探鳥日誌8

 

 

 

 

 

 

バードウォッチング日誌

8集

 

 

141.日向神社から山科疏水 1999年12月22日(曇り)

 

家を出たのは十一時を過ぎていた。

自転車を金地院近くの門の影に置いて、リックを背負い、インクラインを登る。小橋の袂でジョウビタキの雌を見つける。

日向神社への登り口でちょうど昼になり、ベンチに腰掛けて弁当を広げる。 お陰でリュックが軽くなった。近頃これがうれしく思えるようになった。

ここへはずいぶんご久しぶりのような気がする。山道にはいるとところどころ倒木が道をふさいでいた。秋の台風のせいだろう。記憶が薄れて道を間違えそうになる。人気もなくやっとすれ違った人に道を確認する。

ようやく山科疏水にたどり着く。年の暮れというのに、それに曇ってはいたが、寒くはなかった。御苑で覚えた声を聞きつける。枝先に五六羽とまっているのはやはりアトリだった。しばらく進むとこんどはパリパリと餌を食む音。近くの木にイカルの群れがいた。われわれの耳もだいぶ進歩したものだ。

一灯園の先で回れ右して、また山の中にはいる。五百メートルほど歩いて、谷川ぞいにミソサザイを見つける。

これは今日のお土産だ。

帰り道、道脇のウラジロを何枚か採って帰る。鏡餅の下敷きにするので、これでも買えば結構高い。

 

 

142.昆陽池 2000年1月5日(晴れ)

 

家を出るのが十一時過ぎになる。向こうに着いたのが

一時前。まだ冬休みの終盤で親子連れが大勢来ていた。

公園のベンチで遅い弁当を広げていると、頭の上でいきなりハイタカとカラスの空中戦。カラスに追われているばかりない、ハイタカも時折反撃に出る。

 池をしばらく探すとやはりアメリカヒドリがいた。雄に寄り添うようなのが多分雌だろうか。普通のヒドリ雌より地味な色あいで、頭も少々緑がまじっている。しかし欄干から覗き込む大勢の見物人はアメリカヒドリにはまったく頓着ない。

対岸にプロミナーを合わせると、首から頭まで白っぽい、変なカワウが二羽いた。幼鳥かな?夏羽かな?

 池の中ほどの岩場に、ユリカモメの群れに混じってセグロカモメが一羽佇んでいる。あわててビデオカメラを回すが、数秒後大きく羽根を広げて飛び立ち、そのまま公園の外へと飛び去った。

人ごみから離れた池の左奥に、一羽だけきれいなミコアイサの雄を見つける。時計回りに小道をたどり、林に入り込んで、木陰からとっくりじっくり白い妖精を眺めることができた。

 四時頃までいて、水鳥二十種その他十三種、計三十三種を見る。まずまずの仕事始めといえる。

 

 

143.鴨川から植物園 2000年1月14日(晴れ)

  

弁当は作ったが、巨椋もしんどいし、と近々探鳥会のある鴨川植物園の下見を兼ねて自転車で出かける。

通常の鴨は一通り揃っていたが、ハシビロガモはいなかった。カワアイサもひょつとしたらまだいるかも、と期待したが、いなかった。

昼過ぎ植物園に入る。入り口近くの児童公園のベンチで弁当を広げる。イカルの群れ、それにツグミも数羽が枝に止まってくれた。

一回りするが、たいした鳥は出なかった。帰りかけたころ、中央休憩所裏の、せせらぎの道を通りかかるとき傍らの樹にアオバトが十三羽も止まっていた。

帰りも鴨川を自転車で駆け抜ける。

御池橋まで戻って来た時、四十羽ほどのハマシギの群れが、二条橋と御池橋の間を行ったり来たり、鳴きながら編隊飛行を繰り返している。何度も何度も折り返したのち、やっと二条橋近くの寄り州に降り立った。多少増水していて、あるものは水勢に押されて、一メートルも流されるのもいた。

 

 

144.巨椋干拓田 2000年1月17日(晴れ)

 

