探鳥日誌7

 

 

 

 

 

 

バードウォッチング日誌

7集

 

121.能登から輪島 1999年5月10日(晴れ)

 

四時半に起き出す。それでもばたばたして、大きなリュックを背負い家を出たのは八時半近くだった。むろん和倉温泉行き特急(サンダーバード)は九時八分発だから充分間に合った。一番ホームで待っていたら偶然Bさんに逢う。彼の方は特急「しなの」で鳥の調査に出掛けるらしい。

福井を出たところで持ってきた握り飯をほお張る。羽咋あたりの窓の景色にケリが飛んだので、そこから鳥を数え始めることにした。和倉温泉には十二時過ぎに着いた。のと鉄道に乗り継ぐが、これがおしゃれなパノラマ座席の付いた新型急行だった。ただしそれも穴水まで、そこで鈍行に乗り換え、山間をのたのたと走る。一時半ごろ輪島に到着。駅で聞いたら三時半までは閉まっているとのことだったが、民宿「白塔園」に行ってみたら、どうぞと部屋に通された。

小休止ののち外出するおり、別の団体がチェックインしてきた。服装からして明日舳倉に出掛ける鳥仲間のようだった。輪島港の下見を兼ねて、早々に輪島川河畔へ出てみる。橋の袂にイワツバメが乱舞していた。次の橋に差し掛かって向かいの土手にイソヒヨドリを見つける。急いで橋を渡り間近でビデオを回した。ミサゴが空を駆け抜ける。

輪島漁港は風が強かった。

 

 

122.輪島から舳倉島 1999年5月11日(晴れ)

 

五時半ごろ目が覚めたので起きることにした。六時半にお茶を貰いに行ったら、朝食の用意も出来ていて、さっさと食べてから、七時半には宿舎を出払う。港の近くの朝市をちょっと覗いて、八時過ぎには乗船切符を手にする。八時半、そろそろみんなも集まり始めた。漁船の帆柱にハシブトガラスが小魚をくわえていた。

九時、いよいよ出港。外海に出るとさすが日本海、波が出てきた。我々は甲板で手すりにしがみつく。やがて、だれからか、「オオミズナギドリ!」の声。海面を這うように細長い翼が飛んでいた。「目線より高く舞い上がったら、それはただのカモメです。オオミズナギドリは海面すれすれを滑走するように飛びますからすぐ分かりますよ。」と近くの男性が教えてくれた。

七つ島を過ぎ、やがて前方に平らな舳倉島が人工島のように、機関室のガラス越しに見えてきた。十時半、ついに島に上陸する。近くの神社の森から顔を覗かせているのはシメだった。民宿「つかさ」は込み合っていた。

「川村さん、ですね?・・・とりあえずかかりの部屋に荷物を置いてください。」

宿屋の主人が言うので、リュックを下ろし、すぐに手回り品だけを持って宿を出る。われわれは島を左回りするコースを選ぶ。いきなり茂みでキマユムシクイを見つけ、必死でビデオを回す。海岸線から丘の方へはいる道を行くと、誰かが手招きしている。小走りで近寄ると、大阪城で見かけた顔だった。「遅かった、今までそこの松の梢にコウライウグイスが止まってたのに・・・」

もう一度丘の道に戻ってどんどん進むと、やがて左右が竹薮のじめじめした小道にたどり着く。あちこちに水溜りがあり、そこに二三羽のクロジが水浴びに出てきた。かたずを飲んでると、ムギマキらしいのも出てくる。そのうち右側の藪からマミジロが顔をのぞけたが、すぐ、ひょこんひょこんとホッピングしながら左の藪に隠れてしまった。我々はここの片隅に陣取り、スーパーで仕入れてきたロールパンを昼飯代わりにほお張った。オオルリも水飲みにやってくる。そのときBさんから聞いてきたMさんらしい人に逢い、挨拶するが、彼はもう一人のベテランらしい人と立ち話を始め、聞き耳を立てると「サケイ」を見かけた「かもしれない」というようなのことだ。でも、我々はクロジたちで精一杯だった。

一時過ぎようやく、ちょっと歩いてみようと立ち上がる。立ち木や茂みにムシクイらしいのがちょろちょろするが、なかなかしっかり姿をみせてくれない。どこをどう歩いているのかさっぱり見当がつかないまま、うろうろする。ふと見上げた空に小型のタカが舞い、とある梢にふわりと止まる。ハイタカだろうか?ツミだろうか?このころからどうもビデオの調子がおかしいと感じはじめた。

