探鳥日誌6
バードウォッチング日誌
第6集
101.鴨川から植物園 1998年10月25日(曇り時々晴) たまには植物園でも見て来ようと自転車で出かける。鴨川を御池橋からさかのぼるが、二条橋の近くで羽根を休めているユリカモメを見つけ、急いでビデオに収めた。数えるとみんなで九羽いた。今出川下流あたりの上空にも二十羽あまりが旋回しており、今秋初見、昨年より少し早いようだ。しかも新聞にもまだ報道されていない。心なしかオナガガモ、ヒドリガモの数も多いように思える。 植物園は日曜と秋日和が重なり、また広場で菊花展をしていたので、たくさんの親子連れが入っていた。案の定鳥はあまり目に付かない。まずは売店で掛けうどんをとり、それをおかずに持ってきた握り飯を頬張り腹ごしらえをする。 ようやく梅林にカメラマンの放列を見つけて聞いてみるとジョウビタキだという。ジョウビタキは先日御所でいやというほど見たのでそこそこにして池に回るが、カワセミもいなかった。 身体がだるくてしようがないので、引き上げかけた道すがらに枝渡りを繰り返すメボソムシクイを見つけてビデオに撮る。 鴨川を下るがもはやユリカモメは見当たらなかった。そのかわりノビタキを見つける。 夕方、「鳥だより」の担当のJさんにユリカモメの報告をするが、どうやら一番乗りみたいだった。 102-1.観音寺柞田川 1998年11月6日(曇り時々晴) 特急しおかぜで観音寺に着いたのが十二時半だった。それから、半年間空家だった家の中を掃除したりして、三時過ぎ、疲れも物ともせずに柞田川に自転車で走る。途中墓参りをしたが、墓石の頭にジョウビタキが止まっていた。 久しぶりの柞田川には鴨がたくさん飛来していた。ホシハジロも数羽混じっている。堰門のところにいつもいるバンにはお目に掛かれなかった。河口の近くの河の真中に二、三十羽の鴨が浮いていて、一羽、頭の緑で身体がグレーのヨシガモを見つける。遠くて小さく家内は見落としたらしいが、間違いない。 陽の落ちるのは早い。五時ごろもう薄暗く、風も出てきたので引き上げる。 102-2.三豊郡高瀬 1998年11月7日(晴) 妻の旧友S子さんに車で三豊郡高瀬の池に案内してもらう。四国には弘法大師の作ったと言い伝えられる人工池が無数にあった。勝田池もその一つだ。ハシビロガモがいた。ここでもジョウビタキを見かけ、今年はあちこちに出没する。S子さんは望遠鏡で鳥を見るのが初めてで、どの鳥にもしきりに感心する。 次に国市池にも回ってくれ、そこでは間近にハマシギの群れを見つける。池の中央にはここでもハシビロガモがいた。そのそばに採餌しているアオアシシギらしきのを見つけるが、やがてピーピーと鳴きながら池を旋回し出し、やがてどこかへ消えてしまった。 池の土手に上がっている見なれぬ鴨を見かけてビデを回す。帰ってからテレビで確認するが、どうやらアカエリカイツブリによく似ていた。 102-3.観音寺柞田川 1998年11月8日(晴) 四時ごろからまた柞田川に自転車で出かける。とくに珍しい鳥には出くわさなかったが、キセキレイがいた。これも実はここでは初めての出会いだった。帰り道はもう日が沈み、橋の上から柞田川を見下ろすと、アオサギが落日後の夕焼けのもと画のように美しいシルエットで立っていた。 102-4.観音寺財田川柞田川 1998年11月9日(晴) 朝、財田川にカモメを見に行く。ユリカモメ、ウミネコ、セグロカモメが飛び交っていた。 それから柞田川に回る。五、六羽のタゲリが川の中の島に等間隔に立っていた。堰門の近くにゴイサギのコロニーがある。成鳥と幼鳥が枯れ葦から顔を覗けていた。ハクセキレイ、ホオジロ、ヒバリもいて、種類も豊富だ。 102-5.観音寺柞田川 1998年11月10日(晴) 昨日の朝いたタゲリが今朝もいる。 河口近くの柞田川の右岸に平行に幅十メートルばかりの小川が流れていて、そこで私は白いカイツブリを見つけた。どうもこの前鴨川で見た「アカエリカイツブリ」にそっくりだった。近寄ってビデオに収めようとするたびに逃げられかなたに見失う。見失ったあたりに駆けつけて探すうち、岸辺の穴から現れたのは、アカエリカイツブリとは少し違う。図鑑と照らし合わすと、どうやらハジロカイツブリに似ている。大きさは通りかかったコガモより小さい。 帰り道、今度は桂子が川岸にへんなチドリを見つけた。動きが鈍い上、首が太くポポーと奇妙な声で鳴いた。額に黒線がない。帰ってからもビデオを再生しながら図鑑の中のチドリと見比べる。ハジロコチドリと思われる。もしそうなら珍鳥のようだ。思わぬ収穫だった。 (残念ながら、あとで皆さんにビデオを見てもらったら、ハジロカイツブリと思ったのは、ただのカイツブリ、ハジロコチドリと思ったのはシロチドリだろうということになった。) 103.西京極から久世橋 1998年11月20日(曇り時々晴) やはり出発が十一時前になり、桂川に出たらもう十二時をまわっていた。