天気も穏やかだったので、半年ぶりぐらいに巨椋干拓田に出かける。

向島駅の近くの休耕田も耕されていて、何もいない。水が抜かれているので、池状のところも干上がっている。

府立商業高校の東隣にいつの間にか大学の建物ができていた。時々タヒバリが飛ぶ以外にこれといった鳥はでない。記憶を辿りながら高速の南側に出たが、まだ古川からは遠かった。ケリの群れがいた。われわれが近づくたびに少しずつ遠くに移動する。

古川の土手に出たが、鴨の姿はまったくなかった。

オオタカかハイタカか、遠い空で鳩の群れを追うのが見えた。

福山通運の建物の近く、例のコミミズクの生息地にも立ち寄ったが、コミミズクはおろか、ホオアカにもカシラダカにも出会えなかった。

やっと見つけたカラスの群れも、コクマルもミヤマも見当たらず、ただのカラスの群れだった。

帰り道、大阪支部と名乗る人にすれ違い、先の日曜日にコミミズクがトビにやられたらしい写真を偶然撮っていて、その証拠の羽根を拾いにきたという。名前は聞かなかったが、それが本当なら、今年のコミミズクは0となる。 

 

 

145.近江今津から新旭までの湖岸 2000年2月29日(晴れ)

   

十時半ごろ家を出る。

京都は晴れていて気配もなかったのに、北小松を過ぎるあたりから、ホームにも残雪が目につきだした。

近江今津も畑がまだら雪で白かったが、外に出ると道路は雪が解けていて、歩くのには不便はなかった。

 湖岸に出る。沖に数羽のハジロカイツブリの群れがいた。時計を見るともう昼近い。あたりに腰を下ろすところがないので、道路を隔てた社の軒下を借りてサンドイッチを広げる。

元の湖岸に戻って、ハシビロガモを見つける。ホシハジロ、キンクロハジロもいた。キセキレイが波打ち際をかすめ飛んでいる。そう遠くない距離にヨシガモも見つけた。ユリカモメに混じって足の黄色いカモメもいた。

枯れ葦に飛び込んだのはたしかオオジュリン。

水鳥センターたどり着いたのは二時ごろだった。なにもいない。というか、手近のオナガガモの群れと、あとはちょっと遠くにオオバンの大群ばかりだ。その中からミコアイサの雄を一羽やつと見つける。バンの親子が近くにいた。

帰り道、たまたま京都の宮内さん夫婦が車に乗せてくれた。「来しなにコハクチョウを見ました」と奥さんがいうを、半信半疑で聞いていたが、湖岸を南下し、新旭浜キャンプ場からさらに五百メートルほどのところで、

「やつぱりまだいます!」

旦那の嬉しそうな声。そしてなんと、コハクチヨウ四羽をごく二十メートルほどの至近距離で見ることができた。

 

 

146.天理柳本崇神天皇陵 2000年2月10日(晴れ)

   

十時ごろ家を出て、地下鉄から近鉄急行に乗り継いで、十一時過ぎに天理に降り立つ。

どこ行きのバスか忘れてしまっていて、人に聞いてやっと桜井駅行きだったのを思い出す。柳本でちょうど昼前になり、ベンチで、持ってきたサンドイッチをつまんだ。

左回りで畑を経て濠の土手に上がる。畑側にはタヒバリが何羽も下りている。濠の向こう端の木陰に、遠望ながらオシドリを見つけた。雄雌で五羽か六羽はいるだろう。左回りで濠を半周する。そこから里のほうに入ってみる。ツグミぐらいにしか出くわさなかった。公衆便所で回れ右して、また濠に戻ってくる。そこで、先ほどより、間近にオシドリを見つける。十羽ぐらい点在している。

今日は桂子の友達を河内長野の病院に見舞いに行く予定があり、早々に引き上げることにする。バス待ちの間にオオタカらしいのが空を舞いながら遠ざかるのを見た。二時十五分のバスに乗る。

 

 

147.片野鴨池・片野海岸 2000年2月13日(晴れ)

