探鳥日誌2

 

 

 

 

 

 

バードウォッチング日誌

2集

21.宇治紅葉谷、宇治橋 1996年5月6日(晴)    

八時半過ぎに家を出て、宇治駅に着いたら、九時半だった。駅前の見晴らしががらりと変わり、宇治橋が新しく完成している。右岸に沿って上流に向かって歩き出し、2キロほど行くとやがて吊り橋にさしかかる。そこから対岸に渡り、二百メートルほど下流に戻ったところから、細い谷川沿いの自然歩道が山中を分け入る。いわゆる紅葉谷と呼ばれる、じめじめしたコースであるが、人に逢うことはほとんどない。谷あいで弁当を広げていると、ちょうどキセキレイが水を飲みにきた。

小半時歩いて白山神社の前に出る。そこを右に向かい、舗道がさらに山中に通ずる。小半時、歩けども、ウグイスは鳴いているが、それらしい鳥の声は聞こえてこない。やがて、かなたにカメラを携えた鳥見らしい人を見つけ、声を掛けてみる。こちらの質問を先取りして、

「サンコウチョウですか。さっぱりいませんよ。声も聞こえません。しかたないから、ねずみの死骸を撮っているんですよ。これなんというねずみかご存じですか?」

河原に「ぐら」のような顔をした小ねずみが横たわっていた。諦めてそこから、太陽が丘に回ってみる。冒険の森とかを見て回ったが、連休最終日の親子連れで込み合っていて、骨折り損だった。歩き疲れて、バスで宇治駅まで戻る。いくらなんでも物足りないので、宇治川沿いに下流に向かって、少し歩くことにする。晩春の日差しがすでに暑かった。

道すがら川柳の葉を覗きこんでいた家内が、

「お父さん、コムクドリみたいのがいる!頭が白っぽい・・」

「えっ?・・・ジョウビタキと違うんか?」

落ち着いて観察する。なんと間違いなくコムクドリの群だった。全部で十羽はいた。雄ばかりか雌もいる。スコープを立てじっくりと見る。二万歩を歩いた後の収穫だった。

 

22.甲子園浜 1996年5月11日(曇り)

六時に出かけるつもりが、二十分も遅れてやっと家を出るが、それでも阪急「烏丸」から六時四十三分発の急行に乗れた。梅田に着いたのが七時四十分ごろで、阪神甲子園には八時十分に着いてしまった。バス停で大分待って、総勢二十人くらいが八時四十分発の甲浜団地行きに乗り込む。スポーツセンター前で降りて十分ほどで海岸の波防堤にたどり着いた。リーダーから、今日は小潮だから干潟があまり見えない、期待に添えないかもしれないがあしからず、との挨拶がある。ちょっとがっかりしたが、そのすぐあとで、目の前の狭い岸辺に「シギチ」達がうろついているのを見つける。みんな一斉に双眼鏡を構えた。というのが、腰の辺りまでコンクリートの塀が張り巡らされていて、望遠鏡が役に立たない。し

かし、いるはいるは、くちばしの反り上がったの、垂れ下がったの、喉元が奇麗に夏羽に変わった可愛いトウネン、コチドリ、それにシロチドリ。さらに、憧れのキョウジョシギが、こっちにもあっちにも!

「あれはオバシギ、その横がキアシシギ・・・」

とリーダーの声も弾んでいる。

海上にも鴨がいた。ホシハジロやカンムリカイツブリが、そして京都ではもう帰ってしまったとばかり思っていたオナガガモやキンクロハジロがわずかだが浮いている。

場所を移動すると、かなたの突堤に、ユリカモメの群れに混じって、鵜が数羽。

「カワウとウミウはどこがどう違うのですか?」

と聞いてみる。

「ここら辺りにいるのはカワウです。ウミウはもっと外洋か、そのような環境にしかいません。」

とのこと。なるほど。

手前の岩場に寝込んでいる黒い鴨の名を聞いてみると、それはクロガモだった。

「もう数年前からここに居座っています。かなり年を取ってるから、来年まで生きているか分かりませんよ。」

とリーダーが笑った。真っ黒の寝姿を根気よく待っていたらようやく起き上がったが、そのくちばしの黄色の鮮やかなこと!

コアジサシが空中でホバリングして一直線に海面に頭を突っ込む。先程コアジサシが鰈を獲って呑み込みかね、吐き出したとこを見たという話を、誰かがしている。

一つがいのウミアイサが日向ぼっこ中。以前に琵琶湖で一瞥しただけのやつだが、今は間近に逆立つ冠羽を見定めることができた。

結局新規初見鳥は七種となり、思わぬ大収穫だった。

解散後、ひつっこく粘って、岩場に首から腹まで赤っぽいシギがいるのを見つけ、帰りかけているBさんをつかまえ、

「ひょっとして、コオバシギかも・・・?」

と引き戻して見てもらう。

「コオバシギなら珍しいし、話題性はありますが・・・これはやっぱりオオソリハシですねえ。残念だけど。」

私はまだこだわり、しばらく眺めていたが、やっと横むきにくちばしをのばしたところ、やはり長く反り返っている。帽子を脱いで私が、

「すいません。」

と謝ると、

「いえいえ、気にしないで下さい。我々も通ってきた道ですよ。」

とBさんは笑って取りなしてくれた。

 

23.大台ケ原 1996年5月18日(曇り)

朝五時半に起きて、大慌てで朝食をとり、八条口に駆けつけたのが予定時間ぴったしの七時半だった。もちろん安手の観光ツアーである。我々が席に着くや、まもなく二十五人乗りのバスが大台ヶ原に向けて発車する。それからが長い道のりだった。二十年前に四時間くらいかかったとらしいので、今どきなら三時間くらいだろうと多寡を括っていたが、土曜日で道路が停滞していたことも手伝って、山腹にたどり着くのに五時間もかかってしまった。辺りはガスで視界がせいぜい十メートル。ひどいことになったとがっかりしていたら、駐車場に着いたころにはそこそこ霧は晴れ、向かいの山も見える程度に回復する。配られた折り詰めを食べ終わっていよいよ出発したのが、一時二十分。四時までにバスに戻ってくださいとのこと。

