探鳥日誌3

 

 

 

 

 

 

バードウォッチング日誌

3集

41 巨椋干拓田(探鳥会)1997年1月2日(晴れ)

 

晴れてはいるけれど風があって肌寒い。

11時集合なので気を許していたら、向島駅では一行は出発寸前だった。

チョウゲンボウが風に押されて、まるで空中でホバリングしているふうに見える。昨年の正月に較べ、カラスの群れも少ないように思えた。途中の道端の枯れ草の穂先にオオジュリンをリーダーが見つけてくれた。昼過ぎに例の警察署の近くの橋の袂に辿り着いたが、Fリーダーは、昼食と言わず、これからすぐコクマルガラスを見に行きますが、待ってる人はここでどうぞと容赦ない。もちろん全員ついて行った。二三百メートル歩いたろうか、なるほどカラスの群れが見つかった。その中に果たして目的のやつはいるのだろうか?半信半疑の私。今朝早くは4羽いたとFさん。一斉のスコープの砲列の中、私がそれらしいのを望遠鏡の中に見つけて、Sさんを呼ぶ。「これはミヤマですねえ・・・」と否定されてしまう。電線に止っているのが怪しいと誰かが言い、Fさんはそうだと受け合うが、Mさんたちは違うという。「鳩ほどのを探せば、十中八九それですから」とSさんに教えられ、そのうち、いたいた!首筋から胸にかけて灰色の小ガラスが。間違いなく、コクマルガラスだった。3羽はいた。昼食時間をとつくに過ぎたのにみんな満足げな顔をしていた。

昼食後はコチョウゲンボウを探しに出かける。チョウゲンボウは電柱に止ったりするが、コチョウゲンは大抵田畑に下りるということだ。途中の畔道に飛び上がる鳥を見て、「あれはオオジュリン・・・ほれ、こいつはコジュリンです。」どこがどう違うのか私にはさっぱり分からなかった。相当歩き廻ったが、コチョウゲンは結局見つからなかった。

風のせいか、出現鳥は去年より少ない。でもコクマルを見ただけでも来た甲斐があったと思い返して、3時過ぎ、Fさんらが後一時間コミミズクの出現を待つのを、我々はSNさん夫婦といっしょに、みなに別れを告げて帰路に着く。

 

42 出雲路橋 1997年1月5日(雨)

 

10時半ごろから久しぶりに京都御苑へ行ってみる。間ノ町御門を入ったところで、一足先に着いていた家内がルリビタキを見たらしい。宗像神社の近くで、去年はとうとう一度も見かけなかったシロハラを見た。水呑み場ではツグミがしきりに水を呑んでいた。一廻りして九条池の公衆便所の脇で、今度はルリビタキの雌を見かけ、その上ウグイスが地面で採餌しているのに出くわし、またアオジも見ることができた。

一時過ぎに凍えながら家に帰ってカレーライスを食べ、昼寝でもしようかと思っていた矢先、三時半ごろ、Mさんから電話が掛かってくる。

「鴨川の北大路橋と出雲路橋の間にシノリガモが来てるのを知ってますか。」

とのこと。雨が降り出していたが急いで用意をして、地下鉄で出かける。北大路駅ですでに四時を過ぎていた。雨の中北大路橋から川岸に下りたとたんだった。橋の下から黒っぽい見慣れぬ鳥が水に流されるように泳いできた。双眼鏡を構えたとたん、ぱたぱたと下流に向けて飛び立ったのだ。その瞬間、私は頬に白い斑点を見たと思った。その鳥の行方を追うとかなり下手まで飛んで行った。走り出したい気持を抑え、早足で下流に向かって歩き出す。雨のことなぞ構っていられない。中頃の堰の辺りで家内がハマシギの群れを見つけるが、私はろくろく見もせずにどんどん行く。とうとう出雲路橋まで来てしまった。この雨では岸辺の草葉に隠れてしまったかもしれない。とにかく出雲路橋の次の橋まで行って戻って来ようとさらに進む。50メートルほど歩いて、オナガやヒドリの群れがとぎれたころ、一羽だけひっそり泳いでいる小型の鴨を見つける。全体が黒っぽい。双眼鏡を当てると、頬に白い班があった!家内はと見ると、のろのろとまだ向こうの方でユリカモメの群れを眺めていた。こちらは雨で曇った双眼鏡を拭いてもう一度夢かうつつを確認しようとするが、慌てる気持を逆なでするようにレンズは曇るばかり。双眼鏡を諦め望遠鏡を立てて覗く。間違いない。やっとこちらを振り向いた妻を手招きすると、私の表情を読み取ってか、傘を振り振り走ってくる。

「いた、いた、早よ、はよ」

家内が見るまで飛び立たないことを念じながら、呼び立てる。

シノリガモは幼鳥ということだが、それにしても少しぎこちない泳ぎだった。やがて浅瀬に上がろうとする瞬間を見ると、やはり片足を痛めているらしいかった。雨はかなり激しく降っていたが、私は少しも気にならなかった。

 

43 植物園、深泥池 1997年2月5日(曇り)

 

久しぶりに十一時ごろから弁当を持って植物園に出かけた。この一月の誕生日から家内も入場無料になったので大いに活用しようと、証明の健康保健証を持参する。晴れて暖かくなるとの予報に反して、どんより曇っていて、むしろ寒かった。人出も少なく、カメラの人もほとんど見当たらない。ツグミとシロハラばかりは今年はやたらと目に止る。池の傍の吾妻屋でスーパーで買ってきた巻き寿司とちらしを食べ、またうろうろするが大した収穫もないので、深泥池に廻ろうということに相談がまとまった。幸い、われわれはここは無料なのだから、帰りにまた寄れば二度でも三度でも入れてくれるはずだ。出口に向かう道すがら、カメラマンが三人ばかりで何かを狙っている。近寄ってみると、ルリビタキがほんの近くの枝に行ったり来たりしている。餌をまいておびきよせているのだった。まあそのお陰で今日の収穫とはなった。その近くの芝生でシメとアオジも見つけることができた。