今日はいやに釣り客が少なく、同時に川面に鴨の姿もほとんどなかった。どうしたんだろう。ホオジロの声も乏しく、芦原ばかりが雑然と枯れるにまかまかされていた。しかたなく水溜まりで水遊びをするコサギをビデオに収め、どうやら、コサギのくちばしと見比べてもこれはチュウサギだろうと確信できる「チュウサギ」をビデオに留めた。 カワラヒワの群れが枯れ木に鈴なりになっていた。桂大橋のたもとでいつも見かけるバンもいず、遠くに一羽カンムリカイツブリが寂しげに浮いているだけだった。桂大橋の上は風が冷たかった。昼食場と決めている、下流の堰に陣取ったのはちょうど一時。ふいに、どこから飛び立ったのかオオタカが一羽、尾羽の横じまを鮮明にして、桂離宮の林に一直線に飛び去った。ここらあたりの堰の石組みで去年の今ごろサルハマシギを見つけたのだが、今日はハクセキレイがうろうろしているのみ。ユリカモメも浮いていない。 JR鉄橋を越えたあたりからぼつぼつ鴨の姿を見かけるようになり、数は少ないながら種類は増えた。ジョウビタキ、ホオジロ、カシラダカなどの野の鳥も入れると、さすが豊富な桂川だ、二十四、五種となる。久我井堰の方を望遠鏡で見渡しても鳥は浮いていないので、帰ることに決心したその時、川の中ほどに頭の赤い鴨が・・ミコアイサの雌だった。今年初認。それからオカヨシガモも三羽見つけた。 104.大阪城公園 1998年11月27日(曇り時々晴) 朝、出発前にBさんにオジロビタキの所在を確認する。大阪城公園の梅林のあたりとのこと。京阪天満に着いたのが十一時半ごろだった。城門の屋根の鯱瓦にそれぞれ一羽ずつハシブトガラスが止まっていた。 庭園内でお弁当を平らげ、身軽になって、いつもの外周コースを歩く。去年の春ノゴマの出たとこには親子連れがたくさんいて、とても鳥がいそうにはない。つぎに梅林の中をくねくねと歩き回るが、それらしい小鳥には出くわさなかった。このだだっ広い城内に、十一・五センチの鳥、それもたった一羽を探し出すのは至難の技だ。だんだん諦め気分となるが、手ぶらでは帰れないからヒヨドリやホシハジロをビデオに収めたりしていた。これを最後と、観光バス発着場裏の林にはいるが、人影はない。私は土手を登って濠に百羽ばかりも群がって浮いている、キンクロハジロとホシハジロを眺めた。土手を下りてきたら妻がカメラマンとしゃべっていた。「JR大阪城公園駅の階段を上がらず、右手の土手の裏側」とカメラマンが克明に教えてくれた。「早よ行け、早よ行け、早よせんと飛んでしまうで!」 まだ半信半疑ながら大急ぎで教えられたところに向かう。確かに二人カメラマンが三脚を構えていた。 「オジロ撮ってはんの?もういませんか?」 「いや、また来る。一時間待つ気ならなあ。」 たとえ二時間でも待とうと思った。案外早く、十五分くらいで「来た来た」の潜め声。小さな、思ったよりずっときれいな小鳥だった。しかし気があせって最初はビデオに取りぞこなう。また十五分待つ。今度は紅葉の枝に止まって虫をついばむところをしっかり撮ることができた。さらに十五分後に三度目も。 105.植物園・深泥池 1998年12月4日(晴時々曇り) 十時半頃からリュックを持って出かける。曇っていた空も日が差してきて、風は少し冷たいが鴨川べりを自転車で走っていると、厚着のせいでやがて汗ばんでくる。ヒドリガモがずいぶん上までいなかった。北大路橋近くでようやくハシビロガモを見つける。それもたった一つがいのみ。鴨川では今冬初めてだった。 植物園に着いたらもう昼前で、入ってすぐ弁当にとりかかる。目の前の紅葉がきれいだ。売店横の茂みにルリビタキを期待したが、当てが外れた。紅葉の枝に止まるヒヨドリをビデオに収めようと試みるが、思いのほか小心のようで逃げられた。ジョウビタキの雌をようやくビデオ撮りする。ルリビタキの雌も!今日は雌にばかり出会う。 出口の樹にカラ類の混群がいて種類が少し増えた。 自転車で深泥池まで走る。ここもカモの数が少ない。ようやく一羽オカヨシガモを見つける。奥に進む道すがら飛び出してきたのがきれいなカケス。池の北辺で深泥池保護委員に出会い、長々と話を聞かされる。市の買収価格は十五億円とか。でも林道はまた別の持ち主が持っていて売ってはくれないらしい。引き返す道で年配のカメラマンに「カワセミを見ませんでしたか?」と尋ねられ、「見ません」と答えたが、林の出口でカワセミを見つけてしまう。取って返して教えてあげるにはもう遠すぎた。 106.西京極から久世橋 1998年12月6日(晴時々曇り) 九時半に家を出る。 桂川に出たのが十時半。いつもよりはだいぶ早い。しかしカモはあまり見当たらなかった。ホオジロの声も去年に比べ少ないように思える。 対岸にカメラが二本川面に向けている。カイツブリらしいのが遠くで潜った。