探鳥日誌5

 

 

 

 

 

 

バードウォッチング日誌

5集

 81.千代川から池尻  1998年1月13日(晴れ)

 

早朝少し時雨れるが、やがて晴れ間が出てきたので、出かけることにする。JR千代川の駅に下り立って初めて鳥図鑑を家に忘れて来たのを思い出したが近くに本屋もないので諦めた。

月読橋から見下ろしても鴨の一羽も泳いでいないところだ。三十分ばかり歩いて南丹高校の裏に回るが、期待に反してニュウナイスズメの影もない。あとは池尻に賭けるしかない。長い道のりだった。途中、街道筋の小さな公民館の粗末な公衆便所を借りる。それでもこれからの道のりを考えれば我々には有難かった。

下池の土手に上ると鴨が五十羽ほど見渡せた。マガモの群れに混じってオカヨシガモ、ホシハジロもいた。芝生にビニールを敷いて弁当を広げる。かたわらの桜にシジュウカラが数羽飛び交っていた。

休息後西岸を歩いて中池に向かう。そこにはさらに多くの鴨が浮いていた。百から百五十羽もいるだろうか。ヒドリガモ、オナガガモにコガモの群れもいた。さらに北へ歩いて上池に出たが、そこは鏡のようで生き物は見当たらない。いい加減で引き返して中池の北岸の小道に分け入る。カシラダカを見つける。目の覚めるようなアオジを私だけが見た。見損なった妻は、いつまでも残念がって薮をのぞき込む。その時、私の近くの潅木から「カッカッ・・・」と鳴きながら、鳩くらいの鳥が飛び上がって枯れ枝に止まった。震えながら家内を返り見る。姿がない。息を詰めて駈け、薮の中の彼女に、密やかに、でも結果的には大声で呼びかける。着膨れの体をゆすりながら走り出してきた彼女が、セットしたスコープを覗いた瞬間、叫んだ。「コジュケイ!」

本日最大の収穫だった。        

 

82.西京極から久世橋  1998年1月17日(晴れ)

 

ちょっとゆっくり準備していたら結局阪急烏丸駅に着いたのが十時だった。天神川でいきなりカワセミを見る。

桂川はえらく増水していた。それに広範囲に浸かったようで、あちこちに水溜まりができていた。それでもハシビロ、オカヨシがいたりバンがいたりと、なかなか手ごたえがある。モズがやたらと出現する。桂大橋を渡るまでに十三種を見てしまう。

いつもの堰のあたりで弁当にしようと座りかけた時、家内が「ちょっと、ちょっと!」とこまねきする。指差す方に風変わりな鴨が・・・ほっぺたの白いふくらみ・・・間違いなくミコアイサの雌だ。この冬ようやくのお目もじだった。

遅い昼食にありつく。堰は轟々と水が溢れ、いつもの形をなしていない。それでも岸辺に避難したイソシギを見つける。

ハシビロは、いるとなるとあちこちにいる。新幹線鉄橋を渡ったところで、この前も見たオオバン一羽にまた出会った。大編隊が行く。先頭に十羽はかりのキンクロハジロ。続いて、二羽のホシハジロ。しんがりはオナガの群れだった。

どうしてか今日はヒバリのさえずりは聞かれない。そのかわり、遠くの枝先にイカルが二羽止まっていた。

コジュリンらしいのもいたが確認てきなかった。

 

83.天理柳本崇神天皇陵  1998年2月7日(晴れ)

 

六時前に起きて、一時間後には家を出なければならなかったので、ずいぶん慌ただしかったが、お陰で電車の乗り継ぎもまずまずスムースに行き、近鉄天理駅八時三十三分発の桜井行きのバスに間に合った。座席はがらがらで、家内と一人ずつ席を占め、Nさんに教えてもらった柳本でバスを降りる。地の人に聞いてみると目の前がめざす崇神天皇陵だったが、

「今話題の黒塚古墳もつい近くですよ。」

と別の方角を指差して教えてくれた。えっ!とびっくりしたが、とりあえずは崇神天皇陵に足を向ける。さてとリュックを下ろして思い出した。バスの中で双眼鏡を取り出し、降りしな座席に置き忘れてきたのだ。ふがいない自分に腹を立てても、今さらしょうがないので望遠鏡を組み立て、御陵の正面右の細い道に沿って歩き出す。やがて濠が見渡せる位置に出たが、浮かんでいるのはみんなマガモとカルガモばかり。たよりの望遠鏡でマガモの群れを撫でていくうち、目が釘付けになる。かなり遠方だったが、まがうことなきトモエガモ!

「いたぞ」の声に妻も小走りで来て、レンズを覗き込む。「やったね!」と彼女。「ちょっと代わってくれ。」と私。その最中に五羽の一団が飛び立って陵の端に隠れてしまった。やれやれ・・・濠を一回りするしかない。相当大きな前方後円墳だから、もう一度トモエに出会うのに十五分ばり周囲を巡り歩いた。五羽に七羽に・・・。ずっと間近で見るトモエガモは何倍も美しい。陵から濠に迫り出す枝の影になにやら鳥が止まっている。焦点を合すと、それがなんとオシドリの夫婦だった。その下の木陰にいるわいるわ、十羽ばかりのオシドリたち。

堪能して戻り道、カワセミも見かけた。景行天皇陵に回ろうと田畑に出る。ばたばたと飛び交うのはホウジロ、カシラダカ、それにツグミがあちこちの枝に止まっている。いかにも鳥の多いところだ。ホオアカが混じってないかと期待して探すうち、なにか頭の赤いやつをレンズが捕らえた。家内が覗いて、