半ば自由行動だったが、とりあえず大台ヶ原の最高地点、日出

岳には登ることにする。コマドリらしい鳴き声に歩を留めたりしたものだから、とっくにパーティーからは遅れてしまった。途中の谷川では二人っきり。その時、けたたましい警戒音が間近に聞こえる。家内がミソサザイを岩の上に見つけた。尾っぽを立ててしきりにさえずっている。地味だが、図鑑で見るよりはるかに奇麗な鳥だ。長々と歌ってくれた。これは感激だった。

日出岳の頂上は風が出て寒かった。雲がかかり見晴らしも今一つなのですぐに下山して、尾鷲辻に向かう。石のごろごろした歩きにくい道をかなりの距離を歩いて、やがてトウヒの林に到達する。鳥の声はあまり聞かれない。

やがて、突然ニホンジカが顔を出す。あれあれと驚いていると、あっちの木陰こっちの物影に、合計七頭から八頭の鹿を見かけた。

正木ヶ原で小休止したのち、時間もなかったので、「大蛇くら」には回らずに、尾鷲辻から中道を通って戻ることにする。オオルリの声が聞こえる。ちらっとオオルリのシルエットを見た。コマドリらしいさえずりがあちこちから聞こえてくるが、姿を捉えることができない。林の奥に私はカケスを二羽しっかりと見た。そのあとで、胸元が柿色に輝く鳥を桂子ともども確認する。望遠鏡を立てようと、散策の一行をやり過ごす間に姿を隠した。しかし、ルリビタキに間違いない。

梢にシジュウカラらしい鳥影の群れを見つけて双眼鏡を当ててみる。胸の模様はネクタイでなく蝶ネクタイである。葉の上側を渡るのでその一羽しか確認できなかったが、ヒガラの群れに違いない。

ヒガラを見ている間に集合時間の四時を回った。慌ててバスに戻るが、大蛇くら回りの連中は予想通り大部分がまだ着いてなかった。

売店でうどん定食を食べて帰路の腹ごしらえをしてから、近くをもう一回りしようと提案するが、相棒が心配してバスに戻りたがるので諦める。

確かにバスの出発は案外早く、四時四十分に大台ヶ原を後にした。

 

24.宇治白川紅葉谷 1996年5月25日(晴)

朝から快晴で、昼には相当暑くなるという予報だった。九時過ぎに家を出る。

宇治駅前から十時三十六分発のバスに乗り、三分ほどで白川口に着く。この前、川沿いに四十分ばかり歩いたのに比べるといかにも楽だった。

バスを降りたとたん、梢にホオジロのすばらしいさえずりが聞こえるが、目をこらしても姿は見せない。紅葉谷に入るとウグイスも鳴いている。シジュウカラやエナガが群れていて、なんとなく幸先よさそうだった。土曜日とあって道の脇に陣取って家族連れがバーベキューをやっている。人の行きかいも少しはある。

五六百メートル進んだ、谷を見下ろすあたりで、きれいな歌声が・・・。オオルリかと思ったら、双眼鏡がキビタキを捉えた。なるほどこれはキビタキの鳴き声である。番いで長々と飛びかうので、すぐに桂子も捉えた。この間から京都御苑では、私は見たが、桂子はキビタキを見ていない。今日はしっかり見て感嘆の声を上げていた。目当てのサンコウチョウにたとえお目に掛かれなくとも、これだけでも満足できるかもしれない。たっぷり見て、まだまだ遊び回っているキビタキを後にする。

今日は二度目のせいか、もう谷あいの道の終着にやってきた。向こうの小橋を渡れば、白山神社へ間もなく出られる。その辺りで、カメラを構えている人達に出くわす。尋ねると、ちょっと口ごもってから、

「さっきまでサンコウチョウがふわふわ飛んでましたんや。」

これは大ごとである。我々も隅に隠れるようにして腰を下ろし、まず弁当を広げる。この辺りは薮蚊や羽虫が多いのには往生する。小一時間待つが、現われる様子はないので、いささかうんざりし、人の話も半信半疑、ちょっと先に進んでみることにする。

白山神社から街道に上がり、かねてからサンコウチョウが住むという辺りをずっと果てまで歩いてみる。この前同様なんの手応えもないまま、空しく引き上げてくる。元の場所に戻るとまだ二人のカメラマンが残って大きなレンズを構えていた。

「半時間ほど前、三羽が乱舞してましたよ。」

まだそれでも信じられなかった。それでも今度はじっくり待ってみようと腰をすえる。その熱心さに、

「一時間待ったらかならず戻ってきます。」

と請け合ってくれた。この言葉にやっと私も、この人達の言葉を信じる気になった。声を潜めて待つこと三十分。大阪から来たという二人がふいにカメラに走った。

「来ました。来ました。」 

黒い影が木の股にふわりと飛んだ。まさかと思えるような蔓の中程と先に二箇所わずかに造りかけの巣らしきものが見える。望遠鏡を向けるとそこに、口に藁屑のようなものをくわえて、長い尾と、ブルーの目の持ち主が止った。それが、黒いパラダイスと英語名のつく、サンコウチョウだった。尻尾の短いのは幼鳥とのことで、成鳥に巣造りを習っているのだろうと、ベテランが話してくれた。あっちに飛びこっちに飛び、しまいに、大阪の先輩の言葉を借りれば、「鳥と我々が打ち解けあって」つい近くの枝に止ったりした。

「こんな道の端で巣造りをする様を見るような偶然は、もう一生ないと思いますよ。そのかわり、明日の日曜に人が多いと巣を放棄するかも知れません。」

私は幸運にも、帰り道にも林の枝に雌雄一対が枝に止っているところを一瞥することができた。

 

25.甲子園浜 1996年5月31日(曇り)