気乗りがしなくて立ち去ろうとする私に桂子が叫ぶ。「ミコアイサやがな!」なるほど雌のミコアイサが四羽並んで浮いている。しだいに桂大橋の方へ進むのでわれわれも急いだ。橋の袂で今度は正真正銘、雄のミコアイサを見つける。番いで長いこと、ほとんど潜りもせずに泳いでくれた。桂子は雌が魚を飲み込むところを見たという。 桂大橋をくぐったところで久しぶりにバンを見かけた。いつもの堰に着いたのは十一時半。今日はここを通り越して土手の近くに風を避けて弁当をひろげる。 鉄橋の手前でもう一度ミコアイサの雌を見つける。鉄橋を越えてからしばらくしてハシビロガモ、ホシハジロ、キンクロハジロとなかなかの豊漁である。陸地でもキジ、ウグイス、セッカ、ジョウビタキ、ヒバリと続き、現認数は今年最高の三十四種。 二時ごろ早めに久世橋を後にする。 107.久我井堰から西京極 1998年12月16日(晴) 四條烏丸から久世工業団地行きのバスに乗り、桂川の土手に沿った終点一つ手前の駅で降りる。久我井堰がもうそこに見えていたが、歩くと十分ほどかかった。ぽかぽかと小春日和の快晴だった。堰にはカワウが大勢日向ぼっこをしていて、カモの数は少なかった。シギチも見当たらないので引き返して、途中のベンチでトイレ休憩と、ついでに弁当を広げる。食べてる最中に川の中ほどをオカヨシガモのつがいが通って行った。久世橋を渡り、堰を越えたあたりで、鳥のブローチのTさん、編集部のHさんらの一行に出くわす。なんでも今日は桂川の鳥調査の日だとか。朝八時集合で西大橋からやっとここに到達したということだ。JR鉄橋近くでベニマシコを見てきたと教えてくれた。さっそく行ってみたがベニマシコにはお目に掛かれなかった。 JR鉄橋で戻るつもりが、とうとう桂大橋まで足を伸ばしてしまい、西京極から帰ることにする。橋の上からバンを見つける。ところが桂子がオオバンだと言う。変に思っていたら、バンに続いてオオバンがビデオに泳ぎこんできた。ここでは久しぶりだった。川岸まで近寄ってしばらくビデオを回しつづける。 畑を横切る間際、モズを追っていたらいきなり足元からキジの雌が飛び立った。 108.湖東湖北 1998年12月20日(晴れたり曇ったり一度しぐれ) 朝七時半に烏丸四條に集合。われわれ夫婦はHさんといっしょにJさんの車に乗せてもらう。もう一台はSさんTさんOさんFさんの五人である。 三十分後にもう草津に差し掛かっていた。八時四十五分には彦根を通過、九時に長浜に入る。間もなく浅井の西池に到達した。そこそこ広い池で、傍らにはカモの観測所が設けられている。手前に群がっていたオナガガモの雌約百羽が我々が近づくとばたばたと飛び立つ。遠方にミコアイサ、ヨシガモ、ハシビロガモ、オカヨシガモ、トモエガモ、カワウなどが浮いていた。 十時十分ごろそこを出発して、「スポーツの森」のはずれから湖岸道路に出る。十一時に今日のメイン尾上野鳥観測所に到着した。入り口に人だかりがしていて、野菜の即売とトン汁の炊き出しをしている。二階の観測所の入場料二百円を各自で払う。お目当てはガンとハクチョウだが、残念ながらハクチョウは畑に出かけていて留守のようだった。ヒシクイの群れとマガンが七羽ばかり着水していた。遠くの方にキンクロハジロにまぎれてホオジロガモが確認できた。みんながホオジロガモに夢中になっている時、突然管理人の興奮した声が響く。 「オオワシが山に来てます。外に出るなりして見て下さい。」みんな一斉に今まで湖の方に目をこらしていたのが、反対側の出口へと殺到した。観測所の東五百mばかりの位置に、せいぜい三百mほどの低い山が見え、その中腹の枯れ松の枝に止まっていると言う。双眼鏡でも捉えきれない。どうぞ見てくださいと誘ってくれたプロミナーを覗くと確かに肩の白いくちばしが黄色くたくましいオオワシが枝に止まっていた。ほどなく我々は車で出発し、東に向かったが、途中オオワシにだいぶ近寄った地点で停車し、もう一度オオワシの威容を確認する。 十二時過ぎ、湖岸べりの吾妻屋で昼食をとろうとすると、雨が吹きぶってきて、仕方なく車の中で弁当を広げる。食事が終わった頃、チュウヒが土手を越えて飛んだ。小雨をものともせず皆飛び出したが、見失った。 二時前に曽根沼に回る。そこではミコアイサの雌が五羽並んで泳いでいた。さらに二時半ごろ西湖に至るが、これといった収穫はなく、水郷巡りの船着場も人気は途絶えていた。ユーターンして三時過ぎに草津下物に下り立つ。オジロシロハラアジサシを期待したがそれも見つからず、風が出て寒くなってきたので帰路につく。 2005年1月1日更新 109.出水市荒崎と川内市高江 1999年1月15日(曇り時々しぐれ) 前日夜の二十一時に京都駅八条口バスセンターに集合、二十人のメンバーを乗せてバスが出発した。一時間ほどは車内照明が点いていて、我々も持ってきた小量のトーストサンドを頬張ったりした。