三・日常の中の異常

 

 昼休み。ユウトは再び部室に来ていた。

 手には購買で買ってきたサンドウィッチと牛乳のパックを持っている。

 昼休みは騒々しい教室から離れて、部室で昼食を取るのがユウトの日常だ。

 

「おつかれーっす」

 

 すでに鍵は開けられており、部室の中では数人の部員が思い思いの位置で昼食を取っている。

 

「あ、先輩。お疲れ様です」

「おお。竹塚ぁ、遅いぞー先食ってたからなー」

 

 入ってきたユウトに向かって、その中の何人かが声をかけてくる。

 

「あー。購買が混んでてなぁ。買うのに苦労したんだ」

「だから昼前に買っとけって言ってるじゃねぇの」

「うっせぇ。行く暇がねーんだよ」

 

 軽く会話を交わしてから、あの畳に向かって歩き出す。

 畳の上では先客が一人、悠然とお弁当を広げていた。

 

「木ノ坂さん。オツカレっす」

「はい」

 

 木ノ坂は竹塚の姿を認めると、弁当箱を抱えて少し脇によけた。

 そこに腰を下ろしてサンドウィッチの封をあける。

 

「そういやさ、今日誰か裏門か来た奴っている?」

 

 サンドウィッチをかじりながら、ユウトは部員たちに向かって問い掛けてみた。

 確認のためだ。もし、誰かがアイツを見ていたら、あれは現実に存在するものになる。

 だが逆に、誰もあの男を見てないと言えば、ユウトが見たものは紛れもなく気のせいだと言う確証が得られる。

 

「あ、私、大抵裏門からですけど」

 

 部員の中から、後輩の女子生徒が名乗りをあげる。

 

「んーとさ、今日何時くらいに来た?」

「えっと……予鈴が鳴るちょっと前くらいですね」

 

 問題の時間帯だ。ユウトは心臓が跳ねるのを感じた。

 心の中に生まれた不安を何とか顔に出すことなく、肝心の問題を問い掛ける。

 

「あのさ、その時間、裏門に誰かいた?」

「え? うーんと……誰かっていえば、私と同じような人たちはいましたけど?」

「ほんと?」

「はい」

「なんか、変な奴とかいなかった?」

「は?」

 

 女子生徒が困惑したような表情を浮かべる。その表情を見て、ユウトはしまったと感じた。

 

「あーいや。気にしないで。ごめん、ありがと」

「なんだよ、竹塚。お前誰か見たのか?」

 

 別な男子がいぶかしげな顔で問い掛けてきた。

 ユウトは出来るだけ平静を装って答える。正直、あまり思い出したくないことではあるが、ここで答えないと言うのもなんとなくおかしい。

 

「いや。俺の勘違い。そうだよな、この時期にトレンチコートを着た奴なんて、漫画位にしかでてこないよな」

「なんだそりゃ?」

「だから、俺の勘違いだって」

 

 首をかしげる男子を放置して、ユウトは再びサンドウィッチに取り掛かった。その時、ふと木ノ坂の様子が変だとことに気が付く。

 木ノ坂は箸を止めて、ユウトのことをじっと見詰めている。

 

「あれ? 木ノ坂さん、どしたの?」

「ああ。別に大したことじゃありませんよ。……ところで、竹塚さん」

 

 完全に箸を置き、木ノ坂はユウトに向き直った。

 

「ん? どしたの、なんか声がマジなんですけど……」

「いつもこんな声ですよ。そんなことより。トレンチコートを着た人、見たんですか?」

「は? いや、だから俺の気のせいだって……」

「見たんですか」

 

 口調こそ、いつもの淡々としたものだが、ユウトには木ノ坂が真剣で聞いているように思えた。

 

「えーっと、まあ、勘違いだと思うんだけどね」

「だから。見たんですか、と聞いているんです。見たか、見てないのか。どちらかで答えてください」

「見たか、見てないかで答えるなら見た、だね。でもありえないじゃん。この時期だぜ?

そんな、トレンチコートを着てる奴なんて、それこそキチの外ってやつだよ」

 

 軽く流すつもりだった。しかし、流せなかった。

 その瞬間、ほんの一瞬だったが、木ノ坂の目にユウトが見たこともないほど、真剣な光が宿ったからだ。

 

「……木ノ坂さん?」

 

 まさか、アイツは現実に存在する者なのか?

