七・衝動的な暴力

 

 怪物は庭に完全に立ち上がった。

 牙を剥き出し、あの唸り声を上げる。すでに全身はこれから始まる戦闘にむけて、臨戦態勢だ。

 全身を覆っていたトレンチコートが内側から膨張して弾け飛ぶ。

 その下から現れたのは、全身を赤い鱗と短い角状の突起物に覆われた体だった。

 怪物はやや前傾姿勢をとりながら、ユウトを睨む。

 

 一方のユウトは、まったくの自然体で立っている。特別拳を構えたり、姿勢を整えたりはしない。

 だらりと下げた手は、軽く握られている。悠然と歩き、庭へと降りた。

 そして、ユウトは怪物を楽しそうに見つめた。

 今度はどんな風に楽しませてくれるのだろう。どのようにして楽しもう?

 まるで、新しい玩具を前にして、どうやって遊ぼうかを考えているような顔だ。

 口の端が自然と吊り上っていく。

 

 二人の間に、無言のプレッシャーが渦を巻く。

 怪物からは凄まじいばかりの殺気が。そして、ユウトからは闘争への渇望が。

 そして、戦いの口火は昨晩と同じく、怪物によって切られた。

 

「シィイイイイ!!」

 

 呼気を背後に流しつつ、怪物は地面を蹴った。

 一直線に、ユウトを目指して突撃してくる。その手が後ろに引かれた。一瞬、その腕全体から赤味が消えた。

 そして、引き絞った弓から矢が放たれるように、打ち出される。打ち出される瞬間、その手は先ほどに倍する赤に染まっていた。

 それは、先ほどユウトが怪物に与えた一撃と同じ原理による物だ。

 血流を操り、腕部の筋肉から一時的に血液を抜き取り、肩で腕部への血流をせき止める。

 血流をせき止められた筋肉は異常収縮起こし、極限までその力を溜め込む。

 そして、そこに爆発的な勢いで血を再び流しこむ。

 その結果、筋肉は溜め込んだ力を一気に吐き出し、それが拳を鋼をも打ち抜く弾丸へと変える。

 

「ハハハハ! 猿真似じゃねぇか!」

 

 しかし、ユウトは楽しそうに笑い、その唸りを上げる拳を見つめるままだ。

 一直線に放たれる怪物の爪。それは、ユウトの放った拳とは比べ物にならない威力を秘めているのは間違いない。

 直撃すれば、頭が易々と弾け飛ぶであろうに、かわそうともしない。

 そして、怪物の爪が、ユウトの頭部を消し飛ばすかに見えた。

 だが。

 

「どうしたよ。俺は一歩も動いてないぜ?」

 

 ユウトがニヤニヤと笑いながら、怪物に問い掛ける。

 怪物の爪は、ユウトの顔の脇を貫いていた。

 それが、怪物の意思によるものではないことは、その口が引き歪められていることからわかる。

 

「足元だよ。足元」

 

 ユウトは自分の顔の脇にある怪物の太い腕を、立てた人差し指で押しのけながら、笑う。

 怪物の視線が、いわれるままに下を向いた。その立っていた足元が、わずかに盛り上がっている。

 そのせいで、攻撃の軌道がわずかにそれたのだと、怪物は理解したようだ。

 

「ふふふ。幸運ってのは、あるもんだな? おい」

 

 ユウトは微笑を浮かべながら、怪物から一歩離れた。

 その顔に浮かんだ笑いが、血に餓えたそれに代わる。

 

「さぁあ! 次は俺の番だぜ?」

 

 そう高らかに宣言し、ユウトは大地を踏み鳴らした。

 怪物の右腕を中心として、空気が変わっていくのがわかる。

 そして、そこは自分の意のままに操れる、『領域』だということも。ユウトは『領域』内の地面に命じた。

 「捕縛せよ」と。

 

「シィイ?!」

 

 怪物が、戸惑ったような呼気を漏らす。

 無理もない。いきなり何もなかったはずの地面から、無数の蔦が伸び、自らの右腕を捕らえたのだから。

 一瞬、怪物の動きが止まる。

 その姿を見て、ユウトが笑う。

 

「おいおい。戸惑ってる暇なんかないんだぜ? そぉら、コイツはどうかわすよ?」

 