二十二時過ぎいよいよ消灯されて第一日目の車中泊となる。夜半に入ると時雨れてきた。 予定表では六時出水市着、鶴の塒立ちを観察とあるが、二時間ばかりバスが遅れている。バスの窓から時折鶴の編隊の飛ぶのを見かけるようになり、寝不足を忘れてあちこちから歓声が上がった。ようやく八時十五分ごろ荒崎の「ツル展望所」建物の前に到着。まずは腹ごしらえと、配られた折り詰め弁当を食べる。建物の裏に回って驚いた。目の前にナベヅルやマナヅルなど、まさしく万羽鶴がぎっしりと、だだっ広い苅田に群れていた。それらの中から(さすがリーダーだ!)Yさん、Fさんが総数三羽の「クロヅル」、たった一羽しか渡来してない「カナダヅル」を探し出してくれる。双眼鏡で確認するより人のスコープを見せてもらうのが早い、と私は楽な方を選んだ。クロヅルは喉元まで黒いラインが伸びている。カナダヅルは他と較べ灰色で黒いところがない。望遠鏡の主が傍で逐一説明してくれた。感激だ。 治まっていた氷雨がまた降り出したので、「ツル展望所」に入場してそこの二階から改めて鶴を観察する。有料だから、ほどなく拡声器を持った案内人がやってきて説明し出すが、話の途中、苦もなくクロヅル一羽を見分けて、「それそこの二列目の土管の傍・・」とか指を差す。見物人たちは押し合いへしあいしている鶴に目をこらすだけで、クロヅルを見分けることが出来ない。もちろん私も同様だった。 風雨の最中、有志だけで近くの田畑を探鳥して歩くが、雨が強くなり、堪りかねて引き返し、十一時、バスで出発する。配られた折り詰め弁当、今度は昼飯だ。一時間半ばかり走り、川内市高江の干拓田に下り立ってあぜを歩き出す。幸い雨もほぼ止んでくれた。なんと、その時!幸運というか奇跡というか、目玉の一つカラフトワシが我々の頭上を飛び、やがてかなたの小山に消えた。また思いがけず、密生する枯れ芦の中に見え隠れするツリスガラにも出くわした。それはまるですだれ越しの人形芝居を見るように幻想的だった。 十四時バスに乗り込み、十五時半ふたたび出水に戻る。そこから徒歩で西干拓田にコクマルガラスを探しに出かける。これも黒白明瞭なのが一羽いてくれた。長々と双眼鏡を覗く。そのあと東干拓田にホシムクドリ、ギンムクドリなどを探しに行くが、これは残念ながら見つけることが出来なかった。そのかわり、名もない小川の奥に、バンやイソシギが歩き、クイナが飛び出した。 そして最初の宿、ホテルウイング出水に到着したのは十八時過ぎ、もう空はすでに暮れていた。荷物を部屋に置き、旅装を解く間もなくマイクロバスで近くの鶴丸会館まで晩餐を食べに出かける。食後、明日の行程を支部長がみんなの意見を入れながら判断したいと提案してくれたが、カササギ、ミヤコドリだけはぜひという人、オオズグロを見たい人、アカツクシガモを見せてもらえば後はお任せという人などまちまちで、結局幹部に一任で落ち着く。 二十二時就寝。昨夜の睡眠不足があったのですぐに寝付いた。 110.八代・広川・和白・今津湾 1999年1月16日(曇り) 五時半に起き出す。窓の外はまだ真っ暗闇だった。 七時に一階の食堂で洋朝食を食べ、八時、ホテルを出発、出水にもう一度立ち寄って万羽鶴に再会する。十五分ばかりで早々とバスは出発、八代市に向かう。この中型バスのドライバーは支部長の頼みなら行路変更や、無理なわき道でも快く行ってくれるみたいで、細い桜のトンネルの枯れ枝がバスの天井につかえて、ごつごつと音を立てるところを徐行しながら通り抜けてくれた。 八代干潟球磨川河口には十一時ごろ着いた。カモメの群れの中にオオズグロカモメや、しっぽまで白いシロカモメ、くちばしの黒いズグロカモメ、さらに、かもめ専門図鑑にしか載っていないニシセグロカモメを見つけるYリーダーの眼力には恐れ入った。Uさんも沖合いにウミアイサやカンムリカイツブリを捉えて見せてくれた。 昼食はまた車中で折り詰め弁当を広げる。 十四時二十分久留米市広川サービスエリアに到着。 「時間がないので、カササギを見つけ次第出発とします。みんなで協力して急いで探してください。木の枝、電線とかに止まっていますから・・」 と支部長の声はちょっと厳しい。ところが、バスを降りて二三分、若いリーダーの大声が響いた。「いました、いました!」目の前の電線に一羽、体が黒白、尾の長いやつが止まっていた。 十五時半、和白干潟に着き、湾岸の長い道を歩くが、ここでは有名なミヤコドリが狙い目だった。それが二羽、そこそこ手近なとこにいた。図鑑通りにくちばしが赤い。ここでも干潟に餌を漁るハマシギの中に灰色のミユビシギをYさんが発見してくれた。またダイシャクシギが一羽、中州の波打ち際をノソノソと歩いているのに出くわした。「急ぎましょう」とせかれての帰り道、予期しない中空をクロツラヘラサギが一羽飛んだ。 十六時二十分、再びバスで今津湾に向かう。着いたのは十七時半、陽も落ちかかっていた。