコロニーがあるのを発見。枝という枝に十羽ばかりのゴイサギが鈴なりに成っていた。

 

13-2.再び久世橋から桂大橋 1996年1月17日(曇り)

三日も待った。少し曇っていて、寒そうだったが、早昼を食べて出かけることにする。おとといの雨で少し増水していて、カモメもカモも少ないようだ。これではミコアイサも来てないだろう。

そのかわりカンムリカイツブリをたった一羽久世橋の下流で見かける。カワウばかりが対岸に行列していた。地面も所どころ冠水したようで濡れている。ようやく、道端の木の杭に止まるモズを見つけたが、双眼鏡が気に入らぬのか、われわれに向かってしきりに警戒音を投げかける。

JR鉄橋を越えたが、状況は変わらない。バンも島影にやっと見つけた。

せめてカシラダカでも見たいと思うが、それらしいのが葦の端から飛び出しはするのだが、たちまち草むらに隠れてしまう。双眼鏡をあてがう暇もない。今日はもう諦めて、このままハイキングがてら松尾橋まで歩こうかと相談がまとまり、桂大橋目指して歩きだした、その時、ユリカモメにしては胴が長く、鴨にしてはやけに白っぽい水鳥がかなたに二羽浮かんでいる。双眼鏡で凝視する。次の瞬間二人がほぼ同時に叫んだ。

「やったあ!」

「まちがいない!」

夢にまで見た目の回りの黒丸。まさしくミコアイサだった。緊張してスコープをセットする、時遅く、はたはたと上流へ飛び立って行ってしまった。私たちはそれを追って進む。桂大橋近くの堰で再び白い鳥影を見つける。しかも三羽もいた。今度はしっかりと望遠鏡で捉え、じっくりと観察した。あざやかな白と黒のコントラスト。まさにパンダである。それにしてもよく潜る。雌を探したがそれは見つからなかった。

 

14.京都御苑清和院門付近  1996年1月19日(曇り)           

十時過ぎから出かけ、梨木神社のすぐ近くの、清和院門の脇に自転車を置いて、まず大宮御所東側の散策路を少し歩く。目的地に一直線に辿りついて、見つからなかった時のがっかりを考えていた。しかし、先日ジョウビタキやツグミを見たあたりの梢にも格別鳥影らしきものさえ見当たらないので引き返す。再び門を入り、雑木林の道を北に進んだ。シジュウガラが高い小枝に飛び回っている。エナガも鳴いているようだ。

そのうちコゲラも見た。しかしお目当てのやつには出くわさない。Sさんに聞いていた、メタセコイヤに狙いをつける。十本ばかりのメタセコイヤが冬空にそそり立っていた。枯れ枝が曇り空に行儀よく並んでいたが、何事もない。ゲートボール場の東側までたんねんに探すが、いないようだ。「やっぱりなあ、そうは問屋は卸さんわ」と自分に言い聞かせ、諦めてこのまま植物園まで突っ走ろうということになる。とりあえず公衆トイレを借りて、さて、と出てきたら、家内が元の道を十メートルばかり戻ったところで手をこまねいている。私も急いで駆けつけた。彼女は双眼鏡を目から放さないままで、

「あれ、違うか?お腹に横縞が見える。」

 

と言う。桂子の指差す方をキョトキョト探す。そのうち思わぬところから、ついと飛び立つ鳥の影。そこそこ大きい。私も必死で追った。松の木と雑木が抱きあった、いつも見かける木立の中ほどに、頭が赤く身体の緑の鳥を見つける。腹に横縞がある。再び飛び立たないことを念じつつ望遠鏡をセットする。まさにアオゲラだった。時間にして十分以上、我々は交代でレンズを覗いた。頭と目尻の赤が鮮明だった。小さな木の実を啄んでいる。首がだるくなるまで充分に観察した。

意気揚々と一時ごろ帰宅する。

 

15.天ヶ瀬ダム森林公園  1996年1月21日(晴れ)

天気も上々、京阪宇治駅に着くと日曜日とあってハイカー達が右往左往して、ちょっと紛らわしかった。探鳥会のメンバーは約二十人。九時十分のバスに乗り込むが、我々のお陰で満員になった。天ヶ瀬ダムより一つ向こうの「桜谷」で降り、その場でリーダーのHさんがこれからの行程の説明を始める。その矢先、「ちょっと待って!」と、百メートルぐらいの川幅の対岸あたりに双眼鏡を当てがいながら、

