探鳥日誌4
バードウォッチング日誌
第4集
61. 巨椋干拓田 1997年5月2日(晴) 曇ってはいたが、雨は降らないそうである。 九時半ごろうちを出て、現地に着いたのは十時、久しぶりの巨椋干拓田だ。アオサギ、ダイサギ、カワラヒワ、それに、目的のひとつだったケリにも逢った。 雨の翌日でもあり、ツルシギやウズラシギがひょっとしたらいるかもしれないと期待した休耕田に行ってみると、そこはもう耕されていて、湿地の影もない。縦横に、車道が整地され、畑と道の境に側溝が造られていた。少し見ぬ間に、かなり変貌している。それでもヒバリは多いし、セッカも鳴いている。 警察署の脇まで行くのはちょっと遠すぎて気が進まなかったので、宇治川の堤防に向かって歩く。小屋の軒先のわずかな日陰で弁当を広げる。 堤防までは遠かった。堤防を登り切ると、だだっ広い河川敷に一面葦が群生していた。片脇に「関西模型飛行機練習場」があって、いましも、模型のヘリコプターが喧しく飛んでいた。その音に負けじと、オオヨシキリの鳴き声が聞こえる。今年初めてのお目見えだが、ずいぶん沢山いるようだ。しばらくしたら、枝先に止って大口を開けるヨシキリを望遠鏡で捉えることができた。 さらに川べりまで行ってみる。その途中雑木に止る見慣れぬモズを見つける。頭が灰色で、腹が黄色っぽいので、もしや「シマアカモズ」、と色めきたったが、そんなはずはなかった。モズは夏羽は、頭が少しグレーに変色するのだ。 帰り道、土手の上から、芦原の中ほどにアオサギの群生地を見つけた。九羽のアオサギと、コサギが三羽ぐらいいた。 長い道のり、家まで一万五千歩も歩いた。 62.甲子園浜 1997年5月7日(晴) 昨日の新聞で朝の八時ごろが干潮だと見ていたので、一刻も早くと、急いで支度をしたが、家を出た八時過ぎになってしまった。浜に着いたのは十時半、潮はどうだろうと思ったら、そこそこまだ干いている。しかも、いきなりキョウジョシギが十羽ほどと、キアシシギ、トウネン、オオソリハシ、チュウシャクと、空に舞うコアジサシを見てしまった。さらに堤防を歩くにつれて、シロチドリ、コチドリ、ハマシギの群にも出会う。海面には、ウミアイサ、カンムリカイツブリも浮いている。先の方へ行くと、ヒドリガモ、キンクロハジロ、それに相変わらずクロガモも泳いでいた。 折り返して戻るにつれて、潮はますます干いていくようだ。京都新聞の満干潮予測は、若狭湾のことで、瀬戸内とは時差があるようだ。つまり、タイミングとしては非常によい時に来てしまったのだ。桂子がメダイチドリを見つける。 屋根のある展望休憩所まで戻って弁当を食べ、そのあと、一度浜に出てみる。ソリハシシギがいた。それに、一羽足の赤いのがいて、長々とスコープを覗き込んで色を見定める。結局キアシシギが日の射し具合で赤くみえるのだと分かる。かたわらの中年の夫婦に、「あれ、オオソリハシシギですか?」と、声を掛けられ、いろいろ知ってるかぎりを教授すると、別れ際二人は、本当にうれしそうに、我々にお礼を述べた。 期待していたイソヒヨドリにはお目にかかれなかったが、全部で、三十種は大漁である。 63.清 滝 1997年5月28日(晴) 久しぶりに、晴れてもきたので、出かけることにする。苔寺か清滝かはバスまかせ。御池烏丸のバス停で待っていると、清滝行きが来たので、それに乗る。乗り込んだとたんに眠くなってきた。半月ほどご無沙汰していると調子が狂う。それでも、バスが嵯峨小学校前から北に曲がるその時、反対側の窓から、かたわらのガソリンスタンドに目が行き、「コシアカ!」と叫んでしまう。ちょうど腰のあたりの赤味を見せて翻りながら、巣に入るツバメを見つけたのだ。