海辺の横を流れる掘割を薄闇にまぎれて数羽のバンが歩いていた。先頭のYさんらは早足でたちまち私たちから遠ざかってしまう。やがて50メートルばかり前を行く先遣隊の「丸」の合図。みんなが最後の力を振り絞って駆け足で追いつくと、湾にそそぐ河口あたり、薄昏の中に十羽ほど白く浮き上がるクロツラヘラサギが見えた。やがてそのうちの一羽が水際でくちばしを掬うようにして採餌行動を始めた。 三十五階建てのシーホークホテルに到着したのはもう十九時前だった。私はNさん、Sさんの二人と同室の1821号室。一方、Nさんの奥さん、Sさんの奥さん、Oさん、それに私の家内が四人部屋をあてがわれていた。二部屋合同で外に出かける約束をしたので十九時半ごろフロントに集合し、私がインフォメーションで聞き出した「一蘭」というラーメン屋に行くことにする。食事の後、女性軍は買い物を始め、バスでホテルに帰り着いたのは二十一時過ぎだった。ここで二次会をというので、「ジャングル」の中のレストランで軽食を食べながら雑談する。風呂上りに三人で缶ビールを空け、寝たのは零時半。私は早く寝ねばと思えば思うほど目が冴えて、結局寝付いたのは三時ごろだった。 111.曽根干潟 1999年1月17日(晴れ) 六時十五分起床。窓の外はまだ明けていなかったが、どうやら天気はよさそうだ。七時に三十四階の中華でバイキングの朝食を食べる。眼下に福岡ドームの屋根が見下ろせ、やがて向かいの小山から陽が昇り始めた。 八時にバス出発。九時には曽根干潟に到着した。バスから下りて海岸線を歩く道は長い。しかも満潮で干潟がまるでない。途中ツクシガモを一羽見つけただけでもみんな感激する。バスを降りてから五百メートルは歩いた所にわずかに縦長の干潟があった。そこにダイシャクシギが数十羽群れていた。というよりみんな一斉に沖のほうに顔を向けて干潟の現れるのを待っているらしい。地元のバードウォッチャーが数人カメラの砲列を敷いている。カモ調査のようだ。手近のユリカモメの赤い「S4」と見える足輪は中国で付けたものだと話してくれた。ズグロカモメもかなりいるみたいだ。小一時間するうちに、どこから飛んで来るのか、ツクシガモの群れが、百になり、そのうち二百にもなる。それにつれて次第に干潟の面積も広がって行き、ダイシャクシギの群れが少しずつたどたどしい足取りで沖へ移動する。かなた二百メートルほど先の棒っ杭にミサゴが小さく羽根を休めている。 「アカツクシガモは向こうの無人島に一羽いるきりです。なかなか用心深くて近くには来ません。」 地元のリーダーが五百メートルほど先の小島を指差した。諦めきれない我々は、双眼鏡や望遠鏡で無人島に目をこらしたが、鳥の痕跡すら見分けられなかった。 ミサゴが二三度、我々の頭上を遊泳して通りすぎた。 あと時間つぶしに隣接の干拓田を回って見ましょうと支部長が言う。風は冷たいが空はほとんど雲もなく青く晴れ渡っていた。ツグミ、ジョウビタキ、タシギぐらいしか現れない。それでも干拓地のはずれで、またまたYさんがハチジョウツグミを見つける。これが最後の探鳥となった。 十二時過ぎに曽根干潟を後にして、十二時半ごろ「めかり」サービスエリアに到着、食堂で海鮮どんぶりを食べる。そこからは関門海峡大橋がすぐ側に望めた。 九州を後にバスは帰路に着く。鳥合わせでは八十八種もの大漁だとわかった。クイズの出現予想で八十八種をぴたり当てた人がいた。妻は七十八種、私は七十五種と遠慮し過ぎたようだ。それでも私たちは十五種も初見鳥を増やすことが出来て、この上なく満足だった。あとはみんな疲れ果て、思い思いに居眠りしながらバスに揺れていた。途中から私たちの席に割り込んできたMさんも座り心地の悪い真中の席でそれなりに眠っている。京都に着いたのは二十時半だった。 112.西京極〜久世橋 1999年2月1日(晴れ一時曇り) 外は案外暖かかった。例によって出掛けるのは十時半を過ぎてしまった。 桂大橋の近くには、やはりミコアイサが二つがいいた。あいかわらず、ちょっと近寄るとすぐ川の真中に遠ざかってしまう。今日はバンにもよく出会う。 いつもの堰で弁当を広げ、いつも通りにイソシギに会い、数は少ないが一通りハシビロガモ、カンムリカイツブリ、キンクロハジロ、オカヨシガモにもお目に掛かった。桂JR鉄橋の下流でベニマシコを探すが見当たらない。それでも数だけは三十を充分越えていた。 久世橋の手前百メートル、野鳥の会のHさんから、この前の桂川調査の際、クイナが出たと聞いてきた、ちょうどそのあたりで家内がクイナを発見した。中の島の手前のヘリをゆるゆると五メートルほど歩いて、やがて茂みに消えてしまった。そこにねぐらがあるに違いない。ビデオにも収めることができた。 その上カワセミまで飛び出し、これで今日一日を集計すると、三十八種となった。 113.