深泥池に着いたところで、ぱらぱらと来たが、それはすぐ止んだ。ヒドリとマガモばかり、それも数も少なくてがっかりする。一人、カメラを構えた女性がいる。どこかで見かけた顔だった。やがてカメラを担いで、森の方へ消えて行った。我々も一足遅れて奥へ進む。十二月に池をさらえて以来、ひょっとしたら鴨が減ったのではなかろうか。入江の様子も少し変わっているようだ。女性は我々が追い付くとまた前に進む。が、池の縁の木橋のところでとうとう追い付いた。

「ずいぶん少ないですねえ。」と女性。

「いませんねえ。」

この人、どこかで見かけたと思ったら河合先生の御所探索の時に一緒だった人だ。やはり鳥類保護連盟の会員とのこと。中学のフリーの先生をしながら鳥に打ち込んでいるらしい。

病院まで行くが結局鳥には出くわさず、私が彼女を病院の軒にコシアカツバメの巣まで案内する。その向かいの枯れ芦にシジュウカラやエナガの混群がいた。帰り道、彼女が堅田の「鴨池」を教えてくれた。ヒシクイやガンがいるらしい。そこの野鳥園の連絡先を郵送しましょうというのでこちらの住所を言い、同時に名刺を貰ったが、西台という珍しい名前だった。

我々は西台さんと別れて、帰りにもう一度植物園を通り抜け、鴨川に出たが、一渡り見渡しただけで、十二種類の鴨やサギを数えることができた。

 

44 京都御苑 1997年2月7日(曇り)

 

十時半、それでも一昨日よりは少し早めに家を出る。間ノ町御門から入って、九条池の方に廻る。枝先にツグミが止っていた。自転車を置いて歩いて廻ることにする。堺町御門の東側の芝生にもツグミが二三羽。今年はツグミがいたるところにいる。同じ芝生にルリビタキの雌もいた。去年はこの辺りには何もいなかったから、鳥は豊富なのだろう。テニスコートの奥、寺町沿いの土手でシロハラを見かける。ウグイスもいた。清和院門から梨木神社沿いの土手を北上する。ここにはカシラダカがいた。さらに進んで、公衆便所の東側、自然雑木苑の生け垣南側をひょこひょこ歩いているトラツグミで出くわした。日向で、十メートルばかりの近距離だったので、爪模様の斑点が鮮明に見えた。

アオジがいた。

昼を過ぎたので、売店でうどん定食を食べる。そのあとは西側の土手沿いに歩き、乾門の東側の芝生造成地で、カメラの人が構えているので、近寄ると、ジョウビタキだった。人懐っこく、ほんの近くまで寄ってくる。カメラマンはそれでも狙いどころが違うのか、いつまでも待っている様子。ここには、ビンズイ、シロハラもいて、まるで鳥の集合場所のようだ。

もう一度小鳥の水呑み場の方に廻り、先にトラツグミを見つけたところに行ってみるが、もう姿を見せなかった。朝来た道を引き返して、富小路御門の西の芝生、ここで朝のうちツグミがうろうろしていたとこで、シメを見つける。

三時。九条池に戻るが、全部で十九種。まずまず、満足のいく収穫だった。

 

45 府立植物園 1997年2月14日(曇り)

 

昨日野鳥保護連盟のSさんからアトリの情報を得ていたので、今日は全国的に晴れて暖かくなるという予報を信じて、朝方まだ曇ってはいたが、植物園に出かける。十時ごろ入園するが、暖かいどころか一時小雪さえちらついた。しかし、聞いてきた蓮池の紅葉の枯れ枝に最初二羽ばかりのそれらしい鳥影を見つけ、スコープで確認すると正にアトリだった。別の枯れ紅葉にはさらに十羽ばかりが群れ止っていた。二人で繰り返し飽きるほど眺め、やっとのこと移動する。 

どこかで出会った顔の人に、「ヒマラヤ杉のところにトラツグミがいる」と教えられて、出かけてみるが見当たらない。近くにはこの前の梅林があり、今日もルリビタキの撮影に大勢が押しかけていた。

十一時過ぎ、寒くてしようがないので、南売店で暖を取りながら、持ってきた弁当を広げる。そのあと、もう一度アトリを見に行こうということになるが、蓮池に着いて間もなく、初めは一羽が地面に下り、続いて続々と降り立ったのが、しめて二十羽ばかり。初見でこんな光景を見られて全く幸運だ。ちょっと顔の黒い雄がグレーの雌の中に混ざっている。見てるだけでは勿体ない。カメラが欲しいとちょっと思う。予報に反して寒いので、深泥池には廻らずに帰ることにして、もう一度念のためヒマラヤ杉の辺りを通りかかる。いたいた!向こうでカメラマンたちがルリビタキに夢中になっているのを横目に、静かな松林の芝生をちょこちょこ歩いている立派なおトラさんを見つけた。

アオジにシメも見たし、全部で十七種。満足して帰途につく。

 

46-1.都ホテル探鳥路 1997年2月24日(晴)

 