「ニュウナイや。」

急いで周囲を見回したがその一羽だけだった。

景行陵を目の前にしたところで小山の枯木に止まる大形の鳥を発見。遠くて確認が出来ない。畔を横断して、できる限り個体に近付き、望遠鏡しっかりと立て、図鑑を比べ比べ、顔形を綿密に点検する。胸の褐色模様からノスリと断定する。勉強になりました。

帰り道、もう一度崇神天皇陵に立ち寄り、同じ場所でカワセミとトモエガモとオシドリに再会してから、御陵の横のベンチで弁当をいただき、黒塚古墳は見ずに引き上げる。

天理駅の奈良交通バスの詰所に立ち寄って、双眼鏡の忘れ物を聞いてみたら、あると言う。助かった。営業所まで二百メートルを歩いて、受け取ることができた。

 

84.片野鴨池  1998年2月18(晴れ)

    

空は晴れ渡っていた。京都駅に着いたら、八時九分発の雷鳥三号までまだ充分に時間があった。

十時一分加賀温泉に到着。少し待って、逆方向の普通に乗り換え、五分ほどで大聖寺駅に到着した。駅の案内で鴨池を聞くが、歩いてはとても無理との話で、タクシーならおよそ三千円、迷っていたら、無料の貸し自転車があるからどうぞ、と言われた。これは有難かった。南港野鳥園のと比べてもよっぽど立派だ。ただ、正面の篭に「ようこそ大聖寺へ」のゼッケンが付いていた。道順を聞いても、要領を得ないので、簡単な観光地図を頼りに桜の土手に沿ってどんどん行く。やがて地図通りの大聖寺川に架かる橋を渡った。川面を見下ろすとオカヨシが数羽浮いていた。ユリカモメかと思ったら嘴の黄色いカモメだった。畑にはケリ、シロハラ、ツグミと豊富だ。やがて、教えられた通りの高速道路下のトンネルが見えて来た。トンネルを抜けて三四百メートルでようやく目的の鴨池観察所の前に辿り着く。空を徘徊する鳥を、よくよく見るとそれがミサゴだ。観察所は田舎にしては立派な建物だったが、入園料も三百十円と小高い感じ。自転車で三キロは走ったろう。ここでやっと昼食のサンドイッチにありついた。目の前にヒシクイが十羽ばかりと、マガンも一羽いた。いつもの年ならマガンの百羽も見られるんですが、と管理人は気の毒がるが、私たちには一羽でも初見には変わりない。管理人はさらに事もなげにオジロワシの番いもいますよとスコープを合わせてくれた。遠方にはハシビロ、ミコアイサ、ホシハジロがマガモの群れに混じっている。オジロワシが急に飛んだ、ちょうどその時、二十羽ばかりのマガン群れが飛来する。「みなさん、ハクガンですよ!」と管理人のがなり声。幸運にもその中に白く輝くのが一羽混じっていた。群れは池に下りずに頭上を旋回すると、来た方向に飛び去ってしまう。

二時過ぎまでねばって、また自転車で来た道を戻る。鴨池の上空に飛んできたガンの群れが、ひょっとして近くの畑か川に降りてないかと、少し遠回りをしてみたが見つからなかった。そのかわりカワセミを橋の袂で見つけた。

 

85.片山津柴山潟  1998年2月18、19日(晴れ)

四時に加賀温泉駅に戻って、そこから迎えのバスに旅館まで乗る。片山津までは思ったより遠く、タクシーならかなり取られる距離だった。電話で予約しておいた古賀乃井旅館の、通された部屋の窓から柴山潟も見える。着替える前に双眼鏡を忍ばせて外出し、近くの浮御堂まで出掛けた。遠くに十羽ばかりの鴨を見つけると、また引き返して、古賀乃井旅館の横から湖岸へ出てみる。ふと双眼鏡が見なれぬ鴨を捕らえたので、急いで部屋に取って返してスコープを抱えてくる。胸をはずませて覗いて驚いた。ツクシガモが二羽浮いている!双眼鏡では白っぽく見える嘴が薄ピンク色に確認できた。側にはヨシガモも二三番いいて、興奮してしまった。 

仲居さんがまたバードウォッチングに興味があるらしく、話が合うので桂子は気をよくしてチップを千円包んで渡していた。

翌日は六時半ごろ起きて、夢よもう一度と望遠鏡を担いで早朝の湖畔公園へ行ってみる。しかしツクシガモはもういないようで、浮いているのはカンムリカイツブリばかりだった。それでも対岸の杭に止まって魚を窺うミサゴをスコープで捕らえることが出来た。今日もまた快晴だ。

十時のバスで駅まで送って貰う。バスの窓から私は偶然畔に立つタゲリを見てしまった。

ここまで来たので思い切って金沢に回ることにし、特急雷鳥の切符を買って飛び乗る。十一時過ぎに金沢着、リュックやなんかを駅のロッカーに預けて、バスに乗って兼六園へと出かける。日和がいいので、平日にもかかわらず観光客がぞろぞろしていた。絵はがきで見たことのある景色が随所にある。ここでもツグミ、シロハラ、シメの類に出くわした。堪能して疲れていたが、家内が武家屋敷が見たいというので兼六園から三十分以上歩いて、一時過ぎようやく目的地に達する。なるほどどの屋敷も土塀に藁で編んだ覆いが掛けてある。雪掻きで溜った雪で塀が傷まないように保護しているのだそうだ。どこか一軒に見物にはいろうと桂子が言うのを私か急き立てて、バスで金沢駅に戻り、駅構内でようやく昼食にありつく。

 

86.亀山公園、嵐山  1998年2月27日(晴)

 

渡月橋下流の堰は増水していて、シギはいない。橋下の中州も冠水しているのか、土を取り除いたのか、すっかり様子が変わっていて、鴨の数もぐっと少ない。セグロセキレイでさえ見つけるのが難しかった。