まだ感は衰えてないようだ。 清滝橋のほとりでは、まだホトトギスの声は聞かれないし、カワガラスにもお目に掛かれなかった。高雄から降りてくるウオッチャーに尋ねるが、「今日はさっぱり」とのこと。なるほど道中オオルリのさえずりもあまり聞かれない。いつもの寄り州のところでお弁当を広げるるが、カケスの鳴き声だけがやかましい。でも空は晴れていて新緑は目に爽やかだった。 神護寺手前の吊り橋でようやくオオルリの声を聞く。枝先を探すが見つからず、わずかに飛ぶ姿を確認しただけだった。ここでは珍しく川面にカルガモが浮いていた。 センダイムシクイの声を聞く。バス停で桂子がホトトギスの鳴き声をきいたらしい。帰りのバスの窓から桂子もコシアカツバメを確認し、ガソリンスタンドの軒先にその巣を十二三数えることができた。 64.宝ヶ池 1997年6月4日(曇り時々小雨) 昼一時ごろから少し空模様も明るくなってきたので、地下鉄で宝ヶ池に行ってみようと出かける。昨日北山から国際会館が延伸開通したばかりで、駅は真新しく、地上は緑の公園で、こんなに緑の多いところとは知らなかった。道沿いに谷川も流れていて、その流れのかなたに、水の中で餌をとっている鳥を見つける。望遠鏡で確認すると、やはりカワガラスだった。山沿いの道ではコゲラの親子を目撃し、イカルの鳴き声や、オオルリ系のなかなかいいさえずりも聞いた。これは予想以上に鳥環境に恵まれていそうだ。四五百メートル歩くと、野鳥の観測施設もあって、今日は時間も遅く曇り空なので、鳥の姿はなかったが、晴れた早朝にやってくれば、いろいろ見られるに違いない。 宝ヶ池にはコブハクチョウも二三羽飼われているようだ。池を半周したところで小雨が降り出す。今日のところは下見というところで、引き上げることにする。帰り道、雨の中、カワガラスの姿はもうなかった。
65.宇治白川 1997年6月8日(晴れのち曇り) 当初は比良山への探鳥会に出かける予定だったが、体力資力その他の理由から、宇治白川に方向転換する。 九時前に出たが、白川口でバスを降り立った時にはすでに十一時前だった。 白山神社の近くの、去年サンコウチョウの巣作りを見たとこで弁当を広げる。今は声も聞かれず、巣作りの兆候は全くない。正直なもので、カメラマンの姿も一人も見られなかった。進むか、戻って天ヶ瀬ダムから森林公園とも思ったが、それも大変なので、進むことにする。田畑に出たところで、電線に止ってさえずるホオジロを見つけ、やっとスコープを構える。直後、同じ電線にスマートな鳥が止り、見ると、どうやらサンショウクイらしい。家内も見て間違いないと言う。 林道に入って、しばらくして、よく通る声が聞こえる。その繰り返しに聞き覚えが・・・ゴジュウカラではなかろうか?確認はできない。杉林まできて、ひときわ目立った鳴き声と、警戒音。枝先を探すが見つからず、挙句に、もっと下の枝のあちこちに、五六羽のオオルリの群れが口々にさえずり合っている。雌もいる。これは壮観だった。茶畑まで出て、右に廻ったところで二人連れの女性のウオッチャーに出会う。ちょうどその時十メートルほどの高さを飛び去る鳩ほどの大きさの鳥を見かける。「ヤマセミと違いました?」「たしかに!」それは近くのガチョウの飼育場の方向に消えて行った。二人連れはそれを探しに行ったが、我々はさらに右手に歩を進める。ホトトギスがしきりに鳴いているが、姿は見せない。 時間も二時半曇ってきたので、踵を返す。 66.宝ヶ池 1997年6月18日(曇り) 朝五時半に起きて朝食も早く済ましたのだが、出発は結局八時過ぎだった。天気予報は晴れのはずが、今にも降りそうな空模様。