 そんな不安を伴った質問をしようとした矢先、木ノ坂が一つうなずいた。

 

「……そうですね。そんな人は確かに私たちの理解の範疇を超えていますね」

「……やだなぁ。あんまりマジな顔してるから、ほんとにそんな奴がいると思っちゃったよ」

「ふふふ。冗談ですよ。まあ、どんなことでも少し思考する意味はありますがね」

 

 そう言って、木ノ坂は口元に、あるかないか微妙な具合の彼独特の笑い方をした。

 そして、食べかけの弁当を手早く片付けると、席を立った。

 

「あれ? 木ノ坂さん、もう終わり?」

「ええ。少々やることがあったのを思い出しました」

 

 そう言って、木ノ坂は部室から姿を消した。

 ユウトは、一瞬だけ見えた木ノ坂の真剣な目の光が気にはなったが、あえて止めることはなかった。

 木ノ坂が部室出るのを見届けると、ユウトに男子部員が声をかけてきた。

 二つ下の後輩で、新聞部との掛け持ちをしているやつだったか。

 

「竹塚先輩。木ノ坂先輩って確か生徒会の人でしたよね?」

「ん? なんだよいきなり。そうだけど、それがどうかしたか?」

 

 木ノ坂はこの学校の生徒会に所属している。それは事実だ。

 

「いや、うちの学校の生徒会って、色々変な噂があるんですよ」

「あー? 噂ぁ?」

 

 思いっきり胡散臭そうな声を出す。しかし、噂が立つのも当然か。この学校、色々と変なことが起きる。  

 例えば、昨日までピンピンしていた奴が、いきなり病気で長期療養に入ったり、変な時期に転校したり、その逆に転校してきたり。

 そして、学年があがるにつれて、じりじりと生徒数が減少していったり。

 そんな高校の生徒会だ。噂の一つや二つ、無いほうがおかしいと言うものだろう。

 

「ま、いいか。んで? どんな噂なのさ」

「いや、今新聞部の方で裏を取っているところなんですけどね……」

 

 「ここだけの話ですよ」と前置きをしておいて、こっそりと耳打ちをしてくる後輩の言葉を聞いた瞬間、ユウトの目が点になった。

 

「……っぷ。ぶふっ。あははははははははは!」

 

 そして、次の瞬間に笑いがこみ上げてきた。

 

「あ! 笑いましたね! 嘘じゃないですよ! 俺ら新聞部、ホラは吹くけど嘘はつきませんよ!」

「ど、どうちが、あははは! どう違うんだよ! ひひひひ!」

 

 腹を抱えて、ユウトは笑い転げた。

 それも、無理な話ではない。

 この学校の生徒会役員はこの学校の平和を守る超人戦隊で、日夜悪のテロ組織との抗争に明け暮れている。

 しかも、減っていく生徒はその敵対するテロ組織の構成員だというのだから。  

 噂にしても、無理がありすぎる。

 

「あ、ありえねぇ〜〜!」

 

 ユウトはひとしきり笑うと、目に浮かんだ涙をぬぐった。

 

「なぁ、それ絶対テレビの見過ぎだって。裏なんてとれっこねぇよ」

 

 そこまで言って、ユウトはまた笑い出した。

 テレビの戦隊物の格好をした木ノ坂を想像してしまったのだ。

 

「だ、大体、あの木ノ坂さんが、そんな恥ずかしい格好するかよ! あの人なら一目見て『何の冗談ですか』って言うに決まってるだろ!」

「あ、それは確かに。う〜ん、やっぱりガセだったのかなぁ」

「信じるなよ、新聞部! あははははは!」

 

 ユウトは久しぶりに腹の底から笑っていた。この時だけは朝から感じていた言いようのない不安を忘れられた。

 

「それは、むしろ俺たちの領分じゃねーか!」

 

 ユウトたちの領分。すなわち、物語の世界。

 そう、後輩の言ったことは、現実にはありえない話だった。  

 だが、こういう言葉もある。

 

――――『事実は小説よりも奇なり』