亀山公園に来ても鳥の鳴き声もまばらで、ツグミが一羽目に止まっただけだ。そんな最中大きなドラミングに緊張する。音の方向に探し回るが結局見つからない。あずまやまで登ってみたがウソの影もない。公園のベンチでサンドイッチを広げ、トロッコ駅の近くの池に降りてみる。カワセミがいた。カメラを持ったHさんという人がウソの止まる桜の樹を教えてくれて、3月中旬に来るからその時には電話してあげると言ってくれた。

公園に戻ってもう一人、七十才になるカメラマンから北海道行きを誘われた。鳥の代わりにいろんな人に出会う。

帰りの渡月橋でミコアイサの雌を二羽見つける。ただ一羽は頭の天辺と首が白くエクリプスの雄のようだ。これが今日唯一の収穫だった。

 

87.西京極から久世橋  1998年3月22日(晴れたり曇ったり)

 

風邪もすっきりせぬままに久しぶりなので出かけることにする。阪急西京極で降り、歩き出したところから風もあり少し寒かった。日曜で釣り客が多い。カイツブリの声につられて川辺に寄ると、川柳に小鳥が四五羽飛び交っている。よくよく見ると、私にはそれが去年やはりこの辺りで見かけたノジコだと思えた。腹は黄みどりで、妻はアオジだというが、縦縞かないのや小振りなところ、群れで動きがせわしないところはやはりノジコではなかろうか。ただ、目の廻りの白を確認し損ない、その直後に対岸に飛んで行ってしまった。

桂大橋の上は風がますます冷たく、渡り切ってほっとした。いつもの堰で弁当を広げるが、ここも寒くてしようがない。済んだとたんに歩き出したくなる。ミコアイサもオナガガモももう見当たらない。ホオジロも少なくなっている。新幹線鉄橋を越えてしばらく芦原を歩く。

畑に出ようとしたら、だれかが写真撮ってるらしいのが樹の枝越しに見えた。もう一度芦原の道を進む。カメラを構えているのは、なんと御所でいつも会うNさんだった。

「しっ!ベニマシコ・・・」

と小声で教えてくれる。去年も今時分ここら辺りで見た、そのベニマシコが五六羽目の前で枝渡りをしていた。

「オオバンもそこにいますよ。」

Nさんはこともなげに言った。

 

88.甲子園浜  1998年5月10日(曇り)

 

朝から曇っていたが、出かけることにする。急いで弁当とお茶を作ってリックに詰め、自転車で四条まで出かけ、烏丸側の歩道に自転車を不法駐輪しておいて阪急に乗る。阪神に乗り換えたところでもう眠たくなってきた。今日はヤクルト戦があるらしく、甲子園行きの臨時特急が出ていた。

甲浜団地行きのバスには数人バードウォッチャーが乗り込んでいて、がやがや鳥の話をしている。厚生年金スポーツセンターで下りたら、やはり連中もぞろぞろ下りてきた。聞いてみると兵庫支部の人達らしく、固まって点呼をし出す。私達は先に行って浜に出るとこれからだんだん引き潮になっていく気配だった。右手のあずま屋に陣取って、岩の連なりに双眼鏡を当てると、いろいろいる。カンムリカイツブリ、ハマシギ、チュウシャクシギ、キョウジョシギもいる。いきなりの大漁である。

「ご一緒させてもろていい?」

荷物をいっぱい抱えた中年女性の鳥の人らしい。なんでも今日はバードソン(バードウィークに催される鳥の数を競うゲーム)で、あちこちで探鳥会が催され十一時にここへ集結してくるらしい。こちらも今日の干潮を聞いてみると、さすが地元、正午過ぎだと教えてくれた。やがてテーブルの上でバウンドケーキを切りだしたので、我々は退散することにする。堤防は三々五々の探鳥会の人で賑わっていた。日曜で人が出ていて、いつもならいるはずのない岩の上にも釣り客が陣取っていた。それでも、潮が引くにつれ現れてきた陸地にシロチドリ、腹の黒くなったダイゼン、キアシシギらがいた。オオソリハシも身体中真っ赤に変身している。

ウミアイサがいた。相変わらずのクロガモがいつも通りに岩場で身体を休めている。

おや?オオソリハシの嘴が反ってない!二人でどきどきしながら図鑑と見比べる。家内がたまらず、鳥の会のリーダーらしい人の袖を引っ張ってきて無理矢理スコープを覗いてもらう。

「オグロシギでないことだけは保証します。めったにいませんよ。嘴だけでは判別できません。オオソリハシにも個体差があるから。背中の文様で区別できます。間違うことはありません。」

コシアカツバメは今年は来てないみたいだ。

帰り道、バス停の近くで、サンショウクイが電線に止まっているのに出くわした。

 

89.比叡山  1998年5月17日(曇り後晴れ)

 

昨夜遅くまで降り続いた雨がとにかく止んでいる。五時半に起き出し、急いで朝食をとり、妻がにぎりめしを、私がお茶を詰める。余裕のあったつもりが、たちまち出発予定時間となり、慌てて自転車で駆け出す。高島屋の東側の待ち合わせ場所にはもう車が二台止まっていた。この前の編集部の集まりで紹介してもらったので、だいたい名前は覚えている。我々二人を乗せてくれたのはIJさん。同乗がAさん、HMさん、Oさんの六人。もう一台の運転はSさん。それにKさん、Hさん、ともう一人が乗っていた。比叡山の中腹あたりはガスの中である。とても鳥は期待出来そうもない。バスの「延暦寺前」駐車場で車は止まり、どやどやとみんな下りてきた。一人だけ名前の解らぬ人がいた。みんな「Tさん」と呼んでいて、聞くと前の前の支部長ということだった。見識もあり、よくしゃべる人だ。ガスっていて皆がスコープは不要でしょうというので、車に置いて行く。