近江今津・新旭水鳥観測センター 1999年2月7日(晴れ) 九時四十六分京都駅発の新快速に乗りこむ。堅田あたりまでは絶好の天気で湖面も凪いでいて、申し分ない鳥日和に思えた。ところが次第にあたりに残雪が増えだし、比良駅を越えると、田畑一面の雪景色、ホームの雪も雪掻きがしてないところでは二十センチは充分積もっている。しまったと思ったがもう遅い。引き返すわけにはいかない。近江今津駅から歩道のあるうちはまだ歩くことが容易だった。浜に出るともう雪国だった。反射光がぎらぎらして目が痛い。ジョウビタキやツグミやセグロセキレイが雪の上をちょこちょこ歩き回っている。 湖面は凪いでいて、カモも数多く浮いている。キンクロハジロを見つけ、ウミアイサも見つける。そしてヨシガモも五六羽いた。芦原に飛び交うのはオオジュリンに違いない。タヒバリ、イカルチドリも岸辺を歩く。カワセミも飛んで、思いのほかの豊漁が、足元の悪さを補って元気付けてくれた。途中京都支部のWと名乗る人に情報を聞くと、観測所の向こうでトラツグミを見かけたとのこと。一時過ぎにやっと水鳥観測所にたどり着く。今年から有料で二百円取られた。コハクチョウは今年は来てないらしい。スコープの中にカワアイサとミコアイサが点のように見えた。 トラツグミは見つからなかったが、全部で四十八種は大収穫と言っていいだろう。近江今津駅までやっとの思いで戻り、三時三十何分かの新快速に飛び乗れた時はもうほっとした。 114.亀山公園、渡月橋付近 1999年 2月1日(晴れ) 4日(曇り)& 6日(晴れ) 嵯峨美大前の桂川にアメリカヒドリがいるとの情報を得て、一日の朝から出掛けて探したが見つからなかった。そのあと亀山公園に足を伸ばし、ウソを探す。桂子は昼から出勤で私だけが残って池まで下るが結局見つからないで昼頃諦めて帰る。その時御髪池で出会った人の話では、前日三羽見たという。 昨日、去年約束してくれたHさんから電話が掛かり、そろそろ来ていると教えてくれたので、今日こそはと出掛ける。 御髪神社の池にはOさんという人がカメラを構えていた。写真帖を見せてくれ、そこにはウソの雄雌が並んで写っていた。Hさんもバイクでやってきたので、電話連絡のお礼を言っておく。Hさんはここの池のカワセミだけに興味があるのだと言い、ほかへは行かないらしい。結局この日もウソは見られなかった。 その翌々日、六日の土曜日にも出掛けてみる。これで三日目だ。登り口で、野鳥の会のHさんとFさんに出会う。二人ともウソ探しらしい。児童公園ではOさんがカメラを構えていた。ここに昨日五、六羽来たと別の人が話してくれる。初対面でも友達のように話してくれる。十一時まで待ち、しびれを切らして池に下りてみるが、ここでも一時間ばかり待って、やはり出ない。 児童公園に戻ったが、もう誰もいない。我々も、諦めて嵐山から松尾まで歩くことにする。そこでヒメアマツバメの群れを見つけた。 115.亀山公園、渡月橋付近 1999年3月12日(晴れのち曇り) 一日に来て四日、六日、そして今日、四日目だった。それでも渡月橋に差しかかると、人力車の兄ちゃんが寄ってきて客引きをする。 亀山公園も鳥の声は聞こえない。またまた空振りの予感がする。児童公園に行っても人影はなかった。仕方なくベンチで腰を下ろしていると、しばらくして公園の向こう端から顔見知りの二人が並んで現れ、家内が挨拶に行くと、「月曜日に出たんですよ。それも真っ赤なアカウソが一羽混じって・・・」とのこと。二人してその現場に案内してくれたが、今は静寂そのもの。私は半ば諦め、カケスを追ってあたりを一巡する。幸い真正面の枯れ枝に二三秒止まってくれたカケスをビデオに収め、再び児童公園に戻ってきた。Oさんが、「今いたんです。」と忍び足で公園東側の茂みを見上げている。その言葉通り、十分後、Oさんが手招きするので、その指差す方を見透かすと、待ち焦がれたウソが二羽止まっていた。やがてもう一人も大きな三脚を担げて戻ってくる。全部で四羽のウソの中に腹の赤いのが確かに一羽混じっていた。アカウソに違いない.私はビデオを回し続けた。そこへ幼稚園児が三十人ばかりなだれ込んできた。子供達に罪はないが、鳥は飛んでしまった。でも充分だった。 帰りは松尾にも足を伸ばさず、ビデオを再生してみたい一心に嵐山からバスに乗って帰った。 116.姫路市川河口埋立地-1 1999年4月1日(晴れ) 最初にBさんからオオチドリ出現の連絡を受けたのは二十九日月曜日だった。場所が姫路と遠いし、娘と孫たちが来ていてとても出掛ける状況になかった。昨日三時過ぎ再びBさんから、「今見て戻ったとこ・・」との報告とともに、さらに詳しい道順を教えてくれた。これで行く決心をする。 今日は家内は昼からパート勤務なので、私一人で出掛ける。八時二十一分京都発の新快速で姫路に十時ごろ着いた。山陽電鉄に乗り継ぎ、飾磨からはタクシーで市川河口の広い埋立地に立つ。