宝ヶ池に着いても鳥の声はあまり聞こえない。この前見つけたカワガラスも今日は見当たらない。池に出てもコゲラの群れにも出くわさなかった。鳥がいると知らぬ間に時間が経つのだが、今日は遅く感じる。野鳥の森にたどり着いてもまだ、九時半だった。いくらなんでも昼ご飯にはまだ早く、携帯こんろを背負ってきたのに、このまま帰るのもばからしい。 もう少し進むことにする。 十時十五分。岡の一隅に座を決めて、コンロに火を点け、カレーの具を温める。紙皿でのカレーライスも、野外ではなかなか旨かった。少しは空も白けてきたようだから、そろそろ鳥も出てくるかなと、期待して、そのまま引き返さずに、池の西側を廻って帰ることにする。メジロの群れを見つけた。また枝先でホオジロがさえずっていた。 あやめ園はいまがたけなわ。 帰りもカワガラスは見つからなかった。 67.松尾林道 1997年6月27日(曇り) 昼から暑くなるという予報なので、涼しいところへ行こうと、苔寺行きのバスに乗り込んだ。終点で降り林道に入るとやはり涼しい。もう十一時を過ぎているが、その割りには鳥が鳴いている。ホオジロを道傍に見つけた。側を通っても逃げないので、こちらも知らぬふりをする。ヤマガラの親子がじやれあっている。オオルリの声も聞こえる。やはり来てよかったと思う。 五百メートルほど入ったところで、道を横切るスマートな茶色の野兎に出会ったが、見る見るうちに草原に入って二度と現われなかった。 いつもの開けた野っ原で弁当を広げる。果物を食べ、水筒の茶を呑み、リュックが軽くなるとまた少し元気が出てきて、先に進むことにする。オオルリの声があちこちで聞こえるが、今日はどうしても姿を捉えることができない。大岩を通り越したあたりで廻れ右をして帰路につく。今度はハタネズミが道端をちょろちょろするのを目撃する。 二時四十分の三条京阪行きに乗り込む。御池通は真夏の陽気だった。 68.大阪南港野鳥園 1997年6月30日(晴) 一昨日の台風八号のあとで、梅雨間の快晴である。九時半ごろ家を出て、阪急で大阪へ。ニュートラムに乗り継いで中埠頭に着いたらもう十一時半だった。幸い無料貸自転車が残っていた。十二時前に野鳥園にたどり着くことができた。今日は月曜日で閑散としている。すぐに弁当を広げてまずは腹ごしらえ。 足を怪我してるというオナガガモが一羽残っていた。事務所に聞いても、珍しい鳥は来ていないとのこと。大型スクリーンにはオオバンが卵を抱いているのが写っていた。どのあたりですかと尋ねると、南観測所の近くとのこと。セッカがしきりに鳴いている。 我々は北観測所に行ってみることにする。オナガに続いてホシハジロを見つけた。それから、海側の堤防の足元にササゴイがいた。これは今日の収穫ということにしておこう。先ほど釣人が鉄柵の向こうからひょっこり現われたので、出口があるんだろうかと、行ってみる。鉄柵の一部が切り取られていて、人一人充分に抜けられた。灯台の間近まで行ってみる。セグロカモメが一羽だけ飛んでいた。 再び北観測所に戻ると、そこへ、親子連れのウォッチャーがやってくる。先ほど中央観測所で見かけたのだが、三十そこそこの息子は初心らしく、父親が得意げに、あれがコアジサシ、これがダイサギと教えている。微笑ましい光景だった。やがて、私たちをベテランと思ったのか、父親の方が、シロチドリ、コチドリの区別を聞いてきた。私も気をよくしてていねいに知ってることを話す。別れ際には二人が嬉しそうに頭を下げてくれた。 69.清滝東海自然歩道 1997年7月30日(曇り後晴) 一カ月振りに弁当持ちで出かける。比叡山と思ったが、どっちみち夏枯れだから、安上がりの清滝にしておく。 