朝から快晴で、昼には相当暑くなるという予報だった。七時過ぎに家を出て阪急烏丸から通勤特急に乗る。ちょうど通勤時間とあって、二人とも高槻まで立ったまま。桂子はそこで座れたが、私はとうとう梅田まで立ちっぱなしだった。

甲浜団地行きのバスで厚生年金スポーツセンター前まで乗り、海岸線に出たのは十時ごろ。潮はこの前と同じ程度だったが、州には鳥の影は見当たらない。これはやっぱり時期を外してしまったかと、がっかりする。しかしコアジサシは相変わらずの急降下を演じてくれる。カンムリカイツブリもいた。それにウミアイサが番いで浮かんでいる。防潮堤沿いに歩くうち、目の前をよぎる燕の背の赤いのに気が付く。紛れもないコシアカツバメである。六七羽が入れ替わり立ち替わり、低空飛行で採餌している。近くに巣があるに違いない。例のクロガモも定位置で日向ぼっこをしていた。チュウシャクシギもいる。ウミネコ、それにユリカモメも一羽残っていた。今朝の新聞で舞鶴湾の干潮が午前五時ごろと出ていたので、次第に満ちてくるものと思っていたら、逆にわずかずつ岩場や浅瀬が現われてくる。少し早かったが、公園のベンチで弁当を食べて腰を落ち着けることにする。 

昼食後、ふたたび海岸にでると、けたたましいサイレンが近くを頻繁に突っ走る。五百メートルくらいかなたでもうもうと煙が上がっていた。昼火事らしい。

堤防沿いに河口の方に歩く。コシアカツバメにまた出会う。潮の退いた辺りにシロチドリの群れがせわしく遊んでいる。数えたら二十五六羽にもなる。

やがて双眼鏡が変な鴨を捉える。くちばしと頬に丸い白斑のある茶色っぽい鴨である。後方の羽根に時折白い部分が見え隠れする。図鑑と首っ引きで見比べる。シノリの雌ならなら白斑は三点だ。でも念のためシノリの雄を探す。見当たらない。スズガモも近くにいたので、スズガモの雌?それでは頬の白斑は妙だ。ビロードキンクロの雌だろうか?結論は出せなかった。

結局二時半に帰途につく。阪急の特急の中で、二人とも京都に着くまでほとんど寝っぱなしだった。

 

26.清滝自然歩道 1996年6月14日(曇り)

朝から弁当持ちで久しぶりに苔寺の松尾林道へでも出かけてみようと、烏丸御池のバス停まで行くが、最初に清滝行きが来てドアーを開けたので、それに乗り込み清滝に出かけた。

梅雨の季節で終着点に降り立ったのは我々二人っきりだった。道中人気もほとんどなく、鳥にも巡り逢えないまま、休憩所の小橋を渡った谷間の小石河原のところでオオルリの声を聞きつける。木々の間を双眼鏡で探したら、偶然枯れ枝の先に止ってさえずっているオオルリが見つかった。担いできた望遠鏡がやっと役に立つ。見飽きるほど見て、その声を聞きながら少し早いが弁当を広げる。驚いたことにオオルリは、その見事なソプラノの合間に、ウグイスの旋律を時たま入れてみせるのだ。

食後、以前ホオジロの群れに出会った杉の造成地を通過したがヒッともフッとも聞かれず、引き返すことにする。帰り道、愛宕山登山口までもうすぐそこというところまで戻ってきたあたりで、今まで下手くそなウグイスと気に留めなかったさえずりが、耳を澄ますと、「天辺駈けたか」と聞こえるではないか。慌ててあちこちに目をこらす。私が梢の上を探し廻っている最中に、妻はまるで違うところを眺めていたらしい。

「あれ!カワガラス!」

驚いて振り返ると彼女は双眼鏡でしきりに眼下の清滝川を見つめている。 

「どこ?どこ?」

近眼の家内がよくぞ見つけたものだ。川の中の小さな岩の上にわずかにうごめく茶色の生き物。ときどき水に浸かって採餌する、双眼鏡の中の地味な鳥こそ、春から探し廻っていたカワガラスに違いなかった。

我々はいったん下山して、橋を渡り、左岸に沿って二三十メートル遡る。対岸の石の上にじっと止ったきりの、カワガラスは少し小柄である。ミソサザイかな?とちょっと思ったが、動きはにぶく、どうやらカワガラスの雛のようだ。さらに進み、岩場に降りてみる。別の一羽はムクドリほどの大きさがあるので、もう間違いないが、腹の辺りにざらざらした斑紋が残っていて、恐らくまだ幼鳥なのだろう。

辺りには「天辺駈けたか」がいまださえずっており、また一時、月星日ホイホイホイというかすかな鳴き声を二人同時に聞きつけ、あたりを見渡すが、影はない。確認を諦めて帰路に着く。

 

   27.松尾林道 1996年6月16日(晴れ)

 

烏丸御池九時四十八分発の苔寺行きに乗って久しぶりに松尾林道に出かける。

日曜のこととて家族連れがやってきていたが、それもかかりの水場までで、やがて人気は跡絶えた。オオルリらしいさえずりが山肌の樹の間から聞こえ始める。桂子が斜面をとっとと登り出したので、止むを得ず私もその後について登る。どこまで行っても斜面のままで、さえずりは少しは近付いたが、姿は相変わらず見えない。諦めて急な坂をそろりそろりと下りてきて、ようやく元の道、という間際で彼女はずるずるっと尻から滑り落ちた。怪我はなかったが、ズボンは泥だらけ。

いつもの休憩地にたどり着いたのはちょうど十二時だった。サンドイッチを食べている最中に目の先の枯れ茎にホオジロが止った。近頃では声も聞かれなくなったので、なんか懐かしい。