今日のリーダーIJさんの案内でまず山頂三角点に立った。何度も比叡山に来ていながら、私には初めての山頂征服である。ここでやっと「Tさん」に挨拶する機会を得た。そこから一度道を引き返して、人工スキー場辺りまで下りてきて、また登り道。これからが見所ですよとリーダーが言ったとたん、嘘のように空が晴れてきた。しかし、鳥はやっぱり姿をみせない。山道を行くほどに、ツツドリの声を聞く。私には初めての体験だった。家内はIJさんと肩を並べて歩き、やれホオジロだ、オオルリ、ヤブサメと、やはり私よりは耳はいいようだ。

「鳥の声はメロディーで聞き分けてもだめです。」Tさんが言う。「オオルリと他の鳥では音色が違うから。オオルリはパピプペポ、なんとかはバビブベボ・・・」と、いかにももっともらしく、素人の私は感心するしかない。

調査区間は二キロで、京都滋賀の境目、「鎮護国家」の石碑までで終わったが、そのあとは自由散策となり、さらに歩いた。鳥は声ばかりで姿はあまり見せないので、みんなは空より地面を見て歩いた。だれともなく何かを見つけて感動しあっている。どうやら「エイザンスミレ」の、先の尖った葉っぱを発見したらしい。釈迦堂への道すがら、日本野鳥の会の創始者中西悟堂の歌碑の前に立つ。この前来た時にも見つけてはいたが、その人が野鳥の会の創始者とは知らなかった。そこの石段を下りたところが釈迦堂で、折しもけたたましいドラミングを聞きつけ、みんなで杉の高い梢を見上げるうち、HMさんがアカゲラを見つけた。てっぺん辺りを行き来するのを私もしっかり見た。目の方はもう一つの家内もようやく双眼鏡で捉える。背中の縞も見えた。感激だ。私たちだけが「初めて」と告白したが、後で聞くとOさんも初見だったらしい。今日はこれだけで来た甲斐があった。

上の広場で昼食をいただく。傍らの街灯にかけてあった巣にシジュウカラが入ったり出たりしていた。

 

90.八瀬・比叡山  1998年5月27日(晴れ)

 

六時半に起き出したがなかなか行き先が決まらず、またまた比叡山と決まってからもぐずぐずしていて、ようやく自転車で家を出たのが十時過ぎ。鴨川の土手を御池橋から加茂大橋まで鳥を見ながら行く。丸太町橋の上下でコシアカツバメを一羽ずつ見た。

十一時半発のケーブルに乗ることができた。山頂は雲一つない快晴。それでも鳥の姿は少なく、やはり遅すぎた出発が悔やまれる。人工スキー場を越えて、やがて山道にはいった。もう昼時を越えている。人気のないのを幸いと山道の端で前方の開けた木陰にシートを敷いて弁当を広げる。背中の林ではツツドリが鳴いていた。かなり近くらしいが、どこにいるのか緑がこんもりしてさっぱり見えない。そのうちそれも聞こえなくなってしまった。一度だけリュックの四人組が「こんにちわ」と通りかかる。食事が終わりかかった時、ふいに背後の森から一羽の鳥がすうっと谷を越えて飛びだして行った。ハトぐらいだが肩をいからせ、尾が長い。止まってくれと祈る。するとその願いに答えるように、向かいの杉の木立の天辺にひらりと止まって、やがて鳴きだした。「ぽぽっ、ぽぽっ、……」運よく傍らにスコープが立ててあった。焦点よ、合ってくれ。腹の縞が確認できる。鳴き声に合わせて首を上下させるツツドリ!すぐに家内に回し、また私が奪い返す。三分か五分か。かなり長い間止まっていてくれた。年甲斐もなく二人で歓声を上げた。「やったー」

もう帰ってもよかったが、当初の目的の、この前見た釈迦堂のアカゲラを見に、徘徊を続ける。道すがら今日はいやにツツドリの声が耳につき、旧ケーブル跡の近くで再びツツドリの姿を見ることができた。中西悟堂の歌碑「木の雫しきりに落つる暁闇の比叡をこめて啼くほととぎす」…の前に立つ。釈迦堂にアカゲラはもういなかったが、私がコサメビタキを見つけ、桂子がミソサザイの声を聞く。

帰りの八瀬遊園駅手前の橋の上からカワガラスを目撃することができた。

 

 91.北海道天売島  1998年6月8日(晴れ)

 

昨日十七時半ごろサッポログリーンホテルにチェックインする。

北海道の日の出は早い。四時くらいには外はもう京都あたりの六時の明るさだ。六時に起き出したが朝日がまぶしい。快晴だ。中華風パフェの朝食をとり、七時半バス出発。さすが北海道、アカシヤの並木、ポプラの並木が連なり、また道路脇にはハマナスが咲いていた。

厚田村からは日本海オロロンラインを通り、雄冬岬では白銀の滝を見ながらトイレ休憩。滝の上の方にイワツバメが舞っているようだ。予定では旧花田鰊番屋を見物するはずだったが、あいにく月曜日は休館日で館内は見られなかった。ニュウナイスズメが電線に止まっている。

バスの窓から、天気のいい日でなければ見られない利尻富士が霞んで見えた。羽幌には十二時ごろ着き、サンセットホテルで海鮮丼の昼食をとる。埠頭には大きなオロロン鳥の歓迎塔がそびえ、その頭にオオセグロカモメが止まっていた。

羽幌港を十三時半出航、海上にはウミネコが船の間近を併走して歓迎してくれ、ウミウ、ヒメウ、ひょっとしたらウトウかな、ウミスズメかなという小柄の鳥も飛んでいた。島を経て十五時ごろ島に着く。