   

四時半ごろ目が覚めてしまった。桂子も同じらしく、がたがたと起き出したので、私も起き出す。

朝食をとり弁当をこしらえていたら、結構いい時間になった。七時十五分前に家を出る。京都駅八条口には七時過ぎに着いた。五六人だったのが三十分も待たされて、四十人に膨れ上がり、結局何のために早く来たのかわからなくなった。ようやくバスに乗り込む。それでもうまく前のほうに座席を確保する。総勢四十三名ということだ。

天気は申し分ない。出発が少し遅れたので鴨池到着は昼前になった。一昨年JRで来た時は、大聖寺駅から自転車を借りて、ここまでえっちらおっちら漕いできた。

一番にカリガネを期待したが、今日は池には来てないそうだ。その他は少し遠方ながら一通りいた。

二時ごろから近くの片野海岸に移動する。ここにはクロサギが出ると書いてあったので、桂子が今日の担当の一人福田さんに尋ねる。

「あそこの崖あたりに来る時はよく立っているんですけどね・・」

でも今はカワウかウミウかが三羽、羽根を休めているだけだった。海にはオオハムの代わりに、米粒ほどのハジロカイツブリが波間に見え隠れしており、また誰かの言うには、ごま粒ほどのウミスズメ類が沖合いに認められたそうだ。崖にの端にこれまた、見つけた人は大した眼力だと思うが、小粒のイソヒヨドリがへばりついていた。数だけは五十六種。数当てクイズで私は一種違いの五十五種で賞品を逃した。

京都帰着は七時だった。

 

 

148.西京極阪急鉄橋から久世橋 2000年2月23日(晴れ)

   

この前電話で田子さんに教えてもらってたので、今日はいつもの天神川沿いでなく西京極あ運動公園から桂川の阪急鉄橋北側に出る。広い枯れ葦の中から果たして探し出せるだろうかと疑問に思ったが、「釣り屋さんがいる溜り池の近く」を目印に河原に下りてみる。「蔓性の草」を念頭に探すと、幸運なことに、それらしいのがほどなく見つかった。もうはじけ終わって、ほとんどがもぬけの殻だったが、一つ二つ白い綿毛の胞子が詰まったのが残っていた。まさしくガガイモの袋果だった。

たった一羽だったがミコアイサがいた。新幹線鉄橋の手前で、目の前からケリが飛び立つ。

鉄橋を渡ったところの、中洲の枯れ木がカワウで満開になっていた。

前方のスコープを構えた三人組は、舳倉島で見かけた連中だった。ベニマシコを待っているらしい。数日前アリスイにも出会ったという。しばらく待つが、いっこうに現れないので、みんなと別れて、二人で歩き出す。振り返ったら、われわれも仕舞うと言っていたのに、私たちが立ち去るとまだ居残っているらしかった。枯れ葦の林立する道を探して歩いて、再び彼らの所在を確かめる。遠くに三人がまだひつこく陣取っていた。全部で三十五種は見られたので、今日のところは諦めて帰る。

 

 

149.山科川 2000年2月29日(晴れ)

 

藤田さんからの電話で教えてもらったヒレンジャクを見に出かける。

地下鉄醍醐駅から歩いて山科川に出るが、初めてのところで、見当がつかない。橋を渡って、マンション沿いに下るとまでは聞いていて、なんとかなるだろうと軽く考えていたが、行けども行けどもそれらしい鳥の姿はない。川にはコガモが浮いていたし、ジョウビタキの姿も見た。なかなか探鳥地としては格好の場所ではあるのだが・・。やがて、土手伝いに黒い実の成るネズミモチの並木道が続いた。ムクドリやツグミの群れが実にたかっている。

ずいぶん歩いた。やがて、新小石橋が見えてきて、そこまで行って見つからなければ諦めて帰ろうと思った矢先、十歩ほど先を歩いていた桂子が、「お父さん、いたいた!」と双眼鏡を構えて叫んだ。