林道の突き当たりの山腹にクロツグミがいたと、以前Tさんに教えられたのを家内がいつまでも覚えていて、昼食後、行けども行けども果てしない道を歩きに歩くこと一時間。途中あちこちで、ウグイスと混じってホトトギスのさえずりが聞こえる。虫がなくようなのはヤブサメらしく、薮の中に姿もちらっと見たと思ったが確認までにはいたらなかった。

結局林道のどん突きには、素晴しい声で鳴くウグイスが迎えてくれただけで、クロツグミもアカショウビンも見当たらず戻ってくる。

 

28.大阪南港野鳥園 1996年6月29日(曇り)

家を出たのは九時過ぎだった。迷ったあげくに大分ご無沙汰の大阪南港に行くことにする。烏丸駅でちょうど来た特急に乗れたのだが、それでもニュートラムの中突堤に着いたのは十一時半だった。幸い無料の貸自転車がまんよく空いていて、野鳥園まではすいすいと行けた。入るなり「はばたきの丘」へ直行して、空模様も怪しかったので、早々に弁当を済ましてしまう。

北観測所に立ち寄るが、窓越しに雑草が生え放題で、見通しが悪く、また季節外れでシロチドリ、オオバン、バンぐらいしか見られなかった。センターへは一時ごろにたどり着く。土曜日のこととて十人ばかりの先客があった。ソリハシシギを追いかけるうちに、ちょっと毛色の変わったシギが目についた。管理人室に出向いて、見て貰う。

「タカブシギです。間違いありません。背中に鷹のような斑紋があるでしょう。」

しめしめ、これは初見である。

場所を変え、この前セイタカシギを見つけた辺りに狙いをつけて探してみる。妙な大型の鳥を双眼鏡が捉えた。急いで望遠鏡をセットする。くちばしが大きく垂れ下がっているのだ。再び管理人に判定を依頼する。

「チュウシャクでしょうか、それともダイシャクでしょうか?」

「たぶん、今朝から入っていたから、ホウロクシギと思いますよ。」

管理人は私の指差す方を一瞥しただけで、

「ホウロクシギです。間違いないです。」

と断言した。シギの仲間では日本最大のシギ。よく見ると二羽番いで歩き廻っていた。

 

29.京都御苑宗像神社 1996年6月30日(曇り)

Mさんに誘われたのだが、朝から雨が降っていて中止だろうと思っていたら、九時ごろから雨も上がり日が差してきた。急いで用意をして、御所の環境庁事務所前に駆けつける。やはりMさんは来ていた。ほかに女性が一人だけきていた。「先生は?」とたずねると、「向こうに来ておられます。」と指差すところに、見栄えのしない中老が、すぐ近くの宗像神社の芝生に足元も危なっかしく立っていた。雨で今日は中止の連絡をしたのだが、Mさんが人を連れてくるというので、つまり私たちのためにわざわざ来てくれたのだそうである。彼が先生のそばへ我々を案内して、紹介してくれてから、望遠鏡で境内にそびえ立つ楠を探しはじめた。先生の話では樹齢三百年ということだ。

「樹のこぶを探したら、見つかります。そっくりやさかい。」

と言うが、ほんまにいるんかいな、と私は半信半疑だった。ものの十分ほどして、Mさんが手招きする。胸をどきどきさせて望遠鏡を覗き込むと、確かに樹のこぶのようなものが・・・その頭が少し動いたので生き物と分かった。枝を見上げても、そこがどこなのか全く分からない。ちょっと位置を替えてやっと枝に止る姿をじっくり見られた。先生が、アオバズクは名のとおり青葉のころに東南アジアから渡ってきて、子育てをするのだそうである。今は恐らく雌が卵を抱いていて、その巣を雄がカラスから守っているのだという。雑学大家のK先生の話は止めどもなかったが、私にはアオバズクを見ただけで充分だった。

 

30.宇治白川紅葉谷   1996年8月2日(晴)

朝早いバスで比叡山に出かけるつもりが、次第に遅くなり、とうとう出発が十一時前になってしまった。すでにカンカン照りの中を三条京阪まで歩き、時刻表を見るが、比叡行きのバスは十二時過ぎにしか出ない。諦めて、そこから宇治行きの電車に乗り、白川紅葉谷に行ってみることにする。

白川口から自然歩道に入ると、思ったより涼しく、谷川に下りて、早速お弁当を広げる。

目の前をキセキレイが飛んだが、そのほかは鳴き声も聞こえない。白山神社まではヒヨドリ以外は見かけなかった。二ヵ月前のサンコウチョウの巣を探したが、誰かが取り去ったのか、途中で巣造りを放棄したのか、それらしい形跡は見当たらなかった。鳥がいないと、ふしぎと探鳥は疲れる。もう帰りたくなったが、家内がもう少し先まで歩こうと言うので、元気を振り絞って前へ進む。谷沿いにさらに五百メートルほど行くが、ホトトギスとホオジロの声ぐらいしか聞かれなかった。

ようやく帰路につき、白山神社まで来て、土手にうろうろ餌あさりをしているホオジロを見ることができた。

早足で戻ったので、三時二十六分のバスに間に合った。収穫のない、ご苦労さんな一日だった。

 

31.上諏訪八ヶ岳方面  1996年8月6日(晴)

上諏訪温泉宿で、朝五時半に起床。

窓から諏訪湖を眺めていた桂子が、「鳥がいる。」というので、外へ出ることにする。工事中の柵をくぐりぬけて、湖畔に出てみた。鳥は確かにいたが、セグロセキレイばかりだった。キセキレイもいることはいた。やれやれとホテルに戻りかけた時、なにか一味違う鳥が渚に舞い下りた。しばらく探すうち、イソシギがひょこひょこ動き廻るのを見つける。なんだかほっとした。