ようやく元の道に戻ったようで、やがて松林に辿り着くと、大勢のカメラマンが大型カメラを立てていた。ムギマキとキビタキが飛びまわっている。ところが残念無念!電池切れである。「つかさ」までの近道を聞き、急いで予備電池を取りに帰る。思ったより道は遠かった。宿に着き一休みしたら、もう出かけるには疲れすぎていた。今日はここまでと風呂にはいり畳に横になる。どうやら予約違いか、我々は共同部屋となりそうな雲行きだった。夕飯を玄関先のテーブルで食べていたら、おかみが、「部屋を替わってもらったから」と言ってきた。多分誰かの犠牲で、我々が個室をもらうことができたらしい。でも、ほっと安堵する。

夜七時から宿泊者全員で「鳥合せ」をやる。八十種出たという。九時半ごろ就寝。

 

 

123.舳倉島第二日目 1999年5月12日(晴れ)

  

人の気配がするので、我々も五時に起き出す。

カーテンの向こうで鳥が鳴いていた。便所に行くとその窓の外にバーダーが歩いていた。

昨日の鳥合せで運動場にマミジロキビタキが出たと聞いたので、今日は右回りに歩く。海岸線をぐるっと回るが岸辺には鳥はいない。竜神池を探しあてて覗いてみたが、そこもウミネコのみでシギチらしいのは見あたらなかった。向こうから来た婦人の二人連れがコウライウグイスの飛ぶのを見たと、すれ違いざまに教えてくれた。それからほどなくのこと、前を歩いていたベテラン男性が、「早く見なさい!その林に止まっていますから。」道から三十メートルほど先の立ち木の中だった。コウライウグイスがこんな大きな鳥だとは知らなかった。まっ黄色の目の覚めるような鳥だった。

そのあと、昨日の丘の中のコースを辿る。少しずつ島の地理が飲み込めてくる。野鳥の観測小屋があった。その近くで東京支部長と昨夜の鳥合せで名乗った若者が携帯で、ブツポウソウの情報を得たのを教えてくれた。NTTの鉄塔の近くの電線に止まっているとのこと。急いで駆けつける道すがら、私は前方の空を飛ぶ見なれぬ鳥影を見た。それがどうやらブッポウソウだったようだ。諦めきれずにNTTの鉄塔まで行ってみる。そこでまた別のホット情報を教えてもらう。つい今しがたキマユホオジロがすぐ傍の松に止まっていたという。「またすぐ戻ってきますよ」の声に、シートを敷いてその場で待つことにする。いつまで経ってもキマユホオジロはやってこない。その時だった。空の端からブッポウソウがすごい勢いで飛んできて、前方の松林に入った。その場に居合わせたのは我々とあと二人の、たった四人。松の枝と枝の間に止まっている紺色の鳥を見つけ感嘆を上げる。嘴は真っ赤だった。やがて飛んでしまうまで五分くらいの出来事だった。意気揚揚と昼ご飯を食べに「つかさ」へ戻る途中、ふとビデオカメラの故障に気づく。前の部分の継ぎ目が裂けている。昨日からどうもピントが合いにくいと思っていた。部屋に戻り修理したら案外簡単に直ってほっとした。しかし、昨日のコウライウグイスから今日のブッポウソウまでの映像が心配だ。

昼からは、左周りに丘の道を行ってみる。道すがら三、四人のカメラマンがたむろし、その中に例の大阪の人もいて、今しがた松の木の下あたりにコウライウグイスが隠れたと教えてくれた。松の木は半分丘の稜線で隠れていた。待てばかならず現れるからと言うので待っていると、案の定黄色い鳥が飛び出して海岸線に飛んだ。さらに数分。やがて戻ってきた、まっ黄色の鳥が松の梢にしっかり止まってくれる。三脚を立てるのももどかしく、妻の頭を借りてビデオを回した。

そのあと観察小屋に行ってみる。人気は少なかったが、次から次に鳥がやってくる。ムギマキがいた。キビタキ、アトリ、カワラヒワ、ウグイス、キマユムシクイ、そして、頭の真中に白線のある小さな鳥(あとで分かったがカラフトムシクイ)、アオバトまでやってきた。

キマユホオジロをなんとか見たいと思い、もう一度NTTまで行ってみる。たくさんの人が集まっているので、どうしましたと聞くと、「ほんとに、ここでブッポウソウを見かけたんですね?」と逆に念を押された。見た時の状況を繰り返すが、気の毒なことに、それっきりブッポウソウは抜けてしまったのか島中どこにも出ないらしい。私たちはそれよりもキマユホオジロを待ち続けるが、これもとうとう見ることはなかった。