昨日に引き続き今日も天気はよさそうだ。朝方はまだ少し冷えるが、昼から暖かくなるとの予報を信じて、久しぶりに二人で出かけることにする。三条京阪から普通に乗り込むのも懐かしい。蹴上で下り、都ホテルの西側、宴会場を経て、さらに佳水園脇までの舗装路を歩いたが、ほとんど人影もなかった。稲荷参道の登り口で小鳥のざわめきが聞こえる。期待して、山道に入り、地蔵の側のわき道を、小鳥の鳴き声につられて登る。枯れ木に止っているのはイカルだ。權木を這うように飛ぶのはウグイスか。

もう一度本道に戻って登り、稲荷に到達したが、さらに第二探鳥路との案内に従って、細道を小鳥の水呑み場まで登り詰める。そこの岩場にひょっこり現われたのは、なんとミヤマホオジロだった。予報通り気温が上がり、暑くなる。一服してパンを食べ、お茶を飲んでいたら、ちらっと黒い影が飛ぶ。息を詰めるが、それっきりだった。この前聞いた話に、ここら辺りで社長がクロジを見つけたらしい。諦めて下山することにする。

お目当てのウソにはお目にかかれそうにない。

再び、地蔵のほこら地点に戻り着く。行きがけに見たのはイカルだったが、鳴き声はウソと聞き違えた。あきらめきれずに、もう一度わき道を登ってみる。枯れ木にはもうイカルの姿もない。その時だった。傍らに建つ小屋の、平屋根の上に、採餌する小鳥を見つける。ひっひっという地鳴きに、思わず桂子に低い声で叫ぶ。

「クロジ、クロジ!」

これで今日ここへやってきた甲斐があるというものだ。

「見たか?」

「見た見た!」と桂子も目を輝かせていた。

 

46-2.都ホテル探鳥路 1997年2月26日(曇り)

 

昼からは天気も回復するとの予報に、一昨日行ったばかりの都ホテルにまた出かける。今日も宴会場は人気がない。そして、稲荷参道の入り口、この前小鳥の声で騒がしかったあたりが、今日はまったくその気配がない。

地蔵尊の權木にも地鳴きひとつ聞こえない。ちょっとがっかりして、もし収穫がないようなら、昼から御所へでも行こうと相談する。

頂上の水飲み場も静かなものだった。とりあえず、持ってきた餡パンをかじって一服する。

スコープをかたげて、下山にかかる。仁王岩の側を通り、山中の畑地に下りる段の上から、二十メートルほど先の枯れ木の枝に、私の双眼鏡がミヤマホオジロのタイガースマークを捉えた。桂子が「どれ?どれ?」と言っているひまに、ついと飛び立って、畑の下端の茂みに入ってしまった。しばらく待ったが動かない。不用心だが近寄ってみるしかない。そして、幸運なことに、狙いどころからミヤマホオジロが飛び出してくれた。二人とも今度ははっきり見ることができた。

地蔵のわき道を登ってみる。崖の上に身を秘めて、しばらくすると・・・驚いた。十羽はいるだろう。クロジの群れ。アオジも混じる、混群だ。權木の裾を右に流れるかと思うと、左に移動する。クロジがこんなめまぐるしい鳥とは思わなかった。

まあまあ、今日はこの程度で満足しておこう。

帰りは家まで歩いて帰った。

 

47.新旭町水鳥観察センター 1997年2月28日(曇のち晴)

 

予報では今日の最高気温は17度とのこと。大分身軽にして出かけた。京都駅のホームに着くと電車のベルが鳴っている。先頭車の表示は「近江・・・」。で、桂子を促して飛び乗った。鈍行だから一駅ごと止り、やっと、堅田に到着するが、その横に後から来た新快速が並んで止った。「近江今津行き」とか言っていた。はっと気が付き、乗り換えようとするが、時遅く、一足早く発車して行ってしまった。仕方がない。二三十分の遅れだ。まあ慌てずゆっくり行こうと諦めて、近江舞妓まで来る。客は我々二人っきり。それもそのはず、この列車は「近江舞妓」止りなのだ。寒々としたホームの時刻表を見ると、あと三十分の待ち時間。家内にさんざん責められながら、人気のないガラス張りの待合室で、時間潰しに早昼を食べてしまう。近江今津に着いたのは家を出てから二時間半後の十一時二十分である。

湖は凪いでいて、思ったより暖かい。途中でオジロワシを見るのが、今日の目的の一つでもある。しかし、桂子は、

「今ごろ来て、ワシもタカも、食事は終わって山へ帰ってるわ。」

とすげない。

遠くにミコアイサを私が見つけ、やっと妻も機嫌を直す。それでも水鳥観察センターまでの湖岸を二時かけて、二十五種類を見た。

センターの客は我々二人だけだったが、期待に反してコハクチョウは見当たらない。元校長先生という監視人の堀野さんに聞くと、今年は水嵩が高くて白鳥があまり寄り付かないとのこと。首を突っ込んでも湖底に白鳥の嘴がたどり着かないのだという。ベニマシコが出たと記録簿に書いてあったので、さらにセンターを出て南に歩いてみる。枯れ芦原に小鳥が飛び廻っている。スコープを当てると、カワラヒワに混じって見慣れぬ鳥影。図鑑と何度も照らし合わす。どうやらオオジュリンと分かった。オオジュリンはすでに見たことになっているのだが、こんなに何羽も一度に、しかもしげしげと見たのは初めてだ。十羽はいるだろう。しばらくすると、シジュウカラ、エナガの混群もやってきて、まるで小鳥の舞踏会のような有様だった。ベニマシコこそ見なかったが、満足してもう一度センターに戻り、餡パンをかじっていると、例の堀野さんが、