バスの時刻が夏休み用に変わっていて、三十分も待たされた。それでも待っている御池通りのバス停から、電線にカワラヒワを見つける。 清滝川は増水していて川音も激しい。それでもいつものあたりで、いきなりカワガラスに出会えた。しかしそのあとは、ほとんど鳥の鳴き声も跡絶えて、そのかわり、夏休みということもあって、平日にもかかわらず擦れ違う人はいつもより多い。西洋人の若者が、人の通ろうとする石橋に裸で座りこんで甲羅干しをしている。 河原に座り込んで弁当を広げる。春にはオオルリがさかんに鳴いて、目にも止ったのに、今は水音ばかりが耳につく。それでも家にいるよりはるかに涼しく、天然のそよかぜは気持いい。空も晴れてきて、陽射しに汗で濡れたTシャツやハンカチ、帽子を乾かす。 私は戻りたかったが、桂子が進むというので歩き出す。杉林でホオジロをちらり見かける。この辺りキセキレイがいかにも多い。谷に沿って行ったり来たり、親子か、アベックか、追っかけっこしている。 高尾神護寺の手前の公衆便所で廻れ右して帰路に着く。 収穫は少なかったが、緑のシャワーを浴び、いい空気を吸い、それなりにいいハイキングだった。 70.鞍馬山 1997年8月16日(晴) 八時過ぎに自転車で出町柳まで行き、河原に自転車を置いて鞍馬行きの電車に乗り込む。盆の最中、しかも土曜日ということで、人が出ていた。登り口のところで、必ず目にするキセキレイが今日は一羽も見当たらない。薄曇りで、しかも湿度も低いのでまだしも凌ぎ易かった。それでも本殿まで徒歩で登るともうシャツは汗でぐしょぐしょょょ。イカルの鳴き声を聞く。あとは耳を澄ませても聞こえてくるのはヒヨドリばかり。 義経堂のあたりで、ようやくメジロの群れを見つける。 狭い山道を次から次へ人がやってくる。これではカワガラスを見に貴船まで行き、途中乗車したのではとても電車に座れない、と判断して引き返す。帰り道、大杉の近くでヒガラを見つけたが、その木の下は行楽客で足の踏み場もない。 鞍馬駅に戻って正解だった。まだ三時前というのに、帰りの客が列を作っていて、なんとか座れたが、貴船駅からは大勢の人がなだれ込んできた。 71-1. 宇治川源内 1997年8月9日(曇り) 夕方四時十五分に家を出て、つばめの集団寝ぐらを見に宇治川に出かける。少し早過ぎたかと思ったが、観月橋駅にはすでに三十人ほどが集まっていた。リーダーはSさん。宇治川の向こう岸に渡り川のほとりをぞろぞろと歩く。川と反対側の休耕田にケリが三羽と、コサギやセグロセキレイもいた。三十分ほど歩いて広大な芦原にたどり着く。ここなら以前、巨椋干拓田へ来て土手に出た時に、オオヨシキリをいやというほど見かけたところだ。そこら辺りで待ち伏せることとなる。立ち止まってリーダーの説明が始まった。今日は曇っていてしかも台風の余波か、風もあるので、コンデションはあまり良くないが、その代わり低空飛行が見られるとのこと。京都中のツバメが集まってくるのだそうだ。その数三万羽。規模は全国的にも一二とか。ツバメは年に二度雛をかえすが、最初の雛がすでに巣立ってここへやってきている。やがて親鳥は先に南に帰り、子は後から、誰に教わるわけでもなしに、遠い南国に向かうのだそうだ。我々は三々五々道の傍で待機する。風があって涼しい。土手沿いの道のあちこちに同じように双眼鏡片手の人群れが目立つ。なんでも今夕は三つの団体がツバメを見にやってきて、かち合っているらしい。ちらほらとツバメが目につくようになって、やがて暮れかかる六時ごろ、桃山城のあたりの空に胡麻粒ほどのツバメの群が双眼鏡で確認できた。見る間に芦原の上を音もなくツバメの群れが飛び交い始める。