八時出発。蓼科山を経て麦草峠、標高2172m国道最高地点で十分ばかり車外に出るが、あたりには鳥の影はない。再びバスの乗客に・・・

半分居眠っていて、その間に説明があったらしい、悲恋の伝説の伝わる白駒池まで、バスから下りて原生林の遊歩道を歩くことになる。途中の唐松林にいい声で鳴きながら飛び交う小鳥を見つけ、双眼鏡を構える。一見ウグイスに似ている。(家に帰ってから調べて分かったのだが、)メボソムシクイの群れだった。バードウォッチングに夢中になって、我々は列から離れてしまい、白駒池がちらっと見えるところまで行って、いそいそと引き返す。メボソと同じところで、私はクロツグミも見つける。桂子に指差してみせるが、見逃してしまった。でも黒い顔、まだらの腹、大きさから言っても間違いない。さらに幸運にも地面を歩き廻るコマドリにも遭遇した。日の射さない場所で、赤色がくすんで見えたが、先からしきりにさえずっていた。時々尻尾を立てたりする。

そこから清里へ。海抜最高のJR清里駅には「小諸」行きの電車が発着し、駅前にはメルヘンチックな店が並んでいる。飛び交うツバメを見て驚いた。尻尾が短いのだ。背中を確認しようと、人の流れの中を数分立ち止まる。ちらっと身をよじる燕の背中に正しく白い帯を見つける。イワツバメだ。清里駅の駅舎の軒にイワツバメの巣が五つばかりあり、雛が顔を覗けてピイピイ鳴いていた。親鳥が一二分ごとに戻ってきて、また飛び立って行く。背中の白い帯が鮮明だった。

 

32.比叡山       1996年8月9日(晴)

八時五十五分三条京阪発のバスに乗り込む。比叡山頂に着いたのが十時頃だった。山道をはいる所でいきなり、電線に止ってさえずるホオジロに出会う。カラ類も飛び交っていて、これは幸先がいいと思った。

ところが、それからあとがさっぱりだった。去年ウグイスを見たところで、今日も枝先に止って歌うウグイスを見つける。声はすばらしいが、姿は、羽根がぼさぼさでみすぼらしい。

結局姿を見たのはその二種類だけ。イカルとホトトギスの鳴き声は聞いた。シジュウカラ一羽姿を見せない。涼みに来たと思って諦めて、三時前のバスで下山する。

三条京阪に着いたのが四時ごろだったので、鴨川で少し時間を過ごそうと、御池橋の西岸から下りて、河畔を影伝いに歩く。サギがいる、カモがいる。たちまち十種近くを見つけてしまった。

二条橋の上で川風に吹かれてると眠気を誘い、私は芝生にごろ寝をしてうとうとする。十五分ばかりして、目覚めがしらのことだった。桂子ともども変な鳥を見つける。つるんと首の長い、胸に縦縞のある、黄緑の足。

「ササゴイ!」

しっかり確認しようとするひまに下流に向かって飛び立ってしまう。急いで御池橋の方へ追いかける。橋の手前で再び見つけた。しかも二羽。時々、クワッと呼び交し遊んでいるようだ。幼鳥だろう。動きは成長に比べ活発で、形も少し小さい。

急いで家に帰り、図鑑を見る。間違いない。ササゴイの幼鳥だった。前からササゴイを見たいと言っていた、鳥仲間のSさんの奥さんに桂子が電話する。

半時程して、Sさんからお礼の電話が掛かってきた。

 

33. 大阪南港野鳥園  1996年8月19日(晴)

早朝はいくぶん涼しが日が登ると相変わらず暑い。

いつも出かける間際まで迷っているが、今日は予定通り南港一本を目指す。九時過ぎに家を出て、やはり二時間近く掛かって中埠頭駅に到着、自転車小屋まで小走りに急いだ甲斐あって、まだ自転車は残っていた。サドルが子供にも乗れるように低くしてあり、乗り心地はよくないが歩くよりはいいに決まっている。

それでも野鳥園に着いたら十一時を過ぎていた。夏休みなのに客は少なく、あまり期待してなかったわりには、シギチの種類は多いようだ。まず食事をと、弁当を広げるが、その最中、管理人が向こうで、

「二三日前から来てるんですよ・・・」

と望遠鏡を合わしている。桂子が慌てて聞きに行く。どうやらカラシラサギらしい。私も握り飯を半分食べ残したまま、望遠鏡を抱え込んで飛んで行く。

「こないだの台風で飛ばされて来たらしい。そうざらにはお目に掛かれない鳥ですよ。」

と指導員。くちばしが黄色く足はコサギに同じ、冠羽が逆光ながらふさふさと見える。あと何日滞在するかわからないという。それも手近の杭の上に立つところが見られて幸運だった。

今日は干潮が五時ごろだから、干潟が出ればいろいろやってくるだろうと管理人の話に、じつくり待ってみることにする。午後はさらに人気も少なくなって、我々と同年代の男女と計四人がほとんど独占状態である。

夕方まで時間があったので、鍵を借りて南観測所まで廻ってみたが、日差しがまともで暑い。再び戻って私はちょっとうたた寝をする。その間桂子は、よく喋る男性に小型のデッキで、オーストラリアでの探鳥記録を見せてもらったらしい。

三時半ごろになると少し干潟も出てきた。先程の管理人にアオアシシギも合わせてもらい、そのほかにもササゴイやソリハシシギなども見る。男女二人はそれぞれ大阪支部の人らしく、情報を提供してくれるが、すべて大阪からの位置関係である。

四時過ぎ、そのころやって来た夫婦者にメダイチドリを教えてもらうが、図鑑で見るのとまるで違って赤みがないのである。それでもそこまでで二十三種、初見三羽となり、四時半まで待ったが、ショウドウツバメは諦めて帰ることにする。

自転車を物影に隠しておいたので、二台とも無事にそこにあった。帰り路はいくぶん下り坂で風を切ってすいすいと走れる。途中、電線にツバメが二十羽ばかり止っているのを見つけ、あるいはと、自転車を止めて、望遠鏡を組み立て直す。その中の一羽・・・胸にT字があり、尾の短いのがいた。色は西日で黒ずんで見えたが、一斉に飛び立つ時、その一羽だけ残ったので、間違いなくショウドウツバメだった。最後にまた幸運の女神が微笑んだようだ。

