六・日常の、裏
「……一通り、見させていただきましたが、怪我などはないようです」
あれから三十分後。ユウトは木ノ坂の部屋に居た。
木ノ坂の第一声は、「一部始終、見させていただきました」だった。
直後、取り乱したユウトの腕をつかみ、木ノ坂は無言で自分の部屋まで引きずっていった。
部屋につくと、「怪我がないか調べますから、服を脱いでください」と言い、淡々と触診を始めた。
途中、何度か質問をされたが、あまり覚えていない。
そして、今。ユウトは家に電話を入れさせられ、今夜は木ノ坂の部屋に泊まっていくと言わされた。
「……うん。わかってる、明日のお昼までには帰るから。うん。うん。……それじゃお休みなさい」
母親を何とか説得して、受話器を置く。
そうすると、台所から木ノ坂がお茶を淹れて持ってきた。
「どうぞ」
「あ。ありがと……」
進められるまま、緑茶を一口含む。渋みとほのかな甘さ、何よりもその暖かさがユウトの心を落ち着かせた。
「落ち着きましたか」
「……うん。あのさ、木ノ坂さん」
「わかっています。私は何も見ていない。それで問題ありません」
「この服のことも含めて、ありがと。そのうちなんかでお返しするから」
ユウトは今、木ノ坂から借りたジーンズとシャツを着ていた。
制服は血で汚れ、切り裂かれておそらく二度度使い物にはならないだろう。
「いえ。礼はいりません」
「でも……」
「それよりも、今何か変な気持ちとかはありませんね?」
「……その質問は、変な誤解を生むと思います、先生」
「なるほど。意識ははっきりしている、と」
木ノ坂は何かに納得するようにうなずいた。
ユウトはたまりかねて、木ノ坂に問い掛けた。
「なあ木ノ坂さん、何か知ってるのか? あの化け物のこととか……俺の、こととか」
「………………」
木ノ坂はしばらく黙った後、おもむろに口を開いた。
「あの怪物のことについては、私も今はよくわかりません。ですが、竹塚さんの身に起きたことなら多少は説明できます」
「教えてくれよ! 俺、一体どうなったんだ?!」
木ノ坂はゆっくりと緑茶を飲むと、湯飲みをゆっくりとテーブルにおいた。
「……まず、第一に。竹塚さん、あなたは一度死にました」
「な……!」
「そして、あるものの働きにより即座に蘇生し、人ではない力を得たのです」
「なんだよそれ! 訳わかんないよ!」
「……詳しく話すと、長くなるので端的に話しましょう。まず、竹塚さんの体には、ある種のウィルスが眠っていたんです――」
その後の木ノ坂の話は、ユウトには理解しにくいものだった。
つまるところ、ユウトは、ある特殊なウィルスに感染しており、それが宿主の死によって自身の生存本能を刺激され活性化。
その結果、ユウトの体は再生され、さらにウィルスの防衛本能までもが活性化され、あのようなことをした。ということらしい。
そのウィルスの起源などについても講義をされたが、さっぱりわからなかった。
「……要するに、俺はもう人じゃない、と?」
「正確にはちょっと違いますが、概ねそれで問題ありません」
「……じゃあ、あの化け物は?」
ユウトは自分が倒したあの怪物を思い出した。この世の獣の優れたところを寄せ集めたような、あの怪物。
木ノ坂は少し考えたあと、またもやユウトを混乱させるような言葉を言った。
「おそらくは、キュマイラ・シンドロームの発症者か何かでしょう。まあ、ジャーム化していたようですが」
「きゅまいら? じゃーむ?」
「ああ。言っていませんでしたね。このウィルスは発症した人によって得る能力が変化するんです」
木ノ坂は「まず、死ににくくなると言うのは共通ですが」と前置きをして、説明を始めた
「例えば、温度を操作することによって火と氷を自在に操ったり、人間に流れている生体電流を増幅して撃ち出したり、
竹塚さんのように自分の血液を操作したり。そう言った能力ごとに十一種類に分類されていて、それらをシンドロームと呼ぶわけです。
オーヴァードは各個人のシンドロームの組み合わせで持つ能力が変わります。
そして、竹塚さんが倒したのは、キュマイラ・シンドロームと呼ばれるものな訳です。
特徴は、自身の肉体の変異能力。簡単に言えば、自分の肉体の一部分を別な生物の部位に変更することですね。
それに加えて、常人をはるかに上回る筋力を有します。
……ここまではいいですか?」
「……ええと、まあ何とか」
流れるように続く木ノ坂の言葉に、ユウトは曖昧に頷いた。
要するに、どれをとっても超能力を得るものなのだと、ユウトは解釈した。
「それで、このウィルスが発症した際に、宿主の精神がウィルスの活性化に耐え切れなかった場合、
ウィルスが異常に活性化してしまい、完全にウィルスに乗っ取られてしまう。
こうなると、ただ暴れるだけの存在になってしまいます。 そうした輩をジャームと呼びます。
ちなみに、発症すると多くの人はこのジャームになってしまうというのが、現在の研究結果ですね」