その数のおびただしいこと。顔の間近をかすめる時は恐怖さえ感じる。芦原の上での群れの乱舞の後、やがて次々に薄闇の葦の中に飛び込んでいってしまう。すさまじいような光景だった。 ふいにリーダーのSさんに俳句の「帰燕」を聞かれるが、私はそんな季語があることも初めてだった。 七時過ぎ、一同満足して帰路に着く。 71-2. 宇治川源内 1997年8月18日(晴れ) 先日の宇治川源内で、リーダーの「晴れた日はもっとすごい!」という言葉に釣られて、数日後、よく晴れた日の夕方、もう一度ツバメを見に宇治川へ出かけた。ケリは今日はいなかった。五時半に夕日が西山に沈んだ。ところが肝心のツバメもあまり出てこない。晴れていても来ない日もあるのかな?と心配していたら、六時過ぎ、この前のつもりで桃山城の方角ばかり気を付けていたら、突然降って湧いたように目の前を飛び交うツバメたち。空を見上げると、すごい!空一面ツバメだらけである。これをどうして、三万羽と誰が数えたのだろう。 七時過ぎ、自転車で二人連れがやってきた。よく見ると京都御苑でいつもお目に掛かっている鳥仲間だった。孫を連れてツバメを見にきたらしい。ところが、一瞬違いでツバメは芦の寝床にはいってしまい、嘘のように一羽も見当たらない。東の空に満月が浮かんでいる。月に望遠鏡を当て、せめてもと子供に見せてやった。 72. 巨椋干拓田 1997年8月31日(曇り) 九時ごろ家を出る。曇っているのと湿度が低いので少しは涼しい。地下鉄の中は肌寒いくらいだった。近鉄向島駅に着き、トイレの窓から見下ろすと、近くに休耕田らしい水溜まりがあり、ケリらしいのが舞い下りていた。とりあえずそこへ向かって歩き出す。細いどぶ川に沿って進み、手すりもないコンクリートの小橋を渡ってから少し戻ったところに、休耕田があって、ケリが三羽ばかり餌をあさっていた。セグロセキレイも飛び交っている。泥田の中に、久しぶりの奇麗なイソシギを見つけた。休耕田の回りは稲が五六十センチに成長していたが、その生え際を念のため、スコープで丁寧になぞって見る。中ほど、うごめくタシギより少し大きめのシギらしいのがレンズにはいった。桂子にすぐに覗くように促す。 「タマシギ!」 桂子が叫んだ。私も慌ててもう一度覗く。タマシギは次の瞬間には稲穂の陰に隠れてしまた。二三分間をおいて、もう一度同じ動作で稲のすそをスコープで撫でて行く。先程とは五メートルほど右にもう一羽いた。桂子はそれは小ぶりだから雄だと言い切った。こんなにいきなり、今まで見損なったタマシギに出くわすとは本当に幸運だった。ちょうどその時、畦道をバイクが通り掛かり、「なんかいますか?」 と聞く。見ると野鳥の会のFさんだった。 「今年はタマシギが多いなあ。」 とのこと。 それでも、巨椋を一巡りして帰りがけ再びここを訪れたが、もうタマシギの影も形もなかった。 73. 甲子園浜 1997年9月5日(晴れ) 八時過ぎに家を出たが、甲子園浜にたどりついたりは十一時前だった。天気予報では二十九度ということだったが、とってもそうは思えない。日陰もなくまだまだ暑かった。桂子が予感した通り満潮時で、一目見渡して鳥の陰はなかった。それでも遠くに浮いている水鳥にスコープを当てると、カンムリカイツブリとウミアイサだった。 とにかく突堤の端まで歩く。海面からわずかに出ている岩の上にアオサギやダイサギ、それにカワウがしょざいなげにたたずんでいる。 突堤の端の河口のあたりの鉄の梯子を登ると、そこは別天地のように涼しい風が吹いている。元気に泳いでいる、ここの主、クロガモを見つける。ホシハジロにスズガモも数羽いた。まるで鴨たちの集会場のようである。狭い砂地にシギを見つける。