 

34. 甲子園浜探鳥会 1996年8月31日(晴)

朝七時に家を出る。阪急烏丸でも急行にジャストで乗れたし、乗り継ぎはうまくいった。それでも阪神甲子園に着いたのが八時四十五分。やはりバス停にはもう誰もいなかった。すぐ次のバスが止っていたのに乗って、浜に駆けつけたら、一行は堤防の吾妻屋で休憩中だった。潮は満潮のようで、狭い岸辺を見渡したところ鳥の姿はなかった。海面に一羽カンムリカイツブリが浮いている。

しばらくして快晴の中を堤防沿いに出発する。日差しが暑い上、堤防のコンクリートの照り返しで暑さが倍加した。汗が絶え間なく吹き出てくる。 

わずかな岩礁に林立するのはアオサギばかり。ようやくチュウシャクシギが一羽、それから岩と岩との間にちらちら見え隠れするキョウジョシギを見つけるが、それさえ皆が歓声をあげるほどのことはないだろう。獲物は少ない。いつもの指定席ににクロガモが泳いでいる。ウミアイサの番いにも出くわした。引き返して吾妻屋に戻り影に入ると、すっとそよ風が吹き込んで心地よく、生き返る思いだ。二時が干潮時だというので、皆は待つつもりだろうか、いつまでも動く気配はない。私も、釣り客と雑談して時間を潰す。尾張支部に所属と名乗るカメラマンが大きな声で鳥談議を始める最中に、誰かがダイゼンを近くの岩に見つける。

それでも鳥合わせをしてみると、案外多くの種類を見ていた。

十一時半ごろもう一度行ってみようと、炎天下堤防沿いに歩き出し、日陰もないところで、十二時過ぎに流れ解散ということになる。干潮を待つ人もいたが、私達は早々に引き上げる。

 

35. 巨椋干拓田 1996年9月1日(曇り)

昨日よりさらに早く、五時起床。それでもゆっくりする暇はない。

六時半に家を出て、地下鉄のホームに駆けこんだら、Sさんの奥さんにばったり会う。ご主人は蝶の採集に出かけて、今日は奥さん一人らしい。三人で近鉄向島に到着したのは予定の七時きっかりだったのに、早くも一行は出発した。一番あとから追っかけるようにして歩く。曇っているので、昨日のような暑さは感じない。それにしても、いつもながらリーダーのFさんの足は早い。やがて一枚の休耕田にたどり着く。昨日降ったらしいにわか雨にところどころぬかっていた。なるほどこんなところにシギチはいるのか。初めての体験である。タシギ、コチドリ、トウネンなどにまじって、タカブシギもいた。 

こういう休耕田を巡り歩くことになるらしい。途中の道すがら、ダイサギの群れの中にアマサギがいた。春から見たいと思っていた初見鳥であるが、一度見てしまえばどうということはなく、あちこちで見られた。電線に止っている燕の中にショウドウツバメが混じっていた。この燕の特徴は胸のT字だと回りの人に教えると、感心してしきりに私に質問してくるので、一ときベテランの気分にひたる。

右も左も稲がすくすくと成長しているさなか、ヒッヒッと、セッカが鳴くが相変わらず姿は見せない。ツバメチドリをFさんがスコープに捉えてくれて、のぞかしてもらう。ずいぶん風変わりな顔の鳥である。

今日のお目当てのタマシギにはなかなかお目に掛かれない。偶然Sさんが畔の向こうにそれらしい姿を見つけ、私も後ろ姿をちらっと見たが、すぐ稲むらに隠れてしまった。私が三脚を立てようとしたのが悪かったのか、少し責任を感ずる。その時セッカが鳴きながら飛び上がり、たまたま畑の竹竿の先に止る。慌てて私は望遠鏡を立てて、桂子に見せる。焦点は少し甘かったが、とにかくセッカを確認できた。

いつもの警察の手前の橋のたもとで小休止。川にはカイツブリが泳いでいる。

やがて向島の駅の方向に転じて歩き出し、とあるところでバンの番いを見かける。色々の生きものが、この、なんの変哲もない田畑の中に潜んでいるものだと感心する。

随分歩いて、万歩計は一万七千歩を指していたが、駅に戻ったのはちょうど予定の正午ごろだった。

 

36 八瀬、比叡山(探鳥会) 1996年10月27日(晴)         

大慌てで七時半に家を出て、三条京阪まで自転車を飛ばす。お陰で叡電八瀬駅に到着したのが八時十五分ごろだった。集合場所のケーブルの駅にはまだリーダーもやってきていなかった。八時半すぎにやっとSさんたちが到着して、「九時のケーブルに乗りましょう。」という。慌てることはなかったのだ。

時間があったので橋の上から渓流を眺めていると、鳩より小さい鳥が上流に向かってすっと飛び、川の中ほどの石の上に止った。カワガラスである。私の声に駅の前にたむろす連中も集まってくる。今日の収穫一号となる。それをきっかけに、ジョウビタキ、コサメビタキを枝先に見つけた。気を良くして、ケーブルに乗り込み、比叡山駅に到着、近くのベンチに腰を掛けてリーダーの説明を聞く。今日は快晴の上空気が澄んでいて、向かいの愛宕山、地蔵山(948m)までよく見える。スキー場の横を通って、雲母(きらら)越の山道を辿って行く。權木の切れ目から視界が開けたところで、遠くの枝先に止った小さな鳥がベニマシコだというので慌てて双眼鏡を構える。一瞬赤い鳥が見えた。でも桂子は見損なったようだ。その下あたりに私がまたホオジロを見つける。

先に進んで、山側の木立が切れたところで立ち止まる。こんな場所を「鳥溜まり」と呼ぶんだそうだ。メジロのような小さな鳥の群れが飛び交う。「マヒワ」だった。腹面しか見えなかったが初見である。