「駅まで送りましょうか?」

と言ってくれる。お言葉に甘えたところ、四時閉館を我々のため、五分前に切り上げて乗せてくれた。

「四時七分の新快速に間にあわせてあげましょう。」

近江今津駅まで、十分で着く。朝の苦い経験と大違いの幸運だった。

 

48.渡月橋から亀山公園 1997年3月2日(晴)

 

京都御苑の探鳥会には行かずに、亀山公園にウソを探しに行くことにする。

けっこう暖かく、日曜とて嵐山もぼちぼち人が出ていた。雪解けのためか川が濁って水嵩を増しているせいで、鴨類はあまり見当たらず、ハシボソガラスばかりが目についた。渡月橋の上から、奇妙な鳥を見つけた。セグロセキレイの形ながら、腹がピンクなのだ。一度上流へ飛び去ったが、亀山公園の入り口付近でまたお目に掛かった。嘴の付け根もまた赤い。羽根も幾分赤かったが、どう考えても奇妙で、恐らくどこかでピンク色に染まったものと思われる。ピンクセキレイというのはいないと思う。

亀山公園の登り口で、上の方から女性がにこにこして手を振っている。見た顔だと思ったら、Sさんの奥さんだった。登って行くとご主人も例の立派なカメラをかついで一緒だった。カメラマンが何人も桜を狙っているが、皆ウソを待ち構えているのだ。時しも、どこかでウソの声!・・・と思ったら、テープを流して鳥を寄せているのだった。ちょっと人騒がせで、しかも鳥にも返って警戒されるような気がするのだが・・・

雑木林の中にイカルの大群を見つける。五十羽はいるようだ。元の道に戻ると、カメラマン達が何かを見つけたらしく湧いていた。覗かしてもらうと、エナガの巣である。小さな雛の頭が見えた。

展望台には、やはりアオゲラのテープを流して、以前止った実績のある、松の二番目の枝にレンズを構え続けている人に出くわした。まるで「まちぼうけ」の童謡そっくりのノンビリした話だ。

児童公園からカケスが見えるとSさんの奥さんに教えられて行ってみるが、そんな気配もない。昼時分だったので、その辺りで持ってきたトーストサンドを食べて休息する。

またSさん夫婦に会った。トロッコの駅の近くの池にカワセミがいると聞いて行ってみる。池のほとりには御髪(みかみ)神社があり、マガモ、カルガモ、カイツブリが浮いていた。池の西端で我々もカワセミを見つける。通りがかりの人にもスコープの中のカワセミを覗かせると、みんな感嘆の声を上げていた。道端の枯枝によく肥えたモズもいた。

ウソを諦めて帰りかけたところで、今年初めてのウグイスのさえずりを聞く。またSさんに会う。つい今しがたアカゲラを見たと言う。カケスも薮の中で餌を食べていたらしく、クロジがあちこちうろうろしているという。期待して、小道の脇でしばらく待機する。確かにクロジは飛び回っていた。先日都ホテルで見たと同じ動きだった。しかしアカゲラにはお目に掛かれなかった。今日は真田さんがツイていて、我々にはツキがなかった。

帰り道、渡月橋の近くで再びピンクのセグロセキレイを見かける。

 

 49.京都御苑 1997年3月6日(晴)

 

家内が昼からの出勤で、弁当の用意の忙しい最中に、Sさんの奥さんから電話が掛かってきた。御所にヤツガシラが来ているとのこと。そのあとすぐ、今度はAさんからも同様の通報を受けた。昼ご飯もそこそこに、家内と自転車で駆けつける。Sさんは「猿が辻の辺り」と言っていたが、Aさんは「運動場の傍」だと言ったので、ひょっとと思って響宴場の南から廻ってみる。幸いその辺りにカメラマンが数人三脚を立てていたのですぐ分かった。

「いるんですか?その・・・」興奮していてヤツガシラがなかなか出て来ない。

「ヤツガシラなら、ほれ、そこに・・・」

親切にスコープをのぞかせてくれた。まさに幻のヤツガシラそのものだった。長いしゃくれた嘴で、芝生の土をしきりに突っついている。冠も絵の通りである。下半身の白黒模様がまた美しい。警戒するのか時々冠羽を立てるようだ。飛ぶところも見たかったが、飛んでしまえばそれまでだし、これでとりあえず満足しておこう。家内が昼から勤務なので家に帰る。

二時ごろから私だけもう一度行ってみる。ところが、先ほどの場所は、近くで松の根の掘り起こし作業中で、もうヤツガシラもカメラマンも、どちらもいなかった。

  

50.渡月橋から亀山公園 1997年3月7日(晴)

 

朝九時、昨日の興奮の覚めやらぬまま自転車で御所へ行くが、トラツグミを見ただけでヤツガシラは見当たらない。

なにか物足りなくて、取って返すと、弁当持ちで亀岡公園に出かけることにする。結局、阪急嵐山駅に着いたのが十一時半だった。川水は濁りもなく、水嵩もまだ少し多いが平常に戻りかけていた。イソシギが一羽いた。亀山公園の近くで、再びこの前のピンク色のセグロセキレイにお目に掛かる。

公園の登り道でアカゲラを待つが影もない。桜の枝にも目当てのウソはいなかった。弁当を食べてしまい、公園を一順する。ミヤマホオジロには何度か出くわした。御髪神社の池にも行ってみるが、今日はカワセミも姿を見せない。公園に引き返す道すがら、薮越しに枯れ木に止ったカケスを望遠鏡に捉える。こんなにはっきりと、長くカケスを見たのは初めてである。今日のせめてもの慰めだ。