その夜の鳥合せでも、昨夜と同じ八十種が出た。

 

 

124.舳倉島第三日目 1999年5月13日(晴れ)

 

今日は四時に起きる。それでも出発は五時ごろとなり、すでに宿泊者の大半は出かけ済みのようだった。みんなが「つかさ」の便所の横の道にはいるようなので、我々も行ってみる。なるほどその奥は丘の中道に通じている。やがて小広い場所に出て、ツツドリの声がした。声を追って行くと、松の木にツツドリが止まって鳴いていた。こちらの胸も高鳴った。ビデオに収めることができたが、その間に桂子はさらに二羽のツツドリが戯れながら飛ぶのと、松の木のツツドリが飛び去る時にごく頭の近くをかすめて飛ぶのを見たらしい。

そこから灯台の敷地内を経て、NTTに向かう道すがら、若い女性が息せき切ってやつてくるので、聞いてみたら、「ここを突っ切った先の海岸にアカアシシギがいます。カメラの人も見てるからすぐ分かりますよ。」と教えてくれた。大急ぎで駈けつける。人だかりは十人ほどだったが、みんな見飽きたのかおしゃべりに興じていた。「まだいますか?」「そこにまだいますよ。」指差してくれる。道から十メートルほどの岩礁にそれはいた。くぼみの水溜りを採餌しながら闊歩している。

「つかさ」に戻り際、開発センターの建物の前で地の若者連が大きな魚をぶら下げてわいわい言っていた。なんでもヒラマサ(平政)という魚で、体長六十センチ近くあった。朝食のあとは海岸線を歩いてみる。壮大な景色ばかりで鳥はいず、やはり途中から草原に入って、何時の間にか灯台の敷地に辿りついていた。野鳥観察小屋には昨日と打って変わって今日はまるで閑散としている。竹薮の道ではオジロビタキらしいのを見かけたと待ち構えている人がいた。三度キマユホオジロに挑戦すべく、我々はNTTに向かう。そこの草むらで少し早いが宿で作ってもらったお握り弁当を広げる。今日も結局待ちぼうけ。もう一度アカアシシキギを見に出掛ける。

アカアシシギはまだいた。日中の光線が強く、朝見た時より足の色は黒っぽく見えた。

引き上げる途中竹薮の道にはまだオジロビタキを待ち構える人がいた。私もちらっと喉元の赤みのさす小鳥をみたように思う。しばらく待つことにする。やがて枝先に止まったのが尾っぽを立てたり下ろしたりしだした。こいつはやっぱりオジロビタキだとその時は思った。(帰ってからビデオで見返すとどうもそうではないらしい。ムギマキの雌あたりが相当のようだ。)

少し早めに切り上げて宿に帰ったが、荷造りして船に乗ったら、すでに乗り込んでいる人が何人もいた。

お土産をつかさに忘れて家内が取りに戻るハプニングもあったが、予定通り三時出航。来しなより少し風が強く波も出ているようで、甲板に出ていた桂子は少し気分を悪くした。

輪島港からタクシーで駅まで飛ばしたので、列車にはなんとか間に合い、乗り継ぎもうまくできた。途中の車窓から広っぱをつかつかと歩くキジの姿を見た。

 

 

125.大阪南港野鳥園舳倉 1999年5月21日(晴れ)

 

月曜日にBさんからカラムクが出たとの連絡を受けていたので、もう遅すぎるとは思ったが、久しぶりでもあるので大阪南港野鳥園へ行くことにする。七時半にうちを出た。それでも南港中突堤についたのが九時半、自転車置き場にはもう自転車はなかった。途中のロビーで小休止してから長い埋立地沿いの道を歩く。晴天ながら風は涼しく苦痛ではなかった。

観察所で一番に聞いてみると案の定カラムクドリは月曜日に抜けていた。さらに残念なことには昨日クロハラアジサシが湾内を飛んだらしい。今日は大したものはいないとのこと。それでもチュウシャクシギやトウネン、キアシシギが目に付いた。

諦めきれずに北観察所まで歩いてみる。後ろから大阪のおばちゃんが付いて来て離れない。その上よくしゃべる。「北」から柵を越えて、突堤に出でみるが、ユリカモメも一羽もいない。ようやくはばたきの丘あたりで彼女と別れ、腰を下ろして弁当を広げた。その後ろから時ならぬアオバトの鳴き声。急いで立ち上がったら、近くの木陰から鳥の影がぱたぱたと飛んだ。

それでもメダイチドリ、ハマシギ、コアジサシなど数えてみれば二十八種。文句のいえない数だった。三時前に引き上げる。

 