キアシシギだった。それからウミネコ・・・ 今日はそんなところだと、引き返して吾妻屋で弁当を広げ、一時半にいさぎよく引き上げる。 74-1. 柞田干拓田 1997年9月18日(曇り) 観音寺に来て二日目、雑用が一段落したが四時半ごろ、久しぶりの柞田へ自転車を飛ばす。台風20号のあとでもあり期待をふくらませていたが、柞田川の橋から見下ろすとアオサギ、ダイサギばかりが目に付いた。川沿いに廻りこみ、中州に目をこらし、ようやく一羽イカルチドリを見つけた。それでも支流に廻ったところでカイツブリ、カワセミを見つける。それからキョウジョシギ、トウネン、このあたりは柞田では初めてだ。 74-2. 柞田干拓田 1997年9月19日(晴れ) 今日は晴れているので環境はよかろうと、朝七時過ぎに自転車でまた柞田に出かける。状況は昨夕とあまり変わらず。アオサギ、コサギが目立つ。数羽のチドリが飛んだ。恐らくコチドリだろう。支流の橋の向こうにバンを見つける。本流の中州でソリハシシギを見つけた。これは柞田では初めて。帰り道、ホシゴイの群れに出会う。 75. 松尾橋から渡月橋 1997年9月28日(晴れ) 今日は昼までに帰るつもりで、弁当も用意しなかったが、結局ぐずぐずするうち家を出たのが十時四十分。それでも外は秋晴れで爽やかだった。 松尾に着いたら十一時を廻っていた。土曜日というだけなのに、びっくりするほどの人の出である。遠くからは堰のところにカワウが三羽いるのが見えた。水量が多くて、イソシギは寄り付けない。中州に、スズメかと思ったらモズの雌がちょこちょこと歩いていた。カモの姿はほとんどなかった。 渡月橋に到るまでにモズだけは三羽も見つけた。嵐山も水嵩が多 ハイキングには絶好だったが、ホオジロもまだまだ先らしく、やっと カワラヒワを見つけただけで、途中の木陰で一服する。腕時計は 十二時半を差していた。くて、わずかにカルガモが一群れたむろしているばかり。マガモさえたった一羽見かけただけだった。一瞬だがカイツブリを発見して大喜びという次第。渡月橋で引き返して、桂子がホシゴイを見つけ、また向こう岸、堰の近くに避難しているコガモの群れをスコープでとらえることができた。 それでもメモを数えてみると、十七種。今時にしては上出来と思う。 76. 御薗橋から柊野手前まで(探鳥会) 1997年10月12日(晴れ) 娘と孫たちが来ていて、いっしょに行くと言うから、朝六時に起き出し、ばたばたと用意をする。八時過ぎにようやく準備を整えて、地下鉄御池駅に向かったが、折りしも今日から東西線が開通でコンコースの様子ががらりと変わっていた。北大路駅で、乗り換えのバスが八時四十九分しかなく、長々と待たされる。上賀茂神社への到着が予定より五分も遅れてしまった。ところが探鳥会一行は集まりかけたところで、遅刻というわけでもなかった。孫二人は大勢の中で人見知りがちがちだったが、まあまあ元気よく付いてきた。御薗橋から鴨川の土手に下りると、さっそくコサギがいて、望遠鏡を低く立てて二人に見せてやる。ひかりはまだ片目をつぶる仕草が難しそうだ。われ われが一行からつい遅れ遅れとなるのを、親切な二三人がわざわざペースを合わせてくれて、子供たちにいろいろ教えてくれる。 中州の葦の際にバンが泳いでいるのには驚いた。ヒドリガモが数羽と、今年初めてのオナガガモ三羽、コガモが二羽。いずれもまだエクリプスだし、あやかはそんなのより、グリーンの頭のマガモにえらく感動していた。電線に止っているモズを娘に見せてやる。キセキレイはいつ見てもきれいだ。さすが無感動の彼女も声を上げていた。