公園内をもう一順するが、結局ウソもアカゲラも出なかった。

三時に諦めて帰路に着く。渡月橋の下流、二百メートルのところで、変わった鳥を一羽見つける。よくよく見ると、タヒバリだった。その側に十羽ほどのハマシギもいた。

 

 51.都ホテル探鳥路、京都御苑 1997年3月8日(晴れ)

 

知恩院に月詣りのあと、都ホテルに廻る。朝十時過ぎだった。地蔵尊の前のベンチで三脚を組んでいたら、上の方から都ホテルのF社長がてくてくと下りてくるのが見えた。笑顔で近づいてくるので、挨拶して、しばらく立ち話をする。さすが社長、どんな話にでもちゃんと乗ってくるところは大したものだ。レンズの倍率、口径、ヤツガシラについても一通りの知識を持ち合わせているのには驚いた。

社長に別れて、地蔵の脇の道を登るが、先日ほどクロジが飛ばない。そのまま裏道を辿ると、ずいぶん近道で、すぐ御百稲荷に出てしまった。「みやこ平」まで登るが、ミヤマホオジロにも出くわさないまま、時間もないので下山する。

昼からは、折紙三人組の例会日なので私は御苑に出かたが、どうもヤツガシラが気になって手に着かず、一時間ほどで切り上げて、早々に「猿が辻」に廻ってみる。カメラの連中は三々五々、休憩中だった。朝には見物客もどっと出たし、鳥も出たらしが、今は行方不明とのこと。

Mさん、Aさんと三人で一廻りすることにする。響宴場南の芝生でカメラマンが一人、しきりに枝先を見上げている。やはりヤツガシラが止っていた。そのうち白黒の羽根をハタハタさせて飛びたち、便所の近くでいなくなった。他の連中もやってきて、捜索が始まる。しかし見つからない。

やっさもっさのその最中、Mさんがアオゲラを見つけた。みんなヤツガシラそっちのけで、アオゲラの探鳥会が始まってしまった。

 

52.向日神社 1997年3月9日(晴)

 

私が言い出したことではあるが、早朝四時半、末娘に起こされて、家内と娘は双眼鏡を片手に、私は望遠鏡を抱えて、まだ真っ暗な外に出た。御池通りは工事中のため煌々とライトが灯っていて明るく、星の光は弱い。桂子とゆき子は諦めて早々に引き上げかける。私だけが、意地を突っ張って東の空を探した結果、東北の空にぼんやりした星を見つけた。それが、四千年に一度のヘールボップ彗星だった。

お陰で寝不足の朝を迎える。それを押して、昨日Mさんに、「ウソがいましたよ」と聞いた向日神社に出かける。松尾橋から渡月橋までの探鳥会の日だったが、そちらは欠席した。

向日神社の参道は、両側が立派な桜並木だったが、花はまだ遠い。「社殿の前の桜の枝」と聞いたが、期待に反してスズメ一羽止っていなかった。それでも周囲にはなかなかの自然が残っていて、小さな池のほとりの木立はゴイサギのコロニーらしかった。裏山にはイカルの群れが、七八十羽もいただろう。ウグイスがさえずり、アオジも道を歩いていた。が、肝心のウソはどこにも見当たらない。

神社に隣接して、子供のための小さな天文館があり、おりしも、朝のニュースで聞いてはいたのだが、今日は部分日食で、まさに今がその時刻。無料で観察させてくれるというので、入って見せてもらう。運良く七割方欠けた太陽を見ることができた。今日は鳥よりも、星と太陽を見る天文の日のようだった。

一時過ぎ家に帰ったが、くたくたで、そのまま小一時間昼寝をしてしまう。

 

53. 桂川西京極から久世橋 1997年3月12日(晴)

 

朝方ちょっと肌寒かったが、いい天気だ。

今日は、昨夜から決めておいたので、迷わず久世橋に出かける。西京極近くの天神川でいきなりジョウビタキに出会った。阪急鉄橋下の河畔は、ここかしこ、平日にもかかわらず、釣り客が占領している。お陰で、島の物陰には水鳥は寄り付かず、はるかかなたにヒドリとカルガモが泳いでいた。

それでも、芦原ではアオジの群れが、またモズにも出会い、桂大橋の近くで、ようやくバンの顔も見かけた。橋を渡り、簡易トイレを借りて、いつも通り、下流の堰のあたりで弁当を広げる。水量は幾分多い目だった。リュックを背負って立ち上がったところで、イソシギをいつもの堰の石積みの間に見つけた。ここら辺りでメモが、すでに二十種類に達したのは、さすが桂川である。

新幹線鉄橋二百メートルほど手前で双眼鏡を手にした老人に出会い、ミコアイサの消息を尋ねてみるが、「最近見てません。今年は鴨が少ないです・・・」とのこと。

畑の畔にタヒバリが歩いていた。鉄橋を越え、以前はコロニーがあった島の雑木には、近頃はもうゴイサギは一羽もいない。鉄橋から二百メートルほど下る。中の島の枯れ芦のほんの隙間に、白い点を桂子が見つける。私もそれを確認した。が、すぐ枯れ芦に隠れてしまった。目をこらして、しばらく待った。再び白点が現われた。双眼鏡を合わせる。まさしくミコアイサだった。場所を変え、開けたところに望遠鏡を構えてじっくり見る。これがこの春最後のご対面かもしれない。雌を探すがそれは見当たらなかった。