「鎮護国家」の石碑のところから左の林道に折れて杉林に入る。ここは前に個人で来たところだが、その時は百メートルばかりで引き返した。今日はさらに先へ進む。昔西塔までのケーブルがついていたという名残の基盤が苔むすところがある。その近くに、時としてヤマドリを見かけることがあるらしい。さらに行くと、急に広い駐車場に出た。ここでしばし休憩する。まだ十一時前である。釈迦堂に向かっていざ出発という時になって、背中のリュックをどこかへ置き忘れたことに気付く。えらいことである。しんがりのリーダーHさんに申し出て、引き返すことにする。記憶を辿るとどうやらケーブルを下りたところのベンチでリュックを下ろしたように思う。今まで来た道を、やっとの思いで戻ってきて、ベンチの回りを探すが、すでに無い。ひょっとしてと、駅務室に落し物がなかったかを尋ねる。「これですか?」ブルーのリュックを差し上げて見せてくれた。「ありがとうございます。何分中に昼の弁当がはいってますので。」駅長さんが呆れていた。

気分良く、近くのわき道でビニールを敷いて弁当を広げる。その最中、見上げる木に行き来するシジュウカラ。しかし、食べ終わって望遠鏡で確認すると、これがまぎれもないコガラだった。黒いベレーが可愛い。

昼からもう一度同じ道を歩いてみる。例の旧ケーブル跡の横道のしげみに鳩より少し大きい鳥影が歩くのを目撃する。恐らくヤマドリの雌もだったろうが、今度も桂子は見ていない。そうこうするうちに飛び立ってしまった。

西塔の駐車場まで行って、自然教室を覗いてから再び来た道を戻る。行きしなにも見かけた二人連れが、生の小魚を棒の先に付けて、それを地面に差している。なにをするのか聞いてみたら、蜂を誘い出しているのだという。蜂が魚に止ったところを待ち構えていて、手にした胡麻粒ほどの魚の身に印の羽根を付けた餌を食いつかせる。蜂が飛んで行く後を追っかけて巣を見つけ、蜂の子を獲るのだそうだ。

帰り道、先ほどホオジロがいたところで、今度はツグミの群れに出会う。この秋初見である。結局長い山道を二往復したことになる。家に帰ったら五時。歩いた歩数は二万一千歩。

 

37 深泥池(探鳥会)から御薗橋 1996年11月3日(晴)

ぎりぎり九時に深泥池にたどり着く。池の面にはかなりの鴨がやって来ている。朝早くはオシドリがはいっていたらしいが、今は見当たらない。

オカヨシガモをこの秋初めて見た。

池の北側に廻るが、なかなか鳥には出くわさず、誰かがカケスを見た、ベニマシコの声を聞いたとか個々に言われても、私たちには確認できないので不満がつのる。九時半、十時半に周期的に混群が廻ってくるとのMリーダーの言葉に期待するが、結局待ちぼうけに終わった。

病院の敷地の近くでクロジを見かけたという人もいた。みんなでぞろぞろ出かけてみるが、大勢ではどんな鳥でも隠れてしまう。

元の公園前に戻って、そこでオシドリを葦の間に見ることができた。これが本日最大の収穫だった。鳥合わせが始まったのは十一時半。今日はカレンダーとか鳥のグッズの販売をやるので、テンポがのろい。

Mリーダーが御薗橋にニュウナイスズメが二十羽ばかり来ていると教えてくれたので、クロジはまたにして上賀茂に向かうことにする。途中の児童公園で弁当を食べてしまい、身軽になって歩くが、上賀茂神社まで思ったより長く掛かった。

御薗橋の東岸を上流に歩く。柊野小学校までの木立と聞いてきたので、探しながら歩くが、スズメそのものがなかなか見つからない。MKビルまで行って引き返す。半ば戻ったところで、桂子が跳んでくる。土手のゲートボールコートの真ん中に、頬に斑点のない鳥がいると言う。望遠鏡を立てて確認する。スズメではない。歩きはウォーキングである。だからニュウナイスズメでもない。頬は灰褐色。目尻から頬を囲んで茶色い丸い線。頭には黒っぽい縦筋が三本。何か餌をついばんでいる。背羽根の模様はホオジロ系だ。あまり人を警戒しない。飛ぶときに「チッチッ」と弱く鳴く。まん悪く図鑑を忘れてきた。河原に飛び去ったのを期に、急いで帰ることにする。家に着くまで気が気でなかった。一番に図鑑を開く。どう考えても「コホウアカ」違いない。間違いなかった。色合いからして雌だと思われた。

翌朝、自転車で一時間半かけて御薗橋まで走る。ばかちょんカメラで写真を撮るためである。しかしその日は祝日の振替日で、コートでは盛んにゲートボールをやっていて、コホウアカはどこにも見当らなかった。

 

 38-1 西京極から久世橋 1996年11月22日(曇り一時晴れ)

 

結局家を出たのは九時半だった。桂川は風もなく思ったより暖かく、相変わらず釣り客が沢山入っていた。すすき原にシッシッと、ホオジロの声が聞こえるが、姿は見せない。阪急鉄橋のかかりから、オカヨシガモがいて、バンがいて、カンムリカイツブリがいて、ハシビロガモがいて、いるべきものがおおよそいた。土手でモズを発見。その隣にジョウビタキもやってきた。

桂大橋を越えて、堰のところではハクセキレイが乱れ飛んでいた。石組の間にイソシギが一羽ひょっこり姿を現わしたところを見つけ、いい気分にひたりながら弁当を広げる。

その下手の草原の中で、穂先にやっとホオジロが止ってくれた。新幹線鉄橋を越えたあたりのいつもの樹に、たった一羽だがゴイサギも見つける。オナガガモもいた。

ジョウビタキの雌が枝先に止っている。それから、カシラダカ、これもながながと止ってくれた。ヒバリも見た。二十九種、これで充分、意気揚々と久世橋に向かう。ところが、その橋の手前の堰を越えたころ、一群れの鴨の中に、初めはカンムリカイツブリかと見過ごしかけたが、よく見るとこれが、ミコアイサの雌だ。去年より二た月も早い!この大収穫が今日の三十種目だった。