 もう一度、軽く地面を叩く。

 再び、領域に命ずる。今度の命令は「突き刺せ」。

 その命令に答えるのは、ずぶりという、肉に何かが突き立つ音と、ぶちりという引きちぎれる音。

 

「ギィイ!」

 

 怪物が食いしばった歯の間から、苦痛の叫びを上げる。

 その右腕が、付け根から引きちぎられている。それをなしたのは、やはり地面だった。

 蔦の生えた地面から、岩石がまるで牙のように隆起している。

 鋭い岩の槍は、怪物の右肘を貫き、そしてそのまま引きちぎったのだ。

 怪物が右腕の付け根を抑えて飛び退る。

 

「ジィイアッ!」

 

 そして、吠えるとその抑えた手を打ち振った。

 打ち振られた血液は、固形化し、まるで紅い矢のように変化してユウトに襲い掛かった。

 しかし、ユウトはそれを冷笑をもって出迎えた。

 

「は! こんな苦し紛れの一撃……」

 

 三度大地を叩く。「我を守れ」という意思を込めて。

 それに答えるのは地面より現れた分厚い石の壁だった。

 壁に、紅い矢が突き刺さる。刺さるが、それは壁を貫かず、また元の液体へと戻った。

 そして、危害を加えるものの消滅を確認すると、石の壁は音を立てて崩れた。

 その影から、傷一つ負っていないユウトの姿が現れる。

 

「ハハッ! どうしたよ、こんなもんか。ええ? 化け物!」

 

 ユウトは楽しげに笑うと、領域を拡大した。

 今度は、怪物の全身を包み込むように。それが一瞬で完了すると、ユウトは右手を怪物に向けた。

 その拳には、かすかに血が滲んでいる。

 

「それで終わりなら。今度も、俺の勝ちだ」

 

 拳を軽く打ち振る。

 しかし、それのもたらした効果は劇的だった。

 わずかに滲んでいた血を呼び水として、ユウトの拳から一条の血が迸る。

 その血は、まるで意思を持つかのように怪物に向けて飛んだ。

 怪物は、今まさに飛びかかろうとする瞬間だった。機先を制された形の怪物が、一瞬たたらを踏む。

 その目の前でユウトの血が唐突に拡散した。

 血が、一条の線から赤い網へと変わる。その網は、さらに広がり怪物を包み込んだ。

 細いが、ユウトの意思以外には何人にも断ち切れない網が、怪物を絡めとる。

 

「そぉら、お次はコイツだ!」

 

 怪物が網に囚われた次の瞬間、再び大地が動いた。緑の鞭が庭の至る所から走り出る。

 その正体は蔦だ。先ほど怪物の右腕を絡め取った蔦が、今度は怪物の全身を縛り上げる。

 頭部を除いた全身を、赤の網と緑の鎖によって封じ込められた怪物は、怒りの咆哮を上げる。

 しかし、その全身はまったく動こうとしない。

 いまや怪物は、ユウトの領域によって捕らえられた、哀れな虜囚に他ならない。

 領域の支配者たるユウトは、その顔に満足そうな笑いを浮かべて、宣言した。

 

「王手詰み、だ」

 

 笑い、そして領域に干渉する。

 怪物を包み込む領域内の水分が凝縮し、圧縮される。

 そして、圧縮された水は鋭い刃と成り代り、怪物の全包囲から襲い掛かった。

 全身を切り刻まれて、怪物が今度は苦痛の叫びを上げる。

 その開いた口腔に、岩石の槍が突き立った。先端が口腔を刺し貫き、後頭部に抜ける。

 延髄を破壊された怪物の体が、ビクリと痙攣して力を失う。

 その力を失った体に、さらに次々と岩石の槍が突き立っていく。

 

「ククク……」

 

 槍が突き立っていく様を見て、ユウトはこらえきれないように笑った。

 怪物の串刺しとなった体を前にして、ユウトは高らかに笑った。

 

「ハハッ! アハハハハハハッ!」

 

 楽しい! 戦うことはこんなにも楽しい!

 闘争の愉悦を満喫し、笑いつづけるユウトに、しかし冷たく語りかける声があった。

 

「なるほど……大した力だ。本当に、昨日目覚めたとは思えないくらいに、ねぇ」

 

 その声は、誰あろう、今葬り去った怪物の口から漏れていた。