これで二十五種。気分良く帰ることにしよう。ミコアイサに別れて百メートルほど南、川柳?の木の芽を啄むスズメくらいの小鳥を見つける。胸の縦縞の細い線。背羽根にはくっきりと白線が目立ち、今まで見たことがない鳥には違いなかった。見ればみるほど、胸が高鳴ってくる。中に、顔と腹が幾分ピンクなのがいた。ベニマシコ!比叡山でさんざん探したベニマシコに、こんなところで出会うとは思いも掛けなかった。家内の顔も感激で紅潮していた。全部で五六羽はいるだろう。かなりの間滞在してくれた。

意気揚々と凱旋する道すがら、カンムリカイツブリにも出会えたから、今日は二十七種の大収穫である。

「ベニマシコ」で我々の初見鳥は総数百五十種に達し、これは夕食で乾杯ものだった。

 

54.鴨川五條橋から御池橋 1997年3月19日(曇)

 

朝のうちは今にもしぐれそうな気配だったが、午後の空模様を見て、もう降られることはなかろうと、彼岸前なので、自転車に乗り、知恩院と、円山経由で西大谷の墓に詣でる。

帰りの五條通りで桂子はツバメの飛ぶのを見たという。五條大橋からは、鴨川を東岸沿いに走った。鴨もめっきり少なくなり、オナガガモはすでに飛び去ったようだ。

松原橋に差し掛かる手前で、桂子がふいに自転車を留め、「鳴き声が聞こえる・・・」という。「へえ?」当初、私には何も聞こえなかった。桂子の真剣な顔付きに、私もその気になって耳を澄ますと、確かに聞こえてくる。鈴を振るような鳥の鳴き声。それもかなりハッキリと。

「レンジャクや!」

と桂子。美しく芽吹く柳の緑に見え隠れる鳥影を私が見つけ、ポケットから双眼鏡を取り出して目に当てがう。

「いたぞ!・・・しかも、キレンジャクや。」

三羽もいる。尻尾を確認するためあっちこっちと位置を変えて見たが、間違いない。そのうち三羽とも対岸に向かって飛び去った。互いに顔を見合わせ、しばらくその場に立ち尽くす。ふと川辺を見ると、ツバメが土手に下りて留まった。

興奮を収め、松原橋を渡ると、そこの柳にもまた、いた、いた!今度は五羽。すべてキレンジャクである。

そのあと阪急桂に、叔父の陣中見舞に出かける予定が控えていたので、長く留まっているわけにはいかなかったが、充分満足だった。

 

55.鞍馬山から貴船 1997年3月23日(曇)

 

十時半鞍馬駅前集合と聞いていたが、少し余裕を持って、家を八時半に出る。出町柳九時発の電車に間にあったので、鞍馬には九時半に着いてしまった。受付で入山料二百円を払って、聞いてみると、総勢百人ぐらいでしょうとのこと。待つこと一時間。MさんもAさんも、間際にやってきた。今日は女性のNさんがK先生の代わりを務め、小半時鳥の話をされる。いよいよ出発、大部隊が移動する。

本殿の桜にウソがいました、とN先生が教えてくれたので、期待に胸をふくらませて登るが、初心者が半数以上で、ペースが遅い。一足先に本殿にたどり着いて、急いで見渡すが、ウソはいなかった。

お昼の休憩も長かった。

少し先に進むと、連隊はなかなか上がって来ない。引き返してみると、寄ってたかった、コゲラの「みせかけの巣」をスコープで見ている。出たのはマヒワぐらいだった。ヒヨドリ、キジバトにも、いちいち立ち止まる。

だらだらと歩いて三時ごろに貴船に下り立った。貴船川には必ずカワガラスがいますからと、Nさんが威勢よく保証した通りに、二三羽のカワガラスの飛ぶ様を見かけた。堰の裏側に巣造りしているらしく、滝の水面に潜り込み、また飛び出してくるのも目撃する。また、岩の上に止ったミソサザイを一瞬ながら確認できた。

四時ごろ家に帰り着く。一万六千歩。今日はどうしてか、ひどく疲れた。 

 

 56.西京極から久世橋 1997年4月11日(晴)

御苑にアカゲラが出たというニュースにこの二三日懸命に通ったが、結局、先のキクイタダキ同様夢破れてしまった。数では裏切られたためしのない桂川で元気を取り戻そうと出かける。

シーズンなのかもしれないが、近頃めっきり釣り客が多くなった。後から来てスコープを立てるのが気が引けるほど、二メートル間隔で並んでいる。それに鴨はほとんど帰ってしまったようだ。それでも、桂大橋までで十種を数えた。橋を渡って、いつもの下流の堰のほとりでサンドイッチを広げるが、そこで、思いがけずノビタキの雌に出会う。枝先と岩との間を何度も行き来してくれた。今日はイソシギはいなかった。

ヒドリがわずかに残っていたが、ミコアイサはもちろん、カンムリカイツブリもすでに見当たらなかった。今年は早く来て、その分早く引き上げてしまったのだろう。

それでも合計二十二種類なのだから、大したものだ。         

 

57.鴨川から比叡山 1997年4月14日(晴)

都ホテルの裏山から亀山公園と追い続けたウソが頭の片隅から消えずに、ひょっとしたら比叡山にならまだいるかもしれない、と出かけてしまう。

自転車で鴨川を走り、出町柳の橋下に自転車を置き去りにして、叡電で八瀬まで乗る。平日とはいえ春先で観光客もそこそこ来ている。

人工スキー場は整理中だった。そのだだっ広い芝生にホオジロが三羽、我が物顔に歩き廻っていた。その横手の崖っぷちの木になにやら鳥が。双眼鏡に入ったのは、色鮮やかなベニマシコだった!つくづくと見て、これは幸先よしと、出発する。