 

38-2西京極から久世橋 1996年11月30日(晴れ一時しぐれ)

 

昨夜の天気予報で今日は「曇りのち雨」だったが、十一時頃にはすっかり晴れ渡ったので、急ごしらえのお弁当を持って、またまた桂川へ出かける。西京極の駅は「関西学生ラグビー」の決勝戦のため混雑していた。

道筋の天神川で、桂子がいきなりジョウビタキを見つける。

河原に着いたらもう十二時半、さっそく弁当を広げて身軽になる。

この前二十二日に来たばかりで、それから一週間しか経ってない。ほぼその時のペースで鳥達も見つかった。ハシビロ、ヒドリ、オカヨシ、バン、カンムリ、モズ・・・ 桂大橋下流の堰で、前回同様イソシギが一羽石組の間を出たり入ったりしている。まるで再現ビデオを見ているようだった。そこから少し下って、ホオジロの声につられて草原に入り込んだとたん、ばたばたと茶色の大きな鳥が向こうの島に向かって飛び立つ。キジの雌だ!やっと「本日の収穫」となる発見だった。

道端の両端を、我々を導くようにホオジロが採餌しながら歩いている。珍しい光景だった。

新幹線鉄橋の百メートル下流の鴨の群れの中に一際白く光る鳥。まぎれもなく、探していたミコアイサの雄である。先日、雌を見ていて、期待していたが、やはり見つかってよかった。しかし、こんなに早く見られるとは!今年はどの鳥も昨年よりやってくるのが早いようだ。近くでホシハジロも見かけた。

西側に開ける畑の、中ほどの樹に、今年初めてのツグミを見つける。ヒバリも二羽見た。全部で二十八種。このコースは何時来ても本当に鳥の豊富なところだ。

 

39 八幡三川合流 1996年12月13日(晴れ)

  

十時過ぎに家を出る。鴨川の堤に下りて、自転車を置き、出かけようとする矢先、河合先生にばったり逢った。「鴨川」の名の由来から始まって三十分ばかり講釈を承る。

おかげで八幡駅に着いたらまたまた昼過ぎだったが、なにより河川敷の広さに驚く。川に鴨はあまり見当たらないが、ツグミ、ホオジロなど野の鳥はいそうだ。川辺にまずは食事の場を作る。その最中、悠然と空を舞うノスリを見つけた。食後、木津川べりの芦原を掻き分けて三百メートルほど下って戻ってくる。長い橋を渡って、今度は木津川と宇治川に挟まれた堤をこれまた三百メートルほど歩く。くちばしの赤い小さな鳥を見かけたが、遠い上逆光のため確認できなかった。ここら辺りはホオジロが雀の数ほどいる。ジョウビタキもどうしてか雌ばかり目に付く。

広くて時間ばかり経つので、とにかく三川を見ておこうと、桂川の方へ移動する。ここも見渡すかぎりの畑あり、運動場ありと、なかなか川岸に行き着けない。ようやく水辺に立つが、水鳥の影はない。帰りかけた道端の梢にシメを見つける。それから運動場の近くで、一目でツグミではないと分かる黒っぼい、眉の白い鳥をスコープが捉えた。桂子が小声で、「マミチャジナイ!」と叫ぶ。この発見で帰路は少し元気が出てきた。橋の上から、二羽のカワセミが飛びかうのも見た。

 

40 亀山千代川 1996年12月23日(晴れ)

 

 結局昼前になってしまった。京都駅から園部行き十二時十四分発の普通に乗り込む。千代川に着き、月読橋の袂でジョウビタキを見つけたが、長い橋を渡ったところですでに一時を廻っていた。土手に下りてまずは弁当を広げる。河原を少し下ったが意外と鴨は見当たらない。そのかわり、イソシギとイカルチドリの群れに出会った。一方草原の辺りはツグミとカシラダカが大賑わいである。

グランドのヘンスにモズを見つけたが、なにしろ時間の経つのが早い。三時ごろ河原の散策を打ち切って、今日の第一目標、南丹高校へ向かう。田舎道は見た目より遠い。やっとたどり着いて校門の辺り、樹に鈴なりに止まってさえずっているスズメ達を双眼鏡で確認してみるが、頬の黒点はぱっちり付いている。今日も駄目かもしれない・・・ちょっと弱気な予感が走る。

学校の裏と河合先生に聞いてきたので、とにかく広いグランドの周囲を歩いて裏手に出る。こんもりした木立を想像していたのが、一面ただの畑である。五十メートル先には車道が走り、電柱がつらなって、電線にはスズメが止まってはいたが、先生が言うように真ん中ではなく、端っことか電柱の頭や肩に止まっている。期待できないまま、それでも念のために望遠鏡を構えて覗いてみる。おや?ほっぺの黒点がない?急ぎ足にずんと近寄ってさらに望遠鏡で確認する。まさに図鑑の通りだった。ついに出会った。ニュウナイスズメに!それも五十羽ばかりの群れである。桂子と交互に何度も見た。

目的を達して午後四時、南丹高校を後にする。

月読橋に戻って長い橋の真ん中ほどで、欄干から下流を見るが。相変わらずアオサギのほかはとりたてて鴨はいない。ただ一羽だけ、採餌している水鳥がいた。カイツブリよりは大きく、と言ってカンムリよりはかなり小さいのである。橋の欄干から身を乗り出すようにしながら図鑑との格闘が始まる。ミミカイツブリ・・・?目も黄色とは違って見える。が、遠くて確認できない。もう一度河原に下りて目だけ見ることにする。物好きにも日が落ちかかっているのに二百メートルほどをとって返して、再び河原に立つ。その足元から目指す水鳥が飛び立った。近寄り過ぎたのだ。足場の悪い石ころ道をしばらく追っかけるが見失ってしまった。