「ヤマセミです。」

と叫ぶ。みんな一斉に双眼鏡を構え、ばたばたと三脚を立て始め、私も大急ぎでスコープをセットして探すがなかなか獲物にたどり着かない。とりあえず人のを覗かせて貰った上で、Mさんという年配の人に私のスコープを合わせてもらう。ものの一二秒で見事に捉えてくれた。まさに図鑑で見た通りの白黒のとさかを逆立てたヤマセミである。家内と交互に見、人にも見せて上げているうち、

「オシドリもいますから」

と言われ、今度もまたMさんのお世話になって、望遠鏡でそちらを覗く、奇麗な銀杏葉も見える。

「瞬間に焦点を合わすのは、やはり年期でしょうね?」

と聞いてみる。Mさんの答えがまた鋭い。

「これは年期やありまへん。天性のもんですわ。」

そこからまたバスに乗って、天ヶ瀬ダムまで引き返す。ダムの堰橋の上から大きな白いくちばしの赤い鳥が泳いでいるのが見える。バリケンという北アフリカ産の食用鳥が迷ってきているのだそうだ。鳥にとっては九死に一生を得たようなものだろう。アヒルも数羽いたが、それに寄りそうように泳いでいるマガモそっくりなのは「合ガモ」とのこと。

そこから山に入る。川沿いに二三百メートル歩き、折り返して戻ったところが森林公園の入口で、そこの紅葉の枯れ枝に小さな掌ほどのメジロの巣というのを見た。やがて、見晴らしのよい中腹の吾妻屋で弁当を広げる。三十分ほど休憩の後、山中に入る。

先頭のリーダーがふいに立ち止まった。

「アカゲラや!」

みんな一斉に彼の指差す方を見上げる。すぐあとで、ぱたぱたと梢づたいに飛び去る小鳥のシルエットを見た。無念残念だが、これでは確認したとは言えない。後ろを振り返りながら再び歩を進める。登りがどこまでも続いた。鳥が見つからないので、鳥獣保護委員のHさんは樹木のことやら狩猟のことやらを話してくれる。道端の穴を差して「イノシシの掘った痕」だと言い、ここら辺りまで下りて来て好物の山芋を掘るのだとも言った。猟師の間では猪の大きさを「一足二足・・・」と数え、猪の革で靴が何足造れるかで大きさを計る。「四足ひっぱり」とは、「引っ張れば靴が四足とれる」という意味らしい。

ようやく峠を登り詰め、下りに向かう。ハイキングと思えば最高の日和だ。途中から山に分け入って、枯れ草の中にミヤマホウジロが飛ぶ影を見るが、確認はできなかった。宇治川沿いの道路に出る寸前に、岩肌の腰の辺りに苔むしたような小さな穴があり、そりが「オオルリの巣」だと教えられた。

 

16.新旭町野鳥観察センター  1996年1月28日(曇り)

朝の支度が相当忙しく、七時五十六分の湖西線永原行はもうホームに待っていて飛び乗った。座席でハーフコートを脱いだらその下からちゃんちゃんこが出てきたのには驚いた。慌ててリックサックに押し込む。比良駅を過ぎると辺りは雪景色と変わり、近江今津の駅に集まった二十五人はリーダーのAさんを先頭に雪の道を歩く。曇り空ではあるが風はなく、湖面は凪いでいた。桟橋の電柱に、ユリカモメと肩を並べてくちばしと足が黄色いカモメが止っていた。これも実は初見だった。しばらく進んだところで、百羽ばかりのハジロカイツブリの大群に出くわす。沖合で個体は見分けられない。二三分で百羽が一斉に水に潜り、そのままいつまでも上がってこない。この団体行動がハジロカイツブリの決め手になるそうだ。途中、私が雪の端にチドリを見つける。Aさんに見て貰おうとしているうちに飛び立ってしまった。コチドリより少し大きめだったと説明すると、「それならきっと季節的にもイカルチドリでしょう。」「ああ、それにしておいて下さい、イカルチドリは初めてやさかい。」と妻が嬉しそうに言う。

オジロワシが出てくるはずの山裾で小休止するが、いつまで経ってもトビ以外は何も出てこなかった。一方、湖面を見ていた誰かが「大きな見慣れんカモが浮いている」という。鷲の説明をしていた若いリーダーが急いで双眼鏡を構え、「こいつは英名ダイバー、和名はオオハムという珍鳥です」と叫ぶ。我々も反転湖面に向かって一生懸命目をこらすが、そのうちに「潜ってしまった」ようで、「一度潜ると当分出て来ない」とのこと。諦めて湖岸を行軍再開して、十一時半ごろようやく観察所にたどり着く。今日はかなりの盛況だった。たまたま私の目の前にタゲリが飛来してきたのにはびっくりする。コハクチョウも二十メートルくらいの距離に五六羽がたむろしているのが見られた。