しかし、それからはさっぱり。浄土院の辺りまで行くが、カケスの呼びかう声がして、ようやくちらっと天空に飛ぶ姿を見る。戻る薮の中で、「ちょっとこい」のコジュケイの声。それも二羽が戯れているようだ。結局姿は見ることはできなかった。疲れて、二時過ぎ引き上げる。

帰り道、鴨川ぞいに自転車で走りながら確認した鳥の数が十二種。比叡山より多かった。

 

58.大阪城  1997年4月18日(曇)

 

迷ったあげく、やっぱり大阪城に行ってみることにした。三条大橋の下に自転車を置きざりにして京阪電車に乗り込む。天満から大阪城の堀まで歩いて十五分。堀にはコガモが三羽浮いている。大手門をくぐって、すぐのところに西の丸庭園があり、ここだけは入場料を二百円とられるのだ。入ったところが、だだっ広い芝生だけで、取り立てて見るものもなく、ただ、周囲に植え込みがあるので、そこを見て廻る。突然すばらしいさえずりが聞こえてきた。紅葉の枝先でオオルリが歌っている。今年初めてで、姿もしっかり見せてもらった。一廻りしたが、ほかにはこれといった収穫もなく西の丸を後にする。ところが出たところで、またオオルリにお目にかかった。さっきのが一羽二百円なら、これは無料奉仕である。

修道館、豊国神社の裏道を廻る。シロハラやアオジが多い。時々堀を見下ろすが、鴨は一羽もいない。観光客にもまれながら、桜門をくぐり、博物館の裏手の土手に腰を下ろして、弁当を広げる。たまたまやってきた若いバードウォッチャーに様子を聞くと、コマドリの出ている場所を教えてくれた。お城の裏の極楽橋を渡り、バス停の近くだという。確かに橋を渡ると、すごい観光バスの列だ。何しろ今は造幣局の桜の通り抜け週間である。バスをかいくぐると、雑木林の散策広場が開けている。かなたに望遠カメラの砲列が五つ六つ。急いで近寄ると、そこに、この前京都御苑で出会ったAさんがいた。コマドリが二三羽權木にはいっている、待ってればそのうち必ず出て来るからという。なにしろ餌を撒いて手なずけてあるらしい。小一時間待った。Aさんの手招きで駈け寄る。コマドリが一羽ちょこちょこと地面を歩き廻っていた。

 

 59.京都御苑  1997年4月19日(晴)

五時起き。それでも家を出るのは七時前になってしまった。自転車を九条池の橋の袂で留めて鍵をかけ、東廻りに歩き出す。芝生にツグミは見かけたが、丸太町沿いは大して鳥の声も聞こえず、夏鳥にはやはりまだ少し早いかなと思っていた。

テニスコートの東側に廻った角のあたりで、ようやくシジュウカラやウグイスの声が聞こえ始める。土手にシロハラを追っかけたりしているうちに、どこかで耳慣れない、いい響きのさえずりが聞こえ出す。どうやら、けやきの大木の梢からのようだ。大口を開け、首を思い切り仰向けて、さえずりを頼りに探し廻る。肉眼に、かすかな鳥影が若葉の繁りのかい間に動いた。双眼鏡を当てると白い腹が見える。祈る思いでスコープを立て、白い点を捉えようと気ばかり焦る。それでもやっとレンズに鳥影を捕まえた。尾が短く、間違いなくコルリである。首筋が固まるほどしげしげと、二人で十五分ばかり眺め続けた。

すぐ先のとんぼ池の東側ではセンダイムシクイの初鳴きを聞きつけて、これも姿をちらりと確認する。

小鳥の水呑み場にたどり着いたのは八時ごろだった。カメラマンのNさんにコルリの話をすると、びっくりして、「見に行ってこう」と三脚を畳み出す。そこへもう一人カメラマン。キビタキの話がちょっと出る。その最中、目の前に枝に、話題のキビタキの雄がひょいと止ったのだ。驚いたが、私と家内は双眼鏡を構えてすぐさま見ることが出来た。Nさんらカメラマンは仕舞い掛けたカメラをまたセットし直している間に、キビタキは飛んで逃げてしまった。また一人やってきた若いカメラマンと三人で探し廻りだした。

 

60−1.大阪南港野鳥園 1997年4月24日(晴)

昨年暮、とあるホテルのレストランを利用したとき、包装デザインのコンテストをやっていて、二人が投票したところ、家内のがたまたま当選して、大阪全日空ホテルの宿泊券が当った。それを使って、季節もよく天気も上々なので、二日掛かりの探鳥に出かけることにした。その初日が、大阪南港野鳥園行きである。朝早くと思って五時半に起きはしたが、家を出たのは九時を過ぎていた。阪急に乗って、梅田から地下鉄、ニュートラムに乗り継ぎ、中埠頭駅に着いたのが、十一時半。無料貸し出しの自転車もとっくになくなっていたので、ちかくのホールのロビーで、持参したお弁当を広げ、リュックを軽くしてから、片道一・六キロの道のりを歩き出す。幸い、近くの道路脇に貸し出し自転車が一台乗り捨ててあったので、荷台に荷物を積んで、代わり番こに乗ることにする。それでも、中央観察所に着いたのが、十二時半だった。見たところシロチドリやハマシギの群れと、遠くに二十羽ばかりのオオバンが浮いているほかは、これといった珍しいのは見当たらない。北観察所に廻ってみることにする。そこからはオオバンやハマシギなどが、少し近くに眺めることができた。頭の赤くなったトウネンもいる。そこへ二人連れの若い女性がやってきて、ひそひそと熱心に観察しだす。われわれは、今日は期待外れと、諦め掛けて、離れ際二人に、「なにかめずらしいの、発見しましたか?」と、お愛想にに尋ねてみる。「ムナグロが杭の側にいますけど・・・」