柊野別れを過ぎて次の橋の手前から道路に上ると、畑の中の竹の棒っくい三本の先にそれぞれノビタキが止っている。こんな光景も珍しい。 先頭と、どん尻のわれわれでは、列はもうはるかに伸びきっていた。これ以上迷惑はかけられないし、あやかもひかりも足取りが重くなってきたので、中村さんに断わって引き返すことにする。柊野別れまで戻って、弁当を広げ、シーソーで遊ばしてから、バスに乗って帰る。 77. 西京極から久我井堰 1997年11月12日(晴れ) 十時過ぎに家を出る。快晴で風もない。 しかし阪急西京極に降り立って天神川に歩き出すが、空をカワラヒワが横切ったくらいで、シギチ類はなにも見つからなかったので、幸先の悪い印象だった。 桂川に出ても川面にはあまり鴨は浮いてなくて、ただカイツブリばかりがあちこちで、潜ったり歌を歌ったりしている。オカヨシガモを見つけるのがやっとだった。それよりむしろ、田畑でモズやホオジロが姿を見せてくれる。桂大橋を渡り、いつもの堰の傍で弁当を広げるが、箸休みに石畳にまずイソシギを見つける。そしてコガモの一群れにまじってハマシギが三羽いた。それだけでも嬉しかったがよくよく見るうち、どうもいつものハマシギと一味違う。嘴のしゃくれ具合がはっきりしている。首に薄い褐色味が残っていた。急いで図鑑を繰る。ハマシギとその前後のシギの違いを急いで頭にインプットしながら図鑑と実物の間を往復すること幾度か・・・家内と図鑑の奪い合いとなる。サ、ル、ハ、マ、の名前が喉に支えてすらりと出てこない。小半時ののち、サルハマシギだと確信したが、それでも、家に帰ってからビデオで再確認しようということになる。 次に出くわしたのが、JR鉄橋から二百メートルばかり上流の中州に戯れる二羽のアオアシシギ。これは傍にセグロセキレイが並んでいたので、比較ができた。かなり大型で、足の長さ、色といい、嘴のそり上がりといい、間違えようがなかった。当初の不漁の予想を覆えす出来事がさらに起こった。久世橋近くまで来て、そこの堰にずんぐりたたずむ一羽のカモメ。羽根の色、ピンク色の足、嘴の先の赤い斑点、威風堂々のセグロカモメだった。 三度あることは四度ある。久世橋で帰るつもりをかなたの鴨の群れに引かれて下流に進む。その群れの中に、一羽白く際立つ鴨がいた。望遠鏡をあてがうと、それがカワアイサだった。とうとうその勢いで、疲れていたにもかかわらず、久我井堰まで歩いてしまう。 見た鳥の種類、三十種。万歩計は一万五千歩を超えていた。 78. 草津下物烏丸半島 1997年11月16日(晴れ) 京都駅八時二十分発の野洲行きに飛び乗った。 初めてのこととて、草津に着いてからもバスにもたついた。案内をよく読んでこなかったので、「下物行きのバスはどれですか?」と聞いたが、それなら九時半までない、とのこと。第一「しももの」ではなく「おろしも」だと教えられる。あたふたするうち折紙で知り合ったYさんがたまたまやってきて、彼女は草津在住だから「これでいいんですよ。」と、さっさと「烏丸半島行き」に乗り込む。バス停も「水生博物館前」とかで、彼女がいなかったらそこでもまごついたに違いない。 二十人ばかりの参加者が売店の前で待っていた。出発してすぐに土手をよじ登る。見晴らしのいいところへ出たとたん、カッカッカ、バタバタッと大きな鳥が飛び出す。「キジだ!」とリーダーが叫ぶ。数分後またもう一羽。すごいところだ、と思うが、実はリーダー自身驚いていて、ここでは初見らしい。ジョウビタキが枯れ枝の先に止っていた。ツグミの姿も今秋初めて見る。 琵琶湖畔に出ると、あたり一面の鴨の群れ。多すぎて困るほどだった。オカヨシ、ホシハジロ、ヒドリ、オオバン、キンクロ、ハシビロ、カンムリ、オナガ、コガモ・・・枚挙にいとまがない。