マンション沿いの枯れ木になにやら小鳥がばらばら止まっている。そして、その向こうのビルのアンテナに鈴なりの鳥の群れが。どこからか空を一回りして数十羽の鳥が電線にびっしり止まる。それらがみなヒレンジャクだった。

 

その三日後、もう一度見ようとビデオカメラを下げてでかけたが、まるで、この前の光景が夢だったように、どこにもヒレンジャクは見当たらなかった。ツグミの群れさえ見当たらなかった。ほとんど食べ尽くされたネズミモチの房には、かわいいメジロが数羽残り物をつついていた。

 

 

150.西京極〜久世橋 2000年3月1日(晴れ)

 

結局出かけるのが十一時前になってしまう。

桂川の河川敷にホトケノザがもう咲いていた。

川面を見渡して、カモ類が少ない。浮いているのはせいぜいカイツブリくらいだ。

桂大橋を越え、下の堰でようやくコガモを数羽見つける。オカヨシガモが一羽いた。それから、頭上を通過するユリカモメ二羽。

新幹線鉄橋でマガモ二つがい。それからキジが対岸向けて飛んだ。これが今日のお土産だろうか。

キンクロもヒドリも少数だった。ベニマシコにはやはりお目に掛かれなかった。

それでもなんとか三十六種類を数えることができた。

 

 

151.沖縄本島 一日目 2000年3月14日(曇り)

  

昨日は夜八時過ぎにホテルに着く。夕食をとって寝るだけだった。ホテルは大きくて部屋もりっぱだった。

 

六時に起き出す。二百メートルほど先が、残波岬の名にふさわしいような海だった。手前の道路のアスファルトが濡れているところをみると、夜のうち雨が降ったようだ。今は少し雲も切れて、時々日差しも洩れてくる。

七時に荷物を整えてクロークに預け、二階の食堂へと出かける。朝食もバイキングだった。

ビデオカメラと双眼鏡を持って外へ散歩に出る。隣接の緑地で、樹から樹に飛び交う鳥を、よくよく見ると、それがシロガシラだった。慌ててビデオカメラを回す。足元に、(後で分かったのだが)タチアワユキセンダングサが咲き乱れている。

八時半バスに乗り込み、ホテルを出発。第一番目のポイント「琉球村」へは八時四十分ごろ着いた。各地から移築した古い沖縄の住居が園内に再現してある。時々ひらひらと蝶が飛ぶ。とまったところをよく見ると、イシガケチョウだ。オオゴマダラやリュウキュウアサギマダラも飛んでいる。

万座毛には十時半ごろ着いた。アダン(タコノキ)の密生する道を抜けると、断崖の上に盆を載せたような草原に出る。国定公園に指定されている景勝地ということだ。天気もよくて海が見晴らせ、空気も美味い。白くて大きな花アザミ、なんという名か知らない。崖の頭にイソヒヨドリが我が物顔に止まっている。

海洋博跡の沖縄記念公園には十四時半ごろ着いた。広い会場をもてあますが、花壇に羽根を震わすシロオビアゲハをビデオに撮った。疲れて、公園の中を走っている一回百円の電気バスに乗り込み、「エメラルドビーチ」で降りる。ここでもイソヒヨドリがうろちょろ飛び回っている。きれいな海岸だった。

十六時半記念公園を後にし、今日最後のポイント、「琉宮城蝶園」に移動する。オオゴマダラの群れ飛ぶ中を進む。赤いものに止まりたがるらしく、オオゴマダラがいっぱい止まった赤い帽子と花束を桂子が貸してもらい、記念撮影をする。

 

 

152.沖縄本島 二日目 2000年3月15日(曇り)

 

五時に起きてお茶を沸かす。早めに外へ散歩に出ようという算段だ。

六時を過ぎると、窓の外は次第に明るくなり、青い海が広がっていた。眼下の浜にはもう修学旅行生らが遊んでいる。ツバメがしきりに飛び回っているが、尻尾が短いようだから、イワツバメかと思うが、それにしては顔が赤く見える。なんだ普通のツバメか、しかしそれにしては尾が短い。その場では判別が付かなかった。それがリュウキュウツバメだった。