港近くの大一ホテルにチェックインした。と言っても風呂場も便所も共用の民宿である。すぐにマイクロバスでたった周囲十二キロの小島を一巡り観光に出かけた。四十八bの垂直岩の「赤岩展望台」に登り、一望する。空は雲一つない。ここには今夜ウトウの帰巣を見にもう一度来るということだ。次に訪れたのが「海鳥観察舎」。枝先に止まって囀るのはノゴマだった。上空をすごいスピードでアマツバメが通過する。それから「観音崎展望台」と、麓近くの「愛鳥展望台」を回って帰ってくる。

夕食は生ウニが三切れも付き民宿にしては豪勢なお膳だった。十九時からいよいよ、リュックをひっくり返し、ある限りの重ね着をしてウトウの帰巣見物に出かける。赤岩展望台に到着したときはまだ明るくウトウらしき姿はなかったが、あたり一面のウトウの巣のまわりには無数のウミネコが鳴き声を上げ、ものものしい。それが二十分経ち、夕日がきれいに雲間に隠れるにつれ、どこからかおびただしい数の黒い羽ばたきが一斉に巣穴に向かって突進してくる。それがウトウだった。この辺りに生息するウトウの数は六十万羽といわれ、そのうちの半分の雌は子育てに巣にこもり、残りの三十万羽の雄が小魚をくわえて戻ってくる。それを当てにしているのは巣穴の家族だけではない。ウミネコが横取りをねらって待ちかまえている。

一羽に数羽が襲いかかることもある。その間隙をすり抜けて巣の中に餌を運び込むのも神業だが、それでももちろん取られるやつもいる。なかにははじめから魚を捕れずに戻ってくるウトイ旦那に、雌の仕打ちは冷たい。ふがいない夫を嘴でつついて巣から追い出してしまう。オーストラリアのペンギンや、宇治川のツバメの帰巣を思い出したが、数では圧倒的にこちらが多い。

ウトウに大型の懐中電灯を照らしてみせるガイドのサービス過剰は困ったものだ、先が思いやられる。

二十二時半ごろ床に入る。

  

92.天売島から焼尻島  1998年6月9日(晴れ)

 

翌朝、五時半起床。六時過ぎから「愛鳥展望台」の向こうまで散歩に出る。ツツドリの声が聞こえた。ウグイスやアオジにも出会った。キビタキの声とそれらしい姿を見る。メボソも鳴いていた。しかし、なさけないことに聞き分けられない声もいろいろ聞こえた。帰り道、関空で黄色いリュックをかついだ、たった一人鳥見かなと思わせた若者が後ろから来た。聞くと、「観音崎展望台まで行ってきました。」という。山好きなのだ。鳥好きではない。

八時の朝食のあと、二十人ほどで「海底探勝船」に乗り込んだ。船の真ん中がガラス張りになっていて、海の底が見物出来るようになっている。魚なんかは見えない。船が止まると海底の岩にウニがいっぱいくっついているのが見えた。「あれがケイマフリです」のガイドさんの声に私は興奮状態でビデオカメラを振り回した。「撮れた?」と家内が心配そうに聞くが、「ちょっとわからんなあ…」と自信がない。しかし慌てることはなかった。ケイマフリはその後次から次へ現れた。低い姿勢で飛び上がる時、戻ってきて着水する時、赤い足が美しい。やがて赤岩にさしかかる。ガイドさんがオロロン鳥の話を始め、昔はこの岩にオロロン鳥が群がっていたのだという。昨年の調査では二十四羽しかいなくて、岩の割れ目にレプリカを置いて本物が住み着くのを促しているのだ。今見えるのはその模型のオロロン鳥だが、それでも、その奥で巣作りが行われているらしい。その話が済むか済まぬ時、右端の鳥が羽ばたいた。生きている。ガイドさんもすかさず、「いました、いました、戸口に出てますね。動いているでしょう。オロロン鳥を見られるお客さんの方が少ないんですよ。みなさんは幸運です!」私は落ち着いて一部始終をビデオカメラに収めた。

十時半、天売島を後にして船で焼尻島に向かう。十一時半、焼尻港の近くの「みさき」という旅館で昼食をとった。そのあと皆はマイクロバスで島内観光に出かけるのだが、我々はここの旅館で自転車を借り、自力でバードウォッチングに出かけることにした。峠でまずイソヒヨドリのつがいを梢に見つける。それから道路上にベニマシコも!

厳島神社の裏の森ではオオルリやホトトギスが鳴いていた。どこらあたりか、キビタキと、コムクドリの群を発見。天然記念物オンコ(イチイの樹)原生林の入り口に自転車を置いて二百bほど入ってみる。カケスが鳴いていた。うっそうたる森だった。ホトトギスの声もほんの間近で聞こえている。ここでも変わった鳥の声を聞くがやはり聞き分けられない。

今夜は白金温泉に着くのが遅くなると聞き、港の売店でうどんを食べて腹ごしらえをした。

十五時四十分焼尻島を出航、十六時四十五分羽幌港に戻ってきた。待ちかまえていた「沿岸バス」に乗り込み、南下する。街道沿いの田圃にアオサギを見つけてなぜかほっとした。

 

93.十勝、上富良野  1998年6月10日(晴れ)

  

大雪山白金温泉ホテルに着いたのは、前日二十時過ぎ、もう陽も落ちていた。三泊で初めてのゆったりした温泉風呂だった。夕食後、添乗員さんが部屋にやってきて、早朝野天風呂からバードウォッチングが出来るからとわざわざ教えにきてくれた。どうやら我々の気ままな行動が理解されてきたらしい。その日は二十三時就寝。

 