このあたりを赤野井湾といい、そこに突き出す土地を烏丸(からすま)半島と呼ぶらしい。 やがてぐるっと巡るうち枯れ蓮の茂みに出る。突然Aさんが緊張して、「チュウヒです。」と、前方に低空飛行する二羽の鳥を指差す。そういえばV字型に翼を広げて滑空している。色は茶っぽい。 今度は道を隔てて田畑に入る。またまた空を見上げてAさんが、「チョウゲンボウです!」。ケリもあちこちに群れで飛んでいる。しばらく進み三たびAキャップの声。「ほれ、遠くの並木の五本目の枯れ枝にチョウゲンボウが止りました。」その時我々の列はかなり長く伸びていた。並木に近い最後列の方から呼び声が、「コチョウゲンですよ!」と聞こえてきた。 元の博物館の近く、湖畔公園に戻ってきて、鳥合わせ直前にMさんがホホジロガモを見つけたが、私たちにはいくら目をこらしても確認できなかった。今日の現認鳥はスズメなんかも入れて四十八種だった。私たちの個人的に確認したものでも三十七種もの大収穫だった。 79. 西京極から久我井堰まで 1997年12月4日(晴れたり曇ったり) 朝から冷え込んでいる。Aさんを電話で誘うが寒いし用事もあるからと断わられた。それでも我々は物好きにも出かけた。 いきなり天神川でジョウビタキを見つける。桂川にたどり着くと、ハシビロガモが数羽泳いでいた。桂大橋を渡る時北の空が時雨れているように見えた。橋を下りたところで細かいものが顔に当たった。いつもの堰のところで弁当を広げるが、どんよりと寒かった。家内が赤い手袋がない、トイレに置き忘れてきたと言い出し探しに行っている間、私は足踏みして待っていた。歩き出す頃には再び日が射してきて、そうなると暖かかった。バンがいた。新幹線鉄橋を越えたあたりでオオバンも見つける。 この前は異常にカイツブリがいたが、今日はモズによく出くわす。しかしお目当てのミコアイサは見つからない。久世橋を越えたところで、土手からふいにキジの雌らしきのが四羽も飛び立ち、向こう岸に渡って茂みに飛び込んだ。 久我井堰まで足を伸ばしたがとうとうミコアイサには逢えなかった。それでも数えてみれば二十八種とかなりの収穫だった。 80. 巨椋干拓田(探鳥会) 1998年1月2日(曇り) 朝のお雑煮を急いで食べ、地下鉄御池駅まで急ぐ。竹田で十分前だったが、待合室にWさんを見つけたので一安心する。九時五分ごろ近鉄向島に到着した。幸いまだ集合中だった。今日はいつもより大分参加者が多い。Sさん夫婦が見当たらなかったが、半時ほどあとに畦を歩いていると、ふいに現れた。やはり遅刻らしい。今日はミヤマカラスも、従ってコクマルガラスも期待できないとのと。コミミズクも二羽が確認されているだけとのこと。やはり今年は渡来する鳥の数が少ないのだろう。 苅田の向こうにタゲリの群れを見た。これは圧巻だった。当たり前だが全部冠を戴いている。三十羽はいるだろう。やがて一羽が飛ぶと全部が一斉に飛びたった。大きな輪を描いてから遠方へ移動してしまった。 近くに府警のヘリポートでいつも通りにトイレを借りたが、その正門に近い電柱の天辺にノスリが羽根を休めていた。望遠鏡を立てて皆にも見てもらっていたが、そこへパトカーが巡邏から戻ってきたので、スコープを避けようとして深さ五十センチほどの溝に片足を突っ込んてしまった。幸い怪我はなかった。さて、いつもの土手で弁当を広げるが、Mさんが側に座って「正月だから許して貰えるでしょう」と缶ビールを一本奢ってくれた。 食後さらに南下する。チョウゲンボウとコチョウゲンの飛ぶのが見られた。 四時前に解散して家に着いたら五時を過ぎていた。万歩計も一万八千歩をさしている。 |