ここで見損なったオジロワシ、オオワシのビデオを見ながら昼食をとり、休憩の後に、さらに南へと前進する。

二三百メートル雪中を行進したところで、ホオジロガモをかなり間近に捉えることができた。今まで図鑑でお目に掛かっただけの鳥が現実にそこに泳いでいた。なんとも愛敬がある。それから遠方ながら、スズガモも確認できた。

三年生の女の子がMリーダーに、ダイサギとチュウサギの区別の仕方をひつっこく聞く。なかなかはきはきと物を言う子だ。この時分から探鳥を始めれば、すごい鳥通になるだろうなと、六十を過ぎた私は羨ましくなる。

観察所に戻り、鳥合わせが始まるが、実に五十三個体とはすごかった。

帰り道、三人連れと一緒に帰ったが、途中でカワアイサを身近に見つけて充分見ることができた。しかもその雌が同行しているのまで確認できた。お陰で電車を一台乗り遅れる。Aさんの一行も後からやってきて、

「ついさっき、オオワシが旋回していたのを見やはりましたか」

という。

「いいえ」

「そうですか。つい、十分ほど前に・・・」

残念と言えばそれが唯一残念だった。

 

7.桂川阪急鉄橋下流から久世橋まで  1996年3月13日(晴)        

阪急西京極からのコースを一度辿ってみようと昼前から出かける。街中を横切るので少しうっとうしい。ようやく桂川の土手に出ると桂離宮が遠くに見えていた。期待もせずにモズを横目に畑を突き切って川の端まで行ってみる。いきなりバン見つけ、鴨も数種いるようだ。その場に腰を下ろしてとりあえず弁当を広げる。カイツブリがもう夏羽に衣装替えしていた。その代わりヒドリの一羽は頭が薄くエクリプスになりかけている。

食べ終わって立ち上がったちょうどその時、大きな鳥影が近くでばたばたと飛ぶ。キジだ!赤いとさかは雄である。すぐ草むらに下り立って姿を隠した。もう一度飛び立つところをみようと二人で草むらに近づいてみる。右と思っていたらいきなり左から勢いよく飛び出して低空飛行で下流に逃げて行ってしまう。こんなのは探して見つかるものでない、幸運幸運と思いながら、今度は枝先に止った小鳥に双眼鏡を当てる。待てよ・・・今まで見たことのない鳥である。妻と替わるがわる図鑑と見比べる。腹は黄色がかった柿色をし、背中は薄茶色、二本の白い斜線が特徴的だ。頭はつるんとして灰茶色。しきりに木の新芽を啄んでいるのがいとおしい。どうやら、どこから見ても「ノジコ」と思われる。やった!これはなかなかなしろものだ。渡りの途中でまれにしかお目に掛かれないと書いてある。枝の二羽は確認出来たが、そのほかに三羽ほど、合計五羽は群れているようだ。望遠鏡が欲しい。ところが先程弁当を食べていたところに望遠鏡を立てたまま、キジを見にきた。ちょうど三脚の真横の木に止っているのだ。取りに戻れば逃げられるだろう。そろそろと歩いて、それでもやっと望遠鏡にたどり着く。手に引き寄せ位置を後方へずらそうとした途端、さっと飛び立って行ってしまった。残念!それでも、もちろん初見である。この前のトラツグミで九十九種目だから、ちょうど百種、切りのいい、また素晴しい収穫だった。意気揚々と、キジの下りた辺りに移動する。しかしもう二度目にはお目に掛かれなかった。

桂大橋の近くですっかり美しく夏羽に替わったカンムリカイツブリを見かける。

さらに、下流で今年初めてのツバメの飛ぶのを見た。こんなに早くからやってくるとは知らなかった。どこか薮の中でウグイスが下手なさえずりを聞かせてくれている。久しぶりにヒバリも見、これで今日のところは二十五種となり、風も出て空気が冷たくなってきたので久世橋から帰ることにする。

夜はいつもの葡萄酒で百種を記念して二人でささやかな乾杯をした。

 

8.観音寺杵田干拓田  1996年4月18日(晴)         

午後三時前にやっと時間ができたので、自転車で墓参りに出かけ、その足で柞田干拓田に回る。ここは香川県観音寺で、家内の郷里なのだ。土地の人に鳥がいると聞いてはいたが、私たちはあまり期待していない。