朝食前に散歩に出る。昨日はいきなりシロガシラに出会ったので、今日も期待したが、鳥らしい鳥にはお目に掛かれなかった。ただわき道で、変ったキチョウ、ホシボシキチョウを見つけた。

八時半、ホテルを出発する。

さて、九時ごろ名護のパイン園を見学。パイナップルが背の低い樹にたった一つ実をつけることを知った。

金城町の石畳の道はかなりな坂道なので、大半が途中の吾妻屋で休憩にはいり、十人ばかりが先へと登った。われわれも残留組に入る。シロガシラの群れが近くの樹々に篭って鳴きあっていた。

守礼の門に到着したのは十時過ぎだった。正殿の軒にイソヒヨドリの番いが替わりばんこにやってきて、巣作りをしているようだった。

ハイウエーを南下する。途中道の片側に金網が連なり、ガイドの説明では今米軍基地の中を走っているとのことだった。沿道にはいたるところに沖縄特有の野草、タチアワユキセンダングサが咲き乱れている。

摩文仁の丘の芝生にもイソヒヨドリが遊んでいた。

那覇エッカホテルには六時ごろ着いた。今度は中流のホテルで、部屋もこじんまりしていたが、浴室もついているし別段困りもしなかった。

 

 

153.沖縄本島 三日目 2000年3月16日(曇りのち一時雨のち曇り)

 

六時半起床。七時過ぎに朝食を摂る。八時過ぎにホテルを出て、今日はフリーなので、タクシーで「パレットくもじ−りゅうぼう」という名のデパートまで行く。地下にあるコインロッカーへ荷物を預け、バスセンターまで歩いて、そこでバスを待つ。にわかに天候が悪くなってきた。九時ごろようやくバスに乗り込む。窓の外では、とうとう雨が降ってきて風も吹き出した。豊見城公園前で降りたが、傘が風で重い。人に河口への道を教えてもらって歩き出すが、とても歩けないので、途中の喫茶で休憩する。三十分ほどいて雨が小降りになってきたので勘定というと、コーヒー一杯で四百円取られた。しかしそこのマスターは親切に河口への道順を教えてくれた。

十時前河口に出る。ちょうど干潮で干潟が広がっていた。あちこちにシギが降り、また飛んでいた。チュウシャクシギ、イカルチドリ、ソリハシシギ、それにダイシャクシギが十メートルばかりのところにやってきて、いつまでも採餌にふけってくれた。シロガシラの群れが飛び交っている。足元にはイソヒヨドリが行きつ戻りつ。雨がまた激しくなってきたので橋の下に避難する。橋の下からマングローブの茂みが見えた。スコープを立てると、アカアシシギが数羽戯れ、、クロツラヘラサギが舞い降りてきて、マングローブの中に消えた。コアオアシシギとダイゼンが別の川で仲良く採餌していた。一時間あまり、薄汚い橋の下のヘドロの匂いを嗅ぎながら、鳥三昧にふけった。

少し小降りになったのでとよみ大橋の上に出て、歩道を歩く。橋から見下ろすとそこが「漫湖」と呼ばれる、マングローブの群生地だった。その中を点々とシギたちが群れ、共同生活を営んでいた。アカアシシギの群れをそこでも見かけた。傘が吹き飛びそうで、いつまでも橋の上に立ってはいられなかった。

十二時過ぎ、近くの和風亭というレストランで九百八十円の定食を食べる。皮肉にも雨はあがり、「りゅうぼう」には十三時ごろ戻ってきた。ロッカーから荷物を出して、バスに乗り込む。

空港に着いたのは二時過ぎ、出発までまだまだ時間があった。雨さえ降らなかったらもう一時間は鳥を見られたのにと残念だった。

 

 

154.城陽古川1 2000年3月27日(晴れ)

 