 

126.宇治白川 1999年5月28日(曇り)

 

八時十七分宇治駅発のバスに乗り遅れたので歩くことにする。白川口の楓橋のところで九時を過ぎていた。紅葉谷にはほとんど鳥の声もなく、ただ、カヤクグリらしい茶色の鳥影を見ただけだった。

白川神社を出たところでオオヨシキリが道の端でけたたましく鳴いていた。やがて谷川沿いの林道に入り、アオゲラの鳴き声と飛ぶ姿を垣間見た。かすかに期待していたサンコウチョウはもとより、あとはさっぱり鳥影なし。

合鴨養成所にキセキレイが姿を見せて、ようやく鳥を見たという実感を得る。茶畑を歩いて行くと、立派に出来あがった自動車道に出るが、その出来立ての土手に排水用の管が通っていて、その小さな穴にシジュウカラが巣を作っていた。さらに行くと今度は畔にコチドリが下りている。どうやら番いがいるようだ。近くで卵を抱いていた。

来た道を戻る。手持ち無沙汰のビデオで、家内の希望に従って野の花を撮る。

白川神社まで戻ったら、やっぱりオオヨシキリが鳴いていた。しばらく待つと姿を見せ、大口を開けておしゃべりしだしたので、ビデオをしっかり回す。

あとは花を撮りながら宇治駅まで歩いて帰った。結構面白かった。

 

 

127.志賀打見山 1999年5月31日(晴れ)

 

八時四十六分の永原行きに乗りこむ。

ゴンドラがあるかどうか、なければ比良に行こうと相談して、さらにバス待ちが長ければ山麓までタクシーを使わざるをえないだろうといろいろ考えあぐねる。

九時二十分ごろに志賀に着く。バスはとみると、なんと平日は無料の小型バスが山麓まで出ていた。ほぼ満席で、乗りこむやいなや発車する。終点の山麓駅からはゴンドラが動いていた。これは往復で千七百円。八分で打見山さんちょう駅に到達。道を聞き、ゲレンデの急勾配をとっとと下る。ホトトギスとジュウイチの声が左右から聞こえる。そのうち鳴きながら飛ぶホトトギスの姿を見た。傾斜面草原で腹のまっ黄色なキセキレイが二羽で戯れている。

汁谷口まで下りてきて気が付いたが、そこからは今来た山頂までリフトが運転している。帰りは疲れたらこれに乗ればいい、と気を楽にして谷川沿いに下り始める。同じバスに乗っていた五人連れが戻ってくたので道を尋ねる。

「夫婦滝はこの方向でいいですか」

「一本道ですよ。ついそこにクリンソウがきれいに咲いてますよ。ミズバショウの花はもう済んでいますがね・・ 」

と教えてくれる。百メートルほどでそのクリンソウが咲き競う場所に到達した。さらに五十メートルほど行くと今度はミズバショウの植わった小広いところへ出た。キビタキとミソサザイが耳が痛くなるほど鳴き合っている。ただし姿は見せない。

ここはジュウイチがことのほか多いところだ。道は細くなっていく。やっとミソサザイの姿を捉えた。近くに巣があるらしい。ビデオを回していたら釣り人が登ってくる。道を除けて通してやったつもりが、その人ざぶざぶと目の前の谷川に入り込み釣り糸をたれ始めたので、ミソサザイは飛んでしまった。さらに下り、ちょうど一休みできる空間があったので、そこで腰を下ろして沢音を聞きながら昼飯にする。

夫婦滝がどこなのか見当が付かなかったので、今日はここまでで引き返すことにする。もう釣り人の姿もミソサザイの姿もなかった。リフトの乗り場まで戻ったところで、二時。安心してそこいらを行ったり来たり時間をつぶし、三時前にやっとリフトに乗りこんだ。頂上までけっこう長かった。朝からの快晴続きが、ここ千メートルの山では瞬く間に天候が変わってくる。もやがかかり風も出てきた。ゴンドラでさんろく駅まで降りたが、無料バスは四時出発で、しばらくひまをもてあそぶ。そのバスでまた朝の四人連れと同乗した。そのリーダーに教えてもらって、志賀駅の案内所でゴンドラ往復券の前売り割引券を買った。千七百円が千五百円だった。

 

 

128.醍醐寺 1999年6月10日(晴れ)

 