木ノ坂はユウトの背筋を冷たくするようなことを、さらりと言ってのけた。
「……ってことは、何。俺もあの化け物みたくなってたかもってこと?」
「まあ、そうなる可能性もあった、と言う程度ですね。
実際、竹塚さんはまだ自我がはっきりしていますし……ともかく、竹塚さんは第一関門を突破しました。
まずは安心、といったところですか」
木ノ坂の言葉で、ユウトの心に多少の安心が広がる、だが同時に、木ノ坂の言葉はユウトの中に別な疑念を生み出した。
「ちょっと待って。第一関門? まずは安心? なに、それじゃこれってあれなの? 一回限りじゃないの?」
木ノ坂は無表情に首肯する。
「ええ。残念なことなのですが、本番はむしろこれからといった方がいいかもしれません。
このウィルス、正式名称はレネゲイド・ウィルスというんですが、これに感染し、かつ発症した人は、
その後もウィルスの活性化に耐えなければならないことになります」
「な……」
「そして、それに精神が耐え切れなければ……やはり、ジャームとなります」
「………………」
部屋を沈黙が支配した。
ユウトは目の前が真っ暗になったような気がしていた。
自分は、これからいつやってくるとも知れないあの激しい感情と、
目に映るもの全てを敵に回しそうなほどの闘争への衝動と、
あんなものと闘いつづけなければいけないのか。
そして、それに耐え切れなくなった瞬間、自分もあの怪物のようになってしまうのか。
そう考えただけで、体が震えだした。
「……竹塚さん」
そんなユウトの様子を見かねたのか、木ノ坂が声をかけてくる。
「……竹塚さんが望むのであれば、私にできることが一つだけあります」
「なに」
「……残念ですが、一度発症したウィルスを根絶するのは現代の医療では不可能です。
ですが、ある種の訓練をすることによって、ある程度はその活性化をコントロールすることが出来ます」
「本当!」
「ええ……ですが、それは同時に今までの生活とはかけ離れた世界へ足を踏み入れることにもなります。
――具体的には、竹塚さんが得てしまった力、それを活用している組織への協力が条件なんです」
「……組織?」
木ノ坂は、静かにうなずいた。
目に、昼に見せた真剣な光が宿る。
「はい。竹塚さんを襲ったようなジャーム、さらには、自我があるにも関わらず、その力を悪用する輩たちに対抗するための組織。
ユニバーサル・ガーディアンズ・ネット。――通称、UGN」
「UGN……」
木ノ坂は、少し悲しそうな顔で、ユウトを見た。
「私も、その一員です。いえ、竜ヶ臥学院の何割かがその構成員といってもいいでしょう。
……竹塚さんは聞いたことがありませんか? 生徒会の噂について」
ユウトはそこで昼休みに聞かされた噂を思い出した。荒唐無稽とも言える、あの冗談のような噂を。
「……あれ、マジだったの?」
「……ええ。ある意味的を得た噂ですね」
「じゃあ、やっぱり木ノ坂さんも……」
「はい。オーヴァードです」
「……そうだったのか」
オーヴァード。人を超えた人。超人。
レネゲイド・ウィルスに感染し、その力を得てなお、人でありつづける者。
「他の人には黙っていてください。世間的にはそんなものは存在しないことになっていますから」
「……わかってる。俺だって同じになっちゃったわけだし」
再び、部屋に沈黙が下りた。
二人とも、ぬるくなった緑茶を口に運んではテーブルに置く、その動作を繰り返す。
その沈黙を破ったのは、やはり木ノ坂だった。
「竹塚さん、どうしますか」
ユウトはテーブルに置いた湯飲みを見詰めたまま、口を開こうとしない。
やがて、ポツリと言葉を漏らした。
「……断る理由はないんだ。俺の中にいるコイツをコントロールできなきゃ、俺も遅かれ早かれ、あんな化け物になっちまうんだろ?」
「……はい。制御の仕方を知らなければ、レネゲイドは際限なく活性化します」
「……断る理由は、ないんだ」
そう繰り返して、ユウトは黙り込む。
木ノ坂は、その先の返答を辛抱強く待った。
「……でも、明日一日、考えさせてもらっていいかな」
ユウトの目は湯飲みを捉えたまま動かない。
木ノ坂は仕方がないといったように軽くため息をついた。
「……まあ、いきなり答えを出せとはいいません。が、決断は早いほうがいい、とも言っておきます」
「ごめん」
「……いいえ」
それきり、話は終わりになった。
ユウトは木ノ坂のベッドを借り、木ノ坂は無造作に床に寝転んだ。
「……木ノ坂さん」
「なんですか」
「……木ノ坂さんは、どんなのなの? この力」
「……私の能力は、人よりほんの少し論理的思考に向いている、ただそれだけですよ。
人よりほんの少し効率よく体を動かせる、ほんの少し無駄なく行動できる、その程度です」
「そうなんだ」
「……もう、寝た方がいいですよ。能力に慣れない間は、疲労が抜けにくいんです」
「わかった。……お休み」
「はい」
やがて、ユウトの意識は眠りへと落ちていった。
あの夢は、見なかった。