京都野鳥の会の河手さんのメールで古川上流にエリマキシギが出たと書いてあったので、電話してみる。親切にも河手さんは車で案内してあげましょうと言ってくれた。お言葉に甘えて、私一人で近鉄大久保駅まで出かける。駅前で待っていたら河手さんさんがやつてきて声を掛けてくれた。この前MLの顔合わせで一度お目に掛かっただけだった。

古川は川幅も狭く、きれいとは言えなかったが、着いて間もなくエリマキシギは見つかった。しばらくして飛んで降りたところが、クサシギのそばだった。二つ並んで車の中からビデオ撮影に成功する。もう一台の車から大型カメラで撮影している人がいたが、京都野鳥の中村副会長だった。

タカブシギもじっくり見て、一時間ばかりで大満足のうちに引き上げる。

家に帰って、フィールドガイドブックとビデオの拡大レンズを車に置き忘れたことに気づき河手さんに電話する。

 

 

155.宇治白川城陽古川2 2000年5月28日(曇り)

 

桂子と一緒に古川に出かける。一つは忘れ物を貰い受ける目的もあった。

探すがエリマキシギは見つからない。初見のクサシギはいたので、桂子を連れてきた甲斐はあった。

「川村さんですね?」

「・・?」

「大西です。」

ようやく顔と名前が一致した。大西さんの話ではエリマキは昨日以来いないらしい。それでも、親切に最後の最後までいっしょに探してくれた。

 

 

156.宇治白川城陽古川3 2000年4月10日(小雨)

 

大西さんから電話があって、クイナが今ならゆっくり見られますとのこと。雨模様だったが支度をして出かけることにする。

近鉄寺田から歩く。案外時間がかかり、古川には十一時半ごろ着いた。植田光さんが自転車で来てくれていた。早速橋のほとりでクイナを探し出してくれた。そのうち大西さんも同じく自転車でやってくる。はじめの内は葦の間に体を潜めていたクイナが、やがて全身を現し、川べりを駆け出したりした。

西側の休耕田に回ってみる。そこでダイゼンを見つける。大西さんは初めてとのこと。私も傘を放り投げてビデオ撮影をする。タカブシギ、タシギもいた。それほど広くない範囲、せいぜい二百メートル四方くらいに、ちようど渡りの時期でもあるが、おもしろい鳥がいろいろいた。

 

 

157.大阪南港野鳥園 2000年4月17日(晴れ)

 

昨日の鴨川調査のおりに、白井さんにヨーロッパトウネンがきているらしいと教えてもらったので、大阪南港野鳥園へ出かけることにする。

中ふ頭に着いたらもう十二時を過ぎていた。諦めていた貸し出し自転車がちょうど二台残っていて、これはラッキーだった。おかげで十二時半にすいすいと野鳥園にたどり着く。受付で尋ねると、まだいるらしい。

「探してみてください。」

と言われたが、初めてで見当つかなくて、とっても見つかりそうにない。入り口で見た若者を、桂子は鶴見緑地で会ったと言い、彼に助けを請いに行く。親切にも若者は自分のプロミナーを窓辺に持ってきて、ヨーロッパトウネンを合わせてくれた。しかも、トウネンとの違いをいろいろ図解までして説明してくれた。なんとか納得できた。しかし難しい。違いの要点は、尾が短い。くちばしが長め。従って脚の位置が体のやや後ろにくる。脚は少し長く、その分水につかっていることが多い。採餌方法は、くちばしで同じ位置をつつかず、よたよたと場所を変え、つつきながら進む。胸元の白が目立つ。背中の線が湾曲している。とまあこと細かい。

我々は礼を述べて、北観測所に回り、そこからビデオを狙うが、うまく撮れたかどうかもう一つ自信がない。

園内で、シャガ、ヒメオドリコソウ、も撮った。

帰りも、隠しておいた頼みの自転車が残っていたので、すいすい戻れた。

 

 

158.小塩山 2000年4月19日(曇り時々しぐれ)

 