醍醐寺の「横の道」にサンコウチョウがいると、先日人に聞いた言葉を、あまり信じないままに、ほかに行くあてもなく出掛けてみる。九時半ごろ総門に辿りつくが、「横の道」が右か左か分からない。さいころを振るように右に曲がり寺の外周を巡って、十時ごろ上醍醐登山口の山門付近に到達する。登山は嫌だったので左側の裏道を行ってみる。谷川沿いに進み、朽ちかけて車通行止めの橋を恐る恐る渡り切ったところでコゲラが飛んだ。さらに百メートルばかり歩く。カメラを据えた男性が道の傍に腰を下ろしていた。予感がして聞いてみる。

「サンコウチヨウ待ってはんのん?」

「ついさっき目の前の枝に止まったんや。カメラ組み立てるひまもなかった。」

われわれも腰を下ろして小半時待ってみる。どうやらこの人、去年巨椋干拓田にセイタカシギが来たおり、道を教えてくれた人だ。向こうも思い出したようだった。鳴き声も聞こえないので、我々は先に進むことにする。百メートルほど登ったところで、待望の「ほいほいほい・・」の声を聞く。かなり明瞭な高い声だった。声を追うが姿は見せない。しばらく待つ。そしてやっと梢に黒い影が。やがて低い枝に止まった。慌てるがビデオの焦点が合わない。今度は真上の枝に止まる。反り返ってビデオで捉えるが、逆光だ。それでも二秒ほどビデオが回った。姿は山側に飛び、そのあとは声も聞こえなくなった。もとの位置に戻ると例の男性はまだ待ちつづけていた。仔細を報告、もう一度三人で登ってみることにする。声は一瞬聞こえた。でも姿は見られなかった。オオルリだけが高い枯れ枝で鳴いていた。

三時。近々もう一度来ようと心に誓い、男性を置いて下山する。

 

 

129.醍醐寺 1999年6月16日(うす曇り)

 

醍醐寺には、十日に続いて、翌十一日、昼から出掛けてサンコウチョウの声を聞く。日曜日の十三日は朝早くから起き出して、とうとうサンコウチヨウが水浴びするシーンに出会い、羽づくろいするさまを見た。現場で出会ったOさんという支部会員の話では、山側にすでに巣があり、もうひとつがいが谷の対岸に巣作りを始めたらしいとのこと。

今日は十時ごろから出掛ける。 十三日より少し遅いせいかさすが境内では声は聞こえない。例の朽ちかかった橋を渡ったあたりでようやく鳴き声が聞こえた。 土手の向こうにちらちら姿が見え隠れする。しばらく待機するが、待ちきれずシートを畳んで奥のほうへ移動する。谷間で弁当を広げる。あとさらに川上まで行ってみるが鳴き声はしない。戻ってきて、橋の袂でやっと鳴き声が・・・ しばらく待つと雄が梢にやってきた。しかしビデオを撮るには高すぎる。しばらく待つうち、橋のそばの木に鳥の影がちらちらする。双眼鏡で覗くと、それがサンコウチョウの雌だった。なんとかビデオカメラに収めたところに、カメラマンが二人やってきて、

「今ここへきませんでしたか?」

とたずねるので、ありのまま教え、我々は引き上げる。

 

 

130.松尾林道から桂川 1999年7月5日(うす曇り)

      

曇っていたので遠出はできないからと、久しぶりに苔寺の裏道、松尾林道に出掛ける。谷川沿いの道に入ると涼しかった。

「奥に行ったら崖崩れの個所がありますよ。」

と通り掛かりの人に注意される。二百メートルほど行くとまた

「どこまで行かれますか。道路の修復中で行き止まりですよ。」

「どのくらい先ですか?」

「一キロほど先です。」

「わかりました。早めに引き返しますから。」  

鳥の声はめったに聞かれない。野草を見つけながら歩いた。聞いた通り一キロほど行くと、前方にトラクターが動き回っているのが見えたので引き返す。そこらあたりでオオルリの声が聞けた。

折り返してほどなく、ひらひらと飛ぶ蝶に出くわす。アサギマダラだった。なんという木か、白い花に止まっては遊びしているところをビデオに長々と撮る。

バス停まで戻ってきて民家の近くにヒメヒオウギズイセンの花が咲いていた。

松尾まで歩くことにして、松尾橋からもまた嵐山まで歩こうということになる。堰の近くでキジが犬に追われたのか、母親と幼鳥三羽が枝に止まったところに出会う。前方の桂川べりに雄鳥の姿も見た。渡月橋との中間点くらいでヤブカンゾウ(ユリの一種)の花一輪を見つける。その先でコシアカツバメの群れが飛び交うところにも行き会った。ビデオで捉えようとするが、見る目よりすばやくて無理だった。

 

 