あたりはトラクターやショベルカーの取り巻く荒地である。幸い降りたところに四五人が砲列を敷いていたのですぐ分かった。心のときめきを押さえながら、一人のカメラマンに尋ねると、指差してくれたかなたにオオチドリが立っていた。夏羽で胸が柿色に染まり一目でそれとわかる見事なヤツだった。あちこちと動き回り、一度は地面に座り込んだりする。一羽だからむろん抱卵ではない。だれかが「休憩」だろうという。いい天気だったし、一時間以上眺め尽くし、ビデオをとりまくった。ある人が、向かい側にツルシギが来ているらしいから一緒に探しませんかと誘ってくれたが、十二時半のバスが頭にあったので、断って、関西電力の建物まで戻ってバスに乗って帰る。 116.姫路市川河口埋立地-2 1999年4月2日(雨一時晴れ) 家内がビデオだけでは承知できない、オオチドリをどうしても自分の目で見たいというので、午前中の叔父の来訪を少し早めてもらい、叔父が帰るやいなや、早や昼を済ませて、小雨の降る中もう一度遠路姫路まで出掛けることにする。十二時半の新快速に乗ることができ、あらかじめ聞き出しておいた十四時十五分姫路南口発のバスになんとか間に合った。関西電力第一火力発電所バス終点に到着したときには、傘をささないでは歩けない程度に降っていた。鉄橋を渡り埋立地の方を眺めても、今日はカメラマンも来ていないみたいだ。それでも進む以外にない。雨の中を遠慮なくショベルカーが土砂をならしていた。そんな状況下、私はかなたに赤い鳥を見つけて、「いたいた!」桂子に叫ぶ。もっと近寄ろうとすると、家内が、「待って、待って。」と止め、「逃げるかもわからんからとにかく見たい。」と双眼鏡を必死に合わす。「見えた!」桂子は興奮していた。「きれいや!」 もう少し近寄る。雨の中でビデオを構える。その時、ブルトーザーが轟音を立てる。オオチドリはさっと舞い上がって、勢いよく道路をへだてた向かいの埋立地に飛び去った。次のバスまで間があったので、傘をさして向かいに渡る。ツルシギに出会うかもしれないとの期待もあった。そこは、池あり湿地ありで思いのほかいろんな鳥が住まっていた。ツルシギこそいなかったが、コガモ、カルガモに、イカルチドリの群れ、オオジュリン、それにコジュリン?カワウ・・ オオチドリにはそれきり会えなかったが、桂子は奇跡的な出会いに満足の様子だった。 117.金剛山1999年4月12日(曇り) 七時頃家を出て地下鉄で竹田に着いたら、まんよく橿原神宮行き特急がホームに入ってきた。車窓は最初晴れていたのがだんだん曇ってくる。橿原神宮でもうまく阿部野橋行きの急行に間に合い、古市でこんどは河内長野線に乗り換えて富田林で下車、ロープウエー口行き金剛バスにまた飛び乗るようにして乗りこむ。ロープウエー口といっても降りたところからまだしばらく坂道を登り、ようやくロープウエーの駅にたどり着いた。十時半出発のロープウエーで山上駅へ。「山上」だから「山頂」ではない。そこから山頂までがそこそこ長い山道だった。身近まで飛んでくるヒガラ、ミソサザイやアカゲラの声が頻繁に聞こえる。山頂休憩所には十二時前に到着、ここでとりあえず弁当を平らげる。見晴らし台で我々と同年輩ぐらいの鳥見の夫婦に声を掛けられ、葛木神社の横の古木にアカゲラ巣があると教えられる。そこまでがまた登り道だった。天気予報では暑くなるとのことだったが、千百メートルともなると肌寒い。桂子のマフラーを借りる。あちこち探しあぐねていると、先程の夫婦が別の道から偶然登ってきて、手に取るようにしてその樹を教えてくれた。穴?どこどこ?と言ってるちょうどその時、アカゲラが飛んできて止まった。そのうちに巣穴から別の一羽が飛び出し、傍らの木に止まる。必死で私はビデオを回した。雌だった。「ゴジュウカラもついそこの餌台に来てますよ。カメラさんが撮ってますから、すぐ分かります」と教えてくれた。たしかにすぐ近くの道端にカメラマンが二人三脚を立てて構えている。餌台にはヤマガラが来ていた。「ゴジュウカラもすぐまた来ますよ」女の子が二人ヤマガラの手乗りを楽しんでいて、その一人が「りす!」と叫んだ。木の幹を駆け上がったり下がったりする三十センチほどの子リスがいた。やがてゴジュウカラが餌台にやってきた。こんなに簡単に見られようとは思わなかった。何度もやって来て、木の幹に逆さ釣りの芸も披露してくれる。カメラマンたちは撮り飽きたのか、そのうち行ってしまった。二人っきりでゴジュウカラをもう一度と待っていると、足元にうごめく茶色い鳥。カヤクグリだった!あまり人怖じせず、藪からちょこちょこと道に出てくる。こぼれた餌をあさっているらしい。 空が怪しくなりだしたので戻ることにする。桂子が途中の電線に、すばらしい声を張り上げているミソサザイを見つけた。 ロープウエーでカメラマンの二人に再会する。