朝起き出したのからして遅かった。天気も悪く、午後から雨の予報だった。それでも十時に家を出て、阪急に乗る。西向日で下車して、改札で尋ねると、阪急バスは東向日から出るとのこと。それでも親切に証明を書いてくれたので、一駅前の東向日に戻り、十一時三十分発の南春日町行きのバスに乗り込む。終点からの道がわからない。尋ね尋ねてようやく梟庵の前にたどり着く。この前車で来たことがあるのでここまでは間違いない。きれいなカワセミに出会う。「探鳥地ガイド」の簡単な地図を頼りに登るが金蔵寺までがなかなかだった。道すがらムラサキケマンやスミレをビデオ撮りし、途中の野良で握り飯を頬張る。金蔵寺にたどり着いたらもう二時だった。時々降りてくる人に聞くたびに「あと三十分」と同じ答えが返ってきた。何度かぽつぽつとしぐれ出してはまた止んだ。もう我々以外に登る人はいない。引き返すにはもう遅過ぎていた。淳和天皇陵の前でちょうど三時。やっとたどり着いたという感じでもう限界だった。「花を見る人は右に下って・・」の張り紙。そこからがさらに長く感じた。もう日差しはなかった。それでも壮観だった。一面のカタクリの花!二百株は下るまい。日差しのない分、少し元気がなかったが、感動に値する。

帰りは元の道を戻る勇気がなかった。花の寺に通ずるなだらかな自動車道をゆっくり降りる。途中コマドリが鳴き交わすところに行き会い、眼下の眺望を愉しみながら二時間掛かって麓にたどり着く。南春日町五時半発のバスに乗って帰った。

 

 

159.三川合流 2000年4月24日(曇り一時しぐれ)

 

オドリコソウの群落のありかを田子さんに教えてもらったので、出かけてみる。京阪八幡市駅で降り、河川まで出たあと、木津川鉄橋を渡る。宇治川との境目が桜並木の堤防だ。その下の駐車場に至る道を下りると、道端にクサフジが数本見つかった。さらに約五百メートルほど進むと、その右手の草原に、こつぜんと淡黄色をしたオドリコソウの群落が現れた。なんでも初めて目にしたものは感動ひとしおだ。

土手に上がり、今度は木津川の川岸にまで出てみる。向こう岸にキアシシギが一羽、十メートルほどの間を行ったり来りしている。コチドリ、イソシギもいるらしい。かなり遠いのでビデオで撮ってもたいした画像にはならないだろう。

桜土手に戻ったところで、とつぜんキジが鳴いた。それから今度はコジュケイが!そのころから空模様が怪しくなってきた。鉄橋に辿り着いたらぼつぼつきだした。桂子は傘をさしたが、私は持ってこなかったので、小走りで橋を渡る。駅に着いた頃にはかなりな降りになっていた。

 

 

160.ポンポン山 2000年5月3日(曇り)

 

ポンポン山は野草が豊富と聞いたので、このあいだの小塩山で懲りたはずなのに出かけてしまった。

同じように阪急東向日駅で降りて、今度は十時五分発「小塩行き」のバスに乗り込む。祝日のせいか超満員だった。金田さんのEメールでは灰谷からと書いてあったが、車中で人に聞くと、終点からの方が近いというのでそうする。

善峰寺までもかなり遠かった。その手前の産鈷寺への参道口に「ポンポン山近道五百メートル」との案内が出ていたので、その傾斜面を登ることにする。三十分ばかりで寺の裏側に達した。道端の木陰で弁当を広げる。

それから一時間ばかりの登り道。ようやく平坦な、山の中の村落に出てほっとする。しかし、そこから再び山に入り、また登り道。途中の谷間でミヤマカタバミ、ネコノメソウ、ヤマルリソウ、ショウジョウバカマを見つけ、その時だけは少しは足が軽くなる。下りてくる人に聞くたびに、「あと三十分」の答えが返ってくる。狭い頂上に立ったのは三時過ぎだった。眺望を楽しむひまもなく、帰りの最終バスの時間が気になって降りにかかる。

クロツグミ、オオルリの囀りを間近に聞く。

四時半のバスになんとか間に合った。