131.清 滝 1999年7月10日(晴れ)

 

梅雨の晴れ間がもったいなくて、涼しいところと考えて清滝に出掛ける。出掛けたのがもう十時を回っていた。土曜日で山歩きする人も多くて、道すがら互いに挨拶をかわしてくる。わずらわしいようなうれしいような気分だった。ホトトギスの声を聞く。ここでも途中道がくずれて応急修理されたところもあった。鳥影はいたって少ない。野草を見て歩く。すぐに昼になり、谷川に下りて弁当を広げる。いい空気と、谷水の音に生気を取り戻す。

行程の中ほどで谷川に掛かる小橋を渡るあたりでは釣り客が何人も川に浸かっていた。

どんどん歩いて、今日の目標一万歩の半分あたりの、折り返し点で、可憐なトラノオの白い花を見つける。これは二種類あって、幸運にもオカトラノオとノジトラノオの両方を見つけた。

帰り道、探していたカワガラスに一目だったが出合えてほっとする。

 

 

132.二ノ瀬・貴船 1999年7月17日(曇り)

 

山鉾巡行の日だったが、自転車で鴨川出町橋まで乗り、あと叡電で二ノ瀬に出かける。二ノ瀬で降り立ったのはわれわれ二人だけだった。線路脇に白いヒルガオが咲いている。桂子が山を登り出したが、私が嫌がったので下山し、二ノ瀬川沿いに歩いて貴船に向かうことにする。川岸の家の前でバーベキューをしている一家があった。道を尋ねると、そう遠くないらしい。途中の道端にはハンゲショウやマルバマンネングサ、それにサワオトギリが咲いていた。

貴船口からは道の脇を車に脅かされながら歩いた。それでもこのあたりは山路なのか、いろいろ珍しい花に出会う。ハグロソウ、キツリフネ、ナンテンハギ、などを見つけた。

貴船神社までは行かずに、引き返し、貴船口から電車に乗って帰る。

 

 

133.比良山 1999年8月4日(曇り)

 

行こうか行くまいか思案していて、十時半ごろやっと腰を上げる。京都駅で聞くと、比良山上駅までの往復JR代、バス代、リフト代が三千六百六拾円というセット割引が夏休み中の今もあるというので、買い求める。得をした気分で湖西線に乗りこんだ。バスの終点あたりにゲンノショウコの白花が咲いていた。リフトに一年ぶりに乗ったが、九分間が前よりいっそう長く感じた。途中にカワラナデシコを見つけたが、ビデオに収めることはできなかった。

山の上は風も吹いていて、晴れてはいたが少し寒かった。ノコギリソウやウツボグサ、ヤマブキショウマ、ミヤコグサが次々見つかる。八雲ヶ原湿原には一輪だけヒツジグサが残っていてくれた。チタケサシの群れが夢のように乱れている。ミズギボウシ、ヌマトラノオなど、いくらでも新しい発見があった。

帰りのリフトの山頂駅近くでヤマジノホトトギスを、下山してからもオオバクサフジ、ボタンヅルを見つける。

 

 

134.伊吹山 1999年8月23日(晴れ)

 

六時前に目が覚めたので、伊吹山に出かけることにする。

大急ぎで朝食をとり家を飛び出したが、予定の七時四十五分に乗り遅れ、八時三分の新快速に乗りこむ。米原着が八時五十七分。九時八分の鈍行に乗り換え、関が原に着いたのが九時二十九分。たくさんのリュックの連中が下りたので、少し安心する。バス停まで小走ったが、結局バスの方が遅れて、炎天下を半時間近く待たされる。伊吹山頂駅には十時四十分ごろに到着する。平日にもかかわらず、お花のシーズンで大勢の人が連なって頂上を目指している。下界より十度は涼しいというが、木陰がなく、結構暑い。しかし、常々「お花畑」と呼ばれるだけあって、つぎつぎと繰り広げられる野草花の登場に時間を忘れる。売店で求めた「伊吹山ミニ辞典」を片手にビデオを撮るのも忙しい。目も鮮やかなルリトラノオ、サラシナショウマの群生。点在するコオニユリの朱色、キオンの黄色。シモツケソウの赤。キアゲハが飛びまわる。なにを思ったか桂子の腕にアカタテハが止まって、少しぐらい追ってもまた止まる。あちこちで、

「ほれ、ツリガネニンジン!」とか

「アキノキリンソウ!」とか

「ワレモコウやわ」とか嬉々とした奥さん連の叫びが飛び交う。

 一時近く、眼下に琵琶湖を見下ろす崖の一角に座って昼飯を食べる。その横にカワラナデシコが一輪咲いていた。幸運にもフウロを四種とも見た。イワアカバナも、タムラソウもヤマホタルブクロも見た。