四時半に目が覚めてしまう。五時ごろ野天風呂に入りにいくと、以外と二三人の先客があった。鳥はいなかったが、庭の眺めは素晴らしい。交代で出かけた桂子はメボソムシクイがやってきて目の前で鳴いたと報告した。七時朝食。そのあと外に出てみる。天気も上々、谷川を眼下に見下ろす吊り橋から辺りを見渡すと、イワツバメが飛び交い、オオルリが梢で鳴いている。遠くでドラミングも聞かれた。橋のたもとの茂みに、はたと止まった腹の白いきれいな鳥。眺めれば眺めるほど、初めて見るオオモズと思える。ながながと私はビデオを回し続けた。そばを飛び回るニュウナイスズメより二廻りほど大きく、普通のモズに較べせかせかせず落ち着いている。ただ腹ばかり見せて横を向かない。そのうち日陰に入ってビデオのファインダーから消えた。私は少し慌てて操作も分からぬまま逆光補正を掛けた。失敗だった。色が散ってますます分からなくなった。そうこうするうち姿を見失った。谷底ではニュウナイスズメが二羽水浴びしていた。 

九時、ホテル出発。すぐに十勝岳展望台レストハウスに着く。少し火山岩の山肌を歩く。噴煙を上げる十勝岳を真ん中に大雪山脈が連なる。

次は上富良野フラワーランドでバスを降りるが、さんさんと降り注ぐ夏日が暑い。売店でラベンダーソフトクリームを食べる。ヒバリが鳴いていた。

近くの食堂で昼食をとる。そのあと深山峠展望台に立ち寄り、美瑛の田園風景の中を走る。三角帽子の時計台がある美瑛小学校の前を通る。

新栄の丘から天人峡にたどり着いたのは十四時だった。谷川沿いに山道を歩いて、最後の観光ポイント羽衣の滝を見て戻ってくる。道すがらガイドさんにトドマツとエゾマツの見分け方を教わった。トドマツは「天までとどけ」と枝が上に向いており、その穂先が二つに分かれている。エゾマツの方は「もうええぞ」と枝が下向き、その穂先は一つ。また、トドマツの肌はつるつる、エゾマツはざらざらだそうだ。

旭川空港に着いたのは四時過ぎだった。空港内のレストランでなめこおろしそばを食べ、十七時五分発の二本エアシステム百人乗りで帰路に就く。関空には十九時十六分着。はるかの中で二三人の人にビデオのオロロン鳥を見せてあげる。

家に着いたのは午後の十時前になった。それからすぐ缶ビールを飲みながらテレビ画像でオロロン鳥とオオモズを確認して悦に入った。

 

94.比叡山(調査)  1998年6月21日(雨)

 

五時半に目を覚ます。その時はまだ曇っていた。朝食を済ませ、リュックに弁当を詰めて八時きっかりに家を出たころからぽつぽつと降り出した。

八時十五分、河原町御池の待ち合わせ場所にはすでにJさんの車が待っていた。助手席にはSさんがすでに座っていた。我々夫婦と総勢四人で出発する。比叡山の山頂に到着する直前、座席で防水ズボンを穿き、北海道用に買って役に立たなかったスパッツをすねにあてがって完全武装する。双眼鏡を首からぶらさげ、傘をさして外に降り立った。まったく情けない天候だった。

調査開始直後、私がカワラヒワとコシアカツバメを見つけ、みんなも少しは元気を取り戻した。この前の時は盛んに鳴いていたツツドリの声も聞こえない。雨も本降りになって、傘にかかる雨音で鳥の声がさえぎられるほどだった。

ようやくツツドリの声を家内が聞きつけ、そのうちホトトギス、ヤブサメも鳴いてくれた。鎮護国家の石碑のところで予定の調査区域は終了。いつもならこれから本格的にみんなで探鳥に歩くのだが、Jさんはもう引き返しましょうと言った。

元の駐車場に戻ってきても、弁当を広げるとこも見あたらない。客のいないバス停にそれでも路線バスは時間通りにやってきて、われわれを見つけて気の毒にもドアを開けてくれた。

「駐車場休憩所」の看板の出た一坪ほどの建物が利用できたのでそこへ入り、ベンチに腰掛けて弁当を食べる。鳥好きたちは、そこで一時間半も雑談してからようやく腰を上げて、視界二十bの道路をJさんが慎重運転で下山する。

 

95.清滝自然歩道  1998年7月15日(曇り)

 

曇っていていつ降り出してもおかしくない天候だったが、家にこもっていてもしようがないと思い、出かけることにする。家内がおにぎりと寿司折りを買ってきて、十時半に家を出た。清滝行きは烏丸御池を十時五十二分発。向こうに着いたら十一時半を廻っていた。

鳥の鳴き声も少ない。期待したホトトギスも聞こえない。不漁だなと予感する。いつものところにカワガラスもいなかった。それでも登り口でオオルリが餌をくわえているのに出くわした。持ってきたビデオに収めようとしたが慌てて動作を間違え、そのうちいなくなってしまった。途中の川筋でカワガラスの飛ぶのを見る。

一時過ぎ、川原ののいつもの場所までがんばって歩きやっと弁当にありつく。幸い雨は逃れ、むしろ日が射してきた。今日はさすがにほとんど人に出会うことがない。この一等地もわれわれの独り占めである。

半時ばかり休憩して、上流に向かって歩く。キセキレイがアベックでもつれ合いながら川筋を行ったり来たりする。バスの時間があるので今日は二時の時点で折り返す。枝先で囀るオオルリをスコープでようやくとらえることができた。

帰り道再びカワガラスに出くわし、しっかりビデオに収めて帰る。

    

96.宇治川白川紅葉谷 1998年7月22日(曇り)

 

朝から天気はあまりよくなさそうだったが、久しぶりに鳥を見に出かけようということで、比良は旅費が高く付く、比叡山は雷が鳴りそうだ、手近なところ、白川紅葉谷に決まった。

宇治に着いたのが九時過ぎ、バスまで間があったのでいっそのこと歩くことにする。ようやく白川口のバス停に着いた頃、宇治川の中州にササゴイを見つける。島から島に飛び移ったり、歩き回ったり、水面を突っついたりせわしくふるまった。