カメラクラブの仲間らしく、一人は金剛山の野草を撮り続け、もう一人は元校長先生とかで鳥をテーマとする人だった。二人の勧めで南海線回りで帰ることにしたが、そのバスの中で大阪野鳥の会のベテランに紹介され、ビデオを見てもらったら、アカゲラと思ったのはオオアカゲラとのこと。従って、今日の初見はオオアカゲラ、ゴジュウカラ、カヤクグリの三種となり、思わぬ 大収穫だった。 118.庄内川河口干潟、藤前干潟、弥富野鳥園、揖保川河畔 1999年4月17日(晴れたり曇ったり) 五時前に起き出して朝食を摂る。 約束の六時半にT君を伴ってMさんが車で迎えに来てくれた。天気はまずまずである。東山古川町のあたりでOさんを拾い、一号線から名神を東へ進む。多胡の休憩所で安物のコーヒーを飲んで一休みしてから、本格的に走り出す。庄内川河口に到着したのは十時ごろだった。期待を膨らませて、干潟を見渡せる河岸に立つ。満潮から次第に引き始めていて、得物は遠いが、かなりの数のシギチやカモが下りていた。その中にピンク色のフラミンゴが採餌中なのにはびっくりした。なんでもかなり前から定住しているらしい。若い三人は次々にカモやシギチを見つけて歓声を上げている。私はその声を頼りに焦点を移動させ、ダイシャク、ムナグロ、キョウジョ、オオソリハシ、スズガモ、ダイゼン、メダイ、コアジサシなどと次々に確認することができた。一羽アメリカヒドリらといのがいた。頭頂は白く、目のふちの緑といい、胸は褐色で条件は一通りクリアーしていた。しばらく河岸から見たのち、野鳥展望台にはいる。いい望遠鏡がいくつか備えてあって、魚を捕らえたミサゴなどを鑑賞し、弁当もここで食べ終えてから、車で移動する。向こう岸が話題の藤前干潟だった。感動はするが、肝心の鳥はさっぱりいない。 次に向かった弥富野鳥園への道すがらキジの屍骸を道路脇に見つける。残酷だが、こんな光景は都会では遭遇しない。野鳥園の庭に手負いのトビが人怖じせずベンチに止まっている。ゴイサギやアオサギのコロニーがあり、キジがしきりに鳴いていた。 二時ごろUターン。鍋田干拓田を通り抜ける。途中の畑にムナグロがいたり、タシギやアマサギがいたりした。 帰路に就くが、揖保川をさかのぼって、程よいところで最後の鳥見をしようと車を降りる。キジが姿を現し、暮れかかる中、ツリスガラやノビタキも見ることができた。 多胡サービスエリアでカレーの夕食を摂りながら、鳥合せをしてみたら、なんと六十四種にもなり、大成功だった。 119.比叡山 1999年5月1日(晴れ) 高野川の河合橋でイカルチドリの雛を確認したりしていて遅くなってしまった。自転車を川原に乗り捨て、八瀬遊園行きの電車に乗る。それほど混んでもいなかったが席はなかった。十時半のケーブルに乗る。 ウグイスが鳴いていた。ツツドリの声はまだ聞こえなかったが、オオルリはあちこちでしきりに囀っている。その声を聞きながら、道端で弁当を広げる。ゴールデンウィークで行き交う人は多い。鎮護国家の碑を左に折れて旧ケーブル駅跡に至るが、そこはあっと驚く変わりよう。ヤマドリのいたあたりの立ち木は昨秋の台風で倒れたらしく、その後すべて刈り取られていた。駐車場が一部透けて見える。 釈迦堂近く、中西悟道案内板も根元がなく石にもたせかけられていた。傍の大木も見事に折れていた。すさまじい台風の爪あとだった。期待のアカゲラは見当たらず、帰路にミソサザイの鳴くのを聞けたのがせめてもの土産だった。 アマツバメ、ヒメアマツバメが飛ぶのを見る。そして、ケーブルの駅近くまで戻ったあたりで、家内の言う「ぽっぽちゃん」、ツツドリの声を久しぶりに聞いた。 八瀬遊園に降りてきて、高野川でカワガラスを見つける。 120.甲子園浜 1999年5月6日(晴れ) 出発は九時前になってしまった。自転車をウイングスに置いて阪急に乗り込んだ。浜に着いたのは十時半ごろ。あたりは満潮だった。地の人に聞くと大潮で夕方まで引かないとのこと。しかたなく鳥の見えない堤防を歩く。コアジサシとユリカモメは飛んでいてくれた。その時小柄な変な鴨を発見、それも間近に。なんとハジロカイツブリの夏羽だった。せめてこれだけでもと懸命にビデオを回す。ウミアイサ、カンムリカイツブリもしっかり夏羽だった。満潮のお陰で鳥は近い。やっと頭を出している岩の上にキョウジョシギが遊び、ホシハジロ、スズガモが昼寝の真っ最中である。河口近くの小さな州のチュウシャクシギを見てカメラマンたちがコシャクシギかもと騒いでいた。でもくちばしの長さはチュウシャクだと思う。腹の黒いハマシギ、そしてクロガモもまだ元気に餌取りをしながら泳いでいる。キアシシギも浅瀬の突起から突起を八双渡りしてくれる。徐々に姿を現したわずかな中州に赤い首のオオソリハシやトウネンも集まりはじめた。満潮も悪くはない。はじめの不安は掻き消えて、浜風も涼しく、絶好のウオッチング日和となった。 結局二時半ごろまでいて、充分楽しめた。 |