二時二十五分のバスで下山する。

 

 

135.打見山 1999年9月27日(曇り)

 

久しぶりの晴天だった。前売り切符を買っていたので、打見山に出掛けることにする。湖西線志賀駅に降り立つと、打見山はよく見えていた。

リフトで上がってみると、山上ははじめ曇っていたがやがてまた晴れてきた。もうジュウイチの季節は終わったようだ。そのほかの鳥の声も聞こえず、いたって静かだった。再びゲレンデを歩いて下りる。草原の脇にリンドウが咲いていた。ツリフネソウにも出くわした。

夫婦滝に向かう谷川沿いの山道で、せせらぎの音の中にトリカブトが高貴に咲いていた。秋は紫の花が多い。ずいぶん歩いてやっと夫婦滝に辿りつく。予想したよりずっと壮観だった。高さは二十メートルくらいあるだろう。バスでいっしょだった四人連れが、狭い一等地を占拠して休憩していた。しかたなく私たちは回れ右して帰路につく。

 

 

136.石鎚山 1999年10月15日(曇り)

 

朝、観音寺の家から京都の自宅まで宅急便で荷物を送りだし、空家の片付けをして、大急ぎで九時二十分の松山行き特急に乗りこむ。伊予西条で降り、トランク一つを駅に預け、バスを尋ねたら一時間半待ちとのこと。一時思案にあぐねた。恐る恐るタクシーに聞いてみる。六千円というが思い切って乗りこんだ。かなり長い道のりだった。途中、この前の台風で路肩が崩れ、定期バスもそこで折り返し運転になつている。傍を流れる川床には大石がごろごろしていた。運転手も気の毒と思ったのか、六千円のところでメーターを切ってくれた。

 ロープウェーの駅まで五十メートルほど徒歩で登った。石鎚山頂はそこそこ晴れていた。鳥はほとんどいなかったが、花はハガクレツリフネなど多少はビデオに撮れた。

三時半のロープウェーで下山するが、今度もバスが一時間以上待たねばならない。たいていは自家用車できているらしい。困っていたら一人親切な若者が方向違いにもかかわらず同乗させてくれた。車中で話を聞くと、歳は四十五とのこと。最近最愛の奥さんをなくしたらしい。忘れられず、二人で出掛けた思い出の四国路を車で遍歴しているとのこと。山には気持ちをほぐすために登っているのだ。桂子が若いときには下から山頂まで歩いて登ったと言うと、呆れたように感心し、少し気を許したらしく、ガソリン代も受け取らず駅前近くで降ろしてくれた。最後に「がんばりなさいよ。」と声を懸けると、「はい」と返事はしたが、少し顔がこわばっていた。

電車は金曜のこととて混んでいて、二人ともとうとう岡山まで立ち通しだった。新幹線にはなんとか座れた。

 

 

137.鶴見緑地 1999年11月16日(晴れ一時しぐれ)

   

九時過ぎ、出掛ける前にSさんに確認の電話をする。奥さんが出て、

「主人は今便所。なにか聞いときましょか?」

「例のアカハシハジロまだいるかどうか情報ありますか?」

しばらくして、奥さんが電話口で、

「二三日留守にしてみたいやけど、また戻ったらしいと言ってます。」

幸先よしと我々は自転車で出掛ける。三条大橋の下に自転車を置き去りにして京阪の特急に乗りこんだ。京橋から地下鉄に乗り換え、鶴見緑地には十一時前に着いた。花の万博で来たことはあるが記憶は薄れていた。中央通りを突き切ると目の前大池が広がった。左の方向に数人のカメラマンが見えた。しめた、いること間違いない。足早に近寄ると、大阪人は親切だ。ホシハジロの群を指差して、位置を教えてくれた。雌だから地味で紛らわしいが、しばらく目を凝らしているうち、特徴がわかった。なるほど図鑑通りだ。まさにアカハシハジロの雌だった。頬のグレイが上品な毛皮色でどこか気品がある。スコープで家内とかわるがわる何度も眺めた。ビデオが故障中で残念だ。馬鹿チョンは持ってきていたが、とてもそれでは届かない。三四十メートルはある。

風がかなり強いので、売店の建物の影で、十一時半ごろ弁当を広る。後、大池を一周する。東の端にもう一つこじんまりした池とせせらぎがあって、カメラが二人カワセミを狙っていた。次は二時のお出ましだとカメラマンの一人が予言する。そこまで待つ気にはなれなかった。