東海自然歩道の紅葉谷に入ると涼しさが漂った。入り口あたりでカヤクグリを見かけた気がしたが確認できなかった。白山神社までこれといった鳥には出くわさなかった。ただ、すばらしくきれいなモンキアゲハが飛んでいて、紋もひだも真っ白、羽の地色は真っ黒だった。

白山神社を通り越して左の林道にはいって十bも行くか行かぬかで、谷の向こうに茶色く尾の長い鳥をちらっと見た。サンコウチョウと確信する。その直後こんどこそ黒くてひらひら飛ぶサンコウチョウの雄を木々の間に見かけた。「サンコウチョウ」と妻に向かって叫んでしまう。ビデオを向けるが慌てていて、あとで気が付くのだが、自動切り替えのボタンにうっかり触れて手動にかわっていたから、焦点が思うように合わない。ズームで引いてようやく小さく写すことが出来たが、その間に鳥は奥山に飛んで行ってしまった。

家に帰ってからテレビに映してみたが、それでもなんとかサンコウチョウと認識出来た。夜の会合で見て貰ったが皆も充分受け入れてくれた。

 

97.巨椋干拓田 1998年8月3日(晴れ時々曇り)

 

最初の連絡は昨日。日曜日の十一時ごろSさんから、巨椋干拓田の府警ヘリポート近くの休耕田にセイタカシギが出ているとの連絡があった。それから三十分ほど間を置いて、今度はBさんが同じことを知らせてくれ、自分もこれからバイクで出かけるところだと言う。まず私は足に困った。昼飯を詰め込んでから、思案の挙げ句Dさんに電話して同行しないか聞いてみたが、奥さんが留守で家を空けにくいとの返事。しかたなく、一時半、とにかく出かけることにする。近鉄向島からタクシーを使った。日曜日にへんぴな田圃の傍らへ降りたので運転手は怪訝な顔をした。しっかり場所を聞かなかった報いに、あちこち道を迷い、途中畦に並んだアマサギを、これでも土産にとリック

からビデオカメラを取り出そうとして、この時になって、うちにカメラを置き忘れてきたことに気付く。力が抜けてしまった。諦めて帰り掛かった時自転車の人に声を掛けられた。荷台に三脚を括りつけている。ようやく目的地の休耕田にたどり着いた。しかし、セイタカシギは古川の向こう岸に飛んだとのこと。それでもタカブシギを五羽を見た。駅までの遠い炎天道をてくてく歩いていると、向こうから見たことのある顔が、大きな望遠鏡を肩に抱えてやってくるのに出会った。編集部のWさんだった。

そして今日。六時に起きて急いで朝食をとり、もう一度出かけることにする。向島ではそれでも八時を過ぎていた。タクシーに乗り込んで、府警のヘリポート近くで降りたのが八時半。古川縁を歩いて休耕田にたどり着いたら、目の前にセイタカシギがいた。われわれ二人以外には誰もいなかった。見放題である。キアシシギ、コチドリもいた。帰り道アマサギの群にも出会い、暑い道を熱射病寸前でふうふう言いながら十二時前に家にたどり着く。

 

98.岩間山タカ調査 1998年9月15日(曇り時々晴れ)

 

六時に起き出し、余裕があるつもりだったが、七時前になり小走りで御池通りに出た。堺町のバス停に迎いの車は五分過ぎに来たので慌てることもなかったのだが。IMさんが運転、助手席にはSさんが乗っていた。どこをどう走ったのか、やがて瀬田を駆け抜けて米原近く、岩間山の急勾配を登り駐車場というところへ到着する。そこからリュックを背負って三、四百メートル小道を登りつめたところに見晴らしのきく観察ポイントがあった。すでにNさんという初対面の人が来ていて、今のところまだなにも出ていないとIMさんと言葉を交わす。日本列島に沿うように北東から渡ってくるからと、近江富士(三上山)の方向をIMさんが指差した。それからサシバとハチクマの区別を教えてくれる。サシバは翼が細く頭は三角、尻尾が長い。ハチクマは翼は太く頭は細く、尻尾は短め、とのこと。空はうす曇り、八時半ごろ急に雲間から五六羽のサシバが現れて思い思いに空を旋回し、やがて東南の空に飛んで行った。皆はこれは幸先がいいと言い、三桁は間違いないと力む。しかしそれからぱったり途絶え、時たまトビが遠くで輪を描いているばかり。十時ごろTさんが来た。時折アマツバメやショウドウツバメが飛び交った。ヒメアマツバメも数羽飛んだらしいが、どれも私には実感がない。十一時半、みんな手持ち無沙汰で昼食を摂りにかかる。食事が済んだころ顔見知りのMさんもリュックを背負って登ってきた。一時前、谷から飛び出した大きなやつが輪を描き出し、トビかと思ったら、誰かが「ハチクマ!」と叫ぶ。なるほどすこし翼の幅が広い。私は図鑑を片手に「この肩の茶色はどうなんです?」と尋ねる。「見た目は真っ黒ですが。」 「川村さん、そんな本見てる場合と違います。実物を眺めたほうがええですよ。」とIMさんに注意された。「すごい、すごい」とみんな感動していた。その後はまたぱったりなにもこなくなる。目の前を、顔とお尻の白いツバメが飛ぶ。それがハリオツバメだった。

鳥の渡らないのは台風のせいだろうと皆が言っていたのが、それもやがて晴れてくる。日差しが暑い。それでも、私以外は熱心なものだ。豆粒ほどのトビもカラスも見逃さない。おかげで数羽のサシバと一羽のツミを見つける。ツミといっても、ほかのよりさらに小粒というだけで、私にはなんの実感も湧かない。北東に戻っていくサシバは、渡りではないのでカウント外となる。