ちょうど干潮で、河口に近いせいで川岸に干潟があらわれていた。新開橋北詰めから北岸に下りてみる。ゴイサギ、コサギ、イソシギ、を見つけ少し期待がふくらむ。

橋を渡り南岸の土手を西へ。枝先にモズを確認。南に入り込む辺りで、桂子が奇妙な鳥を発見する。くちばしが下に曲がっている。あわててスコープを立てかけたとたん、四五羽が一斉に飛び立ってしまった。ダイシャクともチュウシャクとも決めがたい。しばらく待ってみたが、戻ってこなかった。

回り道して対岸に渡り、さらに南方の河口へと自転車を走らせる。道すがらヒドリ、コガモ、バン、ツグミなどを次々に確認する。海側に出て、堤防の梯子を伝って、中州に群れて、羽根を休めているカモメを、スコープで識別にかかる。セグロカモメ、オオセグロカモメは背羽根の、多少の明暗で区別する。ウミネコは口の先が赤い。

日が傾くに従い、風が出てきて、寒くなる。六時近くになり、帰路につく。再び新開橋の手前にへ差し掛かったところで、五羽の見慣れぬシギ。腹が黒い。ハマシギより大きく、またくちばしは短い。図鑑とシギを交互に見ること十分、ムナグロと断定する。これは初見である。

 

翌日  1996年4月19日(晴)

 昨日は朝から晩まで雨の降り通しで、明け方にやっと上がったようだ。早朝はまだ曇っていたが、やがて晴れるとの予報を信じて自転車で出かける。財田川の河口付近に行ってみるが、アオサギ、コサギ、カモメ程度なので、やはり柞田へ行くことにする。しだいに空も晴れてきた。ただ、この季節としては異常に寒い。

新開橋を渡り、下流へ五十メートルばかり進んだところから、州の端に、昨日見失った、くちばしの垂れ下がるやつを発見!慎重にスコープを立て、二人で代わる代わる観察する。大きさ、色合い、二本の頭央線などから、チュウシャクシギに間違いない。数えると全部で七羽もいる。やっと、昨日までの無念さが解消する。

さらに行くと、ツチー、ツチーと鳴きながら飛び、枝先に止った鳥に双眼鏡を合わす。頭が茶色、腹が白い。しかし、落ち着きがなくすぐに飛びたってしまい、確認出来ず。

一旦昼に帰り、三時頃から再び柞田へ。チュウシャクシギはまだ同じとこにいた。少し気を許したのか、今回は余り逃げない。じっくり、ほれぼれと眺めることができた。満潮でカモメが見当たらないので、ヒバリの声に誘われて干拓田を一回りする。そこで、なんと、もうそろそろいなくなっているはずのタゲリを見つける。

こんな身近に、鳥の宝庫があるとは知らなかった。ただ、どうしてこんなに、桜の季節に寒いのか。四時半に震えながら引き上げる。

 

9-1.京都府立植物園  1996年4月25日(晴)

昨日の探鳥会で、植物園にレンジャクが十数羽来ていると聞いたので、朝一番、開園時間に間に合うように出かけることにする。

鴨川にはカモは見られず、ただ、植物園西岸の桜のトンネルは今が盛りだった。

南正門から入り、一直線に日本庭園にと急ぐ間も、小鳥の声が入り乱れていた。しかし今は他の小鳥に構っていられない。大きなエノキに巻き付くキヅタの中を目で探すが、一本目には見当たらない。私が望遠鏡を組み立てている最中に、桂子が二本目のキヅタの下から、手で合図する。

「いるいる。」

私が寄っていくと、桂子は人さし指を立てて、「しっ、しっ」と私を黙らせた。すぐに分かった。頭にまげを付け、尾の先が赤い、ヒレンジャクが、キヅタの実を食べている。数えると十羽ばかりが樹の葉に見え隠れしていた。キレンジャクはいないようだ。

 

植物園に通い詰めているというカメラマニアが、ヒレンジャクは十日ほど前からやって来ていること、オオルリもカキツバタ園に三羽が定着していること、サンコウチョウを今も見かけたことを教えてくれた。

道すがら、昨日の探鳥会で見かけた若いカップルが、

「ほれ、センダイムシクイの声が今聞こえるでしょう。」

と、教えてくれた。

 

9-2.京都府立植物園 1996年4月27日(晴)

絶好の鳥日和に誘われて、今日も植物園へと出かける。サンコウチョウ、オオルリ、センダイムシクイに出会いたいと念じつつ・・・。

一昨日より鳥の声は少なかったが、ヒレンジャクは数が増しているように思えた。二十羽はいる。しかし、いくら見てもキレンジャクは見当たらなかった。

オオルリを見ようと出かけたカキツバタ園で、計らずも、野鳥の会のWさんに出会い、オオルリなら、キヅタのとこで今見てきたところです、と教えられ、急いでキヅタに舞い戻る。しかし、オオルリらしい鳴き声もしないので、辺りを徘徊し、神社近くで、またWさんに出会う。