慌てて、スコープを立て直す。なるほど、先程までハマシギばかりと思っていた、干潟にまさしくムナグロがそれも三羽も採餌している。

「これひょっとして、ダイゼン?」

もう体裁かまってられない。私がとらまえたのを女の子に見てもらう。

「確かにダイゼンです。腹の黒色が脇にくっついていますから、間違いないです。」

私は感心して聞いていた。急速に潮が干いていくにつれ、いつの間に飛んできたのか、キョウジョシギも現われた。女連も気を許したのか、

「メダイチドリもいますよ。」

と、自分の望遠鏡を覗かせてくれた。去年見た時と違って、すっかり夏羽になって、胸が赤く染まっていた。娘たちは探究心旺盛で、それがひょっとしたら「オオメダイ」かもしれないと、図鑑と首っ引きである。お礼ということもないが、管理人に鍵を貸してもらうからと、南観測所へ誘っら、二人は喜んでついて来た。

ここでも、オバシギを見つけてくれたし、隅っこのタシギまで探し出して見せてくれた。

中央に戻っても、二人の熱心さには頭が下る。我々は三時過ぎに別れを告げて引き上げる。裏道に隠しておいた自転車は持っていかれずにまだ置いてあった。帰り道、キビタキの飛び交うのに出くわす。上空にヒバリも見つけて、全部で二十九種。満足できる成績だった。

西梅田についたのが、五時半ごろ、ぐるぐる廻って結局阪神の九階のファミリーレストランで定食を食べ、もう歩き疲れて、デパートの前からタクシーを捕まえて、北新地の全日空ホテルに乗り付ける。暇なのかどうか、ベルボーイが二人掛かりで案内してくれた部屋は、十一階の一号室で、ダブルベッドとシングルベッドの入った、高層ビル街の望める、なかなかの部屋だった。風呂にはいって、デパートで買ってきた缶ビールで乾杯する。万歩計の蓋を開けると、一万九千歩を越えていた。

 

60−2.大阪城  1997年4月25日(晴)

五時半起床。シャワーを浴びる。天気は今日も上々のようだ。リュックを背負ってエレベーターに乗り込むと、出張帰りのサラリーマンらしいのが、うさん臭い顔でじろじろ見た。フロントに鍵を返してチェックアウトする。外に出たが、通りはまだどこもシャッターを下ろしていた。地下道に下りるが、開いている店はなく、ひたすら大阪駅に向かって歩いた。西梅田JR桜橋口の地下街でやっと開いている食堂を見つける。よくはやっていて、和定食五百八十円なり。環状線に乗り込み大阪城公園前で降り、天守閣に向かって歩くと、なんと、この前大手門から入って城の裏から渡った、あの極楽橋の袂に出た。今日はもう桜の通り抜けの期間を終わっているので、ひっそりしている観光バスの駐車場を横切って、「飛騨の森」の石碑のところへ行く。いきなり、權木から飛び出してきたヤツ。桂子が一目で「ヤブサメ」と断定した。なるほど尾が短いし、眉の白さが際立っている。そうこうするうち、カメラを担いだ人がやってきて、見知らぬ我々に言葉を掛けてくる。

「ノゴマを見やはりましたか?梅林の坂の上でみんなレンズを向けてますわ。忠魂碑のとこ、知ってはりますか?」

大阪の人は親切で人なつっこい。分かりかねたが、なんとかなるだろうと、お礼を言って早足で堀に沿って道を戻る。なるほど、梅林のかなたに上り坂があり、登り切ると、忠魂碑らしき石の柱が建っている広場に出た。間違いなくカメラが五六台砲列を敷いていた。そこに 顔見知りのAさんもいた。

「朝から、もうええいうほど出てきてるさかい、ちょっと待ったらまた出てくるわ。」

ものの十分ほどで、

「出てきた、出てきた!」

生け垣の裾に動く鳥影。緊張して双眼鏡を握りしめたが、間もなく、そんな必要さえなく、ほとんど警戒心もなしに、裸の地面にのこのこ現われ、撒かれたミルウォームをつつき出した。目の覚めるような喉元の艶やかな赤!ノゴマのお出ましだった。

「もうええかげんに飛んでいけ!」

とAさん。

「ほんなら追っぱらおか?」

側の誰かが冗談を返して皆で笑っている。

我々はそこの広場を一廻りしてみる。そして、崖の近くの桜の木にアカハラを見つけた。京都御苑を駆けずり回って見つけられなかったアカハラがいとも簡単に、目の前に、それも堪能するほど、姿を晒してくれた。

ヤブサメ、ノゴマ、アカハラと、立て続けに三種の初見を得て、総数は少なかったが、満足して、その場を立ち去る。豊国神社の裏でマミジロに紛らわしいのに出会ったが、結局ただのツグミだと分かった。オオルリはあちこちで見かける。今年はオオルリの当り年かもしれない。西の丸庭園の前でも、見知らぬ人に話し掛けられ、

「中でマミチャジナイらしきのに出会ったけど、今時分でも生息しているものでしょうか。」

と、私をベテランと間違えて尋ねてくる。

「それは充分ありえますよ。」

と、貫祿をつけて答えておく。

京阪電車の中で寝込んでしまった。家に着いたのが昼過ぎ。それでも、二日間で三万歩も歩いたことになる。