元に戻ると、アカハシハジロは少し右へ移動していて多少近付いて見えた。みれんがましく馬鹿チョンを取り出し、ファインダーで確認できないままめくら撮りする。

 

 

138.鶴見緑地 1999年11月19日(晴れ)

 

十時過ぎにSさんに電話する。

「また行かはんの?」

と呆れたような歓声が受話器の向こうで上がる。アカハシハジロのその後の情報はないらしい。それでも、「抜けた」わけではないと解釈して、出掛ける。

鶴見緑地に着いたらちょうど十二時だった。プロミナを覗いている人に聞くと、

「今日は来てないみたいですね。」とのこと。「昨日はまだいたのですが・・」

がっかりだ。探すのを後にして、とりあえず弁当を広げる。まあいい、我々はおととい見たのだから・・と自らを慰める。

カワセミでもビデオに収めて帰ろうと、大池を右回りに歩き出す。五十メートルも行くか行かぬかで、何気なく鴨の群れに双眼鏡を当てると、その中に気になる鳥が。急いでスコープを立てる。焦点の中に紛れもなくアカハシハジロが入っていた。我々の気配を察して近くの鳥屋さんが寄ってくる。

「どうぞ見てください。」

たちまちあちこちが慌しくなる。遠くの連中も私の見つけた方角に望遠カメラや双眼鏡を向けて一斉に凝視を始めた。しばしばホシハジロの群の中に見失いながら、別の誰かがまた見つけては、互いに声を掛けながら、主人公を追う。忠告する人があって私たちは対岸に向かう。十メートルばかりの近距離から観察できた。ビデオもなんとか撮ることができた。傍らでカメラを向けていた人のよさそうカメラマン・・去った後で聞いてびっくり、山形さんという鳥図鑑の写真家だったらしい。

 

 

139.昆陽池 1999年11月27日(晴れ)

 

結局出掛けるのが十時半となってしまった。

阪急十三で神戸線に乗り換え、塚口からさらに伊丹線に乗り継ぐ。伊丹終点からはバスで行く。松ヶ丘で降りた目の前が昆陽池公園だった。

着いたらちょうど正午で、とりあえずベンチで弁当を広げる。かなり大きな池で真中あたりにミコアイサが数羽並んで浮いていて、やがて一羽が潜ると次々に潜水を試みた。五十メートルほど進むと人が集まっていた。人だけではなかった。だれかれとパンなど餌をあたえるのでドバトの群が行く手を遮り、それにまじって、なんとオナガガモの雌どもがよちよち歩いている.。いやそれも餌をねだっているのだ。土曜日で人出も多かった。人と鴨が交錯していた。

アメリカヒドリを探しにかかるが、なにしろ池の片隅にさえ二三百羽の鴨たちが混み合っていて、それらしいのを探し出すのは至難のわざだった。そこへ我々に近寄ってきて、アメリカヒドリが朝から来ていると話し掛けてきたのは年のころ六十前後、親切このうえないオジサンだった。さっそく池の傍を、迷子を探すように探し回ってくれる。そしてものの二十分ほどして、こちらは諦めかけている時、

「いましたいました!」

と指差してくれた。しかもすばやく、用意していたパン切れをポケットから取り出して金網の際まで引き寄せてくれ、

「よかった、よかった」

と自分もほっとしている。京都界隈にはめったにいない人種である。私は、お礼を後回しにして、真剣にビデオ撮りに掛かり切った.。

 

 

140.久世橋から久我橋 1999年12月8日(晴れ)

    

出発直前にやっぱり久世橋下流に行ってみようということになった。

十時に出発したのには訳がある。大丸の開店時間に合わせて自転車置き場を利用するためだ。「久世橋東詰」の市バスに乗ったら、工業団地を迂回して少し失敗だった。 それでも天気は上々だった。

いきなり五六羽のタゲリが芝生に降りたっているのを見た。ハシビロガモの番いが仲良く泳ぐさまを見ながらベンチで弁当を広げる。

久我井堰までで二十種近くを認める。さすが桂川だ。

堰から二三百メートル下のブッシュに大分カシラダカが入っているようだった。ようやく一羽だけは頭を確認できた。

バイパス久我橋の橋下までようやく辿り着くが、それ以上は進めそうになかったので引き返す。春にくれば野草が豊富なとこのようだ。

ようやく久我井堰の近くまで戻ってきたら、桂子が双眼鏡がないという。きびすを返して、三百メートルほど探しに戻る。半分諦めていたところが、畦の際に転がっていた。よかった、よかった・・!