「、ほれ、そこで鳴いてますよ。」

なるほど、近くにすばらしくよく透る声で鳴く鳥の声。声を頼りに梢を探し回る。やっとのこと、梢の重なりの中でさえずるオオルリを見つけ、スコープを合わすが、そのたびに枝を移動するので、なかなかレンズに入ってくれない。諦めて双眼鏡で確認する。光線の加減でか、もうひとつルリ色が鮮やかではなかったが、声は素晴しい。十五分ばかり、うっとりと聞きほれる。

偶然、句会のOさんに出逢った。彼をキヅタのところへ案内して、望遠鏡でヒレンジャクを見せる。八十才の彼は、鳥の彫刻の趣味もあるらしく、大層興味深げに見ていた。

結局、今日もセンダイムシクイにもサンコウチョウにもお目に掛かれなかったが、オオルリを見ることができて、ひとまず満足できた。

 

20.その1深泥池にて 1996年4月27日午後(晴)

植物園の売店で二百円のサンドイッチを食べてから、近くの深泥池に足を伸ばす。

池にはまだヒドリガモ、コガモ、などが残っていた。ホバリングするカワセミも見たので、気持よく林に入る。道中これといった鳥にも出会わず、病院の傍にまでやって来た。以前には門扉の右側に空き間があって、自由に通り抜けられたのに、今は板塀が打ち付けてある。その代わりというか、左側の鉄条網は踏み倒されて、人一人が出入りするには充分だった。少し気は引けたが、この際止むを得ず病院の敷地内に侵入して、建物の軒をゆっくり見て回る。二棟目の一階二階の軒に、教えられた通りに、七つばかりのツバメの巣があった。それも、壷を縦割りに

して天井に張り付けたような、まさしくコシアカツバメの巣である。空に滑空しているツバメは通常より大きく、尾が長い。我々はツバメが巣に入るのを気長に待った。病室を覗き込むようでは見とがめられるので、素知らぬふうに、軒に立って、巣だけをちらちら見ながら、待つこと小半時。ようやく、空から一羽のツバメが舞い下りてきて、ついと巣に入る。はいりざま身をくねらせた、その背中の腰の辺りをしっかり見ることができた。鮮やかな赤!さらに十分程待って、今度は巣から出る瞬間を観察する。腹に褐色の斑点あり。充分に確認できた。こうして我々はコシアカツバメを初めて目撃したのである。

 

20.その2京都御苑 1996年4月28日午前(晴)

翌朝、五時半に起床。日曜日のサンドイッチを作って朝食を済ますと、もう七時を少し回っていた。もうこのころは、天気がよければ鳥を見にいかなければいられない、探鳥病に二人とも罹っていた。急いで自転車にまたがり、御所へ向かう。テニスコートの先で、モズの夫婦が警戒音を出している。巣造りの最中なのだろう。

清和院門の前で、探鳥の若者に出会い、収穫を尋ねたら、白雲神社の近くでミゾゴイを、梨の木の裏でマミジロを見たという。急いで白雲神社に駆けつけ、二人して境内をゆっくり見て回るが、それらしき姿はない。諦めて、北側を西から一回りすることにするが、近衛邸の池で、また別人に、ミゾゴイは仙洞御所の近くと聞く。もう半信半疑になり、聞き流し、さらに進むうち、今出川広場の手前の芝生で、探鳥会の人達に出くわし、リーダーのBさんを見かけたので聞いてみる。親切に地図を広げて、位置を教えてくれた。

「ミゾゴイはじっとしてますから、今ちょうどサンショウクイを見ているところです。見て行ったら?」

走って行って人垣の後ろからちらっと姿を確認する。これも実は初めてだ。それから、今度は大宮御所の西側に向かって自転車をすっ飛ばす。十人ばかりのカメラマンが砲列を敷いているので、すぐにそれと分かった。松の木の枝に幻のごとくミゾゴイは片足立ちしていた。前を、横を、後ろ姿をじっくりと見ることができた。探鳥会の連中も流れてきて、あたりは百人ほどの人垣ができた。ミゾゴイの方があきれて、馬鹿にしたように皆をじろじろと見下ろしている。いつまでも逃げもしないので、取り巻きはそれぞれ別の話題に移って、無駄な時を過ごしていた。