三時、ようやくIMさんが諦めて帰り支度を始める。合計サシバが十六羽、ハチクマ四羽、ツミ一羽という結果だった。

(ただし、今日は家内が来てないのでせっかくのサシバ、ハチクマ、ハリオツバメも初見とはならない。我が家の決まりで夫婦で見ないと見たことにならないのだ。残念。)

京都に帰ってきたのは四時半だったが、IMさんが急に鴨川に行ってみましょうと言い出す。岩間山で暇な時間に私が見せたビデオに写っている、一昨日の変なカイツブリを確認をしたいという。私は疲れていたが、彼の熱意に従わない訳にはいかなかった。出雲路橋で自転車のTさんに出くわす。彼も私のビデオのおかげで確認にきてくれたのだ。葵橋まで下ったが結局へんなカイツブリは見当たらなかった。

首が長く、くちばしも少し長くて薄い黄色を帯びた、頭のてっぺんと首の後ろが黒い、そのへんなカイツブリは、その後今井さんが支部の連絡会でみんなに紹介してくれて、消去法から「アカエリカイツブリ」だろうと結論される。皆さんの好意を感じながら、しかし私は大きさの実感から、今も多少の疑問を抱いている。  

 

99.甲子園浜埋立地 1998年9月17日(曇り時々晴れ)

           

昨日はSさんから、今朝になって今度はBさんから連絡を受ける。甲子園浜の埋立地に珍鳥のカラフトアオアシシギがきているというのだ。Bさんは昨日行ってきたらしく、詳しく道順を教えてくれた。

今朝はあいにくYさんがミキグループの講演会とかに行ってくれとチケットをくれていたので、義理をかくわけにはいかない。リュックを背負って、十時半、会場にとにかく出かけ、訳を言って十一時過ぎに引き上げてくる。阪急烏丸で家内と待ち合わせして、特急に飛び乗り、阪神の急行に乗り継いで甲子園に十二時半ごろに着く。タクシーにメモを見せ、なんとか埋立地の浄化センターに乗り着け、あとは裏道からと思ったら、守衛さんが親切に表門の前を通過させてくれた。広い空き地の中に池が見えるが、それとはかけ離れた柴地に数人の先客が見えた。そこへたどり着くのにかなり時間がかかった。胸躍らせて問い掛けると、カラフトアオアシはつい今までいたが…とのこと。がっかりだ。それでもエリマキシギが池と逆の方向にいた。 

数分後、「あっ、カラフト!」と叫ぶ人。三羽が飛んでいるのが見え、池の側に下り立った。ビデオを引っさげ急ぐ。確かにくちばしの太いのが大胆に餌をついばみ出した。ビデオにとりあえず収めてほっと一息つく。どこから来ましたかとそばの女性に聞かれ、京都からと答えると、「この人も京都ですよ。ねえ、ウツミさん。」とカメラの男性を指差す。私はウツミさんに挨拶し言葉を交わす。その間に家内はヒバリシギを見たらしい。すぐ私に知らせてくれなかったので、「二人で確認し合う」の規定により初見とはならない。

トウネン、アオアシシギ、ソリハシシギなどもいた。遠くにはキンクロハジロなどのカモ類も群をなしている。こんな鳥の楽園があるとは知らなかった。

今日のお目当てカラフトアオアシシギを、充分に見たいだけ見たころ、不意にハヤブサが低空飛行してきて、シギ類を蹴散らかしだした。舞い上がっては地面に降り立ち、また飛び立つ。たちまち、あたりにシギは一羽もいなくなってしまった。朝の八時から来ていたらしいウツミさんは、とりたてて文句も言わずハヤブサにカメラを向け、私もチャンスとばかりハヤブサの低く羽ばたくところををビデオに収める。

二時半。われわれ四人しか人影もなくなり、ウツミさんもカメラを片付けにかかる。「なんならいっしょに私の車にどうぞ。」と言ってくれる。Bさんに聞いてきたシマアジに桂子はまだ未練があるらしかったが、せっかくの申し出なので、車に便乗させてもらって帰ることにする。女性も助手席に乗せてもらったので、名を聞くと六十二歳、尼崎に住むSさん。阪神大震災の日は中国に鳥を見に行っていて、命拾いをしたとか。

われわれは竹田で下ろしてくれたので地下鉄で家に帰る。ずいぶん早く戻れた。

 

100.箱館山(探鳥会)  1998年9月20日(曇り時々晴)

 

八時十七分の新快速に駆け込み乗車、お陰で九時前に近江今津に着いた。その足で近江鉄道バスの乗り口に急ぐ。人数が多くてどうなるかと思ったら臨時を増発してくれた。Sさん夫婦が子供連れで乗って来た。登山口にはすでに二十人ほどが集まって、がやがや騒いでいた。ケーブルが運休だと言う。予定外だった。頂上までは二三十分で登れるとのこと。ほとんどがU先生に先導されて山頂行きを希望した。途中道端の植物を解説してくれ、機嫌よく付いて登ったが、行けども行けども道はさらに登り坂。小一時間してようやく少し見晴らしの利く場所にたどり着き、上の方にケーブルの終点の建物が見えた。それからがさらに急斜面で頂上にたどり着いたときには皆へとへとだった。それからタカを待つが、来ない。十一時半には弁当を平らげ、まもなく一羽のハチクマが頭上を舞った。

一時半に下山するまでに、ハチクマ三十九羽、サシバ二羽という成績。ただし、サシバの出た時家内はちょうどトイレに行っていて、見たのは私だけである。

下山は楽だろうと思ったのは間違いだった。下っても下ってもバス停の広場に到着しない。途中の谷川で清水を汲み、喉をうるおして、ようやく下山する。登らずに下の駐車場で待っていた人達は五十七羽を見たというから、数ではむしろ負けたが、登山と思えば久しぶりの苦楽だった。